プロジェクト骨格会議

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■昨日は、明日10時から晩の19時半まで、京都の上賀茂にある総合地球環境学研究所で、参加しているプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」の「プロジェクト骨格検討会」が開催されました。もうじき、研究所内で、評価委員会が開催されます。国内外の審査委員の前で、プロジェクトリーダーがプロジェクトの進捗を報告して、審査委員からの質疑や意見に対応しなければなりません。そのようなこともあり、プロジェクトのコアメンバーが集まり、プロジェクトにブレがないか、「穴」はなのいか、そしてメンバー間に認識のズレはないか、根本的な点にまで立ち戻って、プロジェクトの「骨格」を再度チェックしました。

■なかなか厳しいやり取りもありましたが、なんとか問題点を抽出して整理し、クリアにして終了することができました。同じ専門分野、近い専門分野だと、このようなことをする必要はないのかもしれません。しかし、自然科学から社会科学まで専門分野の異なる研究者が集まってプロジェクトの取り組んでいるので、度々、こうやって根本の骨格にまで戻って確認を繰り返して行く必要があるように思います。そこが良いところでもあるわけですが、なかなか大変なのです。

■これに耐えられない人(嫌な人)は、個別ディシプリンに基づく環境研究プロジェクトはできても、相互に緊張感を孕みつつも、自分たちの持つ専門性を補完的に活かし合うような、総合的な環境科学研究は避けて通ることになります。加えて、このような総合的な環境科学に関する研究をきちんと評価できる学会がまだありません。時間もエネルギーも必要になります。多くの人たちは、コスト・ベネフィット的に見合わない(時間とエネルギーが必要な割には、成果の産出や評価の獲得が難しい)と判断すると思います。ですから、プロジェクトの内部の「何か」に、さらにはプロジェクトを通して見えてくる社会の「何か」に、強くコミットしている必要があります。

■骨格検討会の後は、プロジェクトのメンバーと内湖の調査に関して意見交換を行いました。いやはや、なかなかハードな1日でした。

ファシリテーターとしての教員

20180119seikogakuin.png ■facebookで興味深いインタビュー記事を見つけました。神奈川県の進学校として知られる聖光学院高校の校長先生へのインタビューです。「東大合格者3倍、起業家輩出ーー次世代リーダー輩出校『聖光学院』の育て方」。気になったところを抜き出してみます。

ただ、歴然としているのは「みな同じような人生を送る ”昭和の人生すごろく” は終わっているにもかかわらず、それに対応しきれていない組織がある」ということ。いまだに製造業に勤める会社員がモデルケースとなっていて、学校のみならず、企業においても「同じ品質のモノをきっちり作ることのできる人材を養成する教育」から抜け出しきれていない。

これから人工知能(AI)が活用される世界が現実のものとなって、違う領域のモノとモノ、人と人を結びつけられるような人が求められます。そこで必要なのが、若いうちに多様な経験を得て、感性を磨くこと。表向きのデータだけを見るのでは、物事の本質や潜在的なアイデアを見いだせませんからね。

極論を言えば、これからの教員は「ファシリテーター」としての役割を果たしていかなくてはならないのだと思います。教科の枠組みを超えて、校内外のさまざまな人と協力し、生徒たちに多様な経験を積ませてやれるような教員です。

これからの時代、どんなにテクノロジーが発達しても、幼稚園の先生や保育士さんが職を失うことはないでしょう。なぜなら、一人ひとりをしっかり対面で見ていかなくてはならないからです。

でもやはり、すばらしい上司は単に数字ばかりを追うような人じゃない。普段のコミュニケーションや振る舞いから、信頼関係を築いています。結局、どんなにテクノロジーが進化しても、「人と人」というのが原点にあって、だからこそむしろFace to Faceの大切さがより際立ってくるのだと思います。

■世間から進学校と評価される高校の校長先生のお考えが、もちろん、そのまま大学に当てはまるとは限りません。さらに、大学にも様々なタイプがあります。研究者を養成して行くことを大学の一番の使命としている大学がある一方で、研究も大切だけど教育を大切にしようとする大学もあります。研究か教育かというのは陳腐な尺度でしかありませんが、大学によって建学の精神も、目指すべき大学像も異なります。大学ごとに社会の中での立ち位置やニッチが違うからです。しかしながら、上に抜き出した部分は、大学教育に関しても、同じなんじゃないのかなと思うわけです。環境の変化の中で、教育の中身をどのように変えていくのか。このことは、18歳人口が減少していく中で、ますます切迫した課題になっているように思います。

■「人口減少社会」の到来、18歳人口が2018年からどんどん減少して行く「2018年問題」、大学はこの現実にどのように向き合いながら、この環境の変化に対応してくのでしょうか。一層、教育の質が問われる時代になることは間違いありません。以下は、「リクルート進学総研」が発表した「18歳人口推移、大学・短大・専門学校進学率、地元残留率の動向 2017」という記事です。この記事の中にあるグラフを見ると、全国の数値ですが、2017年度の18歳人口を100とすると、2028年には90.4にまで減少すると予測されています。近畿はどうでしょうか。2017年度の18歳人口を100とすると、2028年には87.2にまで減少します。「2018年の大問題「中小限界大学消滅」は回避可能か」という記事の中には、以下のような記述もあります。

少子化にも地域差がある。「学校基本調査」を参考に、16年度の高校3年生の生徒数と小学1年生の児童数を比較してみよう。少子化を免れる県はないが、沖縄県(0.3%減)を筆頭に、東京都、福岡県、神奈川県の3都県は5%未満の減少に留まっている。一方で減少幅が20%を超えるのは、青森県、福島県、和歌山県、秋田県、岩手県の5県であり、青森県は28.8%に達する。

大都市圏でも大阪府が15.5%、京都府が14.0%と、全国平均(10.7%)を上回っている。東北地方を中心に、志願者が地元に限られる中小私大の中から撤退に追い込まれていくものが出るのは避けられない。また首都圏よりは関西圏のほうが私大経営の環境はより厳しくなることも予想される。

■「2018年問題」に対応した入試制度、教学・カリキュラム、キャリア支援、それはどのようなものなのでしょうか。教職協働のもとで、それぞれの担当部署が相互に連携しながら、大学の組織の中に大きなうねりが生まれてくる必要がある、そのように思うのです。

「馬について語り、遊び、食べる会」

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■昨年、1月24日、大阪の谷町にある應典院で「馬について語り、遊び、食べる会」が開催されました。先日の17日、大阪の谷町にある應典院で「馬について語り、遊び、食べる会」が開催されました。應典院はどのような寺院なのか、どうして寺院でこのようなイベントが開催されるのか、その辺りのことについては、昨年、1月24日に同じく應典院で開催された「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」のエントリーに詳しく書いておりますので、そちらの方をご覧いただければと思います。このイベントを企画運営されているのは、陸奥賢さんとお仲間の「いきものがかり」の皆さんです。陸奥さんたちは、蚕、鯰、亀、鯨など「異類」に関するプロジェクトを手掛けてこられました。今回の「異類」は馬です。馬を食べること=命をいただくことを通して、馬の歴史・文化を見つめ直すことが目的です。

■昨年に続き企画されたイベントですが、今回は、少し特別なことがあります。この日の「馬について語り、遊び、食べる会」を含めた6つのイベントが、1月15日から17日までの間に「陸奥賢と愉快なコモンズ・デザインたち 應典院・コモンズフェスタ発祥の6コンテツ」と銘打った一連のシリーズとして開催されたわけですが、そのうちの1つ「まわしよみ新聞~新聞メディアの新しい可能性を探る~」の「まわしよみ新聞」が昨年度、「読売教育賞(NIE部門最優秀賞受賞)」を受賞されたのです。陸奥さん、あらためて、おめでとうございます。この「まわしよみ新聞」ですが、私もゼミで使わせてもらったことがあります。とても盛り上がりました。

■さてさて、イベントの報告に戻りましょう。今回も、陸奥さんからイベントの趣旨の説明が行われたあと、應典院主幹である秋田光軌さんに導師をお務めいただき、寺院のなかにある十一面観音を祀った祭壇の前で、参加者の皆さんと浄土宗に則った法要を営みました。そのあとは、陸奥さんを講師に、馬と人の歴史・文化に関するお話しをお聞かせいただき、馬肉の刺身と、馬肉を使った桜鍋をいただきました。刺身は、馬肉の赤身、ハツ=心臓、コウネ=たてがみ(馬のたてがみが生えているところの肉)です。赤身とコウネを一緒にいただくと旨味と甘みが見事に調和して美味しくなります。こちらは、生姜醤油や、九州の甘めの醤油に少しすりおろしたニンニクを入れていただきました。それから、ハツは、ごま油と塩でいただきました。どれも、非常に美味しい。桜鍋ですが、これは青森県の郷土料理なのだそうです。桜肉とは馬肉のことです。これも旨味が出てとても美味しかったな〜。
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■来年もこの企画は続くことが、イベントの最後に宣言されました。来年は、鹿だそうです。このブログでは鹿肉・ジビエ・獣害の問題に関しては、いくつかエントリーしてきました。できればお読みいただきたいのですが、「SHARE WILD PROJECT」という試みの中では、獣害として処理されている鹿たちの命の問題を、真正面から受け止め活動している青年たちの活動を取り上げています。私の願望ですが、こうやって命の問題に取り組む団体と應典院との間で素敵な連携が生まれていけばなあと思っています。なかなか、大変だとは思いますけど。
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第8回「龍谷大学餃子研究会」

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■昨晩は、第8回「龍谷大学餃子研究会」が開催されました。京都の中央卸売市場の近くにある「ラッキー餃子センター」が研究会の会場です。餃子は、「パリッ」「フワッ」「ジュワ」、この3つの基本軸で評価されると個人的には思っていますが、こちらの「ラッキー餃子センター」は、「パリッ」という評価軸ではかなり高い評価を得る餃子店だと思います。開店してまだ半年とのこと、少し賑やかなところから離れた場所にあるけれど、もっと人気が出て良いお店だ。

■ここのお店の特徴は、鉄板の上に焼きあげた餃子を並べてくれることです。この鉄板の上でのさらなる加熱が、出来上がった餃子に変化を加えます。美味しくなるのです。もっとも、さっさと食べないと焼きすぎる危険性はあります。まあ、大勢で食べるとあっという間になくなってしまうので、今回はほとんど気になりませんでした。今回の研究会の参加者は6人。1人前が6個なのですが、参加者6人で21人前を食べました。全部で126個になりますね。鉄板の上にずらりと餃子を並べると、かなり壮観だな〜!!126個を2回に分けて食べました。下段左の写真は、12人前を鉄板の上に乗せたところです。

■ここのお店の特徴は、その食べ方にあります。まず、そのままいただきます。美味しいです。十分に味がついています。その次は、酢と胡椒でいただきます。美味しいです。さっぱりしています。この食べ方は初めてです。その次は、一般的な食べ方になります。酢、醤油、ラー油です。最後は、ここにお店特製の味噌だれも入れます。味が変わるので、たくさんの餃子を食べることができるわけです。もちろん、熱い餃子を頬張る時の相棒はビールです。今回は、糖質ダイエットされている方は、ハイボールにされていましたが、ビールと焼き餃子、これは鉄板ですね。

■餃子を食べながら、いつもは大学の課題や将来について語り合うのですが、今回、いつの間にか「ランニング」や「ウォーキング」の話題になり、盛り上がってしまいました。というのも、参加者6人のうち4人は、来月の「びわ湖レイクサイドマラソン」に出場する、「チーム利やん」のメンバーでもあるからです。そんな話題で盛り上がったところ、参加者の1人であるM課長から、「餃子研究会なのに、話題がずれてしまっています!!」と鋭いツッコミが入りました。そうです。ここは餃子研究会なんです。いかん、いかん。とはいえ、N部長、M課長、Mさんの3人が、来年の「びわ100」(100kmウォーキング)のハーフ(半分)、50kmに出場するとの決意表明が行われました。次回は、副会長のN部長の提案で、春になりました。次はどこかな。N部長が長年にわたって作成された「京都の餃子店リスト」の中から選ばれる予定です。

大学入試とマッチング・学力の3要素

■NPO法人NEWVERYの理事で、大学進学アドバイザーの倉部史記さんには、以前のことになりますが、社会学部のFD講演会に来ていただいたご縁から、facebookでもお「友達」になっていただいています。そのようなことから、今日は、倉部さんのfacebookへの投稿を読ませていただきました。その投稿では、1月14日(日)に毎日放送の「林先生が驚く 初耳学」という番組の中で、「人気ランキングの裏側をバラす! 映画 大学 ホテル」というテーマに関連して大学ランキングに関しては読売新聞の記事が紹介され、その記事は倉部さんが「読売オンライン」に寄稿した記事であるとのご紹介がされていました。「志願者殺到の「人気大学」を選んでいいのか?」という記事です。

■記事の内容を抜粋しながら要約すると以下のようになります。

・「1990年代初頭に200万人ほどだった18歳人口は減少の一途をたどり、現在およそ120万人に落ち込んでいる。2018年以降もこの傾向がさらに進むと見られており、各大学は現在、生き残りをかけて学生募集活動に取り組んでいる状況だ。高校生にニーズのある学部を新設する、キャンパスを都心に移すなど、毎年様々な施策が検討・実行されている。こうした結果が吉と出るか、あるいは凶と出るかを測る上で、志願者数の増減が重要なデータの一つとなっている。」

・志願者数の増減やランキングという情報は、わかりやすく大きな影響力を持つわけだが、大学の実態を反映しているとは限らない。報道されている志願者数は、「一般入試」のデータであり、それは受験者数全体の半分でしかない。多くの大学が複数受験を認める制度を採用しており、これでは志願者数が大学の人気度を測る指標としては、実態を正確に反映しなくなってきた感は否めない。

・併願をカウントしない「実志願者数」と、大学が公表している「志願者数」との乖離かいりがいかに大きい。志願者数を増やそうと無理をすれば広報コストもかかり、入試システムなどにもひずみが生じかねない。「志願者数トップ10に名を連ねる大学は、一見すると経営の面で順調に思われるが、ある意味、『抜けられないレース』に参加せざるを得ない状況に置かれてしまったともいえる」。

・「大学がもし100人の村だったら」。入学生100人のうち12人は中退、13人が留年、30人は就職が決まらないまま卒業、14人は就職するものの早期退職する。4年間卒業・就職し3年以上働いている人はわずか31人に過ぎない。中退者増加の背景には、大学を取り巻く社会環境の変化も。中退者が増えること大学経営にも影響。

・「大学業界がいま直面している課題は、志願者『数』を最大化する募集活動から、マッチング重視の募集活動への転換だ」。「18歳人口の減少が避けられない以上、志願者の数を競ったところで必ず限界は生じる。自校を深く理解し、入学後に伸びる可能性が高く、中退のリスクが低い……。そんな受験生を、少子化の中でどのように追い求めていくのかが問われている」。

・「大学経営者と現場のスタッフが募集についての考え方を抜本的に変えられるかどうかが、いま問われている」。

■2018年以降のさらなる18歳人口の減少の中で、入試を量から質へと転換していくための「良いマッチング」はどうしたら可能なのでしょうか。自分の大学のことが気になります。高大連携や広報・情報発信の仕方の「中身」はどうなのか、それと大学の「理念」や「特色」、「3つのポリシー」との関連からマッチングは行われているのでしょうか。また、カリキュラムとの関連はどうなのでしょう。小さな学部という組織単位でのカリキュラムだけではなくて、学部を超えた異分野の学生が共に学び合うようなカリキュラムは可能なのか…次々に頭の中に考えるべきことが浮かんできます。「良いマッチング」を可能とする条件は何なのでしょうか。「良いマッチング」があってこそ、その後のキャリア支援も可能になるはずです。

■私は、この倉部さんのfacebookへの投稿をシェアさせていただきました。すると、そのシェアした投稿に、株式会社Harajiri Marketing Design代表取締役でマーケティング・コンサルタントの原尻淳一さんからコメントをいただきました(原尻さんは、龍谷大学経済学部客員教授でもあります)。 コメントの中で、フリーランスの編集者・ライターである飯田樹さんの「早慶生の4割強が「AO・推薦」となるワケ『一般入試』の比率を落とす事情」という記事のリンクが貼ってありました。

■記事のタイトルからもわかるように、早稲田や慶応はAO入試の比率を高めていくというのです。試験や偏差値等で学力を測定するこれまでのやり方ではなく、「学力の3要素」を重視した入試を進めていくというのです。「学力の3要素」について、記事ではこのようの説明しています。

「学力の3要素」とは、(1)知識・技能の確実な習得 (2)[(1)を基にした]思考力、判断力、表現力 (3)主体性を持って多様な人と協働して学ぶ態度の3つを指す。文部科学省が取り組んでいる高大接続改革で、この3要素をすべての入試区分で見ることが目指されているのだ。大学には、学力の評価方法をアドミッションポリシーや募集要項で明示することが求められるようになる。
「今まで、学力とは知識と技能を指していましたが、知識・技能をもとに答えが定まらない問題に解を出す力や、主体性・多様性・協働性も見ていきます」(小林氏)

■この記事にある小林氏とは、リクルート進学総研所長の小林浩さんのことです。なぜ、このような「学力の3要素」が重視されるようになっているのか。その点について、小林さんは、次のように説明しています。

「『偏差値の高い大学に入り、大企業に入る』というのが高度成長期日本の成功モデルでしたが、都市銀行の統合が進み、大手メーカーも海外企業に買収されるなど、随分と変わってきました。また、2017年に生まれた子どもは107歳まで生きると言われており、学ぶ時期、働く時期、老後の区分も変化しています。そこでは、詰め込み型ではなく、自分で学ぶ力をつけなければならないのです」(小林氏)

■このような社会的な環境の変化に対応できない大学は、おそらく衰退していくでしょう。早稲田や慶応では、そのよな変化に対応していこうとしているのでしょう。では、自分の大学はどうなのか。対応しようとしているのか。小林さんが言っている、「知識・技能をもとに答えが定まらない問題に解を出す力や、主体性・多様性・協働性」を持っている学生を選ぶ入試になっているのか。さらには、前述の「良いマッチング」に関連してカリキュラムについて述べましたが、そのような学力を持った学生を育んでいくようなカリキュラムになっているのか。とても気になるところです。私の場合は、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」の開発と運営に関わり、来年度から担当教員に「復活」することから、そのような文脈に引き寄せながら気にしているのです。

■1年間、国内長期研究員としてあまり大学の仕事のことを考えてきませんでした。4月から、また学生の教育や大学の仕事にも取り組んでいくわけですが、そろそろ心や頭の準備をしておかねばなりません。

2018年度の時間割(改訂版)

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■2018年度の時間割については、1月5日にアップしましたが、オフィスアワーの時間が抜けていました。これまでは、金曜日の3講時をオフィスアワーの時間に充てていましたが、2018年度は授業が入ることから、火曜日の3講時に移動させました。よろしくお願いいたします。

■オフィスアワーとは、「学修上の問題はもとより、個々の学生生活の諸問題についてみなさんの相談相手となり、より適切な道を見い出すべくアドバイスを与え、大学生活を有意義なものにする手助け」をするための時間です。私が担当するクラスやゼミナールの履修者のための時間ですが、履修していない学生の皆さんの相談でもかまいません。

【追記: オフィスアワーの場所】
■オフィスアワーの場所ですが、2018年度は、4月17日(火)より6号館1階にある「社会共生実習室」を使わせてもらうことにしました。研究室ではありませんので、ご注意ください。(2018年4月10日)

寒波で雪が降る

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■昨晩から雪が降り始めました。大津市に暮らしていますが、私の住まいは琵琶湖の南湖の西側にあたります。先日のエントリー「滋賀の冬の天候」にも書いたように、滋賀は、日本海側の気候と太平洋側の気候の中間地点になります。私の住まいは、そのちょうど境目辺りになるのです。ということで、昨晩は雪が降りました。雪が降ったと言っても、滋賀県北部の湖北のお住いの方達からすれば、たいした積雪ではありません。除雪についても、朝、ごく簡単に済ませることができました。しかし、滋賀県の各地で雪が降ったようです。しかし、雪の振り方には、南北で大きな差があります。

■トップの写真、そしてその下の段の2枚に分けて撮った写真では、琵琶湖の南から西側に位置する山々が確認できます。左が南になります。右側、北に行くにしたがって、山々が雪で白くなっていくことがおわかりいただけるでしょうか。一番左側は大津市の中心市街地の裏にある音羽山でしょうか。雪が降った気配はあまりありません。写真の中央に高いビルが見えます。プリンスホテルです。その右側に見える山は比叡山です。少し白くなっています。さらにその右側、遠くの比良山系が見えます。真っ白です。写真には写っていませんが、写真のもっと左の方、つまり瀬田川の下流の南郷方面になりますが、そちらは全く雪の気配がありません。この写真から、「滋賀県は日本海気候区、東海気候区及び瀬戸内海気候区が重なり合う地域」であることがよくわかります。琵琶湖のある滋賀県は、若狭湾にも、伊勢湾にも、そして大阪湾にもつながっているのです。
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20180114biwako6.jpg■今日は、伊吹山もよく見えました。米原市に位置する山ですから、かなり北にあるわけですが、湖北のあたりは雲が切れたせいか、伊吹山は太陽の光に輝いていました。この写真は、草津イオンモールの屋上駐車場から撮ったものです。左側が、通常の倍率。右側は拡大しています。この写真にはきちんと写っていませんが、所々、湖北や鈴鹿の山々も確認することができました。大津の街中から見える伊吹山、なかなか素敵です。「こうやって琵琶湖を取り囲む山々を眺めることに意味があるのか」とお思いになるかもしれませんが、滋賀の大地に想いを馳せること、私の中ではちょっとした楽しみなのです。

■今日は、老母の見舞いに老人ホームに行きました。その帰りにこの景色を眺めました。老母は現在の老人ホームに移動してから1年経ちました。簡単に言えば老いがますます深まってきたように思います。最近はなかなか言葉が出てきませんし、大事な人の名前も出てこなくなりました。今のところ、私の名前はわかるようですけれど。こうなると、仕方がないとわかっていても、ちょっと気が重くなりますね。そんなこともあってかどうかわかりませんが、草津イオンモールの中にある園芸店で、ヒヤシンスの球根が植えられた小さな鉢を買い求めました。ヒヤシンスは、冬の寒さに耐えて春に花を咲かせる植物なのだそうです。まだ、小さな硬い蕾が見える程度ですが、美しい花を咲かせてくれるでしょうか。

無線従事者免許証

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20180113ham2.jpg■昨日、研究室の引き出しの中を整理していると、昔の写真や諸々のものが「発掘」されることになりました。ああ、懐かしい。その中に、どういうわけか「無線従事者免許証」というのが混じっていました。本当は、自宅にあるはずなんですが…。

■この「無線従事者免許証」の中を見ると、資格が「電話級アマチュア無線技士」になっています。現在の「第四級アマチュア無線技士」に対応する資格です。免許証の番号の前にある「 FXN」ですが、「F」は免許を発給された地域のことで中国地方を示しています。発給したのは、当時であれば、中国電波管理局でしょうかね。ちなみに、私は当時、広島市内の中学校に通っていました。次の「X」は発給した年です。昭和48年を示しています。「N」は「電話級アマチュア無線技士」ということです。この免許が交付された時、私は15歳の中学3年生でした。確か、電波工学と電波法規の試験を受けました。アラ還となった今と、この当時を比較すると、同一人物とはなかなか思えませんね。念のために白く塗りつぶしていますが、氏名のところは手書きの文字ですし、免許の端には少し茶色い染みが浮かび変色しています。45年前ですから…。

■さて、この免許証の交付を受けて、実際にアマチュア無線局を開局したのかといえば、結局、開局には至りませんでした。当時は中学生で、とても開局するだけのお金を用意できなかったのです。大人になったら開局するぞ…と思っていましたが、実際に大人になるとアマチュア無線に関心を失ってしまいました。私の子どもの頃、アマチュア無線は大ブームだったんですけどね。少年向けの雑誌には、必ずと言って良いほどアマチュア無線の通信講座の広告が出ていました。私は、『子供の科学』や『初歩のラジオ』といった雑誌を通してアマチュア無線に関心を持つようになりました。おそらく、今でも開局しようと思えばできるのでしょうが、そのような気持ちは湧いてきません。ただし、あえていえば、今やアマチュアの世界にしか残っていないモールス通信(CW)には、ちょっと関心があるかもしれません。

■この免許を眺めていると、頭の中に急に、数式が浮かんできました。f=1/2π√LC。インピーダンスという言葉も浮かんできました。しかし、なんの数式だったか思い出すことができません。悲しいですね…。

■ところで、これとほぼ同様の投稿をfacebookにしたところ、いろいろ反応がありました。もちろん反応の多くは、「私、アマチュア無線をやっていました」というものです。びっくりしました。「やっていました」ですから、今はやっとおられないわけです。ブームが去ったといえば、それまでですが、調べてみると、アマチュア無線をしている人は随分減っているようですね。無線の技術やテクニックそのもの、そしてアマチュア無線のコンテスト等に強い関心を持っている方達は別にして、他者とのコミュニケーションを楽しみにされていた方達は、インターネットが普及し、SNSも当たり前の世界になり、スマートフォンで簡単に扱えるようになる時代に移っていく中で、免許の更新やそれに伴う費用を支払ってまで強い関心を持ってアマチュア無線に取り組むことができなくなったのではないか…というのがネット上で見られる意見のようですね。

ツシマヤマネコと農業(その1)

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■先月、長崎県の対馬市に出張した時のことを、まだエントリーしていませんでした。対馬には、12月16日から19日まで、3泊5日の日程で行ってきました。

■対馬には、対馬の里山の象徴とも言われるツシマヤマネコが生息しています。しかし、近年、農家の高齢化により耕作放棄地が増加したことにより、ツシマヤマネコにとって生息好適地である人の手の加わった里山環境が減少し、生息数も減少の一途を辿っています。今回の出張(調査)では、このツシマヤマネコの保護と地域活性化に取り組んでこられた一般社団法人MIT(みっと)、佐護ヤマネコ稲作研究会、そして対馬市役所を訪問し、現地視察とともに聞き取り調査を行ってきました。このフィールドは、長年、滋賀県琵琶湖環境科学研究所の淺野悟史さんが調査をされてきたところです。今回は、淺野さんに色々現地でのコーディネートをお願いし、ご案内いただきました。淺野さん、ありがとうございました。

■対馬空港に到着したあとですが、レンタカーを借りて、まずは対馬野生生物保護センターを訪問しました。ツシマヤマネコに関する基本情報を確認するためです。ここは、対馬の野生生物の保護の拠点となる環境省の施設で、ツシマヤマネコなど野生生物の生態や現状についての解説、野生生物保護への理解を深めていくための普及啓発活動や気象野生生物の保護事業等を実施しています。また、全国の動物園と連携しながら、ツシマヤマネコの繁殖に取り組んできました。背景には、1994年に制定された「種の保存法」の存在があります。この法律にもとづき、ツシマヤマネコは国内希少野生動植物種に指定されており、対馬以外のところでは、福岡市動物園で人工飼育と繁殖が行われることになりました。リスク分散という意味でしょうが、福岡以外の全国各地の動物園とも連携して事業を進めているようです(ちなみに、私がツシマヤマネコのことを知ったのは、京都市の岡崎にある京都市動物園の中の展示でした)。また、対馬市にはツシマヤマネコ野生順化ステーションが設置されています。ここでは、島外の動物園で生まれたヤマネコが対馬の自然の中で生きていけるように、つまり野生復帰できるように訓練が行われているとのことです。

■さて、対馬野生生物保護センターでは、実際に生きているツシマヤマネコを拝見することができました。生きたツシマヤマネコとの対面は、これが初めてでした。人生初ということになりました。お名前は「福馬」くんと言います。「福」岡の動物園で生まれて、対「馬」で育ったことから「福馬」と名付けられているのです。イエネコとは微妙に形が違いますね。胴長短足で尾は太くて長いですね。耳の後の白い斑点があります。額には縦縞があり、耳の先が丸いことも特徴です。展示の解説を読んでいると、氷河時代、朝鮮半島と日本列島が陸続きだったときに渡ってきたアムールヤマネコの末裔がツシマヤマネコで、もともとは、ベンガルヤマネコから別れてきた種類なんだそうです。西表島のイリオモテヤマネコの先祖も、ベンガルヤマネコとのことです。

■ツシマヤマネコの現状については、対馬野生生物保護センターのこのページにコンパクトにまとめられています。そこでは、生息数について、以下のように解説しています。「1960年代の調査では、推定生息数頭数は250~300頭と報告されていますが、1994~1996年度に環境庁が行った調査では、70~90頭という結果が得られました。 ずいぶん生息数が減ったことがわかります。また、以前は対馬全島に分布していましたが、現在は狭い地域に分断されてしまっています」。生息数が減少した原因としては、冒頭に述べたように、まずはツシマヤマネコにとって生息好適地である人の手の加わった里山環境が減少したことが大きいわけですが、それ以外にも、イエネコからの病気(ネコエイズ)の感染、鶏をイタチなどから守るトラバサミで死んでしまったり、犬に噛まれたり、自動車に轢かれたり…といった理由が挙げられています。

■少しずつになりますが、時間かけて、このツシマヤマネコと農業のことをエントリーしていきたいと思います。

龍谷ミュージアム シリーズ展 「仏教の思想と文化 -インドから日本へ- 特集展示:マンダラのほとけと神」

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■ひとつ前のエントリーで、華厳経と曼荼羅のことについて触れましたが、龍谷ミュージアムでは、9日からシリーズ展 「仏教の思想と文化 -インドから日本へ- 特集展示:マンダラのほとけと神」を開催しています。以下は、この特集展示の解説です。

シリーズ展では、インドで誕生した仏教が日本に至るまでの2500年の歩みを、大きく「アジアの仏教」と「日本の仏教」に分けて通覧しています。その中で、今回は「マンダラ」を特集展示として取り上げます。

インドで生まれたマンダラ(曼荼羅)は、聖なる時空に複数のほとけや神を表した礼拝対象を指し、密教の儀礼で用いられました。これが日本に伝わると、密教のマンダラにとどまらず、浄土曼荼羅や垂迹曼荼羅も含みこまれました。今回の特集展示では、両界曼荼羅をはじめとする密教曼荼羅や、そこに表された個別のほとけ・神を表した石彫や仏画、広い意味での様々な「マンダラ」を展示いたします。

■時間をみつけて、近いうちに行ってみたいと思います。

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