調子が出てきた!
■13日(火)、「総合地球環境学研究所」での打ち合わせを終えてすぐに帰宅しました。いつもだと、「ちょっと呑みに行こうか」となるわけですが、この日は、すぐに帰宅しました。というのも、自宅で「ある企画」の写真撮影と原稿執筆をしなければならなかったからです。とはいえ、ランニングにも取り組まねばなりません。ならない…というか、走りたかったのです。こういう気持ちになるのは、ずいぶんひさしぶりの事かもしれません。良い傾向です。18時半過ぎにスタートしました。気温は低く、とても気持ちが良かったのです。どういうわけだか、身体がとても軽い。調子が出てきました。マラソンの本で勉強したイメージを大切にして走ることにしました。
・身体を1本の電信柱と意識し、それが斜めに倒れる状態をイメージする。
・みぞおちにクランクの軸があり、膝で折れ曲がるクランクを持つ二つの車輪をイメージをする。
・右腰と左腰の2本の軸を意識して、2本のレールの上を走るようにする。
・あごは引かない。身体が斜めに倒れる事を前提に、あごはあげる。
・呼吸は自然に。
するとどうでしょう、どんどん走れてしまうのです。1kmまでは、なんだか身体の状況が信じられないので、恐る恐る走っていたのですが、2kmの前あたりからは、「これは気持ちが良い、もっと走りたい」という思うようになってきたのです。いつもは、これで墓穴を掘るのですが、今回は身体の何かが違っているような気がした。
1km 6:34
2km 6:13
3km 6:12
4km 6:06
5km 6:04
6km 5:56
7km 6:05
8km 5:50
9km 5:44
10km 5:52
11km 6:18
12km 5:31
■どうしたんでしょう。自分でもびっくりしました。真面目にランニングの練習をしていた2012年の頃の走力に戻りつつある感じです。心肺にはまだ余裕がありました。まだ、走ることができたのです。とはいえ、4年前の最盛期からは、まだほとど遠いことも事実です。せめて最後の1kmだけでもと、スピードアップしてみました。今日は、夕方に走ったので、気温も低く走りやすい状況でしたし、最近はアップダウンのあるところを走っているので、心肺機能が多少は向上しているのかもしれません。嬉しいです!! 距離は12km、平均ペースは6分01秒/kmでした。消費カロリーは963kcal。
■ちなみに、走った後の「瞬間最低体重」は、73.3kg。ランニングを再開した当初、先月の23日の頃と比較して約3kg減量できました。もっとも、汗が出て軽くなっていることもあるので、実質は3週間で2kg。まずまずではないでしょうか。目標までは、さらに5kgを減量しなければなりません。まだ、絞れるはずです。現在のBMIは23。細く見えるらしいのですが、まだ内臓脂肪がたっぷり残っています。68kgになるとBMIは21ぐらいになります。頑張ろう。というか、走ること自体が気持ちが良いので、こういう感覚をまた味わいたいと思います。
■ところで、こうやってランニングに取り組むと、ついつい「数字」が気になってきます。私は、iPhone6に入れたランニング用のアプリで記録をとりながら走っています。すると、どうしても数字が気になってしまうのです。facebookでのランニングに関する投稿にも、そのような傾向が見え隠れしているのでしょうね。ある、ベテランランナーの方から、「もっと楽しんで走りなさい」、そのような意味のアドバイスを頂きました(頂いたように思います…)。ということで、最近は、琵琶湖の風景を楽しむことにしています。
■14日(木)も、夕方から走り始めました。ひさしぶりに、まずは堅田の「浮御堂」に向かうことにしました。梅雨に突入したわけですが、少しも雨が降りません。気温も低く、空気が澄み渡っています。遠くの風景がはっきり見えます。そうやって眺めていると、視界の中に琵琶湖大橋がどうしても入ります。ふと、「次は、琵琶湖大橋の一番高いところまで走ってみよう」と思ったのでした。最近、ランニング再開時よりも心肺能力が高まってきたと書きました。少々の坂道ならば、ゆっくりしたスピードではありますが、走って登ることができます。自分を試してみたかったのです。すると、無理なく一番高いところまで走ることができました。これまでだと、休むこともせずに、すぐに引き返すようにしていたわけですが、この日は、暮れていく美しい琵琶湖の風景をゆっくり味わいました。真野浜の向こうに、比良山系が美しいシルエット見せてくれました。また、沖島の向こうには伊吹山もはっきり確認することができました。
■この日は、余裕があったので、自分の身体に負荷をかけるために、最後はアップダウンのある住宅地を通って帰宅しました。前日ほどではありませんが、走っていて身体が軽いように感じました。上向き調子であることは、「本物」なのかもしれません。結局、この日は12km走りました。消費カロリーは947kcal。体重も減ってきています。内臓脂肪のレベルも「11」に下がりました(まだちょっと高い…)。
地球研でフィリピン調査に関する打ち合わせ研究会議
■13日(火)、午後から1時間半の短い時間ですが、京都の上賀茂にある「総合地球環境学研究所」で打ち合わせを行いました。私たちのプロジェクトでは、滋賀県の野洲川流域とフィリピンのシラン-サンタ・ローザ流域という、全く社会状況の異なる2つの流域を比較検討しながら、流域ガバナンスに関する文理融合による総合的な研究を進めていくことになっています。しかし、研究プロジェクトの運営をめぐる様々な制約条件からフィリピンでの調査が遅れており、これから梃子入れをして調査を進展させていくことになっています。
■ということで、現在日本に長期滞在されているフィリピンの研究者に、私たちのプロジェクトに参加していただき、プロジェクトの現地での調査をリードしていただくことになりました。今回お願いしたことは、シラン-サンタ・ローザ流域における環境史的な観点からの聞き取り調査、現地のステークホルダーとのさらなる協働関係の構築、近代化政策や工業化・都市化等を背景にしたマクロな社会経済の変動に関する統計的データの収集、土地所有制度と流動的な土地利用、流域委員会の設置とその後の展開…。まあ、お願いしたことは複数にまたがるのですが、そのような社会科学的な調査から得られた基礎的なデータを、自然科学的な調査データと重ね合わせて、この流域が抱える課題やその解決に資する方向性に関して、現地の皆さんと議論を積み重ねていくことになりました。今回プロジェクトに参加してくださることになったフィリピンの方は、大変反応が良く、優秀な人でした。実にありがたいことです。
■それはとかく、今日の会議は、傍目から見ていると実に変な感じだったようです。私は日本語で話しをして英語を聞く。フィリピンの研究者は英語で話して私の日本語を聞くからです。これでよくコミュニケーションができているなと、傍目には見えたらしいのです。もっとも、同席したプロジェクトのメンバーが足らない部分を通訳してくれています。私は英会話の能力が低いので、こういうときに苦労することになります。まあ、それはともかく、なんとか調査の方向性が見えてきたので、少し安心した。
彦根の「山の湯」
■12日(月)の午後に、彦根の銭湯に行ってきました。午前中、ランニングに取り組んでいので、多少脚に疲れを感じていましたが、だからといってその疲れを癒すために銭湯に浸りに行ったというわけではもちろんありません。「銭湯と地域活性化」に関してお話しを伺うために行ってきたのです。少し前のことになりますが、高齢者の生涯教育のための学校=滋賀県レイカディア大学で私の講義を受講されたMさんという方から、地域活性化に関する相談のFAXやメールが大学に届きました。少しご相談の内容が理解しにくかったものですから、Mさんとメールでやり取りをするよりも「現場」で直接お話しを伺った方が良いだろうと、彦根まで出向くことにしたのでした。
■銭湯は、もともと地域の「社交の場」であり、お商売をされている方達にはちょっとした情報交換の場でもありました。銭湯は、人が集まる、人をつないでいく「場」なのです。「お風呂+α」が銭湯の魅力なのです。ところが、各家庭に内風呂が普及するようになり、全国の多くの銭湯はどんどん廃業していくことになりました。今回お邪魔した銭湯は、彦根の「山の湯」さんです。明治12年創業といいますから、歴史のある銭湯ということになりますね。建物も非常に立派です。銭湯の利用者が減少していく中で、今でも頑張って経営されています。こちらの銭湯、ノーベル物理学賞を受賞したあの湯川秀樹さんも入浴したそうです。銭湯の裏側には、こんもりとした小さな山のようなものがあります。大きな樹木が繁っています。ここは、元々彦根城の土塁でした。小さいけれど、山のような土塁のそばにあるので「山の湯」…なのかもしれません。
■彦根城の土塁がそばにあるということからもわかるように、「山の湯」さんは、彦根の中心市街地にあります。この「山の湯」さんを利用されている方は、この中心市街地のあたりにお住いの高齢の皆さんなのです。Mさんのご紹介で、短い時間ではありましたが、経営者の方にいろいろお話しを伺うことができました。こちらの「山の湯」、私よりも年齢の若い、Oさんという方が経営されていました。Oさんで5代目になります。Oさんのお父様が、それまで銭湯を経営されていた人から、経営を引き継がれたのだそうです。もっとも建物自体は、経営とは別の方の所有になります。元々は、隣接する御宅が代々所有されてきたのですが、現在は、ある企業が所有されています。
■さて、そうやってMさんの説明をお聞きし、Oさんから具体的なお話しを伺う中で、そもそものMさんからあったご相談の内容がようやく理解できるようになりました。ご相談のポイントは、この「山の湯」さんが今後も存続できるように、以前のように人が集まる「場」にしていくためにはどうしたら良いのか、どのような「社会的な仕掛け」が可能なのか、ということなのでした。この由緒のある銭湯の持つ魅力をさらに引き出すと同時に、「銭湯にゆったり浸かること+α」の仕掛けが、いろんな方達との関わりの中で生まれてくると素敵だなと思いました。
■「山の湯」での聞き取りを終えた後、Mさんに彦根市の中心市街地をいろいろご案内いただきました。彦根には、滋賀大学に用事があるときには来ますが、それ以外にはあまり来たことがありません。つまり、普段から慣れ親しんでいる街ではないのです。彦根といえば、彦根城のお堀のそばに、観光客が訪れる「キャッスルロード」という場所があります。白壁と黒格子の町屋風に統一された街並みは、江戸時代の城下町をイメージしているそうです。様々なお土産を販売する店舗が入っています。彦根城を訪れた方たちのための、お土産観光施設といういった感じでしょうか。人工的に作られたテーマパークのようなところがあり、城下町のイメージは存在しても、そこには「生きられた歴史」、オーセンティックな歴史の厚みを感じ取ることができません。そのような観光客が集まる場所から少し離れた、駅に近い所には、地元の商店街があります。残念ながら多くの店舗がシャッターを閉めたような状態になっています。しかし、ここには私のような年代の者には、懐かしくなるような「昭和の雰囲気」が残っています。そこからは、この街の「履歴」が感じられるのです。
■Mさんに連れていっていただいたビルの1階には、Mさんがお気に入りの「おでん屋」さんがありました。なかなか素敵な感じです。シャッターがあちこちでしまっている商店街には、写真のようなおもちゃ屋さんもありました。なんと、「最新! お面 1枚 600円」とあります。また、大きく「カロム」と書いてあります。「カロム」とは、2人以上で行うボードゲームです。おはじきと、ビリーヤードが一緒になったような感じのゲームでしょうか。詳しいルールはよく知らないのですが、数回、このゲームを経験したことがあります。この「カロム」は、元々は明治時代に海外から日本に入ってきた遊びですが、彦根以外の地域では、このカロムが消えていきました。しかし、今でも、この彦根を中心とした地域では、子どもたちが「カロム」で遊び続けています。話しが脱線してしまいました…。
■とりあえず、今回は短時間の滞在でしたが、一度きちんと時間を取って、改めて、彦根の中心市街地を歩いてみたいと思いました。また、まちづくりに取り組む知り合いの方たちにも、いろいろ相談をしてみようと思っています。その上で、改めて「山の湯」さんを訪問したいと思います。その時は、ゆっくり湯船にも浸かるつもりです。
妹子神社
■ランニングの練習を再開しましたが、ベテランのランナーの方からは、ただ走るだけではなく、楽しみを持って取り組んでほしいとのご指摘をいただきました。ただ、タイムや距離といった数字に一喜一憂するのではなく、走りながら自然の変化を感じ、風の香りをかぐ…そういった楽しみがランニングはいっぱいありますよ、というご指摘です。ということで、「ランニングにもっと楽しみを付け加えよう」と、先日は「歴史ラン」をしてみました。小野妹子の墓と伝承されている唐臼山古墳と、妹子が祀られている妹子神社を折り返し地点にして走ることにしたのです。一般には、といいますか歴史学的には、小野妹子の墓は大阪府南河内郡太子町にあると言われており、大津の墓については単なる伝承でしかないわけですが、私にとっては、そのようなことはどうでも良いのです。
■大津にある唐臼山古墳と妹子神社は、「びわ湖ローズタウン」の中にあります。JR湖西線・小野駅が最寄の駅になります。もっと正確に言うと、妹子神社のある唐臼山古墳の周りがニュータウンとして開発されたのです。私は鈍感な方だと思うのですが、妹子神社に行くと、そのような私でも何か神々しい雰囲気が伝わってくるように感じがした。すぐに折り返して戻ることをせず、キャップもサングラスも外して、二礼二拍手一礼。きちんと参拝をしました。「ランニングの練習を継続できますように見守ってください…」と祈りました。もっとも、小野妹子は遣隋使として派遣された人です。そのようなこともあり、この神社には、外交官や駐在員の皆さんが参拝されるらしいのです。妹子さんは、ランニングは専門外だろうか…。ところで周りはニュータウンなのですが、その先には、比良山系や琵琶湖が見えました。「小野妹子の墓は、なんて素敵な場所にあるんだ!」と思いました。ニュータウンはもちろん、鉄道も道路も何もない、いにしえの時代の風景を頭の中で想像しました。なんて素敵なんでしょう。
■10分弱ばかり妹子神社で過ごしました。もっと居てもよかったのですが、次の予定がありましたので、ランニングを再開し、自宅に向かって走り始めました。今日は、「ニコニコ・ルンルン♪」なスピードって、どんな感じかを確認しながら走りました。おそらく6分40秒/kmから6分50秒/kmまでのあたりなのだろうと思います。このスピードならば、途中で心肺がきつくなることもありません。また、スピードは落ちてしまうものの、ニュータウンの中の上り坂も、止まらずに走って行けます。脚力と心肺機能も、少しずつ強化されていると信じたいものです。この日のランは13.23km、1017kcalを消費しました。
龍谷ミュージアム特別展「浄土真宗と本願寺の名宝II」と「伝道院」
■6月11日(日)、龍谷ミュージアムの特別展「浄土真宗と本願寺の名宝II」を観覧してきました。最終日でした。間に合ってよかった。こういう展覧会では、きちんと音声ガイドを借りてじっくり観覧することにしています。勉強になりました。展示構成は、以下の通りです。
第1章:本願寺歴代宗主 -親鸞聖人・蓮如宗主と、准如宗主から現代まで-
第2章:受け継がれる伝灯奉告法要 -記録と記憶、そして新たな思い-
第3章:本願寺と浄土真宗の法物 -法灯の継承-
第4章:本願寺と浄土真宗の名宝 -三十六人家集と都を彩る美-
■会場では、館長の木田知生先生にお会いしました。知り合いの課長さんが、春の人事異動でミュージアムにいらっしゃることを知っていたので、木田先生からは「寄っていってください」と言われたのですが、お仕事中かと思い、そのまま帰宅しました。後で、facebookを通してですが、「寄ってくれれぱよかったのに」「今まで館長と飲んでいましたよ」と連絡がありました。惜しいことをしたな〜。気楽に、「呑みにいこか」とお誘いすればよかったです。
■ミュージアムを出た後、隣接する「伝道院」を外からだけですが見学しました。浄土真宗本願寺派の施設です。ここは、東京帝国大学教授だった伊東忠太が設計した建物です。独特の雰囲気を醸し出していますね。本願寺の関連でいえば、築地本願寺も伊東忠太によるものです。どこかデザイン的に共通部分があろうかと思います。
■この伝道院ですが、建設された当初は信徒向けの生命保険会社として利用され、その後は銀行や事務所などに利用されていました。現在は、公開されていないようですね。龍大関係者でも難しいのかな…。もしチャンスがあれば、中もきちんと拝見したいものです。
まだまだ続いている異常なアクセス…(5)
■週に1回、アクセスカウンターの数字が異常に伸びる件の続報です。繰り返しますが、気持ちの悪い、意図がわからない全文検索、やめていただきたいと思います。4月4日に、アクセスカウンター1400を超えました。その後、1400を超えるアクセスが度々あります。以下が、その記録です。最近は、2週間期間が空きました。定期的でもないのですね。よくわかりません。なかなか、情報メディアの担当者にところまで行けないのですが、なんとか対策をとります。
4月4日(火)「1400」超
4月12日(水)「1470」
4月18日(火)「1446」
4月25日(火)「1516」
連休中は不明…
5月11日(木)「1495」
5月16日(火)「1520」
5月18日(木)「1371」
5月30日(火)「1441」
6月13日(水)「1482」
昨日のラン
■滋賀の老人ホームに入所している母が85歳になりました。姪(私の従姉妹)からの誕生日プレゼントも届いていました。玲子ちゃん、ありがとう!もっとも、母は目が見えないし、脳内出血の影響で左半身に麻痺が残り、麻痺している左手には痛みを感じるようで、誕生日プレゼントを自分で持つことができません。認知的な部分でだいぶおかしなことを言います。「今日は、ちゃんとゴミ出しをしてくれたか」。「出しといたで」と答えておきました。まだ、自宅に住んでいるような気持ちになっているのですね。老いが深まっているなあという感じなんですが、曽孫のひなちゃんのことについてだけは、いつも比較的まともなことを言います。昨日は、娘が送ってくれたひなちゃんの動画を「聞かせ」ました。わかってくれたかな。
■ところで、義理の母も少し具合が悪く、昨日は、妻は夕方から実家に向かいました。姉妹で交代で介護をしています。介護には車がいるので、今、我が家には車がありません。ということで、買い物も全部歩いていく必要があります。改めて、滋賀の家庭には車が2台以上あることの意味がよくわかるようになりました。とはいえ、歩いて10数分のところにスーパーがあるので、まだマシかもしれませんね(買い物だけで小一時間かかってしまいますが…)。問題は、年を取って足腰が弱くなってしまった時です。足腰は、あっというまに弱くなってしまいます。これは、親の介護をしながら学ばせてもらったことです。身体を使うのが億劫になると、筋肉が衰えます。筋肉が衰えると、さらに身体を動かすのが億劫になります。悪循環ですね。というわけで、しっかりした足腰をできる限り維持できるように…というわけでもないが、昨日もジョギングをしました。
■ランニングのログをiPhone6のアプリで記録をしています。ご覧の通りです。最初は、けっこう身体が軽く感じられました。2kmから3kmは5分55秒/km、3kmから4kmは5分45秒/km。調子が良かっんです。ただし、住宅地の中のアップダウンを走り終えた後、9kmあたりから、きつく感じられるようになりました。そのあとはちょっと歩いてしまいました。マラソンに関するある本に、「ニコニコ、ルンルン♪」で走ることのできるスピードは、ややきつく感じられるスピードと書いてありました。心拍数は、私の年齢だとでも、だいたい108/分程度らしいです。心拍数って測ったことがありません。仕方がないので、まあその時の気分で走っているけれど、おそらく今日は速すぎたのだと思います。おそらく、6分30秒/kmあたりでずっと安定して走ることが今の私には必要なようです。さて、昨日の消費カロリーですが、942kcalでした。で、体重は減っているのかといえば、やっと1kgぐらい減ってきたでしょうか。体脂肪は微妙に減ってはいますが…。今月は、まだ、たかだか71.5kmしか走っていません。ウルトラマラソンの距離にも届きません。身体があまり変化しないのも、仕方がありません。とはいえ、顔の肉が少し削げてきたかな。
■ところで、体脂肪等を計測する体組成計に加えて血圧計も使っています。以前、血圧は高めでした。薬を飲んでいたこともあります。しかし、走ることで血圧が下がることを経験上知りました。現在は、50代の平均以下に下がっています。上が128で下が80、脈拍も65。体脂肪の変化は緩慢だけど、血圧はわかりやすいですね。あまり、こういうのに縛られるのは嫌ではありますが。
内湖のほとりで野外パーティー
■琵琶湖の周囲には内湖と呼ばれる潟湖があります。以下は、『改訂版 琵琶湖ハンドブック』の解説からの引用です。生態学者の西野真知子さんによる解説です。
内湖は、本来、琵琶湖の一部でしたが、沿岸流の作用、あるいは湖への流入河川から運ばれた土砂の堆積等によって生じた潟湖(ラグーン)です。
明治時代には、琵琶湖の周囲には大小100余りの内湖が広がり、総面積は32.5㎢におよびました(金子他、2011)。しかし、琵琶湖の洪水防御のため、1905(明治38)年に南郷洗堰が建設され、水位が人為的に操作されるようになり、1943(昭和18)年からは利水を目的とした淀川河川水統制第一期事業が始まり、湖の平均水位はこの間に10cm下がりました。そのため、内湖の水位が浅くなり、内湖漁業が衰退し、第2次世界対戦後、干拓が急速に進みました。健在残存するのは23内湖、人造内湖を加えても総面積5.3㎢㎢にすぎません(金子ほか、2011)。また、ほとんどの内湖が、人口護岸化されるなどの人為的改変を受けています。
■草津市にもそのよう内湖があります。平湖・柳平湖です。昨日は、この平湖・柳平湖に少しだけ立ち寄りました。この内湖の近くの集落には、知り合いのUさんという方がお住まいになっています。Uさんとは、なんとも不思議なご縁で出会いました。平湖・柳平湖は、私が参加している総合地球環境学研究所のプロジェクトの研究フィールドの一つです。Uさんにはお嬢さんがおられますが、親子で自然大好き。プロジェクトの研究員の皆さんが内湖で活動されている際に仲良くなったのです。その後、Uさん親子と一緒に、湖西の小さな河川の河口に遊びに行ったりしました。その時、私も一緒に参加させていただきました。その時のことは、「個性の小河川」にエントリーしました。まあ、そのような訳で、Uさんとはfacebookでもお友達になっています。
■Uさんは、facebookに、ご自身で撮った平湖・柳平湖の写真をアップされます。とても素敵な写真です。ということで、彼女のfacebookへの投稿を毎日楽しみにしています。昨日は、朝の投稿で、平湖の湖岸でお友だちと野外パーティーをするということを知りました。さっそく、Uさんに連絡をとって、老人ホームに入所している老母の見舞いの帰りに立ち寄ることにし、ビールを差し入れしました。肝心のパーティー会場、素敵な雰囲気だったんですが写真を撮らせてもらうのを忘れてしまいました…。その代わりに、U家に捕獲されたらしいナマズの赤ちゃんの写真を撮らせていただきました。小さいけれど、立派にナマズですね。それから、U家に養子として貰われてきたシーカヤックも拝見させてもらいました。以前のオーナーさんは、このシーカヤックで、荷物を乗せて瀬戸内海を漕いでおられたのだそうです。このシーカヤック、今度は、琵琶湖で活躍してくれるでしょう。私もカヤックが欲しいな〜。
「横山ホットブラザーズ」を無形文化財に指定 大阪市
■上方漫才の「横山ホットブラザーズ」の皆さんが、大阪市の無形文化財に指定されました。おめでとうございます。本当に、めでたい。大阪市の無形文化財には「上方漫才部門」があり、これまでには、「夢路いとし・喜味こいし」のお2人だけでしたが、今回は2組目ということになりますね。「横山ホットブラザーズ」のお3人、横山アキラさん(84)横山マコト(82)さん、横山セツオ(71)。こんなご高齢だと知りませんでした。舞台の上で、観客の皆さんを喜ばせることが、皆さんのお元気の素なのでしょうかね。大変有名ですが、「お~ま~え~は~あ~ほ~か」のノコギリ芸、何度見てみ笑ってしまいます。このお笑いの生命力、すごいことだと思います。だからこそ、「無形文化財」なのだと思います。
2日ぶりのラン
■一昨日は雨、昨日は終日にわたり地球研で会議でした。2日間走っていません。ということで、今日はいつもよりゆっくりのスピードにして、その代わりに距離を伸ばしました。約15km走りました。先月の5月23日から11日走っています。たった11日なんですが、少しずつ距離を伸ばしてきました。11日で97.69km走ることができました。私のような脚力や心肺機能がきちんとできていない素人ランナーは、ゆっくりしたスピードで距離をそれなりに走らないといけないのかなと思っています。この調子だと、今月は、どうやら180kmほど走れそうです。前回までは、アップダウンのある林道や農道を走っていましたが、今日は15kmということで緩やかなコースにしました。湖西線の小野が最寄り駅とする住宅地の中ををぐるりと周り、国道に降りて、真野浜水泳場に向かいました。この水泳場で琵琶湖の美しい景色を眺めて自宅に帰ってきました。写真は、真野浜から撮ったものです。
■10kmまでは調子もよく、いつまでも走って入られそうな気がしましたが、まだ練習開始してから11日目。さすがに10kmを超えると脚に疲労が出てきました。あまり無理せず、ちょっとキツイかなと思うと、少し立ち止まったり歩いたりしました。すると途中で、おそらく70歳前後の女性から「練習ですか?」と話しかけられました。そうなんです、話しかけられるぐらい、ゆっくりしたスピードということなんです…。平均して6分47秒/kmです。いつもよりも、15秒以上ゆっくりしています。まあ、そんなわけでして、「うちの息子もね、走るんですよ。サロマ湖で140kmとかね…」と息子さんの話しをしてくださいました。「ウルトラマラソンのサロマ湖は100kmじゃなかったかな」と頭の中でそう思いつつも、「そうですか、すごいですね!」と笑顔で応じて、「それでは」と再び走り始めました。
■たまには、こんな、休み休みの遠足のようなランもいいものだと思いました。とはいえ、ちょっとだけチャレンジもしました。これまでは「無理」と思っていた上りの坂道を走って登ることができました。おそらく猛烈に速く歩いたスピードとあまり変わらないのではないかと思います。前回まで、林道を走っていたので、普通の坂道でもそんなに急な坂には思えず、ゆっくりだったら走り続けられるかなと思って挑戦したのでした。ちょっとだけ強くなってきたのかなと思います。まだ、11日しか走っていませんが、少し調子が出てきました。午前中にランを終え、糖質抜きの昼食を軽く取り、出勤しました。ひさしぶりに15kmも走ったので、冷房の聞いている通勤電車の中では、ついウトウトとしてしまいました。