赤紫蘇ジュース

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■先日、車で琵琶湖1周した際、湖北の姉川近くの直売所で、赤紫蘇を購入しました。普段、赤紫蘇を購入することなどないのですが、ビニール袋に入った赤紫蘇には「赤紫蘇ジュース」の作り方が貼り付けてありました。それを読んで、俄然、自分でも「赤紫蘇ジュース」を作りたくなったのでした。今日の午前中、その赤紫蘇でジュースを作ってみることにしました。

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■まず下準備。赤紫蘇、かなりの量がありました(上段左)。茎を取り除き、赤い葉だけにします。これが、かなり面倒くさい。しかし茎を取り除くと、ステンレスのザルに収まる量になりました(上段右)。次に、1.2リットルのお湯を沸かし、そこに赤紫蘇の葉を全部入れます。2分ほどゆがいていると、お湯の色が赤く染まっていきます。同時に、葉っぱからは赤い色素が抜けて普通の紫蘇のように緑になっていきました。不思議ですね〜(中断左)。鍋から紫蘇の葉を取り出して(中断右)、ザルで漉した赤い液体に砂糖を加えます(下段左)。これも驚きましたが、1.2リットルだと500gの砂糖が目安だそうです。500gというと、砂糖1袋の半分になります。砂糖を入れてアクを取りながら10分ほど弱火で煮込みます。火を止めて、酢を250ccほど加えました。酸っぱめにしてみましたた。出来上がった「赤紫蘇ジュース」を氷で冷やします(下段右)。あとは、別の容器に移して冷蔵庫に保存することにしました。試しに飲んでみました。ジュースを炭酸で割って飲んでみました。非常に、美味しく、爽やかな風味に出来上がっていました。みなさん、お勧めですよ!!

■「赤紫蘇ジュース」は身体に良い効果があるらしいですね。ダイエット効果、疲労回復効果、殺菌効果、花粉症・アレルギー症状の改善、美肌効果…。これだけ砂糖を入れて煮込んだのに、ほんまかいな…と思ってしまいますが、飲んで美味しいし気持ちが良いので、しばらく朝晩に楽しめそうです。

朝食の桃

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■先日、京都に出かけた時、帰りに三条にある果物店で桃を買いました。大きな桃が4個、箱に入っていました。美味しそうなので買ったのですが、大正解でした。とてもみずみずしい甘い桃でした。写真からも、その美味しさが伝わるでしょうか。光を受けて果実の表面が光っていますね。こういうのを写生できたらいいのにな〜。まあ、写生の前に食べてしまいますけど。

朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

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■2009年の4月、1人の学生が私のゼミの配属になりました。脇田ゼミ6期生の坂本昂弘くんです。その坂本くんが4年生になり卒業論文の調査に取り組むことになりました。ひょっとすると、3年生の終わりかもしれません。坂本くんが提案してきた調査は、滋賀県高島市の朽木にある山村の研究でした。話しを聞いてみると、京都府の美山や福井県の名田庄に近い場所にあります。最初は、「そのような遠い場所に調査に通えるのかな…」と指導教員として若干の不安がありましたが、よく聞いてみると、お祖父様がその山村にお住まいで、お父様もその山村のお生まれ、つまり自分自身のルーツがその山村だというのです。朽木にある古屋という集落です。

■坂本くんの問題関心は、過疎化が進み、限界集落化が進む古屋で、その山村に転居してくるIターン者の方たちが果たす社会的な役割に注目するものでした。彼は、お祖父様のいらっしゃる山村に大きなバイクで通いながら調査を進めました。調査を行うたびに、研究室に来て報告してくれました。その内容は、とても興味深いものでした。良いセンスの持ち主で、とても指導のしがいがありました。私自身は、古屋に行った経験は全く無かったのですが、彼の報告を丹念に聞きながら、時々質問をしていく、そのようなやり取りというか指導の中で、坂本くんはメキメキ力をつけていきました。坂本くんの卒業論文は、「限界集落にみるIターン者の役割-滋賀県高島市朽木針畑を事例に-」として提出され、優秀論文に選ばれました。卒業後、坂本くんは滋賀県内の企業に就職しました。卒業後は、facebookを通して再びつながりが生まれ、元気に働いている様子が伝わってきました。そのうちに、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で飲もうということになっていました。

■話しは変わります。母校・関西学院大学の先輩である辻村耕司さんは、滋賀県を中心に活躍されている写真家です。県内の民俗芸能等の撮影でも、たくさんのお仕事をされています。辻村さんと出会ったのは、私が滋賀県立琵琶湖博物館に勤務されている時ですから、もう20年近くも前のことになります。辻村さんともfacebookで日常的に交流していますが、一昨年の秋のこと、朽木の古屋の「六斎念仏踊り」の映像に記録する仕事に関してfacebookでメッセージをくださいました。そして、映像記録の一部を拝見させていただくことができました。その時に、ピンときました。「六斎念仏踊り」については、坂本昂弘くんが彼の卒業論文で言及していたからです。そして、坂本くんに、「君が継承者になりなさいよ!」と言っていたからです。さっそく辻村さんに許可を頂き、その「六斎念仏踊り」の映像記録の一部を坂本くんにも見てもらいました。坂本くんからは、「色々考えさせられました。少し泣きそうになりました」との返事をもらいました。「六斎念仏踊り」の継承者の孫として、坂本くんも、いろいろ悩み考えていたのです。しかし、今の仕事でめいっぱい、なかなか「六斎念仏踊り」に取り組む余裕がないこともよく理解できました。

■再度、話しは変わります。今年の話しになります。先月のことです。ある仕事で、辻村さんとお会いしました。その際、2013年から行われなくなっていた古屋の「六斎念仏踊り」が、8月14日に復活することになったと教えていただきました。「六斎念仏踊り」の継承者である古老の皆さんと、村の外の若者とが連携することにより復活することになったというのです。主催は、「高島市文化遺産活用実行委員会」と「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」です。辻村さんからは、当日、坂本くんもやってくるとお聞きしました。もちろん、見学させていただくことにしました。

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■朽木の古屋に行くには、ふた通りのルートがあります。ひとつは、高島市朽木の中心地である市場から行くルート。もうひとつは、国道367号線(鯖街道)から古屋に向かうルート。大津市内に住む私は、後者のルートで古屋に向かうことにしました。道は舗装されているものの、道幅はかなり狭く、対向車が来たらどうすればよいのかと、ドキドキするようなところもありました。狭い山道を通りつつ、幾つかの集落を抜けて大津市内からは1時間20分程で古屋に到着することができました。おそらくは、いつもは静かな山村に、たくさんの方たちが集まってこられていました。

■「六斎念仏踊り」は、20時から始まりました。その様子については、上の動画をご覧ください。また、「六斎念仏踊り」の民俗学的なことについては、以下の「(財)滋賀県文化財保護協会」の「滋賀文化財教室シリーズ[223]」をご覧いただければと思います。私も、歴史的・民俗学的なことについては、これから、いろいろ勉強してみようと思っています。ここでは、ごくごく簡単に説明しておきます。「滋賀文化財教室シリーズ[223]」にも説明してありますが、もともとは、現在のようにお寺で行われるものではなく、太鼓を持った踊り手3人と、笛2人、鐘2人の合計7人で行われます。この一団で、古屋にある約20軒の家を順番に回って「六斎念仏」を踊ったのです。夜の22時頃から翌日の夜明けまで、それぞれの家の祖霊を供養するために行われていました。14日に「六斎念仏踊り」がおこなわれた玉泉寺は、曹洞宗のお寺です。伝承によれば、以前は天台宗の寺だったといいます。集落の中にある寺の宗派が変わることは、それほど珍しいことではありませんが、祖先祭祀やお盆と結びついた「六斎念仏踊り」の方が古くからの歴史を持っていると考えられているようです。もう一つ、これは自分への備忘録のつもりで書いておきますが、「滋賀文化財教室シリーズ[223]」には、次のような記述があります。

昭和49年発行の『朽木村志』の記述から、編さん当時の六斎念仏の姿を見てみましょう。

生杉と古屋の2地区で毎年8月14日に行われていた六斎念仏も、徐々に忘れられつつありましたが、昭和46年に、この2地区を含む地域一帯が県立自然公園の特別指定地域に編入されたことから、地元有志の人々によって六斎念仏の保存活動が行われるようになったといいます。

■まだ実際に『朽木村志』を読んでいませんが、すでに昭和40年代から徐々に忘れられつつあったということに注目したいと思います。古屋のある朽木は、林業が盛んな地域でした。昭和40年代というと、全国的に日本の林業が不況に陥った時代です。山での仕事がなくなり、朽木の古屋でも、多くの人びが山を降りました。その頃と、「六斎念仏踊り」の保存活動が行われるようになった時期とが重なっていることです。このあたりの事情は、また関係者の皆さんに詳しくお聞きしてみたいと思います。

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■「六斎念仏踊り」の復活が無事に終わった後、私は坂本くんのお祖父様のお宅にお招きいただきました。遠くまで来てもらったからと、ご丁寧におもてなしをいただきました。もう夜が遅かったこともあり、短い時間でしたが、お祖父様、お父様、叔父様とお話しをすることができました。非常に興味深いお話しをお聞かせいただくことができました。坂本くんのお祖父様は、林業の仕事がなくなった後も、山を降りて滋賀県内で新しい仕事を見つけて、生きてこられました。再就職した後も、実に度々、古屋に戻っておられました。といいますか、古屋の家と仕事のための家との間を往復されていたと言っても良いのかもしれません。街場と山を往復しながら、家を守り、村を守ってこられたのです。遠く離れた大都会ではなく、古屋から車で1時間半ほどの場所に暮らすことができたことは、坂本くんのお祖父様、そして同じように生きてこられたお仲間の人生に取って、非常に大きな意味を持っていたのではないかと思います。

■今回は、坂本昂弘くんや坂本家の皆様、辻村さん、そして「高島市文化遺産活用実行委員会」と「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」の関係者の皆様に大変お世話になりました。非常に貴重な見学をさせていただくことができました。心より感謝いたします。なお、当日の玉泉寺での撮影が、シャッター音を消してほしいという指示がありましたが、私はスマホのカメラしかなく、音を消すことができませんでした。トップの写真は、坂本昂弘くんが撮影したものを使わせてもらっています。

【追記】■「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」の皆さんに、プロジェクトのfacebookで、このエントリーのことをご紹介いただきました。ありがとうございました。

30kmウォーキング

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■第3回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」まで、あと60日になりました。2か月を切りました。ということで、昨日は急に思い立ち、30kmのウォーキングを実施しました。曇っていて涼しく、30kmウォーキングに適していると思ったからです。携帯したスマホのアプリで計測すると、実際には30kmを切る28.65kmでした。12kmあたりまでは、非常にゆっくりしたスピードでジョギングを行いました。その後はウォーキングにしました。空が晴れ、気温が高くなってきたのでウォーキングに切り替えたのでした。

■コースは、今から18年前まで勤務していた、滋賀県立琵琶湖博物館のある烏丸半島を折り返し地点にした、自宅と烏丸半島の往復コースです。はっきり言って、非常に疲れました。先月20kmは経験済みでした。たいしたことはないな…と思っていました。しかし、30kmは大変でした…。アプリのデータを見ていただければわかりますが、スピードはそれなりに維持しています。しかし、足腰の疲労感が20kmとは比べ物になりなかったからです。次回の予定は、南湖1周の40kmに挑戦する予定です。疲労感はさらに大きなものになるのでしょうかね〜。本番は100kmですから、この疲労感に対する耐性を作っておくためにさらにトレーニングに励まねばなりません。

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■今回、平均ペースは9分17秒/kmでした。1時間に6km以上歩くペースです。100kmウォーキングの際に想定しているスビードに比べて、かなり速いほうだと思います。「びわ100」は、一応、12分/km程度のスビードを基準にして歩こうと思っています。そこからすれば、9分17秒/kmはかなり速いわけです。あと60日です。頑張らねばなりません。ちなみに、昨日の結果ですが、歩数はウォーキング終了時点で「40774歩」になりました。毎日の目標である「1日1万歩」は軽くクリアしました。とはいえ、昨日は、2435歩しか歩いていません。こういう歩けなかった日の歩数とのプラスマイナスで、今日の貯金が消えてしまわないように注意しなければなりません。

■消費カロリーは1777kcal。4時間26分かけて30km近く歩くと、さすがに消費カロリーも高くなりますね。とはいえ、1日だけ、これでグンと体重が減るわけでもない…。悲しいものです。
フルマラソンに挑戦していた当時のこと。本番の1ヶ月前に、練習で30kmをゆっくり走った。今回は2/3がウォーキング、体力が/脚力、やはり、まだまだ元に戻っていない。このような距離を、ほぼ毎日走っているチーム「利やん」のアスリートの皆さんの能力の物凄さを、今回は身体で実感した。

『外来種は本当に悪者か?』

20160814gairaisyu.jpg ■私の周りでは、けっこう話題になっている本です。科学ジャーナリストであるフレッド・ピアス。タイトルが刺激的です。『外来種は本当に悪者か ?』。本の帯にはこう書いてあります。

著名科学ジャーナリストとが
敵視されてきた生物の活躍ぶりを評価し
外来種のイメージを根底から覆す
知的興奮にみちた科学ノンフィクション。
よそ者、嫌われ者の生き物たちが
失われた生態系を元気にしている!?

■この本を勧めてくれたのは、ずっと長く一緒に研究プロジェクトをやってきた京大生態学研究センターの谷内茂雄さん。生態学を専門とする谷内さんが、勧めてくれたので、これは面白い本に違いないと思いました。谷内さんは、研究に関連する著書や論文だけでなく、小説や漫画に至るまで、その時々、読んで面白いと思った本を私に勧めてくれます。とてもありがたいことです。

■さて、この著書、「外来種は悪」であり「在来種は善」、だから外来種を排斥しなければならない…といった単純な考え方で、知らないうちに「正義」を背負って自らの正当性を主張している方達には受け入れがたい内容になっているかもしれません。しかし著者は、外来種の排斥を人種偏見に基づく民族浄化と重ね合わせます。外来種排斥による自然環境保護の主張が、自然再生にはならないというのですから。私自身、以前、博物館や文化遺産の研究をしている時に、ある絶滅危惧種(あえて名前は出しませんが…)を守ろうとする活動やそこにある声高な発言の背景に、偏見に基づく他民族排斥と外来種排斥と同じような構造があるのでは…と感じたとことがありました。その当時、ヨーロッパで、戦争やナチズムに関して調査をしていたので、一層のこと強く感じたのでした。その時に感じたことを、谷内さんからこの本を紹介された時に思い出したのでした。そういえば、昨年は、『ナチスと自然保護景観美・アウトバーン・森林と狩猟』(フランク・ユケッター・著、和田佐規子・訳、築地書館 )という本も翻訳されていましたね。

■さて、この本の解説は、流域管理の研究を通して知った生態学者・岸由二さんが書かれています。ここで読むことができるようです。その一部を以下に、引用しておきます。

生態学という分野は、生物の種の生存・繁殖と、環境条件との関係を扱う、ダーウィン以来の生物学の一分野である。と同時に、生態系、生物群集などという概念を使用して、地域の自然の動態についても議論をする分野でもある。種の論議と、生態系や生物群集の論議は、かならずしもわかりやすくつながっているわけではないので、 2つの領域はしばしばまったく別物のように扱われることもあったと思う。

しかし、20世紀半ば以降、実はこの2つの分野をどのように統合的に理解するかという課題をめぐって、生態学の前線に大きな論争あるいは転換があり、古い生態学、とくに古い生態系生態学、生物群集生態学になじんできた日本の読者には、「意外」というほかないような革命的な変化が、すでに起こってしまっているのである。その転換を紹介するのにもっともよい切り口が、「外来種問題」、これにかんれんする「自然保護の問題」といっていいのである。

老いについて学ぶ

20160814kusakari1.jpg■施設に入所している老母の見舞いと洗濯物の交換をするために、週1回は、兵庫県まで行かないといけないのですが、ここ2週間ほどのあいだは、妻にお願いをしてもらっていました。母が施設に入っている間、母の見舞いだけでなく、同時に、母の「家の守り」もしなくてはいけません。毎週出かけては空気を入れ替え、家の中に湿気がこもらないようにしてきました。「家の守り」もなかなか大変です。特に、春から夏にかけては家の空気を入れ替えるだけではすみません。庭の草刈りが必要になるのです。「庭の守り」です。もう毎年のことで慣れてきましたが、特に夏の暑い頃は、ちょっとした期間で庭の草はどんどん伸びてきます。今回も、そろそろ「草刈りをしないといけないな…」と思っている間に、庭の草は伸びきっていました。草というか、木になりかけている…そんな感じです。12日(金)は、「庭の守り」をすることにしました。

20160814kusakari2.jpg■もし、これを手と鎌で刈ろうとすると、大変なことになります。気持ちが萎えてしまいます。しかし、母の家には、きちんと家庭用の電動式刈払機が用意してあります。加えて、庭木の剪定用のヘッジトリマーも用意してあります。電動式刈払機が草を刈る際、2種類の方法があります。金属刃を回転して刈払う方法と、ナイロン糸を回転させて刈払う方法です。通常の庭に生えてくる雑草であれば、ナイロン糸で十分なのですが、今回はナイロン糸では歯が立ちませんでした。まずは金属刃で硬いものを刈り取り、その後、ナイロン糸で刈り取るということになりました。草刈りに加えて、庭木の剪定もしなければなりませんでした。どういうわけは、庭にはイチジクの樹があり、毎年葉が茂るすぎるのです。こちらは、ヘッジトリマーを使って刈り取りました。小さな庭ですが、これだけの作業をするだけで3時間近くかかってしまいました。ちなみに、こうやって刈り取った雑草や葉、大きなビニール袋で6袋にもなりました。おそらく、中距離・遠距離介護をされている方たちは、私と同じように、親の家の管理に頭を悩まれておられるのではないでしょうか。

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■庭の作業を終えると昼食の時間帯はかなり過ぎていました。この日も施設に入っている母の世話は妻に頼んでありました。施設から戻った妻と一緒に、母の家の近くにあるイタリアンレスランに向かい、ピザとパスタでランチを楽しみました。「さあ、庭仕事も終えたし、家に帰ろうか…」となれば良いのですが、昼食後はまた母の家に戻り、今度は家の中のものの整理を始めました。7年前に父が亡くなり、父の遺品も含めて、そのままになっていたからです。まずは、衣服の類から整理を始めました。「どうして、こんなものまで取ってあるのかな…??」というものばかり。知人の女性は、「『いつか使える』『いつか必要になる』『もったいない』、戦争をかいくぐって来られた方々にとって様々な物は何かの時の出番があると思ってらっしゃると感じます」とおっしゃいます。加えて、母は年をとり、捨てる体力も気力も判断力もなくしてしまったのでしょう。これは、近い将来の自分のことでもあります。自分の子供たちに迷惑をかけないように、元気なうちにいろいろ準備をしなければなりません。親の介護をし続けながら、老いというどういうことなのかを学ばせていただいている…そのような気持ちになります。

ランニングが復活か…

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夏休みのささやかな計画

20160810seiri.jpg ■今日は朝9時から深草キャンパスで研究部の仕事(会議)がありました。国(文部科学省)に提出する申請書を関係者とともに協議して仕上げていく作業に取り組みました。次回は、盆明けにということで昼前に解散しましたが。昼からは、深草キャンパスから瀬田キャンパスに移動。京都駅までは、この炎天下の中ウォーキングを行いました。熱中症のことが心配されるわけですが、風がそれなりに強く、あまり湿度も感じなかったためでしょうか、比較的楽にウォーキングができました。

■瀬田キャンパスに移動してからは、大学院生の指導。その前後に研究室の整理を始めました。昨年から大学の研究部の仕事で、深草キャンパスと瀬田キャンパスを行ったり来たりすることになり、瀬田キャンパスにいても研究部の部屋にいることが多く、自分の研究室にこもることがなくなっています。必然的に、研究室は、書類と書籍が未整理のまま山積みになり、最悪の状況に陥ってしまっていました。ということで、段ボールの書類整理箱を購入し、そこに溢れた書籍を詰めて、自宅に持ち帰ることにしました。たまった書類についても、これから一気に処分してしまうことにします(会議多すぎ、書類多すぎ…)。

■龍谷大学に勤務してから13年目になります。そのうち9年間は、学生生活主任、研究主任といった学部の運営、研究科長という大学院の運営、そして研究部という大学の運営に関わる仕事をずっとしてきた(他にも大学院の専攻主任だとか、諸々あるのですが)。しかし、来年度は1年間研究員になる予定になっています。研究員になると、運営に関する学内の仕事や授業が一切免除され、自分の仕事、研究だけに専念させていただけることになっています。その来年度に向けて、少しずつ身の回りの環境を整備していくことにしたのです。身の回りの整理(研究室や自宅の環境を整備)と同時に、来年度の1年間を有効に活用するために頭の中も整理していく必要があります。身の回りの整理具合と、頭の中の整理具合は、どこかで相関しているように思います。この整理作業、夏期休暇中にきちんと終えておきたいものです。

■それと同時に、ウォーキングです。滋賀県庁の世界農業遺産申請作業に取り組む職員チーム(農政水産部の部長さんを含めた10名)と一緒に「びわ湖チャリティー100km歩行大会」(10月15・16日)に出場することが決定しました。徹夜で「完歩」するためには、長距離ウォーキング、30km、40km、50kmを歩いておく必要があります。昨日は、この「びわ100」の事務局長さんや県庁チームと簡単なミーティングを行いました。いよいよ気合が入ってきました。で、その練習なのですが、自宅から出発して、琵琶湖の南湖をぐるりと回ろうと思っています。自宅を出て、琵琶湖大橋を渡り、南下し、近江大橋を渡って、大津の中心市街地を通って自宅に戻る。これで、だいたい40kmになります。近江大橋を渡らずに、南郷の洗堰を渡って自宅に戻ると約54kmです。この長距離ウォーキングを、身の回りと頭の整理合間に行いたいのです。はたしてできるかな…。

新生応援リーダー部が始動

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■一般に、日本の大学における応援団は、指導部、吹奏楽部、チアリーダー部の3つから構成されています。しかし、龍谷大学には長らく指導部がありませんでした。もちろん、吹奏楽部とチアリーダーだけでも立派に応援できるわけですが、やはり指導部のリードの元、龍谷大学関係者が一丸となって応援していくためには「指導部が必要だよな〜」と、ずっと思っていました。自分が学生の時は、応援団の指導部に対してはあまり良い感情を持っていませんでしたが、大学に勤務するようになると、やはり物足らなさを感じていたわけです(勝手なことを言っていますが…)。

■そう思っていたのですが、2012年からは一般同好会のサークルとして「龍谷大学応援リーダー部」が誕生しました。現在、部員は5名。女子部員もいるようですね。とても凛々しい!! テレビのニュースを見ていると、他大学では女性の団長も生まれているようです。リーダー部の活躍に期待したいと思います。写真は、大学のホームページから転載させていただいたものです。

2016年 びわ湖大花火大会

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■8月8日に、大津市中心市街地の琵琶湖湖岸で、「2016びわ湖大花火大会」が開催されました。初回は1984年といいますから、32回目ということになるのでしょうか。私は、過去に1度だけ、この「びわ湖大花火大会」に来たことがあります。今から24年ほど前のことかと思います。当時、私は「滋賀県教育委員会(仮称)琵琶湖博物館開設準備室」に勤務していました。その準備室が、古い滋賀県庁が所有する建物(かつて大津土木事務所が使用していた)にあったのです。職場のすぐそばで、「びわ湖大花火大会」が開催されると知ってみにいったのです。花火の記憶はあまり残っていません。あまりの人の多さで、とても花火を楽しむ余裕はなかったのではないかと思います。その後は、この「びわ湖大花火大会」をできるだけ避けてきました。ところが、今回はその「びわ湖大花火大会」に行ってきました。

■知り合いのレストラン経営者の方から、レストランでの夕食を味わった後、有料観覧席で花火を楽しむことができる、そのようなお話しをいただいたからです。少々、値段がはることになりましたが、家族と一緒に今年の「2016びわ湖大花火大会」を楽しむことにしました。そもそも、花火大会なるものにもあまり行ったことがないので、他の地域との比較ができませんが、ものすごい迫力でした!! 「贅沢をしたかな…」とも思いますが、そのお金を払って観る価値はあったように思います。ものすごい迫力で、「お−!」とか「わ−!!」といった声しか出ませんでした。

■この日は、午前中から深草キャンパスで研究部の会議と作業がありました。詳しいことは書けませんが、大学にとって、とても重要な案件であり、夏期休暇に入る直前まで頑張って書類を完成させなければならない・・・そのような仕事でした。多くの同僚は夏期休暇に入っておられるのでしょうが、私の休暇はなかなかやってきません。そのような中の「びわ湖大花火大会」、ストレス解消になりました。この季節、琵琶湖の湖岸のあちこちで花火大会が開催されていますが、そのなかでも一番大きな規模なのではないでしょうか。観客数も、見込みで約35万人といいますから、大津市の人口にほぼ相当する方たちが、やってこられるわけですね。混雑するはずです。

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