世界農業遺産プロジェクト推進会議

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■昨日の中日新聞の記事です。この「世界農業遺産プロジェクト推進会議」に参加しました。私は、座長に就任された農学部の竹歳一紀先生と共に、私の場合はアドバイザーとして参加しています。申請は2018年度になりますが、それまで県庁の職員の皆さん、市町の関係者の皆さんと一緒に、しっかりと準備を進めていこうと思います。

■以下は、大学のホームページに掲載された記事です。昨年度、滋賀県と龍谷大学は包括協定を締結しました。単に包括協定を締結するだけでは意味がなく、それを実質化させていく事業に協働で取り組まねばなりません。今回の世界農業遺産に向けての取り組みが、そのような実質化に向けての第1歩になればと思います。また同時に、昨年度設置された農学部が滋賀県内の地域社会とより一層連携していくためのきっかけになればとも思っています。

龍谷大学と滋賀県による第1回「世界農業遺産プロジェクト推進会議」を開催

中世びとの信仰の形態

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■部長をしている龍谷大学の研究部には、複数の研究所や研究センターが設置されています。以下は、大学のホームページの解説です。

龍谷大学では本学が有する様々な知的資源を活かし、本学ならではの分野で独創的な研究を推進し、これらの分野における学術研究の向上、交流に寄与するとともに、併せて研究成果の社会還元を図ることを目的に1961年以降「仏教文化研究所」(1961年設置)「社会科学研究所」(1969年設置)「科学技術共同研究センター」(1989年設置)「国際社会文化研究所」(1997年設置)の付置研究所を設置し、研究を展開しています。

また、第4次長期計画では全学の研究活動を総合的にカバーし「人文」「社会」「自然」の学術3分野を横断する学際的・異分野複合的な学術研究を推進することにより、世界が必要とする科学技術や文化の振興を図ることを目指し、2001年「人間・科学・宗教総合研究センター」を新たに開設しました。センターでは国の学術研究高度化推進事業をはじめとして様々なユニークな研究プロジェクトを実施しています。

■上記の龍谷大学のうち、「世界仏教文化研究センター」と「アジア仏教文化研究センター」が主催して、以下の学術講演会が開催されます。
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2016年度グループ1ユニットA(日本仏教の形成と展開)学術講演会

日 時 : 2016年5月30日(月)17:30~19:00
会 場 : 龍谷大学大宮学舎 清風館B101
講 師 : 大喜 直彦(本願寺史料研究所 上級研究員)
講 題 : 中世びとの信仰の形態
レスポンス : 杉岡 孝紀(龍谷大学 農学部教授)
主 催 : 龍谷大学世界仏教文化研究センター アジア仏教文化研究センター
共 催 : 龍谷大学仏教文化研究所
※一般来聴歓迎(無料・申込不要)
お問い合わせ先 :
龍谷大学アジア仏教文化研究センター(BARC)
大宮学舎白亜館3階  075-343-3811(内線:5831)
■私は、この学術講演会に参加してみたいなあと思っているのですが…。問題は、研究部の会議が、学術講演会までに終了するかどうかですね〜。研究部の仕事はしても、研究部が推進している研究活動事業には参加できないというのは…ね、困りました。講師の大喜さんは、『神や仏に出会う時: 中世びとの信仰と絆』 (歴史文化ライブラリー)という本も書いておられます。リンクをクリックしていただく、この本の出版社である吉川弘文堂のページに飛びます。その内容は、私にとってとても刺激的なのです。というわけで、ぜひ学術講演会にも参加したいのですが、さて、どうなるやら…です。

「まわしよみ新聞」(社会学入門演習)

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■火曜日の2限は「社会学入門演習」です。1年生の大学入門ゼミといってもよいのかもしれません。私のクラスは16名。クラスの仲間内でもだいぶ親しくなってきているようですが、まだ完全に打ち解けているわけではありません。ということで、「まわしよみ新聞」を実施しました。「まわしよみ新聞」については、昨年の3年生ゼミでも実施しました。どことなくまだぎこちなさの残る最初の段階で、この「まわしよみ新聞」を実施することで、みんなすぐに打ち解けていきました。「まわしよみ新聞」については、こちらの解説を丁寧にお読みいただきたいと思いますが、自分が気になった記事について思ったことを話し、人の話しを聞くこを通して、お互いをより深く知るためのコミュニケーション・ツール…そのように考えていただければよいかと思います。昨日も、しだいに盛り上がっていきました。最初は、「新聞 ? まわしよみ?」と怪訝に思っていた学生たちでしたが、実際にやってみると予想外に面白い経験になったようです。
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豆苗の再生栽培

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■体調がよくありません。先週末に発症した発熱は、なんとか下がりましたが、咳が止まりません。寝ている間も咳が出るので、困っております。ゆっくり休むことができません。その咳もいったんで始めるとなかなかおさまりません。医師の診断を受け、処方してもらった薬をきちんと飲んでいるんですけどね〜。なかなかよくなりません。いろいろお知り合いの皆さんからもご心配をいただいております。咳をおさえるための様々な方法についてご教示いただきました。ありがとうございます。咳止めの漢方薬も教えていただきました。助かります。風邪以外の病気かもしれないと、ご自身のご経験からアドバイスをくださった方もいらっしゃいます。もう少し様子をみて、次の対策を練るようにいたします。まあ、こんな感じなのですが、咳以外はなんとかなっているので、いつも通り親の介護をして、大学にも出勤はしております。学生の皆さんには申し訳ないのですが、時々咳をしながら授業もなんとかやっております。

■そのようなこととはまったく関係ないのですが・・・。最近、大津に転居して自宅に庭ができたことから、小まめに庭の手入れをしています。毎日、複数回、朝や夕方に庭を巡回して草むしりをしています。日々、成長し変化する庭の草花を楽しんでいます。植物に関心がわいてきたことから自分でもミントやシソ、そしてパセリを鉢植えしています。庭に爆発的に繁殖するのを防ぐために、鉢植えにしています。それから、知人から教わったのですが、スーパーマーケットの野菜売り場で売っている「豆苗」の再生栽培にも取り組んでいます。再生栽培というと、大げさに聞こえますが、包丁で豆苗をきったあとの残りのスポンジを再び水につけて、2回目の豆苗を収穫しようというわけです。左側は、再生を開始して1週間ぐらいでしょうか。右側は、まだ5日ぐらいかな…。こうやって半分遊んでいるのですが、なかなか楽しいものです。

福島県喜多方市のグリーンアスパラガス

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■『東北食べる通信』に参加していることから、毎月1回、東北各県の農業・水産業の皆さんの生産現場から、新鮮な食材が送られてきます。今月は、福島圏からグリーンアスパラガスが送られてきました。大変新鮮で瑞々しく、なおかつ太くて立派なグリーンアスパラガスです。このようなアスパラガスは、見たことがありません。生産者の方のお勧めに従い、調理してみました。

■新鮮な食材を味うわためには、できるだけシンプルな調理が良いわけですが、今回は①湯がいて、②エクストラバージンオリーブオイルをかけて、③塩をふりかける…これだです。本当は、1本丸まま湯がけるような大きな深いなべが我が家にあれば問題なかったのですが、残念ながら、そのような鍋がありません。仕方がないので、半分に切って湯がきました。茹で上がった熱々のグリーンアスパラにオリーブオイルと岩塩をかけていただきました。太いわけですが、近くのスーパーで買った時によくある筋が全くありません。しかもジューシーでした。アスパラガスの自然の甘味を深く味わうことができました。

■生産者は、福島県喜多方市の江川正道さんと正明さん、二人のご兄弟です。ありがとうござました。以下は、ぐりーんあすぱらがすと一緒に届いた『東北食べる通信』2016年4月号、それからチラシです。
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2016年度ゼミ面談の記録

■2014年度は、延べ135人と面談を行いました。2013年度は延べ104人と面談を行いました。2015年度も記録を残す予定でしたが、大学の研究部長を務めることになり、ほとんど瀬田キャンパスにある研究室にいることができなくなり、また多忙になったため、結果として、ゼミ面談の記録を残すことができませんでした。今年度、2016年度はきちんと記録を残せるように努力していきたいと思います。

いつ面談したかの記録を残します

■このエントリーでは、2016年度のゼミ生との卒業論文やゼミ報告に関する簡単な面談の予約状況を記録として残していきます(「社会学入門演習」の面談も必要があれば付け加えていきます)。ただし面談の詳しい内容については、ここには書きません。キーワード程度です。私のこれまでの経験では、面談の回数と卒論の進捗状況とは比例しています。きちんと準備をして面談に臨んでください。また、自分のペースメーカーとしてこの記録を時々見るようにしてください(「しばらく面談に行っていないな…、これはマズい」という感じです…)。面談の予約状況のみここに書き込んでいきます。このページは、「2016年度」4月からの面談記録です。

面談の記録:2016年4月以降の記録です

■記録に残せなかった面談も多々ありますので、抜けている場合は申し出てください。
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【1月】
(72)2017/01/06/15:45 : 4回生・FK(こうた)・卒論について。終了。
(71)2017/01/06/15:45 : 4回生・ST(つよし)・卒論について。終了。
(70)2017/01/06/15:45 : 4回生・TJ(じゅんし)・卒論について。終了。
(69)2017/01/06/15:30 : 4回生・HY(ゆか)・卒論について。終了。
(68)2017/01/06/15:15 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論について。終了。
(67)2017/01/06/15:00 : 4回生・SA(あゆみ)・卒論について。終了。

【12月】
(66)2016/12/28/13:00 : 4回生・KT(たくみ)・卒論について。終了。
(65)2016/12/28/11:00 : 4回生・KT(たかひろ)・卒論について。終了。 
(64)2016/12/26/17:00 : 4回生・YN(なぎさ)・卒論について。終了。
(63)2016/12/26/16:00 : 4回生・KY(えいと)・卒論について。終了。
(62)2016/12/26/11:00 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論について。終了。
(61)2016/12/26/10:00 : 4回生・HY(ゆか)・卒論について。終了。
(60)2016/12/22/15:30 : M1・KS(さおり)・修論について。終了。
(59)2016/12/22/15:30 : 4回生・MR(りゅういち)・卒論について。終了。
(58)2016/12/21/15:00 : 4回生・KT(たかひろ)・卒論について。終了。
(57)2016/12/14/14:00 : 4回生・SK(けんじ)・卒論について。終了。
(56)2016/12/09/14:00 : 4回生・IK(けんしろう)・卒論について。終了。
(55)2016/12/02/14:00 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論について。終了。

【11月】
(54)2016/11/18/14:30 : 4回生・MM(むねまさ)・卒論の調査について。終了。
(53)2016/11/18/14:00 : 4回生・HY(ゆか)・卒論の調査について。終了。
(52)2016/11/11/14:30 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論の調査について。終了。
(51)2016/11/11/14:00 : 4回生・SA(あゆみ)・卒論の調査について。終了。
(50)2016/11/11/13:35 : 4回生・HY(ゆか)・卒論の調査について。終了。
(49)2016/11/04/14:30 : 4回生・SK(けんじ)・卒論の調査について。終了。
(48)2016/11/04/14:00 : 4回生・MR(りゅういち)・卒論の調査について。終了。

【10月】
(47)2016/10/28/14:00 : 4回生・HY(ゆか)・卒論の調査について。終了。
(46)2016/10/21/14:50 : 4回生・IM(ますみ)・卒論の調査について。終了。
(45)2016/10/21/14:30 : 4回生・YJ(じゅん)・卒論の調査について。終了。
(44)2016/10/21/14:00 : 4回生・MR(りゅういち)・卒論の調査について。終了。
(43)2016/10/21/13:35 : 4回生・IK(けんしろう)・卒論の調査について。終了。
(42)2016/10/21/11:00 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論の調査について。終了。
(41)2016/10/20/11:20 : 4回生・SK(けんじ)・卒論の調査について。終了。
(40)2016/10/20/11:00 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論の調査について。終了。
(39)2016/10/11/16:10 : 4回生・FK(こうた)・卒論の調査について。終了。
(38)2016/10/11/16:50 : 4回生・TJ(じゅんし)・卒論の調査について。終了。
(37)2016/10/11/16:30 : 4回生・KT(たかひろ)・卒論の調査について。終了。
(36)2016/10/11/14:50 : 4回生・YN(なぎさ)・卒論の調査について。終了。
(35)2016/10/11/14:20 : 4回生・MR(りゅういち)・卒論の調査について。終了。
(34)2016/10/11/14:00 : 4回生・HY(ゆか)・卒論の調査について。終了。
(33)2016/10/07/14:55 : 4回生・KM(まさあき)・卒論の調査について。終了。
(32)2016/10/07/14:30 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論の調査について。終了。
(31)2016/10/07/14:00 : 4回生・SK(けんじ)・卒論の調査について。終了。

【9月】
(31)2016/09/23/11:00 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論の調査について。終了。
(32)2016/09/20/16:00 : 4回生・MR(りゅういち)・卒論の調査について。終了。
(31)2016/09/19/11:00 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論の調査について。終了。
(30)2016/09/16/11:00 : 4回生・YN(なぎさ)・卒論の調査について。終了。

【8月】
(28)2016/08/03/15:00 : 4回生・KE(えいと)・卒論の調査について。終了。
(27)2016/08/03/11:15 : 4回生・ST(つよし)・卒論の調査について。終了。

【7月】
(26)2016/07/22/17:00 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論の調査について。終了。
(25)2016/07/22/16:30 : 4回生・YN(なぎさ)・卒論の調査について。終了。
(24)2016/07/22/16:00 : 4回生・KM(まさあき)・卒論の調査について。終了。
(23)2016/07/22/15:00 : 4回生・MR(りゅういち)・卒論の調査について。終了。
(22)2016/07/22/14:30 : 4回生・FK(こうた)・卒論の調査について。終了。
(21)2016/07/22/14:00 : 4回生・KY(たかひろ)・卒論の調査について。終了。
(20)2016/07/22/11:15 : 4回生・HY(ゆか)・卒論の調査について。終了。

【6月】
(19)2016/07/08/14:30 : 4回生・TJ(じゅんし)・卒論のテーマについて。終了。
(18)2016/06/24/14:00 : 4回生・YJ(じゅん)・卒論のテーマについて。終了。
(17)2016/06/17/15:00 : 4回生・ST(つよし)・卒論のテーマについて。終了。
(16)2016/06/17/14:40 : 4回生・KM(まさあき)・卒論のテーマについて。終了。
(15)2016/06/17/14:20 : 4回生・KT(たくみ)・卒論のテーマについて。終了。
(14)2016/06/17/14:00 : 4回生・YN(なぎさ)・卒論のテーマについて。終了。
(13)2016/06/10/14:00 : 4回生・MR(りゅういち)・卒論のテーマについて。終了。
(12)2016/06/10/13:00 : 4回生・SA(あゆみ)・卒論のテーマについて。終了。
(11)2016/06/03/14:00 : 4回生・MM(むねまさ)・卒論のテーマについて。終了。

【5月】
(10)2016/05/27/14:00 : 4回生・IM(ますみ)・卒論のテーマについて。終了。
(9)2016/05/21/14:45 : 4回生・NY(やすひろ)・卒論のテーマについて。終了。
(8)2016/05/12/AM : 5回生・NS(しょう)・卒論題目届けについて。終了。
(7)2016/05/11/10:30 : 4回生・KE(えいと)・卒論のテーマについて。終了。
(6)2016/05/11/10:00 : 4回生・HYゆか)・卒論のテーマについて。終了。
(5)2016/05/09/17:00 : 院D・TN(なおき)・博論について。終了。
(4)2016/05/06/14:45 : 4回生・OJ(じゅんと)・卒論のテーマについて。終了。

【4月】
(3)2016/04/18/13:10 : 1回生・MY(ゆうた)・推薦入試関連の面談。終了。
(2)2016/04/18/12:55 : 1回生・AS(しゅん)・推薦入試関連の面談。終了。
(1)2016/04/18/12:40 : 1回生・IF(ふみか)・推薦入試関連の面談。終了。

先人たちの底力 知恵泉「大冒険を成功させるには?明治の探検家 大谷光瑞」

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■NHKの「Eテレ」では、 毎週火曜の午後10時から、「知恵泉」という番組を放送しているようです。私自身は、まだ視聴したことがありません。番組の公式サイトを拝見すると、以下ように番組の趣旨について解説してありました。

仕事で悩んだり、壁にぶつかったり。そんな皆さんに大きなヒントをくれるのが、歴史上の人物の様々な知恵です。苦手な上司への対処法から、部下を上手に指導するコツ、そして新規プロジェクト成功の秘訣まで。当店「知恵泉」では、明日からの人生に役立つ知恵をたっぷりとご用意して、みなさまのお越しをお待ちしております。

■この趣旨を見る限り、なんだか中間管理職で苦労されている中年の皆さんをメインの対象とする番組のようですね。この「知恵泉」の5月10日(火)は、「大冒険を成功させるには?明治の探検家 大谷光瑞」になります。龍谷大学の関係者であれば皆さんご存知なわけですが、大谷光瑞は、1903年(明治36年)に第22世法主となった方です。西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に取り組まれました。今回の番組は、その点に焦点を当てているようです。

明治時代はるかシルクロードを旅した日本の三蔵法師ともいうべき人物がいる。西本願寺の僧侶、大谷光瑞。当時、吹き荒れていた廃仏毀釈などで仏教が衰退する中、大谷は大陸で原始仏教の宝物やルーツを探りだし復興につなげようと考えた。探検隊はロンドンから中央アジア、インドへ。しかしその旅は世界の屋根といわれた高所やしゃく熱の砂漠を行く過酷な旅。門徒を集めた素人の探検隊は危機の連続。いかにして困難を克服したのか?

■私自身は、この番組で「明日からの人生に役立つ知恵」を学ぼうという発想はないのですが、大谷光瑞という方には大いに関心を持っています。放送は、火曜日の晩10時からです。その頃には帰宅しているはずです。楽しみにしています。

湖西路をゆく

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■作家・司馬遼太郎の『街道をゆく』の第1巻第1章は、「湖西のみち」です。あの有名な紀行文集『街道をゆく』は、滋賀県、それも湖西から始まるのです。雑誌『週刊朝日』に発表されたのが1971年のであることから、おそらくこの時の旅の取材は1970年の冬に行われたのではないかと思います。1970年といえば、大阪万博の年ですね。私は、小学校6年生でした。我が家では『週刊朝日』を定期購読していたので、『街道をゆく』を子どもながらに「ながめて」はいました。仕方のないことですが、この紀行文を味わうだけの知識が当時の私にはありませんでした。私の印象に残っているのは、司馬遼太郎の文章よりも、画家・須田剋太のカットの方でした。この「湖西のみち」の旅についても、もちろん須田剋太と『週刊朝日』編集部の橋本申一さんが同行されています(本文中では、H氏)。そして、この第1章「湖西のみち」には、さらに滋賀民俗学会の菅沼晃次郎さんが、案内役として登場しています。

■菅沼さんには、私が滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備をしている時にお会いしたことがあります。もう20年ほど前のことだと思います。司馬遼太郎の文章では、「いかにも大阪人らしい率直な物の言い方」と説明した上で、この菅沼さんの語りが出てきますが、私の記憶の中に残っている菅沼さんのイメージとピッタリと重なりあいました。「さすが、司馬遼太郎だ…」と、多くの司馬遼太郎の読者にとってはどうでも良いところで感心してしまいました。

■菅沼さんは、本業のお仕事とは別に、面白いことがしたいと速記を習っておられました。そのようなこともあって、昭和24年に大阪で開催された、柳田國男と折口信夫(日本民俗学の巨頭)の講演会で、速記録を録る仕事が回ってきたきたのでした。記録を録りながら、民俗学の面白さに目覚められたようです。その時の講演会の幹事が、私が大学院時代にお世話になった鳥越皓之先生のお父様である鳥越憲三郎先生でした。その鳥越憲三郎先生の勧めで、菅沼さんは、滋賀で民俗学の研究を始めた…ということのようです。なるほど…。非常に個人的な反応で本当に申し訳ありません。

■さて、『街道をゆく』「湖西の道」で司馬遼太郎の一行は、穴太、坂本、堅田、堅田、真野、北小松、白髭神社等を巡りながら、古代に、石積み等の技術を持って大陸から湖西に移り住んできた渡来人に、そして安曇川のあたりから朽木に向かう途中では、「安曇」という地名から日本人はどこからやってきたのかということに思いを馳せます。そして朽木街道から京都に向かうあたりでは、織田信長が越前攻略のさいに浅井長政の裏切りから朽木に逃げた…という史実について丁寧に述べた後、作家らしい想像を巡らすのです。

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■5月3日、身体はまだ本調子ではありませんでしたが、滋賀に転居してきたのだから、滋賀のことをもっと知りたいという家族と一緒に、昼から湖北を訪ねてみることにしました。私は風邪薬を飲んでいるので、運転は家族に任せました。私は「案内役」に徹しました。司馬遼太郎の一行は白髭神社から朽木の方に向かうのですが、私たちは、さらに湖北を目指しました。トップの写真は、白髭神社の鳥居です。この日は風が強いため、波もかなり高くなっていました。

■大津市から高島市に入り、まずはお気に入りの「ワニカフェ」でお茶を楽しみました。そして高島市マキノ町の「メタセコイアの並木」に行ってみることにしました。マキノピックランドからマキノ高原まで、約2.5kmにわたって500本ものメタセコイヤが植えられています。ネット上での紹介によれば、1981年に、「学童農園『マキノ土に学ぶ里』整備事業の一環として、マキノ町果樹生産組合によってマキノ栗園(現ピックランド)の防風林として、マキノ栗園内をマキノ高原まで 幹線町道沿いに400本の苗木が植えられたもの…」なのだそうです。

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20160503biwako5.jpg■このことを知って、私は、柳田國男の「美しき村」というタイトルのエッセイのことを思い出しました。今、手元に柳田國男の全集がないので引用できないのですが、防災か何かの目的のために植えた樹々が、美しい風景を作り出し、旅人に木陰を提供している…そのような内容だったと思います。このマキノのメタセコイア並木のばあいは、果樹である栗を守るための防風林だったのですね。それが今や観光名所にもなっているわけです。そういえば、私は、この並木道をコースに組み込んだハーフマラソンに出場したことがあります。大会の名前は、「びわ湖高島栗マラソン」です。なるほどと、合点がいくわけです。私の知人は、この並木道に「マキノソナタ」と名付けて楽しんでおられます。ヨン様と呼ばれる韓国の俳優、ぺ・ヨンジュンが出演するドラマ「冬のソナタ」に、この並木道によく似たシーンが登場するからなのだそうです(私は良く知らないのですが…)。並木道の後は、桜で有名な海津大崎をめぐりました。もっとも、桜のシーズンはとっくの昔に終わっているので、「なるほど、桜の頃は、これは見応えがあるよな」などと言いながら、想像するしかなかったのですが…。海津大崎の桜並木を見ながら走ると、歴史学的にも大変有名な「菅浦」集落に辿り着きます。菅浦に着いた頃には、すでに辺りは薄暗くなりかけていました。奥琵琶湖の墨絵のような幻想的な風景が広がっていました。

最澄がプロデュースした世界

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■土曜日の晩に、突然、発熱してしまいました。普段、比較的健康に暮らしているし、熱が出ることもないので、37℃を超えると辛くなり、38度を超えると相当に辛くなります。もう、ふらふらになります。38℃越えの熱はまったく下がらず、翌日はずっと布団の中で過ごさねばなりませんでした。「これはもうあかん…」と、家族に頼んで市販の解熱剤を薬局で買ってきて飲んだところ、少しずつ熱は下がってきました。しかし、「こんなに急に熱が出るって、ひょっとしてインフルエンザ」との思いが消えず、職場の皆さんにも迷惑をかけると困るし…との思いもあり、医師の診断を受けることにしました(大学も含めて学校という場所では、あっという間に病気は広がってしまいます)。幸いにも、インフルエンザではないという診断をいただきました。喉が腫れているので、喉かららウイルスが侵入し発熱をしたのではないか…とのことでした。熱は下がってきましたが、今度は喉が痛みが相当にひどくなってきました。鼻水も止まらなくなりました。せっかくの連休なのですが…。初日の土曜日は、良いスタートを切ったのですが…。

■さて、土曜日は、私にとって連休の初日でした。「天気が良いので、どこかに出かけたい」という家族の強いリクエストがあり、いろいろ考えた末に、比良山系にある「びわ湖バレイ」に出かけてみることにしました。ちょうど天気も良く、五月晴れで空も澄み渡っていたので、「びわ湖バレイ」に登ると大きな琵琶湖が良く見えるに違いないない思ったのです。奈良から大津に転居したこともあり、以前とは違い、「びわ湖バレイ」も随分近くになりました。

■ところで、私は長年にわたって琵琶湖や琵琶湖流域に関して研究をしてきましたが、これまでこの「びわ湖バレイ」に登ったことがありませんでした。これは、なかなか信じてもらえないのですが…。「関西人であれば、普通、家族の行楽でびわ湖バレイに行くもんちゃうの」というご意見もあろうかと思いますが、本当に行ったことがなかったのです。というわけで、今回、人生初の「びわ湖バレイ」。家族のリクエストという側面もありますが、私自身も素敵な経験ができました。

■「びわ湖バレイ」は、スキー場として開発されました。琵琶湖の西側、湖西地域にある比良山系にはたくさんの山々が連なっています。その中の、打見山から蓬莱山にかけての幅広い稜線上に、スキー場のゲレンデが広がっています。そこが「びわ湖バレイ」です。もちろん、スキーは冬だけです。それ以外のシーズンには、高原公園として多くのひとびとが行楽に訪れます。もともとは、産業経済新聞社が1965年に開設したスキー場です。50歳以上の年代の皆さんは、この「サンケイバレイ」という言葉に馴染みがあるのではないでしょうか。

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■それとはともかく、トッブの写真をご覧ください。これは蓬莱山から撮った風景です。空のように見えるのは琵琶湖です。琵琶湖の向こう側には、湖東の地域が広がっています。近江八幡市にある沖島も確認できますね。彦根市の荒神山もわかります。スケール感を出すため…ではないのですが、赤い服を着ているのは私です。家族が撮ってくれました。しかし、これでも実際に見た時に感じるスケール感とはかなりの落差があります。下は、iPhone6 plusのパノラマ機能で撮ったものです。この蓬莱さんの山頂に立つと、右側は大津の街が見えます。「プリンスホテル」やオペラハウスである「びわ湖ホール」が確認できます。また左側を見ると、湖北の奥琵琶湖も薄ぼんやりではありますが見えてきます。土曜日は、竹生島もわかりました。きっと、空気が澄み渡った冬期であれば、大津の街から、伊吹山や湖北の山々まではっきりと見えるのでしょうね。

■下の4枚の写真は、そのパノラマの風景を、4回に分けて撮ったものです。上段左は、打見山から湖北方面を撮ったものです。上段右は、湖東方面。下段左は、野洲や守山、そして堅田方面。下段右は、比叡山や京都方面になります(京都の街は見えませんが…)。「びわ湖バレイ」の一番南端、蓬莱山が南に緩やかに斜面になっていく直前のところに、このようにお地蔵様が並んでいました。

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■ところで、この様な風景を見ながら、家族が質問をしてきました。「琵琶湖は、なぜ琵琶湖という名前なのか」という質問です。楽器の琵琶に似ているから琵琶湖…というのは、よく知られています。南湖が左で弦を押さえる部分、一般に弦楽器では指板ないしはフレットと呼ばれる部分です。それに対して大きな北湖は、琵琶の本体、胴の部分にあたるのわけです。ちなみに、この様な名前の由来については、歴史学者の木村至宏先生のご著書『琵琶湖-その呼称の由来』が有名です。ごく簡単な説明であれば、同じく木村先生が『琵琶湖ハンドブック』の中でも「『琵琶湖』の名前」というタイトルで解説されています。以下は、引用です。

琵琶湖の名前は、湖の歴史に比べて新しく、16世紀初頭が最初で、広く知られるようになったのは今から320年前である。それまでは近淡海、淡 海、水海、湖などと呼ばれていた。名前は湖上に浮かぶ竹生島にまつられている弁才天に典拠。弁才天がもつ楽器の琵琶が湖の形状に似ていることに由来する。それと琵琶が奏でる音色と湖水のさざ波と相似していたことも密接な関係がある。

弁才天の持つ琵琶が、どうして湖の形状に似ているといわれるようになったのであろうか 。前出の『渓嵐拾葉集』の編述者は 、比叡山延暦寺の学僧光宗であるが、おそらく眼下に広がる湖を日々眺望して、楽器琵琶から湖の形状を観想をしたに違いない。上空から見ることのできない時代に、驚くべき洞察力といえるだろう。また『同書』には弁才天は湖とともに比叡山を守る神として位置付けられている。

■琵琶湖の名前の由来が、直接的に琵琶湖の形に似ていることからきているにしても、その背景には、天台宗・比叡山延暦寺、竹生島の弁財天などの宗教の存在があることがわかります。実際、2015年には、琵琶湖は、「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」として文化庁の「日本遺産」に選定されています。以下が、その選定理由になったストーリーの概要です。

「穢れを除き、病を癒すものとして祀られてきた水。仏教の普及とともに東方にあっては、瑠璃色に輝く「水の浄土」の教主・薬師如来が広く信仰されてきた。琵琶湖では、「水の浄土」を臨んで多くの寺社が建立され、今日も多くの人々を惹きつけている。また、くらしには、 山から水を引いた古式水道や湧き水を使いながら汚さないルールが伝わっている。湖辺の集落や湖中の島では、米と魚を活用した鮒ずしなどの独自の食文化やエリなどの漁法が育まれた。多くの生き物を育む水郷や水辺の景観は、芸術や庭園に取り上げられてきたが、近年では、水と人の営みが 調和した文化的景観として、多くの現代人をひきつけている。ここには、日本人の高度な「水の文化」の歴史が集積されている。」

■この琵琶湖、水、そして天台宗・薬師如来の関係については、長年にわたり滋賀県の文化財保護に関して活躍されてきた大沼芳幸さんが、興味深い文章を書いておられます。これは、産経新聞に掲載された「びわこの考湖学 第2部」の第25回「多数の薬師如来古仏 清らかな水の世界の盟主」です。私が興味深く思った部分を引用します。

平安時代後期の歌謡集「梁塵秘抄」には、琵琶湖を次のように表現しています。「近江湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし」すなわち、平安時代の人々は、琵琶湖を天台宗の根本如来である、薬師如来の浄土と意識していたことがわかります。

民が栄え、国が栄えるために最も必要なことは何でしょうか?それは、豊かな実りであり、その実りをもたらすものは「水」です。そして水は、すべての命を育む神聖なものです。最澄にとって、水を祈りの対象とすることが、彼の理想を成就させるために、不可欠な要件だったのではなかったのでしょうか。

薬師如来の本当の名前は「薬師瑠璃光如来」。瑠璃の光とは「水の光」です。すなわち薬師如来は清らかな水の世界の盟主なのです。なおかつ、薬師如来が住まう浄土は「東方浄土」とされています。比叡山の東に広がるのは「琵琶湖」です。最澄にとつて、水に祈り、水の力を得るための聖地として、東方に生命あふれる琵琶湖が広がる、比叡山の地を選んだことは、いわば必然だったのかもしれません。ただ、最澄が初めて琵琶湖を「浄土」として位置付けたわけではないと思います。それ以前から近江には、琵琶湖を神の住まうところとして神聖視するアニミズム的な心象が根付いており、これを最澄が仏教の世界に再編したのでしょう。そして、琵琶湖に注ぐ水の源である山々に、次々と山寺が建立され、ここに、「水のカミ」である薬師如来が安置されたのです。このことが、近江に特異的に多く残る薬師如来古物の秘密なのです。この水のコスモスともいうべき世界をプロデュースした最澄の名に「澄」の字が含まれていることにも、深い意味があるのではないでしょうか。

■大沼さんの考えは、近江盆地と琵琶湖が生み出す水に対する土着の信仰を、仏教が取り込み(習合し)、最澄が一つの宗教的世界としてプロデュースした…というものです。近江盆地の山々から琵琶湖へと注ぐ水。水のネットワークを通して生み出される世界。これは、現在、「将来の琵琶湖のあるべき姿」として環境政策的に目指されていることの根底の考え方と重なり合っているようにも思います。非常に興味深く思いました。残念ながら、私自身は、文化史や宗教史に関する教養が乏しく、大沼さんのお考えを導きに、最低限のことをもう少し勉強しないと…と思いながら、ふとこんなことを妄想しました。もし、最澄が現在に蘇り、戦後の琵琶湖や琵琶湖の周囲で行われてきた様々な開発事業を目にした時、どのように考えるだろうな…、そのような妄想です。民が栄え、国が栄えるために行われたはずの様々な開発事業が、結果として何をもたらしたのか、おそらく最澄は鋭く批判することでしょうね。

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■話しを戻しましょう。「びわ湖バレイ」では、雄大な琵琶湖の風景を楽しむだけではなく、満開の水仙の花も楽しみました。「びわ湖バレイ」の蓬莱山の左斜面には、30万株もの水仙が植えられている「水仙の丘」があります。関西で水仙というと淡路島が有名ですが、この「びわ湖バレイ」の「水仙の丘」も本当に素晴らしいものでした。遠くから見ると、斜面に、黄色いに点々が散らばってるいようにしか見えないのですが、そばに行って「水仙の丘」を登ると、この写真のような素晴らしい風景を楽しむことができます。もちろん、人工的に植栽されたものだと思いますが、とても感動しました。水仙は、ヨーロッパの地中海沿岸が現在地との事ですが、日本には中国を経由して伝わってきたそうです。その名前も、いろいろ調べてみると、中国では、その名の通り「水の仙人」、言い換えれば「水の神の化身」や「水の精の成り代わり」に例えられていたようです。なるほど、「梁塵秘抄」で「近江湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし」と歌われた琵琶湖にふさわしい花なのかしれません。

■体調はあまりよくないのですが、それでもこの長文をエントリーするまでには、体力は回復してきました。ひょっとすると、スケールの大きい琵琶湖の風景に圧倒されて?!、発熱したのかも…しれませんね。

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