「龍谷大学シンポジウム-日本料理の国境線-」

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■一昨日は東京に宿泊しましが、翌日の昼前には関西に戻ってきました。龍谷大学「食の嗜好研究センター」が企画した「日本料理の国境線」というシンポジウムが、「ANAクラウンプラザホテル京都」の「平安の間」で開催されたからです。私は研究部の一員として、来賓の接遇等、終日、事務局の仕事を務めました。このシンポジウムには、「食の嗜好研究センター」のセンター長である伏木亨農学部教授や、同センターの研究員である京都の老舗料亭の料理人の皆さんによって企画されました。世界的に日本料理の評価が高まっていますが、日本料理の伝統を残しながらどのように料理として進化させていくのか、そのせめぎ合いといいますか、間合いといいますか、そのあたりのことを「国境線」という言葉で表現されたようです。大変チャレンジングな企画です。

開会の辞
挨  拶  赤松 徹眞(龍谷大学 学長)

【第1部】
1 趣旨説明 「今なぜ国境線なのか?」
・伏木 亨(龍谷大学農学部 食品栄養学科 教授)
2 研究者VS.料理人
・川崎 寛也(味の素株式会社) vs 才木 充(直心房さいき)
・山崎 英恵(龍谷大学農学部 食品栄養学科 准教授) vs 髙橋 拓児(木乃婦)

【第2部】
3 プレゼンテーション 「国境線はどこにあるのか?」
・栗栖 正博(たん熊北店)
・佐竹 洋治(竹茂楼)
・下口 英樹(平等院表参道竹林)
・宗川 裕志(大和学園日本料理学科長)
・髙橋 義弘(瓢亭)
・中村 元計(相伝 京の味 なかむら)
・村田 吉弘(菊乃井)
・吉田 修久(修伯)
※五十音順
4 対談 「超えるべきか、超えないべきか」
・村田 吉弘 伏木 亨 (司会)山崎 英恵
挨  拶  栗栖 正博(日本料理アカデミー 副理事長)

閉会の辞

■第2部では、京都を代表する料理人の皆さん10人が、それぞれ、西洋料理の食材や調味料を使いながら、これまでの日本料理の国境を超える、あるいは国境上にある創作料理に関してプレゼンテーションを行いました。どこまでが日本料理なのか。とても興味深い内容でした。シンポジウムの会場におられる皆さんも、料理人の皆さんの説明をききながら試食することできました。このようなシンポジウムは聞いたことがありません。facebookにも投稿しましたが、東京の知人からは「なんとゴージャスな」というコメントをいただきました。確かにそうですよね〜。これだけの料理人が集まっておられるのですから。

■日本料理とは何か。どういう条件が、日本料理を成立させているのか。グローバリゼーションの中で近代国民国家の枠組みが揺れ動いていくのと同じように、料理の場合においても、「世界」との出会いの中で「日本」料理とは何かが改めて問い直されているのでしょう。このような問題について考えるとき、食材や調味料に規定される側面はもちろんあるわけですが、それと同時に料理人と食べる人との「相互作用」により生み出されている部分も相当に大きいのだな…と感じました。それは社会や文化の中で構築されてきた集合的な暗黙知のようなものかもしれません。

■「菊乃井」の村田吉弘さんが、このようなことをおっしゃっていました。お若い時に、料理にいろいろ工夫を加えていくと、横から先輩が「もう、その辺にしときや」と忠告をしてくれるのだそうです。「その辺」を超えると、日本料理ではなくなってしまうと先輩は判断されたのです。若い頃の村田さんは、「その辺」とは「どの辺」なのか、それはどういうことなのか、よくわからず先輩たちにいろいろ質問されたようですが、どなたも答えてくれなかったそうです。言語化することが困難だったのではないでしょうか。このようなエピソードも含めて、非常に社会学的なテーマでもあるなと思いました。「味覚と料理の社会学」です。これは、思いつきのような個人的な感想にしか過ぎませんが、日本料理をめぐる研究が、学内の他の学問分野との連携の中でさらに深まっていけば面白いなと思いました。

■シンポジウムは、無事、終了しました。当日は、多くのマスコミ各社にご取材いただき、新聞やテレビ等で報道していただきました。ありがとうございました。また、このシンポジウムの準備にあたってこられた研究部の部・課長や担当職員の皆さんにも心より感謝したいと思います。

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ひさしぶりの東京-「腐る経済」と「JEDI」-

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■鳥取県には智頭町という自治体があります。岡山県と接する智頭町は、平成28年1月1日現在で、人口は7,523人、世帯数は2,746世帯です。小さな自治体です。とても厳しい状況に置かれています。総務大臣を務めたこともある増田寛也さんの「増田リポート」で有名になったのでご存知の方も多いと思いますが、増田さんが座長務める日本創成会議は「消滅可能性」自治体として896の自治体の名前を挙げました。そのリストの中に、この智頭町も含まれているのです。外部から「消滅可能性」自治体などと呼ばれると、普通だとしゅ〜んとしてしまうわけですが、この智頭町は違うのです。以下をお読みください。智頭町の町長さんのメッセージです。

私たちがやっている地域活性化の取り組み

産業の衰退や人口減少を嘆くだけでは何も始まりません。私たちの町は全国的にも珍しいチャレンジを通じて町の活性化に取り組んでいます。

●「森のようちえん」が全国的に注目されています
●日本で唯一の「疎開保険」で都市部からの疎開を受け入れています
●「森林セラピー」で現代のストレス社会をサポートしていきます
●田舎の家に泊まる「民泊」が体験できます

「森のようちえん」は園舎のない幼稚園です。自然環境の中で子どもを育てることで、子どもが持っている感覚や感性を信じ、引き出すことをコンセプトとしています。また、大きな自然災害などに遭われた場合に、1日3食7日分の宿泊施設を提供するという日本で唯一の町の取り組みが「疎開保険」です。さらに、ストレス軽減をおこなう「森林セラピー」や、古き良き田舎のありのままの生活を、実際に生活している住民の中に入って楽しんでいただく「民泊」があります。そして、私たちは日本で最も美しい村連合の一員として、日本の古き良き文化や景観を守っていく取り組みをしています。

私たちを好きになって頂き、応援していただく仲間を増やすには「来ていただくこと」が大事だと考えました。

私たちの魅力は「来て、体験していただくこと」によってお伝えできると考えました。だからこそ、従来型の返礼品ではない、新しい「体験型のふるさと納税」を作りました。私たちの町の寺谷町長自らがガイドをするデラックスツアーを筆頭に、民泊体験、森林セラピーなど、智頭町を知っていただき、好きになっていただけるようなツアーを4つご用しました。ふるさと納税の税収は、さらなる町の魅力づくりに役立てていきます。町の持続可能な自主運営は、一般財源の確保が重要です。このふるさと納税によって、私たちのよりよい町の運営を応援していただけたら、これほど嬉しい事はありません。

■とてもユニークな過疎対策の取り組みですね。うちの学生を連れてこの智頭町にも行ってみたいという気持ちにもなります。ところで、どうして智頭町のことを調べてみたのかというと、実は、鳥取県の智頭町で不思議なパン屋を経営されているご夫婦、渡邉格(いたる)さんと麻里子が東京に来られる、そして青山ブックセンターでトークショーを開催されるということを、その青山ブックセンターに勤務している作田祥介くんに教えてもらったからです。渡邉格さんと麻里子さんは、「タルマーリー」という天然酵母菌のパン屋さんを経営されています(お店の名前は、格・いたるの「タル」と、麻里子の「マーリー」から取ったとのこと)。さらに、渡邉格さんは、「タルマーリー」の経営が軌道に乗るまでのことを、『腐る経済』という本に書いておられます。これが非常に面白い本なのです。ということで、一昨日、東京まで行ってまいりました。

■この本の中には、あの『資本論』のマルクスや、「金本位制」ならぬ「菌本位制」などという言葉も登場します。渡邉格さんは、工業的に生産されたイースト菌ではなくて、それぞれの地域の環境の中にある天然の菌を使ってパンを作っておられます。これは非常に大変な作業なのです。その大変な作業を渡邉さんは、これまた大変苦労しながらやってこられます。しかし、同時に、そのことをとても楽しんでもおられるようにも見えます。資本主義の現代社会の中では、人はお金のために仕方なしに働くことになってしまいます。渡邉さんご夫妻は、仕事を楽しめる仕組みをご自分たちで作ってこられたのです。『腐る経済』の詳しい紹介はここではしませんが、是非、学生の皆さんにも読んでもらいたいなと思いました。30歳までなかなか思うように自分の人生を歩むことができなかった渡邉格さんが、パン屋として自分の生きる道を見出し、麻里子さんという良き伴侶に巡り合い、そして天然の菌でパン作りを始める…そのような格さんの若き日の人生の格闘もこの本には書かれています。この点も、学生の皆さんには興味深いのではないかと思います。

■ご夫妻の経営哲学である「腐る経済」のためには、そして目指しておられる地域内循環のためには、小規模だけど多様な生業をもつ方たちによる相補的なネットワークが必要になります。私には、過疎地域である(素晴らしい環境が残されている)智頭町で、町長が展開されているような過疎対策と、渡邊さんご夫妻の考え方がうまく繋がっているようにも思えました。東京から地方に移住して「腐る経済」を展開していくためには、人との出会い、ネットワークの形成と適切な規模の範囲での拡大…といったことが必要になります。そのあたりのことも、知りたいと思いました。

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■一昨日は、午前中が大学での会議(学長会)、午後からは遺伝子組換え実験に関する会議と、いつものように会議の連続する日だったのですが、その後は15時台の新幹線に飛び乗り、前述の通り東京に向かいました。このタイミングで、是非、「タルマーリー」の渡邉さんご夫妻のお話しを聞いておきたい、聞いておくべきだと「直感的」に判断したからです。何かこの後に、面白い展開になりそうな気がしています。そうなったらいいなと思います。こうやって、「こうなったらいいのにな〜」と心の中で念じていると、いつか面白い出来事の方からやってきたりするのです。

■さて、せっかく東京に行くのだからと、しばらくお会いしていない方たちにも会っていただくことにしました。トークショーが終わった時には21時を過ぎていましたが、快くやってきてくださいました。建築家の玉井一匡さんと写真家の村田賢比古さんです。お2人とは、建築家の秋山東一さんをリーダーとする「JEDI」という活動で仲良くさせていただいてきた方たちです。「JEDI」とは「Japan Earth Divers Institute」のことです(活動の内容は、リンク先にある秋山さんの関連エントリーをご覧ください)。もちろん、「Star Wars」 の「 JEDI」 のことを強く意識しています。この活動の中では、私が一番若手になるのでないかと思います。2005年から始まったこの活動、2011年の3.11までは、けっこう活発に行われていました。私も、関西から参加させていただいていました。諸般の事情から、3.11以降、活動が停滞しています。そのため、親しくしたいただいた皆さんにも、なかなかお会いすることができません。今回は、玉井さんと村田さんに、無理を言って会っていただきました。ありがとうございました。写真のような笑顔の再会になりました。こうやって会ってくださる友人がいることを、とても幸せに思っています。お2人は、お酒を召し上がらないので、青山プックセンターの近くの定食屋さんで定食をいただきながら(私だけビールをいただきながら)、いろいろお話しをさせていただきました。短いですが、楽しい時間を過ごすことができました。心のなかもリフレッシュしました。

■今回の渡邉ご夫妻のトークショーのことを教えてくれた青山ブックセンターの作田くんとも、じっくり話しをしたかったのですが、今回はできませんでした。作田くんとの出会いも、少し不思議なものがありました。当初、私の心算では、一昨日の10日の晩に作田くんと一緒に酒を飲むつもりにしていました。そして翌日11日に、玉井さんや村田さんとお会いする予定にしていました。ところが、11日、大学で開催するシンポジウムに裏方としていなければならないことが判明したのです。そのシンポジウムのことは、次にエントリーしようと思います。

龍谷大学大学院「NPO地方行政コース」の修了生の皆さんと

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■昨日は、火曜日でしたが教授が開催されました。入試判定の関係で、いつもの水曜日から火曜日になったのです。教授会があるときは、昼からまず学科会議があります。学科会議、教授会、大学院の研究科委員会、そして昨日は、大学院の専攻会議も開催されました。昼から19時半近くまで…。会議が長引きました。仕事ですから、たくさんの会議もこなさないといけませんが、心の中では、会議が長引いていることに困っていました。というのも、自分が幹事をする小さな飲み会が、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で開かれることになっていたからです。

■飲み会は18時半から始まることになっていましたが、私が到着した時にはすでに20時になっていました。もちろん、飲み会はすでに盛り上がっていました。昨晩集まってくださったのは、龍谷大学大学院「NPO・地方行政研究コース」で、私の授業を履修されていた、あるいはモグリで授業を受けていた社会人の方たち3名です。深草キャンパスで開講されている「NPO・地方行政研究コース」には、私が所属する社会学研究科から幾つかの科目を提供しており、私が担当している科目はその提供科目のひとつなのです。政策学部部や政策学研究科ができるまでは、私の授業を社会人の方たちがよく履修してくださいました。社会経験の豊富な社会人の方たちを相手に授業をすることは、とても楽しい経験でした。昨晩も、近況の報告と共にいろんな思い出話しをしながら、ずいぶん盛り上がりました。たまたま私の授業を履修してくださった方たちとの「ご縁」、本当にありがたいことだと思っています。また、こういった集まりがあったらいいね…と言う話しから、「大人の私塾」、勉強と交流ができる「場」を作ろうという話しになりました。まだ「夢」や「妄想」のレベルですが、これを皆んなの力で具体的な形にしていければと思っています。

ゼミOGによる「就活メイクセミナー」in 深草キャンパス

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■私のゼミの卒業生である 岩田 麻希さんが、深草キャンパスで「就活メイクセミナー」を開催しました。岩田さんは、化粧品メーカーに勤務されています。今回は、卒業生として母校に恩返しをするような形になりました。「就活メイクセミナー」は、2月4・5日と8・9日の4日にわたって開催されました。彼女の会社の後輩たちも当日はスタッフとして参加されたそうです。4日間で111名の参加者があり、大変好評だったようです。素晴らしい!! 「母校のために、在校生のためにこうやって力になれて嬉しかったです!(在学中はこんなことができるなんて、全く想像も、思いもしてなかったので…笑)」とメッセージを伝えてくれました。嬉しいですね〜。

■私は、岩田さんと大学のキャリアセンターをちょこっとお繋ぎしただけなのですが、キャリアセンターの皆さんがOGである岩田さんの提案に、真摯かつ丁寧に対応してくださったようです。岩田さんは、キャリアセンターのスタッフの皆さん、そして大学の事業法人である「龍谷メルシー株式会社」のスタッフの皆さんに大変感謝されていました。また、こういった形でOB・OGの皆さんには、母校・龍谷大学に貢献していただければと思います。よろしくお願いいたします。

第2回人間社会班の会議

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■今日も総合地球環境学研究所で研究会議が開かれています。昨日はコアメンバーの会議でしたが、今日は社会科学系の研究メンバーの会議です。私は、「人間社会班のタスクとスタンス」という報告をするようにとの指示を受けました。夜明け前から準備をしていたので、寝不足気味です…。しかし、「人間社会班」ってひどいネーミングですが、プロジェクトリーダーの専門が生態学なので、社会科学系はひとグループにまとめられています…。まあ、仕方のないことですけどね。逆の立場、つまり社会科学の分野を専門とする人がプロジェクトの編成を考えた場合はどうなんだろう…って考えると、やはり仕方のないことだと思うわけです。

■とはいえ、プロジェクトのなかでは、社会科学系の研究者の役割は非常に大きいものがあります。人間社会班のリーダーとして、自ら言うのもなんですが、プロジェクトの屋台骨を支えていると言っても良いかと思います。この日は、農村計画学、経済学、そして私のような社会学の研究者が集まり、プロジェクトの核心的な部分について議論を行いました。私たちのプロジェクトを極端に単純化していえば、流域の物質循環、生物多様性、そしてコミュニティに基盤をおいた人びとの集合的な「しあわせ」、それらの間の関係を明らかにしていくことにあります。その際、私たち社会科学系の研究者の役割は、特に、生物多様性と人びとの「しあわせ」との関係のあり方を明らかにするとともに、実践的に、その両者を高めていくための活動を地域の皆さんと展開していくことにあります(この概念の定義は、生態学的な定義をこえてもう少し広がりのあるものとしてとらえていますが…)。

・プロジェクトの概要
・人間社会班のタスクとスタンス
・アクションリサーチについて
・小佐治における調査報告午前中のセッションに対する質疑
・野洲川流域HWアンケート調査報告
・生態系サーピス評価WG今後の計画
・野洲川流域研究における質疑
・ラグナ湖の土地利用研究における提案と展望
・フィリピン・Silang-Santarosa流域におけるアンケート調査
・流域ガバナンスの湖沼間比較

■会議は、午前中の9時半から午後の17時頃まで続きました。睡眠不足もあって、最後はかなり疲れました。とはいえ、参加者の皆さんは、「文理融合」・「超学際」的な私たちの研究プロジェクトに対して、大変意欲的です。ある方は、以前も文理融合を標榜するプロジェクトに参加されたそうですが、融合にはならなかったと語っておられました。融合とはいってもそれは表面的なものであって、個別のディシプリンに基づいた研究成果をステープラーでパチンと閉じたようなものになってしまったのです。そして結果として、文理融合は研究費を獲得するための方便のようなキーワードになってしまっていたわけです。私たちは、「ガチ」で「文理融合」・「超学際」に取り組んでいます。

総合地球環境学研究所に向かってウォーキング

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■土日とも仕事です。昔は、若くて体力もあったので平気だったのですが、最近は寄る年波に勝つことができず、「辛いな…」と思うことが増えてきました。本来であれば、昨日(日曜日)は、「大津市民駅伝」に応援に行く予定でした。職場の仲間と盛り上がってリフレッシュするはずでした。ところが、総合地球環境学研究所の会議が入ってしまいました。もちろん「仕事優先」ですから、「大津市民駅伝」は断念しました。龍大のチームは、今年は事務職員の皆さんのみの参加になりました。チーム名は、「龍谷RunRun」です。私も、かつて2013年と2014年の大会で走りましたが、今回走った皆さんとはレベルが違います。チーム全員で5人ですが、そのうちの4人は、フルマラソンが3時間を切るサブスリーランナーなんです。ですから結果は、さすがの「準優勝」です。すごいですね〜。私は大会後の宴会場の予約と、メニューの確定のお手伝いだけさせていただきました。

■まあ、そういうことでして…、仕事で行けなかった私はちょっと悔しい思いもありました。総合地球環境学研究所に向かう際、最寄りの京都市営地下鉄の「国際会館」駅から研究所までウォーキングをすることにしました。約3kmの距離を、30分で歩きました。歩いている途中、比叡山と叡田の電車を撮影したりと、少し道草もしながらのウォーキングでしたが、健康管理のために医師からは「1日30分の運動をしてください」と言われており、とりあえずこの日の最低の目標は達成したということになります。

■この日の会議は、参加している研究プロジェクトのコアメンバー会議でした。今月末に迫った、研究プロジェクト評価委員会(PEC)の評価が行われることになっているので、そのための準備も含めた会議でした。評価委員の前でのプレゼンテーションの内容を、コアメンバーでチェックしました。それと、来年度の研究予算についても…。年度末の繁忙期に突入しています。今日も、朝9時半から再び総合地球環境学研究所で夕方まで会議です。超・早朝(超・深夜)に起床して、パワーポイントで会議資料も作らねばなりませんでした。ああ、しんど…。

【関連エントリー】
第55回大津市民駅伝
大津市民駅伝、走りました!!

白菜鍋

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■昨晩の晩御飯です。単純な料理ですが、少し前にエントリーした「ピェンロー」と同じく、この「白菜鍋」も最高に美味しいと思っています。冬ならではの料理です。ここに酒と水を入れて、蒸し煮にするだけの超・簡単料理です。白菜がトロトロになる寸前まで蒸し煮にします。これを、大根おろしとポン酢でいただきます。薬味には、一味と白ネギを使った。青ネギでも良いのでしょうが、私が辛味がある方がうまいと思います。今日は、隠し味でもないが、少し昆布茶も使ってみた。柚子なども使うと、少し風味が変わって、別の美味しさに変身するかもしれません。残ったスープは雑炊にしました。これもとても美味しくいただきました。普通の豚肉でかまわないのですが、量がそれなりにあったほうが、美味しくなるように思います。昨晩は「常夜鍋」の予定だったのですがが、豚肉を買い足して、急遽、この「白菜鍋」にしました。白菜の量ですが、大人2人で1/4株の白菜を全て食べることができました。

■写真のように鍋に白菜と豚肉を並べるためにはどうすれば良いのか…。白菜と豚肉をまずは重ねます。白菜、豚肉、白菜、豚肉、白菜と順番に重ねます。白菜は、重ねるたびに葉と軸の向きを逆にすると良いかと思います。そして、7〜8cmほどの長さ(それぞれのご自宅の土鍋の深さに合わせて適当に…)に包丁で切ります。そして、土鍋の中に立てていくのです。簡単です。学生の皆さんにもできます。下宿で友人たちとこの鍋を囲んで、健康を維持してください。

山邊朗子先生を偲ぶ会

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■今日は、私が所属する社会学科の卒論に関連する会議がありました。そのあと、昨年の11月25日にご逝去された山邊朗子先生を偲ぶ会が、瀬田キャンパスの2号館で開催されました。関西の社会福祉学研究の最前線で活躍されてこられた方ということもあり、多くの方たちが参加されていました。私は、たまたま2期4年間にわたり社会学研究科長を務めた関係から、大学院社会学研究科の「東アジアプロジェクト」の一環として、山邊先生と一緒に韓国や中国の大学に何度も訪問いたしました。そのことは、このブログにも書いてまいりました。でも、今日は、ずっと昔むかしの山邊先生との思い出を少しだけ書いておこうと思います。山邊先生の同僚の皆さん、そして先生を慕っておられた多くの院生や学生の皆さんには、どうでも良いことかもしれませんが…。

■山邊先生と最初にお会いしたのは、今から33年前になります。私は母校・関西学院大学の大学院社会学研究科修士課程の1年だった時です。山邊先生は、もともと私と同じ研究科の修士課程で、社会学理論の研究をされていました。アメリカの社会学者であるタルコット・パーソンズの社会学理論に関する研究です。しかし、その後、同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻に進学され、福祉学の道を歩まれました。私が山邊先生とお会いしたのは、先生が同志社の修士課程に在籍されている時のことでした。山邊先生と私との共通の先輩に当たる方のご自宅でホームパーティが開かれ、そこでお会いしたのです。まだご結婚されていませんでした。お名前は旧姓でした。この時のことを非常によく覚えているのですが、それはなぜか。正直に書きますが、とてもお美しく目だっておられたからです。山邊先生は、そのパーティで、明るくおしゃべりされていましたが、その話し方には、結構ストレートで辛辣な部分がありました。見た目の様子とのギャップ…と言いますか、そのようなこともあって、深く記憶することになったのかと思います。

■私は2004年から龍谷大学に勤務しています。勤務して数年たった頃だったかと思いますが、瀬田駅で山邊先生とご一緒になりました。そして、時間がないのでタクシーに乗って瀬田キャンパスまで行こうということになりました。その時、お互い関西学院大学の出身であることから、いろいろ関学の話しをしました。そして、たまたま先ほど書いた共通の先輩の話しになり、その先輩のホームパーティのあの場に一緒にいたことも分かったのです。お互いに、大変びっくりしました。ご結婚されてお名前も変わっておられましたし、あれから時間もずいぶん経過していたので分からなかったのです。もっとも、そもそも山邊先生のご記憶の中には、私のことなどは残っていなかったと思いますが…。今日の偲ぶ会では、山邊先生が写った写真のスライドショーが上映されました。その中には、山邊先生が龍大に赴任された頃、お若い頃の写真もありました。そのお写真を見ていると、先輩のホームパーティでお会いした時の先生の面影が浮かんできました。

■山邊先生のご冥福を心からお祈りいたします。

【追記】■韓国に一緒に行った時の写真です。一番左、少しふざけているのが山邊先生です。
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ジョギング再開

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■今月の最後の日曜日に「第7回びわ湖レイクサイドマラソン」が開催されます。私は、第1回から第4回まで出走しましたが、第5回(2014年)は岐阜県への出張で、第6回(2015年)は風邪で出走できませんでした。ランニング自体も、2014年3月の「篠山ABCマラソン」を完走した後、脚を少し故障してストップしたままです。故障は治りました。これまで、何度か復活しそうになりましたが、生活の中にランニングを組み込むことがうまくできませんでした。ということで、2年近く走っていません。意志薄弱…ですね。

■健康管理の方もうまくいっていませんでした。54歳の夏か56歳になる直前まで走っていましたが、その頃は、良いことばかりでした。体重は低下する。身体が締まる(スタイルが良くなる)。血圧が下がる。中性脂肪の数値も低下する。しかし、走るのをやめてしまうと、また元に戻ってしまいました。そして仕事のストレス解消を酒に求めるようになってしまいました。結果として、健康状態については、医師や栄養士といった専門家から、節酒と運動を心掛けるようにと言われる状態にまでなってしまいました。

■そのような状況での「第7回びわ湖レイクサイドマラソン」なのです。健康のために走らねばならなくなりました。ちょうど、良いタイミングと思うようにしています。急に走ると故障するのではないかと心配したので、まずはウォーキングで脚を慣らしてきました。そして今日は、ひさしぶりのジョギングです。約1年ぶりになります。とにかく30分以上、5km以上走ってみることにしました。スピードのことは気にせず走りました。その結果が上の記録です。iPhone6plusのアプリで記録しました。ウォーキングとありますが、これは設定ミス。ランニングです。平均6分31秒/km。まずまずでしょうかね。1年ぶりのジョギングで、走り続けるのはこれぐらいのスピードが限界かと思います。気持ち良く走ることができました。シューズもおニューです。アシックスの「GEL-KAYANO 22」です。カッコイイですよね、このシューズ。この感じで、少しずつ距離を伸ばして本番を迎えようと思います。

喜多文庫民俗芸能資料データベース

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