駒形どぜう

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20140331komagata1.jpg■大学は4月2日の入学式まで春期休暇なのですが、例年にも増して、今年はまったく休んでいる余裕がありませんでした。2月の韓国と3月の中国の海外出張、そのあいだに学内の会議・打ち合せ、そして学外の委員会、そして国内出張が続き、年度末の原稿の提出になども含めて、心身ともに疲れきってしまいました。もちろん、こういう生活を相対化するためにフルマラソンを走っているのですが、あまり練習を蓄積することもできず、タイムもいまいち…、これではストレス解消になりません。というわけで、年度がかわるまでに時間を無理矢理にでもみつけて、小さな旅行をすることにしました。リフレッシュするためです。このまま、ダラダラと新年度を迎えたくなかったのです。

■今回、目指したのは東京です。目的は3つ。(1)おともだちのアコーディオン奏者・岩城里江子さんのライブを楽しむこと。(2)東京で「どじょう」を楽しむこと。(3)岡本太郎記念館を訪問するとともに、渋谷駅にある壁画「明日の神話」をみること。ということで、まずは、「どじょう」のエントリーからです。

■岩城里江子さんのライブは、東京文京区の本郷にある「求道会館」で開催されましたが、ライブのあとは、最寄りの駅「本郷3丁目」から地下鉄・大江戸線に乗って「蔵前」まで。そこから徒歩で浅草にある「駒形どぜう」にいきました。東京の地下鉄の利用の仕方も、だいぶ理解できるようになりました。あたまで移動のプランが描けるようになりました。ところで、この「駒形どぜう」、大変有名などじょうのお店です。関西にいるとなかなかどじょうを食べるチャンスがありません。このお店では、どじょうだけでなく、鯉や鯰等の料理もいただくことができます。東京・江戸といえば、「江戸前」の魚ということで、東京湾の海の魚に意識が向きがちですが、もともとは、江戸の庶民は郊外の農村地帯でとれる淡水魚を重要なタンパク源としてきたのです。農村地帯では、水路や運河が発達していました。淡水魚が生息するのに適当な環境がふんだんに存在していたのです。このことについては、また別の機会に…。

■トップの写真は、「どぜうなべ」です。炭火の上に浅い鋳物の鍋がのっかっています。そこにあらかじめ下味をつけたどじょうが敷き詰められていて、そこに好きなだけネギをのせていただくのです。私は、ささがきごぼうも別に注文して一緒にいただきました。ひさしぶりのどじょう、大満足です。ひさしぶり…。それは、関西では、このような「どぜうなべ」を食べることができないからです。簡単に調べたところ、兵庫県の篠山市や滋賀県の長浜市には、どじょうを食べさせるお店はありましたが、都市部にはみあたりません。関西では、もともとどじょうをいただく食文化があまりないように思います。「駒形どぜう」さんでは、どじょうは、大分県の湯布院や屋久島、それから台湾で養殖されているものを使っておられるようです(この記事を参照)。「駒形どぜう」の公式サイトでも、次のように説明されています。

高度経済成長期にあった1960〜70年代の日本では、経済のみならず環境においても著しい変化が生じました。その影響で私たちはお客様に御満足いただける天然のどぜうを提供することが難しくなってしまいました。そこで店主は優れた品質のどぜうを求めて全国を渡り歩きました。そしてとうとう天然のものにも劣らない優れた品質のどぜうを見つけ出し、皆様にいつでも楽しんでいただけるようになりました。

■食習慣の変化(川魚に対する食の関心がなくなっていった…)だけの問題ではないように思います。強い農薬を使っていた高度成長期に、どじょうが生息できる環境がなくなってしまったこと、河川改修や圃場整備事業などの土木事業により流域の環境が変化してしまったこと…いろいろだとは思いますが、食用に適したどじょうを、安定的に提供できる地域が身近なところになくなってしまったのでしょう。

息子と

20140329kimpai.jpg ■この4月から、息子が社会人になり、大阪で働きます。これで、私の「親業」は終わることになります。「あとは、自分の力で生きていくのだよ、息子よ!」というわけです。ということで、息子をつれて、老母宅にいきました。修士課程を修了したことを報告し、修士の学位記を見せるためです。老母は、ひとしきり「立派やね、立派やね」と繰り返しつつ、喜んでいました。息子は、祖母孝行できたのかもしれませんね。

■そのあとは、そのまま息子と一緒に、梅田にいきました。スーツを買ってやるためです。それに、シャツとネクタイも。サラリーマンとしてやっていくためには、とりあえず、何着かスーツがいりますからね。結局、スーツ2着とシャツとネクタイも2つずつ、就職のお祝いということでプレゼントしました。息子の服装の趣味も初めて知りました。「へ〜〜、そうなんだ…」。意外と地味というか、シックな選択なんですよね。

■さらに、息子と2人で軽く呑みに行きました。しかも、ちょっとだけ梯子酒。1軒目は、私が独身時代に妻といっていた炉端焼きのお店。雰囲気は、まったく当時とかわっていませんでした。そして2軒目は、いつもいっている新梅田食堂街の「金盃」という立ち飲みのお店。このお店の名物の「エッグ」*と「焼き味噌」をあてに、ちょっとだけ梯子酒でした。なかなか充実した休日でした。

*「エッグ」:小さな陶器の器でオイルを熱して、そこに卵を割っていれてある…だけだと思います。かき回していると、よい具合にトロッとした味わいに仕上がるのです。

京都大学のCOC事業「COCOLO域」

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■以前、京都大学がCOC事業に応募したときいて驚きました。というのも、COC事業は、すべての大学に開かれているとはいえ、地方の国公立大学のために…という風の噂を聞いていたからです(あくまで噂ですけどね…)。先端研究のみならず、こういった地域連携事業についても大学改革のなかで推進しようとされているのですね。

■正式名称は「KYOTO未来想像拠点整備事業-社会変革期を担う人材養成」。「地域のみなさま(団体・企業)と、京都大学の教職員・学生のコラボレーションで、『京都の各地域の課題を解決する』ことを目指した、京都大学による『大学COC事業』」。京都に関する講義を行う「まなびよし」、フィールドで実際の問題と向き合う「いきよし」、地域のワンストップ窓口や地域連携事業を担う「つなぎよし」といった活動を通して地域課題の解決に向かうのだそうです。「〜よし」というのは京都弁ですね。さてさて、どんな活動が行われるのか注目したいと思います。地域連携の分野も、大学間で競争状況に入っているような気がします。だからこそ、その「実質」や「結果」、そして地域社会からの「評価」が問題になってくるのです。これまでのように、「うちは地域連携をやっていますよ」というだけでは通用しなくなっているのだと思います。

■ちなみに、COC事業とは、以下の通りです。

『地(知)の拠点整備事業(大学COC事業)』とは、文部科学省の補助事業です。以下の3点を目的とされています。
1.好循環の創出
地域の課題(ニーズ)と大学の資源(シーズ)のマッチングにより、地域と大学が必要と考える取組を全学的に実施
大学は自らがもつ“知”を地域再生・活性化のために活用し、また地域は自らがもつ“教育力”を大学に還元
2.地域課題に対する応答性向上のためのガバナンス改革
学内組織が有機的に連携し、「地域のための大学」として全学的に地域再生・活性化に取り組み、将来的に教育カリキュラム・教育組織の改革につなげる
3.学外との組織力向上
協定の締結や対話の場の設定等により、大学と自治体・地元企業等が組織的・実質的に協力できる環境の構築をめざす

【追記】■facebookの公式ページもあります。そのなかに、次のような記事がありました。「COC事業評議会」に関する記事です。どのような推進体制で取り組んでいるのか、少しだけ垣間見えるような気がします。いろんな意味で、興味深いです。

本日は、第1回COC事業評議会が開催されました!
COC事業評議会とは、学内からは総長、副学長(教育担当)、関連部局長、学外からは「京都の未来を考える懇話会」のメンバー(京都府知事、京都市長、京都府観光連盟会長、京都商工会議所会頭、京都新聞社会長、池坊次期家元)が委員としてCOCOLO域の基本方針について協議する会議です。
一言で言えば、COCOLO域のトップ会議ですね。
写真は会議後の部屋の様子。
関係者の方々には、年度末の大変お忙しい時期にも関わらず、会議の開催のため色々とご協力をいただきました。
本日の協議会を通じて、COCOLO域は学内外の様々な協力があってこそ成り立つ事業であると、事務局としても改めて痛感しました。
本日の協議をふまえ、教職員・学生・地域住民が、また、学術・文化・産業・行政がしっかり連携していける取組を推進していけるよう努力していきます!

華中師範大学のホームページ

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■先日、華中師範大学を訪問したときのことが、同大学の外国語学院と社会学院のホームページに掲載されました。中国語はよくわからないのですが、かなり協議の内容にまで踏み込んだ記事になっています。トップの画像は、外国語学院のホームページの写真です。左から華中師範大学社会学院の万仁徳先生、私、外国語学院日本語学科の李俄憲先生です。3者で力をあわせて、留学生の受け入れや研究・教育交流を進めていこうという気持ちが伝わってくるでしょうか。

■以下は、その他の今回の訪問に関する記事です。
日本龙谷大学脇田教授一行与我院领导商讨“推荐日语系应届毕业生免试入龙大读研”协定
日本龙谷大学脇田健一教授一行访问我院圆满落幕
胁田健一:希望中国大学生来龙谷大学交流学习

篠山ABCマラソンの結果

20140328fukuchiyama.jpg ■一昨日、宴会を終えて夜中に帰宅すると、「篠山ABCマラソン」の記録が届いていました。すでに、インターネットで自分の成績はわかってはいるのですが、あらためて記録証をいただくと、もっと練習をしなければ…との思いを強くします。タイムは、ネットタイムで4:45:51。この記録証、ゴールしたときの写真までつしています。ゲートの下の左の方で、白いランニングシューズを履いているのが私です。もう、ヘロヘロの状態であることが、全身のヨタヨタした雰囲気からわかります。

■10kmごとのスプリットタイムも載っています。10kmが58:47。10〜20kmが59:16。20〜30kmで1:11:00。このあたりで、ガクンと遅くなります。練習不足です。記憶しているところでは、空腹になり、少し貧血っぽい感じにもなりました。これは事前に食事のとり方を間違っているのです。30〜40kmにいたっては、ドーンと遅くなります。1:17:33。ずいぶん歩いてしまいました。

■このフルマラソンで右脛の下の方を痛めてしまいました。回復するのに2週間ちょっとかかりました。中国への出張のあと、練習を再開しようと思っていましたが、中国で肋骨(の軟骨らしい…)を痛めてしまいました。走るとその衝撃が肋骨にひびきます。診察によれば、肋骨が回復するまで2〜3週間かかるとのことです。仕方ありませんね。朝早く起きて、一番気持ちよく走ることができるシーズンなのかなと思います。悔しいです。

春の宴会

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■昨晩は、お客様を招いての宴会でした。じつに、春らしい宴会でした。

■若い頃は、「懐石料理、なんだか料理にパンチがないな〜」と思っていましたが、歳をとって、やっとこういう和食の美味しさを実感できるようになりました。見て楽しみ、味わって楽しみ、酒と一緒に楽しむ。トータルに楽しめるようになりました。また、味の違いも少しわかるようになってきました。

■写真は、この日の献立の前菜です。桜の小枝が添えられていました。

カテゴリーを分けました

■エントリーのカテゴリー「旅にでます」を、下位カテゴリー「旅にでます国内」、「旅にでます海外」、「旅にでます韓国」、「旅にでます中国」に分けました。

新梅田食堂街でランチ

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■中国から帰国して、1日だけ体を休めました。面倒くさいので(いや、恥ずかしいので…)ここでは理由を書きませんが、左側の肋骨のあたりを痛めてしまったのです。整形外科にも行きましたが、自然治癒を待つだけとのこと。まあ、軽症ですんだわけです。ということで、今日からは、またいつもの日常生活です。まずは、老母の生活介護、そしてそのあとは深草キャンパスで会議とその打ち上げということになります。

■今日の昼食は老母宅に行くときに通過する梅田でとることにしました。中国にいるときは、毎食、品数の多い中華料理。しかもレストランでの会食や宴会になります。すると、品数だけでなく内容も豪華なものになります。それにともない、胃袋も大きくなっていくのです。しかし、帰国してあっというまにシュルシュルと元の大きさに戻ってしまいました。今日は、梅田にある「新梅田食堂街」のなかの洋食屋さんでシンプルなランチです。しかも、お店では「ライトランチ」と呼んでいる軽目のランチをいただきました。

■店に入るには行列に並ばねばなりませんでしたが、店の回転も速く、それほど待たさせれることもありませんでした。人気店なんでしょうね。まず値段。この「ライトランチ」は580円。しかも、ビフカツ(ビーフカツレツ)です。ビフカツをワインで蒸してチーズをかけてあります。味も悪くありません。満足度、かなり高いです。行列ができるわけです。

2014年春の「黄鶴楼」

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■前回のエントリーにも書いたように、武漢市で訪問した障碍者福祉施設は、とても有名な「黄鶴楼」の近くにありました。そのようなことから、万先生(華中師範大学社会学院)が「黄鶴楼」を案内してくださることになりました。私自身は、昨年も連れて行っていただきましたが、今回は一緒に訪中した原田達先生と大塩めぐみ先生が初めてということで、私も一緒に「黄鶴楼」に登ることにしました。じつは遠い昔、まだ30歳半ばの頃にも来たことがあります。ということで、私個人は3回目の登楼ということになりました。

■昨年のことについては、「李白と黄鶴楼」としてエントリーしています。こちにもご覧いただければと思います。李白のこれまた有名な「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)という漢詩について、少し説明しています。前回は、あまり景色がよくありませんでした。写真をご覧いただければわかりますが、今回は、長江の対岸を一応ながめることができました。

20140324bukan4.jpg■対岸とのあいだにかかっている橋があります。大きな橋ですね。武漢長江大橋です。上下2層の構造で、上が4車線の道路と歩道、下が複線の鉄道です。全長は1,670mですから、簡単に歩いて渡ることができますね。空気は悪そうですが、一度、経験をしてみたいものです(わざわざ歩くなんて私がいいだすと、案内してくださる華中師範大学の皆さんは困るかもしれませんね…)。下の鉄道も気になります。京広線というのだそうです。北京と広州とをつなぐ鉄道大動脈というところでしょうか。私たちが「黄鶴楼」から武漢の街を眺めているときも、楼閣の横を列車が通過していきました。ところで、このトップの写真は自分で撮ったものですが気に入りました。ということで、今、パソコンのデスクトップ画面にはりつけています。

【追記】■せっかくですから、1回目の登楼のときのことについても書いておきたいと思います。1回目は、初めて武漢を訪れたときです。だいたい20年ほど前のことかと思います。当時、私は滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備室に勤務していました。滋賀県庁職員でした。琵琶湖博物館の展示等の準備の関係で、館長予定者でもあった三浦泰蔵先生と一緒に、武漢市内の東湖の畔にある中国自然科学院・水性生物研究所を訪問しました。懐かしい思い出です。武漢の水性生物研究所には、その後、博物館の調査の関係で2回ほど訪問していますから、武漢にはこれまでに5回来ている…ということになりますね。少し、三浦先生に関しても調べてみました。じつは、三浦先生は、琵琶湖博物館の館長に就任することなく、1993年にお亡くなりになりました(琵琶湖博物館の開館は1996年)。晩年は、東湖の研究に打ち込んでおられました。以下の文書は、森主一さんが書かれた三浦先生の追悼文です。
三浦泰蔵くんを偲ぶ

華中師範大学での協議と福祉施設の訪問

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■中国出張に関して、もう少しだけエントリーしておきます。

■湖北省・武漢市にある華中師範大学の社会学院と外語学院を訪問し、22日の午前、私たち社会学研究科が進めている「東アジアプロジェクト」に関して、三者で協議を行いました。このことについては、先日のエントリーでもお伝えしました。龍谷大学大学院社会学研究科の福祉学専攻に進学を希望する学生の日本語教育に関しては外語学院日本語学科が、社会福祉学の教育については社会学院が担当し、推薦入試制度を通して優秀な留学生を送り出しす…そのような仕組みが近い将来確実に動き始めるように、3者で努力していくことになりました。3者が相互に補い合い、そのトライアングルの相補的な関係のなかで人材養成を行っていくところが画期的なところかなと思っています。

■トップの画像は、市内にある障碍者福祉施設のひとつを訪問したときのものです。この施設は、大変有名な「黄鶴楼」のすぐそばの繁華街の中にあります。近くのエリアから656人の様々な障碍をもった方たちが通われているとのこです。また、華中師範大学と武漢市政府の民政局が共同で取り組んでおり、このような施設に社会学院の学生たちが実習にやってきています。訪問した日は土曜日ということで施設はお休みでしたが、ソーシャルワーカーの皆さんから様々なお話しをうかがうことができました。写真、左から、お2人はこの施設のソーシャルワーカーの皆さん、私、今回一緒に訪中した大塩先生(社会福祉学)、原田先生(社会学)、ソーシャルワーカーの方、万先生(社会学院)。

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