ハービー・山口写真展(滋賀県立近代美術館)

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■今日は、3月31日。2012年度最後の日でした。日曜日でしたが、瀬田キャンパスにある研究室にいかなくてはいけませんでした。といのも、「大津エンパワねっと」関連の原稿や、大学院の新旧執行部会議(引き継ぎ)関連の資料を作成する必要があったからです。日曜日ですし、自宅で休養したかったのですが…現実は、なかなか厳しいです。

■しかし、研究室に向かう前に少し寄り道をして、「気分転換」をすることもできました。瀬田キャンパスに隣接する文化ゾーンと呼ばれるエリアにある滋賀県立近代美術館で開催されている「ハービー・山口写真展」で素晴らしい写真を観覧してきたのです。たまたま、facebookのお友達から、昨日がこの写真展の最終日であることを教えてもらい、行くことができました。ギリギリ間に合いました。

■私は、ハービー・山口さんのことを存じ上げませんでした。福山雅治さんなど、国内アーティストとのコラボレーションで有名な方のようですが、写真展では、山口さんが撮られた、国内外、普通に生きる市井の人びとのスナップ写真にひきつけられることになりました。山口さんは、生まれてまもなく脊椎カリエスという病気にかかりました。高校生の頃まで、ずっと石膏のコルセットをされていました。幼稚園は腰痛と体力不足でいけず、小学校も体育はずっと見学をされていました。ときには、今でいういじめのような目にもあわれたようです。いつも、周りから疎外され、居場所がなかった。たいへん辛い思いをされたようです。しかし、山口さんは写真をとおして、自分の生き方、そして自分が何故写真を撮るのかに少しずつ気がついていかれるのです。「自分の、そして人の心を優しくする写真を撮ってみたい」と考えるようになるのです。

■『僕の虹、君の星 ときめきと切なさの21の物語』というフォト・エッセー集に、こう書かれています(p.91)。
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中学1年の登校拒否の頃を振り返って、その原因を考えると、それは、寂しさからくる自信のなさ、自信のなさからくる孤独感、そして人より劣っているという失望感だった。そんな僕の心の叫びをわかってくれる人が、あの頃身近に1人とていなかったのは事実だった。誰か1人でもそんな人を、僕は無意識にずっと探していた。

今になって思えば、こうした経験が現在写真を撮る時、憧れていた人の心の美しさや優しさを撮ろうと、僕を駆り立てる感性となって味方してくれているのである。人生の中には、ハンディキャップだと思っていたことが、ある時点で、突然長所に転じ、自分の味方になってくれることがある。自分のやりたいことを探し、自分を最大限に生かせる場所を探すのが人生の旅だとすれば、自分の個性を磨き続けることは人生の螺旋階段だ。さらに上のレベルへと登る階段なのである。決して諦めてはいけない。いくつになっても登り続けなければならない。自分と語れる多くの友がどこかにいて、そして自分をもっと生かせるまだ見ぬ場所が、必ずどこかにあることを信じて。
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■このエッセー集のなかには、次のような話しもあります。山口さんは、大学卒業後、ロンドンに行きます。パンクが爆発的に流行していた時期です。極東の島国からやってきた自信のない山口さんは、1人イギリスの若者の言葉に救われます。「私たちが、いくら髪を染めて化粧を上手くしたからって、あなたの自然の黒い髪や茶色い瞳の色はまったく真似が出来ないものなのよ…それを持っているあなたがうらやましい…」。そのとき山口さんは、「自分が生まれ持っている個性に誇りと自信を持つこと、その個性を磨くことが人生なのだ」と気がつくのです。

■山口さんは、写真家ですが、文章も大変お上手です。私は、『僕の虹、君の星 ときめきと切なさの21の物語』を一気に読んでしまいました。感動しました。山口さんの撮られた写真と、書かれた文章とが見事にシンクロしていました。

リトルヘブン 小さな楽園・幸せの日々

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■宮崎の土呂久で、砒素公害問題についていろいろお話しを伺わせていただいていた時があります。そのときに、知り合いになった芥川仁さんからメールをいただきました。現在、取り組まれている「リトルヘブン 小さな楽園・幸せの日々」というサイトが更新したとのご連絡でした。芥川さんは写真家です。水俣や土呂久に関する写真集を出版されています。しかし、写真集だけではありません。仁さんは、素敵な文章もお書きになります。私が仁さんからいただいたのは『春になりては…椎葉物語』(2003年)ですが、それ以外にも、大変魅力的な魅力的な著書を何冊も出されています。さて、この「リトルヘブン」のトップには、「身近な自然が残る各地を訪ね、自然と共に暮らす人びとの魅力をお伝えしたい。『幸せ』の意味を、改めて考える機会にしていただけばと、願っているからである」と書かれています。仁さんの現代社会に対する思いが込められているように思います。現在、福岡県田川郡赤村、山梨県巨摩郡早川町、京都市右京区嵯峨、香川県木田郡三木町といった4地域の写真とエッセーが掲載されています。読む人を幸せにします。ぜひ、ご覧ください。

沈丁花

20130328flower.jpg ■沈丁花(じんちょうげ)は、早春の花です。先日、瀬田キャンパスにいくバスをまっているとき、ふと鼻先に良い匂いがかすめたのでした。匂いといいますか、素敵な香りですね。周りを見渡すと、花壇に沈丁花が植えられていました。園芸植物のことがよくわかっていないせいか、これまで気がつくこともありませんでした。

■園芸植物にあまり関心のないのですが、それでも気になり調べてみると、沈丁花は雌雄異株であり、雌株はほとんどなく挿し木で増やすのだそうです。また、その名前も、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(ちょうじ・クローブ)のような花をつけることからつけられたのだとか。なるほど、なのですが、丁子はわかるとして、沈香とは…。

■ネットで調べると、こんな解説がありました。「沈香とは、東南アジア諸国の密林で沈丁花科アキラリア属の喬木から採取される香木です。…一般的にインドシナ半島産は破片状で甘い香りが比較的強く、上質で高価です。切り株の上面が雨風に晒され、腐り始めると木はその面の下から樹脂(ヤニ)を送り、腐敗が進まないように防御します。樹脂の層が長い年月の間に厚く成長し、ある種のバクテリアの働きで沈香となります。また、傷ついたり、虫食いの穴ができると同様な反応でその周囲に樹脂の層が出来て沈香になるのです。生きている木から採取する場合や、朽ち果てて埋もれた木から採取する場合があります」。

■テレビ番組のようですが、以下の動画にも詳しく解説してあります。あっ…沈丁花の話しからずいぶんはずれてしまいましたね…(^^;;。

李白と黄鶴楼

20130327wuhan1.jpg ■22日(金)、武漢から上海経由で大阪まで戻りました。帰国の便は午後14時でしたので、午前中は何も予定も入っておらず空いていました。そこで華中師範大学社会学院の皆さんのご好意で、有名な黄鶴楼と武漢博物館を見学することになりました。じつは、今から20年程前、始めて武漢を訪れたさいにも見学をしているのですが、今回は通訳のために同行してくれた留学生Hさんの希望もあり、一緒に見学をすることにしたのでした。2度目になりますが、改めて見学してよかったと思っています。20年の時間が経過し、李白の漢詩を味わうことができるだけの年齢になってきたのかもしれません。

■黄鶴楼は、武漢市の武昌区にある丘の上にあります。「江南三大名楼」のひとつとして大変有名です(現在のものは、1980年代に再建されたものです)。丘の上にあるため、黄鶴楼の最上階からは、長江を見渡せます。李白(701年〜762年)の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)という漢詩によって大変知られた楼閣でもあります。

■三国時代は魏の領地で、ここには見張りのための楼閣がつくられたのだそうです。それが、始まりなんだとか。李白が生きた唐の時代には、ここで酒盛りの宴会などが行われていたそうです。で、なぜ、黄色の鶴の楼閣なのか…ということですが、次のような言い伝えがあります。wikipediaからの引用ですが、次のようなものです。

昔、辛氏という人の酒屋があった。そこにみすぼらしい身なりをした仙人がやってきて、酒を飲ませて欲しいという。辛氏は嫌な顔一つせず、ただで酒を飲ませ、それが半年くらい続いた。 ある日、道士は辛氏に向かって「酒代が溜まっているが、金がない」と言い、代わりに店の壁にみかんの皮で黄色い鶴を描き、去っていった。 客が手拍子を打ち歌うと、それに合わせて壁の鶴が舞った。そのことが評判となって店が繁盛し、辛氏は巨万の富を築いた。その後、再び店に仙人が現れ、笛を吹くと黄色い鶴が壁を抜け出してきた。仙人はその背にまたがり、白雲に乗って飛び去った。辛氏はこれを記念して楼閣を築き、黄鶴楼と名付けたという。

■黄鶴楼には、こんな面白い言い伝えがあるのですね。壁から鶴が抜け出して、仙人と一緒に飛び去る…いかにも中国らしいロマンチックというかファンタジックな伝説です。前回訪問したときには、私もまだ若く、あまりこのようなことに関心をもてなかったのでしょう。今回の見学でやっとこの楼閣を、そして李白の漢詩を「味わう」ことができました。李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」ですが、以下のような漢詩です。『李白 巨大なる野放図』(宇野直人・江原正士、平凡社)をもとに、日本語の意味も書いておきましょう。

黄鶴楼送孟浩然之広陵

故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
烟花三月下揚州 煙花 三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽 孤帆(こはん)の遠影 碧空(へきくう)に尽き
唯見長江天際流 唯(た)だ 見る 長江の天際(てんさい)に流るるを

舟に乗って東へ行く、ふるい友達の孟浩然先生は、出発直後、西を振り返って、私が立っているこの黄鶴楼に別れを告げる。
美しい春景色が広がる三月、賑やかな揚州の街をめざして下ってゆく。
孟浩然先生が乗った、たった一艘の帆かけ舟の遠い姿は、やがて碧空に消えていく。
あとにはただ長江が、空の果てに向かって滔々と流れていくのが見えるだけである。

*故人:亡くなった人という意味ではなく、古い友達という意味です。

■孟浩然は、李白よりも一回りちかく年上の詩人です。李白は兄貴として慕い尊敬していたようです。孟浩然も李白も、詩人としては大変有名ですが、同時に科挙に合格できなかった人たちです。大人になるということは、思い通りにならない現実を、きちんと受け止めることができることでもあります。科挙という官職を得るための試験に合格できない境遇を共有しつつ、この2人のあいだには、漢詩を通じて生まれた深い大人の友情のようなものを感じとることができます。丘の上にある黄鶴楼から、長江を帆船でくだる先輩詩人・孟浩然を見送る李白。「あとにはただ長江が、空の果てに向かって滔々と流れていくのが見えるだけである」という描写、いいですね〜…しみじみ。

■ところで、私たち日本人は、漢詩を訓読みします。ストレートに意味で理解しようとします。しかし、詩は本来は耳から入る音であるはずです。音を身体でまずは受け止めることが必要なように思います。しかし、中国語をしらなければ、そのような経験をなかなか理解することができません。この、動画をご覧ください。 動画では、中国人の女性が「黄鶴楼送孟浩然之広陵」を詠んでいます。漢詩は、古体詩と近体詩の2種類があり、後者の近体詩は唐の時代の初期に確立した規則や約束によってつくられる定型詩です。この定型詩が生み出す美しい音、心に染み入るような音、中国語がわからなくてもそのようなことを感じとることができます。いいですね〜…しみじみ。

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■この写真は、黄鶴楼の最上階から撮った武漢の風景です。長江にかかっている橋は、武漢長江大橋です。ソ連の援助によって中国建国8年後の1957年に完成した橋です。李白の詩のなかにある「煙花」とは、春のもやのなかに咲く花なのだそうです。この季節、春霞といいますかもやがかかるのが、この地域のもともとの風景なのでしょう。この写真も対岸がよくみえません。でも、これはもう、もや…というよりもスモッグの影響の方が強いのでなはいかと思います。中国の環境問題、大変です。

中国に出張

20130326chaina.jpg■先週のことになりますが、3月18日(月)から22日(金)まで、中国に出張してきましきました。すでに、3月9日アップしたエントリーでもお伝えしたことの繰り返しになりますが、説明させてください。

■龍谷大学大学院社会学研究科では、日本の社会福祉学の蓄積を生かしつつ、アジアでの専門家養成を進めるために「東アジアプロジェクト」を立ち上げ、急速に少子高齢化が進む中国や韓国の大学などとも研究交流を深めながら、社会福祉を担う国際的な人材育成を進めています。今回は、このプロジェクトの関連で、中国の浙江省寧波市にある寧波大学外語学院と、湖北省武漢市にある華中師範大学社会学院、そして外語学院を訪問してきました。この2大学と龍谷大学とは、すでに国際交流に関わる「覚書」を締結していますが、今回は、さらに「一般協定」を締結し、「留学生受け入れ」や「教育研究交流」に関わる事業を実施できるように、2校の関係者のみなさんと協議を行ってきました。

■両大学の関係者からは、できるだけ早く一般協定を締結し、その上で、留学生の日本への受け入れ、日中の学生の短期交流プログラム、教育の研究交流プログラムの実現に取り組んでいけたらとさまざまなご意見やご要望をお聞きかせいただきました。大変前向きに、龍谷大学との連携を考えておられ、研究科長としても一安心。新年度からさっそく「一般協定」締結や具体的なプログラムの実現に向けて作業に入っていきたいと思います。

■今回は、このような協議ばかりでなく、華中師範大学外語学院日本語学科では講演も行いました。日本語学科ということで、全員きちんと日本語を聞き・話せる学生ばかりなので、私のような中国語のできない者でも講演することができるのです。今回は、「日本人の伝統的自然観とは」という題目で話しをさせていただきました。学生の皆さんの反応は大変よく、ちょっと華中師範大学の先生たちがうらやましくなりました…(^^;;。写真は、私の講演のために用意してくださったポスターの前で撮ったものです。背景の壁には、古代中国の青銅器の楽器です。華中師範大学のある武漢は、青銅器の出土で大変有名で、1978年に湖北省の随県にある曽侯乙墓から発掘された曾候乙の編鐘という楽器が武漢博物館に展示されています。壁面のレリーフは、この曾候乙の編鐘だと思われます。


■この動画は、その曾候乙の編鐘の演奏のようです。訪中時にお世話になった両校の先生方、ありがとうございました。 谢谢!!

懐かしの岩手へ!

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■3月15日(金)に開催された卒業式の翌日、1泊2日で岩手県に行ってまいりました。トップの写真は、盛岡市の中心市街地にある開運橋から撮影した岩手山です。どうですか、盛岡や周辺の地域では、このような風景が街中からみえるのですよ!! 「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」 (石川啄木)。おそらく啄木が見た岩手山の方角は違っていたとは思いますが、岩手山のこの「存在感」は、啄木の生きた時代も今もかわりません。

■私は、かつて岩手県立大学総合政策学部に勤務していました。その頃、盛岡市郊外の教員住宅に暮らしていましたが、岩手山をみながら通勤していました。本当に、幸せな気持になりました。盛岡市や周辺にお住まいの皆さんは、きっと岩手山に包み込まれるような、そんな気持ちとともに暮らしておられるはずです。啄木がいうとおり「ふるさとの山はありがたきかな」なのです。

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■岩手山は本当に素晴らしいのですが、もちろん、今回岩手を訪問したことの目的は別にありました。岩手県立大学総合政策学部勤務時代にお世話になったソフトウエア情報学部・伊藤憲三先生の退職記念の最終講義と記念パーティに参加するためでした。伊藤先生とは学部は違いますが、教員住宅近くの呑み屋(「三鶴」)で酒を楽しみつつ、いろいろな話題で楽しい時を過ごさせていただきました。また、いろいろアドバイスやサジェスチョンもいただきました。また伊藤先生の研究室には、当時、私が取り組んでいた流域管理に関する研究プロジェクトにもお力添えをいただきました。写真の左側は、伊藤憲三先生です。

■伊藤先生の退職記念パーティは盛岡駅前のホテルのレストランで開催されました。パーティ終了後は、かつての教え子の皆さんと9年ぶりに再会することになりました。私は2004年から龍谷大学社会学部に異動したのですが、2003年まで私のゼミに所属していたOAさん、そして私の地域調査実習を履修していたさSMさんが、私が盛岡に来ることを知って会いにきてくれたのです(写真右)。彼女たちとも、夜遅くまで楽しく過ごすことができました。ありがとう!! また、岩手で同窓会をしましょう~!!

大津エンパワねっと3期生も卒業

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■3月15日に行われた卒業式(学位記、卒業証書・学位記、修了証書授与式)に先立ち、社会学部の「大津エンパワねっと」3期生の「卒業の集い」が開催されました。残念ながら全員が集まることはできませんでしたが、慌ただしいなか、これだけの3期生が集まってくれました。ご覧のとおり、みんな「エエ顔」されてますね~。「エンパワ」の経験を活かして、卒業してからも活躍してくれ!!

2012年度卒業式

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■一週間以上前、先々週の金曜日、3月15日に「2012年度 学位記、卒業証書・学位記、修了証書授与式(社会学部、社会学研究科)」=卒業式が行われました。脇田ゼミ8期生16名も無事に卒業をすることができました(卒論指導、大変やったぞ~…)。ここにアップした写真は、卒業した8期生から送ってらったものです。卒業生の皆さん、ありがとうございました。

■写真中段以下の写真は、社会学部同窓会歓迎のパーティのときのものです。龍谷大学では、いわゆる「謝恩会」ではなく、卒業したばかりの学生を新・同窓会メンバーとして同窓会が歓迎する…そのような趣旨でパーティが開催されています。そして、毎年、私たち教員もこのパーティに招待されています(同窓会の皆さん、ありがさうございます)。さて中段の写真の中央、卒業生の皆さんからとても素敵なTシャツをいただきました。私がマラソンを走っていることから、このようなTシャツをプレゼントしてくださいました。また、中段写真の右ですが、手作りの「記念アルバム」をいただき、大変感動しているところです。卒業生の皆さん、心のこもった記念品、本当にありがとうございました。

■脇田ゼミの「北船路米づくり研究会」や卒論に取り組んだ経験は、きっと社会人になってからも活きてくると思います。社会人として活躍されること期待しています。また、年に1回は同窓会を開催するようにいたしましょう。学年監事の杉下佳苗さん、よろしくお願いいたします。

6,000アクセス感謝!

■このホームページに設定しているカウンターの数字が6,000を超えました。5,000を超えたのが2月21日でしたから、ほぼ1ヶ月で、さらに1,000回のアクセスをいただきました。ありがとうございます。

中国に出張しています。

■15日の卒業式、そのあと16・17日は岩手に行き、18日から22日までは中国に出張しています。18・19日は浙江省寧波市にある寧波大学外語学院を訪問し、留学生の受け入れ、研究・教育の交流に関して協議を行いました。20日は、湖北省武漢にある華中師範大学に移動。本日から明日の午前中まで、外語学院と社会学院の教員の皆さんと、やはり留学生の受け入れや研究・教育交流に関する協議を行う予定です。

■ということで、このホームページにあるブログ、しばらく更新がストップしています。

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