芥川龍之介賞受賞作家 綿矢りさ氏特別講演会
▪️昨日は、大宮キャンパス東黌の大教室で、芥川龍之介賞受賞作家である綿矢りささんの特別講演会が開催されました。これは良い機会だとネットで申し込んで参加させていただきました。綿矢さんは、2001年、京都市立紫野高等学校在学中に『インストール』で第38回文藝賞を受賞されました。「高校生が!!」ということで大変話題になりました。その後、早稲田大学に進学され、2004年に『蹴りたい背中」』で芥川賞を受賞されました。綿矢さんの存在が、文学ファンの間だけでなく、そうでない人たちの間でも話題になっていましたので、私もお名前は存じ上げていました。
▪️芥川賞を受賞された2004年は、私がちょうど龍谷大学社会学部に勤務するようになった年でした。その時、担当した「社会調査実習」を履修していた学生さんの中に、綿矢さんと高校時代に同級生だったという方がおられました。どういうわけか、そのことを今でも記憶しています。綿矢さんは、昨日の講演会で40歳だと言っておられたので、その時学生だった方も、今は社会の中堅として働いておられるのでしょうね。
▪️そのような話はともかく、何が言いたいかというと、初期の作品以外は読んだことがなく、私は綿矢さんの良い読者では全然なかったということです。でも、『蹴りたい背中』、『勝手にふるえてろ』、『かわいそうだね?』、『憤死』、『私をくいとめて』、『嫌いなら呼ぶなよ』といった作品のタイトルからは、個人と周囲との乖離、ズレ、不調和のようなものを感じていました。綿矢さんってどのような方なんだろうという思いがあり、講演会に申し込んだのです。13時半から講演会は始まったのですが、会場に到着したのが講演開始10分前で、大教室の隅の方で聞かせて頂こうと思っていたのですが、後ろの方はすでに満員でした。木曜日の3限の授業の学生さんたちが授業の一環として講演会に参加されているようでした。残っている席は前の方にしかありません。ちょっと恥ずかしかったのですが、前から2列目に座らせていただきました。
▪️講演会で、綿矢さんは、京都弁(関西弁)でご自身の思いや経験を話してくださいました。こういう講演会では時々ありますし、学会発表等ではしばしば見かけるのですが、肩に力が入って、自意識のようなものが滲み出て、聴衆の反応を気にしながら話をする…そういうことが全くない方でした。素晴らしい。おそらくは、「素」のままなんだろうなと思います。楽しかったですね。行って良かったなと思います。
▪️講演会は、2部形式でした。第1部は副学長の安藤徹先生(文学部)が綿矢さんにインタビュアーする形で進みました。綿矢さんは、自ら饒舌に語るタイプの方ではないようで、安藤先生が一生懸命聞き出そうと頑張っておられました。第2部では近現代文学を学ぶ大学院生がお2人登壇されて、丁寧に質問をされていました。あらかじめ参加した学生さんたちから集めておいた質問も含めて、それらの質問に対して綿矢さんがお答えになっていました。そのような質疑応答から、作家としての綿矢さんが浮かび上がってくるように思えました。スマホに残したメモを元に思い出すと、以下のようなことをお話しになりました。
・作品の主人公が自分(綿矢さん)に語りかけてくる、その言葉を正確に文字にしていく。時々、主人公がつまらないことを言っているなと思っても、とりあえず残しておく。
・昔は、行き当たりばったりで書いていたが、今はプロットを大体決めてから書いている。しかし、理性で描こうとしても、主人公が大暴走をしてしまうことがある。
・小説を書いていると、パソコンの前ではない時の方がアイデアが湧いてくる。特に、お風呂に入っている時。お風呂の中にメモを持って入れないので、慌てて外に出てメモにアイデアを残したりする。
・書き出しは大切だと思う。主人公の性格、その人らしさが出てくるようにしている。冒頭で読者の心を掴むようにしている。
▪️環境社会学の論文を書いても、文芸作品の創作を自分でした経験はなく、文学に関しても知識や経験が乏しいわけですが、それでも興味深くお話を伺うことができました。主人公やテーマの設定については、もちろん作者である綿矢自身がされているわけです。しかし、その主人公が綿矢さんに語りかけてくる、自分はそれを書き留めているという説明に大変惹かれるものがありました。「主人公の気持ちが乗り移ってきて、擬似体験している時が一番楽しい」とも語っておられました。表現が難しいのですが、「まるで、神から送られてくるメッセージに集中して、そのメッセージを人びとに正しく伝えようとするシャーマンや巫女のようだな」と思いました。シャーマンや巫女には神様が憑依しますから。神からのメッセージに耳を傾けること。それは自分自身の無意識の層にあえて意識を集中させていく作業のように思います。そうそう、村上春樹さんの小説の中によく「井戸」が登場します。執筆するときに自己と向き合い無意識の層に沈潜していく作業を井戸を掘ると表現されているようにも思います。それと似ているなと思いました。特に、「主人公が大暴走してしまう」というあたりについて、村上春樹さんが臨床心理学者の河合隼雄さんとの対談(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)で同様のことを述べておられます。ちょうど、『ねじまき鳥クロニクル』を出版された後のことのようです。
村上 というのは、ぼく自身、小説が自分自身より先に行っている感じがするからんですよね。いまぼくは自身がそのイメージを追いかけている、という感じがある。(91~92頁)
村上 今回ばかりは、自分でも何がなんだかよくわからないのです。たとえば、どうしてこういう行動が出てくるのか、それがどういう意味を持っているのかということが、書いている本人にもわからない。それはぼくにとっては大きいことだったし、それだけに、エネルギーを使わざるをえなかったというとだと思うのです。
河井 芸術作品というのは、絶対にそういうところがあるだろうとぼくは思います。そうでなかったらおもしろくないのではないでしょうか。作者が全部わかってつくっているのは、それは芸術じゃないですね。
▪️どうでしょうか。共通する部分があることをご理解いただけたでしょうか。それから、あと、質問をされた安藤先生や大学院生の皆さんが上手に引き出されたのだと思いますが、綿矢さんの小説の中にはものすごく面白い「比喩表現」がたくさん出てくるということです。ご自身でもそのようなひ比喩表現がすごくお好きなようで、日常生活でも使うことがあるし、それが自分自身の強みともおっしゃっておられました。また、文章に勢いがあるときは、そういう面白い「比喩表現」が自然に出てくるのだそうです。安藤先生によれば、作家の高橋源一郎さんが綿矢さんの比喩表現を高く評価されているそうですね。綿矢さんの良い読者ではないので、改めてきちんと読んで、その比喩表現を楽しんでみたいと思います。
▪️景色の描写についても興味深いことを話されました。安藤先生によれば、『勝手にふるえてろ』の49ページにそのような主人公が見ている風景の説明があるのだそうです。綿矢さんは、「景色とかに自分の心が映ることがある。忘れられない風景。嬉しい悲しいを書くよりも、景色を書いた方が情緒が豊かになる」、そのように説明されていました。
▪️もうひとつだけメモを元にここに書いておきたいことがあります。綿矢さんが影響受けた作家についてです。最近は宇野千代さんだというのです。宇野千代さんは、1996年に98歳で亡くなられた作家です。綿矢さんによれば、宇野さんは、90歳を過ぎた頃から自分は死なない気がすると言っておられようです。客観的に言えば、確実に死に近づいておられのですが、それでも宇野さんの生命のエネルギーが溢れていることに驚かれていました。綿矢さんは、宇野さんの作品を、出版された当時の版で、つまり昔の書籍、古書でお読みになっています。「昔の表現にはこうだったんだ」との発見があるとのこと。そのことが、語彙力を増やしていくことにも通じているようです。
▪️綿矢さんは高校生の時に作家としてデビューしますが、その時に影響を受けたのは太宰治でした。退廃的、死の匂いがするのが好きだったし、普段隠している自分自身の内面で悩んでいることを作品として表現していることに強く共感されたようです。しかし、「今ではそのような共感が薄くなってきた」とも語っておられました。その太宰治は38歳で入水自殺をしています。今の綿矢さんは40歳。年齢では追い越しています。「自然な流れで卒業したなって感じ」、「それが悔しい」とも。悔しいというのは、とても正直ですね。作家として成熟されていかれた証拠かな。デビュー時高校生だった頃の、ヒリヒリするような繊細な感覚とは違うステージに作家として立たれているのではないでしょう。生命力が溢れる宇野千代と、退廃的で死の匂いがする太宰治。両者から影響を受けた年齢が異なっていることを頭の片隅に置きながら、綿矢さんが年齢を重ねるうちに作品群にどのような変化が生まれてくるのか、気になるところです。そのことと関係していると思いますが、初期のご自身の作品を読むと「高校、学校に馴染めなかったんやなと、他人が書いたもののように思える」とも語っておられました。
▪️講演会の最後に、司会の安藤先生が、「学生の皆さん、帰りは書店に寄ってぜひ綿矢さんの本を購入してください」と呼びかけておられました。私は学生ではありませんが、早速、書店に立ち寄りました。『インストール』と『蹴りたい背中』は大昔に読んだように思いますが、加えて、『オーラの発表会』、それから最新作の『パッキパキ北京』等4冊ほど購入しました。時間を見つけて読んでみたいと思います。
▪️特別講演会の後は、大宮キャンパスのお隣にある西本願寺にお参りしました。ちょうど、念仏奉仕団の皆さんが、ご門主と会っておられるところでした。本願寺では、「全国各地から参拝した門信徒などの団体が、本願寺ご門主とのご面接、本山の清掃奉仕、法話等を通じて、仏縁を深め」る活動をされています。ちょうど、そのタイミングでお参りしたということになります。ご門主のお声を初めて直にお聞きしました。