母校訪問

20230530futaba-_junior_high_school.jpg▪️先週、広島に出張しました。保護者懇談会で、保護者の方たちとの懇談が仕事の内容です。その仕事も終わり、その後の教職員や新和会(保護者会)の役員の皆さんとの慰労会も終わった後のことになりますが、卒業した中学校まで1人で歩いてみることにしました。広島市立二葉中学校といいます。宿泊していたホテルは広島駅に隣接していました。そこから母校の中学までは1.2km程度ととても近いのです。母校に行ってみようと思い立ったのは、たぶん21時をすぎていた頃かと思います。

▪️私が二葉中学校を卒業したのは1974年の3月です。ですから、50年近く前のことになります。私の記憶の中に朧げながら残っている広島を、現在の街の様子と結びつけることはかなり難しいです。すっかり変わってしまっています。広島にお住まいの方にお聞きしましたが、広島駅の北側かここ5年ほどで大きく変化したようです。昔はなかったマンションが多数建設されています。母校の後者も、もちろん校舎は建て替えられていました。当たり前ですね。50年前ですから。私たちの頃は、木造2階建ての校舎でした。廊下は油拭きでしたね。戦後になって建てられた校舎だとは思いますが、私が在籍していた頃から、かなり古い建物だったような印象があります。一学年A組からI組までありました。9クラスです。1クラスは40人ほど。当時として、これは多いのかそれほどでもないのか、そのあたりはよくわかりません。

▪️夜、母校の校門の前に立ちながらいろいろ思い出すことがありました。私は、部活動として「技術クラブ」に入っていました。電気はんだごてや電子部品でラジオ等を組み立てる…そのような感じのクラブでした。活動は低調な感じだったような気がします。その頃、アマチュア無線の試験を受けたりもしましたね。2年生の時に電話級アマチュア無線従事者の試験に合格しました。そのような世界に憧れていたんでしょうね。また、3年生の時は生徒会にも入っていました。

▪️話は変わりますが、私の3学年上の先輩に、亡くなった歌手の西城秀樹さんがおられます。

管理者用