君たちがいて、僕が僕がいる。

■龍谷大学宗教部が、Twitterで興味深いツイートをされていました。以下のものです。

■ツイートの中では、喜劇俳優チャーリー浜さんの有名なギャグ「君たちが居て、僕が居る」を、仏教の「縁起の思想」と重ね合わせて解釈されています。なるほど、確かに「縁起」ですね。いろんな苦しみは、「自己」というものが確固たるものとして存在しているという考えや感覚を相対化します。ですから、有名なデカルトの「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム/Cogito ergo sum)とは逆ですね。こちらは、自己と他者との間に確固たる境界があることを前提とするような考え方でしょうか。仏教を研究したわけではないので、素人考えでしかないかもしれませんが、縁起の考え方に基づくと、いつも自己と他者(そして出来事や物事)との境界は揺らいでいる、関係がまずあって、その関係がその時々の人を形作っていく…ということになります。イメージとしては、社会心理学者で社会構成主義を唱えたケネス・J・ガーゲンの発想に近いようにも思います。

■この前の金曜日のことになります。2限は「地域エンパワねっと中央」(社会共生実習)でした。最初に話したのは、この宗教部のツイートでした。さすがにガーゲンのことまでは話しませんでしたが、地域連携型・課題解決型のプロジェクトである「地域エンパワねっと中央」では、地域の皆さん(他者)との関係の中で、活動が進んでいきます。他者との関係の中で、自分たちの活動が意味を持ち、自分たちが潜在的に持っていた力が引き出され、活かされることになるのです。現段階では、まだ、確かな実感を伴って理解することは難しいかもしれませんが、活動をする中で少しずつ「君たちが居て、僕がいる」を実感できるようになるのではないかと思います。そうあって欲しいと思います。

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