映画『きみが死んだあとで』


■1967年、私は9歳でした。あのころ大学生だった人たちは、私よりも9歳以上年上の人たちになります。その10年後、私たちが大学生になった頃は、大学のキャンパスでこのような学生運動の存在をリアルに感じることはほとんどできませんでした。学生運動は急速に衰退していったからです。キャンパスは、スキーやテニスの同好会に夢中になる学生たちで溢れていました。だからこそ、時間があればこの映画「きみが死んだあとで」をみてみたいと思うのですが。私の近くでは、「京都シネマ」で2021年5月29日(土)からになります。コロナがどうなるかな。行けるかな…。以下は、この映画の公式サイトからの転載です。

すべては「第一次羽田闘争=きみの死」からはじまった
青春だけが武器だった、あの“異常に発熱した時代”は何だったのか
1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止を図った「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後過激化する学生運動の端緒となる事件だった。はじめてヘルメットやゲバ棒で武装した学生は羽田空港に通ずる弁天橋で機動隊と激突。そのなかで一人の若者が殺された。山﨑博昭、18歳。機動隊に頭部を乱打されたためか、装甲車に轢かれたためか、死因は諸説あるが、彼の死は同世代の若者に大きな衝撃を与えた。 あれから約半世紀。亡くなった山﨑博昭の高校の同級生たちや当時の運動の中心だった者たちは齢を重ね、山﨑だけが18歳のままだ。生き残った総勢14人が語り継ぐのは美しく輝く青春とその後の悔恨。闘争の勢いとその衰退も振り返りながら、さまざまな記憶と感情が交錯する。青春だけが武器だった、あの“異常に発熱した時代”は何だったのか。「きみの死」はまだ終わっていない。半世紀を経てもなお、その宿題は続いているのだ。

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