ザルツブルグの小道から

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■朝、facebookを覗くと、かつて関西学院大学交響楽団で同級生として一緒に演奏していた島岡現くんの投稿が目に入りました。そこには、こう書いてありました。「ブログ始めました。コロナウイルスのパンデミック下、ザルツブルクでの日記です」。早速、ブログを拝見すると、タイトルは「ザルツブルクの小庭から」。プログのタイトルの下には、次のような説明がありました。「パリとザルツブルクを往復する俳優・音楽家、GEN。コロナウイルスのパンデミックで長期滞在することになった自然豊かなザルツブルク郊外から、妊娠中のパートナーとの生活をリポート」。島岡くんは同級生なので、当然のことながら、還暦を超えたところです。私はすでに孫が生まれて「おじいさんワールド」を邁進していますが、島岡くんは、もうじき父親になるのです。パートナーのアンナさんにはお会いしたことはありませんが、お若い女性のようです。このこと知ったのは、少し前のことになります。島岡くんからfacebookのメッセンジャーで連絡があり、その時のやりとりの中で初めて知りました。大変おめでたいことです。

■島岡くんと私は、学生時代、関西学院交響楽団で所属していました。彼はコントラバスを、私はバイオリンを弾いていました。学生オケの弦楽器奏者は、その多くが初心者です。バイオリンとチェロの一部の人たちは経験者ですが、一部と書いたように、多くは初心者なのです。島岡くんも、そのような初心者でコントラバスを始めました。大変熱心にコントラバスの練習に取り組んでいたように記憶しています。もともと、ピアノを弾いていたように思います。高校時代のあだ名が、確か「山のベートーベン」だったかな。もともと音楽には強い関心を持っていたのです。その島岡くん、その音楽好きが高じて、3回生の途中から1年間アメリカの大学に留学をすることになりました。留学先は、関西学院大学と関係の深い、アメリカのテキサス州ダラスに本部を置く南メソジスト大学でした。帰国後、関西学院大学文学部を卒業して、彼は再び南メソジスト大学の大学院に入学しました。確か芸術学研究科だったかなと思います。そのあとは、ニューヨークに本部のあるジュリアード音楽院に学び、その時にコントラバスの指導を受けた先生がフランスのパリのオケに移動したことから、彼もフランスに渡ります。

■その後のことは、私もよくわかっていないのですが、たまたま、20数年前に科研費の研究でフランスに行った時に、パリで彼と会うことができました。その時はクラシックだけでなく、ジャズなどの様々なジャンルでコントラバス(ベース)を弾いていたように記憶しています。その頃からでしょうか、島岡くんはさらに活動の幅を広げていきます。気がついたら、映画、舞台、それからサーカス…と言った世界で個性的な脇役として活躍する俳優になっていました。びっくりです。確か、声優もしていたのではないかな。そして、気がついたら、今度は島岡くんにはオーストリア人の若いパートナーがいて、さらに気がついたら(先日のことですが)お父さんになると言うのです。ここ10数年、島岡くんはほぼ毎年日本に帰国していたので、そのたび同窓会を開いてきたことから、それなりに彼の暮らしのことを聞いて知っていたつもりではありましたが、父親になるとは思ってもいませんでした。今日、同級生にLINEでそのことが伝わりました。みんなも大変喜んでいました。

■島岡くんのプログのことについて書かないといけませんね。まだ、投稿は1つだけなんですが、パンデミックで大変な状況のオーストリアのザルツブルグの暮らしをこれかも投稿してくれるようです。facebookのメッセンジャーで「自分のため、パートナーと特に生まれてくる子供のための日記として始めたのをふと思いついてブログにしたので特に深い意味は無いのですが。ただ、書き出して見たら書くことがとても楽しいことを発見しました」と伝えてくれました。島岡くんは、特に深い意味は無いと書いていますが、パンデミックの状況の中で、大切なパートナーと一緒にゆったりと過ごし、新しい命の誕生を迎えること、これは島岡くんの人生の中では特別な意味を持った経験になるのではないでしょうか。もし、パンデミックがなかったら、パリとザルツブルグの間を行ったり来たりしていたのでしょうから。これから続く島岡くんの投稿を楽しみにしています。

■そうそう、もうひとつ。最初のこの投稿を読めばわかりますが、彼はテツ(鉄道ファン)でした。学生時代からそうでした。大学に入学した頃は、京都の嵐山にある自宅から阪急電車で西宮の関西学院大学まで通っていて、熱く、阪急電車について語っていました。そのことを思い出しました。

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