「伝統」について

20190519ryukokuwm.jpg
◾️昨日の晩は、仕事を終えてから、瀬田キャンバスにある青朋館の吹奏楽部の練習場に行きました。学生の代表である幹事長のUくんからは、できるだけ出席・参加・来場してほしいと言う年間のイベントをすべて教えてもらっています。昨日は、日曜日にアメリカのワートバーグ大学とのジョイントコンサートが開催されることから、その最後の練習が行われることになっていたので、その様子を拝見しに行きました。

◾️本番のコンサートだけでなく、練習で頑張っておられる様子を、少なくとも1回は見学させていただき、学生の皆さんの音楽的な成長を自分自身も実感できるようになろうと、吹奏楽部の部長に就任するにあたって、自分自身に誓いを立てたからです(大袈裟ですが…)。もちろん、私が練習場にいても何の役にも立たないし、音楽的には実質いなくても良いのですが(^^;;。

◾️今日は自宅で仕事をしていますが、手元にある「創部50周年記念 龍谷大学吹奏楽部」という8枚のCDを聞いています。一気に全部聴くわけにはいかないので、少しだけですけど。まだ、プロの音楽家の指導をしっかりと受ける以前の録音を聴いてみました。1981年の定期演奏会で録音されたものです。録音技術が良くないわけですが(はっきり言ってひどい…)、それ以前に、音楽的にも、現在の全国吹奏楽コンクールの常連となっている今とは比較することもなかなか困難です。こう書くと、当時の大先輩の皆さんには申し訳ないのですが。

◾️とはいえ、当時にの大先輩たちも、多くの課題を乗り越えてこられました。まだ、吹奏楽部ではなく吹奏楽研究会という同好会だった段階で、部員が少ない中、そして部員を説得して、定期演奏会を開催するというのは大変なことだったと思います(第1回定期演奏会は1974年です)。そうやって少しずつ体制を整え、音楽的なレベルも向上させてながら、1983年には、上埜孝先生、そして現在音楽監督をしていただいている若林義人先生による指導が始まります。それから、わずか3年、1986年には全日本吹奏楽コンクールで、若い頃の佐渡裕さんの指揮で演奏を行なっています。音楽監督の若林先生が指揮されるようになったのは1988年からになります。そして1992年には、音楽監督・常任指揮者に就任されます。そして、その年の全国吹奏楽コンクールで金賞を受賞し、その頃から全国トップクラスの実力を持つ吹奏楽部と評価されるようになりました。

◾️ところで、大学は4年間しかいることができません。プロのオーケストラのようなベテラン団員のような人は存在しません。その時々の目標を明確にして、団結して目標を達成することの中で、そして先輩から後輩へと受け継がれる中で、少しずつ「伝統」が集団の中で培われていくのでしょう。定期演奏会を開催する、全国吹奏楽コンクールに出場する、そのコンクールで金賞を受賞する…。それらはすでに大先輩、先輩たちが培って来られた「伝統」の力で成し遂げられてきたわけですが、現在の部員の皆さんは、何を目標に「伝統」を受け継ぎ発展させていくのでしょうか。何を集団として目指すのか。そのことを、何かの折に現役の部員の皆さんにお尋ねしてみようと思います。

◾️私が大学院の時代に指導教授を引き受けていただいた領家穰先生は、母校・関西学院大学アメリカンフットボール部の部長でした。時々、授業のなかでアメリカンフットボールのことを話されていました。当時は、京都大学ギャングスターズがメキメキと成長して、リーグ戦で京大に負けて甲子園ボウルに出場できなくなるような時代でした。音楽とスポーツ、違うかもしれませんが、当時の領家先生が言っておられたことを思い出そうとしている自分がいます。

管理者用