人類進化と「嫉妬」の発生

20180820jinruishinka1.jpg◾️朝日新聞の1面に、哲学者の鷲田清一さんが「折々のことば」を連載されています。それぞれの新聞の記事にはある種の政治的「傾向」が見られ、そのような「傾向」に対する好き嫌いはあると思いますが、そのことは別にして、この鷲田さんのコラムを楽しみにされている方もおられるのではないかと思います。8月16日のコラムのタイトルは、「人生、七味とうがらし」です。どなたの「ことぱ」なのかといえば、「ある占師」です。「ある占師」が言った言葉ということです。鷲田さんは、どこの「ある占師」にそのような言葉を聞いてこられたのかとよく読んでみると、テレビドラマ「ラストチャンス 再生請負人」の中に登場する謎の占師の言葉なのだそうです。私の知らないドラマです。ネットで調べて見ると、テレビ東京のドラマのようですね。番組の公式サイトによれば、この占師をミッキー・カーチスさんが演じておられるようです。

人生、七味とうがらし (ある占師)

うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ。人を翻弄するこれら七つの性(さが)は、いずれも自他の比較に由来する。他人と較(くら)べる中でしか自己を見ることのできない人の宿痾(しゅくあ)であり業であるが、これと正面から向きあうことで人生の味わいもいっそう深まると、テレビ東京系の連続ドラマ「ラストチャンス 再生請負人」(原作・江上剛)に登場する謎の占師は言う。

◾️「なるほど!! うまいこと言うな〜」と唸ってしまいました。人間は一生涯、自己の存在証明に躍起になる動物なのだと指摘した人がいます。その存在証明とは、このコラムの中にある「自他の比較」の中でしか成り立ちません。鷲田さんは、「宿痾」といっています。宿痾とは、「治らない病気」のこと。「業」とは「人が担っている運命や制約」のことです。人間は、このような「自他の比較」から逃れられず、この比較の中で苦しまねばなりません。辛いことですね。それを、「人を翻弄する七つの性(生まれつきの性格)」として整理された点に、「うまいことを言うな〜」と唸ってしまったわけです。しかし、「ねたみ」と「そねみ」ってどう違うんでしょうね。辞書的には両方とも「嫉妬」の意味で同じなんですが…。まあ、それはともかく、「これと正面から向き合うことで人生の味わいもいっそう深まる」というのはいいですね〜。全ての苦しみは、他者との関係が「縁」となって生起することなのです。仏教では、何か実態があるかのような現象も、様々な要因が相互に関係・依存しあって生じている…ということが、基本的な教説になっているかと思います。ですから、「正面から向き合う」と言うことは、その相互に関係・依存しあっている事実を受け入れてそれを解きほぐし、苦しみから少しずつ解放されていく…と言うことでもあるのです。もちろん、私のような凡人には、そこから逃れることはできませんが、向き合うことで「人生、七味とうがらし」を相対化することは、できるのかもしれません。その相対化の過程で実感することが、「人生の味わい」なのでしょう。

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◾️さて、このようなコラムが強く印象に残った後、その翌日に、同じく朝日新聞の記事が目につきました。私は、社会学を専攻していますが、個人的には、人類進化という大きなテーマに非常に関心があります。だから、この記事も目についたのではないかと思うのです。登場されるのは、チンパンジーのアイちゃんの先生で有名な、松沢哲郎さんです。このインタビュー記事の中で、松沢さんが強調していることをとても興味深く読ませていただきました。抜き出してみました。

「コミュニケーションには、共感力や相手の心を理解することが必要です。『分かち合う心』を持つように人間は進化してきた。(中略)『私があなたに、あなたが私に』という互恵的な利他性が成長していった。これこそが、人間らしさだと思います」。

「チンパンジーと比べて顕著に違うのは、人間の想像力の負の側面として嫉妬やねたみがあることです。理想の自分を作り、現実の自分とのギャップでコンプレックスも生まれる」。

「人間はそこにないものを考える。想像する力が人間とチンパンジーを隔てるものです」。

「思いやる、慈しむ、分かち合うことで、人間という集団は生き残ってきた。心に愛を持つように進化してきた人間はずっと続いていくんです。たとえどんなに状況が悲惨でも、未来に希望を持てる知性があるのが人間じゃないでしょうか」。

◾️私が興味深く思ったことは、人類進化の知見からすれば、人間は、根底のところには「互恵的な利他性」を育むようにプログラムされているということです。人間はコミュニケーションを媒介として、他者とつながることで生き残ってきた…と、言い換えることができるのかもしれません。しかし、それだけであればあまり面白くありません。同時に、「人間の想像力の負の側面として嫉妬やねたみがある」と指摘されています。この指摘で、前日に読んだ鷲田さんのコラム「人生、七味とうがらし」と同じことをいっておられるような気がします。「人間はそこにないものを考える。想像する力が人間とチンパンジーを隔てるものです」とも指摘されていますが、そのような想像力は両刃の剣のようでもあります(もっとも、松沢さんからすれば「両刃の剣」などと言う表現は、「人間中心的世界観」のあらわれだとお叱りを受けることになるのかもしれません)。抽象的な概念を使って、目の前にないものを想像できることが、様々な人間固有の創造性と辛さの両方を生み出しているのです。このあたりは、仏教の教えとも関連していると思います。

◾️松沢さんが指摘されるように、人間固有の「互恵的な利他性」と「嫉妬やねたみ」が、人類進化の過程で発生したものであるとするならば、そして現在も私たちの根っこにはこの両方が存在しているとするならば、人間の社会とはどのように描くことができるのでしょうか。社会の共同性と、社会を構成する個々人の利益や欲望に基づく負の感情(共感に基づく互恵的な利他性とは逆のような…)とは、どのように関係し合うのか…ということです。嫉妬やねたみは、他者が自分よりも優位であり優れているときに発生する気持ちです。そのような嫉妬の気持ちと、互恵的な利他性は、簡単には折り合いをつけることはできないようにも思います。そのあたり、松沢さんはどのようにお考えなのでしょうね。

◾️松沢さんのいう人間の「想像力」とは、7万年前頃から起こった「認知革命」と呼ばれる人間の内部に生じた変化によって生まれたことのように思います。こういった分野の専門家でもなんでもないのですが、少し前に大変話題になった『サピエンス全史』(著・ユヴァル・ノア・ハラリ、河出書房新社)によれば、そのような変化とは「見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力」を持てるようになったということなのです。人びとは、実際に見えるわけでもない神などの超越的存在を信仰し、ただの紙切れにしかすぎない貨幣に価値を見出し、芸術を鑑賞し、そしてあったこともない人たちと自分たちは同じ民族であるとか、同じ国民であると考えることができる…そういった能力のことです。私たち人間は、宗教・経済・芸術・国家を生み出す能力を「認知革命」によって獲得したということです。『サピエンス全史』の著者であるハラリは、「認知革命により虚構が編み出され、他人と虚構を共有することにより、組織的な協力が可能に」なったと述べています。しかし、同一の「虚構」を共有する人たちは組織的な協力をしても、異なる「虚構」を共有する集団の間では争いや闘いが発生してしまうこともあります。実際、世界中で、宗教や政治信条や経済を巡って戦争が起こっています。「虚構」により協力することもできれば、「虚構」を巡って相手を抹殺することも人は厭わないのです。

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