高島市の古式上水道

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20160706atkashima2.jpg■ひと月近く前のことを、今頃になってエントリーします。なかなか、更新するだけの余裕がなくなっております。更新できていないにもかかわらず、毎日、ご覧いただいている皆様には、心より感謝いたします。先月、6月11日・12日と、滋賀県高島市を1年生の学生16名と滋賀県高島市を訪問しました。12日の午前中、グループに分かれて、JR近江高島駅の近くの街中を散策していろんな発見をしてもらうことにしました。このあたりは、江戸時代は大溝藩の城下町でした。今でも、町並みには城下町の風情を感じ取ることができます

■街中を歩いていると、他の地域にあまりないものがあります。水路です。幅と深さともに、だいたい1mほどでしょうか。「まちわり水路」と呼ばれる水路です。街中の南北の4つの通りのど真ん中に、この水路が設けられています。もともとは、江戸時代に、飲用や防火のために設けられものなのだそうです。この「まちわり水路」と同時に、目を惹くものがあります。「古式上水道」です。トップの写真は、「タチアガリ」と呼ばれる「古式水道の施設」です。高島市役所のホームページのなかに、以下のような説明がありました

◆町並みを走る古式上水道
 旧町人地では、近世に遡る2系統の古式上水道が現在も利用されています。
 このうち、水源地と高低差がない勝野井戸組合では、埋設した水道管を通じて各戸に配水しています。一方、山麓に水源地を持つ日吉山水道組合では、水道を地下に通しつつ、ところどころで分水のためにタチアガリと呼ばれる施設を作り、各戸に水を引き入れています。
 このように上水道の維持や管理に関わる作業は、同じく近世にまで遡る曳山行事などとともに,地域共同体の結び付きを維持する機能を果たしています。

■「古式水道」の維持管理が、結果として、地域の結びつきを維持する機能をもっているというのです。興味深いですね。かつて、農村研究の世界では、農道や水路の存在、そしてその維持管理が、日本の農村を特徴づけているということがさかんに言われました。そのような主張と、論理的には似ているように思いました。しかし、通常、この「古式水道」のような「ローカルな技術」は、近代化のプロセスで消えていきます。そして、近代的な水道という技術システムが、地域社会内の自然と人との関係を絶っていくのです。この場合は、地域の水と人の関係ですね。それだけでなく、そのような地域の水をめぐる「人と人との関係=共同性」をも破壊してしまいます。地域住民がハンドリングできる地域社会の歴史的文脈に根ざした、また「在地の合理性」に基づく、「古式水道」のような「ローカルな技術」が、もっと再評価されていけば良いなあと思います。今回、この「古式水道」をご利用になっている方に少しだけですがお話しを伺いました。なぜ利用し続けるのか。最初に出てくる説明は、経済的なものになります。水道を使うとお金がかかる。「古式水道」は、お金がかからない・・・。とてもわかりやすい説明です。しかしそれだけではなく、副次的な理由が多数あるのです。そこが大切だなと思いました。多くの場合、経済的(貨幣的)な価値に裏付けられた社会的な力が、そのような「ローカルな技術」を駆逐し破壊していくのですが、高島のばあいは、地域固有のローカルな複数の要因が、「これを残さなければならない」と人びとに思わせているのではないかと思いました。

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