東湖の風景

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20160309katyu7.jpg■今回宿泊した常宿であるホテル「桂苑」の部屋は12階にありました。北向きだったので、部屋の窓から東湖の一部が見えました。東湖は、中国の都市内にある湖としては最大のものだと聞いています。この東湖の風景を眺めながら、25年ほど前のことを思い出しました。

■30代前半の時代の話しです。当時、私は滋賀県教育委員会文化施設開設準備室に勤務していました。文化施設開設準備室とは、滋賀県立琵琶湖博物館(1996年開館)と滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール(1998年開館)の開設準備に取り組む部署でした。私自身は、1991年から博物館担当の学芸技師として働き始めていました。そして1992年に、当時、将来の博物館館長候補として勤務されていた、京都大学生態学研究センター名誉教授の三浦泰蔵先生と一緒に中国を訪問し、その際、東湖の畔りにある中国自然科学院水生生物研究所を訪問したのでした。現在、東湖に行くと立派な研究所の建物が見えますが、当時は古い小さな建物でした。しかしながら、この研究所は中華民国の時代に設立された歴史を持っており、研究所の収蔵庫には、たくさんのタイプ標本(新たに種の学名を付けるための記載論文中で使用され,学名の基準として指定された標本)をはじめとする多種多様な魚類標本が収蔵されいました。国際的な淡水生物の研究センターとしても有名でした。

■しかし、今一番思い出すのは、仕事の事よりも、併設された宿泊施設に泊まった時のことです。宿泊施設は、2階建てのテラスハウスのような建物で、食事は、賄いのおばあさんが作ってくださいました。食事時になると、1階から「めし、めし〜」と呼んでくれるのです。初めてコイ科魚類の一種である武昌魚(ダントウボウ)をいただいたのも、その賄いのおばあさんの料理ででした。毛沢東が好んだと言うこの武昌魚、とても美味しいのです。その時以来、武昌魚は私の大好物になりました。

■この宿泊施設の周りには、古ぼけた集合住宅が建っていました。窓の外には洗濯物が干してあり、生活感が溢れていました。現在は違いますが、当時は、「単位」という制度が生きていたと思います。「単位」とは、社会主義の中国における基礎となる組織のことです。都市部に暮らすすべての人びとは、職場を中心とした何らかの「単位」に所属しており、給料、住宅、退職金、そして年金など、人々の一生をこの「単位」が面倒を見ていました。研究所の敷地内の道では、研究者をリタイアした老人が孫の世話をされている風景なども、よく見かけました。まあそんなわけでして、「桂苑」の12階から見える東湖の風景を見ながら、四半世紀前のことを懐かしく思い出したのです。

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■武漢市を省都とする湖北省は、省の名前からもわかるように「湖の北」にあります。湖とは、中国で2番目に大きい洞庭湖のことです(ちなみに洞庭湖の南側にあるのは湖南省です)。洞庭湖は、アジア最長の河川である長江の天然の遊水地の役目を果たしています。長江を流れる大量の水を受け止めています。しかし、長江流域の湖沼は洞庭湖だけではありません。上の地図をご覧ください。武漢の中心地域は、華中師範大学のある武昌と、長江の対岸にある漢口と漢陽の3地域から構成されていますが、郊外も含めた武漢市域全体では、こんなにたくさんの湖沼があります。そのようなこともあり、湖北省は「千湖之省」といわれています。淡水魚を使った料理が有名です。宴会のさいには、必ずといってよいほど淡水魚の料理が出てきます。淡水魚というと、日本人は泥臭い魚と思うかもしれませんが、上手に料理してあるのでとても美味しくいただくことができます。また、レンコンも有名です。いろんな料理にレンコンが使われます。レンコンは湿地帯で生産されますから、このような湖沼の多い地域は生産に適しているのでしょう。

■味付けですが、淡白なものから辛いものまで、様々な料理があります。中国の地図をご覧いただければわかりますが、湖北省や武漢市は、華中地域の中心都市です。しかも「九省通衢」=「9つの省へのつながっている」という表現からもわかるように、歴史的に人や物が行き交ってきた都市であるため、各地域からの様々な調理の仕方が入ってきているそうです。各地域の調理法と地元の食材を使って武漢の料理は出来上がっているのです。武漢に行くと、毎回、「千湖之省」に相応しい美味しい郷土料理をいただくことができます。日本では中華料理というと広東料理が中心になりますが、実際に中国に行ってみると、中華料理とは言ってもその内容は非常に多種多様であることがわかります。料理は、その地域の歴史、そして風土や環境を見事に表現しています。

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