春のキャンパス

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■昨日から2014年度の授業が始まりました。キャンパスは「新学期」のムードでいっぱいです。とくに、昼休みはあちこちでサークルの勧誘活動が行われています。写真は、研究室のある2号館3階の廊下の窓から、iPhone5を持って腕をぐっと伸ばして撮ったものです。窓からは、この風景はみえません。ということで、写真は少し傾いています。また、2号館の壁面が写ってしまっています。ここは「樹心館」前です。演舞をしているのは、ヨサコイサークル「華舞龍」です。私はヨサコイのことはよくわかりませんが、彼ら・彼女らの練習風景をいつもカッコイイな〜と思いながら拝見しています。おそらく、多くの学生の皆さんも同じ気持ちなのでしょうね。

■ところで「樹心館」ですが、龍谷大学の広報誌「龍谷」No.70で、この建物について以下のように説明されています

明治期の擬洋風建築の趣を今に伝える建物として、大宮学舎本館と双璧をなす樹心館。朝の勤行や親鸞聖人ご生誕法要など、「建学の精神」を具現化するための大切な施設である。この礼拝堂は、「瀬田学舎に礼拝施設を」という校友の願いなくしては誕生しなかった。
 樹心館は、もとは1885年大阪南警察署の庁舎として建てられた。民間へ払い下げとなった際、大阪の門徒、竹田由松氏が購入。本山へ寄付し、1908(明治41)年、工費約3万円をかけ本学の図書館として生まれ変わる。1936(昭和11)年、蔵書や学生数の増加により現在の大宮図書館が完成すると、学友会事務所に用途を転換。その後、西本願寺宗務所の役割を果たすべく移築され、約40年もの間、通称グリーンハウスとして親しまれることとなる。
 グリーンハウスが再び本学に甦るきっかけとなったのが、瀬田学舎の開設である。新しい学舎の誕生に伴い、礼拝堂建設を望む卒業生の声が高まり、建築物にこの建物を再利用する意見が浮上したのである。学舎の足跡を残す建物の再生は新学舎にふさわしく、誰もが納得し共感したことだろう。本願寺との交渉においても、無償譲渡という格別のご配慮をいただき、解体移築が実現。その名を「樹心館」と改め、1994年春、落成を迎えたのである。
 校友の絶えまない努力により、完成をみた樹心館。殊に、校友会を中心とした募金活動は、1986年10月から1993年3月までの間に、約1億2千万円を集めた。礼拝堂建築に託された校友の大志は、樹心館とともに、そびえ立つ大樹のごとく学舎の繁栄を支え、同窓の学生達を見守り続けていくことだろう。

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