高齢者による新聞への投稿

20140316toukou.jpg ■親しい知人のおじいさまは、100歳を超えておられます。100歳になったときは、地元の自治体の首長さんからお祝いの言葉が届けられました。一般論として長寿は大変おめでたいことなのですが、おじいさまは、孫になる私の知人に、「嫁さんもとうの昔に亡くなり、子どもたちもみんな先に亡くなってしまった。寂しい」と言っておられるそうです。一緒に生活をともにしてきた身内の人たち、言い換えれば、いろんな体験や記憶を共有している人たちが亡くなってしまうことが、お寂しいのですね。では、幸せな最期とは、どういうことでしょうね。家族や身内、そして友人たちに囲まれ、「ありがとう。あなたと一緒に過ごすことができて私は幸せでした…」といってもらいながら、息をひきとる。記憶や体験とともにある豊かな関係性を実感しながら亡くなっていく…ということなのかなと思います。あくまで、個人的な考えですが。

■今日、新聞で80歳になる男性の投稿を読みました。11年前に奥様を亡くされています。優れたユーモアのセンスをお持ちだということがわかります。しかし、同時に、亡くなった奥様のことを偲びつつ、奥様と一緒に暮らした日々のことを思い出しながら、生きてこられたご様子もなんとなく伝わってきます。そして毎日毎日を「しっかり生きておられる」ふうにも想像します。毎日毎日同じような暮らしかもしれないけれど、「しっかり生きる」。「しっかり生きる」ことができることを感謝する。そのような心持ち。これもあくまで個人的な想像ではありますが、素敵な投稿だと思いました。

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