フィールドワークと卒業論文

20131201kitafunaji7.jpg ■ゼミの4年生たちは、卒業論文の最後の追い込みにかかっています。すでに草稿を提出できた人もいますが、多くのゼミ生は、まだ執筆途上にあります。そして、最後の最後まで補足調査をしている者もいます。これは、褒めているのではありません。フィールドワークを開始するのが遅かったために、こんなことになってしまっているのです。指導教員の私としては、かなり「怒り&叱りモード」なのですが、毎年、この手の学生の指導を年末最後までしなくてはなりません。そして、月末に自宅に簡易書留の速達で届く草稿を、正月に赤ペンを入れて、1月4日にゼミ生本人に返却するのです。もっと、ゼミ内での締切を早くして、その締切を厳守すればよいのでしょうが、学生たちの「実態」に押し切られてしまっているわけです。

■さきほど、最後の最後まで補足調査をしている者もいる…と書きました。今日は、そのような学生の1人が研究室に相談にやってきました。フィールドワークをしながら、しだいに自分自身の分析の視点が焦点化されてきたようなので、1つの論文を読ませていました。ある学会の年報に掲載されたきちんとした水準のある論文です。その学生は、この論文を読んで、「すごくよく理解できました。いつもだとこの手の文章を読むと3時間以上時間がかかるのですが、今回は、1時間で読むことができました。また、すごく参考になりました…」というのです。

■フィールドワークと論文とのあいだを往復するなかで、次第に、自分の頭のなかがクリアになってきているのです。しかし、残された時間はわずかです。その学生は、こうもいっていました。「もっと、早くからフィールドワークを始めればよかったと思います。今は、パソコンに向かって卒論のことばかりやっていますが、とても楽しいです」。やっとエンジンがかかってきたのです。卒業するために仕方なく、嫌々渋々ではなく、自ら進んで卒論に取り組める境地に到達したわけですね。これはこれで、喜ばしいことですが、すくなくとももう2ヶ月早くこの境地に到達してほしかったと思います。その点が、指導をしていて悔やまれてなりません。

■しかし、とにかく全力を出し切って仕上げてもらうしかありません。おそらく、この学生は「時間があれば、もっとレベルをあげることができたのに、悔しい…」と思うかもしれません。なぜ悔しい気持ちになってしまったのか。卒論のフィールドワークから執筆にいためまでのプロセスを、自分なりに分析して、その分析結果を、教訓として後輩に伝えてほしいと思います。

■トップの写真は、今月の初めに開催したゼミの卒論中間発表会の歳に学生が書いた落書きです。左隅では、私らしき人物が怒っていますね。「本気でやらないと もうやばいよ! ホントに」。こうやって落書きがかけるのは、当時は、まだどこかできちんと反省できてないところがあったのだと思います。まだ、卒論をなめています、この段階では。なかなか指導は難しいものです。

【追記】■龍谷大学社会学部の理念は、「現場主義」です。私は、自分なりにこの「現場主義」を強く意識し、ある意味愚直に、真正面から大学の教育や社会連携事業に取り組んでいます。ゼミでは、どんなテーマでもかまいませんが、実証的なフィールドワークにもとづく事例研究(ケーススタディ)により卒業論文を執筆してもらいたいといっています。そのような卒業論文の指導は手間がかかり、確かに大変なのですが、私のばあい、このような指導をやめてしまうと口先ばかりの「現場主義」になってしまうではないか…。そう思いながら、自分なりの工夫をして指導を行っているのです。

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