高橋卓志先生と鰻重

20220722takahashi1.jpg
20220722takahashi2.jpg20220722takahashi3.jpg
■昨日は、大変お世話になった高橋卓志先生と昼食をご一緒させていただきました。ご病気から完全に回復されたとお聞きし、先生がご希望されていた鰻をいただきました。私は龍谷大学社会学部の教員ではありますが、先生が担当されていた「龍谷大学大学院実践真宗学研究科」の授業に、もぐりの院生として2年(半期2回)通わせていただきました。当時は、私のようなもぐり(授業料を払っていない)の院生が何人もおられました。いろいろ勉強になったな〜。

■ところで、高橋先生は、ご自身のご病気や入院治療の様子を丁寧にfacebookで報告されていました。治療中、絶食が続いて、とてもしんどい時のことだと思いますが、「元気になったら鰻を食べたい」という趣旨のことをfacebookに書いておられました。そこで、「回復されたら鰻をご一緒させてください」とお願いをしていたのです。今日はやっとその鰻が実現しました。お元気になられて、本当に嬉しいです。

■ここは、大津にある有名な鰻店です。高橋先生には、鰻重、ご満足いただけました。鰻重を召し上がっている時も、「こんなご飯を食べているときに言うことではないのですが…」とお断りになりつつ、病気治療をされていた当時のことを丁寧にお話しくださいました。絶対に活字にしていただきたいと思いました。「三人称の死」を支え見守ってこられた先生が、今度は「一人称の死」に向き合われたわけです。とても貴重なお話でした。高橋先生、ありがとうございました。

【追記1】■高橋卓志先生のことをご存知ない皆さんには、以下のリンク先の動画をご覧いただければと思います。特に、「こころの時代~人生・宗教~ NHK E」の1〜4の4つの動画がわかりやすいと思います。NHK「こころの時代」という番組の動画です。今、拝見すると、高橋先生のお声、少し高めですね。これは、いつ頃の番組なのかな。
https://takahashi-takushi.jp/movies.html

【追記2】■この動画の1 のなかで、「発心」(ほっしん)という言葉が出てきます。発心とは、厳密には、「悟りを得ようとする心を起こすこと。 菩提心 (ぼだいしん) を起こすこと。 仏門に入ること」という意味です。高橋先生が発心されたのは、1978年、20代最後に訪れた南太平洋の島、西ニューギニアのビアク島に、戦没者の遺族と共にこの島の慰霊の旅に赴かれた時のことです。この時、僧侶として生きることの強い決心を持たれたのです。この発心という言葉、広い意味では、良いことのために(何が良いかは別にして)、本気になって取り組むという意味になるのかなと思います。これは、様々な事業、それから学問にしてもそうです。私が専攻する社会学の場合ももちろんそうです。若い頃、指導教授の領家穰先生に、飲みながらよく叱られました。「脇田、本気になれ!!」。学問の発心。難しいですね。先日、早期にご退職になった原田達先生にお会いしました。原田先生は、発心という言葉こそお使いになりませんでしたが、その人が学問をせねばならないと本気に思うようになった、その人の学問の原点になった強烈な体験の重要性についてお話しくださいました。その例として、お名前は出しませんが、大変著名なご高齢のお一人の社会学者の例を出されました。原田先生はご本人から直接聞かれたそうですが、その社会学者の原点は「山村工作隊」だったのだそうです。「山村工作隊って何?」と思われる方は、お手数ですが、ご自身でお調べになっていただきたいと思います。ちょっと、「発心」という言葉について、ここにメモを残しておきます。

春の庭

20220411mygarden1.jpg
20220411mygarden2.jpg20220411mygarden3.jpg
20220411mygarden4.jpg20220411mygarden5.jpg
20220411mygarden6.jpg20220411mygarden7.jpg
20220411mygarden8.jpg20220411mygarden9.jpg
■1段目。ジューンベリーが満開になりました。昨年はたくさんの実が収穫できましたが、今年はきちんと実がなってくれるかな。

■2段目左。ツンツン目を伸ばしていたギボウシが、葉を広げはじめました。ツンツンした芽の中に赤ちゃんのような葉が最初からできているんですね。2段目右。しばざくら。庭の法面にシバザクラを植えてありましたが、少し弱ってきた部分があり、庭師さんに手を入れてもらっています。法面なので、土も流れてしまっていました。土留の工事も合わせてしてもらっています。

■3段目左。黄色いのは、ヒカゲツツジ。造園の専門家が教えてくださったのですが、「あなたの庭の黄色いツツジはヒカゲツツジというて、シャクナゲに近い種類なんやで」…なのだそうです。シャクナゲもつつじかの低木なんですね。3段目右。わかりません…。

■4段目左。オオエゾムラサキツツジです。濃いピンク色の花が複数集まって咲いています。エゾムラサキとオオエゾムラサキって種類が違うのかな…。よくわかりません。4段目右。常緑ガマズミです。たくさんの小さな花が集まって咲きます。蕾は赤いのですが、咲くと真っ白になります。

■5段目左。シャガです。特に世話はしていませんが、毎年、たくさんの花を咲かせてくれます。5段目右。ドウダンツツジです。とんがった芽が開くと、中から複数の花が飛び出して膨らみます。そういう自然界の仕組みを見て、本当にすごいな〜と思います。

■こうやって春の庭を楽しみつつ、ベンチに座っているととても幸せになります。もっと老人になった春のある日、このベンチに座ったまま、静かに息を引き取る、寿命を全うする…なんて具合にはならないでしょうかね。難しいでしょうが、そうなったらいいな。そういう願望があります。

中之島香雪美術館・企画展「来迎 たいせつな人との別れのために」

20220410raigo1.png20220410raigo2.png
■5月22日まで。企画展「来迎―たいせつな人との別れのために―」中之島香雪美術館企画展「来迎 たいせつな人との別れのために」。これはぜひ行かないといけません。以下は概要。

「死後、人はどこに行くのだろうか?」
人間誰しもが抱く根源的な問いです。それに出された仏教的な答えの一つが、阿弥陀如来のいる極楽ごくらく浄土に往生おうじょうする、というものでした。遥か西方のきらびやかな極楽世界に生まれる自分、あるいはたいせつな人を思い描くことは、死という恐怖に向き合う人々に晴れやかな希望を与えたことでしょう。こうした心情に基づく浄土信仰の高まりの中で、阿弥陀如来が多くの聖衆しょうじゅを率いてお迎えに来るのを描いた「来迎図」も、死後に向かう極楽のありさまを描く「浄土図」も、数多の作品が生み出されてきました。抗いがたい別れの痛みは、今も昔も変わりません。その心情に寄り添いつつ、浄土信仰の美術を眺めてみましょう。

■この概要を読むと、この世に残された側の方達が、亡くなった方のことを偲んで…という前提になっているような気がします。これは残された人たちの立場と言い換えることができるかもしれません。ただ、私が知りたいなと思うことは、亡くなる人の立場…になるのでしょうか。死んでしまったら、立場も何も無いじゃないか…とのご意見もあるでしょうね。でも、自分が死んだらどうなるのかを、生きている間に先取りして強いイメージを抱き、何かの実感を持つこと。死を先取りして生きるための作法。うまくいえませんが、この企画展で展示される絵画を通して、人びとは何を考え行動したのか、その辺りのことなのかな。

オンラインシンポジウム 「最期まで心豊に生ききる 死の現場から見えてきたもの」

20220218shinogenba.jpg
■2月23日(水・祝)に、「最期まで心豊に生ききる 死の現場から見えてきたもの」というタイトルのシンポジウム が開催されます。オンラインによるシンポジウム です。主催は、浄土真宗本願寺派総合研究所です。パネリストは、東京拘置所教誨師・浄土真宗本願寺派僧侶の平野俊興さん。あそかビハーラ病院の看護師で同じく浄土真宗本願寺派僧侶の新堀慈心さん、そして龍谷大学文学部特任准教授の大谷由香さんです。

■環境社会学は自分の専門分野ですが、その専門分野意外に「死生観」や「死」「最期」に強い関心をもっています。このシンポジウム にも参加してみようと思っています。

facebookの中の母

20220210grandchild.jpg
■SNSのfacebookは、毎日、過去の同じ日に何があったのかを、記憶の中から呼び起こしてくれます(それが良いことなのか、どうなのか…よくわかりませんが)。今日、facebookが示してくれたのは、上のような写真でした。4年前の今日、母は脳内出血で滋賀医大に入院していました。孫のひなちゃんが両親(娘と娘婿)と一緒にお見舞いに来てくれたのです。母からすると、ひなちゃんはひ孫になります。さて、脳内出血した母ですが、その後、回復して退院はしたものの、身体の機能をかなり落としてしまい、再び老人ホームに戻りました。夏以降は、次第に反応も悪くなり、晩秋までは見舞いに来た私のことだけは識別できたようですが、次の年の正月に亡くなりました。母は糖尿病でした。糖尿病は血管の病気ですから、身体のあちこちに問題が出ていました。眼底出血で失明、脳内出血で入院、腎臓の調子も悪かったし…。でも、翌年の正月まで頑張ってなんとか生き抜きました。86歳。父の看病のことも含めると、両親の看病や介護は11年続きました。父は1年の看病でしたが、母の介護は10年続来ました。その11年の看病や介護で学べたこともずいぶんあるので、両親への文句は心の中にしまってあります。学べたこととは、人が亡くなっていく過程に寄り添う経験ができたということです。おそらく将来の自分のことでもあるわけですから。

■4年前のfacebookの写真には、次のような文章を添えて投稿していました。

2018年2月10日 ·

今日は、大阪に暮らしている娘夫婦とひなちゃんが、ばーちゃんのお見舞いに来てくれた。ありがとうね!
ひなちゃんは、慣れない場所に最初は緊張していたが、そのうちに元気な声を出し始めた。ひなちゃんの声が、寝たきりのばーちゃんの気持ちに少し力をあたえたのかもしない。ばーちゃんは、今日はまともな事をしゃべっている。目は見えないけれど、ひなちゃんのことも、よくわかっている。今日は童謡も歌ってくれたようだ。

堤真一さんのファミリーヒストリー


■昨晩、俳優の堤真一さんがゲストのNHK「ファミリーヒストリー」を視ました。堤さんはー57歳です。私とは6歳違います。この6歳の差が近いのか離れているのか、よくわかりません。ただ、両親が戦争で若い頃に苦労してきたこと、進学したくてもできなかったこと、団地で育ったこと、その他諸々、少し年齢は違うけれど、似たような共通の経験があるからなのかもしれません、堤さんの「ファミリーヒストリー」を視聴しながら大変感動しました。私と同じような思いを持たれた同世代の方は、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。お父さんを最後に見舞った時の堤さんのお話を聞いて、自分の父親の時のことを思い出しました。グッときて涙腺崩壊しました。この番組を通して、堤さんは、亡くなったお父様との関係がより深まったのではないでしょうか。

■いつも、よくここまでという程細かいところまでリサーチをしているなと感心します。おそらく試聴されている方達の中にも、できるものならば自分のルーツも知りたいという人がたくさんおられることでしょう。

ありがとうお父さん


■朝から、グッときました。起床して、我が家の庭のお世話をしてくださっている庭師・椿野大輔さんのfacebookへの投稿を拝読し、とても胸が熱くなりました。椿野さんは、庭師さんですが、近くの棚田を借りてお仲間と米作りをされています。その棚田に隣接する棚田の所有者・ツルツルおじさんのお話です。以下は、椿野さんの投稿です。

うちの田んぼのお向かいさんの棚田。
仰木の棚田は土手が多く、農作業の大半が草刈りとなる。
80過ぎのお百姓さんがすごくマメに手入れをされていて、いつも土手が綺麗でツルツルおじさんと言っていた。
いつもニコニコと時々声をかけてもらったり親切な方だったが、しばらく姿を見ないのでどうされたかと思ってたら、息子さんが草刈りをしておられる。
聞いてみると胃がんの末期とのこと。
この春の田植えを最後の力を振り絞ってされてから倒れ臥せっておられたが、夏の土用に亡くなられた。
今は息子さんがお父さんの意思を引き継ぎ、稲刈りも終えられ、土手の草刈りなどをされている。
今日も草刈機の音がしているなと帰り際に見てみると
「ありがとうお父さん」と残して草が刈られていた。

■棚田の法面に、息子さんのお父様(ツルツルおじさん)への思いが表現されています。素晴らしいな〜。これは私の勝手な想像でしかありませんが、お父様やさらに上の世代の先祖の皆さんの水田への思いを、息子さんは受け止めておられるのではないでしょうか。どこも日本の農村は厳しい状況にありますが、こちらの棚田のような中山間地域の農村では、耕作放棄地や休耕田がどんどん増えています。こちらの椿野さんが借りておられる田んぼも、10年ほど放置されていたそうですし、隣の田んぼも所有者が数年前に亡くなられて今は休耕田になっているそうです。そのような状況の中で、息子さんがお父さんの意思を継がれているわけですね。繰り返しになりますが、朝から、グッときました。

龍谷ミュージアム秋季特別展「アジアの女神たち」

20210829ryukokumuseum1.png
20210829ryukokumuseum2.png■龍谷ミュージアムでは、秋季特別展として「アジアの女神たち」を開催するとのことです。期間は、9月18日〜11月23日まで。以下は、公式サイトからの引用です。

ミュージアムの語源である古代ギリシャの「ムセイオン」は、もともとは芸術を司る女神(ムーサ、ミューズ)たちを祀る神殿でした。
本展では、女神たちを祀る神殿というミュージアムの当初の役割に立ち返り、アジア各地で深く信仰された女神たちを紹介します。
豊饒・多産のシンボルとして、あるいは音楽・文芸・吉祥などを司る存在として、さらには残虐な戦闘のシンボルとして、多様な願いを託された女神たちの姿をご覧ください。

■私は、この特別展の最後、「第5章 第5章 観音になった女神」に一番関心を持っています。この展示は、「男性であった観音が、女性的な変容を遂げる流れを見ていきます」と解説されています。思い起こせば、世界史の教科書等に登場するガンダーラの観音は男性なのですが、中国に伝わるとどういうわけか女性っぽく変化していきます。なぜなんだろうな〜とずっと思っていました。絶対に行きたいんですけど、コロナ感染はどうなっていくのか…、行けるのかな…。心配です。

同世代の訃報

■先日のことになります。約40年ぶりに、大学時代のサークルの仲間Sくんと、SNSを通じてつながることができました。facebookをはじめとして、SNSは同窓生と再会する機会を与えてくれます。大学時代のサークルにも同窓会組織があるのですが、Sくんはそのような同窓組織ともずっとつながっていませんでした。大学を卒業してからは、仕事や生活に一生懸命だとそのような余裕がなくなります。私自身もそうでした。ましてやSくんは同窓生がたくさん暮らしている関西ではなく、遠く離れた地域で仕事をしていましたから余計にそうなりますね。Sくんの場合は、仕事を定年退職したことが、同窓生とつながるきっかけになったのかもしれません。そのSくんが、「先輩のTさんに、学生時代に大変お世話になったんだけれど、どうしているか知っている?」と尋ねてきました。これは、facebookの後でつながったLINEによるやりとりでした。

■さて、SくんからTさんの近況を聞かれたわけですが、私自身もTさんが卒業されてからのことは、全く伝わってきていませんでした。ということで、Tさんと同級生の先輩にもお聞きしてみましたが、ご存知ありませんでした。そうしているうちに、Sくん自身から再び連絡がありました。2年前に病死されていたというのです。そのことを聞いて、私たち同級生は一様にシッョクを受けました。同級生の1人は、「僕の周囲でも、ぽつりぽつりと同世代の人の訃報が増えつつあります」とLINEで述べていました。

■そして、そのすぐ後のことになります。高校時代の同級生Kくんが亡くなったという情報が届きました。これもLINEでした。Kくんとはクラスも違うし、高校時代は特につながりはなかったのですが、私が40数年ぶりに高校の同窓会につながるときに、いろいろ配慮をしてくださいました。感謝の気持ちでいっぱいでした。その同級生が突然亡くなったのです。どうして亡くなったのかはよくわかりません。同窓会のために尽力されておられました。非常に悲しく、残念です。統計的なデータをきちんと確認したわけではありませんが、一般に、還暦を超えたあたりから、人口は少しずつ減り方が急になっていきます。言い方を変えると、死亡率が還暦を超えたあたりから上昇し始めるのです。しかも、70歳を超えると加速度を増していくようになります。そのような現実を知っておくことは、非常に大切なことかと思います。

■私は人口学的なことはよくわかりませんが、過去のシミュレーションによれば、今年2020年は、60〜64歳の男性の人口は約370万人、女性は約380万人となっています。5年後の2025年には、65〜69歳の男性の人口は約350万人、女性は約370万人。男性は、約20万人減少することになります。おそらく、病死が増えていくのではないかと思います。その5年後2030年は、今から10年後ですが、70〜75歳の男性は約325万人、女性は約360万人。男性の方が、亡くなる方が多いですね。よく知られていますが、平均寿命も男性の方が短いですしね。孫が成人する80歳のあたりまでは健康に生き延びて、一緒に呑みに行きたいという夢を持っていますが、どうなるのかはわかりません。5年ごとに、20万人を超える人が亡くなるのですから、その中に自分がいてもおかしくありません。

■こんなことを確認するのは、後ろ向きなことでしょうか。あるいは、意味のないことでしょうか。私はそうは思いません。このブログの投稿とほぼ同じ内容の投稿をfacebookにしたところ、私の同級生からは「私も最近、こうして人生が少しずつ整理されていくんだということを経験しました。その後から生活に対する思いが変わった気がします」とコメントをもらいました。本当にそうですね。仲間が亡くなることを通して、自分自身の人生を少しずつ整理していく…、とても大切なことだと思います。

小谷みどりさんにお話を伺いました。

■今日は、 高橋卓志先生の「社会実践特殊研究(D)」(実践真宗学研究科)に「もぐり院生」として参加させていただきました。今日はゲストをお呼びしての授業でした。ゲストは、小谷みどりさん。とても刺激的な講義でした。小谷さんは大阪出身です。語るうちに、関西弁も入り、少し巻き舌にもなり、大阪のイタリア人のような感じで僧籍を持つ院生たちに厳しく問いかけられました。私には院生たちを崖に追い詰めるような雰囲気に感じられました。言い換えれば、若い僧侶である院生の皆さんたちに対して、大変厳しかったということです。もちろん、これは私の印象や解釈で、院生の皆さんがどう感じたかは別にして…です。

■実践真宗学のカリキュラムがどのようなものかまったく知りません。知らないにもかかわらず、ちょっと意見をさせていただければ、現代社会がどのように変動しつつあるのか、もっと知っておいた方がよいのではないかなと思いました。今日の小谷さんのお話、私の乱暴になりますが、次のような内容でした。超高齢社会と人口減少社会、そして多死社会へと急激に向かう日本の社会状況のなかで、宗教や葬儀の世界にも個人化と市場化がじわじわと浸透している。そのような状況のなかで、一般の人びとは仏教をどう捉えているのか、葬儀に対して何を考えているのか、若い院生の皆さんは、もっと現実を勉強した方がいいですよ。そして、実際の苦悩の現実、現場から、「発心」なさってください。そのようなお話に理解できました。院生の皆さん、頑張ってください。

■小谷さんご自身は、信仰をお持ちではありません。信仰はご自身の関心外ということになります。葬儀の市場化(サービス化)についても、現実問題として避けられないし、普通の人びとは、信仰や親鸞の教えなど別に求めていないとお考えかと思います。私は「もぐり」ですので、控えめにしていましたが、おそらく死後のことについても、小谷さんにとっては関心外なのではないでしょう。終末期の実存をどのように支えるのかという点に私は関心を持っていますが、そのような話は出てきませんでした。あえて、小谷さんは、リアリストで唯物論的なスタンスに立って発言されているように思いますが、その上で、目の前の人びとの苦悩にどう向き合うのか、「発心」するのか、そういうことについては大いに共感するところがありました。立場は違うけれど、エンパシーを感じました。もちろん、これは私の印象でしかないので、どこまで正確かはわかりません。「リアリストで唯物論的なスタンス」についても、私には、小谷さんはあえてそのようなスタンスで闘ってこられたのではないのかなと思いました。ここでは、闘ってこられた相手はどういう考え方なのか、どういう人なのか、書きませんけどね。

■今日の講義はもちろんオンライン。いろんなゲストに参加していただく時、オンラインは非常に役立つなあ。高橋先生、ありがとうございました。

■ところで、授業が始まるまえに、オンライン上で小谷さんにご挨拶をさせていただきました。その時、小谷さんから「没イチ」という言葉をお聞きしました。不勉強で知らなかったのですが、小谷さんの造語だそうです。パートナーを亡くした人のことを指します。小谷さんには『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』という著作もあります。小谷さんご自身が「没イチ」でいらっしゃることも知りませんでした。失礼しました。勉強不足です。

■「没イチ」の小谷さんは、長年勤務された第一生命経済研究所を退職されて、今はカンボジアで、私財を元にパン屋を経営しながら貧困問題の支援に取り組んでおられます。そのような貧困問題の現場で、カンボジアの僧侶たちがどのような動き方をされているのかも教えていただきました。小谷さんがお会いになったカンボジアの僧侶の皆さんは、いろんな能力や経済力を持った人たちをつないで、貧困に苦しむ人びとを支える活動をされているらしいのです。貧困という人びとの苦に向き合い、その苦しみを抜苦するためにまざまな力を持った人びとの力を、そして関係をデザインされているわけです。「人間ハブ空港」のような感じでしょうか。普段から、いろんな方たちとの関係をきちんと作り、磨いておられるように思います。また、この辺りのことをお聞きしたいなと思いました。

アジアで会う】小谷 みどりさん 『没イチ』著者 第292回 夫の突然死が導いた貧困支援(カンボジア)

管理者用