66歳の誕生日を迎えました。

20240416sakura.jpg▪️4月15日が誕生日です。というわけで、昨日が66歳の誕生日でした。確実に老いてきているわけですが、そのことをどこまできちんと心の底から受け止めているのかなというと、少し心許ないような気もします。若い時、自分が66歳になる時のことなど、想像していませんでしたし、あえて想像することもありませんでした。その若い頃の生き方の惰性の流れで、まだ生きているような気もします。逆に、すぐに古希(70歳)になって、喜寿(77歳)にもなってしまいそうな、そんな気もしないではありません。もちろん、健康を維持できればの話ですが。一病息災という言葉を大切にしながら、サバティカル(特別研究員)のこの1年を健康を第一にしつつも、きちんと成果を生み出したいと思っています。

▪️写真は、娘が送ってくれた桜の盆栽です。何年前だった記憶が曖昧ですが、「母の日」にかな…。私の方で世話をさせていただいていますが、昨年、今年とよく花を咲かせてくれるようになりました。花が咲かない年も何年もありましたが、専門的な知識や技術がないながらも、この小さな桜の盆栽に向き合って世話をしていると、蕾をつけるようになってくれました。そして、花を咲かせてくれるようになりました。ただ、根っこのあたりには、もともと苔でカバーしてあったのですが、苔の方は枯れてしまいましたので、取り除きました。で、誕生日と何の関係があるのか?特にありません。私の66歳の誕生日を祝うかのように花を咲かせてくれました。

娘と息子

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▪️昨日は、午前中、荷物が届きました。娘からでした。明日で66歳になるのですが、誕生日のプレゼントでした。「白州」です。サントリーが蒸留しているシングルモルトのジャパニーズウイスキーです。しかも、「サントリーウイスキー100周年記念蒸溜所ラベル」です。先日のことですが、娘に「誕生日プレゼントは何がいい?」と聞かれたんです。でも66歳になる父親の頭には何も浮かんできませんでした。もう、物欲がなくなってきているの…ですかね。で、頑張って考えて、この「白州」をリクエストしました。何か「今日はええ日やったな」と思える日の晩に、少しずついただきタイト思います。

▪️5月の連休には、娘の家族が孫も一緒にやってきます。3世代でキャンプをしようという提案をもらっています。まだ、現実に実行するかどうかはわかりませんが、孫達に会えることを楽しみにしています。

▪️昨日、午後からは神戸で暮らしている息子の家に遊びにきました。左の中華の本は我が家にもあります。親子だから食の志向が似ているのでしょうか。右は息子の彼女の本です。昨日は、この本の中の、オカラパウダーと人工甘味料とココアパウダーを使ったブラウニーをご馳走してくださいました。病気で甘いものが食べられない私のようなものでも、食べられるスイーツなんですね。彼女のお心遣いも含めてとても嬉しかったです。夕食は、芦屋の日本料理店で、息子達と一緒に楽しみました。息子にご馳走してもらいました。

▪️昨日は、ひさしぶりの神戸でした。神戸出身ですが、なかなか神戸まで行くことができません。海と六甲山に挟まれたあの地形は、私の原風景のような感じです。だから、大津に転居しても、琵琶湖と比叡山地に挟まれた湖西地域に暮らしているのかもしれません。そうそう、息子達とは、今度は、神戸の街中で本物の中華料理を楽しむことを約束しました。

琵琶湖博物館の皆さんと

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▪️昨日の出来事です。昨日、「公益財団法人淡海環境保全財団 設立30周年記念行事」と「記念講演会」には、滋賀県立琵琶湖博物館から学芸員の橋本道範さんと林竜馬さんがお越しになっていました。ということで、3人で呑むことにしました。「えっ、連日呑んでるやんか」と言わないでくださいね。私の場合ですが、こうやって「人とのつながり」を磨き直しているのです。「人とのつながり」は丁寧にお世話をしないとだんだん錆びていきますからね。

▪️橋本さんとは博物館の開設準備室時代からのおつきあいになります。私が開設準備室や博物館にいたときの後輩にあたる方です。彼は日本史、それも中世史を専門にしていますが、よく話しが合いました。当時、自然科学分野の研究者とも連携をしながら、琵琶湖の環境史に関するディシプリンを超えた総合的な研究進めていました。琵琶湖博物館らしい研究だったと思います。その時の成果は、「21世紀琵琶湖の環境課題とはなにか」や「21世紀の琵琶湖―琵琶湖の環境史解明と地球科学―」という形で『月刊地球』に掲載していただきました。もっと研究を進めてと思っていたのですが、私は、その後、岩手県立大学に異動することになりました。

▪️私は、琵琶湖博物館で働いていた頃から、社会学という学問の枠の中だけでなく、その枠を超えたところで研究をするようになりました。そして3つの文理融合型の研究プロジェクトに参加して、それらのプロジェクトの中で生み出される細かな成果を有機的に連関させて全体をまとめるための論理や考え方を提案してきました。そのような提案では、自分自身の専門分野である環境社会学の知見が活かされています。自然科学では扱えない意味やコミュニケーションの問題も取り込んだ考え方です。自分でも頑張ったと思います。それらを、『流域管理のための総合調査マニュアル』(京都大学生態学研究センター)、『流域環境学』(京都大学学術出版会)、『流域ガバナンス』(京都大学学術出版会)という形で発表してきました。その時は、必死だし、辛いことや、腹が立つことも多かったわけですが、今から振り返ってみて、結果としてですが、その軌跡には「自分らしさ」が表れている、浮かび上がってくるように思っています。

▪️その出発点は、琵琶湖博物館にあります。もし、琵琶湖博物館に勤務していなければ、全然違った人生になっていたと思います。研究者であったとしても、社会学の枠から出ることのないまま研究をしていたんじゃないのかなと思います。その大切な時期に、親切にお付き合いいただいた橋本さんには本当に感謝の気持ちしかありません。橋本さんは、その後も、環境史という新しい分野を開拓し続け、様々な分野の研究者の皆さんと共に、その成果を『自然・生業・自然観―琵琶湖の地域環境史―』にまとめておられます。また、その環境史の考え方を一般の皆さんにもよく理解できる形で、朝日新聞でも執筆されています。「地域環境史を開拓する」①~④です。
地域環境史を開拓する① ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する② ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する③ ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する④ ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより

▪️林さんと知り合ったのは、比較的最近のことになります。滋賀県のヨシ群落保全審議会の関係、そして龍谷大学瀬田キャンパスで開講している教養の授業「びわ湖・滋賀学」(以前は、社会学部の授業)を琵琶湖博物館の学芸員の皆さんにご担当いただくいている関係で、お付き合いいただいています。飲むのは、今回が初めてかなと思います。3人で話をしているのですが、5:4:1=脇田:橋本:林の割合で話をしていたかなと思います。一番年寄りの私が懐かしい気持ちも含めて一番喜んで話をしていたのかなと思います。それから、橋本さんのお話が興味深く、いろいろ合いの手を入れながらお話を伺っていました。後で思ったのですが、こういうのをきちんと動画で録画しておきたいなと思いました。もったいないですから。で、林さんには、なんだか2人の話にお付き合いいただいたようで、後で少し反省しました。林さんの専門は、古微生物学です。湖や湿地の泥の中に眠る小さな花粉の化石から森の歴史を考えるというお仕事をされています。小さい花粉の化石、森林の歴史。素人考えですが、なんだかダイナミックです。今度、またこういう機会があったら、林さんのお話をじっくり聞いてみたいです。その人が何を面白がって研究しているのかを知ることって、楽しいです。まあ、社会学者は人から話を聞く(その人が生きている世界=意味世界を明らかにする)のがひとつの仕事のようなものですからね。

▪️林さんも朝日新聞に、ご自身にの研究のことを執筆されています。お読みください。
琵琶湖の森 100年史 1
琵琶湖の森 100年史 2
琵琶湖の森 100年史 3
琵琶湖の森 100年史 4

▪️もうひとつ、蛇足のような話を。私がなぜ琵琶湖博物館の学芸員になったのか。オーバードクターの時に、ある研究会に参加した時のことです。そこに、滋賀県琵琶湖研究所の嘉田由紀子さんも参加されていました。当時は、この研究所の研究員をされていました。研究会が終わった時のことです。嘉田さんが、「今度、滋賀県が琵琶湖の環境をテーマにした博物館を作るんだけど、脇田さん試験を受けてみない」と声をかけてくださったのです。当日、私にはフルタイムの仕事がまだありませんでしたから。研究会の後の懇親会も終わり、タクシーで京都駅に向かいました。一緒に乗っていたのは、文化人類学者の松田素二さんでした。松田さんに、「今日、嘉田さんから試験を受けないかと言われたんですけど、どうしたものでしょうね」と相談をしたところ、「脇田、そら試験を受けんといかんやろ」と一言。その一言で、採用試験を受けることにしたのでした。もちろん、松田さんは、深く考えずに適当に言っているだけなんですが(たぶん…)。誰も関心のない裏話ですが、結果としてではありますが、嘉田さんと松田さんは、私の人生のいわば転轍手(線路のポイントを切り替える人)のような役割をされたことになります。もちろん、その後も、私の人生にはいろんな転轍手が現れることになります。そういうことを書けるような(書いても許してもらえるような)年齢になってきました。いろんなご縁をいただきながら、ここまで生きてきました。そのご縁のことについては、またこのブログの投稿の中で触れたいと思います。

しばしの息抜き

20240219hipparitakomeshi.jpg▪️ちょっと息抜きさせていただきます。本日、JRの特急サンダーバードで北陸、富山県にに向かいました。

▪️写真は駅弁です。この器に入った「たこ飯」のことを、かなりの頻度で投稿されている方がfacebookのお友達におられて、その方のことが頭に浮かび、明石の「ひっぱりだこ飯」を購入しました。向かっている北陸の方向と逆なんですが…。この器、食べたあとは捨てずに自宅に持って帰ろうと思っています。
で、左側は?これ、自宅から持参した野菜です。息抜きの間も、「ベジファースト」(ベジタブル=野菜から最初に食べる)をできるだけ維持できるように…ということです。不自由な身になっていますが、その状況を前向きに生きています(^^;;。

▪️今回の富山県での息抜き、前々から計画していました。ただ、能登半島の地震の後、あまり深くも考えずに、なんとなく「行き先を変更するかな」と思っていたのですが、東京での研究集会でお会いした富山県出身の方から「ぜひとも、なんとしても計画を変えずに、富山にお越しください」と強くおっしゃっていただき、当初の予定通り富山に向かうことにしました。なんとなく、自ら「観光の風評被害」に加担していたのだなと、深く反省しています。

防災訓練

20240218evacuation_drills.jpg▪️今日は、暮らしている地域の自治会の防災訓練でした。訓練の内容は、①避難行動訓練、②安否確認訓練、③AEDを用いた救護訓練、④簡易担架の作成・搬送訓練でした。雨が降ったり止んだりで、開催できるかなと心配していましたが、予定通り開催されました。訓練は、自治会の主催ですが、消防署の職員の方達が講師してくださいました。ありがとうございました。

▪️この防災訓練の冒頭の①では、「全員無事」を道路から見えるところに掲出することになっていました。まだ、正式の「全員無事」カードがないので、とりあえず紙に印刷したものです。全世帯にカードを用意しようとすると、それなりに費用がかかるから…らしいです。最近、災害時に黄色いハンカチを掲げる取り組みをしている地域がありますが、あれと同じことなのかなと思います。

▪️ ③のAED を使った訓練ですが、講習用の模型を使ったものでした。しかも、実際に自分でやっみるのではなく使い方の説明を受けるという感じかな。大学で何度か訓練をしましたが、年1回はAEDの訓練を自分でやっておかないと、いざというときに対応できないんじゃないのかなと思ってきました。だから、できる限り訓練を受けるようにしています。あと、参加者から、「そもそも、近くのどの場所にあるのでしょうか」という質問が出ました。これも普段よくわかっていないといけません。ネットには、「日本全国AEDマップ | 全国のAED設置場所マップ」というものがあります。これも参考になりますね。

▪️でも、AEDよりも大切なのは、胸骨圧迫(心臓マッサージ)ですね。これは、訓練用のピンク色のハートが置かれていました。それをきんと押せれば、ピューという音がします。なかなか力がいります。救急車がやってくるまで(8.5分~9分)、この胸骨圧迫を継続しなければなりません。1人では難しいように思います。何人かで交代するのであれば、なんとかなるかな。

▪️ 1人の方が倒れて心臓が止まっている場合、救急車を呼んでくれる人(途中で胸骨圧迫を交代してくれる人)、近くのAEDを取りに行く人、自分も含めて3人が必要になります。どうしたものでしょうね。例えば、家の中で心房細動で意識がなくなったら、お一人だとまず助かりませんね。お二人でも、お二人とも高齢者だったら対応が難しいかもしれません。訓練の時のようにはいきそうにありません。さあて、困ったなと思いましたが、でも、アップルウォッチは、離れた家族に通知をしてくれるようですね。なるほどな〜。

St. Valentine’s Day

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▪️孫と娘からチョコレートが届きました。左は、孫たち(ひなちゃん6歳&ななちゃん3歳)お手製のチョコレートです。おじいさんは、病気で糖質を制限しているので一度にたくさん食べられませんが、毎日、少しずついただきますね。ありがとう。とっても嬉しいです。

発見された資料

20240212kanoke_concert_tour1.jpg▪️我が家で発見された、学生時代の資料です。能登半島を学生オケで演奏旅行した時のものです。ガリ版刷りですね。時代を感じます。ちなみに、学生オケとは、関西学院交響楽団、通称「関オケ」のことです。

▪️この資料というか演奏旅行の「しおり」は、能登半島で演奏旅行を実施した年のものです。1979年(昭和54年)。45年前のことになります。まず、大阪から夜行列車(急行立山)で金沢まで行き、そのあとはローカル線で七尾市まで移動。その日は、七尾市で1つの中学と2つ高校でコンサートをして、夕方は輪島まで移動しています。翌日は、輪島から船に乗って舳倉島へ向かっています。舳倉島の分校でコンサートです。船酔いが大変だったことを記憶しています。舳倉島の場所ですが、この資料の表紙をご覧ください。ここには能登半島が描かれています。その北の方、この資料のタイトル「能登方面演奏旅行」の「演」の字のすぐ下のあたりが舳倉島です。船で舳倉島に渡るのに、当時は2時間半ほど時間がかかったと思います(今は、1時間25分)。そして3日目は、輪島の小・中・高であわせて3回のコンサートを開催して金沢まで移動。4日目は私立学校(中・高)で午前中コンサートを開催して、午後からは一般公演。リハーサルと本番。そして最終日の5日目は急行立山で大阪まで移動して解散。

▪️よくこんなことができたものだと、65歳の私は思ってしまいます。日程スケジュールの前に、演奏旅行マネージャーが何やら文書を書いています。その年毎の演奏旅行マネージャーが工夫を凝らして文章を書く伝統になっていたように記憶しています。この年のマネージャー氏はちょっと気取っているのかな。学術的な雰囲気の文章にしたかったようです。

ラジオ、ステレオが普及し、今日テレビの音もステレオ放送で聞ける時代となった。地方にいても、ウィーンフィルの「運命」がホールで聴いているのと同じような音響効果で聞けるのだ。また、各地にプロ、アマのオーケストラが結成され、昔の「庶民には縁のないもの」というイメージは通用しない。こんな中で18,000円もの参加費、それに高い交渉費を出して演奏旅行を行う価値があるのだろうか。このことを頭において「演奏旅行」について検討してみたいと思う。

▪️「この時代に演奏旅行をすることの意味はどこにあるのか」と部員に問うています。ちなみに、後輩たちは、今も演奏旅行を続けているようです。
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後輩たちの演奏


▪️親子以上に年齢の離れた後輩たちの演奏です。現役の4回生だと、43歳の年齢差になりますね。この動画で後輩たちが演奏しているのは、チャスコフスキーの交響曲第5番です。私が現役の部員の4回生の時、最後に演奏したのがこの曲でした。後輩たちは、こういう動画をアップし始めたんですね〜。よくわかっていませんでした。YouTubeをチャンネル登録します。

チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調
指揮:齊藤一郎
関西学院交響楽団 第140回定期演奏会
2023年2月7日(火)
兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール

母校のカレンダーをいただきました。

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▪️ある方が、我が家に母校のカレンダーを送ってくださいました。お名前を出して良いのかどうかわからないので、ある方のままで。私のような同窓生は、このカレンダーで気持ちが盛り上がります。学生時代のことを思い出します。大切に使わせていただきます。

▪️研究室では、4月始まりの龍谷大学のカレンダーを使っています。この龍大のカレンダー、やはり同窓会組織である校友会を通して、同窓生の希望者の皆さんに配布されているんでしょうかね。どうなんやろ。こういうカレンダーは、同窓生の母校愛をくすぐる仕掛けなのかもしれません。

一輪車と百人一首

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▪️このブログを私はライフログとして使っています。ライフログとは、人の生活を長期間に渡りデジタルデータとして記録することです。大変個人的なことですが、今年の正月の出来事で記録するのを忘れていたことがありましたので、すでに12日になりましたが、付け加えることにします。個人的なことではありますが、ライフログ的には大切なことなものですから。

▪️1月2日、娘の家族が我が家にやって来ました。孫のひなちゃんが、我が家に入る前に、まず祖父母に見せたかったことは、こうやって一輪車に上手に乗れるということでした。「お見事!!」というしかありません。自宅近くの公園をぐるっと走ってくれました。「すごいよ、ひなちゃん」。ひなちゃんは今年から小学校1年生になり放課後は学童保育に通っています。ひなちゃんは、学童保育の学年が上の方達から、一輪車の乗り方を習ったようなのです。それで一輪車に乗れるようになるんですね。今では、自転車よりも一輪車の方が得意なようです。

▪️公園の後、我が家に入ってからは、ひなちゃんがやりたかったのは百人一首でした。私はひなちゃんと、ガチで対戦しました。なんとか勝つことができましたが、来年は負けそうな気がします。私は、百人一首を全て記憶しているわけではないのですが、それでも小一の女の子にはまだ負けるわけにはいきません。ひなちゃんは、百人一首のうちお気に入りが3首あります。それは、どうしても自分で取りたかったようなのですが、ガチで対戦していたおじいさんがとってしまいました。その場では、ニコニコして平気なふりをしていたようですが、内心は相当に悔しかったらしく、夜明け前、寝言でかなり怒っていたようです。ごめんね、ひなちゃん。でも、もっと強くなってね。おじいさんも、密かに特訓しておきます。

▪️そうそう、ひなちゃんの妹、ななちゃんのことについても少し。ななちゃんは、なかなかの「お笑い芸人」です。今は3歳半になりましたが、ますます言葉が豊かになっています。しかも、人見知りをしなくなりました。今回は会った時から、ニコニコで普通に接してくれました。お笑い芸人なので、めちゃくちゃ笑わせてくれます。地震、羽田空港…、気持ちの半分はとても悲しいのですが、気持ちの半分では孫達との時間を楽しんでいます。

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