校閲記者
阪急電鉄「大阪梅田駅」
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▪️小学校時代のクラスメイトに会いに尼崎まで出かけました。転園と転校を重ねてきた人生なので、小学校時代のクラスメイト、しかも小学校があったのは北九州市なので、関西在住のクラスメイトは余計に貴重な存在なのです。
▪️滋賀の自宅から大阪まではJR、大阪から尼崎までは阪急電車で。帰りはしばらく大阪梅田駅内にあるカフェから、ホームの工事の様子を眺めていました。人口減少に合わせて10両編成をやめて8両編成にしたので、それに合わせてホームも短くし、広がるスペースをもとに、改札口のバリアフリー化やゆとりのあるコンコースを設けて利便性を高めるのだそうです。こちらが、
そのニュースです。こちらは阪急電鉄の広報です。さて、そのカフェなんですが、外とつながっているのであまり空調が効いておらず、店内ではサーキュレーターが動いているのですが、それでも暑かったです。でもその暑さを少し我慢して眺めていました。全ての工事が終わるのは30年代後半らしいので、ずらりと並んだマルーンの阪急電車を眺められるのは、まだだいぶ先になりますかね。健康を維持しておかなくちゃ。
▪️帰り、大阪からはJRに乗りました。でも、あとで気がついたんですが、これに乗って帰れば良かったなと。「京とれいん雅洛」。まだ乗ったことがないのです。阪急の四条河原町まで行き、そこからは京阪に乗り換えて京阪山科まで行く。そして、JR山科駅から湖西線に乗る。ちょっとした旅行気分を味わえたかもしれません。
「ええと、なんて言うんだっけ」
▪️70歳近くになってきて、「ええと、なんて言うんだっけ」ということがよくおきます。TVを視ていて登場する芸能人の名前を思い出せないとか、学生さんの名前をわかっているはずなのに思い出せないとか、庭に植えてある植物の名前を思い出せないとか…。昨日は、「環境社会学」の講義をしていて、こんなことがありました。昨日の講義では、奈良公園のシカの話をした後、世界自然遺産になっている知床半島のヒグマの話をする段取りになっていました。で、前半部分。奈良公園のシカに観光客があげるシカセンベイって、米ぬか、小麦粉、水で作ってあるんですが、その原料の話をしようとしたら、「米ぬか」が出てこないのです。ショックでした。もちろん、講義の本題は、シカセンベイの原料のことではないので、講義自体に支障が出た訳ではないのですが、やはりショックですよね。
▪️比較的前の方に座っている学生さんたちに、「ほらほら、米を玄米にして精米するときに削り取られる外側の部分、なんていうたかな」と聞いても首を横に振るばかり。私よりもだいぶ年上の社会人の方も聴講されていますが、その方は知っているだろうとお聞きしても「さあて、私は農家ではありませんので」と。本当に、情けない気持ちになりました。学生さんたちの前で、「歳をとるとね、こういうことがよく起こるんよ。皆さんも、私ぐらいの歳になったらこうなるんよ」と笑って取り繕ったのですが、しばらくすると、突然、脳みその奥底から「ぬか」という言葉がふわふわと浮かび上がってきたのです。「あっ、思い出した、ぬか!!」というと、学生さんたちは口元には笑みがありながらも、眼や眉のあたりには「ああ、気の毒な老人だ」という少々困惑の気持ちを漂わせて、複雑な表情をされていて…。とにかくショックでした。
▪️「俺、大丈夫なんかいな」と思うわけですが、加齢による物忘れと認知症との間には大きな違いがあるらしく、とりあえずはただの加齢のようです。でも、それでも、やはりショックです。まあ、多くの皆さんの前でお話をすることも今年度までだと思うので、これからは心配する必要もあまりないのかもしれません。ところで、画像ですが、写真をもとにAIに作ってもらいました。自画像です。初めて、このような使い方をしました。AIは、研究関連にしか使っていなかったので、こういうふうに画像を編集することもできることは知ってはいましたが、まだそういう使い方をしたことがありませんでした。ということで、「お初」です。表情もAIにつけてもらいました。写真は不機嫌そうな表情でしたから。なんでもできるんですね。便利というか、なんだか怖いな…。いろんな言葉が思い出せなくなっても、きっとAIで調べてもらうから…ってなるんでしょうね。
「2026 WMUCC」で「Spirit of the game(SOTG)賞」
▪️イギリスで開催された「2026 WMUCC (ワールド・マスターズ・アルティメットクラブ・チャンピオンシップ)」で、息子が参加している日本代表のチーム「Over Heat」、最終順位は24チーム中12位だったようですが、「Spirit of the game(SOTG)賞」という名誉ある賞を受賞しました。LINEで息子から連絡が届きました。1-3位のチームと同じように表彰してもらったそうです。
▪️アルティメットとは、フライングディスク(フリスビー)を使い、7人対7人で得点を競うアメリカ生まれのチームスポーツ…なんだそうですが、私はまだ観戦したことがありません。なんでも、審判がいないので(セルフジャッジ)、選手同士の話し合いで反則などを判定するようです。身体接触は禁止。そしてディスクが空中にある間、選手は全速力で走り続けるらしく、高い持久力と瞬発力が必要になるのだとか。かなり、しんどそうですね。受賞のことは、「Over Heat」のインスタグラムでも報告されていました。おめでとう。息子は30代後半に突入しています。同じ年齢の頃、自分は何をしていたのかなと考えました。私は、滋賀県立琵琶湖博物館の開館業務で、精神的にも肉体的にも全く余裕がありませんでした。仕事をしながらこうやって夢中になれるスポーツがあるって幸せなことですね。
▪️ところで、「Spirit of the game(SOTG)賞」ってどんな賞なんだろうと思って調べると、対戦した両チームが相互に相手のフェアプレイ度合いを評価し、スコアをつけ合って、その平均点が最も高かったチームに賞が授与される賞のようです。以下が審査基準。あくまで、素人の私が調べた限りではありますが。
ルールへの理解と順守:ルールを正しく理解し、意図的な違反をしていないか。
接触の回避:危険なプレイや、不要な身体接触を避ける努力をしたか。
公平さ:判定(コール)の際に客観的で、相手の意見にも耳を傾けたか。
ポジティブな態度:感情的にならず、試合を通じて敬意ある態度を保ったか。
コミュニケーション:選手同士で明確かつ礼儀正しい対話ができていたか。
▪️この競技の「精神」を試合の中で一番体現していたということなのでしょうね。素晴らしいな。親バカな投稿で申し訳ありません。
【追記】▪️ インスタの写真で「Spirit of the game(SOTG)賞」の盾を右手で持っているのが息子です。なぜ息子が「Spirit of the game(SOTG)賞」の盾を持っているのかというと、彼がチームのスピリットキャプテンだったからのようです。なんだ、この役は? …となって調べてみると、こんなことがわかりました。
アルティメットの「スピリットキャプテン」とは、フェアプレーの精神を守り、試合中のルールに関する話し合いやトラブルを解決するために任命される特別なキャプテンのことです。アルティメットには審判がいません。選手たちが自分たちで反則を申告する「セルフジャッジ」という仕組みで試合が進みます。そのため、チームの戦術を引っ張る普通のキャプテンとは別に、「お互いにルールを守って気持ちよく試合をする」ことを専門に担当するリーダー(スピリットキャプテン)が必要になります。公式ルールでも、各チームは必ずスピリットキャプテンを指名しなければならないと決められています。
名前の漢字
▪️新聞を読んでいて、「子どもの名に『勒』新たなOK」という記事に目が止まりました。子どもの名前に使える漢字は、戸籍法によって決まっています。これまで、2999字だったのが増えたという内容です。今回は、「弥勒」の「勒」の字が認められたということのようです。この「勒」の字をめぐっては裁判にもなっているようです。裁判所の判断をきっかけとして使えるようになった漢字は、記事では以下の文字。
1973年 悠
1997年 琉
2004年 曽、獅、駕、毘、瀧
2009年 祷、穹
2015年 巫
2017年 渾
2026年 勒
▪️「悠」という漢字は以前は使えなかったんですね。びっくりしました。後輩の娘さん、指導する学生さんたちの中にも、悠という漢字を使った名前の方がおられます。そして皇室の皇位継承第2位のあの青年も。この漢字は、普通に見られるのですが、以前は「常用平易な文字」とは認められていなかったんですね。しかし、今回の「勒」では、「勒人(ろくと)」、「勒真(ろくま)」、「勒生(つとむ)」、「勒(あきら)」といった名前が考えられるようです。最近は、演習なんかで出欠をとるとき、漢字だけだと読むのが困難であったり、あるいは読みについて自信もてない名前が結構あるんです。まあ、こういう名前は、相手の記憶に強く残るかもしれません。私は、健一という凡庸な名前なので、間違われたことがありません。ちなみに、父は恵人です。「常用平易な文字」であるにもかかわらず、読み方が難しいく、読んでもらえない代わりに、取引先の方によく名前を覚えてもらって得をしていると言っていました。恵人と書いて、「めぐんど」と読みます。清人が「きよんど」、鉄人が「てつんど」というパターンと同じですね。
『川西英・神戸百景~百の風景をたどる旅~』の「鴨子ヶ原団地」
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▪️このサイトを、AIを使ってみつけました。これは、神戸の版画でよく知られている川西英さんの『川西英・神戸百景~百の風景をたどる旅~』です。まずは、こちらからお読みいただければと思います。
▪️この川西さんの作品のなかに、私が幼少期に過ごした鴨子ヶ原団地が登場します。私の原風景です。この団地に暮らしていました。阪急御影から山裾を登ったところにある団地です。昭和35年頃から昭和38年の春頃まで暮らしていたはずです。
▪️5階建の4階で、3Kの間取りでした。4畳半が2間に6畳間、それとキッチンです。窓枠は、木製だったと思います。ステンレスの流しのあるキッチン。洋式の水洗便所。南側にはベランダがありました。ベランダからは、大阪湾や淡路島が見えていたはずですが、幼児であった私には風景を鑑賞することができませんでした。「良い景色だ」というのは、成長過程で学習するものなのだと思います。せまいキッチンには小さなテーブルがおかれました。家具屋さんがダイニングテーブルを届けてくれたときを思い出します。狭いキッチンに置くテーブルなので、1/3が折りたたみになっていたように記憶しています。まだ、3歳か4歳だったと思いますが、すごくテーブルというものに、椅子にすわる生活に、何か期待感のようなものがあったのではないでしょうかね。
▪️我が家には冷蔵庫と洗濯機はありましたが、テレビがありませんでした。「三種の神器」のうちテレビだけがありませんでした。上の階のご家庭が我が家の冷蔵庫に竹の皮でつつんだお肉を預けにこられて、私は上の階のご家庭のテレビをみにいっていました。なつかしいですね。断片的な記憶も思い出したときに、記録しておかないとと、70歳を間近に控えて思っています。