大阪天満の豚足

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▪️念願がかなって、こちらのお店に行くことができました。「アンドリュー・ワイエス展」からの帰り、ふとこのお店のことを思い出して、JR大阪環状線の天満駅で途中下車しました。大阪・天満駅0分のところにある「中トロと豚足」という名前のお店です。写真、これ、豚足です。とっても柔らかい。私の豚足の原点は神戸元町にあった台湾料理の「丸玉食堂」でした。それと同じくらい柔らかい。ただし台湾料理のように八角の香りはしません。八角が苦手な人でもOK。ニラとコチュジャンベースのタレも美味しかったです。お店は座ると料金が少し高くなりますが立飲みだと安くなります。今日は立飲みでした。それから、若い人が多いのに驚きました。糖質制限の私はもちろん注文しませんが、若いグループはピザを注文していました。美味しそうでした。

▪️ちなみに、豚足は、私たち糖尿病患者の味方だと思っています(あくまで個人的な意見です)。豚足は、高タンパク・高脂質でありながら糖質がゼロという食材だからです。私は糖質制限はしていますが、カロリー制限はしていません。太るほどのカロリー摂取もできないような胃袋になってしまいました。ですから、自然にカロリー制限になっています。私のエネルギー源は、脂質です。脂肪を肝臓で分解してエネルギー源にしているようです。もちろん、太ってしまうほど食べたら、これは問題です。そのあたりは、きちんと考えながら食べなくてはいけません。また、痛風の人は食べない方が良いですね。プリン体が含まれていますから。

「アンドリュー・ワイエス展」(あべのハルカス美術館)

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20261011andrew_wyeth3.jpg ▪️孫の運動会の応援の後は、ひさしぶりに「あべのハルカス美術館」に行きました。「アンドリュー・ワイエス展」です。以下は概要です。

「アメリカを描く」画家として国民的人気を誇り、日本にも多くのファンを持つアンドリュー・ワイエス(1917―2009)。本展はその没後、日本初となる待望の回顧展です。日本初公開作品15点を含む100点の作品が国内外から集結します。
戦後アメリカ美術の前衛的動向からは距離を置き、ひたすら自分の身近な風景と人々を深い精神性を宿したリアリズムによって描き出したワイエス。本展では、その作品に数多く登場する窓や扉といったモティーフを通して、「境界」という概念にも光を当てます。光と闇、自己と他者、生と死など、さまざまな「境界」をつなぐワイエスの絵画は、世界の分断が進むいまの時代に、静かな希望をもたらしてくれることでしょう。

▪️キーワードは「境界」。社会学を勉強していると、ゲオルグ・ジンメルを連想してしまいます。「境界」を社会や人間関係における「分断」と「結合」の両義的な意味を持つ概念として捉えていたように記憶していますが、ワイエスの場合は、一見「分断」のよう見えていて、心をすませばそこには「結合」=「つながり」が感じられるんだよという感じでしょうか。今日の展覧会で知りましたが、わびさびといった感性、水墨画に描かれる静寂を好む日本人の感性とマッチしているようです。ワイエスは若き日に父を鉄道事故で亡くしていて、そのことが彼の人生や作品に大きな影響を与えています。ワイエスの作品からなんとなく死のイメージを感じ取れるように思うのですが、それは父を亡くしたことと関係しています。死のイメージと書きましたが、ネガティブな意味ではなく死者とのつながりと言い換えられるかもしれません。辛いことですけど。人生の儚さ、諸行無常的な人生観、日本人の死生観と近いものもあるようです。そういえば、能(夢幻能)も生きている人と死んだ人とのやりとりですね。

▪️もつひとつ。ワイエスが描いた風景、夏の家があったメイン州の風景です。静謐でありながら、どこかちょっと荒涼とした独特の雰囲気があります。アメリカのホラー作家のスティーブン・キングの作品とも共鳴し合うものを感じました。キングの作品の舞台もメイン州です。おかしなことを書いているかもしれませんが、そう感じたのです。でも調べてみると、まんざら私だけの妄想でもないようですね。また、知人が、メイン州は『オリーヴ・キタリッジの話』の舞台でもあることを教えてくれました。エリザベス・ストラウトによるピュリッツァー賞受賞作の連作短篇集『オリーヴ・キタリッジの生活』、およびその続篇『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』の舞台もメイン州であることを教えてくださいました。主人公であるオリーヴ自身や、町に暮らす人々の人生の喜び、苦しみ、老いを描いた連作短篇集。翻訳が出ているようなので、時間が取れたら読んでみたいと思います。展示してあるワイエスの作品。写真撮影がOKのところがありました。ということで、撮らせていただきました。また、美術館をでた所から、生駒山・奈良方面も撮ってみました。
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孫のランドセル

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▪️娘には、2人の子どもがいます。孫ですね。2人とも女の子です。上の孫はひなちゃん小学4年生、下の孫ななちゃん保育園の年長さんです。来年から小学生になります。ということで、朔日は大阪梅田のグランフロント大阪ナレッジキャピタルにある、ランドセル専門店で下の孫のランドセルを予約注文しました。入学のお祝いに祖父母がランドセルを購入することが多いようです。店内は、ものすごく賑わっていました。1年近く前から予約しないと、気に入ったランドセルが手に入らないのですね。

▪️今は、ランドセルにも実に様々な色があります。今から60年前(わたしの時)は、黒と赤しかありませんでしたが…。今日、孫が選んだ色は、薄い茶色「モカ」でした。この点については良い時代になったと思います。孫は保育園の年長さんですが、なかなか渋い選択です。そしてそこに貼り付ける飾り付けのシールもあるのですが、その「モカ」にあうシールを選んでいました。土台が「モカ」なのでベージュ系のシールはよく似合います。

▪️予約をした後は、梅田貨物駅跡にできた「グラングリーン大阪」のあたりを散策しました。たくさんの家族連れで賑わっていました。ただし、昔、ここに貨物駅があったという「土地の履歴」はいっさいわからなくなっていました。まわりのビルに入っているテナントもそうですが、まだまだ、作り物のハリボテ感満載の感じばかりして、私のような年寄りには、ちょっと寂しい感じでした。過去の大阪駅界隈を思い出せるのは、高架下の「新梅田食道街」しか残っていないのかな。

大阪・渡船・ウォーキング

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▪️まだ、もう少し先のことになりますが、「びわ100」(びわ湖チャリティー100km歩行大会)を一緒に歩いたバディ、龍谷大学吹奏楽部OBの上道 郁夫さんと、大阪の街中を歩くことにしました。少し私の方の「脚」の準備をして、楽しみたいと思います。昨年の「びわ100」完歩以降、まともにウォーキングに取り組んでいないからです。

▪️1段目の地図に示したウォーキングのコース、これは上道さんが開発されたコースです。大阪市内に残る8つの渡船と4つの大橋を渡るコースです。今回は、なんといっても、この8つの渡船に乗ることが最大の楽しみになります。地図上の黒の丸で囲んだところが、その渡船です。全て無料です。2段目右の地図の番号が渡船の場所です。①天保山(てんぽうざん)渡船場/②甚兵衛(じんべえ)渡船場/③千歳(ちとせ)渡船場/④落合上(おちあいかみ)渡船場/⑤落合下(おちあいしも)渡船場/⑥千本松(せんぼんまつ)渡船場/⑦船町(ふなまち)渡船場/⑧木津川(きづがわ)渡船場になります。詳しくは、こちらの大阪市の解説や、こちらの記事をお読みいただければと思います。

▪️2段目左の地図をご覧ください。今回のコースは、大阪のかなり海に近いエリア、此花区、港区、大正区を巡るコースになります。渡船に乗船するため、住之江区や西成区にも入りますが、すぐに渡船で引き返すことになります。大まかな説明になりますが、江戸時代以前は淀川が運んできた土砂でできた荒地でした。当時の淀川は、今の淀川とは違う場所を流れていました。そうやって生まれた土地を、江戸時代には新田開発が行われました。明治時代になり、それらの農地が工業化や都市化が進む中で、しだいに市街地になっていきました。「水の都」と呼ばれた大阪の歴史も含めて、このウォーキングを堪能したいと思っています。もちろん、事前に、もう少し歴史的なことについても勉強しておこうと思います。これまで、私は琵琶湖水系の環境ガバナンスについて研究してきましたが、このウォーキングのコースは、その琵琶湖水系も含む琵琶湖・淀川水系の最後のエリアになります。

▪️今は、渡船は8つですが、上の大阪市の解説には、次のような説明がありました。

古来数多くの川が流れ、水の都と呼ばれた大阪には、人々の往来のための渡船場が各所にありました。当初民間によって営まれていた渡船は、明治24年に大阪府が「渡船営業規則」を定め「監督取締り」を行うようになり、明治40年には安治川、尻無川及び淀川筋の29渡船場については市営事業として市が管理することになりました。

大正9年4月、旧道路法の施行により渡船は無料となり、昭和7年4月以降はそれまでの請負制を改め、ほとんどが市の直営方式になりました。そして昭和10年頃には渡船場31か所、保有船舶数69隻(機械船32隻、手漕ぎ船37隻)、年間利用者は歩行者が約5752万人、自転車等が約1442万台を数えました。

▪️このような渡船が今でも残っていることには理由があります。上のリンク先の記事によれば、以下のとおりです。

自動車道路や地下鉄、バスといった交通インフラが発達している現代、それも大都会・大阪でなぜ今も現役で渡船が稼働しているのでしょうか。渡船場が点在する大阪市のベイエリアには、いくつもの河川や運河が網の目のように張り巡らされています。それらの水辺に隣接して多くの工場や機械施設等が立地し、それら施設への資材や原料の搬入出のため、大型の船が河川や運河の奥深くまで出入りします。そのため、河川に架けられる橋の数が制限され、また運搬船が航行可能な大型サイズの橋のみが建設されることとなりました。ところが、それらの施設に勤める労働者や、当地域に暮らす人たちにとっては、通勤・通学などの際に、大きな橋をわざわざ上り下りしたり、橋のあるポイントまで大きく迂回しなければならないという不都合が生まれたため、生活に必要な交通インフラとして渡船は今も稼働を続けているのです。

▪️上道さんが「開発」されたコースを歩くと、だいたい27kmになるのだそうです。トップの地図、2段目左の地図は、手元のiPadに入っている「キョリ測」というアプリで描いたものテス。どうしても不正確になるので、もう少し距離が短くなってしまっています。ちなみに、緑の丸は、安治川の川底にあるトンネルです。上道さんからは、渡し船の待ち時間があるので、結構な休憩時間が入るそうです。ですから、ウォーキングのトレーニングというよりも「大人の遠足」になるようです。それはそれで楽しいです。以前同僚だった原田達先生は、今から3年半前に大阪の「低山」をランニングで巡られました。その時のご経験から、原田先生に上道さんと歩くことをお伝えしたところ、「渡し船は、大阪の、下町の、普通の人びとの生活の香りそのままでとても気に入りました」とお返事をいただきました。楽しみですね。まだいつになるのか決まっていませんが、ゴールは西九条駅になりますが、近くの銭湯で汗を流して、最後は上道さんご夫婦との飲み会(直会)になる予定です。

▪️以前、中沢新一さんの『アースダイバー』に強い刺激を受けて、東京にお住まいの建築家や写真家と共に、東京の街をよく歩きました。その延長線で、大阪の街も、特に上町台地を中心によく歩きました。その時のことは、民間が提供していたブログに投稿していましたが、サービスが停止したために全ての投稿が消えてしまいました。もう少しきちんと対処して、別の民間ブログに移しておけばよかったよかったなと思っていますが、今となってき仕方がありません。また、歴史の地層を風景の中で深掘りしていくようなウォーキングができればなと思っています。

仁徳天皇陵

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▪️昨日は堺市に出かけました。ひとつ前の投稿にも書きましたが、大阪からは阪堺電車に乗りました。堺市の宿院に到着したら、「仁徳天皇陵を拝見せねば」ということで、市役所まで歩いて、その最上階の展望室から拝見してきました。その大きさに驚きますね。堺市の観光地のひとつになっているようです。

▪️子どもの頃、親戚に連れて行ってもらい参拝した記憶があります。おそらく、1970年の大阪万博の時かな。だとすれば、54年前のことになりますね。その時は、拝所に行ったと思うので、前方後円墳の「前方」の方から眺めました。ただ、子どもだった私には、「森があって、堀があって…というだけ。つまらないな」と思ったように記憶しています。さすがに、今は老人になっていますので、そんなふうには思いませんが。昨日は高いところから拝見したわけですが、それでも前方後円墳の形はわかりませんでした。

▪️展望室にはガイドさんがおられて、いろいろ説明してくださいました。森のようになっていますが、以前は古墳を笹が覆っていたのだそうです。明治時代、その笹を伐採し、植樹した結果、このような鬱蒼とした森になっているようです。世界一大きなお墓の北側を南海高野線が走っています。前方後円墳の「後円」のほうにちょっと沿うように。そのことを今回初めて知りました。

▪️市役所の壁にこんなポスターが貼られていました。「古墳群をこよなく愛しているハニワ部長・CHO(Chief Haniwa Officer)」さんです。この仁徳天皇陵も含めて、「百舌鳥・古市古墳群」は世界遺産に登録されています。堺市も、古墳観光にも力を入れておられるのでしょう。古墳を模ったお菓子も売られているようです。

「あべのハルカス」からの眺め

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▪️先日、大阪の「あべのハルカス美術館」で開催されている展覧会「円空-旅して、彫って、祈って-」に行ってきました。そのまま帰っても良かったのですが、せっかく「あべのハルカス」に来たのだからと、ビルの最上階の展望室まで上がりました。もちろん、お金を払って。60階から、JRの天王寺駅と近鉄の大阪阿倍野橋駅の界隈をしばし鑑賞⁉︎しました。1枚目がその時の写真です。JRの大阪環状線、大和路線、阪和線、近鉄の南大阪線。じっと眺めていて見飽きませんね。同じように見飽きない人がちらほらおられました。あっ、あと阪堺線も。この方角では見えませんが、60階から眺めました。

▪️2枚目は、北側の風景です。左の方に、高いビルが集まっているところがありますね。これは梅田界隈になります。そのずっと向こうには宝塚市や川西市の山々が見えます。万博公園の「太陽の塔」もみえるらしいのですが、私の肉眼では無理でした。手前の方、少し左よりのところには大阪城が見えます。昔は、この天守閣が一番高かったのでしょうが、今はもっと高いビルの中に埋もれてしまっています。この大阪城は上町台地の先端部分にあります。そこから道路が南に走っています谷町筋です。大昔、縄文時代ですが、この上町台地の両側は海でした。大阪平野は海が淀川が運んできた土砂が海に堆積することによってできあがっていくのですが、その歴史をこの風景を眺めながら想像しました。さらに手前の方をよく見ると四天王寺さんも確認できます。『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたようですね。その頃は、どのような風景だったのでしょうね。

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▪️3枚目は西側です。真ん中あたりは、宝塚ですね。ずっと左方(西側)には私の故郷である神戸や六甲山が確認できます。また、大阪湾も光って見えています。西宮市にある母校・関西学院大学は台地の上にあるので、望遠鏡があれば見えたのではないかと思うのですが、私の肉眼では無理です。母校の背景にある甲山(かぶとやま)も霞んでいるため確認することができませんでした。残念です。左の方にあるビル群は梅田界隈、その南の方のビル群は難波界隈でしょうか。そして一番出前には、天王寺公園が。公園内には動物園も。37歳になる娘がまだ赤ん坊だった頃、この動物園に行ったことを思い出しました。その時、学生時代所属していた学生オーケストラを指揮していただいた、湯浅卓雄先生にも偶然にお会いしました。芋蔓式に、いろんな記憶が風景の中かから浮かんできます。

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▪️4枚目は、南側です。遠くには大阪平野と奈良盆地を隔てる金剛山地が。左の方に、白い巨大な施設が見えます。これは、「ヤンマースタジアム長居」です。手前の方には、阪神高速14号松原線が走っています。そこに隣接している巨大な墓地は、「大阪市営南霊園」です。江戸時代は、千日前あたりに刑場・墓地・火葬場があったのですが、明治3(1870)年にこれらは廃止となり,明治7(1874)年に天王寺村埋葬地(阿倍野斎場)が完成し、そこに千日前にあった墓地などがここに移されたようです。一度、訪れてみたいのですが、まだ実現していません。

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▪️5枚目は、東側です。遠くに見えるのは生駒山系です。以前、長らく奈良に暮らしていました。6年間ほど岩手県に単身赴任していましたが、30年近く奈良に暮らしていました。私が奈良から大阪に来るときは、近鉄奈良線を利用していたので、この写真に写っている南大阪線はほとんど利用することはありませんでした。近鉄奈良線に乗車していると、石切のあたりからは、この写真とは逆の方向に大阪平野や六甲山や神戸の方面が確認できました。大津に暮らすようになってからもう奈良線に乗車することはありません。懐かしい気持ちになります。

大阪駅の「天空の農園」

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▪️ひとつ前の投稿にもあるように、昨日は、龍谷大学吹奏楽部の定期演奏会でした。終演後はホール近くのバルでレセプションが開催されたので、あらかじめホテルを予約して宿泊しました。帰宅する際、大阪駅で上に登るエスカレーターが気になり、行けるところまで登ってみました。すると最後は階段になり、14階に「天空の農園」という場所を発見しました。本当に野菜を植えてありました。
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▪️植えてあったのは、芽キャベツ、ケール、田邉ダイコン、天王寺カブラ、カリフラワー等です。どうして、ビルの屋上にこのような施設を設けたのか、その理由がよくわからないのですが、素敵だと思いました。コンセプトについても知りたいなと思いました。農園なんですが、公園でもあります。

▪️この「天空の農園」からは、豊中、尼崎、伊丹、宝塚、西宮方面がよく見えました。思い出深い、西宮の甲山が見えないかなと思ったのですが、ビルに隠れて見えませんでした。残念。梅田スカイビルの手前、開発工事が行われています。「グラングリーン大阪」というらしいですね。大阪で進んでいることを普段意識することもなくなっているので、この「グラングリーン大阪」のことを全く知りませんでした。梅田界隈を歩いていると、人が多くて…。自宅のある滋賀に戻ると、何かホッとしているような気がします。

なにわ歴博講座「大阪環状線から見た近代大阪」

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■こちらの講座に参加します。私が興味深く思っていることは、この講座の概要の中にある「大正末から昭和初期にかけて、大阪市は市域拡大して「大大阪」となりましたが、当時、環状線は「都市」と「農村」の境界線になっていました」という部分です。境界線のような場に環状線が建設された…のではないのかなと思っていますが、まあ、いずれにせよ楽しみにしています。でも心配なのは、開催日の頃のコロナ感染の状況ですよね…。

「馬について語り、遊び、食べる会」

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■先日の17日、大阪の谷町にある應典院で「馬について語り、遊び、食べる会」が開催されました。應典院はどのような寺院なのか、どうして寺院でこのようなイベントが開催されるのか、その辺りのことについては、昨年、1月24日に同じく應典院で開催された「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」のエントリーに詳しく書いておりますので、そちらの方をご覧いただければと思います。このイベントを企画運営されているのは、陸奥賢さんとお仲間の「いきものがかり」の皆さんです。陸奥さんたちは、蚕、鯰、亀、鯨など「異類」に関するプロジェクトを手掛けてこられました。今回の「異類」は馬です。馬を食べること=命をいただくことを通して、馬の歴史・文化を見つめ直すことが目的です。

■昨年に続き企画されたイベントですが、今回は、少し特別なことがあります。この日の「馬について語り、遊び、食べる会」を含めた6つのイベントが、1月15日から17日までの間に「陸奥賢と愉快なコモンズ・デザインたち 應典院・コモンズフェスタ発祥の6コンテツ」と銘打った一連のシリーズとして開催されたわけですが、そのうちの1つ「まわしよみ新聞~新聞メディアの新しい可能性を探る~」の「まわしよみ新聞」が昨年度、「読売教育賞(NIE部門最優秀賞受賞)」を受賞されたのです。陸奥さん、あらためて、おめでとうございます。この「まわしよみ新聞」ですが、私もゼミで使わせてもらったことがあります。とても盛り上がりました。

■さてさて、イベントの報告に戻りましょう。今回も、陸奥さんからイベントの趣旨の説明が行われたあと、應典院主幹である秋田光軌さんに導師をお務めいただき、寺院のなかにある十一面観音を祀った祭壇の前で、参加者の皆さんと浄土宗に則った法要を営みました。そのあとは、陸奥さんを講師に、馬と人の歴史・文化に関するお話しをお聞かせいただき、馬肉の刺身と、馬肉を使った桜鍋をいただきました。刺身は、馬肉の赤身、ハツ=心臓、コウネ=たてがみ(馬のたてがみが生えているところの肉)です。赤身とコウネを一緒にいただくと旨味と甘みが見事に調和して美味しくなります。こちらは、生姜醤油や、九州の甘めの醤油に少しすりおろしたニンニクを入れていただきました。それから、ハツは、ごま油と塩でいただきました。どれも、非常に美味しい。桜鍋ですが、これは青森県の郷土料理なのだそうです。桜肉とは馬肉のことです。これも旨味が出てとても美味しかったな〜。
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■来年もこの企画は続くことが、イベントの最後に宣言されました。来年は、鹿だそうです。このブログでは鹿肉・ジビエ・獣害の問題に関しては、いくつかエントリーしてきました。できればお読みいただきたいのですが、「SHARE WILD PROJECT」という試みの中では、獣害として処理されている鹿たちの命の問題を、真正面から受け止め活動している青年たちの活動を取り上げています。私の願望ですが、こうやって命の問題に取り組む団体と應典院との間で素敵な連携が生まれていけばなあと思っています。なかなか、大変だとは思いますけど。
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「横山ホットブラザーズ」を無形文化財に指定 大阪市


■上方漫才の「横山ホットブラザーズ」の皆さんが、大阪市の無形文化財に指定されました。おめでとうございます。本当に、めでたい。大阪市の無形文化財には「上方漫才部門」があり、これまでには、「夢路いとし・喜味こいし」のお2人だけでしたが、今回は2組目ということになりますね。「横山ホットブラザーズ」のお3人、横山アキラさん(84)横山マコト(82)さん、横山セツオ(71)。こんなご高齢だと知りませんでした。舞台の上で、観客の皆さんを喜ばせることが、皆さんのお元気の素なのでしょうかね。大変有名ですが、「お~ま~え~は~あ~ほ~か」のノコギリ芸、何度見てみ笑ってしまいます。このお笑いの生命力、すごいことだと思います。だからこそ、「無形文化財」なのだと思います。

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