東京スカイツリー( 2 )

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▪︎トップの写真、中央に高い高層マンションが見えます。しかし、「東京スカイツリー」の450mの展望台からだと、たいした高さに見えません。ここは、墨田区の京島と呼びれる地域です。線路が見えますが、京成電鉄と東武電鉄です。少し離れたところに確認できますが、大きな川があります。これは荒川です。私は、東京の友人たちと、この京島から荒川にかけてのエリアを何度か歩きした。大変、思い出深い地域です。それこそ、「虫の眼」でもって歩きました。今回は、「鳥の眼」でこの地域を眺めています。「虫の眼」と「鳥の眼」、その両方で見るからこそ理解できることがあります。「虫の眼」からだけでは、また「鳥の眼」だけからでは、理解できないことがあると思います。両方が大切だ、それが私のスタンスです。これは社会を考えるさいの視点の取り方について比喩的にもいっているわけです。荒川の向こう側は、江戸川区です。写真ではよく確認できませんが、さらに向こう側には江戸川が流れており、江戸川の左岸は千葉県です。千葉の松戸にも行ったことがあります。松戸に親しくさせていただいている方たちが多数お住まいなのです。その松戸を訪問したのも何年も前のことになります。懐かしいです。

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▪︎左は東京タワーを撮ったものです。「東京タワー」にも登ったことがありますが、ずいぶん小さく見えますね。「東京タワー」は333m(「東京スカイツリー」は634m)、昭和33年(1958年)に竣工しました。私と「同い年」です。「東京スカイツリー」よりも「東京タワー」に共感を覚えるものですから、こんなに小さく見えることに少しがっかりしました。右側は、「東京スカイツリー」の南側の風景です。東京湾が見えます。小さくてわかりにくいですが、東京湾にポツンと何か建造物が見えます。これは、「東京湾アクアライン」の「風の塔」です。地下トンネルの換気のために設けられています。左の方には、「海ホタルPA」や「アクアブリッジ」のシルエットが確認できます。

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▪︎左の写真をご覧ください。手前の方に流れてくるのは隅田川です。その向こう側に流れているのは荒川です。さらにずっとずっと向こうには、筑波山も確認できます。手前の隅田川沿いの地域は、南千住です。ここも京島ほどではありませんが、歩いたことがあります。酒飲みの方たちには有名な店なのですが、南千住の「大林」という居酒屋にも数回行きました。懐かしいです。関心のある方は、ぜひネットで調べてみてください。東京に関心があるとしても私のばあいは、隅田川、荒川、江戸川の流れる地域が中心になります。私は、東京の友人たちと「東京底湿地帯」と勝手に呼んでいました。このあたりには、いわゆる「海抜0m地帯」が広がっています(実際には、-2mだったりするのだそうです)。

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▪︎写真左。中央に黒い細い帯のようなものがみえます。ここは、駅でいえば、王子、東十条、赤羽のあたりです。北区です。この地域も、よく歩きました。素敵な元気の良い商店街が健在でした。もし、東京に暮らすことがあれば、こういうところに住みたいなと思う場所でした。赤羽では飲みました。漫画「孤独のグルメ」で有名になった「まるます家」に行きました。懐かしいです。赤羽は台地の上に昭和30年代に開発された団地があり、台地の下には下町がひろがっています。ここもいろいろ勉強しました。思い出深い地域です。荒川の向こうには川口の街があります。若い学生の皆さんは、なんのことやら…でしょうが、吉永小百合が主演した「キューポラのある街」で有名です。赤羽、荒川、川口…。高度経済成長期、この川を挟んだ地域の関係は大変面白いものがあるのです。川口からすれば、赤羽は東京の入り口でもありました。川口の工場の女工さんたちが、休みに日に遊びにいく街でした。東京の一番北の入り口にあたる街でした。

▪︎真ん中の写真には、「上野恩賜公園」が見えます。この「上野恩賜公園」の左の方には、白い屋根のようなものが確認できます。これは、「東京ドーム」です。雲がなければ、おそらくは富士山も見えたのでしょうが、この日は、残念ながら確認できませんでした。右側の写真では、「両国国技館」が見えます。その横には「江戸東京博物館」も見えます。東日本大震災の後、東京の友人の皆さんと東京の街を歩くことがなくなりました。震災が、なにか私たちの意識を大きく変えてしまった感じがします。でも、またこの東京の街を歩くチャンスがやってくるのではと思っています。そうあってほしいと思います。

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▪︎今回、「東京スカイツリー」に登って感じたことがもうひとつあります。災害の問題です。東京都では、各地域における地震に関する危険性を、建物の倒壊及び火災、災害時の避難や消火・救援活動のしやすさ(困難さ)を加味して、それぞれの地域の危険度の測定を行っています。詳しくは、東京都都市整備局の「地域危険度とは」のページご覧いただきたいと思います。ひとつの目安ではありますが(危険度が低いから安心というわけではないでしょう)、こうやって地図化してみると、直感的に理解できます。上の図がそうです。東京都都市整備局では、「災害時活動困難度を考慮した総合危険度の高い地域は、建物倒壊危険度、火災危険度ともに高かった荒川・隅田川沿いのいわゆる下町地域一帯に分布しています。具体的には、足立区から荒川区、葛飾区西部、墨田区、江東区北部に広がる地域で、また、品川区南西部や北区北部から豊島区北部に広がる地域でも危険度が高くなっています」と説明しています。「東京スカイツリー」のあるあたりや、京島もこの危険度の高い地域に入ります。もっとも、このような危険度が、実際の地域社会のなかで、具体的にはどのように機能するのか / 機能しているのかという点については、私にはよくわかりません。「防災」や「減災」に対する取り組みがどれほど進んでいるのか、また、社会学の古典的な概念でいえば、このような危険度の提示が地域社会に対してどのような「潜在的逆機能」を持っているのか(特に、社会的に弱い立場にある方達にとって)…ということも気になるところです。

「女性と環境運動」に関連する論文

▪︎一昨日の投稿では、小松丈晃さんが翻訳されたニコラス・ルーマンの『リスクの社会学』についてふれました。今回は、以前、「リスク論」とともに昔勉強していた「女性と環境運動」について気になる論文をみつけました。本当に偶然なのですが、安藤丈将さんの「六ヶ所村女たちのキャンプの民主主義」という論文です。ネット上にPDFファイルであるので、どなだでもお読みになることができます。

安藤丈将「六ヶ所村女たちのキャンプの民主主義」(『ソシオロジスト』武蔵大学社会学部),16, 1-38, 2014)

▪︎以下は、この論文の要約です。引用されている文献からもわかりますが、海外でのエコロジカルフェミニズムの研究を参照されています。日本に紹介されたエコロジカルフェミニズムは、当時の社会状況や思想状況のなかで、大変否定的に扱われました。といいますか、「エコフェミ」は、印象としては叩きのめされたという感じです。エコロジカルフェミニズムといっても、その中身は多様です(否定されたのは、そのひとつにしかすぎません)。海外では、様々な背景をもったエコロジエルフェミニズムの研究が継続され蓄積されていきました。この安藤さんの論文のなかに引用されている Vandana Shiva や Maria Miesは、その代表格かもしれません。日本の「エコフェミ論争」については、現在の視点からすれば必ずしも生産的でなかったように思います。

1991 年 9 月,青森県上北郡六ヶ所村で,核燃料サイクル工場へのウラン 搬入を阻止するために,女性たちがキャンプを張った。本稿は,この「六ヶ所村女たちのキャンプ」について考察する。参加者の多くは,六ヶ所村から離れ て暮らしていたが,自分が直接被害を受けるわけではないにもかかわらず,な ぜ抗議行動に加わり,何を問題にしようとしたのか。その問題意識を探るとと もに,最近の民主主義論の成果を用いながら,女たちのキャンプの実践を読み解いていく。感情や個別性のような女性に固有とされる徳性の否定的な理解を 読みかえ,脱原発の思想を練り上げること。友情という非公式の政治的資源を利用しながら,より深い政治的コミュニケーションをつくり出すこと。非暴力 直接行動の中に,他者への依存の許容と気づかいを組み込むこと。以上の点について論じながら,本稿では,女たちのキャンプではいかなる民主主義が実践されたのかを明らかにする。

▪︎ところで、安藤さんは、『ニューレフト運動と市民社会「六〇年代」の思想のゆくえ』(世界思想社)を書いておられます。これはまだ未読なのですが、偶然にも、太郎丸博さんが書かれた書評をご自身のブログで読んでいました。

安藤丈将 2013 『ニューレフト運動と市民社会: 「六〇年代」の思想のゆくえ

目次 : 第1章 戦後の民主化運動の時代―「日常性」の発見以前(一九六〇年までの民主化運動/ 帰郷運動/ 高度経済成長の中の青年)/ 第2章 ニューレフト運動の形成―「日常性」を変える(安保闘争の「失敗」を超えて/ 自己変革の象徴としての直接行動/ 直接行動に反発するコミュニティ組織)/ 第3章 ニューレフト運動の後退―「日常性」の自己変革が生んだ苦しみ(コミュニティを基礎にしたポリシング/ 国民にサービスする警察/ 生き方の問い直しが生んだ苦しみ)/ 第4章 一九七〇年代のニューレフト運動―「日常性」の自己変革を深める(挫折からの再出発/ 地域の「生活民」から学ぶ/ 自己変革の鏡としてのアジア)/ 第5章 「新しい政治」の不在とニューレフト運動(日本における「新しい政治」の可能性/ 「新しい政治の政党」になれなかった社会党/ 女性たちの選挙運動/ 住民運動と政党政治)

▪︎これも結果として調べることになったのですが、安藤さんは、武蔵大学の教員をされています。学生の皆さんと一緒に、「練馬区の食と農」に関する調査をされているのです。練馬区は東京23区で最も農地率の高い地域だそうです。練馬は、武蔵台の畑地が多いのかなと思います。その練馬区内にはユニークなマーケット、カフェ、レストラン、農場が数多く存在しているのだそうです。なるほど…と、思いました。「六ヶ所村女たち〜」と「ニューレフト」(日常性における自己解放と自己否定)はもちろんですが、「練馬区の食と農」というテーマも…通奏低音としてつながっているはずだと感じました。

▪︎ところで、太郎丸さん自身は、安藤さんの本に関して面白いことをいっています。安藤さん自身がどう感じるかは別ですが…。こういうことを書くのは、太郎丸さんらしい。

個人的に面白かったのは、「日常性の自己変革」という考え方とミクロ社会学の類似性である。日本の社会学ではミクロ社会学が 1990年代ぐらいに大流行したのだが、その担い手がだいたいニューレフトの世代とその教え子たちである。ミクロ社会学の多くも日常生活の中に権力作用や差別や社会統制の根源があるとみなして、さまざまな研究がなされた。研究者を観察者として特権的な地位に置くことを否定したがる点もニューレフトとよく似ている。ニューレフトがポストモダニズムを準備したという議論があるが、やっぱりそうなのかな、という印象である。

【追記】▪︎女性と環境というテーマに関しては、以下の文献も確認してみようと思っています。『インパクション-特集 脱原発へ』(181号・2011年8月)。以下は、前書き。

 前号に引き続き原発を特集する。本号では、主として反原発運動のなかでこれまでも争点となってきたいくつかの論点に焦点をあてつつ、運動の回顧と展望をインタビューや座談会などで構成した。
 福島原発事故以降の反原発運動運動の高揚は、これまでの運動の経緯や争点に関わったことのない新しい人々や若い世代の登場によって支えられている。運動の新たな展開が「伝統」にとらわれない運動の流儀や思想を生み出す可能性をもつことによって、これまでの運動がなしえなかった大きな力を発揮することにもなる。この意味で、新しい運動の登場は原発を廃絶するための必須の条件であることはいうまでもない。しかし、他方で、新しい運動がこれまでの運動のなかで論争となったり争点となった課題を再び抱え込むことも少なくない。
 本号では、主としてふたつの論点をとりあげた。ひとつは、「母親」という主体への疑義であり、もう一つは放射線障害への不安意識に内在する障害者差別の問題である。原発事故が深刻な放射性物質による汚染と人体への深刻な被害をもたらすこと、とりわけ子どもや胎児に対してより大きな影響をもたらすことから、子どもをもつ母親たちが、新たな運動の重要な担い手となっている。母親だからこそ子どもたちを守りたいという当然とも思われがちな思いを、本号では女性解放運動や障害者解放運動が提起してきた問題とつき合わせつつ、この思いが母性神話や障害者差別の罠に陥ることのない条件を提起することを試みた。
 反原発運動の歴史は、原発を阻止することができなかった敗北の歴史でもあった。敗北だからそこから学ぶことはなにもない、ということではない。むしろその闘いは貴重なものとして私たちが今に受け継ぐべき多くの知恵と工夫に満ちてもいる。日本国内での深刻な事故や社会全体の右傾化など、これまでの反原発運動の経験だけでは克服が難しいいくつもの課題に直面している。本号では、運動の歴史を振り返ることと、今現在の運動が課題とすべき論点について、運動の当事者によるインタビューと座談会を掲載した。
 本号は反原発運動の回顧と展望ともいえる内容となっている。新たに反原発運動を担いはじめたみなさんにぜひとも読んでほしい。

▪︎もうひとつ、この特集と関連したプログ記事(「おきく’s第3波フェミニズム」)。気になるので、これまた引用しておきます。本文で、「日本の『エコフェミ論争』については、現在の視点からすれば必ずしも生産的でなかったように思います」と書いたことと関連しています。

今、事態がどんどん動き、不透明な混乱の中で、運動について、状況についてゆっくり論じる余裕のある人は少ないだろうし、そういう余裕があるとすれば逆にどこか抜けているものがあるのかもしれない。そんななかだから、脱原発運動の母性主義、というような難しい問題設定について運動の渦中にいて、明快に論じられる人は少ないだろう。そういう問題意識は、3.11以前からある程度運動やフェミニズムについて知識のあるひとがもつものだろう。
 今年の日本女性学会大会でも、同様のテーマでシンポジウムがもたれた。参加してみたが、やはり問題が深く論じられてはいない印象を持った。
 脱原発運動の母性主義というのは、今運動のただ中で感じられている問題というよりは、それ以前の、フェミニズム内の論争が記憶としてよみがえっているという感じがする。にもかかわらず、その切り分けがはかられず、一体誰が何を批判しているのか分からないままに注目されているような。
 じっさい、上記の天野の発言、「フェミニストの人が批判した」という口調、これもよく聞くものだ。聞くたびに、「フェミニストのひと」って誰?というフラストレーションを感じる。そういう種族でもいるかのように語られるのは非常に違和感がある。(天野は尊敬する人物のひとりです、ちなみに)
 そういう意味で、近藤がはっきり具体的に経緯を指摘しているのはありがたい。
 わたしも、90年代に上野のエコフェミ批判を読んで、影響を受けた。そこまで簡単にエコフェミの思想的可能性を否定はできないだろうとは思ったけど、やはり上野に軍配が上がったように見えた。
 だが、3.11を経て、松本麻里さんのインタビューを読むなどして、そのようなフェミニズムのこれまでのあり方が厳しく問われているように思う。
 フェミニズムの論客は、本当に、現実に向き合ってきたのだろうか。複雑でややこしい現実を、言説のひとつとして簡単に切り取ってしまい、整理し、ラベルを貼るだけでよしとしてきてはいなかっただろうか。フェミニズムだけではなく、90年代の構築主義や言説分析の流行した社会学全体にも言えることかもしれない。上野を批判するだけではなく、自分自身の問題として考えている。
 フェミニズムの視点、あるいは性差別へ批判的な視点をもつひとがそれほど多くない中で、フェミニズムの論客にあまりに多くを期待するのもおかしいだろう。やはり問題なのは、誰かひとりをもちあげてしまい、思考をとめてしまうようなひとりひとりのありかただろう。また、議論が自由にできないような雰囲気だ。女性学会のシンポジウムでも、既成のフェミニズムへの批判的な提起が、会場から反発されて、終わってしまったのは残念だった。あのようなやりとりをもっと深めていくことが必要なのかもしれない。

『リスクの社会学』( Niklas Luhmann ・著、 小松 丈晃 ・訳)

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▪︎今日は12日(月)、成人式で祝日です。しかし、大学は授業をやっている…と思って大学にいくと、今日は休みでした。法科大学院だけが授業で、他はすべて祝日で休みです。授業の15回確保という文科省からの指示があり、月曜日は祝日でも授業実施日になることがほとんどだったのです。しかし、今日は、違っていました…。

▪︎キャンパスに到着してから、愕然としました。ちょっとだけですけど(^^;;。休日、誰もいないキャンパスに来て研究室にこもることが、嫌いではないのです。卒論の添削やその他諸々で、年末の研究室の大掃除ができていなかったので、今日は、少し整理整頓を行いました。もう、これから残りの人生、かなりの確率で読む事はない書籍・報告書・雑誌の類を選び出しました。研究室のスペースは限られており、これ以上、書籍を書架に置くことができないのです。こういう単純な作業でも、残すのか捨てるのか考え始めるとけっこう時間がかかりました。ふと外をみると、すっかり暗くなっていました。

▪︎さあて帰宅しようと、建物の外に出たとき、私の研究室のある2号館のお隣り、理工学部がはいっている1号館の入り口あたりに照明がつけられていました。なんとなく、エエ感じやな〜ということで、iPhone6plusで撮ってみました。こういう暗い時間帯でも、iPhone6plusはけっこう思うように撮ってくれます。ありがたいですね〜。

20150112luhmann.jpg ▪︎まあ、そんな1日であったわけですが、1日の最後に、ニコラス・ルーマンの『リスクの社会学』の翻訳が出版されていることを知りました。翻訳者は、『リスク論のルーマン』の著者である小松丈晃さんです。私は、少しだけ小松さんと面識があります(東北社会学会)。ルーマンの『リスクの社会学』をベースに東北大学で学位を取得されたときに、小松さんの学位論文を送っていただき拝読していました。小松さんが、学位論文のなかで紹介されているルーマンのリスク論と、当時、私が執筆したばかりの論文、「地域環境問題をめぐる“状況の定義のズレ”と“社会的コンテクスト”-滋賀県における石けん運動をもとに」(『講座 環境社会学第2巻 加害・被害と解決過程』,有斐閣)とが、リスクに対する考え方で交錯するところがあり、そのことで小松さんと少しお話しをさせていただいたのです。その後、小松さんは、学位論文を『リスク論のルーマン』にまとめられました。この小松さんの著書は、大変評価の高いものになりました(日本の環境社会学者は引用しませんが、すぐれた研究書です)。私としては、はやく小松さんに『リスクの社会学』を翻訳していただきたいと思っていましたが、とうとうそれが実現しました。これまでは、英訳されたものを読んでいましたが、はやく小松さんにと、ずっと思っていたのです。

▪︎私の論文は、今でも時々引用されますが、引用の仕方がいつも「状況の定義のズレ」という概念に特化したものになっています。一度、ひとつのパターンで引用されると、そのパターンで繰り返されるわけです。今時の学会のよくないところかもしれません。きちんと個々の論文を読み込んでいないのです。本当にしっかり読んでいただきたいところは、もっと別のところにあります。リスクという概念で捉える問題が登場した時代状況や、リスクそのものに対する考え方でした。小松さんはさすがといいますか、そのあたりきちんと理解していただけたように思います。さっそく、小松さんの翻訳を読んでみようと思います。かつて取り組んでいた「石けん運動」の研究は、中途半端に中断していますので、刺激をいただき「再起動」したいと思います。

『農山村は消滅しない』(小田切徳美・岩波新書)

20150107nousanson.jpeg ▪︎ネットでこういうニュースを読みました。NHKのニュースです。一部を引用します。

住民の半数以上を高齢者が占め、存続が危ぶまれているいわゆる「限界集落」は国の調査で全国400か所以上に上り、中でも東北地方は50か所と中国・四国地方に次いで人口減少が深刻な過疎地が多く、集落維持のコストが課題となっています。
このため国土交通省は、集落を維持する場合と中心部に移しコンパクトな街づくりを進める場合のコストを比較し、実際の集落をモデルに検証することになりました。

▪︎国交省は、限界集落を維持するための、社会的費用がかかりすぎる…といいたいのでしょうね。「集落の維持にかかる道路や上下水道の費用やバスやゴミ収集車などのコストと、集落の移転に伴う費用を比較し移転でどれだけ節約できるのかを分析する」のだそうです。人口が集中している地域に住んでもらいたい、移転の費用を出すから、いまいるところを諦めて、町の方に暮らしてくれ…ということなのかもしれません。東北地方整備局の方は、「限界集落の問題は、住民の合意形成が難しくなかなか解決に向かわないが、『コスト』を見える形にすることで、集落再編を進める貴重なデータにしたい」とも話しておられます。

▪︎このようなコストだけが突出するような形での調査には違和感があります。単純に、集落維持に必要なコストと移転の費用を天稟にかけて判断することに違和感があります。限界集落の移転の話しは、その地域の歴史や状況、そして当事者の方たちの考え方を大切にしながらでないと進みません。コストの見える化だけの話しではないでしょう。移転するにしても、その移転先は、集落にとって馴染みのある地域なのか、それとも縁もゆかりもない地域なのかで、かなり違った話しになります。また、何代にもわたって暮らしてきたその土地の持つ意味、土地の「場所性」の問題についても、きちんと視野にいれないといけません。さらには、近くの町場に息子世代が暮らしているのかどうかといったことも、移転の問題にとっては重要になるでしょう。どのような地域を対象にした調査なのか、どのようなデータが収集されるのか、そのあたりもすごく気になります。特定の地域の事情が強く反映しているにもかかわらず、データだけが一人歩きしてしうことが怖いと思います。なんとか生き残ろうと頑張って村づくりに取り組んでいる地域がありますが、そのような地域にも、冷水をかけてしまうことにはならないのか…と心配しています。

▪︎この小田切徳美さんの『農山村は消滅しない』(岩波新書)は、このような政策的動向が既成事実化していく状況を批判的にとらえています。新書の帯には、「地方消滅論が見落とした農山村の可能性」と書いてあります。以下は、この新書の内容です。

増田レポートによるショックが地方を覆っている。地方はこのままいけば、消滅するのか? 否。どこよりも先に過疎化、超高齢化と切実に向き合ってきた農山村。311以降、社会のあり方を問い田園に向かう若者の動きとも合流し、この難問を突破しつつある。多くの事例を、現場をとことん歩いて回る研究者が丁寧に報告、レポートが意図した狙いを喝破する。

▪︎今は、時間的余裕がありませんが、近いうちに読んでみようと思います。

【追記】▪︎日本記者クラブで、小田切さんが講演されています。その講演がYouTubeにアップされています。
     

日本はどこに向かっているのか…

■内田樹さんの「2015年の年頭予言」(「内田樹の研究室」)を読んだ。私たちの国の向かっている方向や行末について語っておられます。暗い行末のなかで微かに明るい未来を確認するとしたら、絶望のなかで少しでも希望が持てるとしたら…そのような意味で大切な部分かと思いました。

統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。

■「国破れて山河あり」とは、杜甫の「春望」という漢詩からきています。杜甫は、安禄山の乱で長安の敵中に軟禁されました。この「春望」は、戦乱で荒れ果てた長安の春の景色を遠望し、変わらない悠久の自然と、国を混乱と破壊に陥れる戦乱を比べて、杜甫自身の不遇を嘆いた漢詩だといわれています。しかし、内田さんは、ここで「山河」を次のように説明しています。あえて、絶望のなかの希望のみを引用します。

日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。
日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。

自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。
それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないことである。
それが「できることのすべて」だとは思わない。
統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年先の『民の安寧』」を優先的に配慮しなければならないと考えている人が少しはいるだろう。
彼らがつよい危機感をもって動いてくれれば、この「後退戦」を別の流れに転轍を切り替えることはあるいは可能かも知れない。

谷川清澄さん戦争証言


「みんなの戦争証言アーカイブス」が提供されている動画を貼付けます。貼付けたのは、現在98歳の谷川清澄さんです。谷川さんは、以下のサマリーをお読みいただければわかりますが、海軍の兵士として従軍されました。

大正5年、福岡県に生まれ佐賀県で育った。「侍か軍人でなければ人でない」と言われた佐賀での暮らし。海が好きで、軍隊に憧れていたという少年は海軍兵学校を目指す。人々が自由を謳歌し文化を育んだ大正デモクラシー。「あれで空気が緩んだ」と谷川青年は時代の空気に厳しい目を向ける。アメリカを仮想敵国とした兵学校での厳しい訓練に耐え、21歳で卒業。分隊長として駆逐艦に乗員した3年後の昭和16年、日米開戦を迎え出撃。ミッドウェー海戦では水雷長として、米国艦隊との激しい戦闘の渦中に。空からの波状爆撃で炎上し自走できなくなった空母「赤城」を沈めたのは、谷川さんが発射した魚雷だ。轟沈する赤城に取り残された1人の水兵の影が見えたという。「30年は夢に出てきた」という。日米開戦前夜から終戦までを一貫して海軍兵士として闘い、見つめてきた谷川さんの証言は貴重だ。ミッドウェーでの作戦は事前に漏れていたーー。谷川さんが目の当たりにした衝撃的な大本営の舞台裏も。

■学生の皆さんにも、しっかり視ていただきたいと思います。

ビワマスのこと

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■「つながり再生モデル構築事業」(滋賀県琵琶湖環境部環境政策課)の関係で、野洲市にある家棟川の支流に調査にいってきました。先日、地元の「NPO法人家棟川流域観光船」の方たちとの協議のなかで、この支流にビワマスが産卵をするために遡上しているというお話しを、写真とともに伺っていたからです(写真下段右)。地元の皆さんの観察によれば、琵琶湖からやってきたビワマスたちは、家棟川の支流に入り上流に昇ろうとするのですが、河川の構造物が邪魔をして遡上できないようだというのです。また、大きな礫が河床にあって、産卵に適した砂利がないということもご指摘されていました。ということで、ビワマスが遡上し産卵できるようにするために、関係者が集まって現地を調査することになりました。

■この日の調査は、地元からは、「NPO法人家棟川流域観光船」の代表である北出さんと、野洲市環境基本計画の策定に市民として参加された方達3名の皆さんがご参加くださいました。研究者では、「つながり再生モデル構築事業」のモデル地域選定委員会でご一緒した、滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの佐藤さんが、今回の調査をアレンジしてくださいました。佐藤さん、ありがとうございました。そして、河川に魚道をどのように設置すればよいのかという技術的な点から、同じく選定委員会でご一緒した徳島大学の浜野龍夫先生(生物資源増殖学、地域生物応用学)もご参加くださいました。浜野さんは、ご自身で「私は、便利な水辺のおっちゃんなんですわ」とおっしゃいます。全国各地の河川の魚道設置に積極的にアドバイスし、それぞれの河川にあった魚道を提案をされてきたたくさんの実績をお持ちなのです。その他、行政からは、滋賀県琵琶湖政策課・流域政策局・南部土木事務所から4名の職員の皆さんが、野洲市からは環境課の皆さんが2名、そしてなんと驚いたことに、野洲市長の山仲さんもお忙しいなかご参加くださいました。

■調査は、冷たい雨が降るなかで実施されました。写真をご覧ください。地元の皆さんが困っておられるのは、トップの写真にあるような仮設の「落差工*」をビワマスが超えることができない…ということです。この落差工の手前までは、河川がすでに整備済みで、矢板をうってあるところから上流は未整備のままになっており、その整備の時期も未定なのだそうです。数十年間は整備される予定がない(必要性がない)とのことでした。ということで、現在の「落差工」の状況を確認し計測するために、浜野先生と佐藤さん、そして地元の市民のお1人が川のなかに胴長を着用して入っていかれました。あまり役に立たない環境社会学者の私は、橋の上から見学…。浜野先生からは、写真の中断左のような支流のさらに支流については、ビワマスが遡上しないような工夫をして、落差工に魚道を設置すれば、ビワマスは遡上させることができるというご意見をお聞かせいただけました。工事費もおそらくは600万円程度で済むとのことでした。浜野先生の言われる魚道とは、私たちが通常考える魚道とは異なります。河川の横に階段状の魚道がよく設置してありますが、日本の河川の魚達に不向きなものなのだそうです。こちらをご覧いただくと、浜野先生がご指導されている魚道がどのようなものであるのか、わかります。また、工事費が安く済むのかもわかります。

■こうやって、冷たい雨のなかで立場の異なる人たちが一緒に行動すること、言い換えれば、身体を使って「場を共有することは」とても大切なことだと思います。私たちは、調査のあとは、野洲市の図書館の一室を借りて協議を継続しました。異なる視点から、どうやって魚道を設置していくのか、知恵を出し合いました。生息調査を継続していく。工事費をどうやって捻出するのか。魚道の設置工事には市民参加で行う必要があること。野洲市全体の市民活動・まちづくりの文脈(環境再生型地域づくり)を背景にして、ビワマスの遡上・産卵や魚道設置を位置づける必要があることなど…いろいろ意見が出ました。意見を出すだけでなく、目標に向かってロードマップを作成していくことなども、全員で共有することになりました。

▪︎ところで、ビワマスってご存知でしょうか。ビワマスは、琵琶湖の固有種です。琵琶湖にしか生息していません。ビワマスは、琵琶湖の周囲の河川で生まれた仔魚は、琵琶湖の深いとろこにいって4〜5年かけて40〜50cm前後まで成長します。そして産卵期になると、生まれた河川に遡上していくのです。この産卵期のビワマス、大雨のときに黒く群れをなして河川を遡上することから、アメノウオともよばれています。しかし、そのような群れをなして遡上することは、この野洲市のあたりではあまり見られなくなってきました。河川改修などによる生息環境の悪化などで、生息数が年々減少しているからです。現在は環境省のレッドリストに準絶滅危惧種(NT)として指定されています。 今回、家棟川支流でこの準絶滅危惧種のビワマスの産卵が確認されたことから、家棟川をはじめとする身近な河川にもっと多くの皆さんの関心が向かっていけばよいなあと思っています。そして、流域管理を柱にした、環境再生型のまちづくりが展開していけばよいなと思っています。

*落差工:洪水防止や農業用水確保のために、急勾配の河川の勾配を緩やかにする構造物のことです。落差を河川のなかに設置して、階段状の段差をつけて流れを緩やかにします。そのことで流速を調整するのです。

【追記】▪︎12月18日の京都新聞に、この日の調査の記事が掲載されました。
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facebookの投稿

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■以下は、今日、facebookに投稿したものです。ひとつは、朝、通勤する近鉄の車内の吊り広告をみて思ったことです。いつもは、facebookの投稿を加筆修正してブログにアップすることが多いのですが、今回は、そのまま掲載させてください。

おおっ、近大や!同業者の「情報発信」は、やはり正直なところ気になる。この状況の中で、気にならない大学人はどうかと思う(たとえば、こんな人…と書きたい気持ちもあるが、やめておこう。自分の定年まではなんとかなるやろ…などとは考えないほうが良い)。

それぞれのニッチをみつけて状況の変化にどう対応・適応できるのか。差別化をはかる際の、質が重要だ。そのための多様な組織内資源に気がつくことも大切だ。そして、状況の変化に適応・対応するスピードも。

昨日は、こういった戦略に関してヒアリングを受けた…というか、夢語りをしてしまった(すみません…)。「アホか!」と言われることを恐れず、妄想=夢を、ちゃんとした志を密かに持った人びとに語り続けていると、いつか創発的に形が浮かび上がり、ひとつの大きなベクトルが生まれ、現実のものとなっていくのだ。

■お読みいただいても、よくわからない話しですよね。自分に言い聞かせているためもあるので、お許しください。そのうちに、何か大学での取り組みに関して報告できるようになるかもしれません。以下も、本日、投稿したものです。こちらは、今の自分のこと、個人的なことでしょうか。

40代の半ばで、今の職場に異動した。学内外、いろんな方達から、いろんな仕事を頼まれ、可能な限り断らずに引き受け、「なんで引き受けてしまったんやろ…」と思うこともあったし、理不尽な目にあって体調を崩してしまったこともあったが、真面目に働き、それなりの成果を出し、同時に自分の中に経験知をためてきた。それが私の心や頭の樽の中で良い具合に絡まり発酵してきた。歳を取って良いことは、そういうことなのかなと思う。

もっとも、これは、これまで出会ってきた皆さんのおかげ。お陰様…とは、こういうことをいうのだ。そういう意味で、いろんな方達から「贈られた」目に見えない「何か」を、自分の中でさらに醸し、今度は社会に向かって「贈り返す」ことが必要だ。

松岡正剛による、ナタリー・サルトゥー=ラジュ『借りの哲学』の書評の最後。
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 本書の結論は、人間は「借り」からは逃げきることはできないということにある。だからこそ、借りを認め、借りを別の方法で回遊させるしくみを考えるべきだというものになっている。
 これは依存関係や貸借関係や贈与互酬関係を、もっと高次化するべきだという構想だ。「借り」を前提にした社会システムこそつくるべきだという構想だ。その具体策や制度案はまったく示されてはいないけれど、その骨格にくるのは、おそらく「返さなくてすむ借り」をシステムの中心にもってくることだろう。
 本書は、こんなふうに結ばれている。
 ‥‥「足りないものがある人」に「借り」を通じてその足りないものが贈与され、「欲望が満たされた人」が今度は何かを贈与して、また別の「足りないものがある人」の欲望を満たす。足りないものをそうやって獲得する社会が待望されるのだ。
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第50回 環境社会学会大会(於:龍谷大学大宮キャンパス)

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(本文、長くなりそうなので、後ほど。時間がかかりそうです。)

ブラタモリ~京都~

20141213buratamori.png「ブラタモリ~京都~」が、NHKの新春の特別番組として1月6日に放映されるようです。

街歩きの達人・タモリさんが、“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る「ブラタモリ」が、3年ぶりに来年4月からレギュラー番組として復活します。ある土地のナゾに導かれ、ナゾを解明しようと、今話題の出来事や街に残された様々な痕跡にタモリさんが出会いながら、街の新たな魅力や歴史・文化などを再発見していきます。

■全国の「ブラタモリファン」の皆さん、期待いたしましょう。なお、2015年1月3日(土)午前8時15分からは、「ブラタモリ 新春アンコールSP」と題し、過去の放送回から選りすぐりの4本を、まとめて一挙放送するとのことです。こちらも楽しみですね。

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