2014年初めての甲子園
■ひさしぶりの息抜きです。昨日、金曜日は、今年初めての甲子園。阪神タイガースファンの聖地で、妻と一緒に阪神-DeNA戦を観戦しました。我が家は生協に加入しているのですが、食料品や生活用品だけでなく、今や、プロ野球のチケットも生協で入手できるのです。もっとも、自分が思うような対戦チームの試合…というわけにはいきません。また、席についても限定があります。というわけで、今回は、対DeNA戦でした。また、席も1塁側のアルプススタンドでした。賑やかな、ライトスタンド(阪神の大応援団のいる場所)の真横あたりですね。あいにく、試合は阪神の負け…。なんで??阪神の打線はなんともなさけない状況で、試合結果は残念なものになりましたが、おかげで(?!)生ビールを4杯も呑んでしまいました。試合に集中しとけば、阪神は勝っていたかな…。
■まあ、そんなことはないと思いますけど。次回は、6月27日、こんどは職場の仲間と一緒に応援する予定です。
【追記】■本日(5月17日)は、勝ちました。私が甲子園にいくと、負けるばあいが多いような気がします…。下記の「投稿」をクリックするとfacebook上の動画を見ることができると思います。
人はなぜ困難なスポーツに挑戦するのか…映画「ドーバーばばぁ」、その文庫化
■今日は、奈良マラソンの日でした。私は、抽選にもれてエントリーできませんでしたが、我が家では、息子が参加しました。これまでフルマラソンはもちろん、ハーフにしろ、もっと短い距離にしろ、マラソン大会では走る方ばかりでしたが、今回は応援の側にまわりました。息子は、中高はバスケットボールを、大学・大学院はアルチメット(ボウルではなくフライングディスク(フリスビーのこと)を使った、バスケットボールとアメリカンフットボールを合わせた様な競技)をやってきました。現役のスポーツマンなので、記録には期待していたのですが、サブ4(4時間切り)、3時間53分28秒という記録でゴールしました。自分の息子のことながら、頑張ったな〜と思います。
■なぜ市民マラソンを走るのか。人それぞれの理由があるわけです。困難なスポーツに挑戦するのはなぜでしょうか。
■マラソンではありませんが、水泳に調整した女性たちのドキュメンタリー映画があります。「ドーバーばばぁ」という映画です。以前、このホームページにあるブログとは別に、「Blog版 環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」を運営していました(今は、塩漬け状態にあります。こちらの行く末についても、いろいろ考えなければなあと思っています)。このプログに、「ドーバーばばぁ」についてエントリーしています。以下に、それを転載したいと思います。2011年9月5日の投稿です。少しだけ修正を加えています。
■映画、好きなんですが、映画館にいっている時間がありません。自宅でDVDをゆっくりみる余裕がありません…。残念ですね~。そんな私がドキュメンタリー映画でエントリーです。それも、まだ視てもいないのに…。
■先日、出かける準備をしながらリビングのテレビをチラチラ視ていると、興味深い話題が登場しました(たしか、テレ朝の「モーニングバード」という番組だったかな)。それは、ドキュメンタリー映画の紹介でした。「ドーバーばばぁ 織姫たちの挑戦」という作品です。「ばばぁ」ですが、チーム名は「チーム織姫」。素敵だな~。ものすごく評判のようです。
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【作品の内容】
この映画は、54歳から67歳までの女性6人が、親の介護や家族の世話という日常を抱えながら、ドーバー海峡横断リレーという非日常にチャレンジする様子を、2年間に亘って追いかけた作品です。
2年間を通して、それぞれチームメンバー6人のチャレンジまでの葛藤が描かれています。
同世代の同じ問題を抱える女性やこれからの高齢化社会を生きていく様々な世代の方々が、前向きな考えを持って、何かにチャレンジすることの楽しさ・大切さを、6人のおばちゃんたちが伝えてくれます。
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■テレビの紹介のなかで、少し作品が紹介されており。心がググッと反応してしまいました。おそらく、単にドーバー海峡をリレーで横断する…という話しであれば、それほどでもなかったかなと思います。先輩格の年齢の女性たちが、「親の介護や家族の世話という日常を抱えながら、ドーバー海峡横断リレーという非日常にチャレンジ」という部分に反応したんですね。私自身も、すでに亡くなりましたが、父の介護や看病を終えたあと、現在は、週1回、生活介護をしに母親のもとに通っているという事情があるせいですね。でも、この女性たちの「親の介護や家族の世話」は、そんな簡単なものではありません。
■作品の内容にふれてしまいますが、「ワイドショー通信簿」というサイトでは、次のように紹介されています。すごく共感しました。
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東京・渋谷の映画館で8月29日(2011年)に自主上映されたドキュメンタリー映画が話題になっている。タイトルは「ドーバーばばぁ~織姫たちの挑戦~」という。平均年齢57.8歳の6人の主婦が英仏を隔てるドーバー海峡(直線距離で34キロ)をリレーで横断した記録だ。「人物大辞典」でコーナーで6人の主婦を紹介した。【介護の夫や親を抱えて「だから泳ぎ切れた」】
6人は水泳選手だったり体育会系だったりしたわけではない。東京・立川周辺に住む54歳から67歳までのごく普通の主婦仲間だ。リーダーの大河内二三子さん(57)は19年前に脳梗塞で倒れ半身不随となった夫、心臓が弱くペースメーカーを付けている92歳の母親と暮らしている。鳥塚しづ子さん(61)は歩行困難の父親と病院に寝たきりの母親を見舞うのが日課だ。
こんな普通の主婦がなぜ無謀ともみえるドーバー海峡横断に挑戦したのか。大河内はごく軽い気持ちで「トリちゃん(鳥塚)と還暦の時に泳ごうねって約束したから」という。
ドーバー海峡は潮の流れが早いため、流されて一直線で泳ぎきるというわけにはいかない。海水温も低く「海のエベレスト」と呼ばれている。
挑戦が始まったのは2009年3月。互いの時間を調整しては集まって、奥多摩などで練習に励んだ。そして迎えた冒険当日の10年9月17日午前6時45分、イギリスのドーバー海岸から第一泳者がスーパーに買い物に行くかのように「じゃ、行ってくるよ」と泳ぎ出した。1時間ずつ交代で泳ぎ、一人でもリタイヤすればその時点で挑戦は終了してしまう。12時間後には太陽は沈んだが、暗闇の中を一掻き一掻き進む。フランス側の海岸にゴールしたのは午後9時4分、14時間22分かかった。
大河内さんはこんな事をいう。
「みんないろいろな事情を抱えている。とくに鳥塚と私は障害者を2人ずつ抱えているが、共通して思っていることは『介護があるから遠泳ができる。遠泳があるから介護ができる』小さなことでもいいから、自分のためだけにやることをつくっておけば、やんなきゃならないことも続けられる」【2年後には「対馬・釜山」に挑戦】
スタジオでは、同世代の吉永みち子(作家)が「長距離を泳ぎきるのもすごいが、皆いろんな事情を抱えながら達成したことが素晴らしい。ダブルで乗り越えたのがすごい」と絶賛した。もっとも、6人はこれで終わらない。2年後には対馬から韓国の釜山まで50キロに挑戦するという。
———————————–■6人のチームワークを維持するのも、なかなか大変だと思います。そのちょっとしたエピソードも、「Excite Bit “ばばぁ”達がドーバー海峡に挑む、ドキュメント映画」で紹介されています。「ドーバー海峡に挑む半年前、ある者がチームへの相談無しに股関節の手術を受けてしまった。結果、他のチームメイトから「何故、言わなかったんだ」と、不満が爆発!手術して、本番に間に合わす事ができるのか?そんな不安による不協和音が発生」。いろんな苦難を乗り越えての達成なんですね。
■このドキュメンタリーの「公式サイト」には、予告編もあります。トーバー海峡をリレーで泳ぐ様子とともに、彼女たちの日常の介護や生活の様子が織り交ぜて紹介されます。チームの女性のお1人が、こういいます。「赤の他人と暮らして、練習して…」。介護されているお母さんは、「しょうがないんだけど。どうしても行くっていうから」。また、お連れ合いでしょうか、「本人が行きたんだったら、男たちは我慢してがんばります」…。このあたりが、単なる、ドーバー海峡横断のドキュメンタリーとは違って、多くの人の評判になるところなのだと思います。ぜひ、視てみたいのですが…関東地域ではチケットが売り切れるほどの評判のようです。
■「チーム織姫」の皆さんは、産経新聞のニュースによれば、「これまでチームはドーバー海峡だけではなく長崎・対馬-韓国・釜(プ)山(サン)間(57キロ)、津軽海峡(27キロ)などをこなしている。酒田-飛島は3年前の8月にもチャレンジ。12時間泳ぎ、ゴール目前だったが、酒田港の沖合で天候が悪化したため断念した」、とりあます。そうか、さらにチャレンジを積み重ねておられるのですね~。この酒田-飛島のチャレンジは、先月に行なわれました。しかし、山形新聞によれば、「潮流と日没に阻まれ泳ぎ切ることはできなかった」ようです。残念。また、頑張ってほしい。
■この「ドーバーばばぁ」、申し込むとDVDでもご覧いただけるようになりました。申し込み先は、こちらです。
■そして、文庫本にもなったようです。塩漬けになっているブログに、担当編集者の方から、直接にコメントで情報をいただきました。ありがとうございました。塩漬けになっているため、迅速にお返事できず失礼いたしました。『ドーバーばばぁ』 (新潮文庫)です。
パンサーズのfacebookページ
■日曜日、「関西学生アメリカンフットボール連盟」のDiv.1第7節、関西学院大学ファィターズ-立命館大学パンサーズの試合が行われました。結果として、母校である関西学院大学ファィターズが勝利し、単独優勝することになりました。この後は、全日本大学選手権決勝「甲子園ボウル」の出場権をかけて西日本代表決定戦で名城大(東海)と対戦することになっています。
■龍谷大学シーホースも、Div.1のチームです。今期は5位ということになりました。Div.2から這い上がって、Div.1に定着しつつある…ということでしょうか。龍谷大学も大変頑張っていますね。私が退職するまでに、上位4校(関学、立命、京大、関大)のなかに食い込み、関西学生アメリカンフッドールの優勝をかけて闘うようになってもらいたいと思っています。もし、母校である関学ファイターズと龍谷シーホースが優勝をかけて闘うときがやってきたら、もちろん、龍谷大学シーホースを応援します。今年は、ゼミにシーホースのQBをしている学生もいます。一度ぐらいは応援にいきたかったのですが、老母の世話や地域連携の仕事で、観戦する時間的余裕をもつことができませんでした。
■話しを、関学-立命戦に戻しましょう。関学のOBではありますが、今日は、立命館パンサーズのfacebook公式ページをみて、思わず「いいね!」をクリックしてしまいました。立命館のチームの気持が、彼らのfacebookの公式ページにあふれていたからです。こう書いてありました。
「このまま終わってええんか?去年KGに負けたあの悔しい想い、京大戦でしたやろ。もういらんって。もう、ほんま負けたないって。俺ら、何のために立命おるん?日本一になるためやろ。やったろ。全部KG戦に懸けよ。」
■立命館は、昨年、関学に敗れて甲子園ボウルに出場できませんでした。今年の京大戦でも、2-20で負けています。facebookベージに書かれた彼らの気持ち、ご理解いただけるでしょうか。
■しかし、チームがひとつになる。ひとつになろうよって仲間と頑張れる…。とっても素晴らしい経験です。「エエ感じやな!!」と思います。心の底からこういう気持ちになれたという経験は、一生の宝物だと思います。また、来年です。頑張ってください。もちろん、龍谷大学シーホースにも、経験を蓄積して順位を上げて上位校を少しでも脅かす存在になってほしいと思います。
NEW ERA BOWL2013
■龍谷大学のスポーツ系サークルの活動状況を確認できる「RYUKOKU SPORTS+」で、龍大アメリカンフットホール部「SEAHORSE」のことが紹介されていました。「7月7日京セラドーム大阪にてNEW ERA BOWL2013が開催された。現在関西1部リーグに所属する龍大SEAHORSEからは8名の選手がWHITE STARSとして選抜され、6-0でBLUE STARSを相手に勝利を収めた」という記事です。この選抜メンバーの1人として、ゼミ3年生の竹内くんが選ばれました。彼のポジションは、クォーターバック(QB)。記事では、「昨年のNEW ERA BOWLでは選抜されながらも出場機会が得られなかった竹内も今年はQB(クォーターバック)としてピッチ上でチームのタクトを振る」と竹内くんの活躍ぶりが紹介されています。
甲子園球場、また勝ちました阪神!
■昨日は、仕事を終えて甲子園にいきました。まずは阪神デパートの地下で、中高年向けのヘルシーな弁当、あまりヘルシーでない鶏の唐揚げ(弁当と相殺される?)、そしてマンゴプリンのデザートまで買って、甲子園入りしました。私が到着したときは、すでに1回表・横浜の攻撃が始まっていました。試合の展開も気になるところですが、甲子園のアルプススタンドで、気持ちの良い風にふかれながら生ビールを呑んで、美味しい弁当をいただき、野球を観戦する。リフレッシュされますね~。
■上の写真ですが、iPhone5で撮影しました。パノラマ機能を使っています。ということで隅の方が大きくなってしまって球場が小さく見えます。実際はこんなふうには見えないのですが、球場のなかの雰囲気、観客が一体となるその雰囲気は伝わってくるのではないでしょうか。
■試合の方ですが、1回表に横浜が2点を入れ、その裏に阪神が3点を入れました。そのあとは、0点が続き、結局、阪神が勝ちました。前回、甲子園に観戦に行ったときは、広島を逆転しての勝利でしたから、阪神ファンの盛り上がり方は前回のほうがすごかったかな。阪神ファンの「六甲颪(おろし)」を動画でご覧ください。
六甲颪おろしに颯爽と
蒼天そうてん翔かける日輪にちりんの
青春の覇気はき美うるわしく
輝く我が名ぞ 阪神タイガース
オウオウオウオウ
阪神タイガース フレフレフレフレ
甲子園
■先週はいろいろありすぎて非常に疲れました。ということで、自分にご褒美…というわけではないのですが、前々から、6月28日(金)の甲子園のチケットを入手していたものですから、妻と一緒に甲子園にでかけました。その日は、大津市役所で都市計画審議会があったのですが、予想よりも早く終了したので、早めに大阪に移動しました。梅田の阪神デパートの地下で弁当やつまみを買い、阪神電車に乗り込みました。心なかでは、すでに「六甲おろし」です。
■試合は対広島戦。広島の得点に、レフトスタンドのカープファンの応援団はものすごい盛り上がり。一方で、阪神側にとっては敗戦ムードが甲子園に濃厚に漂ってきました。そして、3点差の8回裏です。広島のエラーもあり阪神は6得点、一気に大逆転しました。阪神ファンを大喜びさせるような試合展開になりました。阪神ファンの応援が、広島にプレッシャーを与えたのかもしれません。大勝利です。左の写真は、本日のデイリースポーツです(普段、スポーツ紙を買うことはないのですが…)。この日の試合のヒーローであるマートンが1面にドーンと出ています。写真の右側は、甲子園での私の楽しみ。生ビールを4杯いただきました。勝利の酒になってよかったです。もう少しでやけ酒になるところだった…。
■じつは、私、「俄か阪神ファン」であり、負けても負けても応援しつづけてきた熱烈なファンの皆さんの前では、ファンと名乗ることもできないような存在なのですが、周りの熱いファンの皆さんと喜びを共有できました。まわりの皆さんとは、小さなバットのような応援グッズで、お互いにぶつけあつて(?!)阪神の勝利を喜びあいました。甲子園から帰るときも、知らないサラリーマンの方から「おっさん、やったな~!!」と声をかけられ、ハイタッチ。これは、素直に楽しいと思えます。
■下の動画、iPhoneで撮ったものです。生ビール4杯のんで縦横の位置関係を間違えてしまっています。首を横にしてご覧ください。雰囲気だけでも伝わるのではないかと思います。
甲子園
■今週、辛いです。会議がいろいろ、学生の面談、フィールドでの学生の指導、自治体での審議会、研究プロジェクトの打ち合わせ…土曜日まで油断できないヤバい状況です。しかし、その隙間に金曜日の晩は甲子園にいくことになっています。熱狂的な阪神タイガースファンではもちろんありませんが、毎年数回、甲子園の3塁側アルプススタンドで、阪神の応援をしています。ちょっと、息抜きしてきます。
■甲子園という名前、なぜ甲子園なのか。wikipediaで調べてみました。1924年、現在の阪神甲子園球場の場所に大運動場が開設され、その年が干支でいう甲子(きのえね)の年だったので、この地域が「甲子園」と名付けられたとのこと。この場所は、元々、河川敷だったとろに阪神電鉄が住宅開発・行楽地を開発することで生まれた土地です。なんだ、そうだったのか…。
■似ている名前に、甲陽園があります。阪急沿線です。甲陽園は、元々山林だったところを「甲陽土地」という会社が上水道・電気を完備した住宅街に開発したこと、そして甲山の南側であることが命名の理由だそうです。また、甲東園というのもあります。これは、1889年に武庫郡門戸村・上大市村・下大市村・段上村・神呪村・樋口新田・上ヶ原新田が合併した際、武庫郡甲東村と名乗ったのが「甲東」という地名の始まりなのだそうです。これは地域全体が甲山の東部に位置することに因んでいます。甲陽園と甲東園は、甲山という山の名前に因んでいるのか。甲山のどちらの方角に位置しているか…で地名が決まっています。しかし、甲子園は、違うのですね。私はこれまですっかり、甲陽園や甲東園と同じく、なにか地理的な事柄と関係しているものとばかり思っていました。で、甲陽園と甲東園は甲山に関係があったわけですが、甲山と六甲山は「甲」の字が一緒ですが、これも調べてみると、ぜんぜん名前の由来が違うんですね。
■まあ、どうでもよいことですかね…。
【追記】■これは、「阪神タイガース球団歌」です。通称「六甲颪(おろし)」です。これもwikipediaで見てみました。こう書いてあります。私は、知りませんでした…。中村鋭一さんなんですか。
『阪神タイガースの歌』に改題の際、若山彰の歌唱により再吹き込みされたものが甲子園球場でのタイガース戦で流されるようになり、それで歌詞を覚えた当時朝日放送アナウンサーであった中村鋭一が、自身が司会をつとめたラジオ番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』で歌ったことにより、1970年代の多くのファンに広められた。1972年(昭和47年)に発売された中村の歌唱によるレコード(テイチクレコード発売)は、40万枚以上のヒットを記録し、1991年(平成3年)にはCD発売された。1985年(昭和60年)にタイガースが日本シリーズで優勝してからは、全国的に知られるようになった。なお、『六甲颪』という通称は、中村が考案したとされる。
龍谷大学硬式野球部を応援する!!
■まだ夏の頃だったと思いますが、いつも通っている大津駅前の居酒屋「利やん」で、マスターや常連客Tさんと話しをしているときに、龍谷大学硬式野球部の話題になりました。
■マスターやその常連客のTさんは大の野球ファン。「利やん」でも、本格的な市民野球のチームをもっておられます(マスターは、監督件選手)。このお2人は、龍谷大学の硬式野球部の試合が大津市にある皇子山球場でおこなわれるときは、しばしば応援にいっておられるのだそうです。しかも、龍谷大学硬式野球部と「利やん」とはちょっとした関係があります。昨年のことになりますが、椹監督にお願いをして、マスターが関係する少年野球チームの指導のために「野球教室」を龍大瀬田キャンパスで開催していただいたのです(私は、間をとりもっただけですが…)。また、一昨年だったと思いますが、市民野球のリーグ公式戦のために、瀬田の野球場も貸していただきました。本当に感謝です。
■話しは初めに戻りますが、そのようなこともあり、マスターと常連客の皆さんから、「もっと、龍大硬式野球部を応援しよう!!私設市民応援団をつくり、地元の大学野球を応援しよう!!」という話しの展開になりました。そのさいマスターからは、「応援するためには、応援グッズがいる。せんせー、野球部に頼んで帽子をつくってもらえないか」という相談があったのでした。さて、どうしたものか…と思案し、野球部の部長をされているK先生(同じ社会学部の同僚の先生です)に、じつは…とお願いにあがったのでした。K先生は、「そんな方たちがおられるんですね。ありがたいことです。帽子の件、わかりました。公式試合で使うものは規則からだめですが、練習のときに使う帽子であれば、野球部で新しいものを注文するときに、一緒に注文しましょう」と暖かいお返事をいただくことができました。そして、その帽子を、昨日、K先生がわざわざ研究室まで届けてくださいました。届けていただいたのは、トップの写真のような帽子(5つ)です。なかなか素敵な帽子ですね〜。大津の皇子山球場であるときは、この帽子をかぶり、「めざせ、神宮!!」と書いた横断幕をもって応援に行こうということになっています。
■今年の秋の公式戦は、優勝することができず、全国大会の出場はなりませんでした。椹監督は、今期で退任されます。硬式野球部には、監督最後のシーズンを、全国大会で思い切り頑張って良い成績を残してほしかったのですが、とても残念です。もし、全国大会に出場していたら、新幹線に乗って東京にまで応援にいく…とマスターは張り切っていたのですが(私も当然いく=連れていかれる…ことになっていました)。硬式野球部には、来シーズンに期待したいと思います。
【追記】■全国大会の出場は逃しましたが、最近、嬉しいニュースもあります。プロ野球ドラフト会議において、硬式野球部の古本武尊選手が中日ドラゴンズに3位指名されたことです。プロの世界でも頑張ってくれると思います。期待しています。