琵琶湖の全循環(2016年)

■琵琶湖は深い湖です。一番深いところで100mを超えます。季節が暖かくなってくると、琵琶湖の湖面あたりの上層の水は温められます。すると、琵琶湖の下層、つまり琵琶湖の底に近い方にあるの水との間で、水温が急激に変化する層が生まれます。これを「水温躍層」と呼んでいます。このような「水温躍層」の存在は、琵琶湖の生態系や水質に大きく影響しています。
■冬になると、琵琶湖の表層の水温は下がります。このような状況になると、表層の水が鉛直方向に沈み始めます。もう少し説明します。夏の間温められた暖かい水は密度が低く比重が軽いわけですが、冬になり気温が下がると、琵琶湖の表層の水温も下がり密度が濃い重い水になります。そのような冷たい重い水は、沈み始めるのです。「水温躍層」も深くなっていきますし、湖岸の水も湖の地形に寄り添うような形で沈んでいきます。湖の水が動き始めるのです。上層と下層が混じり合い、水温が上層と下層とで同じになるとことを「全循環」と呼びます。よく、この「全循環」のとことを「琵琶湖の深呼吸」と呼びます。酸素をたっぷり含んだ表層の水が下層や湖底に届けられるからです。湖底や深いところで生きている生物にとって、「全循環」は自分たちの命を左右するわけですから、非常に重要な意味を意味を持っているのです。
■ところが、近年の温暖化により、冬になっても十分に表層の水温が低くならいことがあり、「全循環」が起こりにくくなってきています。トップの画像は、昨日、13日の京都新聞の記事(ネット)です。「琵琶湖全循環、今春大幅遅れ 暖冬で湖面冷却不足」という記事が出ていました。記事によれば、「酸素を豊富に含んだ表層の水が、湖底の水と完全に混ざり合う琵琶湖の「全循環」が今年は遅れていることが12日までにわかった。例年は1~2月に確認されるが3月に入っても湖底の一部で水が混ざりきっていない」というのです。上層の水と下層の水が、よく混じり合っていないようです。湖底の酸素が不足してくると、生物に影響を与えるだけでなく、湖底の堆積物から栄養塩類が溶け出して水質を急激に悪化させることも心配されます。京都新聞の記事では、「湖底の低酸素化は猛暑や台風通過の有無、植物プランクトンの増殖などにも左右されることがわかっており」とあるように、「全循環」という現象を左右する条件はなかなか複雑です。
【追記】■心配していた「全循環」。14日の京都新聞の記事「琵琶湖の深呼吸やっと確認 全循環、07年以来の遅さ」で、「滋賀県は14日、琵琶湖で表層の水と湖底の水が完全に混ざり合う「全循環」を確認したと発表した」と報道されました。安心しました。
真の方法は、探究されるべき物事の性質に従う。(折々のことば)
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■朝日新聞の1面に掲載されている哲学者・鷲田清一さんの「折々のことば」、楽しみにしています。私の場合は、ネットで拝見することの方が多いと思います。ネットでは、過去のものも拝見することができるからです。新聞で読むことができなかった(忘れていた)ものも、読むことができます。昨日の「折々のことば」は、「細く 長く 曲がることなく いつも くすくす くすぶって あまねく 広く 世の中へ 松栄堂」でした。これは、京都のお香の老舗、その創業家に伝わる家訓です。こんな時代だからこそ…、この家訓は心に染み入ります。この「折々のことば」、新聞でも読みましたが、ネットでもじっくり味わいました。その時、ふと過去のものも目に入りました。哲学者フッサールの「ことば」でした。
■「真の方法は、探究されるべき物事の性質に従う」。鷲田先生は、次のように解説されています。
あらゆる対象を等しく分析できるような一つの方法は存在しない。物事の真相を捉えるにはそれにふさわしい方法、文体、もしくは表現のスタイルがある。対象がナイフの研ぎ方を教えてくれるのであって、対象にナイフの切れ味を押しつけてはならない。これは芸術や建築についても言えること。〈現象学〉という分析の方法を提唱した哲学者の「厳密な学としての哲学」から。(鷲田清一)
■「対象がナイフの研ぎ方を教えてくれるのであって、対象にナイフの切れ味を押しつけてはならない」という鷲田先生のわかりやすい比喩的な説明にグッときました。私は、流域の環境問題について、他の分野の研究者と一緒にプロジェクト研究を進めています。流域に限りませんが、環境問題は非常にたくさんの要因が、相互に連関を持ちながら構造化されていくことによって発生します。流域の環境問題を考える場合も、調査や研究を通して知ろうとする「対象」は専門分野によって異なります。私が参加している研究プロジェクトでは、多く分野の研究者がメンバーとなっていますが、それぞれのメンバーは、自分の専門分野という枠組みを通して流域のある一部分を「対象」にしているにしか過ぎません。その「対象」に応じて方法を選択しなければなりません。自分の方法や考え方が他の「対象」についても有効かといえば、そうではありません。自分の専門分野から一刀両断的に全体像を把握できた「つもり」になることはできても、それは自己満足でしかありません。それぞれの専門分野のコミュニティ内部では通用しても、そのコミュニティの外に出たとたんに、特に環境問題の現場に出て行った時には、使い物にならないことが明らかになります。相手にされません。仮に、意味のある批判はできたとしても、「それでは、どうしたらよいの?」と聞かれたとき、その先に進むことができません。問題点を指摘し批判しても、「今・ここ」から解決に向けての「具体的な道筋」を見つけることができません(その意思もない、「解決論」がない…)。
■「心地よいコミュニティ」の外に出ていく必要があります。では、他の分野の研究者、行政の職員の皆さん、地域の住民の皆さん、企業の関係者…自分とは異なる多様な人びととともに、流域の環境問題を解決していくためには、どのような社会的な仕組みを育んでいけばよいのでしょうか。その辺りが、私の関心になります。鷲田先生が取り上げられた「真の方法は、探究されるべき物事の性質に従う」というフッサールのことばに反応したのは、このようなことをいつも考えているからなのです。もっとも、フッサール自身、どのような意図でこう言っているのか、「厳密な学としての哲学」を自分自身できちんと読んでみなければなりませんね。
■私自身が、社会学の勉強を始めた若い頃、アルフレッド・シュッツや彼の弟子にあたるピーター・L・バーガーやトーマス・ルックマンの現象学的社会学に関する研究は、特に若い世代に人気がありました。私もそのようなある種のブームの中で、現象学的社会学の文献を読みましたが、シュッツが影響を受けたフッサールまでには遡ってきちんと読込むようなことはやっていません。若い時に、もっときちんと「古典」と呼ばれる文献を勉強しておけばよかったと思います。反省。
【関連エントリー】いい専門家とは
『もやしもん』
■『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を読んだ後、すごく菌のことが気になり始めました。菌そのものに興味を持つようになったのです。こうなると、普通は、菌に関連するサイエンスの本を読み始めることになるのですが、どういうわけか、そうではなく漫画『もやしもん』を読んでいます。とても評判の高い漫画のようですね。非常に面白いです。
■どのようなストーリーかといいますと、通常では見えない菌を見ることのできる特殊な能力をもった沢木惣右衛門直保という大学生が主人公です。彼は、種麹屋の次男坊なのですが、幼いころから菌を見ることができます。菌たちとコミュニケーションをとることもできます。見るといっても、菌の姿は顕微鏡で観るのとはかなり違っています。登場する菌たちは、非常にかわいらしいキャラクターとなっています。このような特殊な力をもった主人公が東京の「某農業大学」(正式名称)に入学します。漫画では、同大学で発酵食品の研究をしている樹慶蔵教授の研究室で、教授、先輩、そして仲間たちとのあいだで起きる様々な出来事(騒動)が描かれています。菌についても、いろいろ勉強できます。私などはもう年なので、「なるほどね~」といった端から忘れてしまっていますが…。
■この漫画での重要なキーワードは「かもすぞー」です。菌たちが、そう叫ぶのです。漢字で書けば「醸すぞー」ということになります。醸すとは、発酵するということですね。広義の意味での発酵は、腐敗と同じ菌の働きなのだと最近知って驚きました。両方とも、有機物が微生物の働きによって変質したものになっていく現象のことですが、特に人間にとって有用な場合に限って「発酵」と呼ぶのだそうです。「醸す」という言葉は奥深いですね~。この「醸す」ですが、社会的な場面では「物議を醸す」というふうに使います。「世間の議論を引き起こす」という意味です。あまり良い意味合いではありませんよね。「そういう発言は、いかがなものか」という感じです。でも、人間にとって有用な「発酵」=「醸す」っていうことは社会に必要なように思うんです。もっと「社会は醸される必要がある」、そう思うのです。「社会を醸す」とはどういうことなのか、いずれもう少し詳しく説明してみたいと思いますが、今日は、「発酵」に関して教えてもらったことを、備忘録として残しておきます。
■山梨県立大学に勤務されている箕浦一哉さんが教えてくれました。山梨県には、「たぶん世界で初めての発酵ラジオ番組」があるのだそうです。「発酵兄妹のCOZY TALK 」という番組です。すごいですね。発酵がテーマの番組。この番組をやっているのは五味兄妹。この兄・弟・妹の皆さんは、「もやしもん」のモデルになっているらしい東京農大のご出身とのことです。で、このご兄妹は、「家業であるみそ屋を継いでいる兄と『発酵兄妹』というユニットを組み、みそだけでなく、発酵文化や日本の食文化を伝える活動」をされています。なんだか、おもしろいですね~。まだ詳しくは見ていませんが、以下の公式サイトでは、この番組を聞くこともできます。
「発酵兄妹のCOZY TALK」
■そういえば、滋賀県の高島市も、発酵をテーマに地域おこしをされていますね。
「発酵するまち、高島」
「場づくり」・「土づくり」
▪︎以下の記事をFacebookに投稿しました。渡邉格さんの『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を再読しています。気になるところが、たくさんあります。例えば、「場をつくる」ということ。渡邉さん自身は、自然栽培と天然菌のことについて書いておられるのですが、人間の社会にも、教育や「地域づくり」や、自分が取り組んでいる実践的な研究プロジェクトにも当てはまることなんじゃないのかなと思い、facebookに投稿しました。
この「場をつくる」ということを、「大津エンパワねっと」の活動でも学生たちに繰り返し言ってきた。「地域づくり」は「土づくり」=「場づくり」なんだと。あえて「土づくり」と表現してきたわけなんだけど、学生諸君にどれだけ理解してもらったのか、よくわからない…。
そもそも大学の教育だって「土づくり」なのだ。もっとも、そうは思ってはいるが、難しいところがある。今の大学は「煽り立てる」から。すぐに成果を求めるから。大学も新自由主義的市場経済の原理に振り回されているから。「土づくり」には「待つ」ことと「辛抱する」ことが大切だ。だから、いろんな意味で大変になるのだ。「待つ」ことと「辛抱する」ことは、「何もしない」こととはまったく違うのに。そこが難しい。
さらには、現在取り組んでいる実践的な超学際的な研究プロジェクトも、「土づくり」=「場づくり」が大切なのに、「土づくり」よりもそこで育つ作物の方ばかりに気持ちが行ってしまっている(評価されたいという、すけべ虫が疼くので…)。しかし、作物は「土づくり」の後についてくるのだ。それを忘れてしまうと、化学肥料や農薬を使う農業と同じことをしてしまう。しかし、研究プロジェクトが置かれた環境は、短期的な成果を求めてくる。評価委員会のためにやっているわけではないのにね。そうすると、実践的も、超学際も、すべては口先だけの話しに終わってしまう。
悲しいことです。
もうひとつ、「場づくり」は、それを声高に叫んでも、誰も相手にしてはくれないということ。研究プロジェクト内部でも、フィールドでも。むしろ、総スカンを喰ってしまう。「場づくり」とは、人びとの相互作用が活性化して、内から創発的になんらかの「価値」を生み出していけるような「状況」を作っていくこと。自分がある意味、「触媒」のような存在になって消えていくこと、その意味で自ら「捨て石」になる部分がある。しかも、うまくいくかどうか…わからない。だから「賭け」でもあるのだ。だからだから、注意深く「待ち」、「辛抱する」ことが必要なのだ。
これは、なかなか大変なことです。
でも、あきらめずに、少ないけれど、「志しが共振し合う仲間」と共に、「土づくり」に励まねば、ね。
(本文続きます)
「和顔施」
■昨日も深草キャンパスでした。朝、横断歩道を渡ってキャンパスに入ろうとしていた時のことです。目の前を自転車に乗った中年の男性が通り過ぎていきました。通り過ぎる時、笑顔で「おはようございます!」と私に向かって挨拶をしてくださいました。私も、笑顔で挨拶を返しましたが、「はて、どなたかだったか…」と数秒間考えなければなりませんでした。大学のすぐ近くにある中華食堂「新華」のご主人だったのです。普段は、調理場で料理をされている時のイメージが強いこともあり、普段着で自転車を漕がれていても、すぐにはわからなかったのです。しかし、笑顔で挨拶をしていただいたことで、私も幸せな気持ちになることができました。ありがたいことです。
■午前中は、いろいろ準備をして昼前の重要な会議で報告を行いました。緊張しました。研究部は、実にいろんな仕事があります。1年近く研究部長の仕事をしてきましたが、仕事の幅が相当広いことに驚きました。そのような会議の後、昼休みに廊下を歩いていると、一人の女性職員の方に呼びとめられました。職場の「兵庫県人会」のメンバーのお一人でした。なんでも、春の高校野球選抜大会の「21世紀枠」に母校が選ばれたのだそうです。マスクを外して笑顔で話してくれた。とても嬉しそうでした。私が「兵庫県人会」のメンバーであることから、喜びを共有したかったのでしょうね(ちなみに、彼女の母校は、私の母校のお隣りです)。
■ひょっとすると、幸せは「笑顔」を媒介に広まっていくのかもしれません。仏教には、「和顔施」(わげんせ)という言葉があります。他の人に笑顔で接することです。特別な財産や地位などなくても、例えばお金がなくても、誰でもできるお布施を「無財の七施」と呼んでおり、「和顔施」はそのうちの一つなのだそうです。ここには、大きなヒントがあるような気がしてなりません。さて、そんなことを考えつつ、昨日は午後から自分の研究費の事務仕事に集中しました。書類を仕上げると、すっかり夜になっていました。帰宅後も、学外の仕事の書類をチェックすることで時間がすぎていきました。まあ、こんな日もありますね。(写真は、本文と関係ありません。文章だけだと寂しいので…)
第2回人間社会班の会議
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■今日も総合地球環境学研究所で研究会議が開かれています。昨日はコアメンバーの会議でしたが、今日は社会科学系の研究メンバーの会議です。私は、「人間社会班のタスクとスタンス」という報告をするようにとの指示を受けました。夜明け前から準備をしていたので、寝不足気味です…。しかし、「人間社会班」ってひどいネーミングですが、プロジェクトリーダーの専門が生態学なので、社会科学系はひとグループにまとめられています…。まあ、仕方のないことですけどね。逆の立場、つまり社会科学の分野を専門とする人がプロジェクトの編成を考えた場合はどうなんだろう…って考えると、やはり仕方のないことだと思うわけです。
■とはいえ、プロジェクトのなかでは、社会科学系の研究者の役割は非常に大きいものがあります。人間社会班のリーダーとして、自ら言うのもなんですが、プロジェクトの屋台骨を支えていると言っても良いかと思います。この日は、農村計画学、経済学、そして私のような社会学の研究者が集まり、プロジェクトの核心的な部分について議論を行いました。私たちのプロジェクトを極端に単純化していえば、流域の物質循環、生物多様性、そしてコミュニティに基盤をおいた人びとの集合的な「しあわせ」、それらの間の関係を明らかにしていくことにあります。その際、私たち社会科学系の研究者の役割は、特に、生物多様性と人びとの「しあわせ」との関係のあり方を明らかにするとともに、実践的に、その両者を高めていくための活動を地域の皆さんと展開していくことにあります(この概念の定義は、生態学的な定義をこえてもう少し広がりのあるものとしてとらえていますが…)。
・プロジェクトの概要
・人間社会班のタスクとスタンス
・アクションリサーチについて
・小佐治における調査報告午前中のセッションに対する質疑
・野洲川流域HWアンケート調査報告
・生態系サーピス評価WG今後の計画
・野洲川流域研究における質疑
・ラグナ湖の土地利用研究における提案と展望
・フィリピン・Silang-Santarosa流域におけるアンケート調査
・流域ガバナンスの湖沼間比較
■会議は、午前中の9時半から午後の17時頃まで続きました。睡眠不足もあって、最後はかなり疲れました。とはいえ、参加者の皆さんは、「文理融合」・「超学際」的な私たちの研究プロジェクトに対して、大変意欲的です。ある方は、以前も文理融合を標榜するプロジェクトに参加されたそうですが、融合にはならなかったと語っておられました。融合とはいってもそれは表面的なものであって、個別のディシプリンに基づいた研究成果をステープラーでパチンと閉じたようなものになってしまったのです。そして結果として、文理融合は研究費を獲得するための方便のようなキーワードになってしまっていたわけです。私たちは、「ガチ」で「文理融合」・「超学際」に取り組んでいます。
ステークホルダーの多様性が生態系のレジリアンスを担保する条件
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■仙台で来月に開催される「日本生態学会第63回全国大会」で、長年にわたって一緒に研究をしてきた研究仲間の谷内茂雄さん(京都大学生態学研究センター)が、私との連名で一般講演(学会発表)を行います。講演のタイトルは「ステークホルダーの多様性が生態系のレジリアンスを担保する条件」です。モデルを基に考える数理生態学者の谷内さんと、私のようなフィールドワークに基づいて研究する社会学者とのコラボレーションです。この講演のアイデアの根本のところ、根っこにあたる部分の一つは拙論にあります。「地域環境問題をめぐる“状況の定義のズレ”と“社会的コンテクスト”-滋賀県における石けん運動をもとに」(『講座 環境社会学第2巻 加害・被害と解決過程』)の中で述べた「状況の定義の多様性を維持していくこと」が重要であるという指摘です。このようなフィールドワークからの指摘と、谷内さんたちによる理論生態学的な研究成果(「保険仮説」)とをシンクロさせながら、2人で議論してきたことが今回の報告につながりました。私たちの講演は、3月22日14時から、会場は[I2生態系管理]です。
■この学会の開催期間中には、私と同じ社会学者である総合地球環境学研究所の菊池直樹さんも企画集会で発表されます。これはシンポジウム形式のようです。タイトルは「絶滅危惧鳥類と末永く上手に付き合う方法-見せながら守れるの?-」です。菊池さんご自身は、「研究者の眼、行政の力、地域住民の思い: 絶滅危惧種保全をめぐる順応的ガバナンス」というタイトルで報告されます。3月24日9時半からです。
ステークホルダーの多様性が生態系のレジリアンスを担保する条件
絶滅危惧鳥類と末永く上手に付き合う方法-見せながら守れるの?-
人を幸せにするのは何? 心理学者ロバート・ウォールディンガー氏
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■TEDをご存知ですよね。正式名称は「Technology Entertainment Design」です。この団体は世界的講演会を主催していますが、私たちもその講演をネットで視ることができます。今回、私が興味深く拝見したのは、心理学者のロバート・ウォールディンガーさんの講演です。ウォールディンガーさんは、「ハーバード成人発達研究」の責任者です。この研究は、「史上最も長期に渡って 成人を追跡した研究」であり、「75年間724人の男性を追跡し、休むことなく、仕事や家庭生活、健康などを記録」してきました。その目的は、「人々を10代の頃から老年まで追い、幸福と健康の持続に本当に何が必要なのか探索」することにありました。通常では、このような研究はほぼ不可能です。それゆえ、ウォールディンガーさんの講演を非常に興味深く拝見しました。
■まずは、以下をご覧いただければと思います。
ロバート・ウォールディンガー:人生を幸せにするのは何? 最も長期に渡る幸福の研究から
上記講演の翻訳 ( translated by Reiko Bovee , reviewed by Masami Mutsukado and Kacie Landrum )
■この講演の中で、ウォールディンガーさんは、「私たちを健康に幸福にするのは、良い人間関係に尽きる」と述べています。上記の翻訳を頼りに引用をしてみます。
この教え― 親密で良い関係は 包括的に 私たちに益となっているという教えは 今に分かった事ではありませんね 何故そんな関係は築き難く 無視され易いのでしょう 誰もそうですが 私たちは手っ取り早く 手に入れられる 生活を快適に維持してくれるものが 大好きです 人間関係は複雑に込み入っています 家族や友達との関係をうまく 維持して行くのは至難の業です その地道な努力は地味で その上その仕事は 死ぬまで続きます 75年間に渡る研究で 定年退職後 一番幸福な人は 仕事仲間に代わる新しい仲間を 自ら進んで作った人達です 最近の調査での 新世紀世代のように この研究の参加者の多くは 彼らが青年期に入った時 名声や富や業績が 良い生活をするには 必要なものだと 本当に信じていましたが 75年もの間 我々の研究で 繰り返し繰り返し示されたのは 最も幸せに過ごして来た人は 人間関係に頼った人々だという事でした それは家族 友達や コミュニティだったり様々です
■とても興味深い指摘をされています。幸せになった人は、複雑に込み入っている人間関係をうまく維持し、そのために努力している人たちでした。面倒くさいかもしれませんが、そのような人間関係を、常に自分の周りにきちんと形成している人たち、頼れる人間関係のネットワークを自分の周りに形成している人たちでした。ここから、いろんなことを考えました。
■社会学の中には「個人化」という考え方があります。「個人化」とは、伝統的な家族やコミュニティ等の集団から解放され、自己の意思で選択できる、自己選択できる領域や余地が拡大していくことです。しかし同時に、それは人びとに困難をもたらします。あまりにも多くの選択肢の中で、自分が何を選択するべきなのか、よくわからなくなる状況を生み出してしまうからです。自由な選択は、人びとに選択を迫るある種の圧力にもなります。また、自己選択の結果、何か個人にとって不都合なことがあっても、個人が自己責任で対処・処理しなければなりません。このことは、どういう人間関係を形成して生きていくのかという点に関しても同様です。自由に自分に都合の良い人間関係を選択的に形成していけるのでしょうが、そのような人間関係は同時に非常に不安定なものとなります。「ちょっと面倒な人だけど、この人とはこれからも付き合っていかなければならない。上手に関係をつくっていこう」という風にはなかなかなりません。「個人化」が進めば、「面倒ならばそのような人間関係を選択しなければ良い」というふうになりがちです。ただし、短期的な視点によるそのような選択がもたらす長期的なリスク、人生のリスクについては、すべて個人で受け止め、処理しなければなりません。なかなか大変な時代に私たちは生きています。
■ウォールディンガーさんが現在でも追跡調査している方達は、90歳代の方達です。彼らが人格形成をして生きぬいてきた時代の社会と、特に、これから年齢を重ねていく若者たちが生きていかねばならない時代の社会とでは、質的に大きな差異があるように思います。「個人化」もその一つです。ウォールディンガーさんが指摘された幸せな人びとのように、頼れる人間関係のネットワークを自分の周りに形成していくことは、より一層困難になってくるかもしれません。この講演の内容は、アメリカの政治学者であるロバート・パットナムが提起した「社会関係資本」とも関連してくるようにも思いました。アメリカ社会の中で、パットナムの『Bowling alone』(『孤独なボウリング』)がベストセラーになりましたが、アメリカの社会の中で、「個人化」と「社会関係資本の衰退」が同時に進行していったからではないかと考えています。
■ウォールディンガーさんの講演を興味深く拝見して、私は、彼の指摘に大いに納得しました。しかし、納得すると同時に、頼れる人間関係のネットワークをどのように形成していくのか、また形成されていくための条件とはどのようなことなのか…といった実践的な課題についても考えることになりました。実際、私が参加している総合地球環境学研究所のプロジェクトでも、環境保全と人びとの幸せの関係について焦点を当てて研究しています。
最後にマーク・トウェインの言葉を 引用して終わります 一世紀以上むかし 彼は人生を振り返り こう書きました 「かくも短い人生に 諍い 謝罪し 傷心し 責任を追及している時間などない 愛し合う為の時間しかない それが例え一瞬にすぎなくとも」良い人生は良い人間関係で築かれます
■これは、講演の最後にウォールディンガーさんが引用したマーク・トウェインの言葉です。”There isn’t time, so brief is life, for bickerings, apologies, heartburnings, callings to account. There is only time for loving, and but an instant, so to speak, for that.” トウェインのことなど何もわかっていないのですが、そのような私でも何かしら重みを感じます。どの作品ないしはエッセーに書かれているのか、知りたいと思いました。ちょっと調べています。
地球研でのセミナー
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■昨日は、総合地球環境学研究所で私たちのプロジェクトのセミナーが開催さました。私たちが現在進めているフィリピンでのLLDA(ラグナ湖開発公社)との共同研究を進めるために、京都大学地球環境学堂の西前出(さいぜん・いずる)さんにプロジェクトメンバーに加わっていただいています。その西前さんに、今回は「地域計画学と土地利用研究-フィリピン・ラグナ湖流域での土地利用研究の提案と展望」というタイトルでお話しをいただきました。これまでどのような研究をされてきたのか、その研究成果をご紹介をいただくとともに、今後の私たちのブロジェクトにおけるフィリピン研究で、地域計画学の立場から取り組むべき方向性や内容についてご提案をいただきました。
■大変有意義なセミナーだったのですが、私自身は、参加することができませんでした。セミナーは昨年から企画されていたのですが、今月になって、この日に、様々な部署が出席するちょっと重要な会議が開催されることになり、加えて、緊急の用務も入ってしまったからです。ただし、セミナー終了後に開催された懇親会にはなんとか参加することができました。そして、西前さんと酒を飲みながら、研究に関する真剣な話しから、大笑いする馬鹿話しまで、いろいろ楽しい時間を持つことができました。最近、節酒を心掛けているにもかかわらず、昨晩はいささか飲み過ぎてしまいました。若いプロジェクトメンバーに注がれるままに飲んでしまっていました。まずいです。写真は、総合地球環境学研究所のダイニングです。こういったセミナーが開催された時は、交流スペースとしても利用できる場所になっています。
【追記】■昨日、地下鉄「くいな橋」駅近くで偶然出会った皆さん。「龍谷大学餃子研究会」の活動へ参加したいとのご希望、承知しております。研究会のメンバーにも連絡をしておきますので、近いうちに研究会を開催いたしましょう。このブログをお読みいただいているということでしたので、連絡ですw。