北船路米づくり研究会、活動開始!
■土曜日の「北船路米づくり研究会」の活動の様子を4年生がfacebookにアッブしてくれました。私は「大津エンパワねっと」という授業の「まち歩き」があり、参加できまんでしたが、みんな頑張ってくれました。4年生は、上田さんと山科くん、3年生は、小西くん、小林さん、瀬上くん、渡辺くん、全員で6名での作業でした。
■以下は、ゼミ4年生・山科くんの報告です。
脇田ゼミ4年の山科です。17日土曜日は米研の活動日でした。
朝9時に吹野さんのお宅に集合して、活動の概要について説明を受けて早速畑へ移動!午前中から午後にかけて畑の除草や整地作業、肥料まきを行いました。その後、協力農家の中野さんからキャベツ10個をいただき、四条のとんとんさんへ配達しました。また途中、お世話にいなっている平井商店さんで北船路を2本購入後、先斗町のみます屋へ配達を行い本日の活動は終了…
今回の活動から新3年のゼミ生が活動に加わり、当日は4名来てくれました。4年が2人しか来れない状況、また初めての農作業にもかかわらず精力的に参加していました、本当にありがとうございます!
そして米研は今年度の事業計画や予算、野菜市の件など課題は山積しており1つずつ進めていかなければいけませんが、みんなで協力して活動していきますのでご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
■平井商店さんは、この棚田の集落・北船路で生産した酒米を原料に、集落の名前の銘柄、純米吟醸酒「北船路」を醸してくださって造り酒屋さんです。そして四条のとんとんさんとは、「串かつ おばんざいの店 とんとん」さんであり、みます屋さんとはカフェレストラン「みます屋DELI」さんのことです。「とんとん」さんも「みます屋」さんも、私たちが生産した米や里芋を購入してくださっています。また、協力農家が生産された野菜を購入してくださっています。
京都新聞に純米吟醸「北船路」
■京都新聞に、ゼミで行っている「北船路米づくり研究会」がプロデュースした純米吟醸「北船路」の記事が掲載されました。ぜひ、お読みください。
WANTED
■今日(月曜日)は、4限が4年生のゼミ「社会学演習ⅡA」です。今日から、学生たちの卒論にむけての研究報告が始まります。春のこの段階では、卒論のテーマと方向性の確認、そして関係論文を読み込んでいくとを大切にしています。もちろん、はやくフィールドを決めて調査に行くように…とは、口を酸っぱくしていっているのですが、就職活動のことが心配でなかなか気合いを入れて調査に取り組めずにいます。そこが残念ですし、大変困ったことなのですが、ただし、今日のゼミで「おやっ…」と思ったことがありました。昨年と比較して、論文を読むことの勘所のようなものが少し向上しているのではないか…と思えたからです。他のゼミ生も含めて、この調子で、フィールド調査に突入してほしいと思います。
■ところで、ゼミが終ってしばらくすると、さきほどの4年ゼミ生のうちの6名が研究室にやってきました。何事か…と思っていたら、「少し遅いけれど、お誕生日おめでとうございます」と、お祝いをプレゼントしてくれたのでした。素直に「わ〜い、嬉しい!」と思いました。それに、誕生日の記念に、お酒のラベルも特性で作ってくれていました。漫画『ONE PIECE』の懸賞金のポスターのパロディですね、これ!ゼミ生たちは、私が『ONE PIECE』好きをみんな知っているので、わざわざラベルを作ってくれたんだな。少し説明しますと、『ONE PIECE』では、たくさんの海賊が登場するのですが、その海賊に対して海軍が懸賞金をかけているのです。その金額が、海賊の実力に対する評価ということにもます。これをみると、最低でも1億はいっているかもしれませんね〜。ただし、「?」の中身が「0」だとだめですが…。4年生のみんな、ありがとうございました‼︎ちなみに、中身は、ゼミで行っている「北船路米づくり研究会」がプロデュースした純米吟醸「北船路」です。
■写真は、以下の通りです。絵の上手い磯辺くんが私の顔を書いてくれました!!
山科 梅村 鶴井
磯辺 吉永 冨田 脇田
【追記】■磯辺くんが描いてくれた原画を画像で送ってくれました。これをもとに、パソコンの得意な吉永さんがスキャンして彩色してラベルにしてくれたのかな…たぶんそうだと思います。ありがとうございました。で、参考にしたのは、たぶん右側の写真でしょう。facebookでプロフィールに使用している写真です。ちなみに、インドネシア・バリ島のデンパサール空港で撮ったものです。
木戸の「二ツ屋さん」
■昨日の続きです。農作業が終了したあと、指導農家の吹野さんのお宅で少し休憩をさせていただきました。お暇するとき吹野さんからのおすすめもあり、「北船路米づくり研究会」がプロデュースした清酒「北船路」を置いてくださっている地元の酒屋さんを訪問することにしました。「二ツ屋」さんです。旧志賀町の木戸にあります。
■お店の日本酒の棚をみると、きちんと置いてくださっていました(右)。「北船路」です。その横は、この北船路も含めた木戸地域のお祭り限定の「二ツ鳥」です。レジの横には、「大津市 北船路産 『山田錦』100%使用 純米吟醸 北船路」てポスターまで張って商品を並べていただいています。300mlの小瓶で660円です。お店では、300mlの小瓶、四合瓶、そして一升瓶を置いてくださっています。たくさん売れると嬉しいな〜。「地元の酒」と喜んで呑んでいただくことで、少しだけでも地域に対する意識に変化が生まれてくるといいなと思います。
■「二ツ屋」さんを訪問したあと、疲れきってしまった坪井くんを岩崎くんの車で守山まで送り、そのあとはOBの2人と夕食をとりました。しかし、食べるね〜、君たちは…。驚きました。また、夕食のあとは大学の近くを通るということもあり、3人で瀬田キャンパスに立ち寄ることにしました。学生のとき、車での通学は禁止されていましたが、今回はOBですので私と一緒に堂々と車で入構できるわけですね。新しいテニスコートや、学生たちが仲間とくつろぐことのできるテラス等。卒業したのはほんの1年前のことなのですが、大学のキャンパスの変化に少し驚いていました。こうやって、卒業生がふらりと立ち寄れるような大学になってほしいなと思います。
今年度初めての農作業
■昨日は、「北船路米づくり研究会」の最初の農作業でした。指導農家の吹野さんから農作業の招集がかかったのが最近のことだったので、多くの学生たちは予定がたたかったからでしょうか(就活中でもありますし、アルバイトのシフトにも組み込まれています…)、農作業に参加できたのは4年生のリーダー坪井くんだけになりました。3年生のゼミは明日からですし、まだ研究会の活動に参加できていません。厳しいスタートです。次回からは3年生も参加できると思いますが…。ということで、午前中は坪井くん1人で農作業に励んでくれました。坪井ん、ご苦労様でした。
■ただし、援軍があらわれました。昨年の3月に社会学部を卒業した「米研2期生」OBの岩崎くんと森川くんです。岩崎くんは、2期生のリーダーでした。リーダーとしての責任を全うするために、奮闘してくれました。現在は大阪の会社に勤務しています。森川くんは、現在は、広島県の尾道市で働いています。わざわざ、広島から駆けつけてくれたのでした。岩崎くん、森川くん、ありがとう!!
■この日の農作業のメニューは、里芋畑を整備することと、田んぼの作業の下準備です。すべて手作業。午前中は現役リーダー坪井くん1人だけでしたが、午後からは、OB2人に私も加えて4人で作業に励みました。トップの写真、左からOB森川くん、現役生の坪井くん、OBの岩崎くん。作業終了後の記念写真です。岩崎くんが「疲れた〜」ということを表情と体のポーズで示してくれています。息子よりも若い世代のこの学生たちに負けないように、私も頑張って農作業に励みました。OBの2人は、「ここの空気は美味しいですね〜」と、比良山系蓬莱山の麓にある棚田の空気をひさしぶりに思い切り吸い込むとともに、土の感触を楽しんでいました。2人とも営業職だから、体を動かすのもひさしぶりだったんじゃないでしょうか。
■里芋畑は、昨年収穫したあとに、ほとんど手入れをしていません。ということで、昨年使用したマルチシートをはがす作業から始めました。マルチシートは雑草よけ等のためにかぶせるシートですが、風で飛ばされないように、シートのふちのところをしっかり土で押さえてあります。そのため、畝の両サイドを鍬やスコップで掘り返さなくてはいけないのです。里芋畑の作業が終了したあとは、田んぼに移動です。少し疲れが出てきている感じでしょうか。北船路の棚田からは、少し霞んでいますが春の琵琶湖がよく眺めることができました。
■私たちが龍大米コシヒカリを生産する田んぼは、北船路の棚田のいちばんてっべんにあります。左の写真ですが、田んぼの横に流れている水路です。赤い鉄板の下が水路なのです。比良山系の森の雪解け水が、ゴーゴーと音をたてながら勢いよくながれています。鉄板の上にころがっているのは、「脇田かかし」です。岩崎くんや森川くんが現役4年生のときに、彼らと同級生の川野さんが、私に似せてつくってくれた「かかし」です。風雪に耐えて、この田んぼを見守ってきましたが、そろそろ寿命がきているようです。
■田んぼでは、トラクターが土をかき回すことのできない棚田のふちを、スコップを使って手作業で掘り返す作業を行いました。特に、琵琶湖側のふちは、この作業をきちんとしておかないと、水がぬけていくのだそうです。手で掘り返したところに、水をはって代掻きをしたあとの細かな泥が入り込み、田んぼの底にある隙間に流れ込み、水漏れしない田んぼになるのだそうです(あまり、うまく説明できていませんね…)。右の写真ですが、OBの森川くんにポーズをとってもらったところです。「米研の後輩たちよ、大志を抱け」といっているかのよう…かな。
■北船路の棚田でもあちこちで農作業が始まりつつあります。私たちの田んぼは、棚田の一番上ということもあり、農作業は来月の中下旬頃になるのではないかと思います。
地酒プロジェクトの記事
純米吟醸「北船路」
■船路で栽培した酒米・山田錦を原料に、大津の平井商店さんで醸造した純米吟醸酒「北船路」、発売されています。純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」の時に作ったポスターも少し修正されました。下の方をご覧ください。この「北船路」を醸された平井商店さんのお店の前です。並んでおられるのは、こちらの奥さんとお嬢さんです。素敵なポスターになりました〜。
■昨年度と今年度は、ゼミには、パソコンのデザインソフトを使いこなせるYさんがいます。また、使いこなせるだけでなく、とても素敵なチラシやポスターを製作してくれています。「北船路米づくり研究会」の情報発信に貢献してくれています。しかし、Yさんは来年の3月に卒業します。そのとき急にデザインや情報発信の技術レベルがダウンしてしまうかも…ということが気になっています。もちろん、活動のメインはデザインではありませんので、実質をしっかり維持・発展させていくことが大切なのですが、そうはいっても、やはり気になるのです。
■もっともYさんは、超・前向き。「せんせー、大丈夫です。私が後輩を指導して、ソフトが使いこなせるように指導します」といってくれています。3年生のゼミはまだ始まっていませんが、Yさんのような先輩が手ぐすねをひいてまっていますので覚悟してやってきてください。
【追記】■純米吟醸無ろ過生原酒・純米吟醸酒関連エントリーです。
純米吟醸「北船路」の取材
清酒「二ツ鳥」
生原酒「北船路」の記事、大学のホームページに掲載されました!
生原酒「北船路」のポスター
純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」のお披露目
純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」のラベル貼り
純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」がいよいよ!!
純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」
地酒プロジェクト・生原酒「北船路」のラベル完成
地酒プロジェクト
【追記】◾︎おお、この段階で…「ポスターに誤字があります」と、担当学生から連絡が入りました。ガーン。よく見ると、確かに…。さて、どこわかりますか。修正版ができしだい差し替えます。もう、かなわんな〜…。
純米吟醸「北船路」の取材
清酒「二ツ鳥」
■今日は、第27回「北船路野菜市」でした。「大津百街館」の改装工事も終わり、今月から再び「大津百街館」前で野菜市を開催できるようになりました。この野菜市とは別に、近くの平井商店でも学生たちと指導農家のFさんが相談中でした。なんでも、北船路を含めた旧志賀町の木戸地区の春の祭「五箇祭」限定のお酒を売り出すのだそうです。地域・期間限定の清酒です。先日からのエントリーでもお伝えしたように、「北船路米づくり研究会」では、北船路の「農事組合法人福谷の郷」さんと清酒「浅茅生」を製造されている「平井商店」さんとのあいだをつなぎ、「福谷の郷」さんの方で酒米を生産し、その酒米を原料に「平井商店」さんで、純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」を醸していただきました。
■こんどは、生原酒「北船路」に続いて、「二ツ鳥」という銘柄です。この「二ツ鳥」とは、指導農家のFさんによれば、北船路の氏神である「八所神社」の昔の名前なのだそうです。自分自身でも調べてみました。「大津のかんきょう宝箱」というサイトのなかに説明がありました。ずいぶん古い時代の名前なのですね。
八所神社(八屋戸1074)は、県道高島大津線(旧国道161号線)蓬莱駅前交差点から南へ100メートルJR湖西線と交差する付近にあります。元亀2年(1571年)織田信長の比叡山焼き討ちの際、日吉神社は御神体を伊香立下在地町の八所神社に移し難をのがれましたが、危険を感じて二ツ鳥神社(現、八屋戸・八所神社)に御神体をあずけました。後の天正6年(1578年)二ツ鳥神社は八所神社と改称されました。
生原酒「北船路」の記事、大学のホームページに掲載されました!
■ゼミで行っている「北船路米づくり研究会」の活動は、学長室広報の皆さんにご支援いただいてきました。今回も、大学のホームページでトップの画像のような記事をアップしていただきました。本当にありがとうございます。現役の学生たち、特に3年生の諸君が、この地酒のプロデュースに関しては頑張ってくれました。酒米の田植え・稲刈り、酒瓶に貼るラベルやポスターのデザイン、そして販売促進のための様々な活動、頑張ってくれました。
■しかし、今回、このような形で研究会の活動が花開いたのは、すでに卒業している先輩たちの活動の蓄積があってのことなのです。現役の学生諸君にわかってもらいたいことは、社会的評価も何もないところから活動を立ち上げてきた、先輩たちの偉大さにこそ感謝しなくてはいけない…ということなのです。自分たちの活動は、先輩たちの活動が耕してきたよく「肥えた畑の土」があったからこそ、花開いたのだ…ということを忘れてはいけません。もちろん、先輩の皆さんはこう言うでしょう。「後輩の皆さんはすごいと思います。私たちには、とてもこんな活動はできませんでした…」と。でも、違うのです。先輩たちに感謝することが大切なのです。そのような気持ちで活動を継続することが、皆さんの人間力を何倍にも大きくしていくのです。