昨日は土曜日ですが瀬田キャンパスへ
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▪️ひとつ前の投稿にも書きましたが、昨日は、「びわ湖・滋賀学」の授業があり、龍谷大学瀬田キャンパスへ出勤しました。出勤しても、もうこちらには研究室がないので、授業が終わるとすぐに帰宅することになります。ということでバス停に向かっているとき、1号館の前の噴水に鴨が1羽泳いでいました。びっくりしました。瀬田キャンパスに勤務しているときにも、カモはやって来ていたかな…記憶がありません。カモが飛来していたかもしれませんが…。この池には、キンギョが泳いでいます。個人の家庭で飼育しているサイズではなく、かなり大きなサイズまで成長しています。この噴水、定期的に業者さんによって掃除されているのですが、キンギョは保護されているようです。
▪️それはともかく、この噴水の周りに、今年もハスを植えた大きな鉢が並んでいました。毎年、楽しみにしていました。学生の皆さん、頑張って(楽しんで)おられます。これは、2021~2023年に「龍谷IP」(Iventive Program)に採択された課題「植物園をつくろう」の活動の一環として設けられています。私は、瀬田キャンパスを龍谷大学ならではの植物園のようにしていくチャレンジを応援しています。
▪️ハスの横に、小さな解説板がありました。「仏教とハス」です。以下の説明、心に沁みますね。そして、有名な「フーテンの寅さん」の主題歌の2番にもこのハスのことが歌われていることを、この解説で知りました。
ハスは、「泥の中から咲くのに美しい」のではありません。「泥の中にこそ」成長して、ついに美しい花を咲かせるのです。
今日は土曜日ですが瀬田キャンパスへ
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▪️今日は土曜日ですが、瀬田キャンパスで「びわ湖・滋賀学」の授業です。この授業、滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員や学芸職員の方が講義をしてくださいます。前回は、琵琶湖博物館の展示を使った講義でしたが、今回は瀬田キャンパスでの講義です。今日は、県庁から博物館に人事交流でこられている学芸職員の方が、前半は河川や防災の政策、後半は森林政策のことについて講義をしてくだいました。前半では、河川や防災に関して取り組まれている政策について講義をしてくださいました。土木関係の技術職員として入庁された方です。いろいろ課題はあるわけですが、現在の河川政策は、昔のように行政によるトップダウンの治水や利水だけでなく、生物の保全等の環境への配慮、そして地域文化の保全や住民との「協働」等も視野に入れられた総合的なものです。講義の中では、「初めての魚の居場所づくり」についてもお話ししてくださいました。そして2限目は、県の水産試験場から琵琶湖博物館に人事交流で来られている学芸職員の方が、琵琶湖の水産業について講義をしてくださいました。来週の授業は、私が担当ということになっています。短い講義とグループワークを行う予定になっています。
▪️ところで、朝、瀬田キャンパスに到着してすぐに気がついたことがあります。正門を入ってすぐのところにある築山の麓に、キノコのホダ木が並んでいました。こういうことができるのが、自然豊かな瀬田キャンパスの良いところだと思います。なにかの授業の一環として取り組まれているのかな。知りたいと思いました。
「サッカー日本代表 パブリックビューイング開催」
▪️こういうポスターがキャンパス内に掲示してありました。深草キャンパスの成就館4階にある龍谷メインシアターで、サッカー日本代表 パブリックビューイングが開催されるようです。ただし、龍谷大学関係者限定のようですね。関係者の定義ってどんなの?OB・OG、退職者は当然関係者として、大学周辺の地域の皆さんとかどうなんでしょうね?やはり、シアターには客席に限りがありますから、それは難しいのかな。
▪️このパブリックビューイングを主催するのは、「龍谷大学スポーツサイエンスコース スポーツマネジメント研究室松永ゼミ」の「大学スポーツ応援促進プロジェクト」のみなさんのようです。龍谷大学には、スポーツサイエンスコースも含めて4つの「学部共通コース」が開設されています。私はよく知らないのですが、公式サイトによると「経済学部・経営学部・法学部・政策学部・社会学部の学生を対象とし、各所属学部のカリキュラムを学修する一方で、学部の枠組みを越え、自らの興味・関心に基づくあるいは自分の将来の進路に照準を合わせた講義を、系統的かつ重点的に受けられる」ようになっています。
▪️ワールドカップについては、これから日本全体で盛り上がっていくのでしょう。今回の北中米ワールドカップ2026で、日本代表は悲願の「ベスト8(準々決勝)進出」を果たす可能性が非常に高いと国内外で強く期待されているようです。読売新聞の記事のタイトルは、「『日本は8強進出』3大会連続で優勝国的中の独アナリストが予想…『親善試合でブラジルやイングランドに勝ったダークホース』と分析」です。普段、サッカーにはあまり関心がないのですが、このワールドカップについては気になりますね。
近鉄小倉駅の吉田初三郎
▪️月曜日に、教育実習を受けているゼミ生の「巡回指導」のために、宇治市の中学校に行ってきました。最寄駅は、近鉄小倉駅です。その小倉駅の京都方面のホームの壁面に、なにやら賑やかな絵が飾ってあります。これは一目で、吉田初三郎の絵であることがわかります。「奈良電気沿線名所圖繪」です。19×75cm (折りたたみ19cm)の観光パンフレットです。そのパンレットを拡大印刷して飾ってあるのです。
▪️以下は、この「奈良電気沿線名所圖繪」について解説した記事からの引用です。太字の強調は、私がつけたものです。
「ならでん」の愛称で親しまれた京都~西大寺間の奈良電気鉄道は(昭和38年に近鉄に合併し、近鉄京都線となる)、昭和3(1928)年11月に京都での昭和天皇御大典にあわせ開業した。西大寺で大軌(現近鉄)奈良線と連絡。赤く一直線に作図した沿線には、伏見桃山御陵や古社名刹・名所旧蹟をびっしりと配置し、例えば、宇治平等院、東大寺大仏殿、二月堂・三月堂、春日神社、興福寺と猿沢池、法隆寺、薬師寺、唐招提寺、橿原神宮などの境内図を、カラフルな立体的絵図として表現していて、楽しくなる。はては伊勢神宮参拝交通図絵ともなるような構図でもある。
よく見ると、たくさんの天皇陵や奈良ホテル。さらに神鹿と三笠山(若草山)には、鹿の姿が判別できる。また、今でいうレトロな車両・自動車などが走行し、ピンクの桜を散りばめ、図の上部角には、遥か遠くの富士山や北海道、樺太まで描出していて“遊び心”に満ちているのである。そんな古都を結ぶ沿線案内名所図絵鳥瞰図といえるだろう。
なお、初三郎は昭和15年新秋に、少し構図を変えて「奈良電車沿線名所図絵」(奈良電気鉄道㈱刊)の作品も残している。
▪️私の写真では、上の解説の面白さがよくわからないと思います。探してみたところ、「日文研デジタルアーカイブ」で「奈良電気沿線名所圖繪」の詳細を確認できることがわかりました。ぜひ、細かなところまで楽しんでください。私は、現在は大津に暮らしていますが、以前は、奈良市の菖蒲池に暮らしていました。この「奈良電気沿線名所圖繪」で確認すると、遊園地が描かれています。この遊園地は、あやめ池遊園地です。2004年(平成16年)6月6日で閉園して、78年の歴史に幕を下ろしています。閉園したときは、まだ菖蒲池に暮らしていました。
▪️この「奈良電気沿線名所圖繪」が飾ってある小倉駅のそばには、現在は干拓されていますが、かつて天然の遊水池であった巨椋池がありました。その干拓される前の巨椋池をよくみると、蓮の花がたくさん描かれています。巨椋池は、蓮の鑑賞で有名な場所でした。
「仰木地域共生協議会」の冊子とパンフレット
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◾️「仰木地域共生協議会」の活動に参加しています。現在は、大学に勤務しているため、なかなか農作業には参加できないのですが、退職後は楽しみながら協議会の取り組んでいきたいと思っています。この協議会はどのような活動をしているのか。ぜひ、公式サイトをご覧ください。
◾️それから、協議会の活動を紹介する冊子とパンフレットを発行しています。ネット上でもお読みいただけます。
冊子はこちらです。
パンフレットはこちらです。
慰労会という名の…
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◾️昨晩は、龍谷大学吹奏楽部の若林義人監督、そして日景貴文コーチそして奥様(クラリネット奏者)と、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、先日開催されたサマーコンサートの慰労会ということを「口実」に呑み会を持ちました。吹奏楽部の部長を務めている時は、結構な頻度で若林監督と呑む機会がありましたが、部長を退いてからはそのような機会も減ってしまったので、ひさしぶりに呑もうということでもありました。
◾️プロの音楽家3人の皆さんと、音楽に関していろいろお話ができて、とても幸せでした。ちょっと変な例えですが、プロ野球選手と一緒に練習をさせてもらった野球部の中学生のような気持ちですかね。ひさしぶりということもあり、かなり楽しかったですね。昨日は、お店には、ずいぶん以前に私のゼミ生がプロデュースした「北船路」(平井商店)が入っていました。日本酒好きの日景コーチにも「北船路」を楽しんでいただきました。糖質制限をしている私も、お猪口に1杯だけ、いただきました。そうそう、昨晩は、お店に琵琶湖のルビーと呼ばれる「ビワマス」を用意していただきました。みなさん、大変喜ばれました。やはり、お刺身と日本酒はあいますね〜。
センニチコウとハーブ
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◾️センニチコウ(千日紅)の苗を鉢に植えました。とても可愛いです。秋まで咲いてくれるかな。センニチコウは1年草ですが種が落ちると来年も育ってくれるとのこと。どうなるでしょうね。このセンニチコウ、「丸い可愛らしい花だな」と思ってしまいますが、これは花ではないと知って少しびっくりしました。丸いのは苞(ほう)と呼ばれる部分で、これは葉が変化したものなのだそぅです。では、花はどこにあるのかというと、苞(ほう)の隙間にある粒のようなものが花なのだそうです。うまく育てるこつは、水をやりすぎないことらしいです。また肥料もやりすぎると、葉っぱばかり大きくなってしまうようです。気をつけます。それから、ハーブの苗も鉢に植えました。スイートバジル、パセリ、シソ。どんどん大きくなるので、成長に負けないようにどんどん食べていきます。
『日本の社会学 源流と発展⑥ 社会調査』
◾️時々、大学教員の皆さんからご著書を頂戴するのですが、今回は、以前勤務していた岩手県立大学総合政策学部の吉野英岐さんからでした。『日本の社会学 源流と発展⑥ 社会調査』を献本していただきました。吉野さんとは、総合政策学部の地域政策講座の同僚でした。私が2004年に龍谷大学に異動した後も、最後まで岩手県立大学に勤務され、岩手県の地方自治や地域社会にご尽力されてきました。
◾️今回献本いただいた書籍の中で、吉野さんは第7章「細谷昂 - 生涯にわたる社会調査の実践と探求」を執筆されています。細谷昂先生は、日本社会学会の会長を務められた方ですが、東北大学を定年退職された後、私が勤務した岩手県立大学の特に総合政策学部の創設にご尽力された方です。吉野さんや私が所属した地域政策講座のリーダーでした。いわゆる大講座で、私のような若い教員にも丁寧に接する立派な先生でした。非常にお世話になりました。吉野さんが執筆されたこの論文は、農村社会学者である細谷先生が取り組まれた「社会調査の内容を振り返りながら、戦後の日本における農村の社会調査のひとつの流れを明らかにする」ことを目的とされています。 勉強させていただきます。
◾️さて、吉野さんですが、今年の3月に岩手県立大学を定年退職されました。ということで名誉教授なのですが、科研費の研究が残っていることから特命教授として大学の施設を利用して研究を継続されています。立派ですね。吉野さんが定年退職されたので、これで地域政策講座には一緒に勤務した教員が1人もおられなくなりました。ちょっと寂しいです。それだけの時間が経過してしまったわけです。細谷先生ですが、現在、91歳だと思います。仙台でお元気にお過ごしのことと思います。
龍谷大学吹奏楽部「第52回 定期演奏会」と鰻の「かねよ」
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▪️先日の6月7日(日)、「京都コンサートホール」で龍谷大学吹奏楽部のサマーコンサートが開催されました。いつも、サマーコンサートは、大津市にある「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」で開催されるのですが、大規模改修工事のため京都での開催となりました。夏のサマーコンサートと冬の定期演奏会は、吹奏楽部の部長を退いた後も毎回楽しみにしています。今回は、龍谷大学吹奏楽部のOB・OGの方たちから、「サマーコンサート前に、逢坂山の『かねよ』で鰻を食べませんか」とお誘いを受けました。そのようなわけで、日曜日は豪華な昼食になりました。
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▪️写真は、私が注目した「特きんし重」です。「きんし」というのは、錦糸卵のことです。でも、写真は普通のだし巻きですよね。これ、有名な話です。昔のことになりますが、「錦糸卵」を乗せる作業が多忙のあまり追いつかなくなって、料理人が大きなだし巻き卵をそのままドカンと乗せたのがきっかけなんだそうです。そういうわけで、だし巻き中ではなくて錦糸重です。もちろん、価格に応じて鰻の量が違ってきます。私が注文した上のクラスに、「特上きんし重」、「極上きんし重」、そして「超極上きんし重」があります。私は身の丈にあわせて「特きんし重」にしました。
▪️食器もなかなか凝っていますよね。漬物が乗った小皿は鰻、箸置きも鰻です。いいですね。それから、湯呑みもお店に関係しています。これ、茶屋ですね。「かねよ」がどうしてこの場所で開業しているのかというと、この場所にあった茶屋と関係しているからです。こちらの記事をお読みください。
伊勢から京へウナギを運ぶ仕事をしていた行商人の米吉が途中に立ち寄っていたのが、逢坂山の麓にあった茶屋「かね文」。米吉は店で「かね文」の娘「つる」と出会い、結婚。ウナギを逢坂山の渓水に入れると身が締まって臭みも抜けることに気づいた米吉は明治5年、「かね文」の「かね」と米吉の「よ」を取り、「かねよ」と名付け、旅人にウナギ料理を提供する店「逢坂山かねよ」を開業しました。
▪️これだけ温暖化して気温が高くなると涼しいところはないという感じなんですが、かつてこのあたりは避暑地でもあったようです。京都の一番東の果てという感じなんでしょうかね。そばには、蝉丸神社があります。小倉百人一首の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」、蝉丸の歌です。京都から出ていく人、京都に帰る人、いろんな方達が出会いと別れを繰り返す「逢坂の関」の情景や人生の無常観を詠んだ歌だと言われています。この神社は、その蝉丸を祀った神社になります。
▪️最後の写真は、「特きんし重」をいただいた部屋から撮ったものです。美しい庭に面した個室を予約したのですが、そこは京阪電車京津線の大谷駅です。ホームも少だけ傾斜しています。そのような場所に「かねよ」さんはあります。
「巡回指導」と巨椋池
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▪️京都の南には大昔(縄文時代)から第二次世界対戦が本格的に始まる前まで、巨椋池がありました。天然の遊水池(河川から溢れた水を受け止める)だった大きな湖ですが、国により干拓されて現在に至っています。干拓地の多くは農地になっていますが、東の端の方は住宅街や市街地になっています。昨日は、そのような場所にある中学校に行ってきました。ゼミ生の学生さんがその中学校で教育実習を受けているからです。私の役目は「巡回指導」です。お世話になっている先生方にお礼を申し上げるとともに、ゼミ生による授業を見学させていただき、苦労しながら授業を行なってきたゼミ生といろいろ話をしてきました。授業は社会科です。京都や奈良といった古都の景観問題がテーマでした。
▪️ゼミ生が授業を行った学年ですが、8年生です。最初、あまり深く考えていませんでしたが、小中一貫校で、一般の中学2年生は8年生になるのだそうです。正門に入った時、小さな小学生が走り回っておられたので、中学はどこかと迷ってしまいましたが、同じ敷地の同じ校舎を使っておられるようです(階は違うようですが)。小学生が校舎内ですれ違う時に、挨拶をしてくれました。きちんとお客さんには挨拶をするようにと指導を受けているのでしょうか。少子化が進み、小中学校を統廃合を行う中で、このような学園という形になっているようです。そのようなわけで、校舎はまだ新しくとても綺麗な校舎でした。
▪️写真は、中学校に向かう時のものです。干拓地にできた市街地や住宅地ですので、道は、定規で線を引いたような真っ直ぐになっています。今日は近鉄を使って移動しましたが、その近鉄が走っている場所は、豊臣秀吉が巨椋池に築かせた太閤堤と呼ばれる堤防です。時間があれば、もう少しこのあたりの地形と歴史を探訪したかったです。太閤堤は「伏見という巨大な政治・経済都市を作り上げるための大々的なインフラ整備」ということなので、そのことをこの地域を古地図を見ながら実際に歩いて確認したかったのです。でも、ここには仕事で行っていますので…。この地域にご関心がある方は、この京阪電車の観光広報をご覧いただければと思います。
▪️「巡回指導」を行うのは、龍谷大学に勤務してからこれで2回目ではないかと思います。記憶が曖昧なのですが、1回目はずいぶん昔だったと思います。おそらく20年近く前のことではないかと思います。私の記憶が確かならば、大阪府の豊中市にある高校でした。今回は中学校です。この生徒さんたちが後5年もすれば大学に入学されてくるのです。今のお子さんたちは、どのような学びと共に中高で成長して大学に入学されてくるのでしょうか。大学の教員は「大学の学習は高校までの学習とは違いますよ」と言って指導しますが、中高の教育の現場から学べるものが多々あるのではないかと思いました。今回の「巡回指導」は、そのようなことを考える良い機会になりました。とはいっても、残念ですが、今回の経験を役立てるだけの時間はもう私にはありません。