東京スリバチ学会・大阪高低差学会
■リンクに、「東京スリバチ学会」「大阪高低差学会」を使いしました。ともに、私にとっては趣味的に関心の高い分野です。
■東京の友人たちと一緒に、以前、東京のまち歩き&地形観察も行っていました。震災以降、そのような活動はストップした状態になりました。まあ、そういうこともあり、「東京スリバチ学会」については、ずいぶん以前から存じ上げていました。しかし、今日、初めて「大阪高低差学会」なる活動が行われていることを知りました。さっそく、入会希望の連絡をさせていただきました。
■「勢いがついて」、いろいろ調べてみると、この手の活動が全国各地に続々と登場しているようです。「東京マナイタ学会」、「千葉スリバチ学会」、「多摩武蔵野スリバチ学会」…続々とです。
「盛岡 さんさ踊り」で岩手県立大学が5連勝!!
■岩手県の盛岡市では、8/1〜4まで「さんさ踊り」が行われています。昨日、以前勤務していた岩手県立大学が5年連続の最優秀賞に輝いたとのニュースが飛び込んできました。「サッコラ、チョイワヤッセー」。懐かしいかけ声です。関係者のみなさん、おめでとうございます!! 大学が地域の大きな祭りで、地域の皆さんと一緒になって参加できる…いいことですね〜。
■さっそくYouTubeに動画がアップされています。素人目には、相当練習を積んできておられるようにみえます。迫力がありますね。このなかには、知り合いの先生たちが多数参加されているはずです。先頭の提灯をもっているグループは、大学の幹部の皆さんですね。政治学のS先生、いらっしゃいますね。あと、よくわかりませんが、刑法のI先生が太鼓、地圏環境システム論のT先生が笛、交通工学のM先生が踊り…ああ、懐かしいですね。多様な分野の教員が集まっていた総合政策学部、勤務していたときにも思っていましたが面白かったな〜。どうも、私は、多様な分野の人が集まっている職場の方が、体質的に向いているのかもしれません(ちょっと問題発言だけどね)。閉じたシステムのなかで生きるのは…なかなか。
■ところで、「さんさ踊り」ですが、もともとは江戸時代から城下町である盛岡の近郊地域で踊られていたもののようです。それを観光振興のために現在のようなパレード式のイベントになったのが1978年とのこと。ものすごい迫力です。「さんさ踊り」の詳しい情報は、以下のサイトをご覧ください。
おおつ未来まちづくり学生会議
■先日のエントリー「『おおつ未来まちづくり学生会議』と、家棟川流域の再生」に書いた通り、昨日10日(木)、浜大津にある旧大津公会堂で「おおつ未来まちづくり学生会議」の第1回会議が開催されました。この会議は、「環びわ湖大学・地域コンソーシアム」大学地域連携課題解決支援事業2014に、「理想の大津つくろう~大学生が考える未来の大津~」という事業名で採択されています。私は、この事業にアドバイザーとして参画・参加しています。今回のこの事業は、「大津エンパワねっと」を通して様々な機会にお世話になってきた、大津市役所企画調整部企画調整課のTさんからの依頼でした。Tさんとのご縁により、学生たちが成長できる新たな機会をいただけたこと、心から感謝いたします。今回のこともそうですが、「ひとつひとつのご縁を大切にしていると、ご縁がご縁を生み出していく…」ということを日々、実感しています。
■さて、学生会議のメンバーは、瀬田キャンパスの3学部に所属する学生たちで、全員で12名。社会学部からは、社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コースを修了したエンパワ5期生(6名)と、現在履修中の6期生(3名)、そしてエンバワ5期生の推薦で参加してもらった2回生(1名)の皆さんが参加してくれました。国際文化と理工のそれぞれ1名ずつ。お2人とも、自分たちでプロジェクトをたちあげ、農業や食の問題に実践的に取り組んでいます。あいにくどうしても1人はこの会議に日程を調整できなかったのですが、台風のなか、残りの11名は集まることができました。
■この学生会議は、昨日も含めて、全体で4回開催されることになっています。以下が、その予定です。昨日の第1回では、11名の学生と市役所の職員の皆さん(企画調整課、都市計画課)が、「ひと」「自然」「まち」の3つのテーマに関してグループワークに励みました。そして、3つにグループをつくり、9月に行うまち歩きの場所やコースについての検討を行い、グループごとにリーダーも決定しましした。昨日は、企画調整部の部長さんもおみえになり、学生たちを激励してくださいました。また、地元のケーブルテレビであるZTVと京都新聞の取材がありました。
第1回7月10日(木)「おおつを『知る』」(講義、グループワーク)
第2回9月12日(金)「五感を使ったまち歩き」(まち歩き)
第3回10月上中旬「おおつの”いいね”を考える」(グループワーク)
第4回10月下旬-11月上旬「理想のおおつをつくろう!」(グループワーク、発表)
発表12月(未定)「発表会」(大学地域交流フェスタにて活動報告)
■学生たちは、9月の「まち歩き」にそなえて、夏期休暇中に課題に取り組む予定になっています。
【追記】■龍谷大学のホームページおよび社会学部のホームページにニュースとして取り上げられました。
びわ湖の日
■一昨日のお話し。夕方学内での会議がありました。当初の予想を超えてズルズルと時間がのびてしまいました。今日しないといけない議論なのか、議事次第に乗っていないことではないか…などと、イライラしていました。会議は、目標を共有しながら議論しなければなりません。会議終了後、急いで滋賀県庁に駆けつけました。琵琶湖環境部琵琶湖政策課で「つながり再生検討会」の打合わせが予定に入っていたからです。打ち合せは19時からでしたが、学内の会議が長引いたために、20分遅刻してしまいました。関係者の皆さんには申し訳ありませんでした。議論のための議論で時間を奪われると消耗しますね。しかし、県庁の打合せはそうではありませんでした。目標がはっきりしていましたし、前向きにできましたので、生産性のある議論ができました。こういうのは、元気が出てきます。打ち合わせが終わったあと、琵琶湖政策課の課長席の後ろにある柱を見ると、一枚のポスターが張ってありました。「びわ湖の日」のポスターです。課長さんにお聞きすると、これは昨年とのことですが、なんだか嬉しくなりました。琵琶湖の「琵」に、琵琶湖がある。わかります?
■「びわ湖の日」に関して、滋賀県庁のホームページでは、以下のように説明しています。
湖沼などの水中に溶けている窒素やりんなどの栄養塩類が多い状態になることを富栄養化といいます。琵琶湖では富栄養化が進み、1977年(昭和52年)5月に淡水赤潮が大規模に発生し、水道水の異臭味障害、養魚場でのアユ、コイなどの斃死被害などをもたらしました。淡水赤潮の原因の一つが合成洗剤に含まれているりんに起因することがわかり、県民が主体となって、合成洗剤の使用をやめ、粉石けんを使おうという運動(石けん運動)が始まりました。
県民による石けん運動の盛り上がりなどを背景に1980年(昭和55年)7月1日、滋賀県は全国に先駆けて、琵琶湖の富栄養化の原因となる窒素、りんの排出規制等を定めた「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(琵琶湖条例)を施行しました。その翌年、琵琶湖条例の施行1周年を記念して、7月1日を「びわ湖の日」と決定しました。こうした動きは、本県の環境政策の歴史に残る出来事であり、環境先進県といわれる所以でもあります。
その後、1996年(平成8年)7月に施行された滋賀県環境基本条例で、県民および事業者の間に広く環境の保全についての理解と認識を深めるとともに、環境の保全に関する活動への参加意欲を高めるため、7月1日を「びわ湖の日」と定めています。
魚の賑わい
■土曜日は野洲市で開催された「魚のゆりかご水田プロジェクト」を見学、日曜日は岐阜県の中津川市で「地域づくり型生涯学習の交流会」、そして昨日は、学生指導と授業の合間をぬって、草津市の湖岸に位置する内湖のある集落にでかけました。県庁琵琶湖環境部環境政策課の「つながり再生モデル検討会」の現場での打合せです。この日は、魚の賑わいを取り戻すために、琵琶湖と内湖をつなぐ水路にある水門に魚道をつくる相談をしました。参加したのは、集落の自治会関係者の皆さん、琵琶湖政策室と土木部の職員さん、そして委員会のメンバーで魚道の専門家である浜野龍夫さん(徳島大学)と委員長の私でした。
■いろんな立場からの意見をお互いに聞きあい、調整しなあいがら、そこから課題解決の可能性を見出していくことって、とても重要なことだと思います。今回は、内湖のことになりますが、内湖だけでなく、内湖の接合している小河川や集落内の水路にまで視野を広げていくことも必要でしょう。そして、内発的に解決策が「醸される」ようになることが重要かなと思います。「醸す」とは、麹に水を加えて発酵させて酒や醤油などを醸造することをいいますが、議論というかコミュニケーションを行うばあいでも、お互いの主張に耳を傾け学びあい、知恵を出していくと、相互作用のなかで発酵してくるってことがあるんですよね。そして、そういう「場」を、意図的につくっていくことも大切なんじゃないかと思うんですよね〜。
■少し固い言い方をすれば、地域環境に対する「状況の定義の多様性」を保持することが、時間はかかりますが、結果として地域環境の「レジリエンス」を強めていくことにつながると思うのです。何らかの権力作用の磁場のなかで、特定の「状況の定義」に収斂していくことは、その逆、すなわち「レジリエンス」を弱めていくことになると思うのです。
■ところで、この写真をご覧になってどうお思いになったでしょう。じつは、内湖に入る入り口のあたりには、たくさんの在来魚が泳いでいました。地元の人のお話しでは、ハスではないかとのことでした。肉眼では泳いでいるのが確認できたのですが、写真では無理でした。
きしめん
■ひとつ前のエントリーにも書きましたが、22日(日)、岐阜県の中津川市に出張しました。自宅から京都までは近鉄、京都から名古屋までは新幹線、名古屋から中津川までは特急…というルートです。名古屋で在来線の特急に乗り換えるのときに、あらかじめ計画した通りに、プラットホームにある「立ち食いきしめん屋」さんに入りました。関東は「立ち食い蕎麦」、関西は「立ち食い饂飩」といいますが、やはり「立ち食いきしめん」と余分でしょうか…。
■私自身は、シンプルなきしめんが好きなのですが、この日は、卵を入れてみました。このきしめんのことをfacebookにアップしたところ、新幹線のプラットホームではなくて、在来線のプラットホームにある「立ち食いきしめん」にするべきだとの指摘をいただきました。なんでも、在来線の方は、天ぷらの類いが揚げたてなのだそうです。まあ、今回は、卵だけなので、お許しいただきましょう。
■関西のうどんのお出汁は、旨味がグーンと舌から喉に伝わっていきますが、きしめんのばあいは、それほどではもありません。言い方をかえれば、さっぱりしているというか…。だからでしょうか、鰹節も一緒に??…などと考えながらいただきました。
琵琶湖岸の水郷地帯
■16日(月)の晩、滋賀県庁琵琶湖環境部・琵琶湖政策課の職員の皆さん、そして「川づくり・まぢつくりコンサルタント水色舎」の佐々木さんと一緒に、草津市の琵琶湖のそばの集落に行ってきました。ここは、もともといわゆる水郷地帯だったところです。田舟が大切な移動手段でした。現在では、圃場整備事業を行った結果、広々とした水田が広がっていますが、かつての風景は消えてしまいました。
■写真は、この集落のかつての風景を写したものです。「昔は、家の窓から魚がつれた」と地元の方がおっしゃる通りの風景です。下の2枚の写真には、田んぼのあいだにクリーク(水路)と田舟が写っています。先日、訪問した近江八幡の水郷地帯では、田舟は竿で操作しましたが、こちらは櫓でこぐとのことです。その技術がかわれて、近江八幡の水郷めぐりの櫓こぎの仕事をしていた人もおられたのだとか。草津から通勤されていたのです。なるほど〜と思います。
大津エンパワねっと「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」
■最近は、ホームページのなかにおいたこのプログ、なかなか更新ができません。まずは、写真だけアップしておくという横着なことをしてしまっていますが、どうかお許しください。
■12日(木)の1限、大津エンパワねっとの「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」が、社会学科の社会学概論の授業の1コマを使っておこなわれました。対象は2年生です。この特別講義は、社会学部の4学科すべての必修の授業の1コマを使って行われますが、大津市内で活動されている方を、学外からゲストとしてお招きし、お話しを伺うことになってまいす。この日、社会学科の授業では、中央学区自治連合会長の安孫子邦夫さんと、「大津の町家を考え会」(まちづくり大津百町館)の雨森鼎さんのお2人をお招きいたしました。安孫子さんには、地域住民の立場から、中央学区の自治組織と地域課題についてお話しいただきました。また雨森さんには、市民の立場から大津の街の魅力と「大津の町家を考える会」の活動についてお話しいただきました。
■安孫子さんのお話しから。中央学区内の単位自治会は、江戸時代から続く町割りにもとづいています。いわゆる道を挟んだ「向こう三軒両隣」が自治の単位になります。最近、こういう「ご近所」の関係は希薄になる傾向にありますが、それでも、昨年9月16日に学区内の川が氾濫し浸水被害がおきたときには、多くの人びとが自主的に動き、お互いに助け合いました。また、中央学区は高齢化率が高い地域ではありますが、しかし、その数字だけが1人歩きすることの問題もあります。高齢化率が高くても、元気で余裕のある前期高齢者の方たちは、仕事に忙しい「現役世代」とは異なり、まちづくりの担い手なのです。
■雨森さんのお話しから。「大津の町家を考える会」と「大津エンパワねっと」の関係は、年々深まってきています。最初は、「大津の町家を考える会」の活動のお手伝い程度。会が企画する行事の枠組みのなかで工夫して活動する…そのレベルでした。しかし、次第に、「大津エンパワねっと」のチームが独自に企画を提案し、会と協議の上で活動が展開できるようになっきました。このように成長発展した背景として、まずは先輩たちがこの「大津エンパワねっと」に経験知を残してきてくれていることがあげられます。そのような経験知が土台にあることで、後輩の皆さんはより深まった活動ができているのです。そのことを忘れないようにしてもらいたい。もうひとつは、まちの皆さん(このばあいは「大津の町家を考える会」)にも、「大津エンパワねっと」の学生たちとどのようにコミュニケーションをしたらよいのか、どのように指導したらよいのかという点について、ノウハウのようなものを蓄積してくださっていることも重要かと思います。「学生力×地域力=∞」。これは「大津エンパワねっと」の理念です。このカリキュラムは2007年に始まり、学生たちの地域での活動は6年目になりますが、しだいに、この「大津エンパワねっと」の理念が実現してきているのではないかと思います。
龍谷大学餃子研究会
■職場には、人間関係の「風通しをよくするために(いわゆる親睦)」「お互いに仕事で助け合うことができるように(組織内社会関係資本の蓄積)」と、いろんなアフター5の団体があります。まずは、学部教授会の懇親会です。社会学部の懇親会は、「おうみ会」という名前がついています。ここには、社会学部教務課の事務職員の方たちも招待されます。お互いに仕事で忙しいので、こういうときに、ざっくばらんに雑談をして楽しむことで、「ああ、この先生はこういうユニークな考えをお持ちだったのか」といったように、普段は知ることのできない職場の仲間の人柄を知ることができるわけです。
■このような団体は、なにも学部懇親会だけではありません。私個人のばあいですが、「奈良県人会」があります。奈良県出身者や奈良在住者の集いです。私は奈良に住んでいるので、参加させていただいています。もちろん、出身は奈良ではありません。神戸、つまり兵庫県です。しかし、龍谷大学に教職員の県人会、「滋賀県人会(淡水会)」と「奈良県人会」しかありません(…おそらく)。ということで、勝手に、兵庫県出身者を仲間で探して「兵庫県人会」をつくりました。この「兵庫県人会」については、5月30日のエントリーでも報告しました。
■それだけではありません。私のばあいに限ってですが、マラソンや駅伝の仲間なんてのもあります。ここまでくれば、勢いづいてしまいます。先日は、「龍谷大学餃子研究会」というものを立ち上げました。今のところ、一応、会長におさまっています。会員も現在のところ3名です。研究会というと、なんだか大げさなのですが、餃子好きの人たち(餃子につきもののビールが好きな人たちも)が集まってつくりました。なお、素敵な方たちの入会を待っています。また、「龍谷大学東九条お好み焼き研究会」なんてのもできつつあります。
■「餃子研究会」では、先日、第1回の研究会を開催しました。研究会の創設から3日目の出来事でした。facebookで連絡をとりあっての、あっという間の出来事でした。第1回研究会の会場は、京都の南区にある「ミスター・ギョウザ」です。副会長のNさんに連れて行っていただきました。とても美味しい餃子でした。パリっとした焦げ目のついた皮、存在感はあるが厚すぎない皮の厚さ。これが微妙にすごいと思いました。そしてパリっときたあとに、焦げていない側の皮のフニャっとした感覚、そして最後は餡のジュワっとくる味。この三拍子がそろった素晴らしいお味でした。こちらのお店は、酢醤油か味噌ダレでいただきます。箸休めには、キュウリの漬け物もあります。そしてなんといってもユニークなのは、トレードマークです。先代の店主さんの横顔が描かれています。