1人への支援が、社会のためになる・山仲善彰市長インタビュー
▪︎「滞納取り立てよりも支援」という山仲善彰・野洲市長のインタビュー記事(朝日)を読みました。野洲市は、全国に先駆け、「生活困窮者自立促進支援モデル事業」に取り組んきたました。山仲さんのインタビュー記事は、そのような取り組みの成果や実績に基づくものです。
▪︎山仲さんとは、滋賀県庁におられる時から少しお付き合いがあります。琵琶湖環境部長をされていた時に、琵琶湖の環境問題関連の仕事では、いろいろお世話になりました。今も、滋賀県の「ヨシ群落保全審議会」ではご一緒させていただいています。しかし、よくよく考えてみれば、山仲さんと環境以外のことでお話しをさせていただいたことはなかったように思います。私は、右の朝日の記事を読んで、多くの点でなるほどと納得しました。
▪︎この記事に刺激を受けて、さらに野洲市の政策に関してネットで関連記事を探してみました。すると、『日経ビジネス』の記事がみつかりました。『日経ビジネス』の「2000万人の貧困』というシリーズ記事の中のひとつのようです。「1人への支援が、社会のためになる『困窮者自立支援法』モデル都市の市長の提言」(2015年9月1日(火))というタイトルが付いていました。貧困に苦しむ人びと、高齢者、障害者といった社会的弱者を、行政としてどのように包摂していくのか、また、そのためにはどのような行政組織の経営が必要なのか…といった内容でした。以下は、インタビューの冒頭に山仲さんが語っていることです。基本的な考え方が示されています。続きについては、ぜひ直接お読みいただければと思います。
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行政の基本は、市民の方がそれぞれ健康で幸せで自己実現でき、人生を楽しめるための公共サービスを提供することだと思っています。
伸びようとする人がより伸びられるように、困難な状況にある人はきちっと自立できるようにということです。困窮者や弱者から発想が始まっているのではありません。弱者も、そうでない人も、それぞれの人生がいいものになることが大事だと思います。
ただ、伸びる人の場合はある程度、自分で資源調達ができたり、支援が見つけられます。けれど弱者の場合、そうはいかないことがある。ですから、どちらかと言えばそこを手厚くすることによって、全体が良くなるという視点に立っています。
もう一つは、やっぱり「1人を救えない制度は制度じゃない」ということです。役所へ行くと「この制度はあなたのためではないのでお引き取りください」とか、「いや、うまく合わないんですよ」と言われて追い返される。生活保護のいわゆる「水際作戦」(注:生活保護の受給申請者に対して、費用を抑えるなどの目的で、自治体ができるだけ受給できない理由を見つけようとすること)なんていい例ですよね。
制度というのはそれではいけません。そこにニーズがあるのだから、何とか解決するための手段でなくてはいけない。公序良俗に反することはいけませんが、その人の人生にかかわることや地域のためにというニーズなのであれば、課題を最終的にクリアできるようにするのが務めです。
▪︎なお、この山仲さんのインタビューは、日経BP社から発行されている『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投 資」』の中にも収録されているようです。以下は、amazonに掲載された内容紹介です。
日本の相対的貧困は、およそ2000万人――。75歳以上の後期高齢者よりも多いこの国の貧困層は、この先3000万人まで増えるとも言われています。そしてこの病巣は静かに、けれども急速に、日本に暮らすあらゆる人々の生活を蝕み始めています。
ひとり親、女性、子供…。これまで貧困は、社会的弱者の課題として語られることが多かったはずです。
けれど貧困は今や「一部の弱者の問題」として片付けられる存在ではなくなっています。困窮者の増加が消費を減退させ、人材不足を進め、ひいては国力を衰退させる――。
経済記者が正面から取り組んで見えてきたのは、貧困問題が日本経済や日本社会に及ぼす影響の大きさでした。
「かわいそう論」はもう通用しません。求められるのは、貧困を「慈善」でなく「投資」ととらえ直す視点の転換です。企業やビジネスパーソンにできることは何か。
貧困を巡る日本の現状と課題、そして解決の糸口を「経済的観点」から分析した初のルポルタージュ。
▪︎この本の紹介にある「貧困は今や「一部の弱者の問題」として片付けられる存在ではなくなっています」や、「貧困問題が日本経済や日本社会に及ぼす影響の大きさでした」という指摘は、山仲さんの「1人への支援が、社会のためになる」という考え方と、どこかで繋がり合うような気がします。現在、貧困ではない人でも(貧困は自分には関係ないと思っている人でも)、より大きな視点に立てば、貧困問題は自分自身の問題でもあるわけです。自己責任という言葉は、時として、このような現実を隠蔽することになります。また、社会が成立するために必要な共同性をも蝕んでしまうことになります。
2016年のカレンダー
湖西線利便性向上プロジェクト
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▪︎JR湖西線に関するイベントが開催されるようです。「湖西線利便性向上ブロジェクト推進協議会」とは、滋賀県が中心になって組織した団体です。滋賀県のホームページでは、以下のように説明しています。「平成26年8月に湖西線の利便性向上に向けた検討を行うため、滋賀県と湖西線沿線の大津市、高島市、長浜市の3市が連携して設置した「湖西線利便性向上プロジェクトチーム」での取り組みを、より強力に進めていくため、平成27年4月には、その組織を(仮称)湖西線利便性向上プロジェクト推進協議会に改め、湖西線の利便性向上と、鉄道を活かした湖西線沿線地域の振興・活性化を図っていく事業を実施していく」。「強風対策、バリアフリー化、ダイヤ増便など利便性向上に関すること」、「観光誘客、地元利用の利用促進に関すること」、「湖西線沿線のまちづくりに関すること」について検討をされてきたようです。
▪︎上記のポスターのテーマには、「そうだったのか、比良おろし。」とあります。また、協力に、京都大学生存圏研究所の名前もあります。この研究所の教員の方が、「比良おろし」のメカニズムを研究されているのです。湖西線は、「比良おろし」と呼ばれる比良山系から吹き下ろす強風のために、しばしば運休することになります。湖西線は高架であるために、その強風の影響を直接的に受けてしまうのです。そのため、JR西日本では2007年から比良駅と近江舞子駅間の沿線山側に防風柵を設置し、それまでは「比良おろし」の風速が秒速25mを超えると運休になりましたが、秒速30mまでに緩和されました。以下は、民間の研究者が発表された「比良おろし」に関連する研究論文です。
ビワコダスから見た近江盆地の局地風
【追記】▪︎このイベントのポスターをご覧になった鉄道ファンの方から、「2つのカラーを組み合わせた115系の写真を持ってくる所が個性的ですね。単色化されていない115系はまだ走っているのでしょうか?」とのご質問がありました。私は鉄道好きではありますが、形式等、細かな知識はまったくもちあわせておりません。ということで、調べてみると、湖西線の電車の単色化(それも緑に?!)が進行中らしいのです。ポスターでは、113系か115系かの柿色と緑のいわゆる「湘南系」と呼ばれる配色の電車と、ツートンカラーの117系の電車が連結されています。こういうのは、珍しいのだそうです。知りませんでした。
秋の琵琶湖
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▪︎昨日は、家の用事があり、妻と滋賀県に出掛けました。一日仕事になりました。一日運転をしていました。夕方になる少し前に、雄琴にある「オーパル」の中岡靖雄さんを訪ねました。「オーパル」は、修学旅行等、学校向け琵琶湖体験学習、琵琶湖での活動を中心とした自然体験、カヌー(カヤック)、ウォーターボール、ウェイクボードなどのスクールの開講などを主な業務内容にされている会社です。中岡さんは、子どもたちに、カヌー等の指導をされています。昨日は、中岡さんのご案内で、オーパルの敷地内の湖岸から、琵琶湖を眺めさせていただきました。心が洗われるような風景でした。いつも眺めている琵琶湖ですが、今日は今日でとっても美しかった!
▪︎この「オーパル」ですが、ビューティフルジャパン」というシリーズの動画にも登場します。このシリーズ、「2020年をゴールに47の都道府県を訪ねて、東京オリンピックをめざす若きアスリートたちとともに挑戦することの大切さや夢を追うことの素晴らしさ、そして、この国の美しさを再発見していくプロジェクト」なのだそうです。パナソニックと電通が製作しているようです。以下は、その動画です。女優の綾瀬はるかさんも登場されています。
ゼミOG岩田さんとの偶然の再会
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▪︎月曜日のことです。午前中の授業、午後からの会議を終えて帰宅しようとJR瀬田駅の改札口を抜けると、突然「せんせー」と呼びかけられると同時に腕を軽くつかまれたのでビックリしました。2011年春に卒業したゼミOGの 岩田麻希さんでした!現在は、化粧品会社に勤務されています。元気そうに頑張って働いているので、「せんせー」としてはとても嬉しくなります。私自身、個人的には、いろいろ厳しい状況が続いているのですが、こういう偶然の出会いと彼女の笑顔に心が和みました。岩田さん、声をかけてくれてありがとう。まだ明かすわけにはいかないのですが、じつは岩田さんの仕事を少しだけですが応援させていただきました。応援させていただいたことが、うまくいったらいいなあと思っています。そういえば、この岩田さんたちの学年とは同窓会をまだしていませんね。同窓会で、「脇田ゼミ6期生」の皆さんの近況を、いろいろ教えてもらえると嬉しいですね〜。
関西「私鉄王国」
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▪︎今日は、老母の世話の日でした。忙しくて手入れができていなかった老母宅の庭は、草がぼうぼうでジャングルのようになりかけていました。こまでは、見て見ぬ振りをしてきたのですが、さすがにこれでは…という状態でした。ということで、真昼の炎天下に、草刈機を持ち出し作業を始めました。年に何回か草刈りをしなければなりませんが、そのたびごとに優勢な草の種類が違います。今回は、草に加えて、このまま放っておくと樹になってしまう…そのような感じの植物も生えていました。これはいかん…と草刈りを始めたのです。
▪︎草刈りを終えた頃にiPhone6plusに電話がかかってきました。大学の学長室からでした。担当している研究部の懸案となっている課題に関して、学長室の会議で研究部長として話しをしてほしいという内容でした。着ていたポロシャツは汗びしょびしょで、しかも下はジーンズ、とても大学の会議に出席するような格好ではありませんでしたが、良いチャンスをいただけたので、老母の世話を完了させたのち、あわてて大学の本部に移動しました。
▪︎老母宅は兵庫県にあります。「能勢電鉄」、「阪急宝塚線」。「阪急十三駅」乗り換えの「阪急京都線」で「阪急四条河原町駅」まで行きます。そこからは、徒歩で「京阪本線」の「京阪祇園四条」まで移動。職場の本部のある「深草駅」までは10分です。なんとか予定の時刻に間に合わせることができました。老母宅から大学の本部まで全部私鉄で移動できます。さすが、関西は「私鉄王国」です。今回は、ひさしぶりに「阪急京都線」に乗りました。普段、大阪と京都のあいだは、阪急に乗るチャンスがあまりありません。ということで、満足いたしました(よくご理解いただけないと思いますが…電車好きなものでして…)。河原町では、阪急から京阪に徒歩で移動するさいに鴨川を渡ります。昨日は、前日の雨のせいでかなりの水量で、ゴーゴーと川の濁った水が流れていました。ところで、その鴨川の横には、「東華菜館」という有名な北京料理店の建物があります。私にとっては、ランドマークのような建物です。
▪︎このレトロな建物は、あのウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計したもので、1926年に竣工しています。現在は、登録有形文化財になっています。また、このお店のエレベータは1924年OTIS製です。日本に現存する最古のエレベータなのだそうです。東華菜館の公式サイトにあるページでは、以下のように説明しています。
前身は、西洋料理店「矢尾政」。大正の頃よりビアホールブームが始まっており、大正13年、「矢尾政」二代目店主・浅井安次郎氏が新しいビアレストランをイメージし、その設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に依頼。大正15年に、このスパニッシュ・バロックの洋館が生まれました。その後、戦時色が深まる中、洋食レストランの存続が許されない状況になり、浅井安次郎氏はこの建物を中国人の友人・于永善に託しました。中国山東省出身の于永善は、大連で北京料理のベースである山東料理を修得して来日しており、ここで北京料理店を創業。昭和20年末、「東華菜館」が誕生致しました。尚「東華菜館洛北店」は、現店主・于純政が、平成5年にオープン致しました。
シンプルなデザインの学校・教会建築を数多く残したヴォーリズ氏による商業建築は少なく、その中でも当店は氏による生涯唯一のレストラン建築です。特に玄関ファサードで印象的な海の幸・山の幸等食材のモチーフは、館内にちりばめられており、目を楽しませてくれます。シンプルな直線と曲線を組み合わせた天井や梁・腰板・扉の装飾が美しいのも特徴的。また、建物に合わせヴォーリズ氏により設計された調度品や花台も残っており、料理とともにお客様をもてなします。当店の建物は、ほぼ大正15年竣工当時の姿を残しており、今もその維持管理・保存に努めております。
1924年米国で製造、輸入されたOTIS製。格子形の蛇腹式内扉や時計針式のフロアインジケーターなど非常に珍しい器具が備わっている、現存する日本最古のエレベーターです。昇降は運転手による手動式であり、その操作盤・L字方向での二面開き扉等洗練された設計になっています。
▪︎娘は建築が専門なので、年末には、ここで家族の忘年会ができたらなあ…などと考えながら通り過ぎました。ここのお店では、冬に、中国風の「火鍋」料理をいただくことができます。「火鍋」とは、中華の鍋料理です。鍋の中央に炭を入れる煙突が立っている…そんな中華の鍋をご覧になったことはありませんか。ここの東華菜館の「火鍋」も、そのような形の鍋です。そのような鍋に、様々な具材を入れていきます。湯通ししたもの、揚げたもの等、具材ごとに適切な下準備を施してあるそうです。そのことで、最大限の味わい深さを引き出すのです。最高のスープから出た鍋の最後には、中華麺を入れて楽しみます。いかがでしょか。ちょっと、なんだか、人生の楽しみが増えました(大げさですが)。
仰木の棚田
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■昨日は、プライベートな用事があり、妻とともに滋賀に出かけました。たまたま、昨日は自家用車で向かいました。大津市の仰木の近くを通ったとき、「そうだ、全国的にも有名な『仰木の棚田』を見学してみよう」と思い立ちました。「仰木の棚田」を見学するのはひさしぶりでした。龍谷大学に赴任した頃ですから10年程前のことでしょうか、山に戻ってしまった山奥の棚田を復元する作業のボランティアだったかと思います。現在、仰木ではボランティアを受け入れた棚田の保全活動が行われているようですが、当時は、まだ模索段階だったかたと思います。
■その前にも「仰木の棚田」を訪問したことがあります。それは、今から20数年程前のことになろうかと思います。当時、私は滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備室に勤務していました。仕事の関係でお知り合いになった、昆虫写真家の今森光彦さんとご一緒させていただきました。仰木には今森さんのアトリエがあるのですが、そこにもお邪魔しました。おそらく、仰木の棚田と人びとの暮らしを写した写真集『里山物語』(木村伊兵衛賞受賞)が出版された頃だったかと思います。今森さんとは、仰木のお隣の伊香立の方にもでかけました。懐かしい思い出です。そのようなことも思い出しながら、おぼろげな記憶を頼りに棚田の狭い道を走りました。
■「仰木の棚田」は、琵琶湖の湖岸からの傾斜地をあがったところの丘陵地にあります。丘陵地の高低差によりそうようにひろがっています。棚田の境目には樹や樹の茂みもみられて、独特の美しさを感じさせます。遠くには、かすかに琵琶湖を望むこともできます。昨日は、台風のせいで雲が垂れ込めていました。青空のときとはまた異なる、棚田の風景は不思議な魅力を放っていました。今森さんの写真集で全国的に有名になった「馬蹄形の棚田」も、もちろん健在でした。仰木の棚田は、丘陵部だけでなく、山の谷筋のかなり奥の方までも続いています。かなり奥の棚田でも、きちんと耕作がなされ、稲が成長していました。同行してくれた妻が、そのような棚田を眺めながら「こんな奥までどういう人が耕しているんやろね」とつぶやくようにいっていました。こんな山奥の棚田だと作業が非常に大変だろうな…という思いから出たつぶやきなのでしょう。私自身も、立派に手入れをされていることに驚きました。
西粟倉村のこと
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▪︎つい先日、知り合いの新聞記者から問い合わせがありました。仕事上の問い合わせというよりも、個人的に意見を聞かせてほしい…という感じでしょうか。このような質問です。「日本創成会議が提唱している東京圏から地方への移住呼びかけについてはどう思うか?」。この「移住の呼びかけ」については、以下の日本経済新聞の記事をご覧ください。
民間有識者でつくる日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)は4日、東京など1都3県で高齢化が進行し、介護施設が2025年に13万人分不足するとの推計結果をまとめた。施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を移住先の候補地として示した。
創成会議は「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。全国896の市区町村が人口減少によって出産年齢人口の女性が激減する「消滅可能性都市」であるとした昨年のリポートに次ぐ第2弾。
東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県では、今後10年間で75歳以上の後期高齢者が175万人増える。この結果、医療や介護に対応できなくなり、高齢者が病院や施設を奪い合う構図になると予測した。解決策として移住のほか、外国人介護士の受け入れ、大規模団地の再生、空き家の活用などを提案した。
移住候補地は函館、青森、富山、福井、岡山、松山、北九州など一定以上の生活機能を満たした都市部が中心。過疎地域は生活の利便性を考え、移住先候補から除いたという。観光地としても有名な別府や宮古島なども入っている。
高齢者移住の候補地域は以下の通り(地名は地域の中心都市。かっこ内は介護施設の追加整備で受け入れ可能になる準候補地域)。
【北海道】室蘭市、函館市、旭川市、帯広市、釧路市、(北見市)
【東北】青森市、弘前市、秋田市、山形市、(盛岡市)
【中部】上越市、富山市、高岡市、福井市、(金沢市)
【近畿】福知山市、和歌山市
【中国】岡山市、鳥取市、米子市、松江市、宇部市、(山口市、下関市)
【四国】高松市、坂出市、三豊市、徳島市、新居浜市、松山市、高知市
【九州・沖縄】北九州市、大牟田市、鳥栖市、別府市、八代市、宮古島市、(熊本市、長崎市、鹿児島市)
▪︎いかがでしょうか。なるほどと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、私は、この提案内容に納得がいきませんでした。一極集中している東京の視点から語られているからです。乱暴にいえば、東京=大都市の論理に地方を従属させて消費しようとしているかのようです。移住とは、そんなに簡単なものでしょうか。高齢者の移住に関していえば、身体の弱ってきた人たちほど、移住は難しいと思います。移住してそこに根を生やして、その土地の人たちといろんな関係を作り、その地域になんらかの貢献をして…そういうプロセスを経ることが移住には必要だと思っているからです。このよう提案は、「物価の安い海外で優雅に暮らそう」という発想と、ほとんどかわりはありません。知人の新聞記者に教えていただきましたが、かつて「シルバーコロンビア計画」というものがあったそうですね。wikipediaで申し訳ありませんが、以下のように説明されています。「1986年に通商産業省のサービス産業室が提唱した、リタイア層の第二の人生を海外で送るプログラムを指す。正式名称『シルバーコロンビア計画”92”-豊かな第二の人生を海外で過ごすための海外居住支援事業』。『92』が付いているのは、目標年次を1992年としていたため。結局は、『計画』どまり、『構想』レベルに終わった」。また、もっと以前に遡れば、「南米への移住」等の政策についても、同様の考え方のように思います。
▪︎そのようなやり取りを、知人の新聞記者としたあと、facebookでひとつの記事をみつけました。岡山県にある西粟倉村に関する記事です。西粟倉村は、岡山県の最北東端に位置し、兵庫県・鳥取県と境を接する村です。記事は、「ニシアワー」という名前がついたサイトです。西粟倉村の挑戦者たちの活動を伝えるサイトです。こう紹介されています。
ぐるぐる、めぐる。生態系の循環に寄り添う地域作り
ニシアワーは、岡山県西粟倉村の挑戦者たち活動をお伝えするメディアです。2008年、西粟倉村で50年後(2058年)を目指す「百年の森林構想」が掲げられました。50年後を目指す冒険の物語は、ローカルベンチャーと呼ばれる挑戦者たちが村に眠っている可能性を発掘していくこと、そして挑戦者たちを見守ってくださる応援者を増やして行くことによって成立し、前進していきます。
■「なんだか、おもしろいぞ!!」と思わせる力のようなものを感じました。西粟倉村の主産業は林業てす。しかし、多くの国内の地域と同じく林業になかなか展望を見いだせない状況にありました。そのような厳しい状況にありながらも、西粟倉村は2004年に合併を阻み、独自の道を歩み始めます。2008年には「百年の森林構想」を打ち出し林業と地域と人の再生をはかっていきます。この「百年の森林構想」の経緯にいて説明した文書を引用してみます。
西粟倉村は、2004年に合併を拒み、村として自立していく道を選択しました。スケールメリットよりもスモールメリット。小さな村だからこそ実現できる未来があるはずだ。大都市、大企業の下請けにはならない、自立した循環型の地域経済を目指すべきだ。2004年以降、議論を積み重ねるなかで、目指すべき方向が徐々に言語化されていきました。
2005年には「心産業(しんさんぎょう)」というコンセプトが打ち出されます。心の生態系の豊かな村へ。心のつながりを大切にしながら、価値の創出と交換が行われる地域経済へ。(中略)仕事がないから過疎化する。だったら仕事を生み出そう。地域資源から仕事を生み出していける起業家型人材の発掘・育成を進めることになりました。 そして2008年、「百年の森林構想」という旗が掲げられました。「百年の森林構想」というビジョン、「心産業」というコンセプト、「雇用対策協議会」という推進組織によって、移住・起業の連鎖反応が広がっていくことになります。
■非常に建設的で前向きな地域経営に対する意志のようなものを感じます。地域の主体性です。そのような主体性が、移住・起業の連鎖を生み出したというのです。このあたりについては、「挑戦者たち」というページにいろんな方たちが登場します。たとえば、酒屋と日本酒バーを開業した女性、「地域の中のローカルベンチャーの支援をする。それのなにが悪いんですか」と主張する役場職員、地域商社、西粟倉・森の学校の若き経営者…。非常に気になる方たちばかりです。こういう方たちがいる地域って、魅力的ですよね。その魅力に挽きつけられるように多くの方たちが、この西粟倉村にやってこられるようです。そして、西粟倉村で生まれて育っている子供たちが増えているというのです。詳しくは、こちらのページをご覧ください。
2015「なら燈花会」
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▪︎昨晩、妻に誘われて初めて「なら燈花会」に行ってみました。このイベントは、1999年から始まったといいますから、すでに17回目になるのですね。奈良には、30年ほど暮らしていることになりますが、あまり奈良のことを知りません。新しい華やかなイベントですが、その奥には「渋い奈良」が見え隠れしていました。
▪︎ちなみに、昨日は「燈花会」の最終日でした。「最終日だから、行ってみよう」という妻に誘われて出かけました。写真を少し説明します。「なら燈花会」は、10カ所の会場に分かれて開催されました。全ての会場をまわれませんでしたが、東大寺鏡池→春日野園地→何春日野国際フォーラム→浮雲園地→浅茅ヶ原→浮御堂→猿沢池→興福寺の順番でまわることができました。ものすごい人出で驚きました。ボランティアの方たちの力で毎年開催される「燈花会」、素晴らしいイベントです。なんですが、私は、少々疲れてしまいました。トップの写真は、興福寺の南円堂です。燈花会とは少し離れたところに、この建物に渋い奈良らしい魅力を感じました。主観的なものでしかありませんが、奈良の魅力って、そういう「控えめ」なところにあると思います。ちょっと「大人向き」の街だと思います。