甲子園球場で関関戦
▪️今日は、甲子園球場に出かけました。母校・関西学院大学の硬式野球部は、現在、関西学生野球連盟の「春季リーグ」で1位です。素晴らしい。
▪️で、今日の対戦相手は関西大学でした。伝統の一戦、「関関戦」なのでした。龍谷大学と京都産業大学も伝統一戦と言われます。龍谷大学では「龍産業戦」と呼ばれ、京都産業大学では「産龍戦」と呼ばれているようです。では、「関関戦」はどうなんでしょう。関学の関係者は、「関西学院」(Kwanseigakuin)が最初だと当然のように思っていますから、「関関戦」と書いても、発音は「Kwan-Kan-Sen」と「正しく」発音するのだと思います。まあ、関学関係者以外の皆さんには、どうでも良いことかもしれませんが、この伝統の関関戦を、心理学部の東豊先生、法学部教務課の平國祐樹さんと一緒に観戦、応援しました。以前の投稿にも書きましたが、私たちは全員、関西学院大学の出身者です。試合の途中では、平國さんに丁寧に解説をしていただきました。平國さんは、学生時代、関学硬式野球部でピッチャーをされていたのです。ありがたかったです。で、試合結果ですが、延長12回の裏に1点を入れて関学が勝利。その後は、三ノ宮で短い時間でしたが祝勝会を持ちました
▪️今日は関学側の懸命の応援にとても感動しました〜。甲子園球場で母校の校歌「空の翼」を歌ったのは、昨年末の「甲子園ボウル」(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦)の時でしたから5ヶ月ぶりです。またまた感動しまた。卒業して40年を超える時間が経過していますが、感動しました。今も、いや今だからかな、親しい同窓生のお2人と一緒にこういう気持ちになれることをありがたいことだと思いました。この日、私が身につけたキャップ、ポロシャツ、パーカー、全て母校のエンブレム付きでした。気合いを入れて観戦・応援をしました。
▪️応援団の指導部の中に、学ランを着た女子団員さんが複数人おられました。素敵なことです。私の時代、大学の応援団といえば、漫画「嗚呼!!花の応援団」のようなイメージ(私の場合はネガティブなイメージ)が強くありました。関西学院大学応援団の公式サイトを拝見すると、学ランを着た指導部12人の中に4人の女性がおられました。時代は変わりました。
▪️チアリーダー「ドルフィンズ」の皆さんの人数に驚きました。やはり同じく公式サイトを拝見すると、なんと82人です。すごいですね。内野席の前方に、応援のためのステージが設けられていましたが、そこに、次から次へと交代で登り、応援パフォーマンスをずっと演じられるのです。ステージだけではありません。内野席通路にも、たくさんの「ドルフィンズ」のみなさんが並んで、満面の笑みで「さあ一緒に応援しましょう」という感じで、甲子園球場に駆けつけた同窓生の皆さんの一人一人に語りかけるかのように視線を向けてくれるのです。しかも、精一杯の大きな声で応援しつつ、です。素晴らしい。おじいさんたちは(平國さんを除く、2人の前期高齢者)若い応援団の皆さんにたくさんの刺激をいただき元気になりました。大変鍛えられておられるなあと強く思いました。また、想像でしかありませんが、大学も相当、応援団の活動を支援されているのではないかと思いました。
▪️関学の応援団には、指導部とチアリーダー部に加えて、吹奏楽部も。龍谷大学に勤務していると、吹奏楽コンクールのことで活動の様子を知ることになります。私が学生のことろは、関西では、近畿大学と並んで関学の吹奏楽部が全国大会常連でした。しかし最近は、兵庫県の大会を勝ち抜き、関西大会に出場されることもなくなってきました。ひょっとすると吹奏楽コンクールに活動の重点を置いているわけではないのかもしれません。最近は、吹奏楽コンクール出場する大学が減ってきましたから。とはいえ、関学の同窓生としては、やはり少し寂しいわけです。関関戦とは関係のないことも書いてしまいました。
▪️で、もうひとつ。私には気になっている野球の試合がありました。龍谷大学硬式野球部はどうなっているのかということです。龍谷大学は関西学院とは異なるリーグ、関西六大学野球連盟に所属しています。今日は、神戸学院大学との試合でした。龍谷大学は、 0-8 で勝利しました。嬉しいです。6連敗していましたから。やっとそこから抜け出せたのかな。残りの試合も頑張って欲しいです。
【追記】▪️このような応援でした。関西学院応援団のXへの投稿です。
滋賀県庁とのミーティング
▪️昨日は、理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」と、滋賀県庁の琵琶湖環境部、総務部市町振興課、総合企画部県民活動生活課県民活動・協働推進室(長い…)の皆さんと、相互の連携に関してミーティングを行いました。その後、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、引き続き「呑み」をしながらのミーティングに移行しました。前半・後半のミーティングで、いろんなことが明確になってきました。このミーティングをコーディネートしていただきました三和伸彦さんに、心より感謝いたします。ありがとうございました。
▪️昨日は2回目のミーティングになります。今日は、私たち「琵琶故知新」からの提案(地図と情報を組み合わせて表現する技術)を、みなさん大変前向きに受け止めてくださいました。官民の壁を越えて、そして県庁という組織の部署内の壁をこえて、連携をさらに深めていきながら、MLGs(マザーレイクゴールズ)、そしてまちのコイン「びわこ」(デジタル地域通貨)と、そして他の部署が取り組まれている事業と、私たちの技術とが結びつき、社会的に意味のある取り組みが生まれてくるように頑張りたいと思います。
自分が話すスピード、人の話を聞けるスピード。
▪️先日のことになります。昼食時、テレビの「徹子の部屋」を視聴しました。その日のゲストは、「TM NETWORK」の皆さんたちでした。この方達、私と同年代なんですね。よくわかっていませんでした。全員、前期高齢者です。実際にテレビで拝見すると、ああ、やはり自分と同年代の方達だなと感じました。お若く見えますけどね。
▪️お若く見えるのですが、それでも興味深かったのは、昔々に「徹子の部屋」に出演されたた時のご自身の録画を見ながら、小室哲哉さんですが、なんだか自分が偉そうに話をしているとか、昔は速く話していたんだとか、そういう感想を言っておられたことでした。そうなんです。若い時は、みんな早口なんですよ。これは、黒柳徹子さんも同じですね。録画の中の黒柳徹子さんは、今とは違い早口です。黒柳さんの「モノマネ」される方達は、みんな早口で喋っておらますよね。でも、現在の徹子さんは、ゆっくり話をされます。年齢を重ねる、普通に話してもゆっくりになってしまうんだと思います。それから、大事なことですが、若い人たちの早口の喋りを聞き取りにくなってしまっているのです。テレビを視聴して、納得しました。私は、そのことを50歳代から感じていました。
▪️自分の言語能力が劣ってきて思うのは、若い方達の話も普通に話していればよく理解できるのですが、何か気合のスイッチが入ってしまうせいでしょうか、早口で話す方が時々おられます。普通に話したら良いのに…と思いますが、そういう時、少し困ってしまうんですよね。早く話すことで、話している内容が高いレベルに聞こえるわけではありませんし、年寄りのために少しゆっくり目に話して欲しいなと、密かに思っています。
ジャーマンアイリスとツリバナ
▪️我が家の裏庭で、今年もジャーマンアイリスが咲き始めました。嬉しいな〜。今年は、30以上蕾を作ってくれています。そのうち、まずは4つの蕾を咲かせてくれました。ありがとう。毎年、毎年、同じことの繰り返しかもしれませんが、花を咲かせてくれることに感謝です。
▪️庭の法面には、以前、ブラシノキが植えてありました。ブラシノキは、オセアニアの樹です。それでも、我が家の庭で見事に花を咲かせてくれていました。ただ、ブラシノキから他の植物によくない影響が出ることがわかり、お世話になっている庭師さんにお願いをして、日本の里山にみられるツリバナに植え替えていただきました。ブラシノキは、確か信楽のお店に「養子」に出されました。しっかり育っていると、思っていたのですが、お世話になっている庭師さんから連絡があり、「養子」に出されたブラシノキ、昨年の酷暑の中で枯れてしまったのだそうです。残念ですね。
▪️さて、写真はツリバナです。ブラシノキの派手さとは違い、ツリバナはとても地味です。でも、こんなに可愛らしい花を咲かせます。老眼ではよく見えませんけど。昨年植えてもらったばかりで、まだ少しひ弱な感じですが、これからしっかり成長してくれると思います。
大阪中之島美術館「モネ 連作の情景」展
▪️ちょっと前のことになりますが、大阪中之島美術館で開催されていた「モネ 連作の情景」で、モネの作品を鑑賞してきました。美術史の知識があまりありません。モネは印象派で睡蓮の絵を描いた画家…程度の知識しかありません。ということで、良い勉強になりました。モネはサロン(フランスの画壇)に挑戦したとか、なかなかの絵画の売買についても交渉能力があったとか…ああ、そういう人だったのかと認識を新たにしました。結構な「やり手」のように思いました。
▪️また、今回の展覧会では、同じ場所やテーマなんだけど、天候や季節、時間が違っている作品群を比較しながら鑑賞できました。「連作」という手法の意味がよく理解できました。ということで、撮影OKの「連作」の作品を写真に撮ってみました。モネが活躍した時代は、鉄道網が張り巡らされてきた時代のようです。蒸気機関車は当時の最先端の技術です。この蒸気機関車に乗って、人びとはあちこちに気軽に旅行でかけるようになりました。観光の始まりかな。モネも鉄道に乗ってあちこちに旅したので。ただ、モネの場合は、単なる観光ではなく、絵を描くための風景を求めて移動したようです。
▪️晩年に取り組んだ自宅に作った池や庭の風景を描いた作品群で、大胆な筆使いをしていることなどは、モネ自身が白内障を患っていたこととも大きく関係しているのだそうです。このことも考えたこともありませんでした。重い図録も購入したので、時間を見つけて図録をにより復習をしておこうと思います。
オタマジャクシ
▪️娘から、親戚のLINEグループで写真が送られてきました。連休中に、娘の家族がやってきた時に、孫達と一緒に採集したオタマジャクシです。大津市の堅田にある湿地に、たくさんのオタマジャクシが泳いでいたのですが、そこから2匹だけ採集しました。その2匹を、孫たち(小2のひなちゃんと保育園4歳のななちゃん)は奈良の自宅まで持ち帰り観察しながら飼育しています。
▪️オタマジャクシの成長は早いですね。あっという間に、まず後ろ脚が生えてきて、今は前脚が伸びてきました。これって、どういう仕組みになっているんですかね。体の中であらかじめ形ができて、それが外に出てくるんですかね。写真を見ると、左側のオタマジャクシは前脚が出ていますが、右側はまだ出ていません。でも、左よりも右の方が体は膨らんでいるような気もします。体の中に前脚が作られているのかな…妄想ですけど。不思議です。で、カエルになったら、2匹をまた滋賀に回収し、元の湿地に放すことにしています。家人が奈良にいく予定があるので、帰りに回収するのです。これで、いいのかな、たぶん、生物多様性的には。個人的には我が家の庭にいてくれてもいいんですけどね。ご近所は迷惑ですかね、やはり。
【追記】▪️このオタマジャクシのことをfacebookにも投稿しました。そうしたところ、滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員をされている大塚泰介さんがコメントを投稿してくださいました。
1枚目の写真で背側線が既に生じていて、それが眼の後方からまっすぐ後ろに伸びているので、ニホンアカガエル確定で良いと思います。
▪️ありがたいですね。さすが、プロは違いますね。ということで、娘にカエルの名前をLINEで伝えました。ニホンアカガエルは、里山のような場所にいるようです。たしかに、このオタクジャクシを捕まえた場所は、元々は、里山の谷間にあった水田をビオトープとして整備した場所でした。普段は、里山や草原のような場所で暮らして昆虫を食べているようですが、産卵の時期は以下のような特徴があるようです。
繁殖期は地域により異なりますが、早春(2月から3月)の最初の降雨で始まることが多いと言われます。繁殖期間は1週間程度から、1ヶ月くらい続くこともあります。水が浅く溜まっていれば、どこでも産卵しますが、おもに水田を産卵場所とオタマジャクシの生活場所としています。
(http://kaerutanteidan.jp/index.php/database/2014-03-27-17-42-12/22-rana/65-ranaj)
▪️もう少しすると、尻尾がなくなっていくのでしょうか。その時がやってきたら、今は奈良にいるこのカエル達も故郷の大津に里帰りすることになります。
嫌な夢
▪️先日みた夢の記録です。夢を記録するといえば、明恵上人(1173-1232)が有名です。彼が19歳の頃から晩年の58歳までみた夢を記録した「夢記」(ゆめのき)がよく知られています。当時の人びとにとって、夢の中身は現実とも結びつく大切なことだったように聞いています。しかしです。それにしても、明恵上人は、よく夢を記憶できたなあと思うのです。というのも、私なんかは、起きたらすぐに夢の内容を忘れてしまうからです。
▪️どんな夢だったのか。ピアノの練習を全くしていないのに発表会の当日を迎え、しかも目の前にあるピアノは他の人(ある大学時代の先輩)が独占していて全く練習ができない…そのような夢を見て目を覚ましたのです。嫌な汗をかきました。現実には、ピアノ弾けないのにね。同じよう夢は、バイオリンでもありました。市民オーケストラか学生オーケストラにエキストラで呼ばれているのに、全然練習ができていないまま本番を迎えるとかも、以前はよく見ました。ピアノとは違って、子どもの頃から30歳に至るまでぐらいは、よくバイオリンを弾いていました。ですから、これは現実に少し繋がっています。先にもかきましたが、夢を見てもすぐ忘れてしまうのです。でも、今回は覚えていました。きっと、「何事もきちんと準備をして臨まないといけない。これは、自分の無意識が自分自身に警告しているのだな」、そう思っておくことにしようと思います。
▪️嫌な夢を見て目覚めたのですが、その後、またウトウト二度寝をしてしまいました。するとまた似たような夢を見たのです。今度は、ジャズのビックバンドのスタジオ録音のような場所でした。私は、大切な譜面(ストリングス)を忘れてしまっているのに気がつき狼狽しているのです。夢の中では、ドムセットやホーンセクションには外国の人たちがいて…。指揮者は、吹奏楽のポップスの指導でお世話になっている編曲の先生。このあたりだけは、少しリアルでした。
▪️このような「嫌な夢」のことをFacebookに投稿すると、お友達の皆様から、いろんな反応がありました。皆さんも、同じような経験をされているというのです。たとえば、「コンサートマスターなのに、オーケストラの本番に遅刻して、すでに演奏会は始まろうとしている。いったいどこからオケにはいっていけばいいのか」とか、「発表会でピアノ前に座った途端、どの鍵盤、どの手から始めるのかわからなくなる、という恐ろしい事態に」とか。どうも、皆さんおっしゃるに、ストレスが溜まっている時に、そのような夢を見るのではないかというのです。今は、特別研究員でストレスが溜まっていることはないように思うのですが、どこかで溜めているのかな…心配です。自分でもよくわかりません。
ミュージアム・美術館・博物館
▪️龍谷ミュージアムでは、春季特別展「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰-ガンダーラから日本へ-」が開催されています。6月16日までです。元龍谷ミュージアム館長のうちの学長も相当熱い投稿をXにされています。私もイケメンの弥勒に会いに行く予定です。忘れないうちに、行かなくちゃ。ただし、「龍谷大学関係者」は龍谷ミュージアムで開催するすべての展覧会を無料で観覧できます。この龍谷大学関係者とは、龍谷大学学生(科目等履修生を含む)、龍谷大学学生保護者(親和会員)とその同伴者1名、龍谷大学卒業生(校友会員)とその同伴者1名、龍谷大学教職員 (非常勤講師、アシスタントスタッフ職員を含む)、龍谷大学退職者(専任教職員・特別任用教員)、浄土真宗本願寺派の宗会議員、学校法人龍谷大学理事・監事・評議員の皆さんのことです。ということで、「龍谷大学関係者」の皆さん、ぜひ観覧いたしましょう。
▪️2つめは、京都国立近代美術館で開催されている「没後100年 富岡鉄斎 TESSI」です。この前、日曜日の朝に放送されているNHKの日曜美術館で作品の解説を視聴しました。鉄斎って、「万巻の書を読み、万里の路を行く」、書の人であり旅の人だったんですね。ぜひ現物を鑑賞してみたいと思いました。5月26日までだから、これも忘れないようにいかないといけません。
▪️3つ目は、奈良国立博物館で開催されている生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ―密教のルーツとマンダラ世界」です。この展覧会も行っておきたいのです。こちらは、6月9日までです。
義母の米寿のお祝い
▪️ 今日は義母の米寿のお祝いを奈良でひらきました。昨年、義父が亡くなりましたが、2人の娘に支えられながら、今も1人で頑張って暮らしています。
▪️義母は子ども世代と孫の世代とのLINEグループに参加しています。日々、ひ孫たち(ひなちゃん&ななちゃん)の写真や動画を楽しみ、子どもや孫とのメッセージのやりとりも楽しんでいます。グループのメンバーの誕生日には、朝一番にお祝いのメッセージを投稿するのが、義母の役割にもなっています。使っているのは、私たちがプレゼントしたiPadです。基本的なことは、使いこなしています。知らないことは、検索して調べたりしているようです。私が、義母と同年齢になった時に、その時代の新しい技術に対応できているのかどうか…。義母を見習いたいと思います。
▪️今日、義母には、花束と全員の写真とメッセージを貼り付けた記念の寄せ書きを送りました。喜んでくれていると思います。写真中央は、挨拶をする義母。これまでは、こういう会の時は、人前で喋るのに慣れているだろうからと、いつも私が司会進行の役をしていましたが、今日から世代交代。息子にお願いしました。息子というか、息子や娘、そして従兄弟たちの世代(義母の孫の世代)に任せたということですね。
▪️また、いつもは、それぞれの家族がまとまって着席していましたが、今日は、男女に分かれました。結婚や婚約を機会に、新しく連れ合いやパートナーが参加するようになったので、お互いにもっと話ができるようにとの配慮のようです。男性の方のテーブルは、義理の弟、息子、義理の息子、甥2人。いつの間にか大人の会話ができるようになっていました。一番年下の甥も30歳になりましたからね。ちょっと、1人静かに感激していました。
▪️次回は、何のお祝いの会になるのかな。(写真、画素数落としています…。)
関西六大学・龍産戦
▪️金曜日、ひさしぶりに阪急に乗りました。若い頃は、私鉄といえば阪急がメインでした。通学で利用していました。その後、結婚して住まいが阪神間から遠ざかり、奈良に暮らしている時は近鉄を利用することになりました。そして今は大津です。というこで、今利用の頻度が高い私鉄は京阪です。ということで、なんだか懐かしかったわけです。この写真の特急は、観光用ですかね。特急料金はありません。通常の運賃だけです。ただ、この日は「西京極駅」までの移動だったので、残念ながら乗るのは、この特急の次にやってきた準急でした。
▪️なぜ西京極駅に行ったのかといえば、この日、関西六大学連盟の「令和6年度春季リーグ」・「龍谷大学 対 京都産業大学」の試合が、西京極にある「わかさスタジアム京都」で行われたからです。昨年も龍谷大学硬式野球部の応援にきましたので、2年連続での応援になります。今年は部長をしていませんが、吹奏楽部も応援の演奏しており、部員の皆さんを労いたいという気持ちもちろんありました。
▪️さて、試合の方ですが、15時開始の予定でしたが、実際に2時間ほど遅れて始まりました。結果の方ですが、残念ながら1-3で負けてしまいました。何か、チームワークの歯車がうまく噛み合っていないような感じでしょうか。吹奏楽も素人ですが、もちろん野球はもっと素人なんです。素人の印象論にしかすぎませが、そのように感じました。この翌日も、京都産業大学との試合でしたが、翌日も敗戦でした。ということで、今季は、6連敗になります。ちょっと、厳しい状況ですね。どこに原因があるのでしょうか。硬式野球部の皆さんには、チームを立て直して、残りの試合を頑張って欲しいと思います。