仙台の魯迅
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■22日(火)から24日(木)まで仙台で開催された第63回「日本生態学会大会」に参加しました。今回は共同発表があったため、非会員ではありますが参加しています。23日(水)は、総会等が開催されました。総会は非会員には関係がないため、ちょっと時間ができました。ということで、生態学会大会の会場に近い東北大学に行ってみることにしました。東北大学史料館で、「魯迅記念展示室」を見学してきました。
■中国の小説家である魯迅(本名 : 周樹人)は、1902年、21歳の時に官費留学生として来日します。1904年からは仙台医学専門学校、すなわち現在の東北大学医学部に入学し、勉強を始めました。仙台医専では、解剖学の藤野厳九郎教授の丁寧な指導を受けることになりました。魯迅は、生涯にわたって藤野教授の学恩を忘れなかったといいます。史料館の展示では、魯迅のノートが展示されていました。そこには、あちこちに朱筆の添削が入っていました。藤野教授は、非常に丁寧に指導していたことがわかりました。しかし、魯迅自身は、医学から文学に転向することを決意し、仙台医専を退学し、その後、1909年に帰国しています。ちなみに魯迅には、自伝的短編小説である「藤野先生」があります。
■なぜ魯迅は仙台医専を退学したのか。それは、授業で見た幻灯写真がきっかけだったといわれています。日露戦争の最中のことです。幻灯写真に描かれているのは、ロシア軍のスパイだった中国人が日本軍によって処刑されようとしているところを、中国人が囲んでその処刑を見ようとしているシーンでした。そのシーンに魯迅はショックを受けるのです。魯迅は、肉体よりも精神の改造の方が必要だと判断し、医学から文学に転じたのです。これは、よく知られている話しです(東北大学史料館の「魯迅展示記念室」では、その真実性については評価が分かれる…と書かれていましたが)。
■私自身は、今から10年前に魯迅の出身地である浙江省の紹興という街を訪問しています。たまたま仕事で立ち寄ったわけですが、魯迅所縁の地を訪問できたことに満足しました。今回も仙台の魯迅の所縁の場所を訪問できてよかったなと思います。これは、ある種の「聖地巡礼」なのかもしれません。
NHKクローズアップ現代「小さな島の大きな決断~地方創生の現場から~」
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■NHKの「クローズアップ現代」、新年度から新しい番組に変わるようですね。新しい番組がどのような内容なのか私は知りませんが、1993年から続いてきた国谷裕子キャスターの番組がNHKから消えてしまうことに、非常にがっかりしています。もったいない…。私は、勤務時間の関係で、なかなか放送を拝見することはできませんが、公式サイトにある「放送まるごとチェック!」は頻繁に拝見してきました。放送が一部動画で観ることができますし、放送内容が全てテキスト化されています。学生を指導する際にも、活用させてもらいました。国谷裕子キャスターが降板することで、この公式サイトも消えてしまうのでしょうね。もったいない…、非常にもったいないと思います。
■今日は、会議と会議の間の時間で、来年度の授業の内容を考えていました。その際にヒントにさせてもらったのが、クローズアップ現代の今年の1月13日に放送された「小さな島の大きな決断~地方創生の現場から~」です。こんな内容です。アンダーラインは、私が注目したところです。ぜひ「放送まるごとチェック!」でご覧いただきたいと思います。番組に登場された、青柳花子さん、その後も頑張っておられますかね〜。
“消滅”を回避し、自ら地域振興アイデアを絞り出せ-いま全国の自治体に、年度内を期限に総合戦略の策定が求められている。データに基づく人口ビジョンや具体的な雇用創出戦略が国に承認されれば、地方創生予算から助成を受けられる仕組みだ。現実には特効薬はなく「コンサルタント丸投げ案」も存在すると言われる中、新潟沖にある人口365人の孤島の挑戦が注目されている。新潟県粟島浦村(あわしまうら)は、衰退する漁業と観光民宿業を抱え、25年後には人口が180人まで減ると予測される典型的な消滅危惧自治体だ。いま、残った若者たちが島外協力者と10年先を見据えた「基幹産業の再生プロジェクト」に取り組む。横ならびの基準料金を定めた民宿ではない新しい宿の設立などを含む「若者提言書」の策定を進め、変化に前向きになれない村を粘り強く動かし始めた。総合戦略の提出期限が迫り、島民らが迎えた決断の日。地に足をつけた創生とはどうあるべきか、ある地域の奮闘を通じて考える。
■「放送まるごとチェック!」では、キャンスターの国谷さんが、コメンテータの山崎亮さんに以下の質問をされています。質問に対する山崎さんの答えが面白いですね〜。
●人口減少・将来の予測が厳しい島ならば、外から来た方のアイデアを歓迎するかと思いきや抵抗感が強かった その姿をどう見た?
「こういう強いつながりの中で、何かを動かしていこうと思う時には家族のような関係の中からどういうふうに、それを新しい方向へつむぎ直していくのかという事が大切になると思いますね。」●外から来た変化をもたらしてくれそうな人に対する不信感や本気度を問う気持ち 島の人々のその気持ちの背景にあるのは何か?
「その本気度を確かめたくなるという気持ちが湧いてしまうんだと思いますね。」●外から来た人が特別扱いされる事で、まなざしが厳しくなる そういう例もあった?
「我々が関わった当初はやはり、役場の人たちが外から入ってくる移住者ばっかりに優遇策を出しているんじゃないかという話をとてもよく聞きました。」●人間関係が濃密でいろいろな古いルールがある地域で理解を進め、本当の変化をもたらしていくには、どういうプロセスを踏んでいけばよい?
「誰かが持ってきたものをやろうという事ではない事。」「本人たちがこれをやるというふうに言い出したかどうかという事と、この人たちと一緒にやりたいと思えるような仲間を、ちょっと時間はかかるけれどもつくる事ができたかどうか。」●コンサルタントの阿部さんは40代までの移住者を中心に話し合いを重ねた その中での気づきや理解はどういうふうに生まれてくるもの?
「情報を知らないと、なかなか新しい発想が出てきませんので、これから島の人口はどれぐらいになるのか、それから、もし人口が減ってしまうんだったらどんなやり方があるのか、全国や世界の事例をみんなに知って頂く。」「要望や陳情型の意見ではなくて、提案・実行型の意見ですね。」●提案されたものが実行できるかは人間関係が大事だとおっしゃったが、どこを見ている?どういう人を見ている?
「人と人のつながりをどういうふうに作っていくのか、最初にそれを見て、そのあとつながった人たちが地域資源とどういうふうにつながると新しい事業が生みだされるのか?人と物の関係を見るのは、その次ぐらいかもしれないですね。」
■いろいろ指摘をされていますが、共感するところが多々ありました。地域づくりや地域活性化だけの問題ではなく、現在、自分が関わっている超学際的・実践的な研究プロジェクトと照らし合わせても、とても参考になります。
浜大津港の絵
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■金曜日に、滋賀県庁に仕事があり農政水産部を訪問しました。部の皆さんと、これから取り組む事業に関して協議を行いました。その際、壁にこのような絵が飾ってありました。これは、私が生まれる前に浜大津港を描いたものです。絵の左下隅に1956年の数字が入っていたような気がします。おそらくは、この絵が描かれた年なんでしょうね。
■絵からは、現在の「旧大津公会堂」が湖岸に建っていることが確認できます。その奥には、時計台のような塔が見えますね。これは昔の大津市役所です。当時は、大々的に埋立が行われる前ですから、湖岸に列車が走っていました。絵の中では、蒸気機関車も走っていますね。これは面白い。昭和40年代まで国鉄浜大津駅という貨物駅があって、膳所から浜大津まで貨物列車が運転されていました。国鉄はレールの幅が狭軌で、京阪電車はレールの幅が広軌になりますが、どちらも、両方走ることができるように、レールが3本あったと…聞いています。東海道線で運ばれてきた貨物が、膳所からこの浜大津までやってきて、ここからは江若鉄道で個性地域に運ばれていったのです。大津は琵琶湖と山に挟まれた土地のない街でしたから、鉄道は湖岸を走っていました。もし、今も湖岸を走っていたら、ものすごく人気が出たでしょうね。
■昭和30年頃から、日本中で街の景観が急激に変わっていきました。開発=善という感じです。ちょうど高度経済成長期の始まりの頃です。景観や町並み保全が問題になってくるのは、高度経済成長期も後の方だったかと思います。市役所の建物も、いろいろ手とお金を加えれば半世紀後には、相当に価値を生み出したのでしょうが、当時の方たちからするとそういう発想にはならなかったでしょうね。狭い、古い、集中豪雨時は雨が入ってくる…、であれば、土地を売却して、郊外に新しい建物を立て直すというのが当時の発想でしょう。
■昭和30年代に撮影された記録映画のDVDを持っています。大津市歴史博物館で購入しました。冒頭は、ブルドーザーで山をガンガン開発するニュース映画から始まります。今だと考えられないことですが、当時は、そうやって自然を開発していくことが誇らしいことであり、善だったわけです。埋め立てが始まったのは、この絵が描かれた時からすると、もう少し後のことになりますね。景観には公共的価値がある、たとえ私有地であっても、公共的な価値を守るためには私的な権利も制限されるという考え方は、なかなかこの国に根付いてきませんでした。今も…。もし、マンション建設が規制されていると、大津の街も、まったく違った都市景観になっていたことでしょう。それだけでなく、大津という街の一般的な評価も、今よりももっと高いものになっていたのではないかと思うのです。
ひさしぶりの東京-「腐る経済」と「JEDI」-
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■鳥取県には智頭町という自治体があります。岡山県と接する智頭町は、平成28年1月1日現在で、人口は7,523人、世帯数は2,746世帯です。小さな自治体です。とても厳しい状況に置かれています。総務大臣を務めたこともある増田寛也さんの「増田リポート」で有名になったのでご存知の方も多いと思いますが、増田さんが座長務める日本創成会議は「消滅可能性」自治体として896の自治体の名前を挙げました。そのリストの中に、この智頭町も含まれているのです。外部から「消滅可能性」自治体などと呼ばれると、普通だとしゅ〜んとしてしまうわけですが、この智頭町は違うのです。以下をお読みください。智頭町の町長さんのメッセージです。
私たちがやっている地域活性化の取り組み
産業の衰退や人口減少を嘆くだけでは何も始まりません。私たちの町は全国的にも珍しいチャレンジを通じて町の活性化に取り組んでいます。
●「森のようちえん」が全国的に注目されています
●日本で唯一の「疎開保険」で都市部からの疎開を受け入れています
●「森林セラピー」で現代のストレス社会をサポートしていきます
●田舎の家に泊まる「民泊」が体験できます「森のようちえん」は園舎のない幼稚園です。自然環境の中で子どもを育てることで、子どもが持っている感覚や感性を信じ、引き出すことをコンセプトとしています。また、大きな自然災害などに遭われた場合に、1日3食7日分の宿泊施設を提供するという日本で唯一の町の取り組みが「疎開保険」です。さらに、ストレス軽減をおこなう「森林セラピー」や、古き良き田舎のありのままの生活を、実際に生活している住民の中に入って楽しんでいただく「民泊」があります。そして、私たちは日本で最も美しい村連合の一員として、日本の古き良き文化や景観を守っていく取り組みをしています。
私たちを好きになって頂き、応援していただく仲間を増やすには「来ていただくこと」が大事だと考えました。
私たちの魅力は「来て、体験していただくこと」によってお伝えできると考えました。だからこそ、従来型の返礼品ではない、新しい「体験型のふるさと納税」を作りました。私たちの町の寺谷町長自らがガイドをするデラックスツアーを筆頭に、民泊体験、森林セラピーなど、智頭町を知っていただき、好きになっていただけるようなツアーを4つご用しました。ふるさと納税の税収は、さらなる町の魅力づくりに役立てていきます。町の持続可能な自主運営は、一般財源の確保が重要です。このふるさと納税によって、私たちのよりよい町の運営を応援していただけたら、これほど嬉しい事はありません。
■とてもユニークな過疎対策の取り組みですね。うちの学生を連れてこの智頭町にも行ってみたいという気持ちにもなります。ところで、どうして智頭町のことを調べてみたのかというと、実は、鳥取県の智頭町で不思議なパン屋を経営されているご夫婦、渡邉格(いたる)さんと麻里子が東京に来られる、そして青山ブックセンターでトークショーを開催されるということを、その青山ブックセンターに勤務している作田祥介くんに教えてもらったからです。渡邉格さんと麻里子さんは、「タルマーリー」という天然酵母菌のパン屋さんを経営されています(お店の名前は、格・いたるの「タル」と、麻里子の「マーリー」から取ったとのこと)。さらに、渡邉格さんは、「タルマーリー」の経営が軌道に乗るまでのことを、『腐る経済』という本に書いておられます。これが非常に面白い本なのです。ということで、一昨日、東京まで行ってまいりました。
■この本の中には、あの『資本論』のマルクスや、「金本位制」ならぬ「菌本位制」などという言葉も登場します。渡邉格さんは、工業的に生産されたイースト菌ではなくて、それぞれの地域の環境の中にある天然の菌を使ってパンを作っておられます。これは非常に大変な作業なのです。その大変な作業を渡邉さんは、これまた大変苦労しながらやってこられます。しかし、同時に、そのことをとても楽しんでもおられるようにも見えます。資本主義の現代社会の中では、人はお金のために仕方なしに働くことになってしまいます。渡邉さんご夫妻は、仕事を楽しめる仕組みをご自分たちで作ってこられたのです。『腐る経済』の詳しい紹介はここではしませんが、是非、学生の皆さんにも読んでもらいたいなと思いました。30歳までなかなか思うように自分の人生を歩むことができなかった渡邉格さんが、パン屋として自分の生きる道を見出し、麻里子さんという良き伴侶に巡り合い、そして天然の菌でパン作りを始める…そのような格さんの若き日の人生の格闘もこの本には書かれています。この点も、学生の皆さんには興味深いのではないかと思います。
■ご夫妻の経営哲学である「腐る経済」のためには、そして目指しておられる地域内循環のためには、小規模だけど多様な生業をもつ方たちによる相補的なネットワークが必要になります。私には、過疎地域である(素晴らしい環境が残されている)智頭町で、町長が展開されているような過疎対策と、渡邊さんご夫妻の考え方がうまく繋がっているようにも思えました。東京から地方に移住して「腐る経済」を展開していくためには、人との出会い、ネットワークの形成と適切な規模の範囲での拡大…といったことが必要になります。そのあたりのことも、知りたいと思いました。
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■一昨日は、午前中が大学での会議(学長会)、午後からは遺伝子組換え実験に関する会議と、いつものように会議の連続する日だったのですが、その後は15時台の新幹線に飛び乗り、前述の通り東京に向かいました。このタイミングで、是非、「タルマーリー」の渡邉さんご夫妻のお話しを聞いておきたい、聞いておくべきだと「直感的」に判断したからです。何かこの後に、面白い展開になりそうな気がしています。そうなったらいいなと思います。こうやって、「こうなったらいいのにな〜」と心の中で念じていると、いつか面白い出来事の方からやってきたりするのです。
■さて、せっかく東京に行くのだからと、しばらくお会いしていない方たちにも会っていただくことにしました。トークショーが終わった時には21時を過ぎていましたが、快くやってきてくださいました。建築家の玉井一匡さんと写真家の村田賢比古さんです。お2人とは、建築家の秋山東一さんをリーダーとする「JEDI」という活動で仲良くさせていただいてきた方たちです。「JEDI」とは「Japan Earth Divers Institute」のことです(活動の内容は、リンク先にある秋山さんの関連エントリーをご覧ください)。もちろん、「Star Wars」 の「 JEDI」 のことを強く意識しています。この活動の中では、私が一番若手になるのでないかと思います。2005年から始まったこの活動、2011年の3.11までは、けっこう活発に行われていました。私も、関西から参加させていただいていました。諸般の事情から、3.11以降、活動が停滞しています。そのため、親しくしたいただいた皆さんにも、なかなかお会いすることができません。今回は、玉井さんと村田さんに、無理を言って会っていただきました。ありがとうございました。写真のような笑顔の再会になりました。こうやって会ってくださる友人がいることを、とても幸せに思っています。お2人は、お酒を召し上がらないので、青山プックセンターの近くの定食屋さんで定食をいただきながら(私だけビールをいただきながら)、いろいろお話しをさせていただきました。短いですが、楽しい時間を過ごすことができました。心のなかもリフレッシュしました。
■今回の渡邉ご夫妻のトークショーのことを教えてくれた青山ブックセンターの作田くんとも、じっくり話しをしたかったのですが、今回はできませんでした。作田くんとの出会いも、少し不思議なものがありました。当初、私の心算では、一昨日の10日の晩に作田くんと一緒に酒を飲むつもりにしていました。そして翌日11日に、玉井さんや村田さんとお会いする予定にしていました。ところが、11日、大学で開催するシンポジウムに裏方としていなければならないことが判明したのです。そのシンポジウムのことは、次にエントリーしようと思います。
龍谷大学大学院「NPO地方行政コース」の修了生の皆さんと
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■昨日は、火曜日でしたが教授が開催されました。入試判定の関係で、いつもの水曜日から火曜日になったのです。教授会があるときは、昼からまず学科会議があります。学科会議、教授会、大学院の研究科委員会、そして昨日は、大学院の専攻会議も開催されました。昼から19時半近くまで…。会議が長引きました。仕事ですから、たくさんの会議もこなさないといけませんが、心の中では、会議が長引いていることに困っていました。というのも、自分が幹事をする小さな飲み会が、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で開かれることになっていたからです。
■飲み会は18時半から始まることになっていましたが、私が到着した時にはすでに20時になっていました。もちろん、飲み会はすでに盛り上がっていました。昨晩集まってくださったのは、龍谷大学大学院「NPO・地方行政研究コース」で、私の授業を履修されていた、あるいはモグリで授業を受けていた社会人の方たち3名です。深草キャンパスで開講されている「NPO・地方行政研究コース」には、私が所属する社会学研究科から幾つかの科目を提供しており、私が担当している科目はその提供科目のひとつなのです。政策学部部や政策学研究科ができるまでは、私の授業を社会人の方たちがよく履修してくださいました。社会経験の豊富な社会人の方たちを相手に授業をすることは、とても楽しい経験でした。昨晩も、近況の報告と共にいろんな思い出話しをしながら、ずいぶん盛り上がりました。たまたま私の授業を履修してくださった方たちとの「ご縁」、本当にありがたいことだと思っています。また、こういった集まりがあったらいいね…と言う話しから、「大人の私塾」、勉強と交流ができる「場」を作ろうという話しになりました。まだ「夢」や「妄想」のレベルですが、これを皆んなの力で具体的な形にしていければと思っています。
ゼミOGによる「就活メイクセミナー」in 深草キャンパス
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■私のゼミの卒業生である 岩田 麻希さんが、深草キャンパスで「就活メイクセミナー」を開催しました。岩田さんは、化粧品メーカーに勤務されています。今回は、卒業生として母校に恩返しをするような形になりました。「就活メイクセミナー」は、2月4・5日と8・9日の4日にわたって開催されました。彼女の会社の後輩たちも当日はスタッフとして参加されたそうです。4日間で111名の参加者があり、大変好評だったようです。素晴らしい!! 「母校のために、在校生のためにこうやって力になれて嬉しかったです!(在学中はこんなことができるなんて、全く想像も、思いもしてなかったので…笑)」とメッセージを伝えてくれました。嬉しいですね〜。
■私は、岩田さんと大学のキャリアセンターをちょこっとお繋ぎしただけなのですが、キャリアセンターの皆さんがOGである岩田さんの提案に、真摯かつ丁寧に対応してくださったようです。岩田さんは、キャリアセンターのスタッフの皆さん、そして大学の事業法人である「龍谷メルシー株式会社」のスタッフの皆さんに大変感謝されていました。また、こういった形でOB・OGの皆さんには、母校・龍谷大学に貢献していただければと思います。よろしくお願いいたします。
青山ブックセンター「パン・発酵・移住の話を聞こう。」
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■facebookのお「友達」のお一人が教えてくださまいました。『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済』」という本です。ずいぶん、変わったタイトルですよね。「腐る経済」。なにか不思議とてもです。普通の感覚だと、経済という仕組みは腐っては困ると思うからです。しかし、この「腐る」/「腐らない」という視点が重要なのです。普通は、腐らない方が価値があると思いますよね。しかし、筆者である渡邉格さんは、腐ることが大切だと考えます。渡邉さんご自身、随分、いろいろ悩んで生きてこられているように思います。今の社会に合わずに…というか、今の社会がおかしいと考えて、その行き着いた先が「腐る経済」なのです。ご自身の経験に基づいた洞察から、「腐る」ことこそが大切なのだという考えに至られたのです。
■以下は、amazonにあったこの本の紹介です。
どうしてこんなに働かされ続けるのか? なぜ給料が上がらないのか? 自分は何になりたいのか?――人生どん底の著者を田舎に導いたのは、天然菌とマルクスだった。講談社+ミシマ社三島邦弘コラボレーションによる、とても不思議なビジネス書ここに刊行。「この世に存在するものはすべて腐り土に帰る。なのにお金だけは腐らないのはなぜ?」–150年前、カール・マルクスが「資本論」であきらかにした資本主義の病理は、その後なんら改善されないどころかいまや終わりの始まりが。リーマン・ショック以降、世界経済の不全は、ヨーロッパや日本ほか新興国など地球上を覆い尽くした。
「この世界のあらたな仕組み」を、岡山駅から2時間以上、蒜山高原の麓の古い街道筋の美しい集落の勝山で、築百年超の古民家に棲む天然酵母と自然栽培の小麦でパンを作るパン職人・渡邉格が実践している。パンを武器に日本の辺境から静かな革命「腐る経済」が始まっている。【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】
まっとうに働いて、はやく一人前になりたい――。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン……。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。
僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。
■どうですか。面白そうでしょう。私は、この本をkindleで購入し、iPadで一気に読みました。この本の著者である渡邉格さんとパートナーの渡邉麻里子さんは、「タルマリー」というカフェを経営されています。渡邉格さん。お名前は「いたる」とお読みするようです。「いたる」さんの「タル」と、麻里子さんの「マリ」を合わせて「タルマリー」というのだそうです。本を読んでいて思いましたが、ご夫婦の信頼関係と行動力は素晴らしいものがあります。麻里子さんは、格さんの「腐る経済学」の熱烈な支持者のようです。二人の中から生まれてきた思想なのかな。それはともかく、この本を読むと、お二人で支えあっていることがよくわかります。さて、「タルマリー」では、天然酵母によるパンや地ビール、そして薪で焼くピザを販売されています(岡山県真庭市から、2015年には鳥取県智頭町に移転)。天然酵母にこだわる背景にある、渡邉さんの「腐る経済」の思想を、「菌本位制」と「地域内循環」というキーワードで説明されています。非常に刺激的です。どう生きていくのか、よく考えている暇も余裕もないまま、人生の選択を迫られしまっている学生の皆さんにも、ぜひ読んでみてほしいと思います。渡邉さんや麻里子さんの生き方から勇気をもらえるかもしれません。
■来月の10日の晩になりますが、東京の青山ブックセンターで、渡邉格さんとパートナーの麻里子さんが、「タルマリー」についてお話しをされるそうです。夜の19時から21時までの2時間です。東京は遠いわけですが、とても気になっています。このイベントが開催されることを、尼崎出身・東京在住の若い友人が教えてくれました。
■以下のリンクは、このイベントの紹介です。
パン・発酵・移住の話を聞こう。~鳥取県智頭町 自家製天然酵母のパンとビール、タルマーリーの挑戦~
【追記】 ■今日は深草キャンパスで終日研究部の仕事でした。他部署を回って意見をいただき、資料を読み込むうちに昼休みになりました。昼食は生協の学生食堂です。「ご飯SS」、「豚汁」、「ローストチキンソテー」、「ごぼうサラダ」、「鉄分たっぷり和え」、「白菜胡麻和え」。全部で717kcal。カロリーは少し多めですね。野菜量は225gと、1食にしてはしっかり摂れました。塩分は6.1gと多めですね〜…。野菜をたくさん食べようと和え物にすると、味付けで塩分を摂ってしまうようです。一番高いのは金額。738円。学食としては、高い。これは失敗です。
長浜の雑誌『み〜な』
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▪︎滋賀県の湖北地域とその周辺をテーマにした、『み〜な』という雑誌があります。この地域にお住まいの皆さんが、手弁当で企画・取材・原稿執筆を行い、地元企業からの支援を得ながら、「地域の知恵と汗の結集」によって発行されている雑誌です。昨晩は、この雑誌の編集にあたっている方と京都で少し呑みつつ 3時間程語り合いました。滋賀や、滋賀の地域社会の将来。多様性を相互に尊重し評価しあった上での共同性。そのような多様性と共同性の上に構想する「私たちの幸せ」。滋賀の「私たちの幸せ」を考えるための公共哲学。自分が生かされている…という「感謝の気持ち」。その基層にある真宗の精神。そんなこんなをいろいろ語り合いました。充実した時間でした。写真は、昨晩いただいた(購入させていただいた)『み〜な』の最新号と、一つ前の号です。私としては、最新号の「湖北用水史 争いから分かち合いへ」というテーマが気になり、最新号から読み始めました。(本文続く)
小さな森のなかのピザレストラン
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■元旦は母親の介護で慌ただしい1日になりましたが、お正月の2日目は、ゆっくりと自宅で過ごし身体を休めることができました。帰省している息子と一緒に、自宅の近くにある神社に初詣をしに行った後、いろいろ散歩をしてみることにしました。トップの写真は、その散歩の途中で歩いた道です。森の中の道です。このような森が住宅地の中に残っているのです。2枚目の写真は、GoogleEarthで見たものです。中央にあるのはため池です。どこまで史実なのか、私にはよくわからないのですが、推古天皇の時代に作られた4つのため池のうちの1つだという説があるそうです。「日本最古のため池の一つ」という説です。この地域のデコボコした微地形を見てみるともっとよくわかるのですが、この地域は丘陵地(西の京丘陵)で、ここから東側に少し離れたところにあった農村の里山でした。丘陵地は、全体として東に向かってなだらかに低くなっていきます。しかし、このため池の右側のあたりは堤になっており、そこからは急に地形は低くなります。落差があります。おそらく、その里山の中に雨水が流れてくる場所をうまく堰き止めて、このため池が作られたものなのではないかと思います。
■ため池の北側には近鉄が走っています。そのため、1950年頃から近鉄が住宅地としての開発を始めました。びっしりと戸建ての住宅が建ち、たくさんのマンションも建設されています。しかし、ため池の周りには、森が2つあります。北側は、1946年に当時の近鉄の社長が設立した美術館「大和文華館」の敷地の森です。大きな建物が確認できますね。トップの写真にある道は、そこではなく、南側の方の森になります。この森のため池側沿いに道が通っているのです。これらの森は、おそらくは(私の推測ですが)住宅地として近鉄が開発する以前にあった里山の雰囲気を残していると思います。
■この南側の森に隣接して、うちの子どもたちが卒業した小学校があります。GoogleEarthの画像でも、小学校の校庭が確認できますね。この校庭に隣接する森の中には、ポーイスカウトの活動基地があります。ドングリの実がなる樹が生い茂るとても素敵な森です。うちの子どもたちが小学校に通っている頃から、この森のことが気に入っていました。また同時に、どうしてこのような森が開発されずに残っているのかも気になっていました。ため池の北側の森は「大和文華館」の敷地なのですが、この南側の森はどなたの所有地なのか、どのような所有関係になっているのかが気になっていたのです。そのお気に入りの森の中に、数年前、ピザレストランができたという話しを小耳に挟みました。近くにあるのに、まだ一度も訪ねたことがありませんでした。そのようなことから、今日は息子と一緒にピザレストランを訪ねてみたのでした。
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■とても素敵な雰囲気でしょう。周囲の住宅地の雰囲気がこの森の中には伝わってきません。今回は、私と息子はすでに昼食をとっていました。お腹がいっぱいでした。ということで、2人でピザを1枚とデキャンタで赤ワインを注文することにしました。ピザは、カラスミとゴルゴンゾーラ(青カビのチーズ)のピザでした。とても美味しくいただきました。これは、また来ないといけないなと思いました。このピザレストランは、「642PIZZA」といいます。「642」と書いて、「ロッシーニ」と読むのだそうです。ロッシーニとは、オペラ「セビリアの理髪師」や「ウィリアム・テル」の作曲家として有名です。人気作家である村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の中に登場する「泥棒かささぎ」の作曲者もロッシーニです。そのような話しはともかく、「ロッシーニ」と読むまではお聞きしたのですが、なぜ「ロッシーニ」なのかを聞き忘れてしまいました。
■私たち親子がテーブルに着いた頃から、次々にお客さんが入ってこられ、女性の店主さんが忙しく調理されるようになったことから、元々の関心であった「どうしてこのような森が開発されずに残っているのか」についてもお聞きすることができませんでした。このような住宅地の中に、これだけの森を開発せずに保全することは、大きな困難が伴っていると思います。あるいは、森に対する所有者の強い思いが存在しているのではないかなどとも勝手に推察しました。しかし、すでに書きましたが、ボーイスカウトの基地になっていますし、この森に隣接する幼稚園では、この森を教育に積極的に利用されているようです。とても素敵なことです。また、レストランでは様々なイベントも開催されているようです。外部の方たちとの連携もあるようです。このような開発の圧力が高い地域で、森の所有者と森の利用者が、どのような連携を行っているのか。また、外部との連携が(結果としてかもしれませんが)、この森の保全にどのようにつながっているのか。その辺りのところに私の関心はあるのですが、それは次回、この「642PIZZA」を訪れた時にチャンスがあればお聞きしてみようと思います。
【追記】公式サイト「642PIZZA」
■いろいろご苦労されて、開店されたご様子。公式サイトの「歴史」からわかりました。「642」についても、そこに説明がありました。
年末といえば
▪︎年末といえば大掃除。しかし、研究室の大掃除、ついにできませんでした。母親の介護の問題であたふたしているうちに時間がなくなってしまいました。今年は、4月から研究部の会議等で深草キャンパスにいることが多く、研究室で仕事をしている余裕がほとんどありませんでした。そのため、研究室は、いわば書籍と書類の倉庫になってしまっています。新年は、1月4日が個人的な仕事始めになりますが、新年早々に大掃除をやる羽目になりそうです。ということで、明日は自宅の大掃除(大方は妻が済ませてくれていますが…)に取り組むことにします。
▪︎年末といえば卒業論文。毎年、年末と正月は、ゼミ生の卒業論文の添削に追われてきました。「今年こそは、冬休み前に、卒論指導を済ませるぞ!!」と固く決意をしたはずなのですが、私に厳しさが足らないせいか、結局、今年も例年と同じくズルズルと指導をすることになってしまいました。もちろん、早い段階で仕上げてきた学生もいますが、残念なことに、ほとんどの学生がそうではありません。来年こそはと思い、現在、3年生には、卒論の調査に取り掛かれとハッパをかけています。
▪︎年末といえば年賀状。まだ1枚もかけていません。今は、パソコンで一気に印刷できるものですから…。油断しています。あまり学生の卒論のことは言えないかな。年賀状については、30日中に印刷したいと思っています。写真は、一昨日の晩、大津駅で撮ったものです。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に年末の挨拶に行ってきました。帰る頃には22時を過ぎていました。気温は3℃。寒いわけですね。しかし、その寒さのぶんだけ月もより一層輝いていました。