ブログ記事「話がわかりやすい人」と「わかりにくい人」の違い8か条
■facebookで静かな反響が広がっている?!ブログ記事です。「あだちゆうや」さんという方が執筆されています。「あなたはどっち?「話がわかりやすい人」と「わかりにくい人」の違い8か条」という記事です。その8か条ですが、以下の通りです。それぞれの説明は、リンク先の実際の記事をお読みください。
こんにちは。5月から自転車通勤を始めたライターのあだちです。とても気持ちいいですよ!ところで、皆さんは「話がわかりやすい」と言われたことはありますか?
会議然り、報告然り、「話がわかりやすい」ということには様々なメリットがあります。一方、「ものすごく話のわかりにくい人」がいるのも事実です。何を言っているのかわからなかったり、何度聞き返しても要領が得られなかったりと、コミュニケーションの難しさを痛感してしまうようなときもあります。
この二者の差は一体どのようなところにあるのでしょう。そこで今回は、かつて私がコンサルティング会社で働いているときに教わった、「話のわかりやすい人と、わかりにくい人の違い」を8つにまとめてご紹介したいと思います。
1. 「結論」から話すか、「過程」から話すか
2. 「具体的」に話すか、「抽象的」に話すか
3. 「聞かれたこと」を話すか、「自分が話したいこと」を話すか
4.「相手の反応を見て言葉を変える」か、「一律の表現を使う」か
5. 「全体から入る」か、「詳細から入る」か
6.「相手の理解のスピードにあわせる」か、「自分のペースで」か
7. 「こそあど言葉」を避けるか、「こそあど言葉」を多用するか
8. 「脱線」するか、しないか
■私としては学生諸君に読んでほしかったのですが、学生の皆さんよりも、社会人の皆さんのほうがfacebookでは評判が良いように思います。めんどうくさいといわずに、ぜひ読んでほしいです。きっと「はっ!」としますよ。
来年度の仕事
■そろそろ来年度からの仕事の様子がはっきりしてきました。
■大学教員の仕事は、教育、研究、学内行政、地域貢献(連携)…およそ4つ分野に分かれると思います。龍谷大学に勤務して11年目になりますが、その間で、一番大変だったのは学内行政でした。学生生活主任、研究主任、社会学研究科専攻主任、研究科長…と学部や大学院の仕事が7年も続いてきました。研究科長については、再任で2期連続4年になります。その間、大学院社会学研究科の「東アジアプロジェクト」(国際化)や「カリキュラム改革」(高度専門職業人教育な向けて)等、大学院の改革を微力ながら進めてまいりました。学生生活主任や研究主任のときも、いろいろ難題がありました。心身とも疲れ果てたこともありました。連続して学内行政の仕事をやってくると、「精神の金属疲労」をおこしそうな状態になってきます。しかし、この学内行政の仕事も、しばらくお休みさせていただける雰囲気になってきました。安心しました。とはいえ、来年3月末までの残りの期間、まだ難題が残っていますし、これからも難題が発生するかもしれません。まだ、気を抜けません。
■教育に関しては、社会学部の看板であある地域連携型教育プログラムになっている「大津エンパワねっと」を最初からずっと担当してきました。「大津エンパワねっと」は社会学部4学科から1名ずつ教員をだしあい、共同運営しています。この教育プログラムは、文部科学省の現代GPの助成金を受けることで2007年度から始まりましたが(助成金申請作業は2006年度末から)、それ以来ずっと8年間、社会学科の教員としてこのプログラムに関わり続けてきました。他の学科は担当教員が変わっていますが、社会学科は私がやり続けてきました。この「大津エンパワねっと」についても、そろそろ別の教員に担当を替わっていただけるように、教務委員の方にお願いをしているところです。もちろん、学科にお願いしたいことは、時々お休みをいただける体制をつくっていただきたいということです。
■私のばあいは、教育と研究と地域貢献(連携)が、かなり重なりあっている部分があります。けしてシステマティックな仕組みがあるわけではありませんが、滋賀県庁の仕事、大津市役所の仕事も、それからゼミで行っている「北船路米づくり研究会」の活動や様々な実習の内容も、自分の研究テーマと重なりあっている部分があるからです。そのようななかで、来年度からは、自分自身の研究成果をまとめる仕事や、総合地球環境学研究所の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」等、研究に時間とエネルギーを集中することができそうです。ということで、来年度の講義の時間割も、できるだけ時間が分散しないように組みました。
■果たして思惑通りに進むのか、まだ不透明なところがありますが、気力が身体に満ちてくるように気持ちになります。
脇田ゼミ1期生
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■facebookのメッセージで、脇田ゼミ1期生(2006年春卒業)から連絡がはいりました。Oくんでした。龍大硬式テニス部が開催するテニス教室にアシスタントとして参加し、ひさしぶりに瀬田キャンパスにやってきた、そして新設のテニスコートにきて驚いた…とのことでした。彼は、現役時代、硬式テニス部で活躍していました。ということで、入試の仕事の合間(昼食の休憩時に)、Oくんに合いにテニスコートにいってきました。
■Oくんは、民間会社に入社したあと、救急隊員になり、現在はその救急業務の管理の仕事にあたっているとのことです。どんどん社会で活躍しているご様子、ゼミのせんせーとしてはとても嬉しいわけです。Oくんは1期生ですから、30歳超えておられます。すでに結婚もされ、お子さんもいらっしゃいます。ひさしぶりにあった彼は痩せていました。救急隊員のときは、もっと筋肉がついていたけれど、デスクワークになって細くなったのだそうです。
■トップの写真は、その1期生の卒業式のあと撮った写真です。2006年ですから8年前になります。みんなどんな感じになっているんでしょうね〜。今日のOくんは、学生のときよりもグッと精悍になっていました。私はといいますと、すっかり歳を取ってしまいました。現在では、髪は白髪がまじり、髭も真っ白です。顔も丸いな〜。
■以下は、このエントリーと同じ写真をアップしてfacebookに投稿したときの文章です。
2006年3月。私が龍谷大学社会学部に赴任して、最初に受け持ったゼミ生たちが、卒業しました。写真は、そのときのものです。脇田ゼミ1期生。なんでもそうですが、「最初」ってのは大切ですし、大変だと思います。よく私の指導についてきてくれました。
当時、私は公立大学から異動したばかりでした。異動するにあたって、「私立大学は人数が多くて大変だから、公立大学の時と同じように指導しているとあかんよ、わかっているよね…」、という年配の大学教員からのアドバイスもありましたが、そういうアドバイスは粉砕!! そういう「あんた達」の考えが日本の大学をダメにしてきたんとちゃうの…と、思いました。「公立大学と同じ教育の質を私立大学にも!!」と自分自身に気合いを入れて指導しました。
なかには、「せんせー、僕ら龍大生やし、無茶いうたらあかんわ」というやつもいましたが、むちゃくちや叱りとばしました。悲しいというか、腹が立つというか…(その学生は、名の知れた大企業に就職しましたが…)。しかし、そのとき、その学生が冗談でいった一言が、私をさらに奮い立たせたのでした。「なにをいうてんねん!!」。
すぐに「せんせー、無理…」という学生もいました。叱って、煽てて、とにかく1人でフィールドワークにいかせました。私のゼミは、それぞれが、1人でフィールドワークをして卒論を執筆することになっているのです。
もちろん、多くの学生は「たいへんやな〜」と思いつつも、とにかく頑張ることができる学生でした。いろいろです。ですが、とにくか最後は必死になって、取り組んでくれました。まあ、若干は…(^^;;。
龍大につとめて11年目になります。最初にそういう経験をさせてくれた1期生に、感謝です。その1期生と、年末に同窓会です。
楽しみにしています。
11月の全体授業「地域エンパワねっとⅠ」
■今日は、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コースの「地域エンパワねっとⅠ」の全体授業の日でした。それぞれ、地域に出て活動をして(まち歩き、地域の皆さんへのヒアリング、地域の会合への参加、資料収集…)、グループでこれからの活動方針やテーマについて話しあった結果を発表してもらいました。私が担当している中央地区(中央学区をはじめとする中心市街地エリア)のグループは、非常に悩みながらも、ぼんやりと自分たちが取り組むべきテーマが見えてきているのかな…という状況になりました(う〜ん…微妙ですけど)。以下は、私のメモです。メモですので、正確ではありません。すみません。私のコメントのようなものも一部含まれています。まだまだ学生たちの「課題探し」は、微妙な状況である…ということです。
■C01チーム「おでん」。まち歩きをして、気になるお店を何軒かみつけた。特色ねあるお店と、なにか一緒になにかできないかと思った。先輩の活動についても調べてみた。4期生「どんぐり」、5期生「わいるどもんきー」、6期生の「こけし。。「まちづくりカフェ」を手段として取り組んで来た先輩たちの活動に注目している。これを継承してみるのがよいのでは…と思っている。グループで話し合い、先生からもアドバイスをもらった。マンション住民の皆さんと元からお住まいの住民の方たちとの交流が少ないという話しも気になっている。これは、5期生「パズル」、6期生「メロン」の問題意識でもある。新しく来られた方たちに、「地元愛」を深めてほしいと思う。深めることで両者の交流の場が増えるのではないかと思う。先輩チームから、そして自治連合会の方から話しを聞いてみる。先輩からは、活動していたときの「つまづき」について教えてもらおうと思う。先輩はひとつのマンション自治会とだけ活動をしていたが、自分たちは、先輩の活動を継承しつつも、さらに一緒に活動できるマンション自治会を増やしていきたい。
■C02チーム「まりも」:まち歩きをしてみた。人が少ない。個々の商店は、店頭での商売以外にも、見えないところで商売をされていることや、シャッター降りていても、住宅としてお住まいのところもあることを知った。商店街の関係者にお話しを伺った。現在のお客さんは、地域になじみのある人たちだという。マンションの人たちは京都に出かける。イベントをして来客数は増えるが、その日限り。なんとかしたい。マンションの方たちにも親しんでいただける商店街にしたい。来年はアーケードが取り払われるかもしれない。それは商店街の発展でもあるかもしれないが、地域の思い出が消えていくことでもある。そのような街の記憶をどう考えたらよいのか。町家の保存についても、関係者に聞いた。空き家が増え、少しずつ取り壊されていっている。「エンパワ」の学生に、町家の保存に直接かかわることは難しいだろうとのことであった。ただし、からめていくことは可能とのことだった。いろいろチームで話しあったが、地域の人びとが商店街に愛着が持てるような活動がしたい。商店街の歴史、にぎわいの記憶。地域住民と一緒に、アーケードの改装について考えていけるような仕組みが。商店街の関係者からは、学生のアイデアがほしいといわれている。改装に関して、地域の方たち、新住民の方たちも関わることはできるのか。
■C03「A」:子どもが商店街にいないことに気がついた。子どもが地域を好きになるためには、街の中心にある商店街を好きになってもらうことが必要なのではと考えた。子どもの育成にかかわっている団体に相談した。一緒には活動できないが、協力できるといわれた。子どもと商店街をつなぐ活動。商店街の関係者は、最近になった引っ越して来た子育て世代に商店街に来てほしいといっている。昔は、「夜市」というイベントがよく開催され、子どもにも商店街は素敵な場所だった。商店街を子どもたちに知ってほしい。商店街のなかでの子育て教室、子どものあづかり活動。地域のニーズをさらに詳しくしりたい。
■C04「ぬりえ」:「鉄道」と「湖岸」をキーワードにまち歩きをした。反省点がある。地域の人たちに話しを聞いていないということ。「鉄道」、「湖」、「大津祭」をテーマにからめたいとおもっていたが、それは学生目線の考えでしかなかった。実際の、地域の人びとにとっての課題をみていない。私たちは、街中の青年層に興味をもった。一般に、青年層は、成長するにつれて地元への関心が低くなっていくが、この世代を対象にしたい。これから地元のために活動しようとする団体の方達と一緒に活動したい。まず話しを聞く。「大津発酵食の会」。地元の酒造会社、鮒寿司屋、漬物店の跡継ぎ世代による会。
■C05「みんと」:まち歩きをした。中央学区の「さよならの集い」の実行委員会に参加した。「子育連」の月例会にも参加した。どのような人がイベントに参加しているのか。宣伝方法。月例会等。イベントは開催しているが、中高生の参加率が低いらしい。関係者は、どうにかしたいといっている。そうするためには、地域の方達とのつながり。中高生を対象とした活動をしていきたい。中高生に地元を好きになってもらいたい。
■以上は、中央地区の5チームの報告です。この中央学区の報告に先立ち、瀬田東学区で取り組む報告もありました。メモはパソコンでとりました。最初は、きばってメモをとっていましたが、しだいに力つきでメモの分量が減ってしまっています…。写真は、今日の「エンパワ」の全体授業中に、各チームの報告を聞いてコメント(講評)をしているところです。エンパワ事務局の職員の方が撮ってくださいました。なんだか、柄の悪そうなおっさんが写っています。実態そのものかもしれませんが…。表情といい、肩の傾き方といい…。反省です。
ゼミOB来訪
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■昨日は、いろいろありました。午前中は、1人の社会人の方が大学院進学のことで相談に来られました。お仕事に関連することで研究をしたいとお考えのようで、いろいろお話しをお聞かせいただきました。興味深くお聞きしていると、「おおつ未来まちづくり学生会議」のメンバーが「期日が迫った報告会のパワーポイントの内容を確認してください…」と研究室にやってきました。それが終わったら、受託研究の事務処理です。購入した書籍や物品の整理と書類作成、そして研究部にいって検収を受ける作業等…ドタバタと続きました。昨日は寒かったのですが、キャンパスを動き回ったので、ちょっと汗をかいてしまいました。昼食を摂る時間もありませんでした。そのあとは、卒論の指導があったので慌てて研究室に戻ってくると、「せんせー!!」と呼びかける人がいました。振り返ると、ゼミのOBである卒業生のYくんでした。彼は、脇田ゼミ7期生、2012年の春に卒業しました。
■いや〜嬉しいですね。事前に連絡をもらっていなかったので、ちょっとびっくりです。Yくん、休暇がとれたので遊びに来てくれたのでした。7月にも突然卒業生のOGがやってきてくれましたが(こちらのエントリー)、「せんせー」といわれる仕事をしている人たちには、こういうサプライズはとても嬉しいものです。7月のOG来訪のさいには、申し訳ないですが十分に時間をとることができませんでした。昨日は、卒論の指導がおわると時間がとれました。ということで、Yくんには、卒論指導の場にもいてもらって、その後は、京都の伏見で呑むことにしました。いつもだと、大津駅前の居酒屋「利やん」ということになるのですが、伏見です。なぜ伏見かというと、2つ前のエントリーにもアップしたように、伏見の眼鏡店に行く必要があったからです。
■Yくんとは、伏見桃山にある月桂冠がやっている日本酒レストラン「京の台所 月の蔵人」にいくことにしました。なんといいますか、観光客向けのレストランなのかもしれませんが、それなりに美味しくいただきました。2人で日本酒をかなりいただきました。燗酒と冷酒とであわせて七合ぐらい呑んだでしょうか。月桂冠が経営されているので、タケノコの粕漬けなんてのもいただきました。美味しかったですね〜。酒とアテ、そしてYくんとの話しを楽しみながら、仕事のこと、学生時代のこと、同級生のこと…いろいろ話しを聞かせてもらいました。また、最近、考えることの多い学生の指導等や「北船路米づくり研究会」についても、いろいろ意見を聞かせてもらいました。Yくんたちは、「研究会」の1期生なのです。「月の蔵人」のあとは、近鉄・桃山御陵前のガード下のバールに。梯子酒です。ちょっと嬉しかったのは、「ここぐらいは、僕が出します。社会人ですから」といって支払いをしてくれました。話しをしているときの内容もそうですが、こういうちょっとしたことで学生の成長を感じます。嬉しくもあります。息子の成長を喜ぶ父親の気持ちに似ています。次回は、もう1人別のYくんも一緒に、大津駅前の居酒屋「利やん」で呑むことになりました。
卒論指導
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■ゼミ4年生の齊藤くんです。私のゼミでは、それぞれが自らの調査地を決定し、その調査地でのフィールドワークをもとに卒論を執筆することになっています。そのため、個人面談を非常に重視しています。個人面談で、こと細かに、フィールドでの調査結果を聞かせてもらいます。私は、どんどん質問します。そうすることで、調査から見えてきた大切な事柄の輪郭が、しだいにはっきり見えてくるようになると思うからです。ということで、個人面談重視なのです。
■今日は、齊藤くんが卒論指導を受けにやってきました。齊藤くん、滋賀県内のフィールドワークからとても興味深い発見をしています。卒業論文に限りませんが、実証的研究においては「フィールドからの発見」がとても重要になります。「発見」をするには経験と知識もいります。そこをサポートします。この日は齊藤くんの「発見」と関連する文献も紹介しました。「文献-フィールド-指導の三角形」のなかで、少しずつ前進しています。こういう良いパターンになると、学生自身も、卒論の調査や執筆が楽しくなってきます。楽しい…というのはちょっと違うかもしれませんね。「やりがい」を感じるようになる…という方が正確かもしれません。
■私が勤務する龍谷大学社会学部のモットーは「現場主義」です。この「現場主義」をどう理解するのかは人それぞれでしょう。私自身は、講義のような座学ではなく、文字通り学生が現場でもまれながら成長していくことにこそ、この「現場主義」の真骨頂があると考えています。私のゼミでは、学生たちはネットや新聞の記事等断片的な情報から自分の調査地を選びます。自分で選んだ調査地の関係者にお話しを伺わせてもらうために丁寧に手紙を書き電話をかけます。調査地に出かけお話しを伺い、また別の関係者を商会していたただく。そして調査のたびに結果をまとめて、研究室に報告にいき、面談のなかで質問の嵐をあびて、様々なアドバイスや指摘を受けて、また調査地の赴く。卒論の原稿を執筆しながら、補足調査も行う。私自身サポートはしますが、基本的にはこの一連のことを学生1人でやってもらいます。そうすることで、「ここまでやったぞ!」と自分で納得のいく卒業論文を執筆し、自信をもって卒業していってほしいのです。また、卒論の調査・執筆の過程で、自分自身を鍛えてほしいのです。生涯学習の時代ですが、「学校」という制度で成長するのは大学が最後の段階になります。この最後の段階でどれだけ成長できるのか、学生にとって非常に大きな問題かと思っています。
■私は、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」も長年担当していますし、ゼミでは「北船路米づくり研究会」の活動にも取り組んでいます。研究会の活動にいたっては、単位も出ませんし評価もありません。こういった活動に対して、社会人の多くの皆さんは、「学生時代からいろんな体験をすることができて、今の学生さんたちは幸せですね。羨ましい」とよくおっしゃいます。こういう話しに対しては、現役の学生は嫌な顔をするのかもしれません。しかし、卒業生たちの話しを聞くと、社会に出てみて「あの時の経験」の意味がわかるというのです。まあ、自分自身を振り返ってみても思うのですが、人生とはそういうものなのかもしれません。
研究会議の打合せ
■昨日は、朝1限の講義のあと、事務仕事や4年生の卒論指導、そして大学広報の取材対応(「北船路米づくり研究会」)。夕方からは、大津の中心市街地にある町家キャンパス「龍龍」に移動しました。月1回開催されている中央地区の皆さんと「大津エンパワねっとを進める会・中央」。進める会の最後に、地域の高齢者のサロン活動や、学区の運動会を手伝うために、卒業してからもやってくるエンパワ修了生のことが話題になりました。喜んでいただいています。
■そのあとは、引き続き「龍龍」に残り、京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんと今週末の土日に総合地球環境学研究所で開催される研究会議のためのミーティング。研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」に関するミーティングです。
■土日の研究会議で話す内容に関して、アウトラインを相談しました。そのさい、オランダで開催された「IPBES」(Intergovernmental science-policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services /「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)の会議に参加してきた谷内さんから、そこでの議論に関して、話し聞かせてもらいました(谷内さんは、IPBESの報告書の執筆者)。環境ガバナンスに関して、地球の裏側(南米)からやってきた研究者が、私たちの「階層化された流域管理」の考え方と似たような問題意識を持っていたと聞いて、ちょっと嬉しくなりました。このIBPESや以前にもこのブログでふれたFuture Earth等、世界のトレンドや動きをにらみつつ、プロジェクト進めていくことになります。そのあとは、「今日も一日ご苦労さん…」ということで、ちょっとだけいつもの店、大津駅前の居酒屋「利やん」です。いや、ほんまにちょっとだけ。急遽行くことになったものですから、ちょっとしたアテの他はひたすら呑み。食事は家に帰ってから。体に悪いです〜。
■谷内さんの職場の宣伝になりますが、「データベースの構築と活用から見えてきた! 新しい生物多様性のサイエンス」という市民向けの講演会が「みやこメッセ」で開催されます。写真、クリックして拡大してみてください。市民向け…というには、少々内容は小難しいですけど、サイエンスが好きな方にはね面白い内容だと思います。
■谷内さんとは、ずいぶん長い付き合いです。15年程になるでしょうか。「利やん」では、ちょっと思い出話しにもなりました。最初の出会いである日本学術振興会の未来開拓学術研究推進事業のプロジェクトや、その後の総合地球環境学研究所の以前のプロジェクト。そして、そのときにお世話になったプロジェクトの秘書であるYさんや Kさんのこと。仕事がとろくて怒られたこと…いろいろあったなと…トホホ。ということで、お2人には、facebookでメッセージも送りました。台湾の大学教員であるYさんとはfacebook上で、ちょっとした同窓会になりました。便利な世の中になりましたね。「谷内さんと一緒に、台湾で癒されたい〜」と伝えると、大歓迎とのことでした。嬉しいな〜。「実現したらいいな台湾の温泉と美味しい料理」。
大学広報の取材
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■大学の広報の一環として、来年、ある出版社から(今まところ、ある出版社にしときます…)龍谷大学を紹介するムック本が出版されるのだそうです。来年度は、農学部に国際学部が開学しますので、そのムック本の中身は、基本的にはこの2学部の内容を紹介するものになりますが、その片隅に、1ページほどらしいですが、「北船路米づくり研究会」のことが紹介されるとのことです。ということで、今日はその取材がありました。
■取材にこられたのは、ムック本の記事を書かれるライターさん、カメラマンさん、そして龍大の広報担当Sさん。取材対象は、「北船路米づくり研究会」・「地酒プロジェクト」の中心となって取り組んできたTさん。研究会が生まれた経緯については私が話しをしましたが(Tさんは研究会4期生で事の起こりを知らないものですから…)、研究会の活動の内容と「地酒プロジェクト」に関する質問についてTさんがきちんと説明してくれました。
■上の写真・左は、研究室を出た廊下で個人ポートレートを撮影中のところです。Tさん、緊張しています。写真・右は、ライターさんと職員Sさんとの打合せ風景。Sさんには、おそらく2012年の第1回「かかし祭」の時から、様々な場面でお世話になっています。Sさん、いつもありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
【追記】■関連ページです。「米研」が、ポスターセッションで奨励賞・環びわ湖大学地域交流フェスタ2013
街の記憶を保存すること
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■社会学科の「社会調査入門」の授業は、火曜日の1限に開講されています。今日は、その「社会調査入門」の授業の1コマが、「大津エンパワねっと」の「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」にあてられました。ゲストは、大津市歴史博物館で学芸員をされている木津勝先生です。講義いただいた内容は、「街の記憶を保存すること」です。
■博物館は、実物資料を保存するとともに、これらの資料をもとに研究・展示・社会教育活動をおこなっていく研究機関です。そのような博物館の実物資料は、じつに様々な範囲におよびますが、木津先生が担当されているのは近現代の写真・古写真です。それらの写真を使って、様々な企画展を開催されてきました。今日は、そのような企画展を実施するなかで経験されたことを中心にお話しいただきました。以下は、先生が用意されたレジュメと実際のお話しをもとにしていますが、木津先生からいただいた刺激をもとに、自分なりの解釈や説明も加えています。特に、プライベート「記憶」とハプリックな「記憶」に関する部分がそうです。木津先生のお考えとずれているかしれません。
【事例1:ニコニコ動画】滋賀県の湖西地域には、JR(旧・国鉄)の湖西線が開通するまで、「江若鉄道」という私鉄が走っていました。1969年に全線が廃止されました。この「江若鉄道」が廃止になるさい、最後の姿を記録された方がおられます。今だとビデオカメラということになりますが、当時は8mmフィルムでした。博物館ではその貴重な8mmフィルムをもとにDVDを製作されました。「ありし日の江若鉄道」という企画展ではそのDVDを販売されました(私も持っています)。ところが、著作権法的に問題があるにもかかわらず、DVDを買った人が「ニコニコ動画」にこのDVDの内容をアップされたのだそうです。ニコニコ動画の特徴は、ユーザーが配信される動画にコメントを投稿できることにあります。「ありし日の江若鉄道」にも、これを視た方達からたくさんのコメントが寄せられました。過去の8mmを通して、多くの人びとがコメントの投稿を通して交流することになったのです。しかも、「江若鉄道」を知っている人だけでなく、廃止後に生まれた若い人たちも含めて、多くの方たちがコメントを寄せられたのです。通常であれば抗議することになるのでしょうが、木津先生はそのまま置いておいたのだそうです。プライベートな記録(8mm)が、「ニコニコ動画」というパブリックなネット空間のなかで、別の意味合いを帯びてくることになったわけですね。おそらく、木津先生のなかでは、この瞬間に何か閃かれるものがあったのかもしれまん。
【事例2:企画展「ありし日の江若鉄道」】企画展「ありし日の江若鉄道」では、思い出写真とコメント提供の事前募集をされました。写真とそれにまつわる思い出を募集されたのです。「参加型」の企画展です。そして展覧会の会場内には、「思い出目メモ」という壁に来館者が思い出した記憶を貼付けるコーナーも設けられました。そのような思い出は、博物館の公式サイトで読むことができます。以下のリンクをご覧ください。多くの人がもっているプライベートな断片的な「記憶」が、展示を通して「街の記憶」として形になっていったわけです。
第14回 企画展に寄せられた江若鉄道の思い出
【事例3:大津百町大写真展】この企画展「ありし日の江若鉄道」のあと、木津先生は「大津百町代写真展」を担当されました。この写真展では、来館者の皆さんが、自分が知っている写真(風景や出来事の写真)にたくさんのコメントを残されました。この企画展でも、多くの人びとのなかに眠っているプライベートな断片的な「記憶」が引き出され、それらがパブリックな企画展という空間のなかで重なり合っていきました。1枚の写真資料に、多くの皆さんの「記憶」を重ね合わせていくことで、写真資料が厚みを帯びていきます。活かされていきます。通常の博物館の展示では、解説するのは博物館の側ですが、この写真展では、来館者から博物館側が教えてもらうこともありました。来館者の方が、写真が写っているその時代のその場所のことについてよくご存知だからです。このような「水平方向」のやり取りを積み重ねていくなかで、結果として、みんなで考えながら「街の記憶を保存していくこと」につながっていくのです。
【事例4:オールドオーツ『物語の誕生』】「大津百町大写真展「大津百町第博覧会」等とともに開催された「オールドオーツ『物語の誕生』では、家庭にあるアルバムの写真から、インタビュアーが当時の思い出を聞く…という形で展示用のパネルが作成されました。通常であれば、家庭用のアルバムの写真は、プライベートな領域に属するものです。それをあえて博物館の展覧会というはパブリックな空間に展示することにより、多くの人びとの共感を生み出します。あるいは、自分のなかに眠っていた記憶を呼び戻すことにもつながっていきます。また、写真資料は見る人によって、受け取る意味が違ってきます。それは、写真がたくさんの情報量をもっているからです。見る人によって写真から得られる情報は、じつに様々なのです。家庭に眠っていた写真がパブリックな空間である写真展で写真資料となり、多くの人びとがかかわることのなかで、写真資料のもっている多様な情報が引き出されていくのです。この点は、事例3と同様です。
【事例5:証言VTRでたどる百町むかしがたり(いまきいとき隊)】街の高齢者の方たちから当時の聞取り、文章やコメント文字ではなく、その方の生の声と表情までを記録することを目指した活動です。文字では伝わらないことまで、動画は伝えることができます。今日の授業で拝見した動画では、以下のようなエピソードを登場された方たちが話されていました。かつて浜大津港に停泊していた観光船「玻璃丸」の周りで泳いだという記憶です。もちろん、法律的には遊泳禁止だったのですが、当時の子ども達は泳いだというのです。泳ぎながら、船から出る油に頭をつっこんでしまいべとべとになったとか、泳ぎの達者の人たちが観光船の船底を潜ってくぐったとか…。
■木津先生が5つの事例で示された「記憶」は、大文字の「歴史」のなかでは語られることがありません。小さな断片的なエピソードばかりです。しかし、この街に暮らす人びとにとっては、それらはとても大切なものなのです。写真、そして動画を通して、多くの人びとの内に眠っている「記憶」(プライベートな「記憶」)が、ハプリックな空間のなかで少しずつ「つながり」ながら(パブリックな「記憶」群)、「街の記憶を保存すること」につながっていくのです。以上の「街の記憶論」については、もっときちんと整理し、別のエントリーで自分の考えをまとめてみたいと思っています。