大阪梅田キャンパス

20130629hara.jpg ■大阪梅田キャンパスに勤務されているH課長です。課長は、今年の3月までは私が勤務する社会学部の課長をされていました。といいますか、私にとっては、マラソンの師匠でありコーチです。半年ほどの練習で、フルマラソンをなんとか完走するまで私を導いてくださいました。その課長が人事異動で大阪に移られたので、最近は、練習をさぼりがちです。いけません。自分にも渇を入れるためにも、甲子園球場にいくついでに、大阪梅田キャンパスに立ち寄ってみることにしました。

■少し前に京都でお会いしたとき、他大学や企業を飛び回って仕事をしておられたので、はたしていらっしゃるか…と思っていましたが、この日はたまたまいらっしゃいました。そして、少し大阪梅田キャンパスでの事業についてお話しを伺うことができました。夢とビジョンをもって生き生きと仕事をされているご様子、お話しを伺っているだけでもパワーが伝わってきました。そのうえ、この笑顔ですから!!

■課長からいろいろお話しを伺いながら、近々、大阪梅田キャンパスをゼミ有志で訪問してみることにしました。大阪にはたくさんの大学のサテライトキャンパスが設置されていますが、龍大はかなり進んでいるし、施設も充実していることが理解できました。学生諸君は、そのことをあまり知らないのではないでしょうか(そういう私も、知らなかったのですが…)。学生のキャリア支援が中心になるので3回生がメインでしょうが、有意義な時間になりそうな気がします。ところで、別の職員の方(H課長の先輩職員)がおっしゃっていましたが、H課長、漫画「ワンピース」のルフィみたいなところがありますね。魅力的な方です。

大阪梅田キャンパス

甲子園

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■先週はいろいろありすぎて非常に疲れました。ということで、自分にご褒美…というわけではないのですが、前々から、6月28日(金)の甲子園のチケットを入手していたものですから、妻と一緒に甲子園にでかけました。その日は、大津市役所で都市計画審議会があったのですが、予想よりも早く終了したので、早めに大阪に移動しました。梅田の阪神デパートの地下で弁当やつまみを買い、阪神電車に乗り込みました。心なかでは、すでに「六甲おろし」です。

■試合は対広島戦。広島の得点に、レフトスタンドのカープファンの応援団はものすごい盛り上がり。一方で、阪神側にとっては敗戦ムードが甲子園に濃厚に漂ってきました。そして、3点差の8回裏です。広島のエラーもあり阪神は6得点、一気に大逆転しました。阪神ファンを大喜びさせるような試合展開になりました。阪神ファンの応援が、広島にプレッシャーを与えたのかもしれません。大勝利です。左の写真は、本日のデイリースポーツです(普段、スポーツ紙を買うことはないのですが…)。この日の試合のヒーローであるマートンが1面にドーンと出ています。写真の右側は、甲子園での私の楽しみ。生ビールを4杯いただきました。勝利の酒になってよかったです。もう少しでやけ酒になるところだった…。

■じつは、私、「俄か阪神ファン」であり、負けても負けても応援しつづけてきた熱烈なファンの皆さんの前では、ファンと名乗ることもできないような存在なのですが、周りの熱いファンの皆さんと喜びを共有できました。まわりの皆さんとは、小さなバットのような応援グッズで、お互いにぶつけあつて(?!)阪神の勝利を喜びあいました。甲子園から帰るときも、知らないサラリーマンの方から「おっさん、やったな~!!」と声をかけられ、ハイタッチ。これは、素直に楽しいと思えます。

■下の動画、iPhoneで撮ったものです。生ビール4杯のんで縦横の位置関係を間違えてしまっています。首を横にしてご覧ください。雰囲気だけでも伝わるのではないかと思います。

「大津エンパワねっと」のまち歩き

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■龍谷大学社会学部が4学科共同で取り組む地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」、今日は、これから「エンパワ」を履修しようと考えている学生(2年生)に、大津の中心市街地を「まち歩き」してもらう日でした。事前に申し込みがあったのは7名。あいにく1名は急用ができたようで、参加はキャンセルになりましたが、天気もよく、楽しい「まち歩き」になりました。

■午前9時半に大津市の中心市街地にある「町家キャンパス龍龍」に集合ということになっていましたが、私が8時45分に「龍龍」に到着したときには、すでに1名の学生が待っていました。また、9時にはもう1人学生がやってきました。なにやら学生たちの意欲の高さを感じとってしまいます。期待さしちゃいます(私の幻想かもしれませんが…)。予定の9時半になる以前に、全員がそろいました。まずは、「龍龍」で、中心市街地の歴史や概要について30分ばかり簡単にガイダンス。そのあと、12時半まで、じっくり時間をかけ街中を解説しながら歩いていきました。自分のデジカメを持参したり、フィールドワーカーが使う「野帳」なんてのをもっている学生もいました。ますます期待が高まりますね。写真の右側は、先日も学生を連れていった和菓子店「餅兵」さんでオヤツに和菓子をいただいているところです。美味しい和菓子と冷たいお茶をいただきました。

■今日、まち歩きをした学生の皆さんには、ぜひ「大津エンパワねっと」を履修してほしいと思います。7月2日(火)・7月4日(木)、瀬田キャンパス6号館プレゼンテーション室で、「地域エンパワねっとⅠ」の履修登録説明会を開催します。また、7月11日には、エンパワねっとを履修した、あるいは現在履修している先輩の学生の皆さんが履修の相談に乗ってくれる「エンパワねっと相談会」も開催されます。

■ところで…。今日、まちを歩いていて、何人かのお知り合いの方たちとお話しをさせていただきました。龍大に来て10年。龍大社会学部は大津の地元の大学であるにもかかわらず、ぜんぜん大津のまちで存在感がないような…。そんな気がして、自分なりに地域との関わりを強く意識しながら働いてきました。そうしたなかで生まれたご縁は、「大津エンパワねっと」を運営していくうえでも大変大きな力になっています。本当は、地域連携型教育プログラムをもっとこの地域のなかで深く展開していきたいと考えています。そのさい、私がひとつの目標に考えているのが、慶応大学の取り組みである「芝の家」「三田の家」です。以下の記事をご覧ください。

さまざまな人が出会い、学び合える場所。「三田の家」「芝の家」に学ぶ、地域の交流拠点のつくりかた

沖島が離島振興法で指定される

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■6月8日、1年生の必修の授業「社会学入門演習」の現地実習で滋賀県近江八幡市沖島町に行きました。沖島町は、琵琶湖に浮かぶ離島です。琵琶湖は淡水湖ですが、淡水の湖で人が暮らす島は、世界的にみても珍しいのだそうです。写真ですが、その現地実習のときのものです。沖島の西福寺*の本堂で、沖島町自治会の方たちにお話しをうかがっているところです。

■さて、その沖島ですが、昨日の報道によれば、国の離島振興法に基づく「離島」に指定される方針が決まりました。離島振興法が約半世紀ぶりに見直され、湖の離島でも、この法律により支援を受けることができるようになったのです。「離島」の指定を受けるためには、様々な条件が必要なようです。たとえば、約60年前に比べて50%以上減少している…といったような条件です。沖島は伝統的に琵琶湖の淡水魚を対象にした漁業を生業としてきました。しかし、現在、水産業者は相当に高齢化しています。子どもの世代の多くは、漁業とは違う職業につき、島を出ているのです。そのため、沖島は、人口の減少と少子高齢化が急激に進行しています。新聞報道によれば、今回の「指定」により、公共事業の補助率引き上げ、自治体が行うソフト施策への交付金の支給、雇用創出が見込まれる設備取得のための低利融資といったことが可能になります。沖島町のある近江八幡市では、地元の意見を大切にしながら、旧石切り場を活用した防災拠点兼観光施設、観光船が寄港可能な港湾、島内周回道路の整備を検討しているようです。そのような整備のなかで、定住を促進していこうとされています。

■急激に高齢化が進むこの沖島町で、もうひとつ期待されていることがあります。それは医療の充実です。島には、診療所が1か所ありますが、週に1日、医師がやってくるだけで、緊急の病気のばあいは対応できる体制になっていません。緊急のばあいは、自治会の消防艇で対岸まで運び、そこから病院まで救急車で運ぶということになります。沖島町の自治会の方は、今回の「指定」で、そのような医療面での不安が解消されることを、一番に望んでおられました。

*この沖島には蓮如上人の伝説があります。また西福寺には、蓮如上人の御真筆「虎斑の名号」・「正信偈」が伝えられています。

感謝10,000アクセス!!

■このホームページ(&ブログ)「環境社会学/地域社会論 琵琶湖半発」は、昨年の7月25日に開設しました。そして、9月5日にアクセスカウンターを設置いたしました。当初は、せいぜい1日に20人ご覧いただければ良いほうだったように記憶していますが、最近では、40~60人の皆さまにご覧いただけるようになりました。そして、昨晩、10,000を超えることができました。今後とも、更新を継続していけるように努力いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。

勢多唐橋東西大綱引合戦

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勢多唐橋東西大綱引合戦

甲子園

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■今週、辛いです。会議がいろいろ、学生の面談、フィールドでの学生の指導、自治体での審議会、研究プロジェクトの打ち合わせ…土曜日まで油断できないヤバい状況です。しかし、その隙間に金曜日の晩は甲子園にいくことになっています。熱狂的な阪神タイガースファンではもちろんありませんが、毎年数回、甲子園の3塁側アルプススタンドで、阪神の応援をしています。ちょっと、息抜きしてきます。

■甲子園という名前、なぜ甲子園なのか。wikipediaで調べてみました。1924年、現在の阪神甲子園球場の場所に大運動場が開設され、その年が干支でいう甲子(きのえね)の年だったので、この地域が「甲子園」と名付けられたとのこと。この場所は、元々、河川敷だったとろに阪神電鉄が住宅開発・行楽地を開発することで生まれた土地です。なんだ、そうだったのか…。

■似ている名前に、甲陽園があります。阪急沿線です。甲陽園は、元々山林だったところを「甲陽土地」という会社が上水道・電気を完備した住宅街に開発したこと、そして甲山の南側であることが命名の理由だそうです。また、甲東園というのもあります。これは、1889年に武庫郡門戸村・上大市村・下大市村・段上村・神呪村・樋口新田・上ヶ原新田が合併した際、武庫郡甲東村と名乗ったのが「甲東」という地名の始まりなのだそうです。これは地域全体が甲山の東部に位置することに因んでいます。甲陽園と甲東園は、甲山という山の名前に因んでいるのか。甲山のどちらの方角に位置しているか…で地名が決まっています。しかし、甲子園は、違うのですね。私はこれまですっかり、甲陽園や甲東園と同じく、なにか地理的な事柄と関係しているものとばかり思っていました。で、甲陽園と甲東園は甲山に関係があったわけですが、甲山と六甲山は「甲」の字が一緒ですが、これも調べてみると、ぜんぜん名前の由来が違うんですね。

■まあ、どうでもよいことですかね…。


【追記】■これは、「阪神タイガース球団歌」です。通称「六甲颪(おろし)」です。これもwikipediaで見てみました。こう書いてあります。私は、知りませんでした…。中村鋭一さんなんですか。

『阪神タイガースの歌』に改題の際、若山彰の歌唱により再吹き込みされたものが甲子園球場でのタイガース戦で流されるようになり、それで歌詞を覚えた当時朝日放送アナウンサーであった中村鋭一が、自身が司会をつとめたラジオ番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』で歌ったことにより、1970年代の多くのファンに広められた。1972年(昭和47年)に発売された中村の歌唱によるレコード(テイチクレコード発売)は、40万枚以上のヒットを記録し、1991年(平成3年)にはCD発売された。1985年(昭和60年)にタイガースが日本シリーズで優勝してからは、全国的に知られるようになった。なお、『六甲颪』という通称は、中村が考案したとされる。

Kenichi=ケニチ


■私の名前は、健一(けんいち)です。ただし、英語で書くと Kenichi になり、海外の方たちは「ケニチ」と発音します。もう慣れているので、「ケニチ」と呼ばれると反応してしまいます。今日は、パソコンでYouTubeをみていて、たまたま「ケニチ」を発見しました。

■動画に登場されているのは、蛯名健一さんです。もちろん、日本人。アメリカに留学して、様々なダンスを独学で学ばれました。動画は、アメリカの公開オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」に登場されたときのものです。すごいです。まずびっくりするのは、首が落ちるように見えることです。もちろん、眼の錯覚とトリックなのですが、いや、本当に、びっくりです。そのあとの「マトリックス」を題材にしたようなパフォーマンスもすごい。自分の体をここまできちんとコントロールできるだなんて・・・信じられません。こちらの「ケニチ」はすごい!!

目には見えないものを感じとる力


■昨年、石川県の能登半島にいきました。そこで、アエノコトという儀礼に強く関心を持ちました。このアエノコト、文化庁のサイト(国指定文化財等データベース)では、以下のように解説されています。

奥能登のあえのことは、稲の生育と豊作を約束してくれる田の神を祀る農耕儀礼の典型的な事例として奥能登に顕著な分布を示しているもので、毎年12月と2月に行われる。
 各農家における行事次第や内容には細部には相違が認められるものの、ゴテと呼ばれる世帯主自らの采配によって執り行われる。収穫後(12月5日が多い)に、田の神を田から家に迎え入れて、風呂に入れたり食事を供したりして丁重に饗応して収穫を感謝し、翌年の春の耕作前(2月9日が多い)にも再び風呂に入れたり、食事を供したりして饗応して、田の神を家から田に送り出して豊作を祈願する。
 目には見えない田の神があたかも眼前にいますがごとく執り行う所作や直会には豊饒に対する感謝と願いが素朴なままに発露されている。
 古くから稲作に従事してきた我が国民の基盤的生活の特色を典型的に示す農耕儀礼の事例として極めて重要なものである。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)

■上記の引用で、私が注目したいのは、太字で強調した部分です。文化庁の解説では「目には見えない田の神があたかも眼前にいますがごとく」と書かれています。しかし、「いますがごとく」ではなく、本来は、実際に田の神がいらっしゃることをリアルに感じとろうとしてこられたのではないかと想像します。田の神は、何も語りませんが、聞こえない田の神の声を聞き取ろうとする心持ちが必要なのだと思うのです。以下のページをご覧いただければよいのですが、儀礼の最中は、田の神への様々な配慮が必要になります。目には見えない存在を感じとろうと感覚を研ぎすましていくことが、神とのコミュニケーションには必要なのです。
「アエノコト」「西野神社社務日誌」


■12月17日の深夜0時から、奈良の春日大社の摂社である若宮神社の「おん祭」が始まります。この「おん祭」の最初の儀礼である「遷幸の儀」に関して、春日大社の公式サイトでは、次のように解説しています。

若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと深夜お遷しする行事であり、古来より神秘とされている。現在も参道は皆灯火を滅して謹慎し、参列する者も写真はもちろん、懐中電灯を点すことすら許されない。これらはすべて浄闇の中で執り行われることとなっている。神霊をお遷しするには、当祭においては大変古式の作法が伝えられ、榊の枝を以て神霊を十重二十重にお囲みして、お遷しするという他に例を見ないものである。全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発する。又、楽人たちが道楽(みちがく)の慶雲楽(きょううんらく)を奏で、お供をする。

■動画では、1分15秒あたりからご覧いただけますでしょうか。上の解説にあるように、この「遷幸の儀」、「浄闇の中で執り行われ」ています。春日大社の神主の皆さんの「おーおー」という警蹕(けいしつ)の声しか聞こえてきません。古式の作法といいますが、暗闇であるがゆえに感覚が研ぎすまされ、神の存在を感じとることになります。

■私は、ずいぶん長いあいだ奈良に暮らしていますが、この若宮の「おん祭」の「遷幸の儀」という儀礼を一度も拝見したことがありません。あっ…拝見とかきましたが、これは正しくありませんね。神の存在を感じとる、感覚を研ぎすませる…ですから。今年は、ぜひ参列させていただこうと思います。

琵琶湖の固有種、ビワマス

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(桑原雅之氏撮影)
■facebookを見ていて、以前勤務していた滋賀県立琵琶湖博物館の桑原雅之さんの写真に、目が釘付けになりました。桑原さんにお許しをいただき、その写真を掲載させていただきました。魚が写っています。ご自身で釣られたビワマスです。トリミングしたので3匹しか映っていませんが、本当は全部で5匹写っていました。facebookには、「40cmくらい以下は全部放流し,55cmを頭に5匹キープ」と書かれていました。写真の一番上のやつが、55cmだと思います。大量ですね。

■ビワマスは、その形からもわかるように、サケ科の淡水魚です。日本の琵琶湖にしかいない固有種でもあります。秋になると、琵琶湖の北湖の周りの河川を遡上し産卵します。サケ科ですから、自分が生まれた河川を遡上し産卵するのです。次の時の春に孵化した稚魚は河川を下り、琵琶湖の沖合の深くて水温の低い場所まで移動します。そこで、2〜5年かけて大きく成長するのだそうです。まあ、このようなビワマスの生活史は横においておきましょう。私が桑原さんの写真に釘付けになったのは、このビワマスが大変美味しいからです。とくに、これからの季節は、刺身が絶品なのです。

■このビワマスに関して、生態学者の川那辺浩哉さんが、『知っていますかこの湖を びわ湖を語る50章』という本のなかで、次のようなことを書いておられます。画家であり俳人でもあった与謝蕪村が、「瀬田降りて志賀の夕日やあめのうお」という句を残しているのだそうです。「あめのうお」とはビワマスのことです。この句について、川那辺さんは次のように解説されています。「瀬田は夕映えではなくて雨だとして俳を効かせ、天智帝の都ですぐに荒れてしまった志賀里に夕日がきれいに見えているとして、産卵期のビワマスの背が黒く、体側が虹色の姿に対比したわけだ」。なるほど。ビワマスも含めてサケ科の魚たちは、産卵期が近づくと「婚姻色」=虹色になるのです。

■川那辺さんは、蕪村の句について以上のように説明したあと。次のように解説されています。

「この句をどこで吐いたのか。瀬田と比叡山麓が見えるのだから、南湖東岸であることは確かだ。また膳の上のものではなく、「今や漁師が網からとり上げたところ」に違いない。しかし今、漁獲されるのは湖北のみである。だが野洲川はそもそもビワマスの名産地で、御上神社や兵主神社には秋にこの魚が捧げられる。びわ湖の水質が格段に回復し、蕪村さんの句のとおり、南湖でその風景を賞でながらビワマスを食べられるように、これまたすべきなのではあるまいか」。

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