仰木の畑でキャベツとケールを植えました。

20241225ohgi1.jpg▪️今日の午前中は、仰木の畑で農作業に取り組みました。例の耕作放棄地で有機農業に取り組むプロジェクトの農作業です。12月11日の投稿にも書きましたが、もうじき、理事長を務めている特定非営利活動法人「琵琶故知新」からも理事を出して「(仮称)仰木地区地域共生協議会準備委員会」が立ち上げられる予定です。ただ、すでに耕作放棄地の草刈りをして、畑を復活させ、野菜の種や苗を植えて野菜作りを始めています。

▪️前回は、12月11日でしたから、今回はあまり間を置かずに作業が行われました。今日の作業では、新しく苗を植える作業を行いました。新しい畝にマルチシートを貼り、そこに苗を植えるための穴を、専用の器具で開けていきました。植えた苗は、キャペツとケールの苗です。両方とも、種子から育ててきたた苗です。苗を植えた後は、ひとつひとつにジョウロで水をやり、土の保湿効果を高めるために籾殻を蒔きました。

▪️ところで、畑なんですが、元々が水田ですので雨が降るとぬかるんでしまいます。長靴の裏側のスリップ止めの溝にびっちり粘土が入って、どんどん長靴が重くなります。仰木には車でやって来ているのですが、運転時にはスニーカーに履き替えて、長靴は紙を敷いた上に横倒しに置いて、車を汚さないように運転して帰りました。何か、農作業向きの長靴ないですかね。ということで調べてみると、ありますね。滑り止めはついてはいるけれど、今の長靴のように深い溝はないようです。これいいですね。問題は、大きな私の足のサイズに合うものがあるかどうかですね。

▪️今日はとても良い天気でした。風もなく、暖かい中で農作業に取り組めました。これが昨日であると、滋賀県の冬らしい時雨た天気でした。晴れたり、冷たい雨が降ったりしていました。滋賀県の方言では、そういう天気のことを「しまける」といいます。もう年齢が高い方しか使わないとは思いますが、昨日「しまけた」天気だったのです。農作業をしながら、「今日で良かったね〜。昨日だったら、鼻水が垂れてきて大変だったよ」と笑いながらおしゃべりをしていました。次回の農作業は、1月になります。

▪️今日は、有機栽培で育てた立派な白菜をお土産にいただいて帰宅しました。前回の農作業の時には、カブの間引き菜と有機栽培で育てたシュンギクをお土産にいただいて帰宅しました。帰宅後、カブの間引き菜のお浸しをいただきましたが、すごく柔らかくて美味しかったです。味もまろやか。シュンギクは、スーパーで買うものとは違って、強い香りがありました。その香りが鼻から抜けていくことがわかりました。
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タネカラプロジェクト

▪️昨年の6月に、「社会学入門演習」の学生の皆さんと一緒に訪問した滋賀県高島市朽木生杉で取り組まれている「タネカラプロジェクト」さんのFacebookへの投稿を拝見しました。雪の中で獣害のことを心配されていることからよく理解できました。

▪️こちらは「タネカラプロジェクト」さんの公式サイトです。ぜひ、お読みください。このサイトの中で、プロジェクトの理念や活動を以下のように説明されています。「うわべだけのSDGsは要らない。」、厳しいタイトルです。

―うわべだけのSDGsは要らない。本当に意味のあるSDGsを形にするために―

びわ湖源流域に広がる成熟段階の森林でも、里に近い落葉広葉樹二次林でも、後継樹が少ない、下層植生がほとんどない(あっても種数が極めて限定的)といった風景がごく当たり前に見られるようになってきた。
成熟した木々が旺盛に枝葉を広げる。その下に次世代を担う稚樹がなくても、季節の移ろいとともに緑が生い茂り、種々の木の実がなり、生き物たちが集って我々の目を楽しませてくれるので、一見豊かな自然がいつまでも在り続けるように錯覚する。
このような地域の森の未来に危機感を抱く人はごくわずかで、大多数の無関心にカモフラージュされながら、森の多様性の崩壊は水面下でじわりじわりと進んでいる。
二ホンジカの食害によって森の天然更新が阻まれていることが主な原因であるが、今もなお有効な手立ては見つかっていない。
他にも、奥山の広葉樹林においては、生態系への配慮に欠ける無秩序な伐採が後を絶たず、施業後そのまま放置され、貧弱な植物相の地と化している。
また、針葉樹の人工林についても、風雪害により荒れ果てた林や主伐後の土地に適切な対策が講じられず、行き場を失っている。
そこで、”森作り”の循環サイクルの中で最も滞っているスタート段階に焦点をあて、自生種の種子採集と地域性苗木の育苗、そして山への植樹を手がける。
地域の森林は、地域のタネと地域のヒトの力で再生する。
樹木の発芽と定着のメカニズムを探る中で、私たちは木々の精緻を極めた生の仕組みに心打たれるだろう。
タネから始まる命の循環、タネから関わる森作り。
その楽しみをできるだけ多くの仲間と共有し、次世代へ発信したい。
未来に向けた、実に息長いプロジェクトである。

▪️以下が、昨日拝見したFacebookへの投稿です。

豊かな暮らし

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▪️理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」では、大津市の仰木で耕作放棄地を農地に復活させ、農家と近隣の地域住民とが協働して有機野菜の栽培に挑戦するプロジェクトに取り組んでいます。一昨日の午前中は農作業の日でした。作業のひとつは、カブを間引くことです。これは小蕪ですが、密集しているとカブの根である、あの白いところが大きくならないのだそうです。ということで間引くのですが、間引いた間引菜はお土産としていただきました。

▪️今日の昼食は、この間引菜をお浸しにして、そして味噌汁も作りました。茹で上がった間引菜、何も味付けをせずにそのまま食べましたが、柔らかくて、優しい味がしっかりあって、とても美味しかったです。「豊かな暮らし」って、こういうことなんだなと思います。この間引菜以外に、シュンギクもいただきました。晩は湯豆腐にして、シュンギクをいただこうと思います。

仰木の畑で冬の準備

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▪️今日の午前中は、仰木の畑で農作業に取り組みました。例の耕作放棄地で有機農業に取り組むプロジェクトの農作業です。もうじき、理事長を務めている特定非営利活動法人「琵琶故知新」からも理事を出して「(仮称)仰木地区地域共生協議会準備委員会」が立ち上げられる予定です。ただ、このfacebookで何度も投稿していますように、すでに耕作放棄地の草刈りをして、畑を復活させ、野菜の種や苗を植えて野菜作りを始めています。今のところ月1回ですが農作業に取り組んでいます。とはいっても、まだお手伝い程度ですね。あとは農家の皆さんが、丁寧に農作業をしてくださっています。

▪️今日は、葉っぱが伸びてきた小カブと大カブ(聖護院大根)の間引き、ホウレンソウの種まき、それから寒さから守るためにシートで覆うこと、この3つの農作業を行いました。今日は夕方から雨らしいですが、午前中はとても天気がよく気持ちよく作業ができました。前回は、タマネギの苗を植えたのですが、鹿が引っこ抜いているところがありました。今は、電柵で囲っているので、これからは鹿の害も大丈夫かなと思います。

▪️今日の農作業には、農家以外では3人の方が参加されました(私は3人のうちの1人)。帰りには、今日間引いたカブの葉、春菊、赤カブをお土産にいただきました。有機栽培で作られた新鮮野菜、とっても嬉しいです。仰木から眺めた比良山系、雪で山頂が少し白くなっていました。これから本格的な冬がやってきますね。夕方からは、深草キャンパスへ。今日は、学長選挙が行われます。

「水俣・京都展」関連記事

20241209minamatakyototen.jpg▪️京都の「みやこめっせ」で「水俣・京都展」が開催されています。このことにあわせて、小学校時代のクラスメイトで新聞記者の林田英明さんが「希望を見つけに「水俣・京都展」へ~実川悠太さん講演」という記事を書いておられます。林田さんというと、何か居心地が悪いので林田くんと書かせてください。林田くんご本人から「拡散」してほしいとのお知らせをいただいたので、皆様にもお読みいただければと思います。記事の内容は、実川悠太さんの講演会を取材したものです。

▪️実川さんは、NPO法人「水俣フォーラム」理事長をお務めになっています。ご講演の中のジェンダーと公害や環境問題に関わる部分には、良い刺激をいただきました。また、このご講演と関連して、林田さんが紹介されている『SDGsの先駆者 9人の女性とごみ環境』のことも気になりました。読んでみようと思います。林田君の記事、最後の部分です。

実川さんの言葉の端々に、便利さの裏側にあるものも見ようという姿勢が伝わる。「私たちは、遠い加害者でもあり、遠い被害者でもある。そんな暮らしを享受してきたけれど、これは何万年も続かない。さてどうしますか?」と直球で投げかける。水俣病は過去の話ではない。差別や嫌がらせは今もある。水俣病の実相を伝える水俣展はこれまでに26回開催しているが、来月の京都開催は初めてとなる。実川さんは「いかに悲惨かを知ってもらうためではない。こういう人たちがいると知ってもらいたい」と言う。「こういう人たち」は患者だけでなく、水俣病に生き方を迫られ行動してきた多様な人たちも指すに違いない。最後に実川さんはこう語った。「深い絶望があるところに、深い希望がある」。希望を見つけに、京都を訪れてみたい。

日野町特産「日野菜」使った米焼酎

▪️昨日の朝、長浜市にお住まいの松井賢一さんが、日野菜の香りや味わいのある米焼酎が誕生したことを伝えてくださいました。滋賀県日野町で生産されている日野菜は、「近江日野産日野菜」として地理的表示(GI)保護制度の認証を受けています。松井さんは、滋賀県庁に勤務されていた時に、この認証にかかわってご尽力いただいたとお聞きしています。

▪️今回の焼酎、二股になったり曲がったりして廃棄されることもある規格外の日野菜を、草津市の太田酒造さんが有効活用して米焼酎として商品化されました。こちらの記事によると、「米のもろみを作ったあと、日野菜を根も葉もまるごと加えて2次もろみを作り、その後、蒸留して2週間熟成させ」るのだそうです。「日野菜らしい香りや辛みがある味」とのこと、味わってみたいですね。販売されるところですが、日野町にあるJAの日野営農振興センター、近江八幡市にあるJAの直売所「きてか〜な」なんだそうです。湖西に暮らすわたしからは少し離れたところになります。一般の酒店でも購入できたらいいのですが…。

散髪と畑

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▪️昨日は、近所のいつもの散髪屋さんで、かなり短くしてもらいました。どの髪の毛も1cmないですね。頭のサイドなどは数ミリ。坊主よりは少しだけ長いですが、漫才師のミルクボーイの内海さんのような角刈りでもなし(髪の量が足らないのでそもそもできない)、理髪店のご主人に上手に刈ってもらいました(…のつもり)。

▪️散髪が終わってそのまま帰宅してもよかったのですが、車で来ていたので、「そうだ仰木いこう!!」という気持ちがむくむくと湧いてきて、この前、農作業に参加させてもらったJAS有機の圃場に車で見学に行ってきました。ここはもともと耕作放棄地で草がぼうぼうに生えていたのですが、私も参加して農家の皆さんと一緒に草刈りをして農地に戻しました。このように畝を立てて立派な畑にしてくださったのはもちろん農家の皆さんです。マルチシートが張ってある畝がありますが、私が玉ねぎの苗を植える作業をお手伝いさせていただいた所です。一応、きちんと根付いているように思うのですが、鹿が侵入するのを防ぐために電気柵をしているので眺めるだけにしました。

▪️2回目の農作業は先月の末だったのですが、悪天候で順延となりました。次回は、12月11日に行われます。もちろん、参加します。この耕作放棄地を農地に戻し、隣接する地域の新興住宅地の皆さんと農家が力を合わせて、JAS有機に取り組む事業、理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」が支援させていただいている事業でもあります。私は理事長としてよりも、どちらかといえば新興住宅地の住民として参加していくつもりでいます。定年退職後のプラン、いろいろありますが、ここで野菜を育てることもそのひとつになります。

▪️車での帰宅時、狭い農道を運転するのが慣れないものでちょっと怖かったな。まだ、新車なので大切に乗らないと…。もう人生で車を買い換えるのもこれが最後かなという思いもあり、いわゆる排気量1000ccのリッタカーにしました。リッターカーで良かったよと思う道でした。まあ、私の運転の技量もありますけど。

【関連投稿】
イベント「耕作放棄地で有機農業しませんか?」
「農業体験プレイベント」
仰木の耕作放棄地が、美しい畑になりました。
仰木の野菜畑で農作業

kikito感謝会

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20241201kikito3.jpg▪️一般社団法人「kikito」さんが、今年の春に「令和6年度緑化推進運動功労賞 内閣総理大臣表彰」を受賞されました。その受賞を「kikito」さんが関係者のみなさんに感謝する「感謝祭」が琵琶湖ホテルで開催されました。約80名の方達がお祝いにお越しになりました。「kikito」さんの活動が、多くの皆さんとのつながりの中で、少しずつ成長発展してきたことを実感しました。

▪️「kikito」さんは、森林から生産される木材と地域社会とをつなぐために、様々な業種の皆さんが連携することで「地域材循環システム」を構築されてきました。そして、間伐材の買取事業、間伐材を活用した商品開発などを行なってこられました。今回の総理大臣賞の受賞の背景には、そのような着実に積み上げてこられた活動実績が存在しています。

▪️私が、一番最初に「kikito」さんと関わったのは、ちょっと昔のことになります。2014年頃でしょうか。公益財団法人平和堂財団 「環境保全活動助成事業夏原グラント」の選考委員に就任してすぐだったと思いますが、「kikito」さんに助成することを決定した時が最初ではないかと思います。その後は、知り合いの韓国の大学の教員や学生さんに「kikito」さんのことを紹介させていただいたこともあります。韓国の研究者の皆さんは、その後も、何度か「kikito」を訪問されているのではないかと思います。ところで、今日の感謝会の受付に、うちの副学長である深尾昌峰さんが立っておられました。一般社団法人「kikito」の監事をされているそうです。深尾さん以外にも、いろいろ知り合いの方にお会いすることができました。

生物多様性

▪️生物多様性に関する知り合いの研究者の皆さんのSNSへの投稿やネットニュースを読みました。おひとりは、滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員をされている大塚泰介さん。NHKで放映された「プロフェッショナル仕事の流儀 一粒青々、己を込める 〜米農家 関智晴〜」を視聴して、その感想をfacebookに投稿されていました。以下が投稿です。公開されているので、シェアさせていただきます。

▪️番組の概要ですが、以下の通り。

幻の米がある。世界一を6度受賞し、通常の3倍以上の値をつけながら、その味を求め世界中から客が訪れる。生み出したのは関智晴(39)、かつてプロスノーボーダーとして活躍した異色の経歴を持つ。農家の長男に生まれながら農業に背を向け続けた過去。「いちばんやりたくない職業が農業だった」と語る男が、今農業にかける理由。米不足や温暖化、取り巻く状況が激変する中で「農業こそ最強」と言い切る農家の、青き革命。

▪️大塚さんが注目されたのは、「米の味を追求して有機栽培に舵を切り、その末においしい米がとれる田んぼが多様な生き物を育むことを発見した」という点です。番組の中で関さんは、ビジネスとして自分の商品=米の質を徹底して追求されてきました。有機農業や食の安心安全は、関さんにとって「目的」ではなく、美味い米を作るための「手段」であり、「生物多様性」もその結果だったということのようです。私はまだ番組を拝見していませんが、ぜひ拝見してみたいと思います。こちらは、ディレクターが書いた記事「ディレクターノート」NHKプラスで12月4日まで配信されています

▪️もうひとりは、滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの佐藤祐一さんです。佐藤さんが地域の住民の皆さんと取り組んでこられたビワマスが俎上・散乱する川づくりの話がYahoo!ニュースになっていました。「ビワマスが帰ってきた! 手づくり魚道が生む『問い』と『対話』。地域が創る『小さな自然再生』の現場」という記事です。執筆しているのは、水ジャーナリストでアクアスフィア・水教育研究所代表の橋本淳司さんです。佐藤さんは、facbookの中で、これまでの一連の活動を記事にしてくださるジャーナリストはいないのかなと書いておられましたので、ちょうど良いタイミングだったと思います。

▪️記事の中では、家棟川(やなむねがわ)にビワマスが俎上できる魚道を地域住民と一緒に作っていく活動がどのように展開してきたのかを解説されています。以下は、記事からの引用です。

60年ほど前、ビワマスは産卵のために家棟川から中ノ池川を通り、JR野洲駅近くの祗王井川まで遡上していた。しかし、中ノ池川に2.9メートルの落差工ができた。落差工には、川底を階段状にすることで洪水のエネルギーを集中させ、エネルギーを減らす役割がある。だが、ビワマスが遡上するには大きな壁となった。

▪️この落差工については、このブログの中でも触れています。2014年12月16日の「ビワマス」という投稿です。こちらも併せてお読みいただければと思います。この家棟川で、2016年、落差工に魚道を設置する試みが始まります。最初、鉄パイプと板で簡易な魚道をつくられました。しかし、最初からビワマスが俎上できたわけではありません。いろんな工夫を積み重ね、2018年に初めてビワマスが俎上してくれるようになりました。

プロジェクトの大きな特徴は、多様な主体が協働し、「小さな自然再生」の手法を活用している点である。従来のような大規模な河川工事ではなく、地域住民や地元企業、行政、研究者が一体となり、小規模な改善を積み重ねることで、川と自然を少しずつ甦らせるアプローチだ。

手仕事であるがゆえに問いが生まれ、さまざまな試みが生まれる。すぐに結果を生むわけではないが、問いをもち、立ち止まり、思うようにならない自然と対話することで、ここにしかない魚道がつくられていく。そして、そこには何より人々の喜び、楽しみがある。

▪️この引用部分、とても大切なことですよね。ビワマスや河川と人びととのつながりビワマスや河川を媒介とした人と人のつながり、この2つのつながりがうまく連動していることが記事からわかります。そしてとうとう、2024年3月には、滋賀県が常設の魚道を整備したのです。行政任せではなく、2つのつながりと、地域の河川を地域の責任で豊にしていくプロセスがあったからこそ、このような魚道の整備につながったのだと思います。記事には、「ビワマスの姿が地域の誇りとなり、住民と川を繋ぐ新たな絆が生まれていることを感じる」とありますが、これ前述の2つのつながりがうまく連動しているということと重なっていると思います。

▪️記事では、この家棟川での取り組みが、愛知川の支流・渋川で、そして大浦川にも広がっていることについても説明されていました。渋川では砂防堰堤が、大浦川ではラバー堰がビワマスの俎上を邪魔していました。それを、専門家や行政だけでなく、地域の皆さんも参加し試行錯誤しながら魚道を設置されていました。ぜひ、記事をお読みいただければと思います。以下は、この記事の最後の部分です。

手仕事で進められるこのプロジェクトでは、問いが生まれ、試行錯誤を繰り返す中で、新たな発見や工夫が積み重ねられていく。すぐに結果が出るわけではないが、自然と向き合い、対話しながら進むプロセスそのものが「小さな自然再生」の本質なのではないか。

そして、こうした活動がもたらすものは、ビワマスの姿だけではない。川を甦らせることで生まれる、人々の喜び、楽しみ、協力なども大きな成果と言えるだろう。ビワマスが魚道を登る姿を見て涙したり、「がんばれ」と手を握りしめたりする瞬間、地域と自然が繋がっていることを実感する。その喜びが、新たな挑戦の輪を広げる原動力となり、未来へとつながっていく。

移住する若者

20241126iiiju1.jpg ▪️大好きな番組があります。NHKの「いいいじゅー!!」です。毎回録画して楽しんでいます。今日、観た録画は、鹿児島県の沖永良部島に移住した青年の話でした。この番組です。青年の名前は、波多野雅也さん。静岡県出身です。高校卒業後は関西の専門学校で学びます。その時に沖永良部民謡と出逢います。そこで仕事をしながら民謡の修行を積んでこられました。そこでふと思うわけです。沖永良部民謡をやっていて、住んだことがないってのは…どうなん?…って。そして、とうとう沖永良部島に移住されました。

▪️沖永良部島の若い世代の中では、方言も途絶えたようです。みんな表準備を話します。祖父母の話がよくわからないようです。そのような方言は祖父母の世代の会話か、民謡の中にしか残っていないのです。そのようなこともあり、移住後、離島専門の引越し会社に勤務しながら、すぐに民謡教室を開いて、島の人に沖永良部民謡を教え始めます。そのあたりのことは、この記事にも詳しく書かれています。記事の中で、以下のように語っておられます。キーワードは「中継ぎ」。素敵です。

「沖永良部民謡は本来はえらぶの人がやるもの」「なので僕は中継ぎになるつもり」と話す波多野さん。最後に、これを読む、とくにえらぶの人に対して言いたいことがあれば教えてほしいと尋ねると、このように話してくれました。

「えらぶって、奄美と沖縄の間にあって、民謡だったり方言だったりとめちゃくちゃいい文化がたくさんある。そうした文化に対して、島の子どもたちや若い世代の人が目を向けてほしいなと思うし、彼らが興味を持つよう僕自身も頑張りたいと思います。」

▪️この「いいいじゅー!!」に登場する皆さん、自分だけの生活や人生の満足ではなく、どこかに自分の使命を感じて、そして損得からではなくその前に身体が動いてしまっているような方が多いように思います。というか、そういう人が移住するのだろうし、番組の取材対象になるのでしょうね。

20241126iiiju2.jpg ▪️今日は、連続して「いいいじゅー!!」の番組の録画をみました。次は、都内の大手鉄道会社(地下鉄)から、千葉県いすみ市地域おこし協力隊として「いすみ鉄道」の活性化に取り組んだ後、経営ピンチの「い鉄」に再就職して運転士になった玉尾和也さんです。この番組です

▪️でも、ローカル鉄道は、運転以外にも1人で何役もこなさなければなりません。沿線の魅力を伝えるイベントを開催するために、頑張っておられました。イベントの添乗員も。「いすみ鉄道」の公式SNSも管理されているとのこと。ということで、私もフォローさせていただきました。沿線の人口は減ってきているようですが、イベントにやって来た子どもたちの「い鉄」愛・沿線愛・地域愛を醸成できたらということなのかな。素敵な青年ですね。それにしても、キハ、人気ありますね〜。

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