感謝25,000アクセス!!

■2月5日に、アクセスカウンターが「20,000」を超えました。それから約3ヶ月、5月5日に「25,000」を超えました。ありがとうございます。1万に到達するのに、約11ヶ月かかりました。その次、10,000アクセスから20,000アクセスまで7ヶ月と7日かかりました。今回は、5,000増えるのに3ヶ月。予想では、30,000アクセスまで6ヶ月程度になるのではないかと思います。おらくは、8月上旬になります。少しずつ、アクセス数が増えています。つまらない身辺雑記ですが、これからもよろしくお願い申し上げます。

感謝20,000アクセス!!

京都新聞に純米吟醸「北船路」

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龍大生が地酒プロデュース 地域の味もPR

■京都新聞に、ゼミで行っている「北船路米づくり研究会」がプロデュースした純米吟醸「北船路」の記事が掲載されました。ぜひ、お読みください。

「篠崎バイオリン教室」のこと

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■連休中、通いで母親の介護をしています。母の家でみつけた、私の子どもの頃のアルバムのなかにこういう写真がありました。

■子供の頃、私はバイオリンを習わされていました。もちろん、私が「習わせて!!」といったわけではなく、強制です。「ピアノかバイオリンか、どっちをするか」と5歳のときに母親に迫られました。「やらない」という選択はありませでした。昭和一桁生まれの両親は、若い頃は戦争でできなかったことが多かったようです。いわゆる「文化的な事柄」に対するあこがれがありました。そもそも、いわゆる「文化資本」のない家ですから、「子どもには、何か身につけさせたい」というパターンだったんだろうと思います。本当は、ボーイスカウトのような活動をしたかったのですが、これについては、即、否決されました。

■この写真は、通っていた、「篠崎バイオリン教室」の「おさらい会」の写真です。当時、暮らしていた、北九州市小倉区(現在の小倉北区)に教室はありました。写真の「おさらい会」ですが、小倉のヤマハだったように記憶している。角のほうに「於:日本楽器国小倉店8階ホール」って書いてありますね。まず、一人一人、自分が取り組んできた曲の演奏を終えたあと、全員で合同演奏しているときの写真です。何を弾いているのかは、もう記憶にありません。

■右端に立っている男の子が私です。前の列には、先生の息子さんである篠崎史紀さんが弾いています。まだ幼稚園じゃないかと思います。当時は、「ふみちゃん」と呼ばれていました。年齢が離れているので、話しをすることはあまりありませんでした。現在、ふみちゃんは、N響のコンサートマスター。「まろ」というニックネームでファンの皆さんから呼ばれています。なんといいますか、迫力のある風貌をされていますが、小さい時は、こんなに可愛らしかったんです(まあ、あたりまえですね)。しかし、将来は大物のバイオリニストになると、みんな思っていたのではないでしょうか。子どもながらも、立派な演奏をされていました。ふみちゃんの他にも、篠崎バイオリン教室からは、すぐれた演奏家が排出されているようです。バイオリンが好きでなかった(当時…)私は、この教室の劣等生でした…。いつも先生に叱られていました。ところで、私の記憶では、彼はいつもマッシュルームカットでした。お母さんが自ら鋏をでカットされていたような記憶があります。

■篠崎永育先生がどうされているのか、調べてみました。喜寿でお元気のようですね。
篠崎ヴァイオリンスクール 九州交響楽団 合同演奏会

【追記】■写真の右隅をみると、昭和44年5月5日とあります。1969年ですね。そのとき、私は博多に住んでいました。篠崎先生は、小倉と博多で教室を開いておられました。博多の教室が開かれたのは、市内の東のほうにある公団住宅の集会所だったように記憶しています。ちなみに、私の向かって左側の方は、現在、九州で活躍されているバイオリニストです。北九州交響楽団のコンサートミストレスをされていたようです。

脇田・わきた・wakita

■新しいカテゴリーを増やしました。自分史や脇田(わきた・wakita)という名前に関する記事のカテゴリーです。自分史について、書き留めておきたい…と思うことが、すでに年をとったという証拠のようなものですね。

父の残したもの

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■年老いた母を介護する必要があり、連休は母の家に通っています(介護保険のヘルパーさんは連休明けの7日から)。連休ということもあり、いつもとは違って、ゆっくり母の世話をしています。介護の合間に、5年前に亡くなった父の書斎にいってみました。じつは、連休のあいだも大学の事務仕事があり、集中したかったのです。ところがです、集中できません。いろいろ懐かしいものが目にはいってくるからです。そういうものを手にとって眺めていると、記憶にないアルバムをみつけました。写真は一切張ってありません。写真ではなく、何処かに行った時の電車の切符や美術館や展覧会の入場券、家族旅行で宿泊したホテルの領収とか…、まあ普通であれぱ捨ててしまうよなうものが、大切にアルバムに張ってありました。実のところ、父が大切に思っていたかどうか…はっきりしません。たまたま、溜まっていたそれらのものをアルバムに整理しただけ…のようにも思います。単なる、物好き…なのかもしれません。ちなみに、ガラクタの類いばかりで、いわゆる「お宝探偵団」に出品できるようなものは、一切ありません。

■そのようなアルバムの中に、父の通勤定期がありました。トップの写真です。当時は、神戸市北区の山の街に住んでいました。そのため父の通勤提起には、神戸電鉄「山の街駅」発行に書かれています。父が働いていた会社は、阪神「元町駅」にありました。ですから「元町駅」から、自宅の最寄りの駅である「山の街駅」のひとつ隣の駅である「箕谷駅」までになっています。発行日は、昭和49年8月28日です。3ヶ月14,040円。父の年齢は、47歳です。この父の年齢の数字を見たとき、心になに少しズンと響くものがありました。とうの昔にこの頃の父親の年齢を超えています。この頃私は16歳。高校1年生で、神戸市長田区にある兵庫県立兵庫高校に通学していました。

■昭和49年=1974年8月って、どんな年だったのか…。wikipediaには、次のように書かれていました。前年が「オイル・ショック」の年、1973年でしたね。「ウォーターゲート事件」と「朴大統領狙撃事件」と「ベルサイユのバラ」は、同じ年の同じ月だったんですね。改めてみると、「へ〜〜!!」と思わずいってしまいます。

8月8日 - ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任。フォード副大統領が大統領に昇格。
8月12日 - ダイハツ工業が同社初のSUV「タフト」を発売。
8月15日 - ソウルで朴大統領狙撃事件(文世光事件)。
8月15日 - 津川雅彦長女誘拐事件(翌8月16日に誘拐犯が逮捕され、人質は保護された)。
8月19日 - 国連人口会議
8月19日 - 第56回全国高校野球選手権大会は千葉・銚子商業高校が大会初優勝。
8月28日 - 神奈川県平塚市でピアノ騒音殺人事件が起きる。
8月29日 - 『ベルサイユのばら』が宝塚大劇場で初演を迎える(大ヒットになり、以後宝塚歌劇団の代表作の一つに)。
8月30日 - 東京都千代田区丸の内の三菱重工業本社で時限爆弾爆発(三菱重工爆破事件)。
8月末 - 熊本県の阿蘇山で1965年以来9年ぶりの噴火。

■アルバムには、こんな切符もありました。次の2枚の写真をご覧ください。阪神電鉄の国道線と北大阪線廃止記念の切符です。阪神の野田駅で昭和50年5月6日に購入したようですね。廃止の日かな…。元々、船舶関係のエンジニアだった父親が、何故、廃止になる電車に関心を持ったのか、そのあたりのことよくわかりません?たまたま…好奇心が湧いてなのかな?消えゆくものたちへの感傷的な気持ちからか。まあ、いわゆる「鉄ちゃん」ではなかったと思いますが、もし父が健在であれば、聞いてみたいところです。ところで、学生の皆さんはご存知ないでしょうね。かつて、大阪から甲子園まで阪神の路面電車が走っていたのです。電車は「キンギョバチ」と呼ばれていました。四角い金魚鉢をひっくり返したような形をしていたからです。

【追記】■父の名前ですが、恵人と書いて「めぐんど」と読みます。相当、変わった名前です。

長谷川義史さんの「絵本原画展」

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■長谷川義史さんは、イラストレーター・絵本作家です。私は、長谷川さんの絵本が大好きなんです。ということで、お知らせ。JR京都駅の伊勢丹で、「ようおこし」という長谷川さんの絵本原画展が開催されるようです。伊勢丹は、通勤の途中にあります。ぜひとも、今回はいってみたい!!

今日の「町家キャンパス龍龍」

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■今日は、朝4時に起床しました(昨晩は、22時に就寝しました)。そして、すぐにパソコンを立ち上げ大学院関連の書類チェックをやり、6時半に自宅を出ました。大学には8時過ぎに到着。引き続き書類チェックの続きをやりました。9時に教務課にその書類を提出。ちょっと一安心と思っていたら、教務課にいた「大津エンパワねっと」担当職員のNさんが、「せんせー、今日は、町家キャンパス龍龍にいるはずでは…」というのです。「あっ…しまった」です。今日は、午前10時から「町家キャンパス龍龍」で、「大津エンパワねっと」の学生チーム「こけし」の2人の学生が自分たちの活動について、地域の方から助言をいただくことになっていました。大学院の仕事と「大津エンパワねっと」の仕事、仕事的には別系統なので、うっかりしていました。もっとも、仕事とはいっても、「町家キャンパス龍龍」の鍵の開け閉めするだけなんですが、鍵は教職員でないと扱えないことになっているのです。

■気がついたのがまだ早かったので、バスとjRで、9時50分には「町家キャンパス龍龍」には到着することができました。写真は、中央学区自治連合会会長の安孫子さんに、いろいろ相談に乗ってもらいるところです。近年、大津の中心市街地ではたくさんのマンションが建設されています。たくさんの方たちが大津の街中に転入されてきています。チーム「こけし」の学生たちは、そのような「新住民」の皆さんに、大津にある素敵な事柄をもっと知ってもらいたい・体験してもらいたい、大津の街を自分の街として好きになってもらいたい…そのような想いから、活動をしています。まずは、中心市街地にある素敵な老舗の商店について知っていただこうと、先輩たちがやってきた「まちづくりカフェ」を応用したイベントの企画を練っているところです。

■今日は、どうやって「新住民」の皆さんに広報・告知していくのか…ということに関し、安孫子会長から様々なアドバイスをいただくことができました。そして、「君たちは、『今日は3件契約をとってこい』なんてノルマのある厳しい営業活動をやっているわかけないんやから、もっと気楽に、だめもとでええから、どんどん地域の皆さんのところにお願いや相談に行きなさい!!」と励ましの言葉もいただきました。安孫子さん、ありがとうございました!!

■町家の入り口を開け、縁側のガラス戸も開けると、町家のなかにも気持ちよい風がそよいでいました。良い季節になりましたね。

後輩たちと呑む

20140501kg.jpg ■昨日は、午前中の授業と午後からの会議を終えて、晩、大阪梅田にでかけました。大学時代に所属していてた学生オーケストラの後輩たちと呑むことになったからです。場所は、梅田のグランフフロントにある「世界のビール博物館」というお店。参加したのは、年上からいくと、私、不動産鑑定士のYくん、税理士のSuくん、会社員のOくんとSugくん、そしてバイオリン職人のSaくんの6名でした。Sugくんと会うのは、30年ぶりぐらいではないでしょうか。

■Oくんがタブレットに入れてある昔の学生時代の写真や、最近開かれたOB会の写真も見せてくれました。なつかしかったですね〜。みんな元気にしているようです。もちろん、近況もお互いに報告しあいました。大病したことや、仕事のこと、それから私たちの世代ですから親の介護のこと…。辛いこと、楽しいこと、それからおめでたいと話しもありましたね〜。

■しかし、なんといっても学生時代の話しは盛り上がりますね〜。今の大学生だと考えられないような、また耐えられないようなことを、昔はあたりまえのようにやっていたんですね〜。私たちはオーケストラで楽器を演奏していたので文科系のはずなのですが、先輩後輩の関係はちょっと体育会系でもありました。けして昔がよかったとはいいませんが、なんといったらよいのでしょうか、みんな逞しかったんだな…と思います。

■後輩の皆さん、また呑みましょう。

日本野鳥の会のツバメ全国調査

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■昨日、facebookで、日本野鳥の会が実施している「ツバメ全国調査」に関する記事を読みました。この全国調査には、たくさんの会員やサポーターの皆さんが参加されているようです。滋賀県立琵琶湖博物館に勤務している当時は、市民(参加型)調査のひとつである「タンポポ調査」に関して、当時、鹿児島大学に勤務されていた堀田満先生にお話しを伺いにいったこともあります。堀田先生は、一九六〇年代、日本全国で高度経済成長にともなう公害や自然破壊が大きな社会問題になっていた頃、日本タンポポと西洋タンポポを生物指標にした市民調査の指導にあたられました。私自身は、直接的にこのような市民調査に携わったことはないのですが、それぞれの時代の市民調査のあり方に関心をもっています。環境社会学会の編集委員長をしているときには、学会誌『環境社会学研究』vol.13で「市民調査の可能性と課題」という特集・小特集を組みました。そのようなこともあり、この「ツバメ調査」の記事のことが気になったのでした。

■この日本野鳥の会による「ツバメ調査」2012年の調査結果では、ツバメが減少した2大要員として、カラスによる影響と人による巣の撤去があげられていました。カラスは、ツバメの巣を襲い卵やヒナを餌にするようです。また、糞で汚れることを嫌う人がツバメが巣をつくろうとすると棒でつついて巣を落としてしまうのですね。たしかに糞については迷惑と考える人もいるのでしょうが、以前は、ツバメが巣をつくることを歓迎する人が多かったように思います。糞で汚れることはわかっていても、巣の下に新聞紙を敷くなどして糞を始末し、ツバメの親が雛を育て、雛が巣立つのを見守っていた人も多かったと思います。また、ツバメは幸せや豊かさを運んでくる縁起の良い鳥とも考えられていました。そのようなツバメと人間との関係が、ずいぶん希薄化してきているというのです。日本の野鳥の会では、以下のように述べておられます。

人による巣の撤去はもちろん、カラスも人が出すゴミ で増加していると言われており、いずれも私たちの生活 様式の変化や、受け入れる人の心の変化によって、ツバ メの子育てが難しくなっていると思われます。「人と自然 の共存を象徴する野鳥」であるツバメが、いつまでも日 本で子育てを続けられるように、私たちはライフスタイ ルや身近な自然について考える必要があるのではないでしょうか。

■2013年度の調査では、「全体的な傾向と しても都市化が進んだ地域で巣立ちヒナ数が少なく傾向」にあることが判明しています。また、「育て上げることのできるヒナに数が少ない理由としては、ヒナに与えることのできる食べ物の量が不足し ている事が考えられ」るわけですが、都会においては「公園などの緑地の林縁で風にのって昆虫を捉えている姿をよく見かけ」らしく、「小さくても緑地の存在がツバメの子育てを助けていることが見えて」きたようです。

日本野鳥の会のツバメ全国調査

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消えゆくツバメをまもろうキャンペーン

夕闇に包まれる瀬田キャンパス

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■少しずつ日がながくなっていることを実感します。
(2014年4月25日、iPhone5で撮影。)

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