新型コロナ
▪️先月の下旬、とうとうコロナ11波に捕まってしまいました。罹患しました。第5類に分類される以前までは、流行っているコロナウイルスは第何波なのか気にしていましたが、そのうちによくわからなくなっていました。今は、11波らしいですね。マスク、手洗い、手のアルコール消毒…今まで通りに励行してきました。マスクをするようになってから、新型コロナだけでなく、普通の風邪も引かなくなりました。ですので、まさかこの段階で罹患するとはと少々驚きました。
▪️最初は、39.6℃まで熱が上がり、「俺、大丈夫か」という感じだったのですが、翌日には熱が下がり、そして数日後にはほぼ平熱にまで下がりました。自宅近くの発熱外来を受診したのですが、受診した部屋は、部屋というよりも病院の通用口の仮の診察室にしたものでした。その部屋というか通用口に座っていると、看護師さんが感染防止のための「重装備」の格好で現れました。そして、鼻の穴に細い綿棒のようなものを突っ込まれました。その綿棒にウイルスの反応を見るのでしょう。結果はやはり「重装備」の医師から伝えられました。陽性でした。持病のことを伝えてあったのですが、HbA1cも血圧もきちんと抑えられているので大丈夫でしょうということで、解熱剤だけを処方してもらい、薬局で解熱剤を手に入れて帰宅しました。しかし、その解熱剤もほとんど使わずに済みました。「俺、どうなっているねん」という感じです。いったいどこでコロナをもらってきたんでしょうね。謎です…。
▪️先月は、ちょっと熱中症っぽい感じの日もありましたし、困ったものです。今は、たまに痰がらみの咳が出てくることもありますが、だいぶマシになってきました。最初、しばらくは熱が下がっても気怠さが続いていたのですが、今は普通に戻りました。先日、浜大津の旧大津公会堂で開催された「水俣曼荼羅」上映会も、医者の指示通り自宅療養をした上で、なんとか参加することができました。よかったです。8月は体力の増強に努めます。自宅で療養していると、筋肉がどんどん減ってきているような気がします。実際、コロナになって1kg体重が減りました。たった1kgなんですが、食事療法に努めて減量してきていたので、すでにヒョロヒョロのお爺さんになっています。もうこれ以上は痩せたくないのです。困りましたね。血糖値に影響を与えない範囲で、少し体重も増やします。
第61回京都府吹奏楽コンクール
▪️昨日、第61回京都府吹奏楽コンクールが開催されました。龍谷大学吹奏楽部は、昨年度は、関西大会の後全国大会に出場し金賞を受賞していることから、今年度の京都府大会は招待をしていただいたのだと思います。ということで「特別演奏」ということなりました。審査は受けずに関西大会に行くということになります。
昨日、第61回京都府吹奏楽コンクールにてご招待を受け特別演奏枠で「課題曲Ⅲメルヘン」、「エル・カミーノ・レアル」を演奏いたしました。
これから関西大会でより良い演奏ができるようメンバー一同頑張ります✨️ pic.twitter.com/0GWu5arJsH
— 龍谷大学吹奏楽部 (@ryu_windmusic) August 9, 2024
▪️今年の課題曲はⅢ「メルヘン」です。作曲は、酒井格先生。龍谷大学吹奏楽部と酒井先生との関係は大変深く、何度も、酒井先生の作品を演奏してきています。関係者に直接聞いた訳ではありませんが、そのようなこれまでの関係もあり課題曲はⅢ「メルヘン」になったのかと思います。模範演奏がYouTubeにアップされています。
▪️自由曲は、コンクールの決められた演奏時間に合わせて編曲されていると思いますが、元々のオリジナルな演奏は、YouTubeに龍谷大学の吹奏楽部の演奏がアップされています。動画を貼り付けておきます。お楽しみください。
幸呼来Japan (さっこらじゃぱん)
▪️岩手の石頭悦さん(いしがしら・えつさん)から郵便物が届きました。岩手の伝統工芸であり裂き織で作ったコースターです。岩手では綿花が育たないので、綿でできた着物は大変貴重なものだったそうです。そのような着物を裂いて織りなおすのが裂き織と呼ばれる技術です。
▪️石頭さんと知り合ったのは、四半世紀ほど前の頃ではないかと思います。私が岩手県立大学に勤務していたときです。その頃、岩手や盛岡をテーマにした自家製のホームページを立ち上げた皆さんとネット上で、そしてオフ会でも交流していました。そのような方達の中には、バイクに乗って美しい岩手の自然を走り回っておられる方たちもいらっしゃいました(私はバイクに乗れないのですが)。石頭さんは、そのようなバイクに乗る方たちのお1人でした。確か、KAWASAKIのエストレアに乗っておられたように記憶しています。曖昧です。当時は、住宅の設計やリフォームの会社に勤務されていたのではないかと思います。これも曖昧。
▪️その後、私は岩手県立大学から龍谷大学に異動するとになり、石頭さんとはつながりが途切れていたのですが、facebookを通して、再びつながることができました。知らない間に、石頭さんは、社会事業家として活躍されていました。株式会社「幸呼来Japan (さっこらじゃぱん)」という企業を立ち上げておられました。「幸呼来」って、毎年盛岡の街で踊られる「さんさ踊り」の時の「さっこら ちょいわやっせ」という掛け声からだと思います。この「さっこら」は、漢字で書くと「幸呼来」で、幸を呼ぶという意味になります。石頭さんは、岩手の伝統的な織物技術である裂き織を習得された障がい者の皆さんを雇用して、「地域の伝統技術を未来につなぎたい」と、今までになかった「裂き織×ビジネス」に挑戦されているのです。情報量が多いので、簡単にご紹介できないのですが、できれば、以下のサイトを丁寧にご覧いただければと思います。動画もあります。かっこいいサイトです。
株式会社「幸呼来Japan (さっこらじゃぱん)」
▪️「Saccora Share Global」株式会社 」という関連会社も立ち上げられています。こちらのサイトには、以下のような説明がありました。また、海外向けのNHKのニュースでも紹介されたようです。
「Saccora Share Global」株式会社 」
2009年、特別支援学校で生徒の織る裂き織りに出会い、地域で細々と受け継がれる裂き織を知りました。その時、障がいのある方々の力を裂き織を通して発信し、心的バリアのない方々を増やしていきたい。という想いを持ち、2011年「株式会社幸呼来Japan」を設立。2012年障がい福祉サービス事業所の認定を受け、就労継続支援施設となりました。幸呼来Japan自社ブランド「さんさ裂き織り」「SACCORA」の他、企業間連携プロジェクト「さっこらプロジェクト」では、有名アパレルブランドとの数々のコラボが生まれました。
障がいのある方たちも含め全ての人々の活躍の場を作る、裂き織を後世に残す、心的バリアのない地域にする。という私たちの想いは、まだまだ広がります。Saccora Share Global co.,ltd は、世界に向けて障がいのある方たちも含め全ての人々の力を発信し、心豊かに過ごせる社会に貢献します。
▪️今回、私のところに裂織のコースターが送られてきたのは、Saccora Share Global co.,ltdで行ったクラウドファンディングに参加したからです。新しい工房件交流拠点を手作りでを立ち上げるためのクラファンです。古い建物が、クラファンとボランティアの力で、素敵な交流拠点に生まれ変わりました。
新型コロナの感染が拡大し、今回は自分自身もコロナに罹患して、なかなか岩手に行けないわけですが、次に岩手を行くとき、ぜひ石頭さんの会社も訪れてみたいと思います。
「2024夏!しがのふるさと応援隊(農山村版ワーキングホリデー)」
▪️滋賀県では、「2024夏!しがのふるさと応援隊(農山村版ワーキングホリデー)」募集中です。募集している地域ですが、以下の3地域です。
〇長浜市余呉町東野・下余呉【時期】8月26日(月)~9月1日(日)6泊7日【内容】農作業体験、地域交流等
〇米原市柏原【時期】9月3日(火)~9月9日(月)6泊7日【内容】農作業体験、古民家修繕作業等
〇高島市朽木雲洞谷・能家【時期】9月18日(水)~9月24日(火)6泊7日【内容】農作業体験、炭焼き、薪割り等
▪️私の「推し」は高島市朽木雲洞谷(うとだに)・能家(のうげ)。以前、雲洞谷を訪問して、集落に代々お住まいになって来られた地元の方、それから移住されてきた方にお話を伺いました。そのとき、移住者の方からは、「移住者の方達の役割」ということについてお話をうかがっていました。それぞれに今の山村に必要な働き方があるというのです。地元の方たちでは、例えば集落内の団結力は強いけれど、集落を超えるような連携事業のようなことはなかなかできない。それに対して、移住者の方たちは、移住者のネットワークやそれぞれが持っている地域おこしにつながるノウハウ等を活かしながら新しい動きを生み出すことができるし、そのことを地元の方たちから期待されているところもあるというのです。もちろん、地元の方達の了解と応援がなければその新しい動きも実現することはありません。また、その前提として、移住者の方達の地元の方達に対するリスペクトや、相互の信頼関係がなければなりません。
▪️この農村村版ワーキングホリデーも、以前伺ったお話とどこかで繋がっているのかなと思っています。龍谷大学の学生の皆さん、ぜひ、応募してみてください。
悶え神
▪️先日の「水俣曼荼羅」の上映会で、原監督の製作ノートを手に入れました。監督に、サインもしていただきました。そこには「悶え神」と書いてありました。ハートも書かれています。この「悶え神」、「水曼荼羅」の第三部のタイトルです。その第三部に作家の石牟礼道子さんが短時間ながら登場されます。そのインタビューの中で、この悶え神について短く説明されていました。悶え神とは、一緒に心配してくれる人。立ち上がることもできないほど打ちのめされたているときに、背中を撫でてくれる人。魂を撫でてくれる人。石牟礼さんのインタビューには作家の渡辺京三さんも同席され、こう説明されていました。何も力になれないけれど、助けられる力はないけれど、せめて嘆き苦しみをともにし、悶える人がいる。そういう人のことを悶え神というのです。
第31回夕照コンサート
▪️龍谷大学が開催する第31回夕照コンサートの広報が始まりました。今年度も、龍谷大学吹奏楽部は、近隣の高校吹奏楽部の皆さんと演奏を行います。
「近江八景」のひとつである「瀬田の夕照」にその名を由来する龍谷大学夕照コンサート。
龍谷大学吹奏楽部をはじめ、参加各団体の奏でる美しい音色が、夏の夕べを華やかに彩る音楽の祭典を開催いたします。入場は無料です。是非ともご来場ください。◆日時:8月31日(土)15:00~18:00(予定)(14:30開場)
◆場所:龍谷大学瀬田キャンパスSETA DOME(大津市大江町横谷1-5)
◆申込等:入場無料・申込不要
◆アクセス
駐車場のご用意はございません。公共交通機関をご利用いただきますようお願いします。
JR瀬田駅より、無料シャトルバスを運行します。
<アクセスマップ>
https://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/traffic/t_seta.html
◆出演団体(予定)
瀬田北中学校吹奏楽部、
石山高等学校吹奏楽部、草津東高等学校吹奏楽部、
玉川高等学校吹奏楽部、東大津高等学校吹奏楽部、
近江兄弟社高等学校吹奏楽部、比叡山高等学校吹奏楽委員会、
龍谷大学吹奏楽部、龍谷大学バトン・チアSPIRITS
◆模擬店
14:00~17:00まで青志館前広場にて学生団体等による模擬店を営業しています。
是非お越しください。
*食事は青雲館内もしくはキャンパス内各テラスでお摂りください。
◆参考(キャンパスマップ)
https://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/seta.html
模擬店は上記マップ17番前、コンサートは24番にて行います。
◆主催
第31回夕照コンサート実行委員会
◆後援
関西元気文化圏参加事業、滋賀県、滋賀県教育委員会、
大津市・大津市教育委員会、草津市、草津市教育委員会、
近江八幡市、近江八幡市教育委員会、
滋賀県吹奏楽連盟、朝日新聞大津総局
◆協賛
帝産湖南交通株式会社、フォレオ大津一里山
◆協力
龍谷大学学友会【お問い合わせ先】
龍谷大学学生部(瀬田)
TEL:077-543-7738
E-mail:gakusei-seta@ad.ryukoku.ac.jp
原一雄監督「水俣曼荼羅」上映会
▪️昨日は朝から夕方まで、大津市浜大津にある旧大津公会堂で、原一雄監督の「水俣曼荼羅」の上映会に参加しました。作品時代の長さは372分。6時間12分です。「水俣曼荼羅」は、第一部「『病像論』を糾す」、第二部「時の堆積」、第三部「悶え神」から構成されています。第一部の後に、昼食の休憩を1時間、第二部と第三部の間に15分の休憩を挟みました。最後は、原一雄監督が45分ほどお話くださいました。
▪️原監督の作品は、この「水俣曼荼羅」だけでなく「ゆきゆきて、神軍」についても、DVDを持っています。だから、今日は原監督にお目にかかるというミーハーな気持ちから参加させていただきました。原監督は現在79歳。お元気です。私は、「ゆきゆきて、神軍」の主人公である奥崎謙三さんのことを、今から50年前、神戸の高校に通学していた時に、街宣車で街中を走っておられる様子をしばしばお見かけしており強く記憶に残っています。たぶん、きちんと受け止めることができていなかったと思います。奥崎謙三さんが戦争中にどのような経験をしてきたのかも、強い独特の政治的信条についても何も知りませんでした。高校生の私には、奇妙な人、過剰な人…としてしか理解できませんでした。その後、その奥崎謙三さんが原監督のドキュメンタリーの作品になったと知り、驚いた記憶があります。今日はそのことを、原監督に少しだけお話することができました。まあ、どうでも良いことですか。
▪️昨日は「水俣曼荼羅」を拝見して強く感じたこともありますが、同時に、昨日は観ていない「ゆきゆきて、神軍」のことが気になり始めました。「水俣曼荼羅」、「ゆきゆきて、神軍」、ある意味で作品のベクトルが全く違っているように見えます。原監督ご自身も語っておられましたが、「ゆきゆきて、神軍」までは強烈な存在、生き様の方達に焦点を当ててドキュメンタリーにされています。それに対して、「水俣曼荼羅」の撮っている時は、小津安二郎の作品超えるということを強く意識されたのだそうです。今度は、奥崎謙三さんのような強烈な存在とは逆に、水俣病の当事者や支援者でありながらも、市井の人びとの人生に光を当てようとされたのでした。このように作品の向かっていく方向は一見違っているようなのですが、でも、根本のところでは、原監督がこだわっていること、究極的に明らかにして表現したいことは、この国の社会を成り立たせている根深いところにあるシステムの問題なのではないかと思います。『水俣曼荼羅 製作ノート』に原さんは、以下のように書いておられます。
私は、ドキュメンタリーを作ることの本義とは、「人間の感情を描くものである」と信じている。感情とは、喜怒哀楽、愛と憎しみであるが、感情を描くことで、それらの感情の中に私たちの自由を抑圧している体制のもつ非人間性や、権力側の非情さが露になっていくる。この作品において、私は権力、水俣病の患者である人たちや、その水俣病の解決のために闘っている人たちの感情のディティールを描くことに努めた。私自身が白黒をつけるという態度は極力避けたつもりだが、時に私が怒りをあらわにしたこともある。それは、まあ、愛嬌と思っていただきたい。
▪️「私たちの自由を抑圧している体制のもつ非人間性や、権力側の非情さ」、原監督がこだわっておられるこの点については、「水俣曼荼羅」、「ゆきゆきて、神軍」では共通しています。今回の「水俣曼荼羅」の中では、被害者や支援者と行政側が向かい合って座っている時の行政側の反応に、行政側担当者の表情の中に、そのことを強く感じました。もちろん、水俣病の被害者、支援者の皆さんが闘ったことと、「ゆきゆきて、神軍」の主人公奥崎謙三さんが闘ったことは、簡単に一緒にはできませんが、「私たちの自由を抑圧している体制のもつ非人間性や、権力側の非情さ」という点ではどこか共通する部分があるようにも思いました。しかし、非人間性や非情さが露わになったとしても、問題の責任をきちんと引き受ける存在がいつの間にか見えなくなってしまうのです。そのような状況の中では、亡くなった被害者の皆さん、今も苦しんでいる被害者の皆さんの「魂」が救済されません。この「魂」の救済の問題は、以前、読んだ緒方正人さんの『チッソは私であった』で、緒方さんが問題点として指摘された「システム社会」とも深く関係しているように思います(奥崎さんは、殺人も犯して刑務所に入っているわけで、そんな「犯罪人」と水俣病の関係者を一緒に並べて論じることには強いご批判があるとは思っていますが…。)
▪️昨日の「水俣曼荼羅」の感想は、別途、投稿したいと思いますが、少しだけ、メモ程度に書き残しておこうと思います。ひとつは、水俣病の被害者と支援者との間にある微妙な気持ちのズレという言い方で表現できることなのかなと思います。もうひとつは、そのことと関連していますが、「許し」(赦し)の問題。作家の石牟礼道子さんと、水俣病の裁判闘争を強力に支援したジャーナリストの鎌田慧さんの「許し」ということに関するズレのようなものが気になりました。おそらく、石牟さんは水俣病の魂の救済のためには許しがなければとお考えなのかと思います。それに対して、鎌田さんは、許しは単なる主観の問題であってと。行政との闘争には意味がないとお考えのようです。魂の救済の問題と、正義の問題。両者は重なり合いつつも、完全には重なっていないように思います。それが、私にはズレとして感じられるのです。原監督は、そのズレをズレとして映像に残しておられるわけです。うまく説明できているとは思えません。すみません。
▪️それから水俣病の当事者、胎児生水俣病患者の坂本しのぶさんがたくさん恋をしてきたという話。すごく大切なことだと思っています。坂本さんが作詞した歌があるのですが、「水俣曼荼羅」の中ではその歌を地元のシンガソングライターの男性が歌われています。誤解を恐れずに書きますが、水俣病の闘いの中で、「胎児性水俣病患者」という役割を引き受けて生きてこられた坂本さんが、そのような役割とは別に、本当は自分の人生はこうあってほしいんだよ…というふうに受け止めました。でも、生きていくためには、そういうわけにもいかないということもよくわかっておられる。そういうご自身が抱えた状況を原監督のカメラの前で正直に語っておられることに、時に坂本さんのユーモア?!に笑ってしまいつつ、静かに感動しました。
南北傾斜高気圧を発見した大学院生のニュース
▪️三重大学大学院で気象学を研究している天野未空さんが、「南北傾斜高気圧」を発見したというニュースです。
▪️冷夏という言葉があります。気象庁によれば、「低い」、「平年並」、「高い」といった3階級表現で6月 - 8月の平均気温が「低い」に該当した場合の夏を言うとのことです。冷夏による影響は農作物の生産に強く現れ、農産品の不足や価格高騰を引き起こすと言われています。特に、東北地方は、歴史的に、この冷夏の影響を強く受けてきた地域です。以下は、気象庁のサイトにある「東北地方の夏の気温と水稲の収量は?」という記事です。
東北地方は、春から夏に平年より低い気温になると、米の成長や実りに大きな影響が出やすい地域です。東北地方の夏(6月~8月)の平均気温と東北地方の水稲の10a当たりの収量の推移をみると、水稲の収量は農業技術の進歩などにより、次第に増えていますが、収量がその前後の年より少なかった年は低温と対応しています。
三大冷害と呼ばれる明治35年(1902年)、明治38年(1905年)、大正2年(1913年)をはじめとして、昭和9年(1934年)や昭和16年(1941年)、昭和20年(1945年)、昭和28年(1953年)などに冷害が発生しています。その後、1980年から1983年まで気温の低い夏が続き、中でも昭和55年(1980年)は北日本を中心に記録的な冷夏となり、1980年8月の北日本の低温は、先に挙げた三大冷害年に匹敵する低さとなりました。また、平成5年(1993年)は、東北地方の夏の気温が1945年以降、最も低い記録となり、収量は大きく減少しました。21世紀に入っても平成15年(2003年)に著しい低温の夏を迎えています。
▪️ところが、天野さんによれば、2010年以降は、この冷夏が全く発生しなくなり猛暑の夏が続いているといいます。天野さんは、太平洋高気圧とオホーツク海高気圧との間に発生して、オホーツク海高気圧からの冷たい風をブロックする新しい高気圧を発見したのです。しかも、この高気圧の上層と下層で高気圧の中心位置が南北に大きくずれているというのです。天野さんは南北傾斜高気圧と名づけました。天野さんは、このような温暖化に社会的に適応していくことが必要だと言っておられます。例えば、稲作で言えば、夏が暑くても、品質が悪くならない暑さにも強い品種を栽培するというということになります。天野さんを指導された立花義裕さんは、東北地方ではもう冷夏が起きない可能性が高いと語っておられます。