龍谷マルシェ2021

20211117marche.png■龍谷大学農学部は、龍谷大学の中では一番新しい学部です。2015年に設置されました。農学部設置の際には、委員としていろいろお手伝いをさせていただきました。そういう意味でも、他学部ではありますが、農学部の活動には強い関心を持っています。今回は、親しくさせていただいている農学部の石原健吾先生から、左ように「龍谷マルシェ2021」の開催について連絡がありました。

■この中に、11月21日に「浜大津こだわり朝市」に出店することが書かれています。この「浜大津こだわり朝市」は、大角街中に賑わいを作るために、京阪浜大津駅の改札口を出たところにある「スカイサークル」で開催されている、近江のこだわり地域資源を持ち寄って交流しているアットホームな朝市です。私も依頼されてこの朝市の実行委員になっているのですが、ずいぶん長い間幽霊委員のままできちんと役割を果たせておりません。私に期待されているのは、おそらく大学や学生と朝市を繋ぐことなのだと思うのですが…。

■先日、石原先生から「ランチ一緒にしませんか」とお誘いを受けました。その際、この朝市に農学部の学生の皆さんに出店していただくことはできないだろうか…とご相談をさせていただきました。石原先生には大変前向きに捉えていただき、農学部の関係者に働きかけていただきました。結果として、今回の「龍谷マルシェ2021」の一環として出店していただけることになりました。

■学内外でいろいろ相談されることも多いですが、こうやって私の方からご相談をさせていただいたり、お願いをしたりすることもできることは、大変幸せことだなあ〜と思っています。こういうのって、とても大切なことだと思うんですよね。

野口・国境の炭焼

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■滋賀県高島市マキノ町野口の「国境炭焼きオヤジの会」を訪問しました。午後から炭焼による村づくり活動についてお聞きする予定でしたが、そのことに加えて、午前中は地元のマキノ西小学校4年生の校外学習の様子を見学させていただきました。国境は、高島市マキノ町野口の、3つある集落(小字)の中でも一番北にあります。ちょっと150mほど歩くと福井県に入ります。

■トップの写真は、「国境炭焼きオヤジの会」が作られた炭窯の小屋です。入り口の上には、「夢炭」と書いた看板が掲げてあります。「むーたん」と読みます。たしか、商標登録されているはずです。夢の炭…なかなかロマンチックなネーミングですね。この日は、小学生がやってくるということで、窯の中にライトが照らされていました。私たちも、窯の中に入れていただきました。2段目左の写真は窯の中から撮ったものです。3段目左は、粘土の塊です。炭窯に隙間から空気が入ると炭にならずに灰になってしまいます。そこで、その隙間をこの粘土で塞ぎます。適度な粘りが出るように色々加えてあります。粘土は硬くても柔らかくてもダメなようです。微妙ですね。
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■4段目左。左側の割った木材が、右側のような炭になります。重さは1/6に、サイズも少し縮見ます。5段目右、小学生のみなさんが、焼いた炭を適当な大きさにノコギリでカットしています。普通の材木とは切る際の感触が違うので、驚きの声が上がっていました。6段目は、この炭焼窯の近くにある願力寺で、昔の暮らし、特に囲炉裏のある暮らしについて、お話を伺っているところです。いろんな質問が出てきます。予想以上にいろんな知識があります。少し驚きました。
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■午後から、願力寺で「国境炭焼きオヤジの会」の活動について、指導している大学院生とともにお話を伺いました。今回は、高島市役所の職員さんも同行された。部屋の真ん中の囲炉裏には、炭が燃えていています。大変温かいです。囲炉裏には五徳が置かれています。五徳に置いた網で餅を焼いていただき、ご馳走になりました。今日も、3時間ほどお話を伺いながら、楽しい時間を過ごすことができました。

■2010年「水源の郷活性化事業補助金」の助成を受けて野口という区の事業として始まった炭焼。最初は、活性化の事業として、どのようなことに取り組むのかを議論されたようです。議論の結果、炭焼をやることになりました。炭焼は、この地域の生業の中心、現金収入の中心でした。この地域のアイデンティティと深く結びついているのです。こんな話も聞くことができました。福井県との県境に位置するこの地域は雪深く、冬の間は炭焼きができません。現金収入が途絶えきます。そこで、炭の問屋から借金をして、雪が溶けて春になってから炭を焼いて、現金ではなく炭で返したというのです。もちろん、そのような経験をされている方は、どうだろう、ご健在ならば100歳前後の方たちでしょうか。

■さて、「国境炭焼オヤジの会」の皆さん、炭を焼くだけでなく、炭を使った石鹸を商品開発して販売もされてきました。近くの道の駅だけでなく、ネットでも販売されたようです。もちろん、炭そのものの販売についても努力されてきました。そうやって盛り上げてきた炭焼きなのですが、活動を始めて10年経過すると、担い手の高齢化や担い手不足等により、炭焼きの活動自体が難しくなってきています。先行きは暗いわけです。しかし、どういうわけだか話は明るく盛り上がります。暗いけど明るい、ここは社会学的にはけっこう大切なポイントかなと思います。

■当初は区の事業として始まった事業ですが、今は野口の有志の個人による活動になっています。加えて、近くの愛知県から在原に移住されてきた方も参加されています。この方はなかなかのアイデアマンのようで、活躍されています。炭窯の煙突にセンサーを設置して、釜の温度を測定したり、窯に原料の薪を運ぶのにも、ローラーコンベアを使ったり、高齢化の中にもいろいろ工夫を提案されているのです。野口の皆さんから期待されています。今日も、リーダーのKさんに、柱を立てて窯全体をブルーシートで覆えるようにすれば、天候に左右されずに炭が焼けると話されていました。しかし、80歳目前のKさんは、「そこまでして、炭を焼きたくないわ」と笑いながら話されていました。このあたり微妙なのですが、大変興味深い点でもあります。

■当初より、野口以外の人たちにもオープンにした活動をされてきました。ただし、炭焼きの作業は、天候や様々な条件に左右されます。作業の段取りが変わるのです。遠く離れたところに住んでいる方、たとえば大津に暮らしておられる方に、急にボランティアで作業をお願いすることもなかなか難しいわけです。結局は、自分たちで作業をすることになります。オープンに活動をする上で、インターネット等での情報発信が大切になるのですが、現在はそこまで手が届いていません。

■高島市には野口の他にも炭焼で活性化に取り組む集落があります。「連携して高島市全体でブランディングしては」という発想も出てくるわけですが、集落によって炭の質が異なるため、それもなかなか難しいとのことでした。炭は工場で生産する工業製品とは異なるのです。もっとも、難しいと言ってばかりでは仕方がありません。なんとか、炭焼を事業化、企業化していきたいとも考えておられます。もう区の事業ではないので、地域外から本気で取り組む若い担い手が来てくれるのならば、技術やノウハウを伝えるという発言がありました。そういう若い担い手が参加してくれるのならば、一緒に頑張るし応援もするという発言もありました。もしそうならば、面白い展開になるのかもしれません。また、「半農半X」ならぬ「半炭焼半X」(炭焼や炭焼に関連する付加価値をつける仕事と、他の仕事(”X”)を組み合わせた働き方)が成立するのならば、実現する可能性もあるのかなと思います。あと、炭焼するには太くなり過ぎた山の広葉樹の利活用をどうするのか。これも大きな課題です。現在、炭にする薪をどうやって調達しているかといえば、別荘地で大きくなりすぎて伐採された樹、炭焼のサイズに割って使っています。山の広葉樹は太くなりすぎて、使えないのです。

■おそらく、こういう現実があることを認識するのならば、地域の支援策もこれまでとは違ったものになってくるのではないかと思います。また、役所の中で部署ごとに縦割りになった支援策をうまく組み合わせていくことも必要だろうと思います。

雲洞谷(うとだに)の炭焼き

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20211117utodani1.jpg■高島市朽木の雲洞谷を訪問しました。「うとだに」と読みます。こちらの「まるくもくらぶ」の活動に関して、指導している大学院生とお話を聞かせていただきました。今回は、高島市の中山間地域の活性化について一緒に仕事をしている市役所の職員さんも同行されました。楽しかったです。お話しいただいたのは、「まるくもくらぶ」のリーダーのIさんと、ここに移住してきてIさんと一緒に活動しているFさんです。Fさん一家は、京都からここに転居されました。お2人に、いろいろ細かな質問に丁寧にお答えいただきました。ありがとうございました。

■写真は復活した炭焼窯です。炭焼は、かつての生業の柱でした。山での暮らしを象徴する生業なのです。その炭焼きを経験されている方を先生役に、「まるくもくらぶ」では炭焼窯を復活させました。活動されているのは70歳前後の人たちです。年齢は前後しますが、全員幼馴染であり、青年団も消防団も一緒に活動してきた仲間です。彼らは炭焼きの手伝いはしても、自分たちの手で炭窯を作ったり炭を焼いたことはありません。そして、親の世代とは異なり、この山村の中だけで暮らしてきたわけではなく、外の職場に通勤しながらここに住み続けてこられました。車と湖西線を使えば、住み続けることができたのです。ただし、同い年の同級生で雲洞谷に残っているのは、Iさんお1人だけです。

■Iさんが生まれたのは1949年。いわゆる団塊の世代です。Iさんが中学生の頃に、「燃料革命」の影響がこの山村にも届くことになりました。そして雲洞谷の炭焼も1960年代の後半には途絶えることになりました。Iさんの記憶では、炭焼きに必要な広葉樹を伐採した後に、杉の苗をどんどん植えていきました。その頃、政策の後押しもあり広葉樹がどんどん針葉樹に替わっていきました。「拡大造林」です。

■先程、炭焼き経験者を先生役に…と書きました。集落を代表する生業としての炭焼きは途絶えていましたが、その経験者の方だけは、身体が動く間、小さな窯で炭焼きを続けてこられていました。2019年、その方から炭焼きを教えてもらう「勉強会」を開催しました。記録を残して、自分たちでも炭焼きが継続できるようにしたのです。この「勉強会」には、多くの外部の人たちも参加されました。「勉強会」がオープンな形であることが興味深いですね。この村に住み続けるのには、外部の人たちの関わりが重要だとの考えを、活動の当初からお持ちだったのです。雲洞谷のことに関心を持ち、気になる人たち、今流行りの言葉で言えば、関係人口を増やそう、そのような考えのもとで取り組まれているのです。

■「まるくもくらぶ」のロゴは、丸の中に「雲」という漢字を書いて、その後にひらがなで「くらぶ」がついてきます。なんでも、消防団の法被の背中は、この「まる雲」が描かれているそうです。ポイントは、「まる」が完全に閉じておらず、少し切れていて、外部に対して開かれているところにあります。つまり、集落で閉じた活動ではなくて、「外部に開かれた活動ですよ、外部の方達にも参加してもらいたいのですよ」という気持ちが表現されているのです。まあ、このブログには全てを書ききれないわけですが、貴重なお話を聞かせていただくことができました。炭焼き以外にも、栃餅、鯖のへしこ、鯖のなれ寿司の話もおもしろかったですね〜。鯖のなれ寿司は食べたことがありません。食べてみたいな〜。この山深い山村の人たちにとって、琵琶湖の淡水魚よりもひと山越えた若狭の海の魚の方が手に入りやすいし重要だったのでしょう。

■本格的に寒くなる前に、再度、雲洞谷を訪問する予定です。その時は、栃餅の原料である栃の実を実らせる巨木にも逢いに行ってみたいと思います。

堤真一さんのファミリーヒストリー


■昨晩、俳優の堤真一さんがゲストのNHK「ファミリーヒストリー」を視ました。堤さんはー57歳です。私とは6歳違います。この6歳の差が近いのか離れているのか、よくわかりません。ただ、両親が戦争で若い頃に苦労してきたこと、進学したくてもできなかったこと、団地で育ったこと、その他諸々、少し年齢は違うけれど、似たような共通の経験があるからなのかもしれません、堤さんの「ファミリーヒストリー」を視聴しながら大変感動しました。私と同じような思いを持たれた同世代の方は、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。お父さんを最後に見舞った時の堤さんのお話を聞いて、自分の父親の時のことを思い出しました。グッときて涙腺崩壊しました。この番組を通して、堤さんは、亡くなったお父様との関係がより深まったのではないでしょうか。

■いつも、よくここまでという程細かいところまでリサーチをしているなと感心します。おそらく試聴されている方達の中にも、できるものならば自分のルーツも知りたいという人がたくさんおられることでしょう。

炭焼きのこと

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■指導している大学院生とともに、高島市朽木で炭焼きと村づくりに関して、少しずつお話しをお聞きしています。昨日の午前中は朽木の椋川(おっきん椋川交流館)で、是永宙さんからお話を伺いました。ありがとうございました。

■高島市の中山間地域は、高度経済成長期の前半までは、どこの地域でも炭焼きをされていました。いわゆる燃料革命の前までになります。高島市内では、現在確認されているだけで、4つの集落で炭焼きされているか、これから復活させようとされています。いずれの地域も、過疎と高齢化が進行している地域です。かつて炭焼きを生業としてされていたのは、現在の年齢で言えば、80歳代も半ば以上の方達になります。70歳代の方であれば、手伝いはしたけれど、自分が家の中で中心になって炭焼きをしていたわけではありません。ですので、何歳位の方が、いつ頃から炭焼きを復活させようとしたのかにより、微妙に取り組み方や、何のために炭焼きを復活させたのかという理由については違いがあります。

■炭焼きに焦点を当てて聞き取りをしていますが、その背景となる村の暮らしや社会経済の背景、また外部からやっくるIターンの人びとの存在、村づくりの活動、さらには最近の流行りの言葉でいえば、関係人口の拡大といったコンテクストの中で炭焼きの活動を位置付けなければなりません。いつか、もう少し詳しくこのブログでも報告できるかもしれません。

真野浜で理事会

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■昨日は、夕方から真野浜(大津市今堅田)にある民宿「きよみ荘」さんで、NPO法人「琵琶故知新」の理事会&懇親会が開催されました。「きよみ荘」は、理事のお一人が経営されている民宿です。昨日は、ひさしぶりにzoomではなく、理事の皆さんと直接お会いして話し合うとことができました。もちろん、zoomでも意見の交換、言葉のやり取りはできるのですが、実際にお会いすると、もっと深いところでお互いの理解が深まり、素敵な交流ができたように感じました。

■この日の理事会の議題は3つありました。1つめは、某財団へ助成金の申請について。結果ですが、残念ながら次点でした。採択に至りませんでした。私たちのNPOで頑張って運営していこうと思っている「びわぽいんと」、その考え方については共感していただき、評価もいただいたようでしたが、助成する側からすれば、「びわぽいんと」が社会に定着していくために、さらに戦略性を高めてほしいということのようです。そうなんです。そのことは、私たち理事たちもよくわかっているんです。頑張らねば…なのです。ということで、議題の2つめが、某大手通信会社との連携事業についてです。具体的なことはまだ書くことができませんが、良い方向で議論が進んでいます。楽しにしています。そして議題の3つめ。「びわぽいんと」の戦略性を高めるための「勉強会」の開催です。勉強会、誰が勉強するのか。はい、私たちNPOの理事が勉強させていただきます。滋賀県内で、環境保全活動に関連して活躍されている皆さんをお呼びして、「びわぽいんと」を鍛えるためのご意見やアドバイスをいただく開催しようと思っています。すでに4人の方達に参加の了解をいただいています。この「勉強会」も楽しみにしています。

■昨日は、このような議題を中心に理事の皆さんとディスカッションを行いました。良いディスカッションができたと思います。そのあとは、民宿「きよみ荘」さんが用意してくださった鍋料理で懇親会を楽しみました。理事の皆さんの中には、滋賀県以外にもお住まいの方もおられます。神戸からお越しの理事は、大津市堅田の酒蔵の日本酒「波乃音」を堪能されていました。その日は「きよみ荘」に宿泊されルことになっておられたので、かなり召し上がったのではないですかね。別の要件のお疲れもあってか、沈没してしまったようです。良い宴会でした。

■写真のことも少し説明しておきます。トップは、真野浜から見た琵琶湖の北湖です。琵琶湖は琵琶湖大橋から南が南湖、北が北湖に区分されます。南湖と北湖とではスケールが全然違います。北湖はワイルドです。写真の真ん中より少し右側に見えるのは沖島です。左から張り出しているように見えるのは、湖西の比良山系です。天気が良ければ、伊吹山まで眺めることができるのですが、今日は雲に隠れているようです。中段左の写真は、対岸の守山市です。真ん中に見えるのは、湖岸にあるマンションです。右の方には、野洲市にある三上山が見えますね。中段右の写真は、左の写真と同じ方向を拡大したものです。遠くに鈴鹿山脈が見えますね。下段は、理事会の様子です。私は、技術的なことはよくわからないのですが、「びわぽいんと」で用いるアプリがバージョンアップしたのでそれを理事の面々で確認しているところです。

水辺の小さな自然再生

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機関誌「RIVER FRONT」
「RIVER FRONT」Vol.93(2021年9月発行) 特集:水辺の小さな自然再生〜自治体と協働する〜

卒論指導、卒寿の祝い、民間企業とNPOの協議

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20210928ohtsuko4.jpg■このブログでは、あまり役に立つことを書いていません。といいますか、1人の大学教員の日々の出来事を書いているものですから…。まあ、公開日記のようなものですね。教員としての私に関する情報は、ブログタイトル下にあるブルーの文字のメニューバーをクリックしてご覧ください。というわけでして、今回も、そういう役に立たない「日々の出来事」を書いています。ご容赦ください。

■月曜日の午前中、自宅で、zoomで2人の学生の卒論指導を行いました。夏期休暇中から、いろいろzoomで面談を積み重ねながら研究を進捗させている人もいますが、そうでない人もいます。こちらのお2人は、後者のそうでない人…になります。とはいえ、不真面目というわけではありません。いろいろ、自分なりには努力をされてきたのですが、次の一歩を踏み出せずにいます。もちろん、緊急事態宣言で大学の危機管理レベルが「2」から「3」になり、学外に調査に出かけていくことができなくなったことも大きいかなと思います。本当は夏期休暇中に調査をして欲しかったのですが、仕方がありません。再び危機管理レベルが10月から「2」に戻ります。時間はもうないわけですが、頑張って調査に出かけて欲しいと思います。

■午後からは引き続き自宅で学部の事務仕事等を行い、それらを済ませて後、大津の街中にある萬治元年創業の酒蔵・平井商店さんに向かいました。日本酒好きの義父の卒寿のお祝い(90歳)を贈るためです。平井商店さんは、私が贔屓にしている大津の中心市街地にある酒蔵です。

■大津は、大きい津、すなわち「大きな港」という意味の地名で、江戸幕府直轄の宿場町として江戸時代初期に誕生しました。「平井商店」さんは、その宿場町に1658年(万治元年)に創業された長い歴史を持つ酒蔵なのです。代表的な銘柄の「浅茅生」(あさぢお)は、後水尾天皇の皇子 聖護院宮道寛法親王(しょうごいんのみや どうかんほうしんのう)から賜られた和歌「浅茅生の 志げき野中の真清水は いく千世ふとも くみはつきせじ」に因んで命名されています。意味は、茅(あし=葦よしのことです)の生い茂っている湖(琵琶湖)の美しく清らかな清水は、どれだけ汲もうが何年経っても尽きることはないだろう」という意味なんだそうです。もちろん、琵琶湖の水で酒を醸しているわけではないのですが…。結局、岐阜には平井商店の「浅茅生 大吟醸」、「浅茅生 特別純米滋賀渡船六号 ひやおろし」、「浅茅生 大吟醸 曳山」、「北船路 純米吟醸」の4本を贈ることにしました。贈る側が言うことではないのですが、結構、豪華なラインナップだと思っています。ちなみに、最後の「北船路 純米吟醸」は、かつて私が指導していた学生たちによる研究グループ「北船路米づくり研究会」がプロデュースした日本酒です。

■「平井商店」さんの後は、浜大津にある通信会社を訪問しました。社員の皆さん方と、琵琶湖の環境保全活動に関わるステークホルダー間の「連帯」や「連携」を生み出す新しいプラットフォームづくりについて協議を行いました。今回で2回目の協議になります。まだ、具体的にブログに書けるレベルには至っていませんが、お互いの夢が共振しあったように思いました。お互いというのは、私が理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」が提案している「びわぽいんと」のアイデアや仕組みに寄り添っていただいくことができたからです。ありがたいことです。はやく、この取り組みが公表できるようになったらと思います。

■協議の後は、近くにある浜大津の公園を散策しました。時間は17時半頃でしたでしょうか。とても綺麗な空でした。少し暗くなるまで過ごしました。良いことがあったので、美しい空と心が共振し合ったのではないかと思います。もちろん、緊急事態宣言が解除されていれば、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に社員さん達と一緒に行って、さらに夢を語りあうことができるのでしょうが。解除までは、もう少しですね。引き続き感染に気をつけながら、大切なお店を常連客の1人として守って行きたいと思います。
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(停泊している船ですが、左から、琵琶湖汽船の「ミシガン」、「ビアンカ」、一番右側は滋賀県庁の環境教育船「うみのこ」です。)

ありがとうお父さん


■朝から、グッときました。起床して、我が家の庭のお世話をしてくださっている庭師・椿野大輔さんのfacebookへの投稿を拝読し、とても胸が熱くなりました。椿野さんは、庭師さんですが、近くの棚田を借りてお仲間と米作りをされています。その棚田に隣接する棚田の所有者・ツルツルおじさんのお話です。以下は、椿野さんの投稿です。

うちの田んぼのお向かいさんの棚田。
仰木の棚田は土手が多く、農作業の大半が草刈りとなる。
80過ぎのお百姓さんがすごくマメに手入れをされていて、いつも土手が綺麗でツルツルおじさんと言っていた。
いつもニコニコと時々声をかけてもらったり親切な方だったが、しばらく姿を見ないのでどうされたかと思ってたら、息子さんが草刈りをしておられる。
聞いてみると胃がんの末期とのこと。
この春の田植えを最後の力を振り絞ってされてから倒れ臥せっておられたが、夏の土用に亡くなられた。
今は息子さんがお父さんの意思を引き継ぎ、稲刈りも終えられ、土手の草刈りなどをされている。
今日も草刈機の音がしているなと帰り際に見てみると
「ありがとうお父さん」と残して草が刈られていた。

■棚田の法面に、息子さんのお父様(ツルツルおじさん)への思いが表現されています。素晴らしいな〜。これは私の勝手な想像でしかありませんが、お父様やさらに上の世代の先祖の皆さんの水田への思いを、息子さんは受け止めておられるのではないでしょうか。どこも日本の農村は厳しい状況にありますが、こちらの棚田のような中山間地域の農村では、耕作放棄地や休耕田がどんどん増えています。こちらの椿野さんが借りておられる田んぼも、10年ほど放置されていたそうですし、隣の田んぼも所有者が数年前に亡くなられて今は休耕田になっているそうです。そのような状況の中で、息子さんがお父さんの意思を継がれているわけですね。繰り返しになりますが、朝から、グッときました。

「個人モデル」と「社会モデル」/ 星加良司さん(東京大准教授)への時事通信社によるインタビュー

■今朝、時事通信社による、星加良司さん(東京大准教授)へのパラリンピックに潜む「危うさ」全盲の社会学者に聞くというインタビュー記事を読みました。星加さんは、この記事の中で次のよう述べておられます。

放送時間がある程度確保され、一つのスポーツイベントとして、アスリートのパフォーマンスに焦点を当てた正当な報道がされた印象を持っています。ただ、パラリンピックというのは「障害の社会モデル」という考え方を社会に普及させるという観点からは、「危ういコンテンツ」だと私は言い続けてきました。

■では「障害の社会モデル」とはなんでしょうか。「個人モデル」との対比で以下のように説明されています。

障害学の基本テーゼとして、「個人モデル」と「社会モデル」という二つの考え方があります。個人モデルというのは従来の常識的な捉え方のことで、障害者が経験する困難が個人の心身の機能制約から生まれてくると考えます。そこから生じた問題を、個人の努力を中心に、周りのサポートで克服していくという理解の仕方です。私が専門とする障害学はこうした従来の見方を個人モデルとして批判し、社会モデルを提起しました。社会モデルとは、そもそも障害者に困難が生じる原因は心身の制約によるのではなく、社会がマジョリティーの利便性を優先する形で偏って構成された結果、しわ寄せを受けているのがマイノリティー=障害者であるという考え方です。問題の本質を見極めるために、個人の身体に焦点を当てるのではなく、今の社会がどういう組み立てになっているのか、誰にとって生きやすい社会なのかに目を向けるわけです。

■この「社会モデル」のような考え方は、これまでも何人かの方達が主張されてきたことかと思いますが、星加さんからすれば、そのような「社会モデル」と対比される個人モデルの考え方は、「仮に福祉の充実に寄与しても、障害者と非障害者の非対称な関係を維持、固定して再生産してしまうという問題を抱えていますから、やはり転換すべき考え方」ということになります。では、オリンピックとパラリンピックを別々に開催すべきではないと考えておられるのかといえば、そうではありません。「大会そのものの在り方の問題と、それに対する社会の側のまなざしの問題を分けて考える必要がある」というのが星加さんの主張です。パラリンピックのアスリートにとって大会の開催はメリットがあることを認めた上で、社会の側がパラリンピックに余計な意味を付加することをやめたほうが良いと主張されます。これだけ競技性が高まっているのだから、「普遍的な障害理解や共生というテーマとつなげることには無理」があり、それとは別に、「障害を生み出している現状の社会の問題を見詰め、共生というテーマにそれ自体としてきちんと向き合う」ことが必要だと主張されます。

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