私の「まちの縁側」
■facebookに投稿した記事を、少しリライトして、ここに掲載します。
捕まってしまった!
昨日は、「北船路米づくり研究会」の明後日の稲刈り作業に関連して、某老舗の社長さんとお話しをさせていただいた。社長さんにも、稲刈りにご参加いただけることになった。ここから、日本酒のときと同じように、また新しいコラボ事業が始まるかもしれない。
帰りは大津駅ということになるので、当然のことながらいつもの店の前を通る。吸い寄せられるように中にはいり、大阪の吹田にでかける別の用件でマスターと相談して、調理で忙しいマスターのかわりにメールなどを参加者に送りつつ、そろそろさらっと帰宅しようと思っていた、まさにそのとき、店の入り口から大きな笑い声が。
滋賀県大の近藤くん、彼の学生だった村上くんが笑っているではないか。村上くんは、現在、釜石市役所で災害復興にかかわって広報の仕事をしている。ひさしぶりに関西に戻ってきていた。もう1人の木村さんは、初対面。やはり、近藤くんの学生だった方。この3人師弟トリオが大津駅でおちあい、「さてどこに行こうか…そういえば以前連れていってもらった『利やん』があるな」とやってきたらしい。ひょっとして、私がいるかもと冗談をいいあっていたら本当にカウンターに座っていたので、驚くとともに大笑いをした…ということらしい。
さて、私のほうは、自宅に夕食があるので、ひたすら呑むだけだが、若い人たちは、食べて呑む。初対面の木村さんは、私がキープしてまだ間もない焼酎の一升瓶を全部飲み干すとか、わけのわからないことを言い始めて、本当に空けてしまった。恐ろしい…。さすが、泡盛で鍛えてきている人は違う。飲み方も、根性が入っていたな。
この店は、焼酎を1本キープするたびに、そのときに一緒にいた人たちで記念写真を撮り、それがカードとして増えていく。一升瓶にリングでとめてあるカードがその記念写真。木村さんは、このカードに入りたかったのだ。だから、根性で焼酎を空けてしまったのだ。その動機はわからんでもないが、ややかわいらしいものがある。
まあ、いろいろあったわけだけど、近藤くんともひさしぶりに会えたし、村上くんとは10年ぶりの再会だった。楽しかった。あかわらずみなさん若々しい。
私のばあいの「まちの縁側」(© 延藤 安弘先生)
昨晩の「利やん」は、様々な再会な出会いがあった。ひとつは、記事としてアップした滋賀県大の近藤研究室の皆さんとの再会と出会い。ひさびさに女性の酒豪にであって感服した。
もうひとつは、エフエム滋賀の皆さん。グループで来られていた。以前、「北船路米づくり研究会」の活動をいろいろ番組で取り上げてもらった。パーソナリティの 川本 勇さんやマネージャーの 中村恭子さんが取材にきてくださった。そして、番組に学生も登場させていただいた。そのときにお世話になったプロデューサーの方から、「おひさしぶりです」と声をかけてくださった。老人力がついているから、そうやって声をかけていただると助かる。
また、政策学部の 白石克孝先生のゼミ生でしたという、とある市役所の課長さんにもお会いした。職名からすると、役所の中枢におられる。「先生は、私のことを覚えておられるかな〜」とおっしゃっていたが、きっと記憶されているはず。
あと、NTTの方とか、いろいろ、再会・出会いの数珠つなぎ。この「利やん」では、こういうことがよくある。異業種交流の「場」ともいえる。そのような「仕事をぬき」にしても、いろいろな方達と知り合いになった。広い意味の「まちづくり」に関して、いろいろ頼まれたり、こちらからも相談をしたりお願いをしたり…。純粋に楽しみのつながりというのもある。大学とか学会とか、そういう枠組みを超えたところでの「つながり」に心から感謝。そういう意味で、「利やん」は、私の有り難い「まちの縁側」なのだ。
■「まちの縁側」とは、建築家、都市研究者、 都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家…である延藤安弘先生の造語です。延藤先生は、「まち行く人と交流して、子どもからお年寄りまで「あそこに行けば何か良いことがあるかもしれへん」と気軽に立ち寄れる、地域に開かれた新たな公共の場」を、「まちの縁側」と呼んでおられます。また、そのような「まちの縁側」が、いろんな地域で育っていく活動もされています。こちらがわかりやすいかもしれませんね。延藤先生のインタビュー記事です。
かしこい生き方のススメ 第80回NPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事 延藤安弘さん
■「利やん」は、私のような酒飲みに限定ということになるのかもしれませんが、「まちの縁側」と同等の機能をもっています。そういう、「まちの縁側」が、居酒屋だけでなく、いろんなところに分散しているといいなあと思います。たとえば、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」で活用している町家キャンパス「龍龍」についても、そのような「まちの縁側」であってほしいとずっと思ってきました。そこに、お世話役の人がいて、その人がプログラムオフィサーの役割を果たして、まちに開かれた形で、いろいろな活動(学生×まちの人×地域)を支えていく仕組みがあったらなあと、思ってきたのです。現在は、そのような方向を目指して、「大津エンパワねっと」の学生たちが、「まちづくりカフェ」という活動を展開しています。しかし、まだイベント実施にエネルギーをとられて、「地域に開かれた新たな公共の場」という段階には至っていません。なにか、変化が生まれてくるといいなあと思っています。
【追記】■村上くんとは10年ぶり…と書いたけれど、ご本人からは「約10年ぶりかなあと思っていたら、よくよく冷静に考えると、昨年琵琶湖フォーラムでお会いしていたなあと」と連絡がありました。老人力がついてきて、すっかりそういうことを忘れていました。写真ですが、上の方は、「利やん」の店員さん(けいこちゃん)に撮っていただきました。下の方は、村上くんが撮ったものです。被写体は別にして、なんだかエエ感じ〜の写真だなと思い、村上くんのお許しを得てアップさせていただきました。
防水デジタルカメラ「OLYMPUS TG-3 Tough」
■これから水田をフィールドにした調査が続きます。これまでは、しっかり撮るときは重い重いデジタル一眼レフ「CANON40D」を、普段は「iPhone5」のカメラを使っていました。ところが、これでは画質と機動力の両方を満たすことはできません。ということで、両者の「中間」にあたるデジカメを入手しました。
■先月、滋賀県甲賀市の小佐治で開催された 「豊かな生き物を育む水田プロジェクト」の「生き物観察会」に参加しました。「総合地球環境学研究所」の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」との関連での参加です。そのとき、研究仲間が持っていたデジカメは、RICOH「WG-4 GPS」でした。防水であることに加えて、電子コンパスが搭載されていて、撮影場所の情報(気圧・高度/水深・方位)をカメラで確認できる…とのこと。GPSもついています。これは、水田ような水っぽいフィールドワークで使えそうなデジカメなのです。「私も欲しい!!」と思ったのですが、幾人かの方達からfacebookを通してアドバイスをいただきました。「OLYMPUS TG-3 Toughも評判が良い」ということを教えていただき、自分でもいろいろ調べてみました。そして結果として、「OLYMPUS TG-3 Tough」の方にしたのです。電池の消耗度がどの程度なのか、よくわかりません。一応、予備用のバッテリーも同時に購入してあります。
■ところで、このデジカメ、「超マクロ機能」の性能がすごくすぐれています。本体自体も優れているのですが、上の写真のデジカメの手前、少し白い輪っかがありますね、この「LEDガイドライト」を使うと、TG-3のLEDの光が入って渦を巻くようにリング全体が発光し、被写体を美しく撮ることができます。被写体に均一に照射し、陰などを消し込んだ撮影が可能なのだそうです。楽しみです。これ以外にも、「テレコンバーター TCON-T01」(望遠)と「フィッシュアイコンバーター FCON-T01」(超広角)も入手しました。なかなか時間を取れませんが、生き物、美しく撮る技術を身につけていたきたいと思います。
■この「OLYMPUS TG-3 Tough」には、すぐれたレポートがあるので、ご覧いただければと思います。
顕微鏡にもなるタフネスデジカメ!? オリンパス「TG-3」を衝動買い!
■こちには、オリンパスによるGPSの他社比較テストです。
STYLUS TG-3 Tough GPS性能テストTG-3の進化したGPS性能を他社カメラと徹底比較!
薬師寺・東塔の心柱(しんばしら)
■3月に篠山ABCマラソンを走ってから、脚の故障、胸の肋骨(軟骨)にヒビがはいり…と、走る気持ちがしだいに萎えていき、そのうちに暑い夏になり、夏休みこそと思いつつ、忙しさにかまけて…今日に至っているわけです。体重にそんな変化はありませんが、筋肉は落ちてしまっていますね。すっかり、普通の中年のおじさんに体力は戻ってしまっています…■半年前までは、奈良の自宅周辺を10kmから15kmほど、よく走っていました。そのような、私のランニングコースに、自宅から南下して唐招提寺と薬師寺をめぐって帰宅するというものがあります。これで、だいたい10kmになります。
■はい、前置きが長くなりました。今日は、薬師寺東塔の心柱が、解体修理のために取り外しされたという話題です。創建以来、1300年で初めてのことなのだそうです。心柱の中は、長い歴史のなかで劣化し、空洞の部分もあるようです。薬師寺の僧侶の皆さんの読経のなかで、そろそろと心柱が移動する様子は、単なる修理とは違って、なにか神聖な存在に触れるかのようです。2つの動画をじっくりご覧いただければと思います。これから修理とともに、柱を支える基壇の発掘等の調査も行われるようです。下の動画では、管長である山田法胤で、古代の謎が解ければよいといっておられます。どんなことが見えてくるんでしょうね〜。
■この話題とは直接関係ありませんが、薬師寺の管長である山田さんや副住職をされておられる村上太胤さんをはじめ、多くの僧侶の皆さんが、龍谷大学文学部を卒業されておられます。このうち村上さんは、現在、龍谷大学の同窓会組織である「校友会」の会長をつとめておられます。
阪急梅田の「新聞原稿」箱
■老母の生活介護に週1回かよっています。介護世代です。そのさい、必ず阪急宝塚線を利用します。その宝塚線の一番端に、写真のような箱があります。「新聞原稿」と書いてあります。なんとなく推測できるのですが、不思議な箱ですね。同じように「なんだろう…」と思う人が多いようですね。ネットにこの箱に関する説明がありました。まあ、その情報が正しいのかどうか、私自身は確かめることはできませんが、参考にはなります。facebookでも鉄道ファンのページに投稿したところ、お詳しい方から説明を受けることができました。
■今はE-mailがありますし、インターネットで簡単に原稿を送ることができますが、ずっと以前はそうではありませんでした。手書きの原稿を、鉄道を使って届けていたようです。お詳しい方のお話しでは、「各新聞社と阪急が契約をしていて、新聞原稿を(格安で)荷物として本社(大阪本社)に届けるのに、しっかりと間違いなく届く鉄道を利用」したのだそうです。「京・阪・神にある新聞社の支局(支社)が例えば河原町の駅に預けると駅員が運転士に渡し、運転士が梅田駅でこの箱に入れる」、そして電話で連絡を受けた本社の方が、梅田駅まで記事を受取にいく…そんな仕組みになっていたようです。なるほど…です。
■しかし、インターネットの時代に、どうしてこの「新聞原稿」の箱が残っているのでしょうか。撤去するのが面倒だから…とか。あるいは、非常の際の通信手段を残してある…とか。きっと何か理由があるかと思うのですが、実際のところはどうなんでしょうね。
iPhone6
■いろいろ噂はありましたが、とうとう発売になりました。これまで、初代のiPhoneから使い続けてきましたが、現在使用中のiPhone5は、もうバッテリーが完全にアウト状態。すぐに外付けバッテリーを使わねばならないようになってしまいました。じつは、スリープポタンやバッテリーに欠陥があり、無料で修理してもらえる対象にもなっています。しかし、今回は修理に出さずに、次のモデル、iPhone6に移行しようと思います。
■今回は、5.5インチのサイズも用意されています。大きいのと小さいの。どっち??悩みますね。それから、大きくなっただけでなく薄い、ディスプレイが美しい、バッテリーが長持ちする(これが重要)、ビデオが優れものになっている、Wi-Fi接続がよくなる、指紋によるセキュリティ…といろいろ特徴があるようです。楽しみです。でも、当分の間は買うことができないでしょうね。もうしばらくの辛抱です。
早朝の出勤
■今朝は、自宅を6時10分過ぎに出ました。昨日中に、午前中の会議資料を咲く瀬艇しておかなければならなかったのですが、それを失念したため、仕方なしに早朝の出勤です。ずいぶん涼しくなりましたね。写真は、駅にむかう踏切でちょっと立ち止まって撮ったものです。仕方なしの早朝出勤ですが、やはり早起きは気持ちがよいものです。その気持ちと、朝日の風景が同期したのかもしれません。
■プラットホームに並ぶ乗客の皆さんも、半分程の方たちが長袖を着ておられます。本格的な秋に移っていきます。大学の仕事の方も、本格的に始まっています。「大津エンパワねっと」の学生たちの指導は、8月末から始まりましたが、先日(7日)、「報告会」が無事に終了しました。今週は、教授会や研究科委員会もあります。また慌ただしいヒ日々が始まります。
近鉄の「かぎろひ」
■通勤では、近鉄「大和西大寺」駅を利用します。乗り換えです。昨日、電車を降りた時に、目の前にこの「かぎろひ」が一時的に停車していました。これは、近鉄特急の12200系を団体専用列車15400系に改造した、クラブツーリズムという旅行会社専用の団体列車なのだそうです。なかなかシックな色使いですね。とろこで、「かぎろひ」ですが、明け方の空の明るみ、曙光(しよこう)のことなのだそうです。 万葉集に「東(ひむがし)の 野にがきろひの 立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ」(東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡)という柿本人麻呂の歌があるようです。
■このような解説をみつけました。なるほど〜と唸ってしまいました。夜明けの風景の裏側にある意味を解説されています。
東の野を見ると朝日の光が輝いており、振り返って西を見ると月が沈みかけている)
10歳の皇太子・軽皇子が、藤原京東の阿騎野(あきの)で狩りをされた時に、お供をした柿本人麻呂が詠んだ歌です。
ただし、これはただの狩りではありませんでした。
28歳の若さで亡くなった軽皇子の父・草壁皇子を追悼する意味をもった狩りでした。亡くなった草壁皇子も、昔この阿騎(あき)の野で狩りをされたことがあったのでした。
この人麻呂の歌は早朝の狩野の雄大な景色を描きながら、景色だけではなく、そこに亡くなった草壁皇子への哀悼の気持、そして来るべき軽皇子の世を祝福する気持を詠み込んでいます。
沈んでいく月を亡くなった草壁皇子に、のぼってくる太陽を軽皇子にたとえているのです。
この阿騎野の狩りから5年後、15歳の軽皇子は持統天皇からの譲位を受け、文武天皇として即位しました。
■いや〜、勉強になりました(黒字強調の部分)!! 鉄道の話しだったんですが…。阿騎野(あきの)って、今の奈良県の大宇陀のあたりです。奈良には暮らしていますが、奈良のことをわかっていませんね〜。滋賀と大津ばかり。
「地域エンパワねっとⅡ」閉講式と慰労会
■6期生の「地域エンパワねっと」の閉講式が、昨日の「報告会」「交流会」に続いて開催されました。6期生の皆さん、良い笑顔をされているので、人それぞれでしょうが、何か満たされるものがあるのでしょうね。 おめでとうございます。私も、ここまで皆さんに伴走してきましたが、少しホッとしています。しかし、一休みといってもいられません。月末からは次の学年7期生の取り組みが始まるからです。
■上の写真は、全体の記念写真*。下の自撮の写真は、私が直接指導したチームの皆さんです。厳しい指導だったと思うので、辛いときもあったかもしれませんが、最後まで頑張ってよく取り組んできました。「大津エンパワねっとコース」を修了すると、大学により「まちづくりコーディネーター」の資格が認定されますが、昨日の閉講式では、直接指導した一人一人の学生に認定証を手渡し、しっかり握手をさせてもらいました。
■閉講式のあとは、「エンパワ」でお世話になっている「大津の町家を考える会」の雨森さんと、ドイツレストラン「ヴュルツブルク」で慰労会を持ちました。雨森さんは、もちろん「報告会」と「交流会」にも来てくださったのですが、エンパワの交流会にはお酒が出ません。車に乗ってこられる人もおれますし…。まあ、仕方がないのですが、雨森さんと私は、ものすごくもの足らなさを感じたというわけでして…。そんなこともあり、雨森さんから「ドイツビールでも行きますか?」とお誘いを受けたのです。石山駅まで向かい、そこからは雨森さんの奥様の運転で、「ヴュルツブルク」へ。美味しいビールをいただきました〜。昨晩は、奇麗な月がのぼっていましたし、ビールを楽しむのにはうってつけの夜でした(本日9月8日(月)は、中秋の名月なのだそうです。雨森さんに教わりました)。
■雨森さんとお別れし、JR「膳所」駅から京都に向かいました。そして、近鉄に乗って帰宅しようとしていたまさにそのとき、突然私の前に1人の若者がたちはだかったのです。びっくり。「わきたせんせー」と声をかけてきたのは、エンパワ6期生の諸君でした。そのエンパワ6期生の諸君に拉致されるように(いや、私が誘ったのかな…)、京都駅近くのアイリッシュハブに移動しました。私が学生の頃は、まだ受け継がれていた大学の「酒文化」。もう絶滅してしまったと思っていたのですが、少数ではあるにしろ、こういう学生たちも健在なのですね。ちょっと安心しました。6期生の諸君は、閉講式のあとに、有志が集まって瀬田駅近くの居酒屋で慰労会をもったのだそうです。雨森さんと2人で慰労会をしたように、学生たちも慰労会だったのですね。偶然に、京都駅で一緒になったというわけです。 お酒の力も手伝って、ここには書けないちょっと「コイバナ」っぽいことなども聞かせてもらい、楽しい時間をもつことができました。また、こうやって呑みましょう。
■ところで、この日の「報告会」には、「エンパワ」修了生や卒業生の皆さんが7名も駆けつけてくれました。そのうちの1人であるMくんは、後輩たちの報告会の内容を聞くために、わざわざ姫路からやってきてくれました。報告会が終わると、交流会に参加する時間的余裕もなく、明日の仕事の関係ですぐに姫路に戻っていきました。Mくんを初めとして、先輩たちはどうして忙しいなかわざわざ報告会に来てくれているのでしょうか。後輩たちの活動を気にかけてくれているのでしょうか。おそらくは、彼ら彼女ら自身も、きちんと説明できないのではないかと思います。しかし、とても気になるのです。「エンパワ」では、先輩から後輩へ、先輩から後輩へと、眼に見えない「エンパワ魂」が受け継がれているように思います。その「エンパワ魂」がきちんと受け継がれていることを確認し、それらがより豊かに大きくなっていることを確認することで、先輩たちも安心してくれているのではないでしょうか。Mくんは、私にこういっていました。「後輩の報告をみていると、僕らのときと比較して、すごいなと思いました。自分たちのやったことが恥ずかしい…」。6期生の活動が、Mくんが思うほど優れた活動だったのかどうかは別にして、少しずつ成長・発展しているの確認して、安心してくれていると思います。
■最後の写真は、「エンパワ」とは特に関係していませんが、なんとなく閃いて、撮ってみたものです。なにか、現在の気持ちと相関しているのかもしれません。
*スクリーンの「大津エンパワねっと」のタイトルは、5月末で退職された奥田伊代さんが作成してくださったものです。