NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京 ― 不死鳥都市の100年 ―」
■これは、すごい…と思います。「不死鳥都市」という言い方にシックリこないところもありますが、とても期待してしまいます。しかしです。なんといいますか、ナレーションと音楽で、かなり「その気」にさせられてしまいますね。トップ画像の下にある「投稿」をクリックしてください。NHKがfacebookに投稿した動画をご覧いただけます。詳しくは、以下のサイトをご覧いただければと思います。
http://www.nhk.or.jp/special/phoenix/
■この公式サイトのなかに、東京という空間の歴史を地層に例えて表現している部分があります。最近、こういう「発想」、あちこちでみかけますね。たとえば、「東京時層地図」とかもそうです。まさに、「時」間の地「層」ですから。埼玉大学教育学部の谷謙二さんは、「今昔マップ」というサイトを運営されています。まだ、詳しくみていませんが、このサイトも興味深いですね〜。
『フルサトをつくる』(伊藤洋志・pha)
■おもしろいタイトルの本をみつけました。『フルサトをつくる』です。「故郷」ではありません。「フルサト」です。そもそも「故郷」だと「つくる」ものでもありません。そもそも「故郷」は、自分の意志でつくったり選択したりできるものではありません。でも、「故郷」ではなくて「フルサト」なのです。
■タイトルからすれば、いっけんしたところ「ゆるゆる」の本のように思えますが、いや、なかなかどうして。かなりの「本気度」です。「ゆるゆる」の着ぐるみのなかは、意外と…なのです。(本文、続きます)
目次
はじめに―― 21世紀のスーパーディフェンシブ生活体系のすすめ 伊藤洋志
はじめに―― 帰るべき場所は自分でつくろう pha第1章 フルサトの見つけかた pha
人の縁をたどっていこう /人・環境・交通 /面倒臭くなって行かなくならないためには第2章 「住む」をつくる 伊藤洋志
「どこに住むか」についての考え方 / 家をどうやって探すのか? フルサトの家確保条件 / 建ててしまってもいい、小屋作戦 / フルサトのきっかけづくりは瞬発力が必要 / 遠くと連携しよう / フルサトを行き来する意義 / 行ったり来たりを無理なくする方法第3章 「つながり」をつくる pha
「つながり」をつくる /移住者コミュニティがあると楽 / ときどき来る人のネットワーク / ゆるい流動性をつくる /骨は埋めなくていい? /オープンとクローズドのあいだ /「人を集める」と「人を集めない」の使い分け第4章 「仕事」をつくる――「頼みごと」をつくる 伊藤洋志
フルサトでの「仕事」になる要素 /家計と自給力について 経済は何かが交換されて循環すればよい /古きナリワイをアップデートする 都会に住みながらもフルサトでやれるナリワイの考え方 / 土地を持たない遊撃農家 /仕事はお金を正しく使うことから第5章 「文化」をつくる pha
日本中どこでも都会的な文化が楽しめるようになった? / 観光客向けの文化と住人向けの文化 / 自分たちで町を作る / カフェという都市的文化空間 / 小さな図書館をたくさん作ろう / 旅と日常のあいだ / 文化は楽しみながら作れる / 生活とともにある文化 / 都会の人を呼んでくるという手もある / 一つずつ必要なものを作っていく面白さ第6章 「楽しい」をつくる――「〜したい」をつくる 伊藤洋志
フルサトならではのテーマを探求する / 温泉掘るぞ!――老害問題を防ぐという一大テーマに挑む / 古代の人たちもフルサトをつくっていた / 田舎はチャレンジするスペースが空いている / 目指せニンジャ幼稚園――田舎ならではの教育を考える / ヨタヨタのジャンキーと健康優良不良少年 / 「都会は冷たい、田舎には刺激が無い」を超えて第7章 フルサトの良さ――多拠点居住の意義 pha
都会と田舎を往復する暮らし / 都会への人口の集中の歴史 / 家族制度と住居形態の変遷 / 家は一人では使いにくい / 複数人で複数の家を使ってみよう /自分が楽しいことをやっているだけ / 都会と田舎を連動させようあとがき 伊藤洋志
あとがき pha
卒業生からの報告
■ゼミ卒業生から、「苦節◯年で、教員採用試験に合格した」という嬉しい報告がありました(◯のなかの数字はご本人のために内緒です、苦労しました、頑張りました)。中学社会の教員として採用されることになりました。来年の3月にならないと、どの中学に赴任するのかはわからないようです。以前、ご本人から聞いているのですが、高校野球時だった彼としては、野球部の顧問となって中学生の野球の指導を行いたいという希望をもっています。うまくいくといいですね。
■彼は、滋賀県の彦根の人です。彼のように、地元に残り、家を継ぎ、先生・公務員・農協職員…をするというのは、私たちの年代ではよくある「長男のパターン」でしたが、現在の若い世代ではどうなんでしょうか。昨今の「若者の地元志向」との関連からも気になるところです。話しはかわりますが、この卒業生からの連絡を受ける前、朝1限は「地域社会論Ⅱ」の授業でした。そのなかで、朝日新聞に掲載されいた千葉大学の広井良典さんの記事を紹介しました。以下が、その記事です。
人口減少は、ひたすら「拡大・成長」を目指してきた日本の社会を変えるチャンス。教育を変えるチャンスでもある。
教育は、社会の「中央集権・上昇」志向を反映すると同時に、それを強化してきた。東京に進学し、そのまま就職することを良しとする「村を捨てる教育」。経済成長のために効率的だったからだ。
でも、もう「東京に行けば何とかなる」時代ではない。例えば失業率。東京は全国平均より高いくらいなのが実情だ。
成長の時代は、すべての地域が「進んでいる―遅れている」という一元的な物差しの中に位置づけられる。だが、人口減少時代においては、その物差しから人々が解放され、地域ごとの文化的な多様性に人々の関心が向かうようになる。教育も地域に根ざしたローカル化や分権化が重要で、これからは地域で活躍する「ローカル人材」の育成に力を注ぐべきだろう。
若い人の中にはローカル志向が芽生えつつある。私のところの学生もそう。ただ、実際に地方に移り住むにはまだハードルが高い。関心はあるけれど踏み出せない人を後押しするには、地方での雇用と生活に対する支援が必要だ。総務省の「地域おこし協力隊」のような仕組みを、もっと進めた方がいい。
人口減少社会では、教育など「人生前半の社会保障」が重要性を増す。もっとお金をかけていい。財源は、若い世代に余分な借金を背負わせない方法を考えるべきで、年金額が高い人への課税強化も一案だ。
■広井さんは、「進んでいる-遅れている」という一元的尺度(価値判断の物差し)を脱却し、それぞれの地域ごとの固有の「幸せの物差し」をみつけ、「ローカル人材」を育成していくべきだというのです。こういう議論は常に繰り返し登場します。高度経済成長期の乱開発や公害の問題が噴出したあとは、従来の「近代化論」に対して「地域主義」や「内発的発展論」等の議論が対抗的に登場しました。あの時代、まだ人口は増加していました。高齢化率もまだ低かったわけです。右肩上がりの成長神話に対して疑問はなげかけられても、まだ様々な社会制度の基本は「成長社会」を目指すものであり、「成熟社会」の段階のものではありませんでした。しかし、今回ばかりは「人口減少社会」のなかで、本気になって広井さんのいうところの「ローカル人材」を育成していく必要があります。私自身も、そのような思いから、地域連携のなかで学生の教育を行っています。
■話しを卒業生に戻します。彼が、どういう気持ちで教員になりたかったのか。何年も講師をしながら教育を目指すからには、なにか核になる「本気」が彼の心のなかに潜んでいたはずです。単なる、安定志向ではない、「本気」の部分が。昼食タイムになり、私のiPhone5の「LINE」が鳴り続けています。同級生のお祝いのメッセージ&スタンプが次々と送られてきているからです。苦労して教員採用試験に合格した仲間を同級生が祝っている様子をみて、私もとても嬉しい気持ちになります。彼の同期の連中と集まって同窓会もかねたお祝いの会ができたらと思っています。そのとき、彼の「本気」について聞いてみたいと思います。
【追記】■この学年が3年生のときのコンパの写真を(今の学生は飲み会といいますが…)、ハードディスクのなかから引っぱりだしてきました。トップに掲載します。この学年の人たちの多くとは、LINEやfacebookでもつながっています。便利な世の中になりました。
京都タワーとイメージの変遷
■本日、10月1日は、「展望の日」です。全日本タワー協議会が2006年に制定したもので、10月の「10」を「テン」、1日の「1」を「ボー(棒)」と(むりやり…)読むのだそうです。この「展望の日」をアピールするために、昨晩(9月30日)、協議会所属のタワーは赤くライトで照らされたようです。関西だと、「京都タワー」、「通天閣」(大阪)、「ポートタワー」(神戸)が赤くなったようです。トップの写真は、帰宅途中に撮ったものです。たしかに、いつも白いタワーの柱の部分が赤く染まっています。
■みなさん、「京都タワー」に登ったことがあるでしょうか。私は、2回ほどあります。展望台からの風景はなかなかのものだと思いますが、建設当時は、いろいろ論争があったようです。以下は、土木学会の論集「環境システム研究論文集」(2007)に掲載された「京都タワーのイメージ変遷に関する研究」(稲本 健太朗・岡田 昌彰)からの引用です。
設立当初より建設反対論が渦巻く中,京都タワー は意外性とともに外観の美が認識されるようになる.京都のシンボルあるいは地元の風景といった京都自体とのイメージ的結びつきも次第に発現し,いわば地元への同化の進行がここに読み取れよう.高さの認識は 1990 年代前半まで漸増するが,1997 年の新京都駅ビル完成後はその認識の割合も減少し 来塔者数にも減少が見られる.現在でもランドマー クとしての役割は継続して見られるが,これは 1969 年当時で 20m など高さ制限(その後,45m に推移) を京都市が長く発布し周辺建築の高層化が他都市に 比べ大きくは進行しなかったことが背景にあるもの と考えられる.これにより周辺域との相対的高さは 確保され続けてきたが,1997 年の新京都駅ビル竣功 と前後してこのイメージに低下が見られる.また, 新京都駅ビルの竣功はタワーを眺める新たな視点場 を生成させている.
いっぽう,灯台なる当初設計におけるモチーフとは何ら脈絡を持たない「蝋燭」なるイメージが竣工後オブザーバーにより付与され,それが次第に定着し,現在は逆にこの事後的に形成された通説が当初設計におけるモチーフとして認識される傾向があることはたいへん特徴的である.マスとしての形態をもつ応力外被構造の京都タワーはゲシュタルトとしての認識が卓越するものと考えられる.このことがオブザーバーによる見立てを促し,さらに否定・肯定両面における社会的注目度の高さがオブザーバー主体によるこの意味づけを通説へと昇華するまでに強化していったものと捉えられる.このことは,塔状構造物の形成するイメージと,塔の形態ならびに立地地区の地理的条件,及び社会的背景との間にみられる関係性を示唆する知見であるといえる.内外における他の塔状構造物とのさらなる比較検討を今後行う必要があろう.
加えて,設立40周年を迎えた近年においては,上 記のような元来のモチーフや設計における構造特性 などといった京都タワーの歴史的系譜そのものに対 する関心も生じてきている.東京タワーや通天閣な ど国内における他の塔状構造物が映画などのメディ アを通じて“地域資産”“文化財”あるいは“都市 の原風景”という新たなまなざしで注目される社会 的趨勢の影響も考えられるが,40 年という期間が 人々の意識に与えうる影響を端的に示す史実として 指摘されよう.
■昨晩、facebookにこの写真を投稿したところ、ある方から「もともと京都タワーは『ロウソク』をイメージしてるんですよね」というコメントをいただきました。しかし、上記の引用にもあるように、「ロウソク(蝋燭)」ではなく、建設当初は「灯台」をイメージして設計されました。市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものなのだそうです。以下は、「京都タワー」のサイトから[url-http://www.kyoto-tower.co.jp/kyototower/about/index.html]引用です[/url]。
京都駅の烏丸口から出ると、真正面に京都タワーが見えます。 1964年(昭和39年)12月に誕生したタワーの独特な姿は、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの。その姿だけではなく、構造も個性的ってご存じでしたか?
■当初は景観論争もあったようですが、今では上記の論文の引用にもあるように「京都のシンボルあるいは地元の風景といった京都自体とのイメージ的結びつきも次第に発現し,いわば地元への同化の進行」していきました。見る側の「眼差し」が、見られる側(物としての建築物)の社会的意味付けを変化させていったわけです。仏教寺院が多数ある「京都らしい」イメージとして受容されるさいに「ロウソク(蝋燭)」という新たなイメージが付与されているのです。私自身も、京都の景観について調べる前までは、「蝋燭」という流布したイメージで、そして京都のランドマークとして受け入れていました。
■この京都タワー、怪獣映画のなかにも登場するようです。映画『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)です。1993年になっても、まだ怪獣映画が製作させていたのか…というのが私の正直な感想ですが、それはともかく、この映画のなかでは、ゴジラの熱線によって京都タワーが破壊されているのだそうです。また、『日本沈没』(1973)のなかでは京都タワーが倒壊するのだそうです(両方ともwikipediaの情報ですが…)。1973年に『日本沈没』の映画が上映される頃には、京都といえば「京都タワー」(お寺のロウソクイメージ)が定着していたのでしょう。
造形衝動の一万年
■滋賀県立安土城考古博物館で、「平成26年秋季特別展 造形衝動の一万年~縄文の宇宙/円空の衝撃/アール・ブリュットの情熱~」が開催されています。このポスターを拝見してちょっと衝撃を受けました。素晴らしい、実に素晴らしい!! 期間は、9月20日(土)~11月30日(日)です。観覧してみたいのですが…。行けるかな。
人間は、古来、自らの内にある表現欲求に従い、さまざまな造形物を製作してきました。
本展では、文化財として遺されている造形物の中から土偶・木偶・埴輪といった考古資料を中心に、鉈彫・神像彫刻・円空作品などの異端の宗教造形物の系譜をたどり、さらに近年注目されているアール・ブリュット作品から海外の民族資料にまで視野を広げ、人間の精神の奥底に潜む「造形への衝動」を浮かび上がらせていきます。
■アール・ブリュットについては、滋賀県庁のホームページにある以下の説明をご覧ください。
フランスのジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)という芸術家が考案した言葉で、日本語に訳される場合には一般的に「生の芸術」とされ、「美術の専門的な教育を受けていない人が、伝統や流行などに左右されずに自身の内側から湧きあがる衝動のまま表現した芸術」と解釈されている。作者に障害のある方が多いことから、障害者アートと解釈されることも多いが、同じ意味ではない。
■さらに、滋賀県近江八幡市にある「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」のサイトもご覧いただければと思います。
【追記】■我が家に新車がやってきました。その新車に乗って、琵琶湖博物館の「第22回企画展示:魚米之郷(ぎょまいのさと)-太湖・洞庭湖と琵琶湖の水辺の暮らし-」、そして上記の安土城博物館の「造形衝動の一万年~縄文の宇宙/円空の衝撃/アール・ブリュットの情熱~」、そして最後に「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」、この3つに1日で行ってみようかなと思っています。できるかな…。
「大津エンパワねっと・7期生」
■先週の金曜日、「大津エンパワねっと・7期生」の「地域デビューin中央地区」でした。当日の写真が、Facebookにアルバムとしてアップされました。以下をご覧ください。
2014年度後期「地域エンパワねっとⅠ(7期生)」第2回授業_2014.9.26(金)
■写真は、「町家キャンパス龍龍」を見学した7期生です。7期生は55名。約半分の学生がここに写っています。7期生の皆さんには、6期生の先輩たちが残してくれた「メッセージ」をぜひ読んでほしいと思います。実際に、この授業を体験した者でしか言えない、すばらしいメッセージだと思います。
インデアンカレー
■昼過ぎに大阪梅田を通りました。昼食です。時間がなければ立ち食いうどんになりますが、それなりに時間があれば、ちょっと美味しいものを食べたくなります。何をたべるのか…少し迷いました。蕎麦、ラーメン、カレーに関してはいつもいく店を決めています。蕎麦は「御陵院 香雅」、ラーメンは「揚子江」。「御陵院 香雅」は、JRのガードしたにある「新梅田食堂街」にありますが、「揚子江」の方は、場所ですが少し梅田から遠ざかってしまいました。となると、「蕎麦」か「カレー」です。昨日は、「カレー」にしました。当然のことながら「インデアンカレー」です。
■いつもの「インデアンカレー」で気合を入れました。「気合だ!×10」ぐらいの気持ちです。写真は、三番街店のものです。これまたいつものように、「ルー大盛り」「卵」です。こちら三番街店の「ライスの盛り方」と「ルーのかけ方」、個人的にはとても素晴らしく思えます。美しい。「インデアンカレー」は全部で9店、 芦屋店、淀屋橋店、中之島フェスティバルプラザ店、南店、アバンザ店、長堀店、堂島店、三番街店、丸の内店。私は、まだ三番街店と南店にしかいったことがありません。ルーの味は同じだと思いますが、「ライスの盛り方」と「ルーのかけ方」については、私は三番街店の方に軍配をあげます。まあ、どうでもよいことなのですが、どこかでちょっとこだわりたい…そんな気持ちがあります。残りは7店ですが、「全制覇」できるように計画的にすべての店にいってみようかなと思っています。それぐらい、「インデアンカレー」のファンです。でも、カレー一般が大好き!!…というわけでもありません。ここのカレーが好きなのですね。
Post-it® Plus
■よくワークショップってやりますよね。そのさい、しばしば、模造紙とポストイットカードを使います。別に、模造紙とポストイットカードでなくてもよいのですが…。知らないあいだに、ポストイットカードを販売している「3M」の戦略に乗せられているのかもしれません。それはともかく、その「3M」がアプリを発売しました。発売といっても無料。
■いろいろ書き込んだポストイットカードに並べる。それを写真で撮る。50枚を一気に切り出してくれるそうです。撮影したカードがかなり細かいところまで、1枚1枚を順にスワイプして見ていくこともできるのだそうです。ここからの説明を引用しますが、かなりの「すぐれもの」っぽいです。これって、やはり「3M」に踊らされているのでしょうか…。
エクスポートも多彩で、このアプリ独自フォーマットのままバックアップできるのはもちろん、PDFやPowerPoint、Excel、zip(jpeg)での出力が可能。
PDFを選ぶとボードを丸ごとPDF化して並びとかをそのまま保存できますが、zipを選ぶとボードの全体図画像に加えて、1枚ずつ切り出されたポストイット画像、何の補正もしていないカメラ撮影画像がワンセットになっています。
しかもちゃんとグループ分けされたファイル名が付けてあるので大変扱いやすいデータとして取り出せるんです。
■このアプリ、iOS8以上じゃないと使えないのだそうです。問題ありありのiOS8…。迷いますよね〜。私は、トラブル続出の事実を知らずに、すでにアップデートをしてしまっています。ということで、このあアプリをダウンロードしてみました。使いごこちは、いずれまた報告します。
■これは妄想。ワークショップ参加者が、iPadをもちよる。画面には、共通の机が用意されている。そこに、なんらかのアプリでポストイットカードに書込みをして、はりつけています。すべてバーチャルで。参加者のiPadはシンクロしていて、まるで机の上で実際にワークショップをしているような感じになる…。だめでしょうね。やはり「身体」を使ってやらないと。
猪鹿庁(里山づくり)
■「猪鹿庁」の公式サイトです。
中山間地での里山保全活動を軸に、里山と関係を持つ多くの人たちと繋ぐことで、循環する新しい里山作りの活動を楽しく実践し、面白く提案していく任意機関です。狙った獲物は逃さない、ベテラン猟師を中心に構成される捜査一課から、みんなの里山を育てる林業者の山育課、里山保全のブレーン研究課には学者たち、安心安全の獣肉を届ける衛生管理課、おいしさを命と共に提供する料理人たちのジビエ課、想いを形に広報課の6課で構成しています。対立を生まない対話と共生の姿勢を持ち、人間が持続可能な社会を築いていくための里山保全活動に取り組んでいきます。
Jascha Heifetz - Bach, Chaconne From Partita No.2 In D Minor, BWV 1004
■昨日、突然、空から「音楽」のイメージが降ってきました。学生オーケストラの時代に演奏していた曲のイメージです。それは、ピエトロ・マスカーニが作曲したオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲でした。当時、この曲をたびたび私の所属していた学生オーケストラでは演奏していました。年に何度か大阪や神戸の複数の小学校で音楽教室を開催し、活動資金を稼いでいました。その音楽教室には、必ずこの曲が入っていました。そなんことをfacebookに投稿して、学生オーケストラ時代の後輩たちからコメントをもらったりしていると、いろいろ当時のことが思い出されてきました。
■私が学生オーケストラ(関西学院交響楽団)に入部した頃、部室は、仮説の狭いプレハブの建物でした(私が入部する数年前に、部室は火事で焼けてしまっていました)。今から30年程前に新しい学生会館が建てられ、専用練習場もできましたが(私たちが卒業したあと…)、当時は、アメリカンフットボール部やボート部といった体育会の様々な部と同じ2階建てのプレハプの建物のなかありました。体育会系の部は1階、文科系の部は2階だったように思います。もちろん練習場も専用の場所はなく、古い学生会館のなかにある音楽練習場を他の音楽系サークルと共用していました。全体の練習は、音楽練習場でやるとしても、個々人の練習はそういうわけにはいきません。学生会館の片隅やテラス、そして体育館の軒下…といった場所で練習を行いました。
■こういう外の環境は、特に木製の弦楽器や管楽器に良いはずがありません。しかし、雨の日も風の日も、こういった環境でひたすら練習に励みました。冬は寒さに凍え、夏は厚さや湿気、さらには蚊の襲撃に悩みながら練習を続けました。音楽系サークルといっても、体育会の部のようにひたすら練習に練習を重ねる日々でした。当時は、スキーやテニスのサークルが花盛りでしたが、私たちはそのようなある意味「学生らしい」ことは一切しませんでした。といいますか、そういうことをやっている余裕がありませんでした。特に弦楽器のパートの学生たちはほとんど「初心者」でした。練習をひたすら積み重ねるしか、定期演奏会に出る方法はなかったのです。
■練習は(弦楽器であれば)、以下のように練習を積み重ねました。「個人」練習。先輩による「指導」。ひとつの譜面台で一緒に演奏しなが練習する「プルート練習」。パート全体で一緒に練習する「パート練習」。1stバイオリン、2ndバイオリン、ビオラ、チェロ1名づつで行う「カルテット」による練習。ここにコントラバスが1名加わる「クインテット」による練習。それから、弦楽器セクション全体でおこなう「弦セク」とよばれる練習。オーケストラ全体で行う「総合」練習。今から考えると、よく考えられたやり方だと思います。弦楽器パートは、ほんんどが「初心者」の人たちです。そんな「初心者」の集まりであっても、鍛え上げていく練習メニューが用意されていたのです(当時は、これが当たり前…と思っていましたが)。まあ、時間的余裕がある学生だからこそ、できることでもありますが…(今の学生さんたちにはどうでしょうか…)。
■そうやって定期演奏会に向けて練習を積み重ねながら、時々、時間をみつけてはモーツアルトの弦楽四重奏を楽しんでみたりしました。懐かしいです。それに加えて、私のようにバイオリンをやっているものであれば、個人的に楽しむ曲がありました。それはヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティー」と呼ばれる曲です。ソナタとパルティータがそれぞれ3曲づす、合計6曲から構成されています。バイオリンを弾く人であれば必ず弾く曲、愛されている曲なのです。しかし、なかなか技術的にはとても困難な曲…でもあります。難しいのです。全曲を弾きこなせるような人は、私がオーケストラにいた頃には誰もいなかったように思います。特に難曲として有名なのは、パルティータ2番のなかにある「シャコンヌ」という曲です。私も、夜、体育館の軒下でこの「シャコンヌ」を練習しました。あこがれの曲でした。しかし、きちんと弾けるようにはなりませんでした。動画は、20世紀を代表するバイオリニストの1人であるヤッシャ・ハイフェッツの演奏です。
【追記1】■本文の冒頭にピエトロ・マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のことについてふれました。せっかくですので、学生オケ時代の後輩が大勧めの動画もアップしておきます。リッカルド・ムーティの指揮によるものです。
【追記2】■Facebookで、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲に関して、学生オーケストラ時代の後輩たち以外からもコメントをいただきました。その方のコメントで、「中国英語のBGM」でも使われているということでした。少し調べてみました。「太陽の少年」(監督: チアン・ウェン)という映画でした。文化大革命時の北京を舞台にした青春映画です。この映画の最後のところで、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲が使われているようなのです。どんな映画か、それはこちらをお読みください。なお、映画のラストシーンはこちらでご覧いただけます。