「大津エンパワねっと・7期生」の「地域デビューin中央地区」
■今日は、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コース・「地域エンパワねっとⅡ」の授業がありました。エンパワも7期生が取り組むことになりました。ここまで継続してこれたのも、地域の皆さんのご支援があってこそです。今日は、7期生の「地域デビュー」の日でした。これから、地域住民の皆さんと一緒に活動をするにあたり、地域の様々な団体の皆さん、そして市役所の職員の方(都市計画部都市再生課)からお話しを伺ったあと、実際に地域を歩いてみる…そのようなプログラムが実施されました。平日の午前中であるにもかかわらず、多くの地域の皆さんにご参加いただきました。本当にありがたいことです。
■今日は、中央学区自治連合会、中央学区社会福祉協議会、体育振興会/子ども会育成協議会、丸屋町商店街振興組合、中心市街地活性化協議会、大津の町家期を考える会、大津市役所都市計画部都市再生課、そして大津エンパワねっと修了生(4期生1人、6期生2人)の皆さんにご参加いただき、8つのグループに分かれて、順番にお話しを伺っていきました。私たちは、「屋台方式」と呼んでいますが、それぞれの団体のブース(テーブル)を8グループの学生たちが順番にまわっていくやり方で進みました。地域の皆さんは、同じ話しを8回することになります。大変なわけですが、それでも「この屋台方式が、自分たちの活動の内容を多くの学生たちにきちんと伝えられる」ということで、今年も「屋台方式」でさせていただきました。
■今日は、エンパワ修了生も説明にきてくれました。大学のキャンパスで行われる授業とは違い、エンパワは仲間や地域の皆さんと連絡をとりあいながら、学外で事業を進めていくこともあり、なかなか大変なところがあります。そのあたりの7期生の心配に関しても、先輩である修了生の皆さんが対応してくれているようです。修了生のうち1人はエンパワ4期生です。今年の3月に卒業して、社会人になっています。「仕事の方は大丈夫なのか」と心配になりますが、たまたま休暇だったようで、後輩の指導に来てくれました。このような先輩の存在にも、心から感謝なのです。
■今朝は、エンパワ1期生の修了生とfacebookでやり取りすることがありました。こんなメッセージをもらいました。「エンパワも7期生とはすごいですね。あの授業のおかげで営業力がついたと思います。営業力=人と人を結びつけるチカラ、学生にとっては社会とつながる力なのだとわかりました。後輩にも地域で色々な人と繋がって頂きたいです」。素敵ですね〜。
滋賀県庁
■今日は、県庁で「つながり再生モデル検討会」(琵琶湖環境部・琵琶湖政策課)の打合せがありました。いろいろ頑張らなくてはいけない仕事です。会議が終わったとき、窓に目をやると、滋賀県庁本館の裏側が見えました。理由はよくわかりませんが、ちょっと素敵だな…と思えたので、iPhoneのカメラで撮ってみました。
【追記】
■滋賀県庁に関する最初の記憶は、琵琶湖博物館の開設準備室職員の採用試験を受験したときだと思います。でも、記憶はすでにおぼろげです。大きな試験会場で、30人近く受験者がいたでしょうか。なんとか合格者4名のなかに入ることができましたが、ぼやっとした記憶です。
■最初ではないけれど、強烈に残っている記憶があります。滋賀県庁に入庁したさいのことです。入庁式は、この写真に写っているレトロな本館ではなく、隣接する新館の7階(だったと思う…)のホールで行われました。高校を卒業したての方たち、大卒・短大卒の方たち、そして私のように30歳を過ぎて入庁する人も含めてたくさんの人たちが、ホールに集まっていました。式が始まるまでにまだ時間があったので、ホールの窓からなにげなく本館の方をながめていました。
■たくさんの窓がならんでいました。その窓を背にして、白いカバーがかかった肘付きの椅子、そして大きな机がみえました。ほとんどの窓に、そのような椅子と机が見えました。あとでわかりますが、課長級以上のポジションの方たちの席です。その向こうには、島状に固められた机が並んでいます。係長級以下の方達の席です。ある窓の白いカバーの椅子では、若い職員の方に入れてもらったお茶を飲みながら「エラいさん」が新聞を読んでおられました。そして島状の机では、職員の方達が仕事に取りかかり始めておれました。
■この風景が見えたときに、頭に浮かんだのは、官僚制という概念でした。「この風景、まさに官僚制やな〜。これから、この組織で働くんか〜」と、多少憂鬱な気持ちで眺めたのでした。というのも、官僚制という概念から数珠繋ぎ的に連想するのは、どうしてもロバート・キング・マートン(Robert King Merton)の「官僚制の逆機能」という概念になるからです。滋賀県庁に入庁し、ここで働くことを誇りに思い、笑顔で入庁式にのぞんでいる若い職員の方達とは少し異なる複雑な気持ちだったのです。この時代の滋賀県知事は、稲葉稔さんでした。どんなスピーチをされたのか、まったく記憶していません。困ったものです。
■入庁式のあと、滋賀県庁の向かいにある滋賀会館のオフィスにもどりました(滋賀県教育委員会文化施設開設準備室)。その日かどうか忘れましたが、そのオフィスに、滋賀県琵琶湖研究所の研究員をされていた嘉田由紀子さんが、挨拶にやってこられました(1年後に、博物館の準備室に異動されます)。そのとき、その嘉田さんが、15年後に第51代滋賀県知事に就任されるとは、ご本人も含めて誰も想像できなかったはずです。こうやって昔のことを思い出すと、なにか感慨深いものがあります。
滋賀会館
■ここは、滋賀会館です。滋賀会館は、2008年にはホールが閉鎖し、2010年3月31日にその他すべての文化施設機能が廃止されました。この滋賀会館が誕生したのは、1954年6月15日です。60年の歴史が経過しています。オープンした当時は、音楽、演劇、講演などの文化活動がホールで行われました。それだけでなく、結婚式場もあったと聞いています。他にも、映画館や県立図書館、地下には滋賀の名産を販売する銘店街やレストランなど、あらゆる機能が満載した施設でした。私と同年代以上の大津市民の皆さんにとっては、いろんな「思い出」がギュッと詰まったビルディングなのです。この滋賀会館、もうじき取り壊されることになっています。
■1991年4月から2年ほど、私は、このもうじき取り壊される滋賀会館の3階にあるとても狭いオフィスで仕事をしていました。滋賀県教育委員会文化施設開設準備室のオフィスです。私は、滋賀県立琵琶湖博物館開設を担当する「学芸技師」として滋賀県庁に採用され、この大津で働き始めることになりました。ほとんど研究している時間はありませんでしたが、人生にとって有意義な経験ができました(今から振り返るとですが…)。このときの人脈は、今でも大切にしています。それはともかくです。この滋賀会館のあと、私たちのオフィスは別の場所に移転しました。膳所のパルコの西あたりです。大昔のことになりますが、大津土木事務所が入っていた建物に移転し、(仮称)琵琶湖博物館開設準備室となりました。今は、その建物もありません。そして、このビルディングももうじきなくなります。ビルではなくて、ビルディング…。そう呼びたくなりますよね、どうしても。
MIHO MUSEUM2014年秋季特別展「 獅子と狛犬―神獣が来たはるかな道―」
■「MIHO MUSEUM」の秋季特別展です。とっても行きたい、観覧したい特別展です。「MIHO MUSEUM」の説明を以下に引用します。神社の入り口におかれている狛犬、2匹とも狛犬と呼んでいますが、じつは角の有るものが狛犬、無いものが獅子なのです。
神社に詣でれば、参拝者をまず迎えてくれるのが一対の神獣の像です。角の有るものを狛犬、無いものを獅子と区別しています。いったい日本に生息しない獅子が、どのようにしてわが国の神々を護るようになったのでしょうか? また、なぜ角を有する狛犬が一方に配されるのでしょうか?
本展覧会は、古代エジプトや西アジア、中央アジア、中国などの獅子や角を持つ神獣から、日本に伝来し独自に発展した特色ある獅子と狛犬の名品まで幅広く展観し、神獣が来たはるかな道を辿っていきます。
古代エジプトやメソポタミア、中央アジアで、聖なる存在として祀られた獅子、その獅子を打ち負かす英雄たちの造形や、聖なる存在の傍らに静かに佇み守護する獅子。 中国で龍や鳳凰とともに神獣の仲間に列し、獅子のような姿をした角をもつ辟邪(へきじゃ)や、仏陀の座に控える獅子の姿。
やがて、日本に伝来したこの神獣は、獅子と狛犬一対として、社寺などの聖なる領域への魔の侵入を防止する役割を担うようになります。両者は、大きく口を開いて咆哮するように威嚇する「獅子」と、口を結んで睨みを利かす「狛犬」という、阿吽(あうん)の一対として安置される事例が多くみられます。
こうしてユーラシア大陸を長途して日本列島に至った神獣は、独自の役割を担いながら、今も人々に愛されているのです。
■ところで、私がいままでみてきた狛犬(狛犬と獅子とのペア)のなかで、一番びっくりしたというか、笑ってしまったものは、岩手県の盛岡市にあります。盛岡天満宮の狛犬です。私は、南部鉄でできたこの狛犬のミニチュア模型をもっています。そのうちに、ここにもアップしたいと思います。取り急ぎ、こちらのサイトの記事をお読みいただけれはと思います。
後期の授業が始まりました。
■今日から後期の授業「地域社会論Ⅱ」が始まりました。ゼミはすでに始まっているのですが、授業は今日が第1回目です。ちょっとしたわけがあって、今年度、私の授業は水曜日の1限目に入っています。1限目だと履修者は少ないからいやだな〜…と思っていましたが、前期は100名を超える履修者がありました(教室を変更してもらいました)。まあ、私たちのような私立大学では、この履修者の人数は普通だと思いますが、私としては多い方かなと思います。もっとも、学生諸君の本音の半分は、できれば1・2・3限と効率よく時間割を組んで単位を取得したい…というところにあるようです。
■それはともかく、今年度は1限に授業を入れたことから、水曜日は5時半に起床して、自宅を6時半に出ることになりました。6時半に家を出てキャンパスに到着するのが8時過ぎです(私は遠距離通勤者なのです)。夏期休暇があったので、このパターンに慣れるのにまた少々時間がかかります。自宅のある奈良から、まずは近鉄で京都まで。京都からはJRに乗り換えて瀬田駅まで。写真は、そのような出勤の途中、京都駅で撮ったものです。iPhoneで撮ったものです。プラットホームに立っている人は、これから特急に乗って北陸に出張される方なのかもしれません。じっと立ったまま、手元の文庫本を読まれています。その背景の皆さんは、通勤・通学の途中、急ぎ足で歩いておられます。そのため、背景の皆さんはプレています。ちょっと不思議な感じにできあがりました。そして、iPhoneで仕上がりを確認したあと、この立っておられるサラリーマンらしき方には、「お互い、頑張って働きましょう」と声をかけさせていただきました。もちろん、心のなかで…です。
ハルカス300
■週末はいろいろ用事やおつきあいがあったため、本日、妻と一緒に母親の生活介護にいってきました。2人でやると母親の介護も比較的短時間で終わります。少し時間的余裕があったためでしょうか、「そうだ『あべのハルカス』、行こう!」と突然ぬ思い立ったのでした。いつもであれば、地下鉄御堂筋線で梅田から難波まで乗り、そのまま近鉄奈良線に乗り換えるのですが、今日は天王寺まで。「いったい、どのあたりにハルカスはあるんだろう…」と地上に出てみると、そこにドーンとハルカスがそびえていました。
■ハルカスは高さが300m。その58・59・60階が「ハルカス300」という展望台になっています。まずは、ひとつめのエレベーターで16階まであがり、そこから60階まで一気に登ります。大人1人1,500円の入場料です。ちょっと高いかな…と思いつつも、こういうときでないといけませんのでね。トップの写真は、60階から北方面を撮ったものです。すぐ眼下に天王寺公園が。その北には上町台地がのびています。四天王寺もみえます。上町台地の先には、大阪城公園の樹木の茂みもみえます。肉眼では、かすかに大阪城の天守閣らしきものがみえました。もう何年も前のことになりますが、この上町台地の周辺をよく歩きました。大阪のいにしえの歴史を想像し、その歴史と上町台地周辺の微地形を歩いて楽しみました。仕事や母親の介護でめいっぱい忙しくなり、そのような「まち歩き」をする時間や精神的余裕はなくなってしまいました。残念です。また、始めたいものです。
■【左】60階の展望室に登ったところです。エレベーターの扉があくと、北側、難波や梅田方面がみえてきます。【右】クリックしていただくと写真が拡大ます。森のようにみえる場所は、大阪城公園です。大阪城の天守閣がかろうじて確認できます。
■【左】通天閣が見えます。通天閣は高さ100mですから、ハルカスの1/3になります。ずいぶん小さく見えます。【右】ちょっと、ふざけています。背景は四天王寺です。
■【左】大阪湾の方向ですね。木津川が夕日に照らされて輝いています。この写真ではわかりませんが、六甲山系が切れる辺り,肉眼ではかすかに明石海峡大橋の橋脚が見えました。【右】南には、長居競技場が見えました。大きなスクリーンになにか写っているのがみえました。その向こうには、二上山、葛城山、金剛山。300mあると、かなり遠くまで見通すことができます。
■【左】生駒山です。この向こう側が奈良です。【右】しだいに暗くなってきました。上町台地の東、台地の上、台地の西。それぞれにライトが輝いています。ここが台地であることがよくわかます。
■ハルカスの展望台「ハルカス300」は3層構造になっています。58階は天空庭園になっています。吹き抜けです。59・60階が回廊になっています。この58階の天空広場でビールをのみながら、大阪の夜景を楽しみました。【左】この隙間、どういう意味があるんでしょうか。ここから夕日が差し込んでくるのですが、年に2回だけ、ここに夕日が沈む…という話しがあるのです。気になります。【右】300mと表示してあります。
■下の写真。すっかり暗くなってからのものです。iPhoneで撮ったのでひずんでいますが、鉢植えの照明が天井に不思議な影(植木の…)を生み出しています。なんだか、素敵な雰囲気です。その向こうには、大阪の夜景がみえます。窓に近寄って撮ってみました。これは阿倍野の交差点です。
iPhone6/iPhone6PLUS
■昨日、大阪・心斎橋にむかいました。むかった先は、Appleの心斎橋店。目的は、iPhone6とiPhone6Plusの大きさを確認することにありました。ネットでは、新しいiPhone6の大きさについて、いろいろ情報が飛び交っていますが、自分自身の手でもってみないことには、なんともいえませんから。
■iPhone6の「でっかい」のと「ちっさい」のをさわってみました(iPhone6/iPhone6PLUS)。まず手にもったときの最初の印象は、「軽い!」というものでした。そしてすぐに、「軽くて落とてしまわないか…」と心配になりました。「ちっさい」方は、片手で操作できましたが、「でっかい」方は、両手でないと操作はできません。「軽くて落とてしまわないか…」という心配についてですが、専用カバーにアナをあけてストラッブをつけて、いつもストラップに指をからませながら操作するという習慣をつけないと恐いな…と思いました。特に、iPhone6Plusの方は、絶対にストラップがいると思いました(私が使用するばあい…の話しですが)。
■そのうえで、iPhone6とiPhone6Plusのどちらににするかです…。最初は、「ちっさい」iPhone6にしようと思っていましたが、いろんな方達の意見を耳にして考えるに、「でっかい」iPhone6Plusかなと思うようになってきした(優柔不断…)。もっとも、現在使用中のiPhone5の契約がもう1ヶ月残っています。2年間です。それが契約が終了した頃に、iPhone6に移行しようと思います。iPhone6に移行すると、額に眼鏡をあげてiPhoneをにらむ(いわゆるデコ眼鏡)…ようなことをしなくてもすみそうです。
Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(3)
■先日のエントリー、「Korea AG-BMP Forum The 5th International Conferenceでの報告(2)」で、写真については後で…と書きましたが、韓国でずっとアテンドしてくださったキム・ミションさんから写真をいただき使わせていただくことにしました。今年の「Korea AG-BMP Forum The 5th International Conference」は、「2014国際かんがい排水委員会(ICID)」のサイドイベントということもあり、昨年と比較してこじんまりした会議になりました。しかし、こじんまりとはしていますが、コミュニケーションやガバナンスなど、社会科学的なところにテーマがおかれていました。
■キムさんも、facebookに「이번 심포지엄은 내용이 재미있었다. 물, 지식, 기술, 소통, 사회적 자본, 사회학 이론 등 여러가지 내용이 녹아들어있었다. (今回のシンポジウムは内容がおもしろかった。 水、知識、技術、疎通、社会的資本、社会学理論などの色々な内容が溶け込んでいた)」と印象を書いておられました。私自身も、意味のある会議だったと思います。ここでの議論を、うまく次の韓国での取組につなげていければいいなあと思います。
【追記】■写真は、9月18日、韓国・光州市のキム・デジュンセンターです。