社会学部の「まわしよみ新聞」

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▪︎「まわしよみ新聞」ってご存知でしょうか。公式サイト「まわしよみ新聞」を調べてみると、こう説明してあります。

オープンソースで「いつでも、どこでも、だれでもできる」が合言葉!むつさとし(観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者)が考案した大阪(應典院生まれ・釜ヶ崎育ち)発信の「メディア遊び」です~

▪︎これだけだとよくわかりせんね。だから、上記のリンク先を必ず読んでくださいね。「まわしよみ新聞とは?」、「まわしよみ新聞の歴史」、「まわしよみ新聞の効果」、「まわしよみ新聞の作り方」、いずれも納得しますよ。超マジメなんですが、ちょっとオトボケでユーモアがあり、「これなら自分にもできるな」とか、「なんだか楽しそうだな」とか、「自分のところでもやってみよう…」と思わせるところがミソです。発案者のむつさとしさん、大変興味深いプロフィールの持ち主です。おもしろいことを、どんどん企画・運営されてきているのですね。
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▪︎写真は、龍谷大学瀬田キャンパスに掲示してあった「まわしよみ無新聞」です。ゲリラ的にというか、かつての中国の壁新聞のようにというか、6号館という校舎の壁面に貼ってありました。「おお、やるな〜!!」と思ってしまいました。私も、ゼミかなにかでやってみたくなりました。

むつさとしブログ

▪︎「まわしよみ新聞」を発案されたのは、陸奥賢さんです。「観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者」です。もっとく詳しく…。「よみまわし新聞」の発案者と「大阪あそ歩」のプロデューサーが同じ方だったとは…びっくりです。

観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。本名:陸奥賢(むつさとし)。1978年大阪・住吉生まれ、堺育ちの大阪人&堺人。最終学歴は中卒。15歳から30歳まではフリーター、放送作家&リサーチャー、ライター&エディター、生活総合情報サイトAll About(オールアバウト)の大阪ガイドなどを経験。2007年に堺を舞台にしたコミュニティ・ツーリズム企画で地域活性化ビジネスプラン「SAKAI賞」を受賞(主催・堺商工会議所)。2008年10月に大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会「大阪あそ歩」のプロデューサーに就任。大阪あそ歩は大阪市内だけで300以上のまち歩きコースを有する「日本最大のまち歩きプロジェクト」となり、『大阪あそ歩まち歩きマップ集』は約2万部を売るロングセラーに。2012年9月にはコミュニティ・ツーリズム事業としては日本初の「観光庁長官表彰」を受賞。2013年1月に大阪あそ歩プロデューサーを辞任し、現在は観光、メディア、まちづくりに関するプロデューサーとして活動中。手掛けたプロジェクトとしては江戸時代の大阪の町衆が毎年、盆の頃にやっていた無縁仏を鎮魂・供養する都市祭礼を約130年ぶりに検証、実践する「大阪七墓巡り復活プロジェクト」、いつでも、どこでも、だれでもできる「コモンズ・デザイン」による新聞メディアの新しい可能性を探る「まわしよみ新聞」、本と人との新しい出逢いを探る「直観讀みブックマーカー」、「浦河べてるの家」の活動にインスパイアされた「当事者研究スゴロク」など。應典院寺町倶楽部専門委員。NPO法人大阪府高齢者大学校まち歩きガイド科講師。NPOまちらぼ代表。社会実験塾「逍遙舎」代表。

【追記】■「まわよみ新聞」発案者の陸奥賢さんと、どういうわけかfacebookでお友達になることができました。というのも、どうやら龍谷大学で、いま、この「まわしよみ新聞」が、あちこちのゼミ等で活用されているようなのです。政策学部、経済学部、社会学部…。どうしたことでしょう。ということもあってか、陸奥賢さんとすぐにお友達になれました。これからは、そういう方たちと情報交換しながら、「まわしよみ新聞」の本質を大切にしながら、どんどんカスタマイズしていき、カスタマイズしたさいに生まれた効果や知見を、「まわしよみ新聞」の愛好家の皆さんとゆる~くシェアできたらなと思っています。

塩漬けになっている私のブログ

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▪︎これは、2012年1月25日の日付で更新が行われていない私のブログです。塩漬け状態になっています。teacupという民間企業が提供しているサービスを使っています。広告をつけないように、多少、お金を払っています。にもかかわらず、2012年1月25日から更新が行われていません。当時は、ホームページとブログを分けて使っていました。ホームページは大学のサーバーに置いていました。ホームページビルダーを使って、「手作り感満載」のホームページを作っていました。ホームページの更新、それほどの頻度はありませんので、すっかり情報発信ができなくなっていました。

▪︎これではいかんと、今度は、大学のサーバーにブログも備えたホームページを設置しました。詳しくは、こちらをお読みください。そこには、「今後、このホームページではあまり更新の必要のない情報を納めておく「蔵」ないしは「収蔵庫」として利用していく予定です」と書いておきながら、このホームページの付属しているブログ機能ばかりを使うようになり、teacup社のブログはあいかわらず更新ができない状況が続いています。それが、もう3年近くも続いています。困りました。どうしたものでしょうね。

▪︎teacup社のブログ、まったく更新をしていないにもかかわらず、現在でも日に10〜20のアクセスがあります。なにか検索されたときに、たまたまどこかのエントリーがヒットしているのでしょうね。両方のブログを使い分けるというやり方もあるのでしょうが、それだけの余力がありません。さて、どうしたものでしょうか…。

「東北を食べる通信」4月号

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▪︎草津市のエストピアホテルで開催された平和堂財団 第4回「夏原グラント」助成金目録贈呈式を終えて、奈良の自宅に戻ったところ、宅配便で「東北食べる通信」が届きました。「東北食べる通信」とは何か…詳しくは、以下のリンク先をお読みください。私は、この活動に共感して「東北食べる通信」を取り寄せることにしたのです。冊子と、東北で第一次産業に従事する若い農家・漁家が収穫した自信の一品がセットとなって自宅に届けられるのです。

「東北食べる通信」

▪︎上記のリンクに説明があります。ぜひお読みください。「生産者と生活者の絆を取り戻」す。「合言葉は、世なおしは、食なおし」。「つくる人と、食べる人をつなぎたい」。「都市と地方をかき混ぜる」。ビビビっときたら、ぜひお読みいただければと思います。

▪︎さて、昨日届いた「東北食べる通信」は、秋田の海の幸でした。秋田県八峰町八森漁港の漁師・山本太志(たかし)さんたちが獲った鮮魚です。中身は、カナガシラ、ニギス、ボウズイカでした。調理方法については、山本さんの奥様である瞳さんが、YouTubeに動画をアップされています。以下が、その動画です。カナガシラを使ったナメロウの作り方です。この動画をまじめに拝見して、ナメロウを自分自身でつくってみました。しかし漁師の奥さんである瞳さんは、とてもおもしろい人ですね!!


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▪︎できあがった料理です。上の方から、「カナガシラのナメロウ」。ナメロウとは、3枚におろした魚と薬味のネギやシソの葉など包丁で叩いて、味噌などで味付けをしたものです。今回の「カナガシラのナメロウ」、ネギ・味噌・醤油少々・ワサビ少々でつくりましたが、めっちゃくちゃ美味しかったです。びっくりしました。「カナガシラのナメロウ」の次は、「ボウズイカの煮物」、「ニギスの煮物」です。「ニギスの煮物」は煮すぎて少々煮崩れしてしまいました。とはいえ、いずれも新鮮で美味しくいただきました。心が豊かになりますね。そして、一番手前ですが、妻が友人からいただいた筍の酢味噌和えです。これも大変美味しくいただきました。

▪︎そうそう、大切なことを忘れていました。「カナガシラのナメロウ」を作ったときに、カナガシラのアラが出てくるわけですが、そのアラを使って出汁を取り味噌汁にしました。これはもう、大変美味しい出汁になっていました。なんでも、出産後のお母さんが、母乳がよく出るようにとこのカナガシラのアラの入った味噌汁を飲むのだそうです。

平和堂財団 第4回「夏原グラント」助成金目録贈呈式

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20150426natuhara3.jpg▪︎昨日、25日(土)は、草津市のエストピアホテルで、平和堂財団 第4回「夏原グラント」助成金目録贈呈式が行われました。今年度、「夏原グラント」から助成を受ける49団体の皆さんが出席されました。「夏原グラント」とは、公益財団法人平和堂財団が、豊かな環境の保全および創造のために、NPO法人・市民活動団体または学生団体の自主的な活動に助成するものです。私は、今回から審査員をしている関係で、出席させていただきました。各団体の皆さんは、平和堂の取締役社長であり財団理事長である夏原平和さんから、助成金の目録が手渡されました。トップの写真は、東近江市や多賀町を中心に活動されている「一般社団法人kikito」の大林さんが、理事長から目録を手渡されているところです。kikitoは、これまで「夏原グラント」から助成を受けることで成長されてきました。今回は、さらにステップアップして自立した活動を展開していただくための助成です。kikitoの皆さん、おめでとうございます!!

▪︎ちなみに、「北船路米づくり研究会」も、今回、学生団体の部門で助成をいただくことができることになりました。もちろん、「北船路米づくり研究会」の審査過程では、私は関係者ということで審査からはずれております。また、他の審査員の皆さんも厳しく審査されています。どうなることかと思っていましたが、以前のエントリーにも書きましたように、なんとか助成をいただけることになりました。4年生の皆さんには、「夏原グラント」から助成を受けることができたことの意味を、きちんと3年生の皆さんに伝えて活動をしてほしいと思います。よろしくお願いいたします。

20150426natuhara2.jpg▪︎贈呈式では、懐かしい方に出会いました。秋山廣光さんです。秋山さんは、琵琶湖・淀川水系の小魚の保全に取り組む市民団体「ぼてじゃこトラスト」のメンバーですが、数年前までは滋賀県立琵琶湖博物館で水族担当の学芸員をされていました。私は、18年ほど前まで滋賀県立琵琶湖博物館に学芸員として勤務していましたので、秋山さんは私の「先輩」であるわけです。お若い頃から立派な髭をたくわえておられましたが、ますます立派な雰囲気を漂わせておられました。懐かしい方にお会いできて、私としてもとても嬉しかったわけです。ところで、髭の具合は、亡くなられた経済学の宇沢弘文先生のようでもありますね。

▪︎秋山さんとは、琵琶湖博物館の昔話しで盛り上がり、「ぼてじゃこトラスト」のことなどについても、いろいろお話しをお聞かせいただきました。「ぼてじゃこトラスト」は滋賀県の環境系の市民団体としては古く、20年近く活動を継続してこられています。ベテランの市民団体です。最近の課題は、後継者をどうして確保していくのか、また養成していくのかということなのだそうです。活動メンバー高齢化の問題ですね。そのため、小魚の保全に加えて、後継者の養成にも力を入れておられます。今回、「夏原グラント」からは、そのような後継者養成の事業に対して助成が行われます。全国の多くの団体で、世代交代の難しさをよく聞きます。なかなか難しい問題でもありますが、頑張って取り組んでいただきたいと思います。

「大津エンパワねっと」8期生の地域デビュー瀬田東

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▪︎金曜日の1・2限は、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コースの「地域エンパワねっとⅠ」8期生の授業です。24日は、これから実際に活動する地域=瀬田東学区を歩いて、地元の皆さんにお話しを伺う「地域デビューin瀬田東」が行われました。次週の5月1日(金)には、大津市の中心市街地のエリアである中央地区で「地域デビューin中央」が行われる予定です。

▪︎この日、学生たちは午前9時に瀬田東学区の市民センターに集まりました。そして、2チームにわかれて、学区内にある月輪集落を中心としたエリアを1時間ほど「まち歩き」しました。この日は、日差しも強く、少々汗ばむような天気でしたが、農村地帯が急激に住宅地化していったこの地域の歴史を風景のなかに読み取ってくれたのではないかと思います。先週の授業では、あらかじめ瀬田東学区の歴史について講義をしたので(もちろん、もうひとつの活動地域である中央地区についても講義をしました…)、そのことも良い効果を生んだように思いました。

▪︎「まち歩き」をしながら、偶然すれちがった地域の皆さんとちょっと立ち話をしてみたりもしてみました。どの方たちも、丁寧にお話しをしてくださいました。学生たちからすれば、地域への親近感が湧いてきたのではないかと思います。そのうちのお一人の方は、今年度から子供会の役員さんをされるとのことで、「エンパワね学生さんたちですか? 今年、子供会の役員をしてるいので、よろしくお願いしますね!」と声をかけてくださいました。この地域と大学との関係が、成熟してきていることの証拠かと思います。ありがたいことです。

▪︎「まち歩き」の後は、瀬田東学区市民センターに戻り、自治連合会や学区社会福祉協議会等に所属されている団体の関係者の皆さんに、お話しを伺いました。私たちは「屋台方式」と呼んでいますが、団体ごとに机を並べて、地域の方たちにはそこにお座りいただき、学生たちがグループにわかれて机を順番に回ってお話しを伺う…というやり方です。地域の皆さんには何度も同じお話しをしていただかなくてはいけませんが、少人数のグループでお話しを伺うほうが、いろいろ質問もできて学生にとっては良い機会になることもあり、このようなやり方を毎年地域の皆さんにお願いをしています。

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龍谷大学農学部の「食と嗜好研究センター」開所式

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▪︎しばらく、プログの更新ができていませんでした。ということで、週末に一気に更新しました。後に続くエントリーもご覧ください。

▪︎木曜日の晩、龍谷大学「ともいき荘」1階の食堂で、龍谷大学・食と農の総合研究所付属「食と嗜好研究センター」の開所式が行われました。ともいき荘は、京都御所の近くにある龍谷大学のセミナーハウスです。今回の開所式には、来賓として門川京都市長や山田京都府知事の代理の方がご出席になり、看板除幕も行われました。当日は、多数のマスコミ関係者の取材が行われました。トップの写真は、向かって右側から、伏木教授、赤松学長、門川京都市長、山田知事の代理の方。

▪︎食と農に関する農学を中心とした複合的・学際的・国際的な研究を推進する目的で、2015年4月農学部開設と同時に「食と農の総合研究所」が大学付属機関として設置されました。「食の嗜好研究センター」は、その付属センターとして置かれたものです。特に、食の嗜好性に関する研究を行うことを目的としています。センターが配布した資料によれば、このようなセンター設置の背景には、「食の嗜好性(おいしさ)を科学的に説明するという学術的な使命に加えて、農業、食品の開発や経済、医療・給食の現場、料理界などからの強い期待が」あるのだそうです。たしかに、食や料理といえば、つくる方たちの経験に依拠してきたわけですが、それを科学的に明らかにしていこうというのです。

▪︎「食の嗜好研究センター」のセンター長は伏木亨教授、副センター長は山崎英恵准教授ですが、お2人のもとで、多数の農学部教員が参画することになっています。また、センターには、「日本料理研究班」と「食品開発における食嗜好研究班」が置かれます。前者の「日本食料理研究班」では、客員研究員として、「菊乃井」、「たん熊北店」、「一子相伝なかむら」、「木乃梅」、「瓢亭」、「直心房さいき」、「修伯」、「平等院表参道竹林」、「竹茂楼」といった京都を代表する名店の料理人の皆さん方が参加し、日本料理の発展に関する厨房実験や啓蒙活動を行う予定になっています。以下は、開所式の当日に配布された資料にあった「日本料理研究班」の研究概要です。

食の嗜好研究センター日本料理班では、日本料理におけるおいしさや嗜好に関する研究を、大学研究者と京都の料理人を中心に展開していく。食の嗜好研究センター(ともいき荘)の厨房や、大学の実験室を使い、料理人と研究者が、料理を構成するさまざまな事象をテーマに、それらを科学的な視点でもって考え、実験やディスカッションをおこない、おいしい日本料理創生のための基盤を構築していくことが大きな目的である。

実は、こうした大学研究者と料理人との取り組みは、既に2009年より京都で開始されており、本班に所属する研究者や料理人のほとんどは、日本料理ラボラトリー研究会(2014年度まで京都大学に本拠)として活動を行ってきている。日本料理ラボラトリー日本料理班の客員研究員としてさらなる研究活動を展開していくことで、おいしさやヒトの嗜好に絡めた次代の日本料理のあり方について提案を示していくことが期待できる。

協力団体、関連機関として、日本料理ラボラトリー(山崎会長)、日本料理アカデミー(伏木理事)、京料理の料亭、一般社団法人 日本香料研究会事務局(伏木会長 登記上の事務局)、を想定している。

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▪︎開所式のあとは、名店の料理人の皆さんが腕をふるって懇親会が開催されました。ただ美味しい料理をいただいただけではなく、料理人の方たちから、いろいろご説明もいただきました。たとえば、写真のお吸い物に関していえば、利尻昆布の4年ものとマグロ節からとったお出汁の素晴らしさについて教えていただきました。この日の開所式には、研究部長の仕事として出席しましたが、「個人として京都の名店に行くようなことは、なかなかないだろうな〜…」などとくだらないことを考えながら、しっかり味あわせていただきました。この日は、校友会(龍谷大学の同窓会)の皆さんも参加されていました。農学部ができて、母校・龍谷大学がさらに発展していくことを、実感していただけたのではないかと思います。

食と農の総合研究所の付属センター「食の嗜好研究センター」開所式を実施

【追記】▪︎もうひとつの研究班、「食品開発における食嗜好研究班」についても説明をしておきたいと思います。開所式当日に配布された資料には以下のように書かれています。「おいしさの客観的な評価は食に関わる様々な分野で切望されているが、具体的な手法は確率されていない。本センターでは、幾つかの食品、食材に関して、おいしさの座標軸を作り上げ、おいしさの客観的な評価を達成する」とあります。「おいしさ」の中心にあるのは、カツオ昆布出汁です。この「おいしさ」の科学的・客観的に評価できる方法を確立することが、この研究班の目的になるようです。もちろん、カツオ昆布出汁だけでなく、日本人に人気のあるカレールーなどの食品やブランドの野菜類などの「おいしさ」についても研究を進めていくようです。

▪︎社会学を、特に環境社会学を専門にしている者としては、いろいろお聞きしたいことが頭に浮かんできました。人にとって「おいしさ」とは、どのような「経験」なのだろうか…、またそれをどのように定義できるのか…といったことや、「おいしさ」を客観的に測定する方法が確立されたあと、その技術は社会にどのような影響を与えていくのか(潜在的逆機能的なことも含めて)…その他諸々、素人ですがいろいろお尋ねしてみたいなあと思いました。龍谷大学のなかには、様々な附置研究所や研究センターが置かれています。私個人としては、それらの活動や成果が、個々の単体の組織内で止まることなく、大学全体で共有され議論されるようになってほしいと思っています。また、そのことが大学全体を活性化していくことになればとも思っています。

花は咲く(龍谷大学深草キャンパス)2015 3 11


▪︎先月のことになりますが、3月11日、「東日本大震災の犠牲者をしのぶ法要」が深草キャンパスと瀬田キャンパスでおこなわれました。もっと、早くに、このブログで報告すべきところ、迂闊にも、このような動画がネットにアップされていることを存じ上げませんでした。詳しくは、以下のページをご覧いただければと思います。

東日本大震災の犠牲者をしのぶ法要をおこないました

東日本大震災の発生から4年が経ち、改めて被災された皆さまに心からお見舞い申しあげるとともに、犠牲となられた方々をしのび、深草と瀬田の両キャンパスで法要をお勤めし、あわせて420名ほどの方々が参拝されました。
おつとめののち、深草キャンパスでは、池田勉副学長(東日本大震災復興支援プロジェクトリーダー)と峰松優丞さん(文学部4年)による講話が行われました。瀬田キャンパスでは、筒井のり子教授(ボランティア・NPO活動センター長)と髙藤眞意さん(国際文化学部3年)による講話が行われ、いずれも、講話のなかで被災地での復興支援活動についての報告がなされました。
講話ののちには、昨年に引き続き、吹奏楽部や男声合唱団の協力を得て、参拝された方々と復興支援 ソング「花は咲く」を合唱しました。
法要会場の入口では、被災地でのボランティア活動に取り組んだボランティア・NPO活動センター学生スタッフによるポスター展示が行われ、参拝者のみなさんとこれまでの4年間の復興の様子をたどり、振り返る機会となりました。

▪︎この法要のなかで歌われた「花は咲く」に関しては、このブログでも昨年の3月にエントリーしています。その時のエントリーを再掲させてください。
花は咲く/花は咲くプロジェクト(Cover)Goosehouse
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■一昨日の晩、学部の懇親会が開かれ、同僚の教員のピアノやトランペットとともに、余興でバイオリンを弾きました。そのときの曲のひとつが、「花は咲く」。この曲は、NHKが展開した東北復興支援キャンペーの歌です。

■作詞をした岩井俊二さんのこの歌について、次のように解説されています

被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、死んで行った人間たちの体験は聞くことができない」生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。

■死んで行った方達、すなわち絶対的な他者とは通常のコミュニケーションはできません。亡くなられた方たちのメッセージを代弁することもできません。また、するべきでもありません。ひとつには、死者を自己の主張の正当化のために利用してしまうことになるからです。死者に関する安易な語りは、すぐに政治的な言説に転化してしまう…。岩井さんは、想像するしかない…と語っておられますが、死者のことを想い続けると言い換えることもできるでしょう。きちんと想い続けること…これはとても辛い、大変なことでもあります(なぜ、あの人は亡くなってしまったのか、なぜ、自分はこうやって生き残っているのか、自分は被災者の人たちとどういう関係を取り結ぶのか…)。しかし岩井さんは、同時に、そういう辛い大変なことのなかに、希望も見いだそうとします。

そんなtwitterの中に片想いの人を探して欲しいという女の子の声がありました。片想いであるが故に自分が探していることは知られたくないというかわいい注文つきでした。こんな最中にも恋があったりするのかと、それが何とも微笑ましく、思えばかの地は僕自身が初恋なるものを育んだ聖地であり、そんな聖地に今もしっかり若者たちが恋を育んだりしているんだなあと思ったら、まだ震災から一週間ぐらいのことではありましたが、瓦礫だらけになったこの場所にもちゃんと花が咲いてるじゃないかと思えました。

■岩井さんが作詞した歌詞には、誰もが共通の理解に至る意味の着地点がありません(と、私には思えます)。人びとの心を「宙ぶらりん状態」にしたままにします。ですから、この歌を歌う人たちは、その人ごとに歌詞の意味をとらえようとします。そのことが、この歌の魅力でもあります。そして、死者のことを想いつづけながら、日々の暮らしのなかで生きることの実践を紡ぎだしていく。死者とともに未来を生きようとすることを促しているように思うのです。現代社会は、「死者を想いながら生きること」を人びとに「させないよう」に機能してきたがゆえに、この歌がもっている不思議な力を感じてしまうのです。

■トップの動画は、Goose house(グース ハウス)という音楽ユニットの皆さんによる「花は咲く」です。

深草キャンパスの「スターバックス」

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▪︎昨日は深草キャンパスで研究部で終日仕事でした。日々の研究部の仕事にも対応しないといけませんが、自分なり研究部の仕事を勉強しなくてはいけません。ということで、深草キャンパスから帰宅しようとすると20時を過ぎていました。写真は、キャンパスの中にある「スターバックス」です。この春から開業しました。おそらく、私としては、ここを利用することはあまりないと思いますが、この雰囲気を撮ってみたくなりました。といっても、iPhone6plusですけど。撮ってから気がつきましたが、お店のなかに、ゴミ袋が転がっています…。ちょっと、残念。

春です。

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■今日は、ひさしぶりに天気の良い日でした。少し心に余裕があったので、自宅最寄り駅のそばで空に向かって花を咲かせていたハナミズキを撮ってみました。少し、このハナミズキについて調べてみました。花びらのように見えるのは、じつは蕾を包んでいた葉で、「苞」(ほう)というのだそうです。実際の花は、この「苞」のなかにあるのですが、大変地味です。

■ところで、ハナミズキといえば、私のばあいは一青窈の「ハナミズキ」という曲になります。2004年の曲です。不思議な歌詞ですね。「君と好きな人が 百年続きますように」。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロを契機として作曲されたことはよく知られています。この歌詞をきちんと解釈されている記事をみつけました。この歌詞を素敵な意味に解釈されている記事をみつけました。「night a star - ないとあすたー -」というブログの「歌詞考察『ハナミズキ』/一青窈」というエントリーです。

空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと  どうか来てほしい 水際まで来てほしい
つぼみをあげよう 庭のハナミズキ

薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと
終わりますように 君と好きな人が
百年続きますように

▪︎以下の動画は、一青窈と徳永英明の歌う「ハナミズキ」です。歌詞を受け止めれば受け止めるほど、目が涙でウルウルしてしまいますね。

20150422fukakusa.jpg■ 今日は、研究部の仕事があり、深草キャンパスでした。研究部の自己点検・評価の資料を作成してチェックする作業が夕方まで続きました。研究部は担当職員の皆さん、2名の課長さん、そして事務部長がおられるので、私はもっぱらチェックするだけなのですが、4月から教員部長になったばかりの新米なので、事務部長さんからいろいろこれまでの経緯についても教えていただきながらの作業になりました。自己点検・評価という作業は、組織の定期健康診断のようにものですね。この作業をすることで、ある種、組織の「棚卸し」をすることにもなりました。自己点検・評価は、正直に書かなければなりません。そうすることで、まだ何ができていないのか、これから何をすべきなのか、職員の皆さんと一緒に共有することができます。また、自分たちが改善できた点については、それがどういう意味で改善できているのか、再確認することになります。そのような作業が、次の組織のビジョンを描くことにつながっていきます。

▪︎そういうことで、けっこう地味に室内で仕事をしていたわけですが、キャンパスは暖かい春の雰囲気に包まれていました。広報用の写真でしょうか、アシスタントをつれたプロのカメラマンらしき人が、国際学部の新校舎「和顔館」を撮っておられました。

レール削正車

20150422sakusei.jpg ▪︎JRの駅でこのようなポスターをみつけました。「レールを研くことで、環境負荷が少ない循環型社会を実現。私たちは、街に、人に、優しい鉄道をめざします」。レールの上部、電車の車輪のあたる部分を研く作業車のようです。調べてみると「レール削正車」というのだそうです。ポスターをみると、車体の下から火花が見えますが、これはレールをけ研いている作業中なのでしょう。

▪︎wikipediaですが、こう説明していました。「レール削正車(レールさくせいしゃ)とは、鉄道においてレール頭部の形状を適切に保つため、レール頭部を削る作業に使用される車両である。ただし、モーターカー、マルチプルタイタンパー等と同様に、鉄道部内では法規上は「保守用機械」扱いで「鉄道車両」ではないので、車籍はないことが多い」。日の当たるところで、目立った活躍はできないけれど、裏方に徹して姿を消して、鉄道を支える…そんなイメージが湧いてきます。「鉄道車両でない」、「車籍がない」…なんだか悲しい感じもしますね。でも、こういう裏方の存在で世の中は支えられているのですね。

▪︎この「レール削正車」のことを書いていて、以前のエントリーのことを思い出しました。「黒子に徹する潔さ」です。このエントリーの後半部分で、内田樹さんの村上春樹論(『『村上春樹にご用心』)を引用したところがあります。その部分のみ、再び引用してみます。

世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の二種類がいる。「キャッチャー」は第一の種類の人間が引き受ける仕事である。ときどき、「あ、オレがやります」と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。

そういう人が必ずいたので、人間世界の秩序はこれまでも保たれてきたし、これからもそういう人は必ずいるだろうから、人間世界の秩序は引き続き保たれるはずである。

でも、自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと思っている人間は「キャッチャー」や「センチネル」の仕事には向かない。適正を論じる以前に、彼らは世の中には「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。(29~30頁、センチネル:見守る人)

「センチネル」たちの仕事は、『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。誰もやりたがらないけれど誰かがやらないとあとで他の人たちが困るような仕事を、特別な対価や賞賛を期待せず、黙って引き受けること。そのような、「雪かき仕事」を黙々と積み重ねているものの日常的な努力によって、「超越的に邪悪なもの」の浸潤はかろうじて食い止められる。政治的激情や詩的法悦やエロス的恍惚は「邪悪なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。この宇宙的スケールの神話と日時用生活のディティールをシームレスに接合させた力業に村上文学の最大の魅力はある。それを世界各国語の読者とともに享受できることを私は深く喜びとする。(10~11頁)

▪︎読む人に勇気を与える、素敵な解説です。

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