pichio candle
■25日(日)は、京都西陣の「マヤルカ古書店」で開催されている、「pichio candle」の展示会「ピチオのキャラクターたち」に行ってきました。と言いますか、「pichio candle」の経営者?!でキャンドル作家の並松やよいさんに、ひさしぶりにお会いしてきました!! 並松さんには、昨年の春まで、足掛け6年近くも社会学部「大津エンパワねっと」の事務局に嘱託職員としてお勤めいただき、私たち教員や学生のサポートをしていただきました。本当に、いろいろお世話になりました。龍谷大学をご退職後は、本格的にキャンドル作家として活動されておられます。あちこちの催事に「pichio candle」として出店されているのを、facebookを通して知っていましたが、なかなか伺うチャンスがありませんでした。今回は、やっと並松さんと再会することができました。
■展示会「ピチオのキャラクターたち」が開催さている「マヤルカ古書店」、とても素敵な古書店でした。西陣にある古民家を利用しておられます。住所を頼りに地下鉄の二条駅から徒歩20分程度のところにあります。最初は、どこにあるんだろうと…と不安だったのですが、路地の入り口に赤い小さな看板を見つけました。そこに「マヤルカ古書店」と書いてありました。路地の奥からは、とっても楽しげな雰囲気が伝わってきました。皆さんも、ぜひ訪問なさってみてください。扱っておられる本の趣味が、私の趣味と重なり合います。また、この「マヤルカ古書店」を訪問してみたいと思います(京都市上京区上長者通千本東入ル愛染寺町488-6)。
■「マヤルカ古書店」は、1階が店舗で、2階がギャラリーになっています。古民家の昔ながらの急な階段を上ると…、並松さんがおられました!! あらかじめ訪問することをお伝えしてありましたが、再会をとても喜んでくださいました。嬉しいな〜。並松さんは、昔はホルン奏者だったり、中国茶に詳しかったり…いろんな面をお持ちの方なのですが、今はキャンドルの製作に集中されています。もともとは、四角いキューブ状のキャンドルを製作されていたのですが、途中から、コケシの大ファンになられたことから、製作されるキャンドルもコケシのようなキャラクター達になっていきました。並松さんがコケシの大ファンになり、東北のコケシを作っておられる工人さん達のところを訪問されている時期を私は拝見していました。その頃、並松さんは、コケシの魅力について熱く語っておられました。キャンドルのコケシを製作される際、一つ一つ絵付けをされるわけですが、その時がとても楽しい…と語っておられました。手で表情を描かれるのですが、似ているようでも一つ一つに個性があります。見ていて飽きません。私も、並松さんのコケシキャンドルの世界に引き込まれていきました。
■この上の2枚の写真は、キャンドル製作のワークショップをされているところを撮らせていただいたものです。私はこのワークショップに参加させていただくだけの時間がありませんでしたが、チャンスがあれば教えていただきたいなあと思います。下の段の右、これは「お洒落さん」というキャラクターです。並松さんは否定されますが、どう見ても並松さんにそっくりです。「pichio candle」の中でも、どうも特別の役割を与えられているキャラクターのようです。そのあたり、詳しい説明をお聞きすることを忘れてしまいました。右の写真は、「pichio candle」のキャラクターの詰め合わせ…のようですね。並松さんのお母様が日曜大工がお得意で、このような展示用のケースを作ってくださったのだそうです。いいですね〜。これ全体を、自宅に飾りたくなりますね。
■さて、この「マヤルカ古書店」の2階のギャラリーでは、10月2日(日)の夜に、定期開催の「キャンドルおはなし会」が開催される予定になっています。この古書店の店主さんが朗読を行い、マダムTという方が語りをされるそうです。語りというのは、本の朗読とは違い、お話し=物語を語るのです。何だか非常に興味が湧いてきました。このイベントで並松さんは、キャンドル作家として会場のキャンドル装飾を担当されています。できれば、参加してみたいと思っています。
Ann & Nancy Wilson (Heart) Stairway To Heaven Live HD
■ロックミュージックに関しては何も知らないに等しい私ですが、伝説的な存在であるイギリスのロックバンド「レッド・ツェッペリン」のことは知っています。ほとんどの曲は知りませんが、彼らの「天国への階段」は知っています。というか、それしか知りません。私のような者でも知っているほど、「天国への階段」は有名な曲です。
■先日、たまたま岩手県盛岡市在住の作家・斎藤純さんが、facebookでこの「天国への階段」の動画をシェアされていました。歌っているのは、「ハート」というアメリカのロックバンド。そして「レッド・ツェッペリン」は、正装をして観客席に着席していました。この動画は最も優れたアーティストに贈られるケネディ・センター名誉賞の2012年の授賞式の模様を写したものです。「レッド・ツェッペリン」は、俳優のダスティン・ホフマン等とともに、この名誉賞を受賞したのです。自分たちの曲を、この日は聞く側に回って、この名曲に耳を傾けています。とても喜び、感動している様子です。その感動は、この動画を視る側にも伝染してきます。観客席には、オバマ大統領夫妻や、チェリストのヨーヨー・マも(多分…)確認できますね。
今森光彦写真展「里山」
■23日は、午後から大津市役所に向かいました。現在、大津市の「都市計画審議会」の委員と、同じく大津市の「大津市都市計画マスタープラン案策定専門部会」の部会長職務代理者、都市計画関連の仕事をしています。大津市の次期の「都市計画マスターブラン」、多くの皆さんのご意見をいただきながら案を作成してきていますが、いよいよ最後の段階に入りつつあります。ということで、この日は、市役所の職員の皆んさんや、この業務を請け負っておられるコンサル会社の職員の皆さんと一緒に、細かな詰めの議論をしてきました。締め切りのある作業ですが、まだ細かな詰めの作業をする必要があります。とはいえ、少しずつですが、着実に前進しています。そのうちに、市民の皆さんから広くご意見をいただく段階に移れるのではないかと思います。
■市役所での議論を終えて、京阪石坂線を利用して膳所に移動しました。膳所では、知り合いの方が経営されている紅茶専門店に立ち寄り、水出し紅茶と専用のボトルを購入。そのあと、西武大津店で開催されている「今森光彦写真展 里山」に行ってきました。今森光彦さんは、ここであえて紹介するまでもなく、皆さんご承知のことと思いますが、滋賀県、特に湖西の里山を中心に素晴らしい写真を撮ってこられました。『昆虫記』、『世界昆虫記』、『里山物語』等をはじめとして、様々な写真集、エッセイ集を発表されています。
■今森さんには、私が琵琶湖博物館の開設準備に取組んでいる頃の事になりますが、大変お世話になりました。ご自宅に写真のスライドをお借りしに行ったり、里山の中にあるアトリエにもお邪魔しました。ご自宅では、奥様が甘酒を出してくださいました。どういうわけか、その時のことをしっかり覚えています。懐かしい思い出です。最後にお会いしたのは、おそらく15年ほど前のことではないかと思います。琵琶湖博物館の学芸員の皆さん達と一緒に、湖北を回ったことがあるのですが、その時、今森さんも同行されました。そのようなことを思い出しつつ、写真展の今森さんの作品を拝見させていただきました。作品の中心となっているのは、湖西の仰木の棚田です。まだ、仰木には昔ながらの棚田も残っていますが、すでに圃場整備されてしまい、今では今森さんの写真集の中でしか見られない風景もあります。写真展を観覧した後は、写真展の図録とともに、今森さんの著書『今森光彦ネイチャーフォト・ギャラリー-未来へ贈る風景・里山』と『今森光彦ネイチャーフォト・ギャラリー-めぐる命をはぐくむ風景・水辺』を購入しました。購入した本のページをめくるために、西武の中にある喫茶店で休憩をしました。その時にいただいたのが、「宇治金時練乳」です。もう、かき氷なんて食べることがほとんどなくなっています。何年ぶりでしょうか。今回は、あえて注文してみました。懐かしいですね〜。
■喫茶店で小一時間過ごして、今度は西武の少し東にある「 ドイツレストラン ヴュルツブルグ」に移動しました。この日の夕方は、研究部(瀬田)の職員の皆さんと一緒に、暑気払いもかねた宴会を開きました。これから始まる後期の仕事にバリバリ取り組んでいこうと、ドイツビールを飲んで職員の皆さんと一緒に英気を養うことができました。いつもは、アサヒビールのスーパードライを飲むことが多いのですが、この日は、ひさしぶりにヴァイツェンとピルスナー、両方を味わうことができました。瀬田の研究部の職員さんは、40歳代のお子さんがいらっしゃる大人の女性職員の方が多く、皆さんとても陽気で、楽しいひと時を過ごすことができました。
■来月になると、研究部の仕事も本格的に動き始めます。私が研究部長を務めるのは、来年の3月末まで。目先の細かな仕事だけでなく、大きな視野の中で研究部の仕事を捉えて働きたいものです。いろいろ学内行政関連の仕事をし続けてきたものですから、もう息も絶え絶えの状態ではありますが、残りの期間を頑張って仕事に取り組みたいと思います。
川崎市民ミュージアム「生きるアート 折元立身」
■残念ながら、行くことができません。土曜日は長浜市でシンポジウム、日曜日は老母の見舞いと介護。本当に、残念です。
折元立身(1946年川崎生れ、川崎市在住)は、パフォーマンス・アーティストとして、ヴェネチア・ビエンナーレを始め現代美術の前線で、40年以上に渡り、国際的な活動を繰り広げてきました。その作品は、ひとを驚かせるユニークな発想に満ちています。90年代には、顔一面にフランスパンを付けた異形で世界各地を旅し、現地の人々と交流した「パン人間」の路上パフォーマンスで注目されます。90年代後半には、自身が介護するアルツハイマー症の母を作品に登場させた「アート・ママ」のシリーズで世界的に知られるようになり、愛する母とのコラボレーションによる作家活動としてテレビや新聞・雑誌などでも取り上げられました。
折元の作品は、さまざまなひとびと(世界各地の道行く人々、介護する母、おばあさんたち、入院している人々…)との即興的なふれあいを通して生まれます。ふれあいの対象は、人間にとどまらず動物たち(うさぎ、豚、鶏、アルパカ、あひる、魚…)にまで及び、生きとし生けるものとのコミュニケーションをアートにするという独創的な世界を切り開きました。
本展では、著しい進境を見せた1990年代から今日までとどまることなく繰り広げられてきた折元の創作の軌跡を、映像、写真、グラフィック、ドローイングといった多彩な表現で紹介します。
関西グスタフ・マーラー交響楽団 第6回演奏会
■19日(日)、関西グスタフ・マーラー交響楽団の「6回第演奏会」で、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の後輩2人がチェロを弾くというので、京都にある「ロームシアター京都」に出かけてきました。
■14時開演でしたが、全席自由席ということもあり、13時には行列ができていました。演奏される曲は1曲だけ。グスタフ・マーラーが作曲した交響曲第3番です。この交響曲は、全部で6楽章から構成されています。第4楽章には、アルト独唱が入ります。さらに、第5楽章ではアルト独唱と児童合唱、女声合唱も加わります。また、演奏時間は約100分ととても長いのです。第1楽章だけで30分を超えます。もちろん、指揮者によって時間は変化しますが・・・。この交響曲は、もっとも演奏時間のかかる部類の交響曲になります。楽章のあいだに、合唱団の入場等により時間的な間があくことはありますが、休憩時間はありません。ですから、途中でトイレにいくこともできません。
■このような長大な交響曲を、ふだんじっくり聞くことはありません。ということで、週末に老母の介護と見舞いにいくさい、車の運転をしながら聞き込んできました。しかし、実際の演奏会で聞くのとはやはり違いますね。このオーケストラのほとんど方たちがアマチュア演奏家の皆さんです。しかし、レベルが高いですね。素晴らしい演奏でした。いろんな聞きどころがあるわけですが、それぞれを楽しみました。トロンボーンの長い長~いソロも立派でした。アルト独唱(八木寿子さん)、深い翳りのある歌声にはビビビっときました。マーラーの交響曲を演奏するために組織されたオーケストラで、皆さんは、この交響曲第3番の演奏のために1年をかけて練習を積み重ねてこられた、そのことにも敬意を表したいと思います。来年は、交響曲4番に挑戦されるそうです。「うらやましいな~。また、私もオーケストラで演奏することができたらな~・・・」などといろいろ思うわけですが、なかなかです。演奏会終了後は、京都の「イノダコーヒー」の本店にいって、私と同じくこの演奏会に来ていた先輩や後輩の皆さんたちとの再会を楽しみました。ひさしぶりの、充実した休日になりました。
「日本の海岸線をゆく」
■会議が始まるまえ、経営学部のN先生からいただきました。ありがとうございました。写真展の案内です。タイトルが素敵ですね~。『日本の海岸線をゆく-日本人と海の文化』です。
公益社団法人日本写真家協会 創立65周年記念写真展『日本の海岸線をゆく-日本人と海の文化』
日本写真家協会では、これまで写真を通して記録と表現の両面から現代史を概観する数々の写真歴史展を開催してきました。日本写真家協会創立65周年を記念する周年事業の核となる今回の写真展は、日本の海岸線を手がかりに、日本の「今」を見つめ直してみようというものです。ユーラシア大陸の東縁に沿って連なる数多くの島々からなる日本列島とその国土は、東西南北それぞれ3,000キロにも及ぶ広大な領域を有し、それ故、その海岸線は総延長35,672キロ(平成24年・国土交通省)に達し、世界でも有数の延長線です。本展では、その長大な海岸線を辿り、海の風景、漁業や漁港・港湾、工場や工業地帯、更には、祭り、観光、民俗、歴史、史跡など人間の暮らしや営みを通じて、日本人と海の文化をビジュアルに探ります。
【主催】 公益社団法人日本写真家協会
【共催】 東京都写真美術館/国際交流基金
【後援】 国土交通省/文化庁
【特別協賛】 富士フイルムイメージングシステムズ/ニコン/ニコンイメージングジャパン/キヤノンマーケティングジャパン
【協賛】 タムロン/オリンパス/シグマ/東京カラー工芸社/フレームマン/堀内カラー/キタムラ/学研プラス『CAPA』編集部/
日本写真家協会賛助会員各社・特別協賛会社ほか
関西グスタフ・マーラー交響楽団 第6回演奏会
■来月、6月19日(日)、京都の「ロームシアター京都 メインホール」で、グスタフ・マーラーの交響曲第3番が演奏されます。指揮は田中宗利さん、オーケストラは「関西グスタフ・マーラー交響楽団」です。変わった名前のオーケストラですね。「関西グスタフ・マーラー交響楽団は、マーラー大好き!マーラーを演奏したい!という思いをもった関西を中心に活動するアマチュア演奏家により、2010年夏に発足」しました。つまり、マーラーの作品を演奏するために組織されたオーケストラなのです。しかも、「1年に1回〜2回、マーラーの交響曲を全曲演奏するという壮大な計画」をお持ちです。
■マーラーの作品は、規模も大きく技術的にも難しく、かつて、アマチュアのオーケストラではあまり演奏されてきませんでした。私が学生オーケストラで演奏していた時代、一部を除いて、大学オーケストラの世界でマーラーの作品を演奏することはほとんどありませんでした。かなり技術的に無理があったからです。特に、大学オーケストラの場合は、大学に入学して初めて楽器(特に弦楽器)を始める人が多く相当な困難が予想されます。今では、アマチュアオーケストラがマーラーの作品を演奏すること自体、それほど驚くことでもなくなりましたが、それでもマーラーの交響曲を、すべて演奏することなどなかなかできることではありません。ですから、「マーラーの交響曲が好きなのに、なかなか演奏できない…」と密かにフラストレーションを募らせていた方達が集まって、このようなオーケストラが組織されたのではないでしょうか。推測ですけど…(関西弁だと、こういう場合は「知らんけど」となる)。
■ところで、私の「iPhone6 plus」には、マーラーの全作品が入っています。普段、通勤時に、「iPhone6 plus」で音楽を聴くことはありませんが、毎週末の老母の見舞いのさいには、1時間以上運転することになることから、「Bluetooth」を通して交響曲を聞きます。最近は、来月の予習も兼ねてマーラーの「第3番」を聞いているのです(サイモン・ラトル指揮、バーミンガム市交響楽団)。さらに、もう少しだけ予習をしておこうと、昔読んだ新書も自宅の書架から取り出してきました。柴田南雄の『グスタフ・マーラー -現代音楽への道-』(岩波新書)です。1984年に出版されたものです。ということは、今から32年前のものですね。まだ、ソビエト社会主義連邦共和国が存在していました。2月にはソ連共産党書記長のアンドロポフが死去し、7月にはロサンゼルスオリンピックが開催されました。今の学生の皆さんには、さっぱりわからない話しですね。学生の皆さんのために少しだけ説明しておけば、柴田さん(1916〜1996年)は、有名な作曲家・音楽評論家・音楽学者です。
■書架から取り出した新書は、ページをめくるとどのページもすでに黄ばんでいました。かつて読んでいるはずなのですが、記憶に残っていません。新鮮な気持ちで読むことができました。この新書は、マーラーの伝記とマーラーの作品解説を兼ね備えたような構成になっています。第3番について解説を読んでいると、とても興味深い記述に出会いました。第3番は、冒頭に、8本のホルンが、ユニゾンで第一主題を13小節にわたって勇壮に吹き鳴らされます。柴田南雄さんは、この13小節を丁寧に解説した後、次のように述べておられます。深く納得しました。おそらく、32年前の若い頃の自分では、柴田さんが力を込めて書いておられること(以下の引用部分)を、きちんと受け止めることが(理解することが)できなかったのではないかと思います。
以上、わずか十三小節の第一主題を対象にしたにすぎないか、このように見てくれば、マーラーが人々に理解されるのに長い年月が必要であった理由が、ある程度は説明できように思う。つまり、古典派=ロマン派の作曲家たちが固有の様式に集中し、凝集したのに対して、マーラーは共時的・通時的な厖大な音楽語法からの広汎な借用・引用によって自己の音楽を成立させた。そこには原始の旋律からユダヤ教とドイツ・プロテスタントの聖歌を経てバッハに代表されるバロック音楽まで、さらには近世以降のヨーロッパ音楽の拍節法からチャイコフスキーを連想させるスラブ音楽に至るまでの、歴史的にも地理的も広大な音楽文化圏を背景に置き、さらには彼の生地のボヘミア、青年時代を過ごしたモラヴィアの地がオーストリア・ハンガリー帝国の版図に属していた事実までを軍楽の響きの音色とリズム、しかも葬送のリズム(!)によってこの主題に固定した。しかも、八本のホルンの斉奏という管弦楽法は、この曲が書かれた一八九五年当時としては前衛意外の何者でもなかった。
■ところで、マーラーの交響曲3番を丁寧に解説したページをみつけました。千葉フィルハーモニー管弦楽団の指揮者をつとめる金子建志さんの解説です。
グスタフ・マーラー(1860〜1911)交響曲3番 ニ短調
Beethoven: “Egmont” Overture / Ozawa · Berliner Philharmoniker
■facebookで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のページを時々見ています。4月18日は、小澤征爾指揮によるベートーヴェンの「エグモント序曲」でした。facebookの動画はYouTubeの動画を貼り付けたものです。この序曲の一部のみとなっていますが、弦楽器が弓をたっぷり使い、ダイナミックかつ重厚に演奏していることがとても印象に残りました。時事通信の記事では、「エグモント序曲では時に鬼気迫る表情を見せながら、導入部の重厚で悲壮感に満ちた響きやクライマックスの輝かしさを巨匠ならではの統率力で印象的に紡ぎ出した」と書かれていました。
■小澤征爾さんがベルリン・フィルハーモニーを指揮するのは7年ぶりなのだそうです。食道癌で一時は活動を中止されていましたが、今回の指揮で、楽団員の皆さんはもちろんのこと、ドイツの聴衆の皆さんも心から安心されたことでしょう。朝日新聞デジタルによると「親交が深い作家の村上春樹さんも駆けつけ、演奏後に舞台裏で労をねぎらった」そうです。村上さんは日本からこの日に合わせてやってこられたのでしょうか。そういえば、2011年にお2人は『小澤征爾さんと、音楽について話をする』という本を出版されていました。
■様々な新聞記事を読んでみますと、小澤さんは、ベルリンフィルから「名誉団員」の称号が贈られたようです。ベルリンフィルの終身指揮者・芸術監督を務めたヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントを務めた小澤さんが、初めてのベルリンフィルを振ったのは1966年とのこと。ちょうどベルリンフィルとの関係も50年になるわけですね。
■ところで、今回、小澤さんが指揮したベートーベンの「エグモント序曲」を、私自身も学生時代に弾いたことがあります。1981年6月14日、神戸文化ホール大ホールでの関西学院交響楽団の第57回定期演奏会です。なんと、今から35年前のことになります。その時は、その他に、メインの曲としてべートーベンの「交響曲7番」を、サブの曲としてシベリウスの「カレリア組曲」を演奏しました。「カレリア組曲」では、イングリッシュホルンの音が出ない…という大変なアクシデントがあり、そのことが強く記憶に残っているためでしょうか、「エグモント序曲」がどのような演奏だったのか、さっぱり思い出せません。まあ、そのような私の思い出はともかく、小澤さんが今回ベルリンフィルを指揮されたことを、世界中の多くの皆さんと喜びたいと思います。
由紀さおり「VOICEⅡ」
■子どもの頃、まだ我が家のテレビが「白黒」だった頃のことですが、親が「懐メロ」の番組を楽しんでいると、がっかりしたものです。「もっと楽しい番組をやっているのに…」と思ったわけです。中学生ぐらいになると、親に「懐メロ」番組のためにチャンネル権を奪われた場合は、ラジオを聞くようなっていました。深夜放送が全盛期でした。
■ところが、最近は、かつての親のように自分自身が「懐メロ」を楽しむようになっています。「昭和の歌謡曲」を楽しむようになっています。昨晩も、テレビをつけると「甦る歌謡曲」という番組をやっていました。現代風にアレンジされていますが、懐かしくて懐かしくて、ついつい視てしまいました。子どもの時、「懐メロ」を楽しむ大人が理解できなかったわけですが、やっと自分自身も楽しめるようになってきた…という感じでしょうか。やはり、「昭和の歌謡曲」を楽しむためには、一定の長さを生きている必要があるように思います。「歌謡曲」そのものだけでなく、「歌謡曲」が流行っていた時代のことを思い出しながら、その時代を懐かしみつつ、楽しむのですから。しかし、「歌謡曲」という言葉、死語・・・ですね。
■ということで、由紀さおりの「VOICEⅡ」を手に入れました。1960〜1970年代の名曲を、由紀さおりさんが唄っています。「→」の後の名前は、元々、歌っていた歌手の方のお名前です。
1 さよならはダンスの後に →倍賞千恵子
2 ウナ・セラ・ディ東京 →ザ・ピーナッツ
3 夜霧よ今夜も有難う →石原裕次郎
4 黄昏のビギン →水原弘・ちあきなおみ
5 ラストダンスは私に (duet with 坂本冬美) →越路吹雪
6 雨の夜あなたは帰る →島和彦
7 赤坂の夜は更けて →西田佐知子
8 暗い港のブルース →ザ・キングトーンズ
9 雨に濡れた慕情 →ちあきなおみ
10 知りたくないの (duet with 平原綾香) →菅原洋一
11 逢いたくて逢いたくて →園まり
国立民族学博物館 特別展「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」
■新年度になり週末もいろいろ用事が入り、兵庫県の介護老人保健施設に入所している母親の洗濯物の交換や見舞いに行くことができませんでした。ということで、木曜日ですが、車を飛ばして母親のところに行ってきました。授業が始まっていないので、会議が入っていなければこういうことも、まだ可能なのです。車で行くことから、吹田市にある国立民族学博物館に立ち寄ることにしました。民博で、特別展「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」が開催されていたからです。以下は、特別展の企画内容です。
極彩色の衣装に身を包み立ち並ぶ、12人のアイヌの有力者たち。松前藩家老をつとめた画人、蠣崎波響が寛政2年(1790)に描いた「夷酋列像」は、時の天皇や、諸藩の大名たちの称賛を受け、多くの模写を生みました。蠣崎波響筆のブザンソン美術考古博物館所蔵本と国内各地の諸本が、はじめて一堂に会します。絵をめぐって接する人、交叉する物、そして日本の内に胎動し始めた外の「世界」。18世紀から現在に続く、蝦夷地=北海道イメージを見渡します。
■展示は、4つのコーナーで構成されていましたが、私は特に、後半の「Ⅲ 夷酋列像をめぐる物」と「Ⅳ 夷酋列像をめぐる世界」を興味深く観覧することになりました。「夷酋列像」に描かれたアイヌの有力者が身につけている衣服は、「蝦夷錦」と呼ばれる絹織物の着物、おそらくはロシア人のコートや靴などを身につけています。アイヌの有力者たちは、北海道、千島、サハリン、沿海地方といった北東アジアの交流・交易によってそれら衣服を得ているのです。この特別展では、「『異人』であると同時に味方の『功臣』であるという、相反する二つの要素を持つアイヌ像」という表現をしていますが、そのような両義的な存在であるアイヌ像を媒介として、鎖国の状況の中で江戸時代の人びとは、外国をイメージしていったのですね。そのことを展示を通して実感しました。「夷酋列像」には、多くの模写が存在していますが、そのような模写を生みだした当時の状況を理解することができました。
■民博に車で出かけたのは初めてだったので、どこに車を駐車していいのかわからず、結局、日本最大級のショッピングモールと言われている「ららぽーとEXPOCITY」の駐車場にとめることになりました。この駐車場からだと、雨の中、民博まで15分ほど歩かねばなりませんでした。母の世話もあり、じっくり特別展を楽しむことはできませんでしたが、満足しました。