他者を想像する。
■大変個人的なことで申し訳ありません。少し前のことになりますが、娘から、家族専用のSNSで動画が届きました。花火の動画です。でも、孫たちの声が入っています。動画では、最初、妹のななちゃんの唸り声?!が聞こえてきます。1歳だと、花火を見てもよくわかりませんものね。じっと同じ場所にいることに飽きてきて「退屈や〜」と唸っているのでしょう。
■それに対して姉のひなちゃんは4歳だからちょっと違います。ひなちゃんは、花火を見ながらおかあさん(娘)とこんな会話をしていました。
ひなちゃん「きれい」
おかあさん「きれいだね」
ひなちゃん「花火やっている人、あの人も、観てるのかな」
おかあさん「下から観てはるかもしれないね」
ひなちゃん「きれい、写真撮ってるの」
■ひなちゃんは、見えないし、会ったこともない人の立場からいろいろ想像できるようになったんですね〜。親子の会話から、そのようなことを感じました。大人になってきたな〜。おじいさんは感動しましたよ。そのことをおかあさんに伝えると、以下のようなメッセージが返ってきました。
ひなちゃん、いろいろなことが考えられるようになっています。ななちゃんが何か言いたげにしていると、〇〇してほしいんちゃう?と気づいてあげたり。優しいです。
■人は、何歳頃から他者のことを考えることができるようになるのでしょう。1歳の妹はまだ言葉が話せないわけですが、それでも普段一緒に暮らしているから何を求めているのか状況から推測することができるのでしょう。それに対して、「花火をやっている人」の場合は、見えない遠く離れたところにいて、自分とは全く異なる「他者」として頭の中で構成しているわけですね。子どもの成長過程において、このことはとても大切なことなんじゃないかと思いました。まあ、ジジ馬鹿なことを言っていると言われれば、その通りですかね。どうかご容赦ください。
おそろいのワンピース
■2人いる孫のうちの妹の方が、先日1歳の誕生日を迎えたこともあり、明日の日曜日は会いに行こう…ということになっていました。ところが、またコロナ感染が拡大してきました。そのため、訪問は急遽中止することになりました。コロナめ…。おじいさんはがっかりです。でも、仕方がありませんね。
■明日は、おばあさんお手製のワンピースをプレゼントすることになっていました。手芸店から型紙や自分好みの生地も買ってきて、こしらえました。とても上品な雰囲気のワンピースができあがりました。持っていくことができないので、宅配便で送るようです。
■左の方がお姉ちゃんのワンピース。ボケットやバックの襟元にリボンがついています。髪を括るリボンとシュシュもできあがりました。リボンのゴムは、おじいさんが髪を括っているゴムなのですが、きちんと洗濯してあるのだそうです。内心、そのままでもええやんと思いましたが、いや、やはり爺いのゴムはあかんやろと思い直しました。もうひとつは、1歳を迎えた妹の方のワンピースです。こちらは襟がついていますね。姉と妹が、オソロのワンピースを着た様子を想像して、おじいさんはニヤニヤしています。
「孫の絵」と編集作業
■先週の土曜日のことになりますが、子どもと孫たちが、妻の還暦のお祝いをしてくれました。石山にある料理店で、美味しい京懐石料理をいただいた後、今度は自宅で、孫のひなちゃんやななちゃんと楽しい時を過ごしました。子どもたちからは還暦記念や花束のプレゼントがあり、さらに3歳になった1人目の孫であるひなちゃんからは、小さな絵がプレゼントされました。右端のウルトラマン??のような人物がおばあちゃん。熱が出たり、何かあった時にウルトラマンのように頼りになるのはおばあちゃんですしね。真ん中は孫本人です。少し離れたところに、お目目がぱっちり、髪も髭もフサフサで黒々としている人がいますが、これはおじいさんです。実物とは真逆ですね。ハンサムに描いてくれてありがとう。
■さてさて、このような幸せな時を過ごすことができたのは土曜日だけ。日曜日からは、再び、本の編集作業がずっと続いています。文理融合型プロジェクトの研究成果を元にした、『流域ガバナンス 地域の「しあわせ」と流域の「健全性」 』(京都大学学術出版会)という本です。もう1人の編者の京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんと、毎日のようにzoomを通して細かいところまでやりとりをしながら、編集作業を行なっています。
■土曜日は、昼間はお祝いの会や孫と過ごしていたので晩だけになりましたが、日曜日は、午前、午後、晩の3回に分けて合計7時間ほど編集作業に取り組みました。この本が生まれるまで…というか、研究プロジェクトの期間には、いろんなことがありすぎて、思い出したくもないことも多いわけですが、そんなこんな、いろいろあっても、もうじきゴールということになります。私自身は、もう年寄りの部類に入ってきたので、体力や気力のいる文理融合型の研究プロジエクトは、もうこれで最後かと思いますので、なんとか頑張って編集作業を終えたいと思います。
■ただ、さすがに肩や首が鋭い痛みを発してきたので用心しています。この後に、頭痛や難聴が続くと、またまたメニエール病になって寝込んでしまうので。今月いっぱいは、このような作業が続くのかな…。編集者の方とスケジュールを調整しながら、身体を騙しながらの作業になります。今月は入試業務もあるし、博士後期課程の審査もあるし…激務の月になりそうですが、来月は近くの温泉に「Go To トラベル 」で行くことができそうなので、それを目標に頑張ることにします。
■まあ、日曜日はそのような1日だったのですが、夕飯の買い物のついでにホームセンターに寄り道して、黄色のチューリップの球根20個、ヒヤシンスの球根3個、ヤマユリの球根2個、それからタイムの苗を衝動買いしました。黄色いチューリップは、全部1つの鉢に植える予定にしています。春、花が咲いた時のボリューム感を想像して今から楽しんでいます。ヒヤシンスも小さな鉢に植えて、リビングの窓際に置く予定です。朝、リビングの雨戸を開けた時に、漂ってくる素敵な香りが楽しみです。ヤマユリが咲くのは夏ですね。こちらも甘い強い香りがしますね。私は、良い香りがする草木が好きなのだと思います。枯らしてしまったジンチョウゲ、蛾の幼虫に葉を全て食べられてしまったクチナシも、香りのする花を咲かせます。そのうちに、リベンジして素敵な花を咲かせようと思います。明日の午前中はインフルエンザの予防接種があるのですが、朝のうちに、球根や苗を植えてしまおうと思います。
孫からのメッセージ
■私には2人の孫がいます。先日のこと、その孫たちから葉書でメッセージが届きました。「敬老の日」だったからです。といっても、3歳と0歳の孫は字を書くことができません。娘が代筆?!で送ってくれました。字は書けないけれど、足形を葉書に貼り付けて送ってくれました。嬉しいな〜。上の孫の足形は、葉書の大きギリギリでおさまっていますが、来年は無理のような気がします。来年は、どんな形でメッセージが届くのでしょうね。楽しみです。
■私は62歳ですし、可愛がっている2人の孫から「敬老の日」でお祝いをもらうことはとっても嬉しいことなのですが、同時に「敬老」の対象になることに、まだどこかで違和感を感じている自分がいるような気がしました。歳を取ることを素直に受け入れていたつもりでした。人生の最期に向けて少しずつ歩みを進めていたつもりだったのですが、そのような自分に抵抗する別の自分が、まだどこかに潜んでいるようですね。ちょっと驚きました。
■このことと関係することです。少し前にことになりますが、詩人の伊藤比呂美さんのTweetを見て、「人ごとではないよな〜」と思いました。伊藤さんだけでなく、自分自身に対する自己認識と、周りの人たちからの認識との間にはギャップがありますよね。
保険がなんとかというお役所から封筒がきて、あけたら介護保険証が入っていたので、とっさに「あれ、お父さんとっくに死んじゃったんだけど」と思って、自分のだというのに気がついた。ちょっとショックで、お父さんに話したかった。
保険がなんとかというお役所から封筒がきて、あけたら介護保険証が入っていたので、とっさに「あれ、お父さんとっくに死んじゃったんだけど」と思って、自分のだというのに気がついた。ちょっとショックで、お父さんに話したかった。
— 伊藤比呂美 (@itoseisakusho) September 21, 2020
1ヶ月
■2人目の孫、ななちゃん、すくすくと育っているようです。仕事やコロナの心配もあり、まだ1度しか対面していませんが、ななちゃん(なな望)のおとうさんが、生後1ヶ月の時に撮ったものを送ってくれました(掲載可とのこと)。私はよくわからないのですが、この1ヶ月で大きくなったようです。声をかけると笑うし(正確には笑うように見えるかな…)、声の方に顔を向けるようになりました。
■おねえちゃんの3歳のひなちゃん(ひな子)も元気にしています。今は、テレビアニメのプリキュアに夢中です。このアニメのキャラクターのように上手にダンスしています。成長していますね。来年は、ひなちゃん&ななちゃんと一緒に琵琶湖で泳げるかな。2人の孫が生まれてくれて、おじいさんとしてとても幸せな気持ちです。でもその一方で、心配もあります。孫たちが成長し、私が死んでしまった後、2人が本格的に高齢者になったときのことが心配なのです。マジで。22世紀のことになりますね。世界は、地球は、いったいどうなっているのでしょう。おじいさんとしては、自分が死んでしまった後のことですが、孫たちのことがとても気になります。「こいつはアホか…」と呆れる方もおられるでしょうが、私はこういう発想、実は大切なことだと思っています。
二人めの孫が生まれました。
■すみませんが、大変個人的なことを投稿します。14日、2人めの孫が生まれました。娘夫婦の2人めの子ども、なな望(ななみ)といいます。ななちゃんです。コロナ禍の中、無事に誕生してくれました。ありがとう。1人めの孫、ひなちゃんが誕生したときはあまりにも嬉しすぎて、両親よりも早くfacebookに投稿してしまい後で叱られましたが、今回は「じっと我慢の子」、両親のお許しも出たのでfacebookで友達にお知らせしました。姉のひなちゃんが誕生した時、こんな投稿をしました。「おじいさんになりました」。この投稿の中にもありますが、ひなちゃんの時は、おとうさんやおばあさんが出産に立ち会いました。私は仕事の関係でひなちゃんが生まれる時は大学にいました。そのため、出産時の様子を動画で見せてもらいました。大変感動しました。生まれそうになってからもかなり時間がかかったこともあり、仕事をしながらもハラハラ、ドキドキしていました。今回のななちゃんの誕生では、コロナ禍ということで、おとうさん以外立ち会うことができませんでした。姉のひなちゃんと比較してですが、ななちゃんは短い時間で生まれてきました。生まれたとLINEで私の方にも連絡がありホッとしましたが、少し呆気ない感じもありました。
■姉のひなちゃんは、おかあさんの応援にやってきたおばあさんと一緒に自宅で待機していました。ひなちゃんは自宅で妹を迎える準備と練習をしていました。BGM付き電動ゆりかごを使い、ひなちゃんが大切にしている人形を妹に見立て、寝かしつける練習をしていました。きちんと安全ベルトもしてあげて、コンセントを刺して、BGMのスイッチも入れることがで切るようになりました。もう完璧ですね。どこまで理解しているのかどうかわかりませんが、そういうふうに練習をしながら、おかあさんと妹のななちゃんが病院から一緒に帰ってくることをずっと賢く待っていました。心の中では「いつになったら帰ってくるのかな」と思いながらも、そんなことはあまり口に出さずおとなしく待っていました。とはいえ、こんなにおかあさんと離れて暮らすことは初めてなので、おばあさんがいても、時々メソメソすることもあったようです。まだ3歳ですが、その寂しさを心の奥にしまって頑張って過ごしていたのですね。
■先週の金曜日、ひなちゃんは、おとうさんのスマホのLINEで、病院にいるおかあさんや妹のななちゃんとお話しをすることができました。ええと、ななちゃんは眠っていましたね…。ひなちゃん、とっても嬉しくて自然にピョンピョン飛び跳ねていました。おかあさんは、LINE電話の向こうで嬉しくて涙を流していました。そして、翌日の土曜日、おかあさんとななちゃんがお家に帰ってきました。私もお祝いに駆けつけました。生まれたてのななちゃんを抱っこさせてもらいました。ひなちゃんの時も思いましたが、小さいですね〜。姉のひなちゃんも、まだ3歳ながら、ミルクや沐浴等のお手伝いをしているようです。仲の良い姉妹になってほしいと思います。
■姉のひなちゃんが成人した時に、一緒に飲みに行くことにしています。ひなちゃんが20歳のとき、私は後期高齢者の79歳です。そして妹のななちゃんが20歳のとき、82歳になります。82歳まで、孫と飲みに行けるだけの体力が残っているかな、少し心配なこともありますが、頑張って健康でいようと思います。世間では100歳まで元気にとよく言っていますが、とてもそのような気持ちになりません。3年前に孫が生まれ、さらに今回は孫が2人になったことから、職場では、若い同僚の皆さんを応援することに自分の立ち位置を本格的にシフトさせ、定年に向かっていろんな局面で静かにフェイドアウトしていくべきなのかなと思っています。そして少しずつ、大学の外部、地域社会の様々な活動で頑張るようにしていこうと思っています。
オンライン授業のこと
■先日、某大学の教員をされている方から、勤務されている大学で、どのように新型コロナウイルスに対応して新年度の授業を始めていくのか…ということについて話を聞かせてもらいました。「うちの大学ではオンライン授業をする準備を進めています。すでに、そのインフラは整っているので」とのことでした。なるほど。新型コロナウイルスの感染が始まる前から、オンライン授業の整備を進めていたんですね。
■こちらの記事によれば、名古屋商科大学は新学期から授業をオンラインで行うようです。こちらの大学では、「1985年から学部新入生全員に対してノートパソコン(Macintosh)を無償譲渡しており、2018年からはオンラインを活用した討論型ケース授業を通じてノウハウを蓄積してきた」と言います。なるほど。我が龍大は…、私が知る限りあまり進んでいないのではないかと思います(どうだろう…)。記事の以下の部分もすごく気になります。アメリカではすでにオンライン授業が当たり前になりつつあると聞きます。
オンライン授業では大学支給のノートパソコンを使ってZoom(遠隔会議ソフト)による授業に参加し、質問などはGoogle Classroomを利用する。カメラをオフにしている場合は欠席とみなす。事前にオンライン授業への参加方法に関する講習会を実施するほか、授業期間中は問合せ専用の直通電話を用意する。自宅にインターネット環境がない場合は、パソコンとイヤホンマイクを持参し、指定された教室で参加することもできる。
■おそらく、大学のオンライン授業が増えてくると、大学は変化せざるをえなくなりますね。facebookで、同僚の教員の方と少しやりとりをしましたが、大学の設置基準も変わってくるのではないかと思います。これまでのような教室は、必ずしも必要でなくなります。特に、大教室で大きな黒板にチョークで板書をしながら、大人数の学生を相手に講義を行う…そのような授業は消えていくのではないかと思います。広大なキャンパスも今ほどは必要でなくなるのではないでしょうか。図書館も書籍をオンラインで読めるようになると、物理的な意味での大学の存在意義は、今とはかなり違うものになるでしょう。通学のための交通費も、今ほどはかからなくなると思います。遠く離れた場所に暮らしていても、オンライン授業であれば可能です。下宿をする必要もありません。仕送りも必要でなくなるのではないでしょうか。
■しかし、「身体性」に関わる問題は残り続けると思います。これ、けっこう、重要だと思います。一緒にいることで、一緒にいるからこそ…という教育の側面はやはり残り続けるでしょう。一緒に何か課題について議論をして、一緒に活動を行う…。そんなことは、オンライン授業では難しいですね。何がオンライン授業で可能か(代替可能か)。オンライン授業だから優位なことは何か。逆に、オンライン授業にできないことは何か。実際に対面するからこそ可能なことは何か。そのあたりのことをきちんと、わからなければなりません。そうすると、大学で実際に学生と共に行う授業って、私の場合であれば、課題解決型の実践的な教育プログラム…ということになるのかなと思います。課外活動はどうでしょうか。スポーツにしろ音楽にしろ、大学への帰属意識が前提になりますが、オンライン授業で大学に行く回数が減ると、大学の課外活動は衰退していくような気もします。どうでしょうか。そのあたり、よくわかりません。先行してオンライン授業に取り組む大学の経験知から学ぶと同時に、自ら経験を積み重ねていくしかありませんね。新型コロナウイルスの経験を経た後の大学は、大きく変化する気がします。変化しない大学は、時代の変化に取り残されていくことになるのではないでしょうか。
■もちろん、大学だけでなく、新型コロナウイルスの後は、いろいろ社会に変化が起きるでしょう。満員電車に乗って都心のオフィスに毎日通わなくても、いろいろできることを、多くの人びとが実感し始めているはずです。そうなると、今ほど都心にはオフィスが必要でなくなります。これは、不動産業には大きなダメージになります。このことについても、東京にお住まいで都市開発に関連するお仕事をされているお友達とfacebookでやりとりをしました。その方は「構造不況が始まる」と心配されていました。加えて、鉄道も衰退する可能性があります。すでに都心回帰の時代にあって、郊外に住宅を持って、そこから都心のオフィスに通う…というパターン自体が過去の、これから消えていく「幸せのモデル」になりつつあります。では、都心のタワーマンションに暮らすのか…。いやいや、そうではないように思います。テレワークの存在感がもっと大きくなってきたときには、もっと異なる「職住のパターン」が生まれて、もっと別の「幸せのモデル」が生まれるような気がします。あくまで、気がする…だけですが。そうなると、不動産市場も大激変するでしょうね。
■こうやって考えていくと、都心に近い自治体、毎日通勤することが可能な自治体に暮らさなくてもよくなります。どのようなことが「暮らしたい自治体」の基準になってくるのでしょうね。それぞれの自治体が魅力的な独自性を出していかなけれ住んでもらえなくなってしまう…そういう時代が目の前までやってきているのではないでしょうか。この他にも、いろいろ頭の中に浮かんできます。妄想の類でしかありませんが、今回の新型コロナウイルスの問題は、特定の地域や、特定の国の問題ではありません。パンデミックですから、世界中で同時に起こっていることになります。しかも、それぞれの国で起こっている状況の変化をメディアを通して、刻一刻と世界中の人びとが知ることになります。このパンデミックを、同時進行で経験することが、いったい世界に何をもたらすのでしょうか。
■いろいろ考えるのですが、そのような妄想はここでは横に置いておいて、今日の話をします。今日は、NPO(特定非営利活動法人琵琶故知新)の会議を「zoom」を使ってやりました。5人での会議です。けっこう、慣れればスムースにできるなあというふうにも思いました。ということで、NPOの事務所にいかずに自宅から会議に参加しました。20人のゼミ程度の人数であれば、簡単にできます。ただし、無料のサービスのプランでは、グループミーティングは40分に限られています。もっとも、2人だけのミーテイングであれば時間の制約はないようです。今日の会議で、「zoom」は2回目の経験になりますが、ちょっと慣れてきました。ちなみに、会議に参加された方に教えていただきましたが、この「zoom」では大学でも使えるようなサービスが提供されているようです。ゼミの運営や卒論の指導などにも、この「zoom」を使えるのではないかと思います。で、この「zoom」を使って飲み会もできそうな気がしてきました。「zoom」で飲み会ができると、飲み屋街にも影響が出ますね…。
■さらに話は変わります。昨日は、孫のお誕生日会がありました。私は、環境保全に取り組む市民団体への助成の選考会(平和堂財団夏原グラント)で行くことができませんでした。というわけで、この仕事が終わった後、「LINE」の「ビデオ通話」で3歳になった孫に「おめでとう」を言おうとしたのですが、ちょうどお誕生日ケーキをカットして食べるところだったようです。ということで、「ビデオ通話」で「Happy birthday to you」を一緒に歌うことになりました。その時、私はどこにいたのか…。山科駅近くの「無印良品」のお店の中にいました…(^^;;。
ウルフムーンとハマチ
■日曜日は用事があって、奈良の娘のところに行きました。もちろん、孫のひなちゃんともたくさん遊びました。3月で3歳になるひなちゃんは、もう普通に話をすることができるので(もちろん、大人の会話はできないけれど)、一緒に遊んでいてこれまでとはまた違う楽しさがあります。晩には、近くにちょっと買い物に一緒に行きました。まーるいお月様が登っていました。記念すべき「初デート」ですね。後で、知り合いの方に教えていただきましたが、日曜日の満月は「ウルフムーン」だったそうです。
■といっても、私はウルフムーンがなんであるのか、よく知りませんでした。1月の満月のことを、ウルフムーンと呼ぶのだそうです。ネイティブアメリカンの呼び方のようです。狼にとって1月はちょうど食べる餌がなくなる時期で、お腹をすかせた狼が遠吠えする…とのことでしたが、真偽のほどは私にはわかりません。でも、それはこのさいはあまり気にしないようにしましょう。孫のひなちゃんとの「初デート」が2020年のウルフムーンの晩であったこと。ひなちゃんはすぐに忘れてしまうでしょうが、おじいさん(私のこと)は、大切な思い出としてずっと記憶することでしょう。
■ひなちゃんとの短いけど、記念すべき「初デート」を終えてしばらくすると、ひなちゃんのお父さんが魚を沢山釣って帰宅しました。おとうさんは釣り師です。ひなちゃんも、将来は釣りをすることが宿命づけられている…のかもしれません。おかあさんは、ピアノをさせたいといっています。釣りとピアノ…。なかなかシュールですね。自然と音楽に親しむのは良いことです。それはともかく、我が家もハマチを1匹お裾分けしてもらいました。帰宅後、さっそく捌きました。今晩は、刺身とあら炊きでした。美味しくいただきました。この季節のハマチは美味しいのだそうです。せっかくイキの良い魚いただいたのですが、我が家の包丁は…。もうちょっと良い包丁が欲しいなと思います。
(月の写真は、著作権フリーのものを使っています。)
孫の七五三
■2017年の春に生まれた孫娘は、満年齢は来年の春に3歳になりますが、数え年で3歳ということで、先週の土曜日、七五三参りを行いました。「もう七五三なのか…」と時間の経過に驚きながら、孫の成長を喜んでいます。今は、近くの保育園に通っていますが、いろんなことができるようになりました。
■まずは、写真館にいって撮影を行いました。洋服と着物に着替えて、たくさんの写真を撮りました。孫の母親が3歳の時も、写真館で撮影を行いましたが、その当時とはまったく異なっています。最近は、結婚式の前に「前撮り」をしますが、それと同じような感じでしょうか。いろいろ動きや表情の変化の中で、次々と写真を撮っていかれました。高級デジタル一眼レフですから、見たママを撮ることができます。ジジバカ丸出しですが、素敵な写真がたくさん撮れました。さすがプロのお仕事ですね(残念ながら、孫の写真を公開することはできませんが)。撮影した後は、孫が住む近くのお宮さんへお参りに行きました。孫は、お父さん(義理の息子)と一緒にですが、きちんと作法通りに神様に榊を捧げることもできました。次の「七五三」は6歳の秋になります。4年後はまだ先のようですが、すぐにやってくるでしょうね。