酷暑のなかの出勤、琵琶湖の富栄養化に関す勉強メモ

20250904wakita.jpg▪️夏期休暇中ですが、昨日も出勤しました。今日は、まだましですが、昨日は本当に暑かったです。仕事に必要な資料は、そのほとんどを研究室に置いているため、超暑い日が続いていますが、毎日出勤しています。先週は集中講義でしたから、なんだか夏期休暇といっても、授業がないだけで休暇気分にはなりません。普通に事務仕事もありますし。昨日は、偶然、ひさしぶりに同僚と少し話をすることができました。嬉しかったです。でも、多くの同僚はこの暑さ中、大学までやってくることはないのかもしれません。

▪️そんな冴えない夏期休暇ですが、重装備で出勤しています。麦わら帽子をかぶって、メガネの上からオーバーサングラス(TALEX)をして、日傘(mont-bell)をさして、こうするとまあまあ安心ですかね。私は、症状は出ていませんが少し黄斑上膜らしく、定期的に検査を受けています。ということで、紫外線で悪化していかないようにメガネの上からオーバーサングラスをかけています。日傘も紫外線避けのやつだと思います。日差し対策ではありませんが、骨伝導のイヤフォン(shokz)もしています。これは、暑さをまぎらわすためですかね。

▪️以下は、今日、勉強していることのメモ…みたいなやつです。先週の集中講義で、琵琶湖博物館学芸員の芳賀さんから、講義でいろいろ教えてもらいました。そのひとつが、「琵琶湖の富栄養化に関して、いつ頃から研究者が気がついていたのか」ということです。芳賀さんから教えていただいた研究者は、津田松苗さん(1911-1975)でした。陸水学や水生昆虫の専門家なのだそうです。彼が日本自然保護協会の機関誌『自然保護』に「湖の富栄養化を防ごう」という短文を書いておられます。この機関誌は、昭和38年(1963年)の2月に発行されたものです。その頃に、琵琶湖の南湖の富栄養化の問題を指摘されているのです。スイスのチューリッヒ湖が富栄養化したという話の次に、琵琶湖の南湖の富栄養化を指摘されています。以下は、その部分です。

わが琵琶湖でも、堅田以南の副湖盆における最近十数年間の富栄養化は極めて激しい。湖南部周辺の人家、工場の激増による汚水流入のためである。湖底には腐泥が沈積し、いままでは極めてわずかであったユスリカ幼虫が大量に発生し(羽化した成虫は周辺の人家に集来する)、湖岸近くの岩石には汚水菌の集落がべっとりと着いている。水色ももちろん悪い。京都市の上水道取入口がその最も汚染の激しい地域にあるのも気にかかることである。

(副湖盆とは南湖のことです。北湖は主湖盆)

▪️湖は自然に放置しても徐々に富栄養化の道をたどります。浅い湖だと思いますが。ただ、そのスピードはかなりゆっくりで、数千年から数万年という長い時間になります。ところが、人間が汚水を流すとあっという間に富栄養化していくことになります。下水と工業廃水によってスイスのチューリッヒ湖のばあいだと50年のようです。このような人間が大きく影響している富栄養化対策として、津田さんは下水処理が必要だと主張されています。それも、「下水有機物の無機化よりさらに一歩進め、無機栄養塩類の除去までやらないと本物ではない」と主張されています。現在行われている三次処理・高度処理のことですね。

▪️津田さんはこう書いておられます。「そして突然湖水に水の華が生じるようになる。一般の人が『湖が変わった』ことに気づくのはこの時期である。あとは、わずかな年月のうちに、湖の爽やかさが失われていく」。津田さんは、1975年に63歳でお亡くなりになりました。その2年後、琵琶湖には淡水赤潮が大発生することになりました。もし、その時も津田さんがご健在だったらどのような発言をされたでしょうね。淡水赤潮が大発生することで、津田さんが書いておられるように、多くの県民も琵琶湖に異変が発生していることに気が付きました。ちなみに淡水赤潮も水の華の一種です。

▪️この淡水赤潮の大発生により、りんを含む合成洗剤に替えて粉石けんを使おうという「石けん運動」が県民運動として展開していきました。もともとは、合成界面活性剤による健康障害を問題視する消費者運動でした。ただし、滋賀県内でこの運動に懸命に取り組んだ女性たちは、富栄養化により淡水赤潮が大発生したのちは、健康障害と琵琶湖の富栄養化の問題は繋がっていると解釈していました。消費者運動ですから、まずは企業の販売戦略に乗せられて合成洗剤を使い続けて健康障害が起こす人たちがいることを問題視します。そして、加えて今度は潜在に入っているりんで富栄養化が進み、淡水赤潮が大発生した。そのように解釈されていたのです。運動で目指すのは、健康も琵琶湖も取り戻そうということになります。それに対して、県にとって問題なのは富栄養化です。スローガンは「多少不便でも石けんを使いましょう」。富栄養化を引き起こした洗濯用の有りん合成洗剤を使ってきたことを反省し、「多少不便を感じながらも石けんを使う」ということが強調されることになります。

▪️「石けん運動」の持つ消費者運動という側面と、富栄養化を防ぐという環境運動という側面との間でネジレが生じています。加えて、「石けん運動」には、県民が自ら頑張ったという部分と、行政が運動を背後から推進していったという部分の両方があります。このネジレと両方があるという点、私にとっては大変重要に感じるところなのですが、そのことは今は横に置いておきます。

▪️当時、洗剤メーカー側が猛烈な反対運動を滋賀県内で展開したわけですが、そのことが逆に「石けん運動」に火をつけることになりました。結果、石けんの使用率は高まっていきました。そのような世論の動きを背景に、「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(琵琶湖条例)が制定されることになりました。また、間接的、あるいは結果としてかもしれませんが、その時点で進んでいた琵琶湖総合開発という国家プロジェクトにも影響を与えたのではないかと思います。1981年の改訂時に、水質保全に寄与する農業集落排水処理、畜産環境整備、ごみ処理、水質観測の4つの事業が追加されています。そもそも、1974年に滋賀県知事に当選した武村正義さんは、選挙中から、前知事の野崎欣一郎さんが進めてきた琵琶湖総合開発の見直しを公約にしていました。ということで、総点検していました。

▪️さて、そうなりますと、淡水赤潮を発生させた富栄養化に関して、行政はどのように認知していたのかが気になります。1971年に水質汚濁防止法の施行に伴い、県の水質審議会に、「水質汚濁にかかる排水基準等について」の諮問を行いました。1973年には答申が出され、「滋賀県公害防止条例」が制定されました。その答申のなかには、県の水質審議会は「琵琶湖の富栄養化が進行しつつある状況から、今後、窒素、りん等の規制について検討を行うべきである」との付言がありました。富栄養化を公害防止と同一レベルのやり方では対処できないということでしょう。答申の付言ではありますが、このあたりから、県としても富栄養化問題に取り組まねばと考えていたように思います。水質審議会に「言われたから」ではなくで、水質審議会に「言ってもらう」というのが実態に近いのではないかと思いますが、どうでしょうか。審議会とは事前相談を十分にしていると思いますし。

▪️そして1975年、1974年に知事に就任した武村正義さんは、県の水質審議会に対して、「窒素、燐および陰イオン界面活性剤の規制はいかにあるべきか」を諮問しています。その公文書では、りんや窒素だけでなく、陰イオン界面活性剤、つまり合成洗剤もとりあげられています。こう書いてあります。「また陰イオン界面活性剤についても近時毒性等の面からその影響が懸念されています」。ただ、この諮問に対して議論を行なった規制基準部会や専門小委員会では、りんや窒素に関して議論していますが、懸念されているという陰イオン界面活性剤そのものの毒性等については議論された形跡がみあたりません。もちろん、合成洗剤にビルダー(助剤)として入っていたりんについては議論の対象となっていますが。なぜなんだろう。

▪️そのことはともかく、この時の水質審議会の委員に岩井重久さん(1916-1996)という方がおられます。岩井さんは、社団法人土木学会が発行している『琵琶湖の将来水質に関する調査報告書』(昭和44・45・46・47年度、4冊)の委員長もされていました。初年度は、昭和44年ですから、1969年になります。これは、建設省近畿地方建設の委託研究です。委託されて土木学会衛生工学委員会として、琵琶湖の富栄養化に関する研究を進めることになったのです。岩井さんは、この委託研究の委員長です。

▪️45・46年度版の報告書では、「3.汚水および汚濁負荷(発生量の現況と将来予測)」のなかで、「家庭生活により窒素、リン負荷の発生量、原単位」、「合成洗剤によるリンについて」、「家庭下水による負荷量の計算」という記述があります(どういうわけか、まったく同じ内容と文章)。もちろん、家庭だけではなく、家畜や工業による窒素・りんの発生量、それから肥料に基づく窒素・りんの流出量に関する記述もあります。社会学しか勉強していないので、どこまでこの報告書を理解できているのか、できたとしても一部になりますから不安なんですが、全体として理解できることは、建設省は、琵琶湖についてもその富栄養化の対策が必要だとの判断をしていたということです。

▪️滋賀県も、1972年(昭和47年)に、琵琶湖環境保全対策を策定するなかで、合成洗剤の問題をとりあげています。界面活性剤が下水処理に及ぼす影響、さらには「添加剤として用いられるりんによる湖の富栄養化等」を問題視しています。そして、「家庭からの排水量そのものを減少させる意味で節水の思想の普及と合成洗剤使用削減運動を強力に展開する。一方、基本的には、りん含有量の規制、さらには全く新しい無害洗剤の開発を、国、製造業界に要請する」となっています。

▪️合成洗剤に替えて石けんを使おうという「石けん運動」と「合成洗剤使用削減運動」とでは同じ運動でもまったく中身が違っています。しかも「新しい無公害洗剤」とは無りんの合成洗剤のことだと思います。問題にしているのは、富栄養化なのですから。ただし、行政が「運動」ということを視野に入れて対策を考えているという点が気になっています。下水道という技術による解決を待っていては間に合わない。下水道が普及するのには時間とお金がかかる、ということなのでしょうか。国の問題意識と県の問題意識は、どう関係しているのかなと気になります。おそらく、琵琶湖の富栄養化が進行していることは認識は共有していたはずです。さて、琵琶湖博物館の芳賀さんは『淀川百年史』という本も勧めてくださいました。琵琶湖総合開発の考え方が書かれているということを教えてもらいました。瀬田キャンパスの図書館にあったので、取り寄せることにしました。今日、届きました。今日は、『淀川百年史』を確認しながら、読み進めました。琵琶湖総合開発に関して、次のような記述がありました。

琵琶湖総合開発の主な柱として、滋賀県により昭和43年8月に作られた「琵琶湖総合開発の基本的な考え方(第一次案)」においては治水、利水、地域開発の3つをあげていたが、46年2月に作られた「琵琶湖総合開発計画の基本方針(案)」では、保全、治水、利水の3本柱となり、琵琶湖の自然環境、水質の保全というものが表面に押し出されてきた。

その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり、ますます保全の重要性が強調されるようになって琵琶湖総合開発の基本方針になった。

▪️昭和46年は1971年です。野崎欣一郎知事の時代です。「その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり」というのは、淡水赤潮の大発生がその代表のように思います。武村正義知事の時代、昭和52年、1977年のことになります。でも、どういう経緯で、基本方針が変化したのか、そのあたりの国と県のやり取りを知りたいとおもいました。諏訪湖など浅い湖では、琵琶湖よりも先に富栄養化が進んでいましたし、湖沼の水質問題については保全を入れないわけにはいかない状況が生まれていたのだろうと思いますが…。琵琶湖総合開発は、下流の自治体が、琵琶湖の水を使うかわりに、滋賀県のために負担金を出すという仕組みになっていますし、「水量」だけでなく「水質」も維持しなければ…ということなのだと思います。もう少し勉強してみます。

中学校の「部活動の地域移行」

▪️大学吹奏楽部の部長をしていましたし、今は近江八幡市教育委員会の点検・評価委員を務めていることもあり、中学校の部活動、特に吹奏楽部の「地域移行」のことが気になっています。いろいろ調べていたからでしょう、Googleが「地域移行」に関連する記事を探してきて見せてくれるようになっています

▪️「部活動の地域移行」とは、「学校の部活動を地域が主体となって運営するクラブ活動に移行する取り組み」のことです。文科省の方針です。部活動の顧問されている先生たちの激務、大変ですよね。教員も、ワークライフバランスをきちんと考えていく時代になっています。ということでの、文科省の方針です。ただ、それぞれの地域には地域固有の事情や条件があり、全国一律にというわけにはなかなかいかないのかなと思います。「地域移行」するにしても、それぞれの自治体で工夫を重ねて、段階を踏まえないとうまく行きません。でも、地域移行できずに、廃部になっていく吹奏楽部もたくさんあるでしょうね。吹奏楽部の活動を

維持するためには、指導者の問題に加えて、経済的な問題も非常に重いのです。

▪️地域に移行すると、学校や教育委員会ではなく、基本、保護者が経済的な負担をしなくてはいけません。楽器の購入、メンテナンス、コンクールへの参加に伴う輸送代、バスの借り上げ…。もちろん、自治体からの補助金もあるとは思いますが、経済的な負担の多くは保護者になります。そうすると、負担できる保護者と、それは絶対に無理という保護者がおられるのではないか思います。子ども:「吹奏楽部に入りたいのだけど、これだけの年間の負担がいるんだって」、保護者:「そうなんか、ごめんね。我が家ではとても無理やわ」。そういう家庭もきっと出てくると思います。そうなると、中学校の部活動においても「体験格差」が生じることになるのではないかと思います。

▪️とはいえ、記事の最後の部分、大切かなと思います。

「これまでは、学校が部活をやってくれて当たり前だったし、そこに先生に払う講師料などがあったわけでもなく、ある程度専門的なことも教えてもらえて“当然”みたいな感じでいた」
「むしろ今後は、私たち地域側が意識を変えて『協力していく』という体制を作らないといけない…」

地域それぞれにの課題から、部活動の『地域展開』がスムーズに行かないケースもありそうですが、学校や保護者だけではなく『地域の子どもたちは地域で育てる』という意識の広がりこそが、子どもの活動場所を狭めないための第一歩となりそうです。

▪️「地域の子どもたちは地域で育てる」というのは、「自治の精神」を涵養していくということなのでしょう。自治って、まちづくりと言い換えてもいいかもしれません。「まちづくりは人づくり」とも言いますからね。こうやって、地域の大人に指導をしてもらいながら、また応援してもらいながら、部活動に取り組んだ経験が、子どもたちにとって意味のある経験になってほしいと思います。そして、将来、こういう「地域移行」による「アウトカム」が地域にとってもプラスになってほしいと思います。

▪️付け加えることになりますが、こういう記事もありました

「PFAS汚染問題」のドキュメンタリー映画


▪️今朝、たまたま「なぜ女性ばかりが「PFAS汚染問題」に声を上げるのか。世界各地を取材して見えたこと」という記事を読みました。PFAS汚染問題を、沖縄や世界の女性たちの目線から追ったドキュメンタリー映画『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』の監督をされた平良いずみさんへのインタビュー記事です。関連して、この記事の前編になる「「我が子に『毒』を飲ませていたのか」他人事ではないPFAS汚染問題」も読みました。ちなみに、トップの動画は、その『ウナイ』を紹介する動画です。「ウナイ」とは、沖縄方言で「姉妹」のことです。また、姉妹のように親密な関係を表す言葉です。PFAS汚染に立ち向かう世界中の女性たちの連帯を、姉妹=「ウナイ」という言葉で表現されているのでしょう。もし、英語で表現するのならば、「シスターフッド(Sisterhood)」なのかなと思います。

▪️「ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう」の公式サイトはこちらです。この公式サイトの中で、平良さんはこの映画をつくることになった背景を以下のように説明されています。自分自身の怒りからスタートしている点が重要かと思います。

「私は、執念深い」 監督である私の告白から始まる映画になりました。 映画をご覧になるみなさんが凍りついてしまわないか今から気が気でないですが、 笑ってもらえたら嬉しいです。

この映画は、 私が5年に渡り追ってきた “PFAS汚染” についての記録です。 起点となったのは9年前、 沖縄県民45万人が飲んできた水道水にPFAS・有機フッ素化 合物が含まれていたこと。 生まれたばかりの息子に水道水でつくったミルクを与えていた私は、「絶対、許さない」―そう思いました。

そうして気付いた時には、 世界の至る所で汚染問題の解決を求め立ち上がった女性(ウナイ)たちに出会い、 言葉の壁を越え想いが通じ合う瞬間を何度も経験しました。 汚染問題に直面した彼女たちはどう生きたか……。 この先、 この社会がきらいになりそうな人にこそ見てほしい。 絶望の涙を、 ひとしずくの希望にかえて立つ女性たちの姿を。 監督・平良いずみ

▪️前編となる記事「「我が子に『毒』を飲ませていたのか」他人事ではないPFAS汚染問題」で次のようなことが語られています。ミネラルは赤ちゃんの内臓に負担がかかるという医師の助言もあり、平良さんはお子さんのために水道水を使ってミルクを作っていました。ところが、「2016年1月、沖縄県が米軍嘉手納基地周辺の河川や浄水場の調査結果を発表し、県民の多くに水を供給する北谷浄水場にPFASが含まれていたことがわかった」のです。平良さんが想像していたよりも沖縄社会の反応は薄く、「政治が解決してくれるだろう」と思っている人が多かったといいます。実際、沖縄のお母さんたちによる市民団体「水の安全を求めるママたちの会」が立ち上がったのも、3年後の2019年だったようです。米軍基地が汚染源である可能性が非常に高いことは沖縄県の調査でわかっていますが、日米地位協定のため立ち入り調査を米軍は認めていません。

▪️後編の記事に戻りましょう。この記事の中で、「印象的だったのが、どの国でもこの問題に声を上げているのが女性ばかりだということ。女性を選んで撮ったわけではなく、活動している人に女性が多かった、ということなのでしょうか?」という質問に次のように答えています。

どうしても経済や軍事の利益が優先される社会で、男性たちは社会構造の中に取り込まれてしまって、声を上げづらい現実がある。女性は産む性ということもあって、“マッチョ政治”に対して勝ち目がないのが分かっていたとしても、「私たちは今、この命を守るために行動しなきゃいけない」という思いで怖いもの知らずに進んでいくところがあるのかもしれません。

▪️女性と環境問題。個人的には、非常に重要な問題だと思ってます。ここで平良さんが言っていることは、女性は男性のようには社会構造の中に取り込まれていない、逆に言えば排除されているということにもなります。しかも、そのよう男性中心の社会構造から排除されながらも、そのこととセットになっている固定化された性役割分業の中で、女性は「産む性」であり育児や子どもの健康を見守ることの第一義的責任を負わされています(「産ませる性」である男性も同様の責任を負っているはずなのですが)。自分の「命」だけでなく、子どもたちの「命」にも非常に敏感になる立場に置かれているわけです。目の前の「経済や軍事の利益」を優先した結果生み出されているPFAS問題によって子どもたちの「命」が脅かされていること、にもかかわらず様々な手段を駆使してPFAS問題を隠蔽しようとすることに対して、平良さんは「絶対、許さない」と心に誓っているのです。沖縄の女性たち、世界中の女性たちも、この問題の解決に向かって「怖いもの知らずに進んでいく」ことになったのです。

▪️記事では、アメリカのアマラ法のことが紹介されています。「アマラさんが住むミネソタ州の町には、1950年代からPFASを開発してきた化学メーカー・3Mの本社及びその工場があり、近隣の水源を汚染したとして、多数の自治体から訴えられていました。アマラさんはPFAS汚染が原因とみられる肝細胞がんを15歳で発症し、20回を超える手術を受けながらPFAS規制を訴え続けました」。アマラ・ストランディさんは、次のように語っておられたといいます。

2022年、もう回復の見込みがなくなった時に、環境団体の女性から州議会での証言を求められました。お母さんに「あと半年の命をどう過ごしたい?」と聞かれ、アマラさんは「自分のような子どもが絶対に産まれてほしくないから証言する」と即答し、何度も何度も証言を重ねたんです。

その結果、2023年4月、ミネソタ州において世界で最も厳しいPFAS規制の法案が可決されました。アマラさんは21歳の誕生日を迎える2日前に亡くなりましたが、法案が可決されたのはその約2週間後のことでした。アマラさんの尽力にちなみ、同法は「アマラ法」と呼ばれています。

▪️平良さんは、「予防原則」についても、述べておられます。予防原則とは、「化学物質や新技術などが、人の健康や環境に対して重大で取り返しのつかない影響を及ぼす恐れがある場合、科学的な因果関係が十分証明されていなくても規制措置を可能にする考え方」のことです(「日経ESG」)。この「予防原則」の考え方に照らし合わせた時、ヨーロッパと比較して日本は大変弱いということになります。平良さんは、「実際に健康被害が出るまで、子どもたちに『これだけ悪影響がある』と言われているものをずっと与え続けるんですか? と問いたいです。ヨーロッパなどでは予防原則という考え方が出てくるんですけど、日本では『被害がない=エビデンスがない』という話にいつもなってしまうんです」と日本社会の状況を批判されています。

▪️この予防原則に関する問題、PFAS汚染だけではありません。日本の消費者問題、公害、環境問題の振り返ったとき、この予防原則という観点から問題視されてきた歴史があります。平良さんは、「PFASは半導体を作るのに必要であることをはじめ、いろいろなところに使われているので、経済界は基準の厳格化に抵抗を示しています。EUが今、PFASの全面禁止を進めるためにパブリックコメントを募りましたが、寄せられた5642件のうち900件以上が日本企業からの反対意見でした。ここにも経済優先の姿勢が表れている」と批判されています。また、マスコミの報道に関しても。「政治家たちの責任もあるけれど、私たちメディアの責任もとても大きいと思います。PFASはこれだけ各地で検出されているのに、新聞の一面を飾ったことは、沖縄を除いて、どれだけあったでしょうか。在京キー局にも散々番組を提案してきましたが、全く報道してくれない」。

▪️環境社会学者の寺田良一さんが『環境社会学研究』vol.11に執筆されたエッセイ「「 『リスク社会 』、『 予防原則』、『問題構築』と環境社会学」の中で、ドイツの社会学者ベックを引用しながら次のように述べておられます。これは、2005年に執筆されたものですが、ここで寺田さんが主張されていることは、20年経過した現在の PFAS汚染問題でも言えることなのだと思います。ただ、米軍基地の場合には、さらに日米地位協定という壁の問題も直視しなければなりません。

U.ベックが、リスクの再生産、分配と、その定義づけが政治的課題になるとした「リスク社会」においては、客観的、科学的な「環境問題」が、いかにして社会的、政治的な意味における「環境問題」へと「構築」されていくかという、きわめて環境社会学的テーマが、これまで以上に重大な問題になる。たとえぱ、リスクの分配の不公正性を問題化した「環境正義(公正)」や、原子力や環境ホルモン問題における、世代間の公正性、種の存続といった問題フレームの構築がその例であろう。また日本で政策化が遅れる理由の一つは、市民の側に、まだ十分社会に認知されていない環境リスクを社会的な環境問題として喚起する「問題構築」能力を持ったアドボカシー(対抗的政策提言、世論喚起)型の専門的環境NPOが少ないことであろう。これも環境社会学や社会運動論の大きなテーマであろう。

▪️平良さんは、ご自身が監督をされたドキュメンタリー映画『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』を通して、観る人に以下のことを感じ取ってもらいたいと語っておられます。

沖縄のお母さんたちから、身のまわりで起きている嫌なことに対する、社会と個人のあり方みたいなこと教えてもらえる内容になっていると思います。嫌だと思うことについては、一つひとつ声に上げていくことが大事です。嫌なことがあった時、私たち市民には座り込んだり、声を上げたりする権利があるんだよ、力があるんだよということを改めて感じてほしいです。

▪️関西に暮らしていても、このドキュメンタリー映画を拝見することができます。ただし、仕事のスケジュールが必要です。8月22日、京都シネマで。行けるかな。

お盆休みに

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▪️8月11日から18日まで、大学は一斉休暇中です。ですが、「自分も一緒に一斉休暇」というわけにもいかず、今日は研究室に来ています。「盆休みに働ているのは自分だけやろ」と思っていたのですが、さにあらず。同じフロアーを確認しただけでも、2人の同僚が出勤しています。みんな働き者だなあ。まあ、ワークライフバランスを厳しく問われる時代ですから、「働き者」という言葉も死語ですかね。とはいえ、職場に仕事関係の資料等を置いているので、盆休みでも研究室に来ないといけないのです。

▪️仕事ついでに、職場に潤いをと思い勝手に置いてある観葉植物の世話もしました。良い感じで成長しています。右側は、アスプレニウムというシダの仲間です。オオタニワタリとも近い種類なのかな…よくわかりません。左側は観葉植物の寄せ植え。背の高いのが、サンスベリア。まだら模様のものはピレア…かな。残りはトキワシノブ。元気に育っています。聞思館の4階、もっと観葉植物を増やしていくつもりです。

カンテレNEWSで報道された「革靴をはいた猫」


▪️「革靴を履いた猫」を経営している魚見航大さんから、この動画のことを教えていただきました。ありがとうございました。魚見さんは、この会社を学生の時に起業されました。ちなみに、龍谷大学の政策学部を卒業されています。こちらの会社では、様々な困難を抱えた方達を社員に迎えておられます。そして、それぞれの社員の方達が成長というのかな、元気になっていかれているんですよね。とっても素敵なことだなと思います。以下は、この動画の概要です。

京都市中京区にあるちょっと変わった「靴磨き」店。
その名も「革靴をはいた猫」 通称“革猫”。

【革靴をはいた猫・代表】「障害のある方だとか、引きこもりの経験がある方がお客様の目の前で靴を磨いたり、修理したりしてお客様に喜んでもらいながら職人自身も成長していくというコンセプトで会社を立ち上げました」

誰もがチャレンジできる優しい店を目指しています。

そんな”革猫”の新メンバー・木村昇平さん(37)は元警察官。

働き盛りのときに発達障害が発覚し休職。どうやって生きていこうか、悩んだときに出会ったのが「靴磨き」でした。

▪️昨日のことになりますが、魚見さんと少しだけネット上でやり取りしました。魚見さんは、「皆さんに伝わる形で発信できる機会をいただけてよかったです!」と感じておられるようです。大学の後期のことになりますが、魚見さんの「革靴を履いた猫」を、1回生の「基礎ゼミナールB」の学生の皆さんと一緒に訪問する予定になっています。ちなみに、魚見さんとは飲み友達でもあります!!

雑誌『湖国と文化』192号

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▪️琵琶湖博物館の開設準備で滋賀県庁に勤務した時(1991.4〜1998.3)に知った、『湖国と文化』。創刊は1977年なんですね。わかっていませんでした…。民具に惹きつけられて、衝動買い。fb友達の辻村 耕司さんの写真多数。たぶん、いつも辻村さんの写真がいっぱいだったんだと思います。特集の冒頭には次のようなメッセージが。

日常の中で必要に応じて生まれ、使われ、育まれてきた暮らしの造形・民具。

民具は、それぞれの土地でどう生きて来たのか、文字に残らない庶民の暮らし、知恵や技、さらには世界とのつながりまで、さまざまなことを私たちに伝えてくれます。

この特集では、まず、滋賀で国や県の文化財となっているゆつの民具を通して、山・湖・里・道……湖国の多様性が育んだ多様な民具の魅力を紹介、「甲賀の前挽鋸(まえびきのこ)」「甲賀売薬」「田上の衣生活」については、そのモノ語りを少し詳しく伝えます。県内での民具を活かす取り組みや未来へ継ぐ活動も紹介します。

▪️特集にある今石みぎわさん(東京文化財研究所無形文化遺産部)が執筆された「民具を未来に活かすために」を拝読しました。この論考では、現代社会における民具がもつ価値や意味について述べておられます。今石さんは、民具の土台は「土地に根ざした暮らし」にあると強調されます。ですから、「その源泉にある人々の生きる知恵、自然へのまなざし、暮らしの息遣いといった地層にまでアプローチできなければ、本当の意味で民具を活用したことにはならない」のです。そのためには、「その民具をいつ、どこで、誰が作り、どう使ったか、何と呼んだかといった、聞き取りからしか得られない情報」、そういった「生きた情報」の収集を専門家が最も優先して行うべき仕事だと述べておられます。そして最後には、以下のような重要な指摘をされています。

これからの地域を支える資源として民具から力を引き出せるか、それとも可能性ごとむざむざ捨ててしまうのか、地方自治体には賢明な判断が求められていると言えるでしょう。

▪️今、全国の民具を収蔵する資料館等でスペースがなくなって来ていることが大きな問題になってきています。そのことを念頭にこのようなことを書かれているのではないでしょうか。それから、個人的な意見になりますが、このような民具から引き出される価値を知ることは、世界農業遺産に認定された「琵琶湖システム」のもつ価値を深く知ることにもつながるのではないかと思っています。

NHK・ETV特集「田んぼ×未来」(4月26日放送)

20250723etv-tanbo.png▪️春に録画していたNHK・ETV特集「田んぼ×未来」を視聴しました。以下は、番組の概要です。

日本のコメに相次ぐ異変。農家が減り、10年後には国内自給が危うくなるという予測も。そんな中、「未来」を耕そうと奮闘する2組のコメ農家を長期取材。茨城で野球場140個分に挑む大規模農家は、徹底した観察と創意工夫でコストを削減、気候温暖化の中でも安定した生産を実現する。上越の山間部に移住して新規就農した夫婦は「村があってこそ農が成り立つ」との信念で、集落と棚田を守りながら消費者とつながる道を切り拓く。

▪️参考になりました。茨城県の超・大規模耕作農家と、新潟県の中山間地域に新規就農した農家。国は大規模化を目指しているけれど、大規模農家には大規模農家の悩みがあります。単に規模を大きくすれば問題が解決するわけじゃないのです。圃場の広さは「野球場140個分」です。その広さを一度に何台もの農機具を使って、何人もの人を使って、一気に田植えをしたり稲刈りをしたりするというわけにはいかないのです。コストが高くついて経営的にはやっていけないのです。

▪️そこで早く田植えをする品種から遅く田植えをする品種までを用意し、農作業の時期をずらして営農されていました。また、徹底して稲の研究もされていました。どうすれば多くの量を収穫できるのか。たとえば、コシヒカリは成長すると稲穂も大きくなり米粒がたくさん収穫できるわけですが、同時に、倒伏のリスクも高まり、農作業に莫大な時間がかかってしまいます。肥料(追肥)をどの程度与えて、どの高さまで成長させるのか、成長と収穫の兼ね合いが難しいようです。というわけで、品種ごとの適切な営農規模と、徹底した研究と工夫が必要になります。番組では、現場の中から自分たちならではの適切な営農のあり方を探っておられました。

▪️また、集落で離農していく農家が増える中で、登場された農家は若くして後継者になることを宣言されました。そのことが結果として、集落の協力を得て土地改良事業に取り組むことを可能にしました。それがなければ、このような土地改良はできていなかったといいます。個人の利害から土地改良事業を行いたいというのではなく、集落全体の将来を背負う覚悟を持った若者が登場したからできたのでしょう。このあたり、社会学を通して農村地域の研究をしている者には興味深かったです。

▪️一方で、中山間地域に新規就農した農家は、先輩農家と力をあわせて、この地域で生き残っていくための、集落を守るための知恵を絞って実践しておられました。新規就農した農家は、自治会の会長にも就任されました。新たなリーダーですね。ただ、ここで暮らしていこうという立場からすると、今の農政は「農業を諦めさせるための政策(補助金)」のように見えると言います。そういうふうに感じざるを得ないような政策がたくさんあるといいます。番組では「消費者による農業へ理解と持続への道筋づくりへの参画か求められる」と最後を締めくくっていました。確かにそう思います。米価が高騰した時だからこそ、この機会に、消費者はもっと「自分事」として、米づくりの農家の現場の問題を考えられるようにならないとと思います。

▪️ということで、理事をしている「仰木地域共生協議会」では、消費者と農家が連携する新しい事業に取り組みます。写真を貼り付けておきます。ただ自分自身は持病のために、普段、白米は食べられないのですが…。ロウカット玄米を少しだけ食べているだけなのです…。食糧、農業、農村の現実に関して、うちの大学の学生さんたちはどれほど学んでおられるのでしょうね。ふと気になりました。農学部はあるけれど。実際のところどうなんだろう…。
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政治は、女性たちの気持ちや考えに向き合えているのか。

▪️「「人口を増やすのは不可能…」人口流出が止まらない地方…なぜ若い女性は東京を目指すのか?女性の本音に迫る 新潟」という記事を読みました。たまたまこういう記事を読んだわけで、あくまで本人としては「たまたま」なんですが、普段からこういう記事を気にして読んでいるから、次々に出てくるようになっているのでしょうか。「フィルターバブル」というらしいですね。それともかく(でもないんだけど…)、記事では、新潟大学を卒業して東京圏で就職した若い女性と、新潟県の高校を卒業後、千葉大学に進学し、そのまま東京で就職・結婚、14年間の会社員生活を経て新潟にUターンし起業された女性が登場します。

▪️記事の最後には、前者の若い女性が次のように語っておられます。「「なぜ若い女性は東京を目指すのか?」この問いにSさんは、「もちろん東京は企業の数が多いので、自分のやりたい仕事を求めて東京に出ていくことはあると思う。でもそれだけではなく、就職のタイミングで県外に出ても地元がある。戻る場所がある。その安心感があるからこそ、できる挑戦なのかなとも思う」と柔らかに語った」。「戻る場所がある」。地元は人生のセーフティーネットなんですね。地方の人口減少、そして人口の東京一極集中の問題に対して、政治は、このような女性たちの気持ちや考えに向き合っているでしょうか。

▪️ こういう記事も読みました。「“若者の経済不安”解消せず、子育て支援偏重 政府のズレた「少子化対策」がもたらす“最悪の未来”」です。この記事にある「優先順位を考えると、まず手を付けるべきは「子どもを持ちたいと思える経済的環境・社会的環境」の整備であることは言うまでもありません」という指摘を前提にするのであれば、多くの自治体で取り組まれている「子育て支援策」は、政策的な順位が違うということになります。「子育て支援」があるから、結婚して、子どもを持とうとは思いませんからね。

▪️もうひとつ。「「地方創生」10年かけて「地方衰退」人口減少や東京一極集中招いた理由」。この記事では、こんなことが書かれていました。「女性の活躍を巡る議論で、よく使われる言葉に「地域を(補佐的に)支える存在」「ケアの現場を支える人材」といった表現があります。けれど、今必要なのは、女性を「支える側」としてのみ語るのではなく、地域の未来を動かす主役の一人として見る視点です。」「これまで行政の評価は、「〇〇を何件改善した」「△△の数を増やした」といった「改善の数値化」が中心でした。でも、実際に地域に暮らす人にとって大切なのは、「暮らしが良くなっていく希望が持てる」「安心してこのまちで年を重ねていける」といった実感ではないでしょうか」。最後の「希望が持てる」「年を重ねていける」という部分、非常に大切だと思います。

ツバメの巣

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▪️朝、自宅の最寄駅に入ろうとすると、ツバメが目の前を横切りました。見上げると駅の壁に巣があり、小さな雛が顔を覗かせていました。この時期だと、2回目の繁殖でしょうか。

「安曇川の河辺林 2024年夏~2025年春 小動物と生きもの調査報告会」

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▪️今日の午前中、「安曇川の河辺林 2024年夏~2025年春 小動物と生きもの調査報告会」というイベントに参加してきました。この安曇川の河辺林は、綾羽工業さんの敷地内にあります。ただ、人の手が入らず、この河辺林には、ものすごい数の鵜が巣を作っています。巨大なコロニーが生まれているのです。鵜の数が多すぎて、その糞が河辺林の植物に大きなダメージを与えているようです。また、近隣の住宅の皆さんも困っておられるとのことでした。

▪️今日は、このような河辺林の状況を調査をされてきた滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの研究員の方達を中心にプロの方達から、植物や生き物に関しての報告が行われました。糞害でダメージを受けながらも、たくさんの動植物が確認されていました。動植物の報告の後は、河辺林の航空写真を眺めながら、これからどんなふうに整備していくのか、夢を語り合いました。楽しかったです。水辺環境を活かして、木道を設置してはどうかとか、枯れた竹を竹チップにして再利用してみてはどうかとか、いろいろアイデアが出てきました。この河辺林を復活させる活動は、鵜が飛び立った秋からのようです。

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