奥村さんの壮行会
■今月の19日のことになりますが、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、お店のランニングチーム・チーム「利やん」のチームメイト奥村康仁さんの壮行会が開催されました。トレイルランニングの世界最高峰ともいえる、「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(仏: L’Ultra-trail du Mont-Blanc=リュルトラ・トラーユ・デュ・モン・ブラン、略称はUTMB)」に、奥村さんが出場されることになったからです。この「UTMB」、2003年に始まりました。毎年8月に、、ヨーロッパアルプスの最高峰モンブランを取り巻くフランス、スイス、イタリアの3ヶ国をまたがる山岳地帯のトレイルコースで開催されています。二晩徹夜して走るそうです。累積標高差9,889m、全長169.4km のコース、制限時間46時間30分といいますから、寝ている余裕なとないのです。とても過酷なトレイルランニングの大会です。
■奥村さんは、私たちの居酒屋のランニングチームだけでなく、滋賀や高槻にあるトレイルランやトライアスロンのチームにも所属されています。この日の壮行会には、他チームの皆さんも応援に駆けつけてくださいました。ありがとうございます。ちなみに、奥村さんは、龍谷大学キャリアセンターの課長さんです。龍谷大学の学生たちの就職支援の仕事をされています。しかし、私にとっては、どちらかといえばチーム「利やん」のチームメイトといったほうがしっくりきます。私が所属する社会学部の教授会に就職活動の内定状況等の報告に来られたことがあるのですが、頭でキャリアセンターの課長さんであることはわかっていても、何かちょっとした戸惑いに似た気持にもなってしまう・・・そのような「素敵」な?!関係なのです。
■壮行会のさいには、チームメイトからはメッセージを書き込んだ日の丸が、チーム「利やん」のオーナーであるお店のマスターからは応援旗が贈られました。若干残念なことがあれば、応援旗に本来であれば「ウルトラトレイル」と書くべきとこ、旗を作成した業者さんの勘違いで「ウルトラトレイン」になってしまっていることでしょうか。しかし、奥村さんは、むしろそれを楽しんでおられます。「超・列車」となってモンブランを取り巻くトレイルコースを「爆走」してほしいと思います。
■奥村さんからの情報によれば、ネットで応援できるようです。
現地時間:8/26(金)午後6時スタート 【日本時間:8/27(土)午前1時】 Bib No.:2532
庭のキュウリ
■暑い日が続いていますが、頑張って庭の世話をしています。ガーデニングというと素敵な雰囲気がしますが、私がやっているのは朝夕の庭の水撒きと雑草抜き、この2つだけです。滝のように汗をかきながら、そして蚊に刺されながら(腰に蚊取り線香をぶら下げてはいますが…)、頑張って庭の世話をしています。地味な仕事ですが、嫌なことではありません。そこが不思議ですね。
■昨日の朝も、そうやって水撒きをしていたのですが、びっくりすることがありました。ずいぶん前に、庭にキュウリの苗を植えました。キュウリの成長にはあまり適した場所ではないのですが…。うちの庭では、ツルで伸びていく植物は、今のところ、小さな木製のフェンスのある一箇所に限られているのです。最初はあまり成長も良くなく、たぶん収穫できないだろうなぁ…と諦めていたのですが、陰に隠れて大きなキュウリが出てきたのです。大発見です。期待していなかっただけに、驚きました。しかも、もう少し調べてみると、もう1本実っていました。結構大きくなりすぎてしまったので、これは種を取ってウリのように炒め物にして食べるしかありませんかね。でも、楽しみです。
第6回「マザーレイクフォーラムびわコミ会議2016」
■8月20日の午前中は第50回「北船路野菜市」、午後からは第6回「マザーレイクフォーラムびわコミ会議2016」でした。この「びわコミ会議」、ここ3年ほどは毎年参加しています。今回は、午前中が「北船路野菜市」と重なったため、午後からの部である「びわこのこれから、話さへん?」だけの参加。今回の【開催テーマ】は、「恵み 味わい 暮らし つなぐ」で、開催趣旨は以下の通りです。
琵琶湖流域に関わる様々な主体が、お互いの立場や経験、意見の違いを尊重しつつ、思いや課題を共有し、琵琶湖の将来のために話し合うとともに、マザーレイク21計画の進行管理の一部を担い、評価・提言を行う場です。
びわコミの「びわ」は琵琶湖を指し、「コミ」は英語のコミュニティ(地域)、コミュニケーション(対話)、コミットメント(約束)の頭文字を指しています。
びわコミ会議は、運営委員会で設定されたテーマに基づき1年に1回開催しています。
びわコミ会議では、結論や合意を得ることに必ずしも固執せず、参加者の思いや課題を互いに共有することに主眼を置いており、お互いの考えの共通点や相違点を見出して、各自ができることを考える場となることを目指しています。
■午後のセッション「びわ湖のこれから話さへん?」では、様々なテーマに分かれてグループ・ディスカッションを行いました。地球研のプロジェクトリーダー奥田昇さんと、PD研究員の浅野さん、サブリーダーである京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さん、そして私で担当したのは、「びわ湖の恵みと人のつながり」をテーマにしたグループディスカションです。例年のことですが、私はファシリテーターを務めました。野洲川上流、甲賀市の丘陵地帯にある農村からお2人の農家の方が、そして米原市からはビワマスを切り口にまちづくりをされている女性がご参加くださいました。また、滋賀県外からですが、大阪の吹田にある関西大学社会学部から、なんと環境社会学を専攻する学生さんも参加してくださいました。
■それぞれの参加者の方たちには、まずは、ご自身の身の回りの自然の恵みについてご紹介をいただきました。それぞれ暮らしている場所は違いますが、共通することが見えてきました。それを次のようにまとめました。「体験が自然の価値を引き出す。体験することが恵みを伝える」。自然の「恵み」は、モノのようにそこに存在しているわけではありません。自然に「働きかける」ことで初めて確認できるのです。関心がなければ、いくら物理的に近い存在ではあっても、自然の「恵み」を身体を通して実感することはありません。また、そのような「恵み」の体験を世代を超えて継承していくことの重要性と難しさについても議論になりました。持続可能性に関連する問題です。できれば、子どもたちが「恵み」を体験できるような、周りの大人たちのさりげない関与が必要だと思いました。そのような体験により「恵み」の「刷り込み」が行われるわけですから。
■グループディスカションが終わった後、「楽しかった〜」とのご感想をいただきました。ファシリテーターとしては、とても嬉しいです。私自身も、楽しい時間を過ごすことができました。この「びわコミ」会議、特に何かを決定したりするわけではありません。開催趣旨にもあるように「参加者の思いや課題を互いに共有することに主眼を置いており、お互いの考えの共通点や相違点を見出して、各自ができることを考える場」を目指しています。琵琶湖や琵琶湖に流入する河川のことを真剣に思いつつも、「緩やかさ」や「間口の広さ」を担保しようとしている点が、とても素敵なことなのかなと思っています。
祝!! 第50回「北船路野菜市」
■2011年より始まり、6つの学年の学生たちで、こここまで引き継いで継承してきた「北船路野菜市」、本日8月20日で、とうとう第50回を迎えることができました。4月と9月、そしてどうしても開催できなかった月を除き、毎月、頑張って開催してきました。指導している学生たちですが、ここまで頑張ってきた学生たちのこと、本当に立派だと思っています。また、学生たちと連携してくださった農家の皆さん、そしてご支援くださった農事組合法人「福谷の郷」の農家の皆さんには、そして、月1回とはいえ、学生たちか販売する農産物をお買い求めくださった中心市街地の皆様にも、心よりお礼を申し上げたいと思います。
■当初、私のゼミのゼミ活動としてスタートした「北船路米作り研究会」の活動ですが、今年の春から、公認サークル団体としての活動になりました。私のゼミでなくても、どの学部でも、どの学年の皆さんでも、龍谷大学の学生であれば参加することができます。まだ、きちんと部員を確保するためのリクルート活動ができていませんが。後期の秋からは、頑張ってくれると思っています。これまでのゼミ活動とは違い、活動を継承していく上では困難が伴うことと思いますが、研究会の活動の幅を広げていくためにも、ぜひとも頑張ってもらいたいと思います。
■皆様、今後とも学生たちの「北船路米づくり研究会」の活動をご支援いただければと思います。どうか、よろしくお願いいたします。
棚田でウォーキング・ジョギング
■第3回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」まで、あと57日になりました。参加している「龍谷大学ウォーキング・キャンペーン」でも、できるだけ「1日1万歩」歩くように頑張っています。8月も平均すれば、じゅうぶんに1日1万歩を超えています。暑いなか、頑張っています。ということで、最近のウォーキングについて報告しておきます。
■8月17日、これまでとは違うコースをウォーキングしてみることにしました。地名については地元の人にしかわからないかもしれませんが、まずは自宅から堅田まで行き、堅田から途中方面に坂をどんどん登っていきます。そして伊香立中学の少し先で、方向転換しました。そこには、比叡の山々の裾野に、伊香立と仰木の棚田の田園地帯が広がっています。アップダウンに富むコースです。伊香立の棚田は圃場整備をしていますが、仰木は昔ながらの棚田です。素敵な田園風景が広がっています。あちこち寄り道して写真撮りました。
■ただ、黙々とウォーキングするのではなく、ちょっと風景を楽しみながらのウォーキングするとなんだかハイキング気分で楽しくなります。上段左の写真は、伊香立の棚田から比良山系を望んだところです。頂がガスっていますね。その左は、仰木の棚田です。遠くに、琵琶湖の南湖が確認できました。そして、その下の大きな写真、これも仰木の棚田です。「馬蹄形の棚田」として有名です。
■堅田から一気に伊香立まで直線に登っていき、そこから山裾をアップダウンしながら少しずつ下っていく、そのようなコースです。これで、18kmちょっとになります。2時間40分ほどかかりました。ウォーキングの途中で、自分の身体が「走りたい!」といえば、登り道だろうとジョギングに切り替えてみました。ですから、平均ペースもウォーキングにしては速くなっています。8分44秒/kmです。これで歩数は「24,984歩」。消費カロリーは「1,203kcal」。汗びっしょりになりました。でも、ビールを飲めば体重は元に戻ってしまうような気がします。おそらく、体内脂肪や血液中の中性脂肪は落ちているはずなんですが・・・。脂肪は落ちて、脚の筋肉が太くなったので体重が減らないのだ…と自分に都合よく考えることにしています。しかし、こういう山裾に広がる棚田のなかを走っていると、いつか自分もトレイルランができるのかも…と思ってしまいます。もちろん、その前に、このアップダウンのコースをゆっくりでよいから全部走ることができなければなりませんが。
■昨日も夕方になり、涼しくなってきたのでウォーキングをすることにしました。外に出て気温を感じて、ウォーキングではなくジョギングに挑戦することにしました。そして、この日の目標を、平地の負荷ないコースを走るけれど、そのかわりにスピードをあげ、心肺機能を強化するということにしました。まあ、「びわ100」には心肺機能は関係ないのですが、「びわ100」後の個人的な展開を考えて、心肺機能も強化しておこうと思ったわけです。といっても、ご覧の通りの記録です。5kmまでは、だいたい6:30/kmで走ることができました。しかし、そこでストップ。数年前は、30kmほどの距離だとこのスピードで走ることかできたのに…。やはり、息が切れた。ちょうどフルマラソン完走を目指していた54歳の夏…のような状態です。まだまだ練習の蓄積がありません。5kmの後はウォーキング。しかし、途中でちょっと悔しくなってきました。最後残り3kmほどでジョギングに挑み、かなりムキになって走りましたが、やはり2kmほどで息切れしてしまいました。まだまだこんなもの何ですね〜。でも、盆休みの間、かなりウォーキングとジョギングができました。あとは、授業が始まるまでに、40kmウォーキングと50kmウォーキングも経験しておこうと思います。
赤紫蘇ジュース
■先日、車で琵琶湖1周した際、湖北の姉川近くの直売所で、赤紫蘇を購入しました。普段、赤紫蘇を購入することなどないのですが、ビニール袋に入った赤紫蘇には「赤紫蘇ジュース」の作り方が貼り付けてありました。それを読んで、俄然、自分でも「赤紫蘇ジュース」を作りたくなったのでした。今日の午前中、その赤紫蘇でジュースを作ってみることにしました。
■まず下準備。赤紫蘇、かなりの量がありました(上段左)。茎を取り除き、赤い葉だけにします。これが、かなり面倒くさい。しかし茎を取り除くと、ステンレスのザルに収まる量になりました(上段右)。次に、1.2リットルのお湯を沸かし、そこに赤紫蘇の葉を全部入れます。2分ほどゆがいていると、お湯の色が赤く染まっていきます。同時に、葉っぱからは赤い色素が抜けて普通の紫蘇のように緑になっていきました。不思議ですね〜(中断左)。鍋から紫蘇の葉を取り出して(中断右)、ザルで漉した赤い液体に砂糖を加えます(下段左)。これも驚きましたが、1.2リットルだと500gの砂糖が目安だそうです。500gというと、砂糖1袋の半分になります。砂糖を入れてアクを取りながら10分ほど弱火で煮込みます。火を止めて、酢を250ccほど加えました。酸っぱめにしてみましたた。出来上がった「赤紫蘇ジュース」を氷で冷やします(下段右)。あとは、別の容器に移して冷蔵庫に保存することにしました。試しに飲んでみました。ジュースを炭酸で割って飲んでみました。非常に、美味しく、爽やかな風味に出来上がっていました。みなさん、お勧めですよ!!
■「赤紫蘇ジュース」は身体に良い効果があるらしいですね。ダイエット効果、疲労回復効果、殺菌効果、花粉症・アレルギー症状の改善、美肌効果…。これだけ砂糖を入れて煮込んだのに、ほんまかいな…と思ってしまいますが、飲んで美味しいし気持ちが良いので、しばらく朝晩に楽しめそうです。
朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活
■2009年の4月、1人の学生が私のゼミの配属になりました。脇田ゼミ6期生の坂本昂弘くんです。その坂本くんが4年生になり卒業論文の調査に取り組むことになりました。ひょっとすると、3年生の終わりかもしれません。坂本くんが提案してきた調査は、滋賀県高島市の朽木にある山村の研究でした。話しを聞いてみると、京都府の美山や福井県の名田庄に近い場所にあります。最初は、「そのような遠い場所に調査に通えるのかな…」と指導教員として若干の不安がありましたが、よく聞いてみると、お祖父様がその山村にお住まいで、お父様もその山村のお生まれ、つまり自分自身のルーツがその山村だというのです。朽木にある古屋という集落です。
■坂本くんの問題関心は、過疎化が進み、限界集落化が進む古屋で、その山村に転居してくるIターン者の方たちが果たす社会的な役割に注目するものでした。彼は、お祖父様のいらっしゃる山村に大きなバイクで通いながら調査を進めました。調査を行うたびに、研究室に来て報告してくれました。その内容は、とても興味深いものでした。良いセンスの持ち主で、とても指導のしがいがありました。私自身は、古屋に行った経験は全く無かったのですが、彼の報告を丹念に聞きながら、時々質問をしていく、そのようなやり取りというか指導の中で、坂本くんはメキメキ力をつけていきました。坂本くんの卒業論文は、「限界集落にみるIターン者の役割-滋賀県高島市朽木針畑を事例に-」として提出され、優秀論文に選ばれました。卒業後、坂本くんは滋賀県内の企業に就職しました。卒業後は、facebookを通して再びつながりが生まれ、元気に働いている様子が伝わってきました。そのうちに、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で飲もうということになっていました。
■話しは変わります。母校・関西学院大学の先輩である辻村耕司さんは、滋賀県を中心に活躍されている写真家です。県内の民俗芸能等の撮影でも、たくさんのお仕事をされています。辻村さんと出会ったのは、私が滋賀県立琵琶湖博物館に勤務されている時ですから、もう20年近くも前のことになります。辻村さんともfacebookで日常的に交流していますが、一昨年の秋のこと、朽木の古屋の「六斎念仏踊り」の映像に記録する仕事に関してfacebookでメッセージをくださいました。そして、映像記録の一部を拝見させていただくことができました。その時に、ピンときました。「六斎念仏踊り」については、坂本昂弘くんが彼の卒業論文で言及していたからです。そして、坂本くんに、「君が継承者になりなさいよ!」と言っていたからです。さっそく辻村さんに許可を頂き、その「六斎念仏踊り」の映像記録の一部を坂本くんにも見てもらいました。坂本くんからは、「色々考えさせられました。少し泣きそうになりました」との返事をもらいました。「六斎念仏踊り」の継承者の孫として、坂本くんも、いろいろ悩み考えていたのです。しかし、今の仕事でめいっぱい、なかなか「六斎念仏踊り」に取り組む余裕がないこともよく理解できました。
■再度、話しは変わります。今年の話しになります。先月のことです。ある仕事で、辻村さんとお会いしました。その際、2013年から行われなくなっていた古屋の「六斎念仏踊り」が、8月14日に復活することになったと教えていただきました。「六斎念仏踊り」の継承者である古老の皆さんと、村の外の若者とが連携することにより復活することになったというのです。主催は、「高島市文化遺産活用実行委員会」と「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」です。辻村さんからは、当日、坂本くんもやってくるとお聞きしました。もちろん、見学させていただくことにしました。
■朽木の古屋に行くには、ふた通りのルートがあります。ひとつは、高島市朽木の中心地である市場から行くルート。もうひとつは、国道367号線(鯖街道)から古屋に向かうルート。大津市内に住む私は、後者のルートで古屋に向かうことにしました。道は舗装されているものの、道幅はかなり狭く、対向車が来たらどうすればよいのかと、ドキドキするようなところもありました。狭い山道を通りつつ、幾つかの集落を抜けて大津市内からは1時間20分程で古屋に到着することができました。おそらくは、いつもは静かな山村に、たくさんの方たちが集まってこられていました。
■「六斎念仏踊り」は、20時から始まりました。その様子については、上の動画をご覧ください。また、「六斎念仏踊り」の民俗学的なことについては、以下の「(財)滋賀県文化財保護協会」の「滋賀文化財教室シリーズ[223]」をご覧いただければと思います。私も、歴史的・民俗学的なことについては、これから、いろいろ勉強してみようと思っています。ここでは、ごくごく簡単に説明しておきます。「滋賀文化財教室シリーズ[223]」にも説明してありますが、もともとは、現在のようにお寺で行われるものではなく、太鼓を持った踊り手3人と、笛2人、鐘2人の合計7人で行われます。この一団で、古屋にある約20軒の家を順番に回って「六斎念仏」を踊ったのです。夜の22時頃から翌日の夜明けまで、それぞれの家の祖霊を供養するために行われていました。14日に「六斎念仏踊り」がおこなわれた玉泉寺は、曹洞宗のお寺です。伝承によれば、以前は天台宗の寺だったといいます。集落の中にある寺の宗派が変わることは、それほど珍しいことではありませんが、祖先祭祀やお盆と結びついた「六斎念仏踊り」の方が古くからの歴史を持っていると考えられているようです。もう一つ、これは自分への備忘録のつもりで書いておきますが、「滋賀文化財教室シリーズ[223]」には、次のような記述があります。
昭和49年発行の『朽木村志』の記述から、編さん当時の六斎念仏の姿を見てみましょう。
生杉と古屋の2地区で毎年8月14日に行われていた六斎念仏も、徐々に忘れられつつありましたが、昭和46年に、この2地区を含む地域一帯が県立自然公園の特別指定地域に編入されたことから、地元有志の人々によって六斎念仏の保存活動が行われるようになったといいます。
■まだ実際に『朽木村志』を読んでいませんが、すでに昭和40年代から徐々に忘れられつつあったということに注目したいと思います。古屋のある朽木は、林業が盛んな地域でした。昭和40年代というと、全国的に日本の林業が不況に陥った時代です。山での仕事がなくなり、朽木の古屋でも、多くの人びが山を降りました。その頃と、「六斎念仏踊り」の保存活動が行われるようになった時期とが重なっていることです。このあたりの事情は、また関係者の皆さんに詳しくお聞きしてみたいと思います。
■「六斎念仏踊り」の復活が無事に終わった後、私は坂本くんのお祖父様のお宅にお招きいただきました。遠くまで来てもらったからと、ご丁寧におもてなしをいただきました。もう夜が遅かったこともあり、短い時間でしたが、お祖父様、お父様、叔父様とお話しをすることができました。非常に興味深いお話しをお聞かせいただくことができました。坂本くんのお祖父様は、林業の仕事がなくなった後も、山を降りて滋賀県内で新しい仕事を見つけて、生きてこられました。再就職した後も、実に度々、古屋に戻っておられました。といいますか、古屋の家と仕事のための家との間を往復されていたと言っても良いのかもしれません。街場と山を往復しながら、家を守り、村を守ってこられたのです。遠く離れた大都会ではなく、古屋から車で1時間半ほどの場所に暮らすことができたことは、坂本くんのお祖父様、そして同じように生きてこられたお仲間の人生に取って、非常に大きな意味を持っていたのではないかと思います。
■今回は、坂本昂弘くんや坂本家の皆様、辻村さん、そして「高島市文化遺産活用実行委員会」と「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」の関係者の皆様に大変お世話になりました。非常に貴重な見学をさせていただくことができました。心より感謝いたします。なお、当日の玉泉寺での撮影が、シャッター音を消してほしいという指示がありましたが、私はスマホのカメラしかなく、音を消すことができませんでした。トップの写真は、坂本昂弘くんが撮影したものを使わせてもらっています。
【追記】■「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」の皆さんに、プロジェクトのfacebookで、このエントリーのことをご紹介いただきました。ありがとうございました。
30kmウォーキング
■第3回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」まで、あと60日になりました。2か月を切りました。ということで、昨日は急に思い立ち、30kmのウォーキングを実施しました。曇っていて涼しく、30kmウォーキングに適していると思ったからです。携帯したスマホのアプリで計測すると、実際には30kmを切る28.65kmでした。12kmあたりまでは、非常にゆっくりしたスピードでジョギングを行いました。その後はウォーキングにしました。空が晴れ、気温が高くなってきたのでウォーキングに切り替えたのでした。
■コースは、今から18年前まで勤務していた、滋賀県立琵琶湖博物館のある烏丸半島を折り返し地点にした、自宅と烏丸半島の往復コースです。はっきり言って、非常に疲れました。先月20kmは経験済みでした。たいしたことはないな…と思っていました。しかし、30kmは大変でした…。アプリのデータを見ていただければわかりますが、スピードはそれなりに維持しています。しかし、足腰の疲労感が20kmとは比べ物になりなかったからです。次回の予定は、南湖1周の40kmに挑戦する予定です。疲労感はさらに大きなものになるのでしょうかね〜。本番は100kmですから、この疲労感に対する耐性を作っておくためにさらにトレーニングに励まねばなりません。
■今回、平均ペースは9分17秒/kmでした。1時間に6km以上歩くペースです。100kmウォーキングの際に想定しているスビードに比べて、かなり速いほうだと思います。「びわ100」は、一応、12分/km程度のスビードを基準にして歩こうと思っています。そこからすれば、9分17秒/kmはかなり速いわけです。あと60日です。頑張らねばなりません。ちなみに、昨日の結果ですが、歩数はウォーキング終了時点で「40774歩」になりました。毎日の目標である「1日1万歩」は軽くクリアしました。とはいえ、昨日は、2435歩しか歩いていません。こういう歩けなかった日の歩数とのプラスマイナスで、今日の貯金が消えてしまわないように注意しなければなりません。
■消費カロリーは1777kcal。4時間26分かけて30km近く歩くと、さすがに消費カロリーも高くなりますね。とはいえ、1日だけ、これでグンと体重が減るわけでもない…。悲しいものです。
フルマラソンに挑戦していた当時のこと。本番の1ヶ月前に、練習で30kmをゆっくり走った。今回は2/3がウォーキング、体力が/脚力、やはり、まだまだ元に戻っていない。このような距離を、ほぼ毎日走っているチーム「利やん」のアスリートの皆さんの能力の物凄さを、今回は身体で実感した。
『外来種は本当に悪者か?』
■私の周りでは、けっこう話題になっている本です。科学ジャーナリストであるフレッド・ピアス。タイトルが刺激的です。『外来種は本当に悪者か ?』。本の帯にはこう書いてあります。
著名科学ジャーナリストとが
敵視されてきた生物の活躍ぶりを評価し
外来種のイメージを根底から覆す
知的興奮にみちた科学ノンフィクション。
よそ者、嫌われ者の生き物たちが
失われた生態系を元気にしている!?
■この本を勧めてくれたのは、ずっと長く一緒に研究プロジェクトをやってきた京大生態学研究センターの谷内茂雄さん。生態学を専門とする谷内さんが、勧めてくれたので、これは面白い本に違いないと思いました。谷内さんは、研究に関連する著書や論文だけでなく、小説や漫画に至るまで、その時々、読んで面白いと思った本を私に勧めてくれます。とてもありがたいことです。
■さて、この著書、「外来種は悪」であり「在来種は善」、だから外来種を排斥しなければならない…といった単純な考え方で、知らないうちに「正義」を背負って自らの正当性を主張している方達には受け入れがたい内容になっているかもしれません。しかし著者は、外来種の排斥を人種偏見に基づく民族浄化と重ね合わせます。外来種排斥による自然環境保護の主張が、自然再生にはならないというのですから。私自身、以前、博物館や文化遺産の研究をしている時に、ある絶滅危惧種(あえて名前は出しませんが…)を守ろうとする活動やそこにある声高な発言の背景に、偏見に基づく他民族排斥と外来種排斥と同じような構造があるのでは…と感じたとことがありました。その当時、ヨーロッパで、戦争やナチズムに関して調査をしていたので、一層のこと強く感じたのでした。その時に感じたことを、谷内さんからこの本を紹介された時に思い出したのでした。そういえば、昨年は、『ナチスと自然保護景観美・アウトバーン・森林と狩猟』(フランク・ユケッター・著、和田佐規子・訳、築地書館 )という本も翻訳されていましたね。
■さて、この本の解説は、流域管理の研究を通して知った生態学者・岸由二さんが書かれています。ここで読むことができるようです。その一部を以下に、引用しておきます。
生態学という分野は、生物の種の生存・繁殖と、環境条件との関係を扱う、ダーウィン以来の生物学の一分野である。と同時に、生態系、生物群集などという概念を使用して、地域の自然の動態についても議論をする分野でもある。種の論議と、生態系や生物群集の論議は、かならずしもわかりやすくつながっているわけではないので、 2つの領域はしばしばまったく別物のように扱われることもあったと思う。
しかし、20世紀半ば以降、実はこの2つの分野をどのように統合的に理解するかという課題をめぐって、生態学の前線に大きな論争あるいは転換があり、古い生態学、とくに古い生態系生態学、生物群集生態学になじんできた日本の読者には、「意外」というほかないような革命的な変化が、すでに起こってしまっているのである。その転換を紹介するのにもっともよい切り口が、「外来種問題」、これにかんれんする「自然保護の問題」といっていいのである。