庭のミント

20170413mint.jpg■我が家の庭は、様々な草花が芽吹き花を咲かせています。全部で何種類の草花があるのか、私もよくわかりません。特別珍しい品種は植えていないはずですが、それでも毎朝庭の手入れをして、草花の成長や変化を楽しんで観察しています。ほとんどは観賞用のものですが、プランターにはハーブの類を植えています。写真は、ミントです。うまく育てられているかといえば…、ミントに申し訳ないような気持ちになるわけなんですが、それでも枯れることなく葉をつけてくれています。暖かくなり、元気になってきました。今朝は、このミントの葉を2枚取ってきました。ティーサーバーにティーバッグとちぎったミントの葉を入れ、沸騰したお湯を注ぎました。お茶っ葉はどこでも売っている安物のティーバッグ何ですが、とても爽やかなハーブティーになりました。何といいますか、このようなことに「小さな幸せ」を感じました。こういうことが大切なのかなと思います。

異常なアクセス数のその後

■少し前のエントリーに、次のように書きました。「火曜日に集中的にアクセスされています。大学の情報システムの担当部署にも報告していますが、それに対する職員さんからの回答やアドバイスは今の所ありません。大丈夫なのかな…」。火曜日に1400を超えるアクセスがある件です。このことに関して、担当の職員の方から連絡がありました。

■とりあえず、心配しなくても大丈夫だとのことでした。もし内容を改ざんするためにアクセスが集中した場合は、1400というアクセス数では少なすぎるという意見も担当されている部署であったそうです。では、このアクセス数は何なんでしょうか…。大丈夫と言われても、ますます不安になってきますね。来週の火曜日、アクセス数がどのようなるのか、改めてチェックすすることにします。

ペギー葉山さん


■昨日のニュースで、ペキー葉山さんがお亡くなりになったことを知りました。享年83歳。今でもメディアに登場されるお姿を拝見しつつ、「いつまでもお若いなあ」と思っていました。私の年代の人たちの中には、ペギー葉山さんのファンという方は少ないのではないかと思います。私たちの年代よりも、1世代上の方たちが、ペキー葉山さんが歌う「学生時代」等に夢中になったのではないでしょうか。私たちの世代からすると、やはり「ドレミの歌」になります。

■ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中の「Do Re Mi」がオリジナルです。家庭教師役のジュリー・アンドリュースが次のように歌っています(私は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の大ファン、ジュリー・アンドリュースの大ファンでもあります)。

Doe, a deer, a female deer
Ray, a drop of golden sun
Me, a name I call myself
Far, a long, long way to run
Sew, a needle pulling thread
La, a note to follow Sew
Tea, a drink with jam and bread
That will bring us back to Do

■私たちが歌ってきた歌詞とは全く違います。多くの日本人が知っているには「ドはドーナツのド…」の歌詞は、ペギー葉山さんがアメリカを訪問したおり、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」をご覧になり、感銘を受けて、帰国後、自ら日本語で作詞されたものだと聞いています。音楽の教科書にも乗るほどの名曲となりました。すごいことですよね。

■ペギー葉山さんは、ブログを書いておられました。その最後のエントリーがこちらになります。3月29日に、越路吹雪さんの37回忌を記念したイベントが東京の日生劇場で開催され、ペギー葉山さんも出演されていたのです。ということは、つい最近までお元気だったわけですね。とても残念です。

春がやってきました(その3)。

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■我が家の庭に咲いた花たち。

瀬田キャンパスの桜

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■先週末はとても暖かかったのに、カレンダーが逆戻りをしたように肌寒い日が続いています。雨が振り、風も強く吹きました。そのため、せっかく満開になっていた桜も早く、花びらを散らしてしまったのではないかと思います。しかし、瀬田キャンパスは瀬田丘陵の上にあるため、市内の平地よりも高く、桜の開花も例年遅めになります。よくわからないのですが、悪天候の時期を避けて満開を迎えているのではないかと思います。美しい。

■今日は水曜日で、昼からは、学科会議、教授会、研究科委員会が開催されます。私はといえば、国内長期研究員のため、今年度はそれらの会議一切を免除されています。そのため、現在は研究室にいます。たまりにたまった書類の整理、書籍の整理の最中です。

105,000アクセス感謝…ただし

■アクセスカウンターが、「105,000」を超えました。皆様、ありがとうございます。ただし、心配なことがあります。先週の火曜日、そして今週の火曜日、つまり昨日のことですが、通常では考えられないアクセスがありました。半日で1400を超えるものです。あくまで推測ですが、何か外部から機械的にアクセスしようとしているのではないかと思っています。以前、コメントをつけることができるようにしていましたが、海外からたくさんのスバムコメントが送られてくるので、コメントをつけられないように設定しなおしました。コメントをつけられなくする設定は、それぞれのエントリーごとに行なっているので、そのような設定をし忘れてしまったエントリーには、その後もスパムコメントが送られてきました。一応、そのような攻撃?!も無くなったと思っていたら、火曜日に集中的にアクセスされています。大学の情報システムの担当部署にも報告していますが、それに対する職員さんからの回答やアドバイスは今の所ありません。大丈夫なのかな…。

■さて、相変わらず、多くの皆さんにはどうでもよい私の「身辺雑記」、人生の「ささやかな記録」…でしかないのですが、それでもお読みくださる方たちがいるということを励みに継続しています。2012年の7月25日からこのブログを始めました。アクセスカウンターの設置は、その42日後です。開設してからは、本日で1,723日目になります。

■今回は、先週の火曜日は昼間に1400を超えるアクセスがありましたが、今日の異常なアクセスは、深夜からのものです。このような数字は記録から排除したいのですが、どこまでが普通にアクセスしていただいたものなのか、よくわかりません。曖昧になっています。昨日の深夜12時の時点で10,5000を超えたものとして計算しています。

2012/9/5:アクセスカウンター設置。
2013/2/21 :5,000アクセス:期間169日: 30アクセス/日
2013/6/29 :10,000アクセス。期間128日: 39アクセス/日
2013/10/30 :15,000アクセス。期間123日: 40アクセス/日
2014/2/6 :20,000アクセス。期間99 日:51アクセス/日
2014/5/6 : 25,000アクセス。期間89日: 56アクセス/日
2014/8/5 :30,000アクセス。期間91日: 55アクセス/日
2014/10/21: 35,000アクセス。期間77日: 65アクセス/日
2014/12/8 :40,000アクセス。期間48日: 104アクセス/日
2015/1/27 :45,000アクセス。期間50日: 100アクセス/日
2015/3/25 :50,000アクセス。期間56日: 90アクセス/日
2015/5/19 :55,000アクセス。期間55日: 91アクセス/日
2015/7/22 : 60,000アクセス。期間64日: 78アクセス/日
2015/9/27 : 65,000アクセス。期間67日: 75アクセス/日
2015/11/23 : 70,000アクセス。期間57日: 88アクセス/日
2016/1/26 : 75,000アクセス。期間64日 : 78アクセス/日
2016/4/7 : 80,000アクセス。期間72日 : 70アクセス/日
2016/6/18 : 85,000アクセス。期間72日 : 70アクセス/日
2016/9/9 : 90,000アクセス。期間83日 : 60アクセス/日
2016/11/30 : 95,000アクセス。期間83日 : 60アクセス/日
2017/2/9 : 100,000アクセス。期間71日 : 70アクセス/日
2017/4/11 : 105,000アクセス。期間61日 : 82アクセス/日

琵琶湖の鴨猟と朽木の木地師

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■過去2年間、私の研究室は物置のようになっていました。研究部にいることが多く、研究室の椅子に腰を押し付けて仕事をすることがほとんどありませんでした。ということで、ひさしぶりに、研究室で「断捨離」を断行しつつ、徹底的に整理整頓を進めています。なかなか作業は進みません。というのも、ついつい「発掘」した資料や書籍に目を通してしまうからです。そうしていると、ずいぶん昔に、ある方から頂いた新聞記事を書架から取り出すことになりました。ある方とはどなたなのか…。私も記憶がはっきりしません。

■ひとつは、昭和35年(1960年)12月28日の京都新聞の夕刊です。今は禁猟になっている琵琶湖の「モチ網猟」の記事。記事によれば、この当時は、すでに「モチ網猟」は琵琶湖だけしか許可されていませんでした。しかも、猟銃ブームのあおりを受けて、伝統的なこのモチ網を使った猟もこの時点でかなり衰退していたようです。当時の琵琶湖の漁師の皆さんの服装が興味深いですね。普段は漁師ですが、鴨猟の時は猟師かもしれません(この「「モチ網猟」については、後で補筆します)。

■「モチ網猟」の記事はもちろんなのですが、下の広告の類もとても興味深いなと思いました。「急告」いうものが掲載されています。「急告 トモオちゃん帰ってちょうだい死なないでください みわこ」。なんだか内容は切実ですね。果たして「みわこ」さんの思いが「トモオちゃん」に伝わるのか…心配になりますよね。しかし、昔の新聞には、こういうのがよくありました。そえいえば、ずいぶん昔のことになりますが、駅の改札口の横には、チョークで書く伝言板がありましたよね。スマホとアプリを使って簡単に連絡がとりあえることが当たり前になっている学生の皆さんには理解できないでしょう。

■旅館やホテルの広告も興味深いですね。宿泊と休憩の料金設定は、当時の時代状況、住宅事情を反映しているのです。詳しくは、こちらの記事に詳しいのでご覧いただければと思います。それから「とんかつとテキ 羅生門」。テキとは、ステーキのテキ、ビーフステーキ=ビフテキのテキのことだと思います。この店は、有名だったようです。そして藤井大丸の広告。「インスタントの時代!」。現在とは、インスタントという言葉の使い方が少し違いますよね。まあ、古い新聞の広告を見ているだけで次々と面白い「発見」があります。

■鴨の話しに戻ります。私は、堅田にある「魚清楼」という料亭に2回ほど行ったことがあります。いずれも、3月です。「ホンモロコの炭火焼」と「鴨すき」をいただきました。とても美味しかったわけですが、鴨は琵琶湖産ではありませんでした。琵琶湖を泳いでいる鴨については、現在では、禁猟で食べることができません。1964年(昭和39年)から禁止になっています。中居さんのお話しでは、このお店の鴨は北陸の方から仕入れているとの話しでした。

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■琵琶湖の鴨猟の記事は1960年(昭和35年)でしたが、こちらは記事は1978年(昭和53年)です。しかし、活字が小さいです…。昔は、こんな小さい字をみんな読んでいたのです…すっかり忘れてしますが。それはともかく、です。こちらは、琵琶湖ではなく朽木村の木地山と福井県の小浜を結ぶ木地山峠の話しです。木地山の木地師は、昔から全国的に知られていました。私はよく知らないのですが、少し調べてみると、山の高いところの樹の伐採を保証する「朱雀天皇の綸旨」の写しを所持し、諸国の山々を漂白しながら生活していたようです。この辺りは、曖昧です。もっと勉強しなければなりません。しかし、明治時代になると、地租改正が行われ土地所有のあり方が大きく変化する中で、土地の所有者の許可がなければ樹を伐採することができなくなりました。

■木地山の人々は、このような社会の変化の中で、なんとか地元の住民としての森林を所有する権利を獲得することになります。しかし待望の山林を手に入れても木地師たちは、結局、木地山からいなくなってしまいました。記事には、こう書いてあります。「待望の山林を手に入れたが、明治に入って売り物の菊の御紋入り作品が不敬罪でつくれなくなり、目に見えてさびれ、木地師たちは急速に姿を消した」のだそうです。かつて、惟喬親王を祖とする木地師たちは、黒地の盆や膳に朱色で皇室と同じ16べんの菊紋を用い、全国的に知られていました。木地師の中でも、付加価値のついた木工品を生産していたのです。ところが菊紋が使えなくなり、そのような付加価値は失われてしまいます。一部の木地師は炭焼きに転向したようです。かつて木地師が通った峠の道は、炭の道になっていきました。

■木地師や木地山ではないけれど、昨年の夏、朽木で林業に従事していた方達と出会いました。日本の林業不況で山を降りたご家族です。そのご家族にお話しを伺いたいと思っているのです。近々、ご家族の息子さんやお孫さんとお会いする予定になっています。何か、不思議なタイミングで、この記事を再度読むことになりました。

地球研プロジェクトのコアメンバー会議

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■先週の金曜日ですが、京都の上賀茂にある総合地球環境学研究所で会議でした。参加しているプロジェクトのプロジェクトのマネージメントに関して議論を行いました。今回は、急遽、副リーダーからの召集がかかりました。趣旨は、年度が変わったこの時点で、研究プロジェクトの課題をチェックするというものです。言い換えれば、プロジェクトの「棚卸し作業」のようなものでしょうか。

■総合地球環境学研究所の研究プロジェクトは、3つの実践的プログラムの元で実施されています。「実践プログラム1:環境変動に柔軟に対処しうる社会への転換」、「実践プログラム2:多様な資源の公正な利用と管理」、「実践プログラム3:豊かさの向上を実現する生活圏の構築」です。私たちの研究プロジエクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」は、「実践プログラム2」の中でプロジェクトになります。詳しくは、「プログラム-プロジェクト制」についての説明、そしてプログラム・ディレクターである中静透さんの「ミッション・ステートメント」をお読みください。このプログラム-プロジェクト制が動き始める前から、私たちのプロジェクトはすでに研究を始めていたので、私個人は、自分たちの研究プジェクトがこの「実践プログラム2」に含まれていることに、少し居心地の悪さを感じないわけではありませんが、研究所全体の研究推進体制の再構築のためには仕方がありません。
プログラム-プロジェクト制
ミッション・ステートメント 「実践プログラム2:多様な資源の公正な利用と管理」

■さて、金曜日のコアメンバー会議ですが、この「実践プログラム2」のディレクターである中静さんも出席しての会議になりました。会議で議論した内容は3つありました。1つは、研究プロジェクトの核となるアイデア・考え方の再度の共有です。研究プジェクトには多くの研究者が参加し、それぞれ細かな作業をしているわけですから、時間の経過とともに、その細かな作業自体が知らないうちに目的化していくと、全体を統括する枠組みに対する理解が曖昧になっていきます。自分がやっていることが、全体の中ではどのような意味を持っているのか。そのことに自覚的でなければなりません。その自覚なしに、勝手な理解で作業を進めると、プロジェクトに貢献することはできないどころか、プロジェクトにブレーキをかけてしまうことになりかねません。この日は、再度、研究プロジェクトの核となるアイデア・考え方を再確認しました。2つめは、海外の研究カウンターパートとの調査や連携の進め方に関する再確認。そして3つめが、プロジェクトに雇用されている研究員の方たちの負担の問題。結果として負担が大きくなりすぎてしまっている状況をどのように改善していくのか。これもきちんと考えなくてはいけないことです。研究員の皆さんは、期間限定という大変不安定な雇用の状況のもとで、プロジェクトに貢献しつつ、個人としても研究業績を上げていかなければなりません。なかなか難しい問題です。コアメンバーの多くは研究所に雇用されているわけではありません(私が龍谷大学に勤務しているように、みなさん所属は別になります)。しかし、プロジェクトの運営の責任上、このようなことも理解しておかなければならないのです。こうやって書いてみると、研究プロジェクトのことなんですが、議題の1つめと3つめは、大学の運営でも共通する問題ですね。

孫が帰っていきました

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■3週間ほど我が家に滞在していた初孫のひなちゃんが、昨日、お父さんお母さん(娘夫婦)と一緒に、大阪の自宅に帰って行きました。初孫ということもあってか、祖父母の私たちも何か生活の中にハリ?!のようなものを感じながら暮らすことができました。ここ4年ほどは年寄りだけの生活でしたので、小さな命を中心に暮らしが動いていくことがとても「ありがたい経験」にもなりました。義理の息子である娘の連れ合いも、育児休暇をきちんと取って、懸命に育児に関わり、妻である娘を支えていました。立派な父であり夫だなあと感心しました。昨日の夕方から、親子3人で頑張っています。

■ひなちゃんとお別れした昨日、庭のチューリップがきれいに咲いてくれました。ということで、チューリップと一緒に記念写真を撮りました。ひなちゃんは、順調に体重も増えて、頰が膨らんできました。孫が帰ってしまったので、おじいさんである私は、ちょっとさびしいわけなんですが、2週間後には、お宮参りでまたひなちゃんに再会することができます。そのときには、また少し違う表情を見せてくれるでしょうね〜。しばらくの辛抱です。

■生まれたばかりの赤ちゃんは、日々、表情が少しずつ変化していくように思います。娘に似ている時もありましたが、今は少し違います。個人的には、私の妹が赤ちゃんの時にも似ているように思うことがあります。また、その時のひなちゃんの気分によっては、どこかのおじさんのような?!顔にもなります。不思議ですね〜。これは、ひなちゃんを見つめる大人の側が近親者や知人の顔の表情のパターンのようなものを読み取っているからなのでしょうが。現在、ひなちゃんは、父方のお祖父さんに似ている感じです。

■小さなお子さんをお持ちの知り合いの方からは、「写真を撮りすぎると赤ちゃんにとってストレスになりますよ」と注意を受けていましたが、結構な数の写真や動画を撮ってしまいました…。家族や自分が撮った画像や動画をiPadの中に貯めて、それらを元に幾つかのアルバムを作りました。ひなちゃんが生まれて、やっともうじき1ヶ月…にもかかわらずです。そのアルバムを何度も眺めています。また、wellnoteという家族限定のSNSにも画像や動画をアップして、ひなちゃんの曽祖父母(娘の祖父母、妻の両親)にも、ひなちゃんの日々成長を見守ってもらっています。

■今朝は、大阪に帰った娘夫婦が、LINEやwelnoteに「今日のひなちゃん」をアップしてくれました。便利な世の中になりました。離れていても、一緒にいるような気持ちになります(もちろん、錯覚ですが)。今後は、iPadやiPhoneを使った「FaceTime」やLINEのテレビ電話も使って、ひなちゃんと話しができるようになればなと思っています(まだ話せないし、目もきちんと大人のようには見えていないのに…)。

龍谷大学世界仏教文化研究センター2016年度研究活動報告書

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■3月末までの龍谷大学研究部長在任中では、第5期長期計画第2中期計画の研究部の大きな課題となっていた、世界仏教文化研究センターの研究推進に力を注いできました。個人的に、この研究センターに関して印象に残っているのは、2017年1月29日(日)に、龍谷大学深草学舎顕真館で開催された特別講演会でしょうか。もちろん、その企画そのものについてはセンターの教員の方達のご努力によるところが大きいわけですが、開催に向けての学内の事務的な調整の段階では、それなりの役割を果たすことができました。2015年度、2016年度と、研究センターの研究推進にも勢いが出てきました。

■昨日は、研究センターの事務職員の方から、「2016年度研究活動報告書」がウエッブサイトに掲載されました。以下から、ご覧いただくことができます。以下の年次報告書の「2016年度」の所をご覧ください。
年次報告書

■また、世界仏教文化研究センターのニューズレターもあわせてご覧いただければと思います。特別講演会、そして個人としても強い関心を持った華厳経に関する中沢新一さんの講演会は、「2016年度の第2号」 に掲載されています。
ニューズレター

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