孫が生後2ヶ月、親密圏の再編と拡大
■最近の私は、プライベートでは、「ガーデニング」と「孫の成長」に夢中になっています。連休中も、大阪の初孫のひなちゃんに会いに行ってきたことを、わざわざエントリーしました。こうなると、もう本当に、ただの嬉しがり屋の爺さんでしかないのですが、どうかお許しください。さて、この写真、昨日の朝に送られてきたものです。最近は、家族専用のSNSというものがあり、我が家でも積極的に利用しています。ほぼ毎日、SNSで送られてくる孫の画像や動画を楽しむことが私の日課にもなっています。ありがたいことです。ところで、この写真なんですが、「赤ちゃんと鯛」。なにやら「シュール」な感じですが、そうではありません。
■ひなちゃんのお父さん(義理の息子)とお母さん(娘)は、大の釣り好きです。お母さんは、現在、育児真っ只中で釣りをすることはできないのですが、とっても育メンパパであるお父さんの方は、来月のひなちゃん「お食い初め」の際に必要になる鯛を釣る「練習」ということで、九州の玄界灘に釣りに出かけたのです。あくまで「練習」で、「お食い初め」直近の釣りが本番になります。ということで、今回ひなちゃんのお父さんは、こんなに大きな鯛を釣ってきました。63cmです。ひなちゃんよりも少しだけ大きいです。釣り上げて、すぐに冷蔵の宅配便で大阪の自宅まで送り、13日に2ヶ月になるひなちゃんと一緒に写真を撮った…というわけです。私が若い父親だった頃、このような「育児カルチャー」は存在しませんでしたが、最近は、このようにデコレーションをして記念写真を撮るということが盛んに行われています(やはり、デジタルカメラやスマートフォンの普及とSNSがこのような流行の背景にあるのだと思います)。
■で、「釣り人」であるひなちゃんの両親は、ひなちゃんにも釣りを教えようとすでに計画を立てています。いずれ、一家で大海原に出かけていくのだと思いますが、まずは海釣り公園で「釣りデビュー」させることになっています。これも、ある種の英才教育なんでしょうか…。あと10年もすれば、孫が釣ってくれた魚をいただくことができるのかもしれませんね。楽しみです。
■ところで、こうやって書いていると、単なるおめでたい嬉しがり屋のお爺さんの独り言のようなものですよね〜。しかし、自分自身を少し客観的に眺めて見ると、孫が生まれることで、いわゆる「親密圏」と呼ばれる関係性の中での自分の立ち位置、「親密圏」の中での役割がゆっくりではありますが、大きく変化しようとしているように感じています。初孫の誕生を契機に、孫を中心とした形に「親密圏」が再編拡大されていっているうように思うからです。それが、「孫の力」なのかもしれません。同僚が、『<オトコの育児>の社会学』という本を共著で出版しましたが、祖父の場合は、どう捉えたらいいのかなと考え始めています。育児のストレートな当事者ではないにしても、周辺にいてそれなりの役割を持っている…。また、孫が生まれたことで、今までとは違うステージに知らないうちに立っている(立たされている)。そんな気もしてきました。10年にわたる親の看病・介護にため息をつきつつ、孫の誕生に嬉々としている今の自分についていろいろ考えているところです。
ゼミ生からいただいた観葉植物
■岩手県立大学総合政策学部3期生の同窓会のご案内をいただきました。この学年、3期生全体でも100名程のこじんまりした学部でした。ちなみに、この学年3期生の私のゼミの学生数は4名だった。国公立は、これぐらいが一般的だろうと思います。現在、勤務している私立大学の龍谷大学と比較すると、4分の1以下の人数ということになります。
■3期生とゼミ生とは、岩手県花巻市の大沢温泉の「自炊部」でゼミ合宿をしたことを思い出します。一般には、温泉旅館といえば、宿泊すると料理が出てくるわけですが、比較的な長い期間逗留する湯治客の皆さんの場合は、自分で食事を自炊されることがあります。温泉旅館の中の「自炊部」とは、誰でも泊まることができますが、そもそもはといえば、そのような湯治客を対象としているのだと思います。さて、「ゼミ合宿」なのですが、当時は、女子学生が4名でした。彼女たちよりも「料理力」のある私が、鶏ガラからきちんとスープを取って、車に積んで大沢温泉まで運びました。スープは、当時、行きつけの居酒屋だった「三鶴」(盛岡市北松園)のご夫婦から、業務用の調味料の入っていた空の大きなボトルを頂き、そこにスープを詰めて温泉まで運んのだのです。そして、そのスープで鶏の水炊きを作りました。もちろん、運んだのはスープだけでなくゼミ生たちも一緒になんですが。
■その次の学年、4期生は、私が龍谷大学への異動したため、3年生の時の1年間だけしか指導できませんでした。4年に進級すると、それぞれ別のゼミに移籍することになりました(だから、総合政策学部の脇田ゼミは、3期生まで…)。大変申し訳ないことをしました。写真は、この4期生のゼミ生がお別れにプレゼントしてくれた観葉植物です。随分小さかったのにこんなに大きくな李ました。しかし、観葉植物の世話の仕方がいまいちわかっていなかったので、こんなヒョロヒョロになってしまいました。これまた、申し訳ないわけでして…。でも、頂いてから13年目になります。というわけで、岩手が懐かしく思い出されます。来月開催される同窓会にも出席しようかなと考えています。
【追記】■こうやって写真を撮ったら、鉢の大きさがあまりにも小さすぎるよな…と改めて思いました。自宅にある大きめの鉢に交換しました。鉢の交換は、これで4回目になります。あまりにもヒョロヒョロなので、肥料についてもきちんと考えようと思います。
印象派・モネのガーデニング-ガーデンミュージアム比叡
■この「ガーデンミュージアム比叡」は、モネに代表される印象派の絵画たちの作品(陶板画)と庭園を重ね合わせた演出になっています。「京都観光Navi」の紹介ページでは、以下のようにこの庭園をわかりやすく説明しています。
標高840mの比叡山頂の庭園美術館。1.7haの園内に1,500種10万株の花が咲き乱れるここガーデンミュージアム比叡は、フランスの設計者により2001年にオープンしました。
園内は6つの庭に分かれており、南仏プロヴァンスの丘陵をイメージした「香りの庭」、藤のからまる太鼓橋、睡蓮の咲く池など、モネの代表作『睡蓮』をイメージした回遊式庭園「睡蓮の庭」、シャクナゲが咲きそろう花の回廊「こもれびの庭」、藤棚と季節の草花に彩られた「藤の丘」、モネの自宅庭園をモチーフにした「花の庭」、6月中旬から10月頃まで途切れることなく様々な種類のバラを鑑賞することができる「ローズガーデン」があり、四季折々の花を楽しむことができます。また園内にはモネ、ルノワール、ゴッホなどフランス印象派画家たちの作品が陶板画として45点飾られて、季節ごとに表情を変える花々とともに、訪問者の心を魅了してくれます。
■実は、この「ガーデンミュージアム比叡」は、一度来たことがあります。しかし、前回はガーデニングに全く関心がなかったので、ただのお付き合いで歩いていただけでした。今回は、我が家の庭づくりに関して、いろいろ自分なりのイメージを膨らませることができたわけでして、とても勉強になりました。興味深かったのは、モネの作品である「睡蓮」をイメージした大きな池のある庭でした。ちょっと調べたところ、モネの庭づくりは、幾何学的に区切られたフランス式庭園にイングリッシュガーデンの自然美を融合させたものと言われていることがわかりました。きちんとした出典がはっきりしないのですが、なるほどと思います。フランスの庭園でありながら、イングリッシュガーデンは、植物の自然な成長を活かした庭づくりを目指します。モネの庭園は、そう行ったイングリッシュガーデンの理念をうまく取り込んでいるというわけです。
■この「ガーデンミュージアム比叡」には、「印象派ガイダンスコーナー」が設けられています。印象派の歴史、そしてその作品が日本文化から強い影響を受けていることが解説されます。印象派の画家たちが活躍したのは、日本の歴史でいえば19世紀後半です。幕末から明治の初期にかけての時代です。よく知られていることですが、印象派の画家たちは、日本から流出した浮世絵に強い影響を受けました。モネもそのような影響を受けた画家の1人です。しかし、そのモネが自らの庭園をつくる時に、日本から睡蓮を取り寄せて植えるとともに、日本風の太鼓橋を架け、池の周囲には竹、柳、藤、アイリス等の植物も植えたということに驚きました。「モネのガーデニング」について私はよく知りませんでしたので、その解説を興味深く聞きました。
■さきほど、「フランス式庭園にイングリッシュ・ガーデンの自然美を融合させたもの」と書きました。また、そのようなイングリッシュガーデンの背景にあるイギリス人がイメージする自然、いわゆる自然観と、日本人がイメージする自然観との間には共通性が高いとも言われています。自然を人間が作った形式の枠の中に押し込めるのではなく、自然そのものの生命観を大切にしようとしているようとしている点が共通しているのかもしれません。もちろん、生命観を大切にしようとしているとはいっても、それはあくまで人間の都合を元にした自然観であって自然そのものではありませんが…。印象派の画家たちが日本文化から強い影響を受けたこと、印象派の絵画に対する新たな考え方、「モネのガーデニング」とその背景にある自然観、きっと繋がりがあるように思います。おそらくは、そのような研究がなされていると思うので、調べて読んでみたいとも思います。
■今回は、「ガーデンミュージアム比叡」を楽しむことができました。もちろん、この後は、入院している老母の見舞のために病院に車で向かいました。老いた上に、病でさらに弱っている母親と向き合うのはなかなか辛いものがあります。今後のことを考えると、いろいろ心配事ばかりなのですが、仕方がありませんね。以前は、そのような心の中にあるネガティブな気持ちを大阪梅田地下街・三番街にある「インデアンカレー」の辛さで吹き飛ばしていましたが、最近はそういうこともできません。ガーデニングで心を癒しつつ…という感じなのかなとも思います。
【追記】■「ガーデンミュージアム比叡」の「印象派ガイダンスコーナー」では、印象派の作品と鉄道や都市郊外との関係についても知りました。関連する文献が、ネット上ですぐに見つかりました。美術史の研究者である三浦篤(東京大学)さんの「印象派とレジャー ―19世紀後半のパリ近郊とノルマンディー海岸」(ドレスタディ 第 53 号 2008 SPRING)という学術的エッセーです。そのエッセーの冒頭には、以下のように記述があります。
1860年代後半頃から、マネや印象派の画家たちがセーヌ河沿いのパリ近郊の地やノルマンディーの海辺で作品を制作したのはなぜか。必要条件から言えば、パリを起点とする鉄道網が発達して、都市から離れた場所に行きやすくなったからだ。だがそれだけではない。イル=ド=フランスの美しい自然の中で展開された印象派の絵画制作は、実はパリの近代都市化と中産階級の余暇文化の形成という社会現象とも深く結びついていた。彼らがイーゼルを立てた場所は、パリに住む人々が週末やヴァカンスのときに汽車に乗って訪れた行楽地にほかならない。鉄道の進展とリンクしたパリ近郊でのレジャーの発達、ノルマンディー海岸のリゾート地化は、印象派絵画と不可分の関係にあった。
庭が応えてくれる
■ここのところ、ガーデニングに関するエントリーが続いています。いわゆる、マイブームです。集合住宅に育ってきましたし、結婚後もマンション暮らしが長かったことからガーデニングに関心を持つことはほとんどありませんでした。ところが滋賀に転居し、小さいけれども庭ができたことから、庭の世話をせざるを得ない状況になってしまったのです。すると不思議なもので、仕方なしに始めた庭の世話ですが、少しずつガーデニングに関心を持つようになっていったのです。
■私自身は、ガーデニングに関する知識や常識はほとんどありません。何も知らないのですが、ひたすら雑草を抜く(小さな雑草でも抜く)、枯れたものや落ち葉を取り除く、伸びすぎたものをカットする、そういった、しようと思えば誰でもできるその程度の庭の世話にしか過ぎないのですが、毎日丁寧にやっていると次第に庭の方も主人の気持ちに応えてくれているようになってきました(まあ、自己満足の類でしょうが…)。例えば、庭の3カ所に、ヤブランという常緑性の多年草が植えてあります。そのヤブランの株の真ん中あたりから、春になると若い芽が伸びてきます。そこで、周囲の古い茶色になった葉を園芸ハサミでカットしてやるのです。すると、若い芽の勢いが増してくるのです(そんな風に感じられるだけなのかもしれませんが…)。
■春になると雑草が勢いを増してきますが、その勢いを超えるパワーで雑草を抜き続けると、雑草の方が根負けして勢いがどんどんなくなっていきます。そして、毎日、小さい芽のうちからどんどん抜いていきます(おかげで、右腕は少々腱鞘炎です)。雑草の芽を「発見する力」もなんだかついてきたように思います。樹木の落葉といえば秋をイメージしますが、我が家のシマトネリコ(常緑の樹木)のばあいは、春、新芽が出てくるときにも古い葉が黄色くなって落葉します。今、このシマトネリコの落葉をせっせと掃除をしています。落葉を庭に貯めておくと、他の草花に悪い影響を与えてしまうように思うので、毎日、掃除をしています。
■庭の世話をしていると、自分の精神の状態も落ち着いて、なんだか澄んでくるように思います。丁寧に世話をしていると、天候にもよりますが、庭もきちんとその努力に応えてくれるのです。大学という職場で何か仕事上の努力をしても、職場という組織が何か応えてくれることはほとんどありません(いわゆる手当等がつくことはありますが)。場合によっては、足を引っ張られていると感じざるを得ないような経験することもあります(その相手は職場ではなく、もちろん個人になります)。しかし、庭の草花や樹木、そういった植物たちはそういう「イケズ」をしてくることはありません。素直です。世話をすることは大変といえば大変なのですが、世話をすることで日々の草花や樹木の変化を感じ取ることができます。そういったちょっとした変化が、心の中に小さな幸せをもたらしてくれます。
■昨年は、鉢にミント等のハーブを植えました。スイートバジルのように枯らしてしまったものもありますが、ミントが頑張ってくれています。今年はパクチーと紫蘇も鉢に植えました。トマトとキュウリも。これは例年通りです。朝顔については、しっかり育って欲しいので苗から育てています。睡蓮鉢も玄関横に置きました。小さいものですが、アイリスがもうじき咲いてくれると思います。そのうちに、ここに、メダカを入れる予定です。
■じつはガーデニングに目覚めたことから、我が家の庭を、いわゆるイングリッシュガーデン風にしようと思っています。造園屋さんにデザインと見積もりを依頼してあります。新しくデザインする庭には、小さな池を作る予定にしています。そこで亀を飼います。職場の職員の方のお宅から、養子としてやってきた3匹のクサガメが1歳を超えました。その亀たちの住処にもするつもりです。
会いに行ってきました
■ゴールデンウイーク中、何か特別のことをする訳でもなく、入院している母の見舞いや庭の世話、そして自宅書斎の整理等をしながら過ごしました。唯一、私にとって最大のイベントは何かといえば、大阪に暮らしている孫に会いにいったことでしょうか。もうじき、今月の13日で生後2ヶ月になります。まだ生まれて間もないわけですが、それでもしっかりしてきたように思います(祖父である私の勝手な思い込みかもしれませんが…)。
■昨日、初孫のひなちゃんに会いに行ってきました。夕方16時に滋賀の自宅を出て、大阪にある娘のマンションに向かいました。娘からは、「沐浴を済ませてしまうと、夜の11時まで眠ってしまうかもしれないので、早めに来て」と言われて、慌てて、大阪に向かいました。滋賀の自宅からは1時間半程度。思ったよりも近いのです。娘のマンションに到着すると、早速、ひなちゃんを抱っこさせてもらいました。生まれた時に比べて、プクプクと丸くなってきています。赤ちゃんの成長って、びっくりするものがありますね。来月は、いよいよ「お食い初め」です。その時に再会できる事を楽しみに、仕事に励むことにしましょう。
柳が崎湖畔からの景観
■ひとつ前のエントリー、イングリッシュガーデンに行った後のことについても。琵琶湖大津文化館やイングリッシュガーデーンは、柳が崎と呼ばれる場所にあります。「崎」という字からもわかりますが、ここは少し湖岸から陸地が琵琶湖に突き出ています。イングリッシュガーデンは、この「崎」の一番突端のところにあります。写真をご覧になればわかるかと思いますが、この柳が崎からの眺望は素晴らしいものがあります。
■対岸には近江富士と呼ばれる三上山が見えます。高層のマンションが建っていることから草津市の市街地も確認できます。そして、南の方を見ると大津の市街地を楽しむことができます。南湖をぐるりと眺望できるのです。これは素晴らしいです。このような眺望を確保できる場所だからこそ、1934年にここに「琵琶湖ホテル」が建設されたのかなと想像しました(今の所、根拠資料がないのですが…あくまで想像です)。
■この柳が崎は、大津市の景観を考える上で大切な場所にもなっています。湖岸には「眺望景観保全地域と重要眺望点 琵琶湖で繋がる大津の景観」という解説板が設置されていました。そこには、以下のように書かれていました。
柳が崎からの眺望 歴史的風土保存地域に指定される音羽山を中心とする山並みと、浜大津からにおの浜にかけての近代的かつ機能的なまちなみ、そして前面にはいつの時代においても壮大なスケールを誇る琵琶湖というように、水と緑と都市の大景観を体感することができる絶好のポイントです。
美しい琵琶湖の眺望が望めるとともに、夜は素晴らしい夜景を堪能することができます。この場所は自然豊かな柳が崎湖畔公園の一部であり、毎年8月に開催されるびわ湖花火大会において、迫力のある花火を観覧できる場所となります。
■大津市は、2003年(平成15年)に、全国で10番目の「古都」指定を受けました。「古都大津の風格ある景観を作る基本条例」、そして「大津市景観計画」が策定されました。基本計画では、重要な眺望景観を保全・育成することを目的に、眺望景観に配慮すべき眺望景観保全地域と重要眺望点を定めました。この柳が崎もその重要眺望点のひとつなのです。
■この柳が崎の北側は、かつて大津市民に親しまれたは水泳場がありました。現在は、水泳場は廃止になっており、広い公園として整備されています。滋賀県庁の公式サイトの中にある柳が崎を空から撮った写真です。この辺り、なかなか気持ちの良い場所です。ピクニックには最適な場所からと思います。弁当を持参して、一日、この湖岸でゆったりと過ごすと良いのではないかと思いました。この日は、ルアーの釣り人以外にも、湖岸からの風景を楽しんでいる方たちがいらっしゃいました。
イングリッシュガーデンの背景
■滋賀の老人ホームに入所している母親が、体調が悪くなり入院しました。一時は心配しましたが、幸いにも、病状は安定してきました。もっとも、さらに老いを深めていることは間違いありません。というわけで、母親の見舞い&様子を見に行くことが続いています。まあ、こういうことが続くと気分的に滅入るので、病院に行く前に、琵琶湖大津館のイングリッシュガーデンで息抜きをすることにしました。薔薇のシーズンはこれからですが、美しい花々を堪能することができました。藤が見事に咲いていました。藤の花は良い香りがするのですね。私は、藤の花が咲いた、この池のあたりの雰囲気がとても好きです。ちょっと印象派の絵画を連想するようなところがあります。
■このイングリッシュガーデンのある琵琶湖大津館は、以前は、琵琶湖ホテルとして営業していました。外国人観光客の誘致を目的に、1934年に竣工した県内初の国際観光ホテルでした。このエントリーに写真をアップしていませんが、桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観と洋風の内観を併せ持つ、独特の雰囲気をもつ建物です。設計が、東京歌舞伎座の設計も手がけた岡田建築事務所。素人の考えですが、和風のデザインは東京歌舞伎座とあい通じるところがあるようにも思います。私は、まだ30歳代の時に、このホテルで開催された国際ワークショップに出席したことがあります。歴史を経て来た建物だけあって、素敵な雰囲気がありました。現在は、結婚式や会議に利用できるようです。ところで、この琵琶湖ホテルですが、1998年に浜大津に移転し、新たな現代的な建物としてリニューアルしました。そして、大津市が敷地と建物を買い取って修復し、観光施設として2002年に開館しました。イングリッシュガーデンは、この琵琶湖大津館に隣接する庭園です。
■これまで、このイングリッシュガーデンには家族に連れられて来ているだけでした。しかし、今回は、自宅の小さな庭のガーデニングを趣味にするようになってきたこともあり、庭全体の作り方について、いろいろ勉強することができました。難しいですね、庭づくりって。全体を統一感持たせて見栄えのある庭にするのは、センスが必要です。造園家と呼ばれる専門家がいるだけあって、大変奥が深いわけです。で、このイングリッシュガーデンという言葉や考え方ですが、「自然の景観美を追求した、広大な苑池から構成されるイギリス風景式庭園」(wikipedia)を指すのだそうです。まだ、よくわかっていないのですが、個人的には、人工的でありなが自然美を追求するというところが、このイングリッシュガーデンの興味深い点です。当時のイギリスの皆さんの「自然観」がここに現れているようにも思います
■イングリッシュガーデンが誕生したのは、18世紀。幾何学模様のようなフランス式の庭園とは異なる点、また植民地を拡大して行く中で、植物学に詳しいプラントハンターと呼ばれる研究者・冒険家が世界から、珍しい植物を収集するようになった時代と重なっています。造園学の研究者である白幡三郎さんが、『プラントハンター』という本を執筆されていたように記憶しています。ちょっと、調べてみようと思います。私は、この大津のイングリッシュガーデンの池のあたりの雰囲気が好きだと書きました。しかし、そのような「眼差し」自体が、18世紀のイギリスの置かれた歴史的・社会的な状況の中で作り出されて来たものであり、それを極東の島国の日本に住む私自身が内面化している…そのように考えられるわけです。庭を楽しむというガーデニングという行為を超えて、イングリッシュガーデンが歴史的に構築されていく過程そのものに興味が湧いてきました。
「ラ・フォル・ジュルネびわ湖『熱狂の日』音楽祭2017 LA DANSE ラ・ダンス ー舞曲の祭典ー」
■私は、学生時代にオーケスラに所属してバイオリンを弾いていました。しかし、自宅でCDを聞くことがあっても、自らコンサートに出かけるということをあまりしてきませんでした。どうしてでしょうか。自分でもよくわかりません。何となく…としか言いようがありません。そのような私が、珍しく、29日(土)、コンサートに出かけました。もちろん、自ら進んでというよりも、家族に誘われて…という方が正しいでしょうね。
■今回出かけたのは、大津市中心市街地、琵琶湖畔の「びわ湖ホール」で開催されている「ラ・フォル・ジュルネびわ湖『熱狂の日』音楽祭2017」です。「ラ・フォル・ジュルネ」とはどのようなイベントなのか、公式サイトには以下のように説明してあります。
ラ・フォル・ジュルネとは、音楽プロデューサーのルネ・マルタン氏が、1995年にフランス北西部の港町ナント(人口約30万人)で始めたクラシック音楽祭です。
アーティスティック・ディレクターを務めるマルタン氏の「世界の優れた音楽家の演奏を誰もが楽しめるよう、比較的短い演奏時間で、しかも低料金で多くの公演を提供することで、これからのクラシック音楽を支える新しい観客の創造を目指す」というコンセプトのもと、複数の会場で朝から晩まで、45分から1時間程度のコンサートが並行して、数日間にわたって繰り広げられます。
ラ・フォル・ジュルネという名称は、モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』(ボーマルシェ原作の副題「狂おしい一日」(LA FOLLE JOURNEE)からきています。
■クラシック音楽というと、敷居が高いと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、そのクラシック音楽を誰でも、気楽に、あまりお金をかけずに楽しめるものにしようという考え方が、このイベント「ラ・フォル・ジュルネ」の根底にはあります。この「ラ・フォル・ジュルネ」は、フランスのナントで成功したあと、世界各地で開催されるようになりました。日本では、東京、新潟、そして大津で開催されています。毎年、テーマが設定されるようですが、今年、2017年のテーマは「LA DANSE ラ・ダンス ー舞曲の祭典ー」でした。ということで、私が行ったコンサートでの選曲は、以下のようなものでした。
■まず聴いたのは、日本センチュリー交響楽団 、指揮ジョシュア・タンのベートーベンの「12のドイツ舞曲」と「交響曲7番」です。日本センチュリーの演奏ですが、真面目な演奏というのが第一印象でした。ただし、「交響曲7番」第4楽章は熱演だったように思います。「ベー7」は、ワーグナーが「舞踏の聖化」と呼んだという交響曲です。「LA DANSE ラ・ダンス ー舞曲の祭典ー」というテーマに基づいて選ばれたのでしょう。
■ところで、私の座った席の斜め前の席に、滋賀県庁の世界農業遺産申請プロジェクトでおつきあいのある農政水産部長の高橋滝治郎さんが座られました。いつも週末は各地のイベントに出席しお忙しくされていますが、今回は、あくまでプライベートとのこと。しかし、お互いにびっくりしました。そのほかにも、平和堂財団の理事長で平和堂の社長さんである夏原平和さんも来られていました。ホール内のロビーには、一般社団法人「kikito」のブースが出ていました。東近江市や多賀町で、「森林とともに豊かに暮らしていける未来をめざし、人の営みと森林が結びつくカタチをていねいに育てるプロジェクト」に取り組む団体です。この団体の田中かずのりさんや大林恵子さんにご挨拶をさせていただきました。外に出てビールを飲もうとしたら、今度は膳所の紅茶専門店「GMT」の店主である中井さんがその飲食のコーナーを担当されていました。ビールを飲んだあと、琵琶湖を展望しようと「びわ湖」ホールの上に上がっていくと、平和堂財団の常務理事をされている衣斐隆さんにお会いしました。その他にも、知り合いの方にいろいろ出会いました。さすがに大きなイベントですよね。
■ふたつめのコンサートは、大阪フィルハーモニー交響楽団でした。指揮は大植英次さんです。こちらもテーマがダンスということで、舞曲尽くしでした。ブラームスの「ハンガリー舞曲」、ドヴォルジャークの「スラヴ舞曲集」第1集と第2集から曲が複数選ばれていました。グリーグの組曲「ペール・ギュント」よりアニトラの踊り、アラビアの踊り、最後はコダーイの ガランタ舞曲でした。このコダーイの曲は、初めて聴きました。
■大植さんは実にエンターテイナーだと思いました。特に多くの方たちにクラシック音楽を好きになってもらおうという「ラ・フォル・ジュルネ」の考え方を意識してかどうかはわかりませんが、見栄えのある指揮をされました。また、私の個人的印象にしか過ぎませんが、元々、これらの曲が持っている民族的・土俗的な側面を、テンポを大きく揺らしながらぐいっと引き出そうとされているように感じました。たとえば、ドヴォルジャークの「スラヴ舞曲集」ですが、私は、いつもはヴァツラフ・ノイマン指揮、チェコフィルハーモニーを聞いています。今回の大植さん・大フィルの演奏と比較すると、本家本元といっても良いノイマンの「スラヴ舞曲」が大人しく感じてしまうのです。大植さん自身、指揮をしながら舞踏しているかのようでした。あえてテンポを大きく揺らす指揮にも大フィルの皆さんはきちんと応えておられました。ひさしぶりのコンサートに満足しました。
■さきほど、ベートーベンの交響曲7番のことを、私は「ベー7(なな)」と書きました。この交響曲のことを「ベト7」と言うこともあります。おそらく「べとしち」と読むのかなと思う。クラシックの曲名を短縮して言うのは、日本のクラシック関係者やファンの「文化⁈」だと思いますが、このベートーベンだけは、関東と関西でどうも違うらしいのです。関西は、「べーなな」の場合がほとんどだと思います。ちなみに、ドヴォルジャーク→ドボルザークのチェロコンチェルトは「ドボコン」といいます。土木技術のコンテストのようですね。モーツァルトの「レクイエム」などは、「モツレク」といわれます。なんだか、焼酎があいそうな感じです。そんな風に言ってしまうと、あの曲の持っているイメージが全て消え去ってしまいますね。
■話しが脱線してしまいました。「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」は、「びわ湖ホール」の大ホールと中ホールだけでなく、近くの施設や公園等、さらには琵琶湖汽船の観光客船の中でも、コンサートが開かれていました。私たちは、大ホールのオーケストラのコンサートしか聞いていませんが、様々な規模の様々な楽器のコンサートが開催されていました。だから、会場を移動しなが、一日、この界隈でクラシック音楽を楽しむことができるのです。コンサートだけでなく、隣接する建物の中で、ワークショップも開催されていました。子ども連れの家族でも楽しめるようになっているようです。しかも、県内で活躍している団体や老舗の商店も参加されていました。地域振興にも役立っているのですね。たくさんのボランティアの皆さんも会場運営に活躍されていました。この「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」、今年で8年目なのだそうです。クラシック音楽が好きなわけですが、こんなに身近にある「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」のことをよく知りませんせんでした。ちょっと恥ずかしい…そんな気持ちにもなりました。
【追記】■あまりコンサートに行くことはないと書きましたが、この「びわ湖ホール」という建物自体にはちょっと思い出があります。今から、26年前の1991年のことになりますが、大学院のオーバードクターを終えて、私は「滋賀県教育委員会事務局」の「文化施設開設準備室」で学芸技士として勤務を始めました。また、1992年から95年までは、「滋賀県教育委員会事務局」の「(仮称)琵琶湖博物館開設準備室」に勤務しました。その間、私の勤務したオフィスは、「文化施設開設準備室」の時代は「びわ湖ホール」と同じ場所にあり、「(仮称)琵琶湖博物館開設準備室」の時代では隣接していました。というこで、「びわ湖ホール」の開設を担当されていた県庁の職員の皆さんとも交流がありました。「びわ湖ホール」は、正式名称を「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」といいますが、 1995年3月28日に起工し、1998年9月5日に開館しました。西日本では、初めだと思いますが、本格的なオペラ劇場として誕生しました。
生物の研究に関するニュース
■昨日、たまたまですが、2つの生物の研究に関するニュースをネット上で読みました。ひとつは、「体内で10年超!精子貯蔵する女王アリ ヒトへ応用も」。もうひとつは、「レジ袋食べるガの幼虫、プラスチックごみ問題に有用か 研究」。
■前者の記事は、甲南大学の研究者の成果についてです。記事の冒頭ですが、こう書いてあります。「アリの巣に“君臨”する女王アリ。その最大の仕事は、長生きをし、卵を産み続けることにある。ところが、交尾をするのは、女王の運命を背負って巣立つ時期の一瞬だけ。そのときの精子を生涯、大事に使っているという。本来、寿命が短い精子を常温で長期間生かしておくためのメカニズム」が、明らかになってきたようです。一瞬の交尾で獲得した精子を、受精嚢という袋にためて生かしておくらしいのです。どうも受精嚢の中の酸素濃度を低くして、精子が動けないようにしているらしいのです。また、受精嚢のなかだけで働く12個の遺伝子が存在しており、精子の長期貯蔵にかかわっている可能性があるとも記事の中で説明されていました。
■個人的な感想なのですが、女王アリの「女王」という言い方は、私のような生物学に詳しくない者の「偏見」を強化してしまっているのかも…と思いました。記事によれば、卵を産めなくなれば、同じ巣にすむ働きアリに殺されることもあり、その場合、代わりの女王が育てられたり、その巣は滅びたりするらしいからです。実態として、女王アリとは、働きアリに管理されている卵の製造工場のような感じですからね。
■後者の記事は、イギリスの研究者の成果です。ハチノスツヅリガという幼虫の時代に、ミツバチの巣を食べる蛾がいます。これは、養蜂家からすると害虫ということになります。で、このハチノスツヅリガの幼虫なのでが、偶然に、スーパーのレジ袋を食べて、「幼虫がプラスチックを完全に消化したことを確認。化学成分を分解していたことが分かった」というのです。
■このニュースを読んでふと思ったことは、どうして、その応用可能性がオチになるのか不思議に思いました。例えば、女王アリの記事については、次のように説明しています。
精子貯蔵のメカニズムが分かれば、ヒトや家畜などの精子の保管に応用できる可能性もある。現在は、液体窒素で極低温にして凍結させる手法が用いられているが、「常温で貯蔵することで細胞へのダメージが少なく、コストが低い、新たな精子の保管方法の開発につながるのでは」と話す。
■まったく根拠はありませんが、何か取材する側があえてその研究の応用可能性を確認しようとしているのではないか…と思ってしまったのです。サイエンスとしての、生物学上の新しい発見も、それそのものとして評価できない。それが何の役に立つのかという文脈に位置付けなければ…という「脅迫観念」のようなものを感じるのです。そういう内容を記事な書かなければ、世の中が納得してくれない。そんな事さえ想像してしまいます。プラスチックを分解する研究の方はどうでしょうか。
多数の幼虫を使ってプラスチック袋を分解させることは現実的でないとした上で、プラスチック分解物質を環境に害を与えない液体として開発し、プラスチック処理施設で使用するという方法が考えられると説明した。
■いかがでしょうか。これも根拠がありませんが、「それではたくさん幼虫を生み出して、そいつらにプラスチックを食べさせれば」というすぐに役立つ話しにつなげてしまう傾向を、この研究者は警戒しているようでもあります。その上で、あえてその応用可能性について(渋々?!)言及している(させられている…)。まあ、そういうことを考えてしまうわけですね。
「新京阪山科線」のこと
■時々、大津市内を走る京阪電鉄石山坂本線を利用しています。特に、市役所で会議等の用事があった時など、京阪の別所駅から京阪膳所駅まで乗り、そこからJRに乗り換えるという経路で移動することが多いからです。ところでこの駅は、浜大津方面の線路がカーブしており、プラットホームもカーブ上にあります。ということで、電車とプラットホームとの間に微妙な隙間を生み出しています。バリアフリーの観点からすれば、このような隙間は問題なのですが、この隙間が周囲の景観とも重なり合い、私には印象深い風景の一部になっています。写真は、京阪膳所駅の踏切あたりです。言葉で説明しにいくのですが、膳所の商店街等、街の人の営みの雰囲気が溶け合ったこの「鉄道の風景」に、私は魅力を感じているのだと思います。やはり、このような説明では、何のことかわかりませんね。
■ところで、この写真を、鉄道好きの皆さんが集まるfacebookのグループのページにアップしたところ、私などとは違い鉄道に非常に詳しい方から、以下のような情報の提供を受けました。大正時代に現在の阪急京都線は新京阪鉄道と呼ばれていました。当時としては、技術的にも日本の先端を行く鉄道会社だったようです。その新京阪鉄道が、山科線を計画しました。新京阪山科線は、現在の向日市にある西向日町駅から分岐して、伏見区の久我(こが)、下鳥羽、竹田、深草、六地蔵を通り、山科で京阪六地蔵線と山科で合流し、さらにその線路は、現在の京阪膳所駅まで延伸される計画だったようです。また、名古屋急行電鉄が、この膳所と名古屋を結ぶ鉄道の計画を立てていたということも知りました。もっとも、これらの計画は、昭和の大恐慌で、全部計画だけで消えていき、「幻の鉄道」になってしまったわけです。詳しくは、以下の記事をお読みいただければと思います。
京都・伏見で幻の鉄道計画「新京阪山科線」たどるまち歩き
京阪六地蔵線
■私は、現在の京阪膳所駅あたりの街の人の営みの雰囲気が溶け合った「鉄道の風景」が好きなのですが、もし世界大恐慌がおこらずに、この幻の鉄道が実現していたら、膳所の界隈は、また大津の街はどうなっていたでしょうね〜。