「2018 韓国 川の日大会 国際河川フォーラム」

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◾️8月9日から11日まで、韓国に出張してきました。韓国の環境保全に取り組む韓国の各地域のNGOや、河川の環境保全に関心のある市民の皆さんがたくさん集まる「2018 韓国 川の日大会 国際河川フォーラム」に参加するためです。私は、このフォーラムのなかのシンポジウム「統合水管理のための面点汚染源の管理政策と住民参加方法」で報告をさせていただきました。上の写真は、その時のものです。帰国後にいただきました。

◾️このシンポジウムには、海外からベトナムの研究者が、そして日本からは私が参加しました。この2人には、それぞれに通訳の方をつけていただきました。私の通訳をしてくださっ方は、韓国人とご結婚された日本人の女性でした。事前の勉強も丁寧にされていたことが打ち合わせでよくわかりましたし、本番でも丁寧に通訳をしていただきました。ありがとうございました。この面源負荷対策に関するシンポジウムでは、韓国の環境庁の職員の方が、韓国の面源負荷対策の全体像と課題を説明されました。また、ベトナムの研究者は、法規制やインフラが不十分な中で、ベントナムではどのような問題が起こっているのか説明されました。私はといえば滋賀県の事例をもとに報告を行いました。

◾️まず、家庭系や工業系の負荷が下水道や国によりも厳しい規制によって琵琶湖の富栄養化が一定抑制されるようになったが、残された農業系負荷が相対的に浮上するとともに、水質だけでなく健全な物質循環を駆動する生態系そのものの状態が問題視されてきていることを説明しました。その上で、水質改善を直接的に意図したものではないですが、「食べることで琵琶湖を守る」を理念とする滋賀の「環境こだわり農業」や「魚のゆりかご水田プロジェクト」といった制度にある、多様なステイクホルダーが参加していく可能性とそのメカニズムを社会関係資本の概念をもとに説明しました。また、社会関係資本を蓄積していくためのポイントに関しても説明しました。

◾️韓国の関係様の皆さんの意見によれば、韓国の環境政策は、どちらかといえばトップダウンの色彩が強く、面源負荷対策には、多様なステークホルダーが不可欠であるとの認識はあっても、それらのステークホルダーが参加・参画する環境ガバナンスに向けての取り組みは不十分で、まだこれからとのことでした。もちろん、日本もけして十分とはいえないのですが、韓国と比較したときに、参考になるポイントがあるのだと思います。そのようなこともあり、私の報告は、環境庁の方やコメンテーターのNGOの皆さんに、大いに関心をもっていただけたようでした。安心しました、

◾️ただし、隣国の環境政策のこれまでの展開過程や現状を系統だって勉強したことがないのですが、ちゃんと勉強しないとなあと反省しました。日韓の環境政策の展開過程の比較研究です。韓国の環境政策はトップダウンの色彩が強い(これは程度の問題でしかありません…)と書きましたが、そのようなトップダウンの環境政策に対して、NGOを中心としたボトムアップな環境運動はどのように対応し、あるいは対立してきたのでしょうか。その点をもっと知りたいと思いました。また、韓国の環境運動と、韓国の第二次世界大戦後の社会構造・政治権力構造のなかで発生した労働運動や民主化運動とは、歴史的にどのような関係にあるのか、その点ももっと知りたいと思いました。私は、もう年寄りの部類に入るわけですが、このあたりをまだもう少し勉強したいと思っています。そのためにはハングルが読めないとね…。まあ、それはともかく。面源負荷に関する韓国での報告は、これで3回目になります。また、韓国からの視察も3回ほど受け入れてきました。相互に学び合う交流を今後も継続していければと思います。そして、そのような交流の中で、ハングルが読めるようになっていけばなあとも思います。
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◾️シンポジウムを含め、その日のプログラムが終了した後、シンポジウムでコメンテーターを務めてくださった方や、今回お世話になった方たちと一緒に、軽く「慰労会」を持ちました。韓国の皆さんといろんなお話しをするなかで、たまたま、私が「韓国に鉄道ファン(あえて言えば『鉄道オタク』)は存在しているのですか」という質問をらしたところ、同席していた方たちのうち2人からは、「私は知りません。そんな人たちが、韓国にいるとは思えませんね」という感じの反応をいただいたなかで、お1人だけ「実は、私は鉄道が大好きなんです」と反応がありました。そして、JR九州の魅力や韓国の鉄道の魅力について熱く細かく語り始められたのです。また、「今度、韓国に来るときは『ITX-青春』に乗ってくださいね!!」とも強く勧められました。彼は、ヨーロッパの鉄道情報に関しても、丹念に調べておられるとのことでした。すごいやん。左の写真。私が初めて知った韓国の「鉄道ファン」のボクさんとの記念写真です。

◾️ところで、「韓国に鉄道ファンはいないと思います」と答えた方は、女性の金さんです。「私はソウルに住んでいて、地下鉄を利用するんですが、地下鉄は真っ暗で景色が見えないので、私はバスが好きです」と自分の意見を述べてくださいました。それに対して、「日本にはバスマニア、バスオタクもいらっしゃいますよ」と言ったところ、大変驚かれました(^.^)。「日本では地方をバスで旅行する番組もあるんやで」と説明したところ、大受けでした。その時、「これは、いっぺん奈良交通の『八木新宮線』に乗ってもらわんとあかんな…」と思った次第です。

映画「太陽の塔」

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◾️「太陽の塔」という映画が公開されます。知り合いも登場します。南方熊楠の思想を研究されている龍谷大学の世界仏教文化研究センターの博士研究員である唐澤太輔さんです。こんな映画です。非常に面白そうです。

80年代、「芸術は爆発だ!」という言葉で、一躍世間の注目を浴びた岡本太郎。「凡人の理解を超えた変わり者」というタレントのイメージもあるが、画家・写真家・彫刻家・建築家・思想家の顔を持ち、芸術家という言葉にはとうてい収まり切らないスケールの大きな人物だ。本作では岡本太郎に影響を受けた人々をはじめ、総勢29名へのインタビューを敢行。芸術論だけでなく、社会学・考古学・民俗学・哲学の結晶としての岡本太郎が語られ、「太陽の塔」に込められたメッセージを解き明かす。

◾️1970年に大阪の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」、愛称「万博(ばんぱく)」。私は、この万博が開催された時、小学校6年生、12歳でした。その当時世界は、アメリカ合衆国を中心とする自由主義陣営と、ソビエト社会主義連邦共和国を中心とする社会主義陣営との間に対立がありました。東西の陣営に分かれた冷戦が継続していたのです。支配と従属という南北の厳しい対立もありました。今から思うに、この時の万博のテーマ「人類の進歩と調和」は、そのような世界に存在していた様々な対立や矛盾を、あたかも存在しないかのように思わせる働きをしていたのかもしれません。もちろん、当時12歳の素朴な少年であった私には、何もわかっていません。人気のあったのはアメリカ館やソ連館等のパピリオンでした。数時間待ちの行列ができていました。特に、アメリカ館では「月の石」が展示してあったことから、その人気はものすごいものがありました。1969年には、アメリカはアポロ11号で人類初の月面着陸を成功させました。そして続くアポロ12号は、「月の石」を持ち帰ることに成功しました。科学技術の勝利とでも言えば良いのでしょうか。

◾️この「万博」の会場の入り口近くには、催し物会場が広がっていました。「お祭り広場」です。「万博」の開閉会式をはじめ各国のナショナルデー・スペシャルデー等が開催されました。私のイメージ中では、この「お祭り広場」に集う世界各国の人びとの交流風景と、元浪曲師で国民的歌手と後に呼ばれるようになる三波春夫さんの歌「世界の国からこんにちは」の艶やかな歌声が重なり合います。今から思うに少し不思議な光景です。そして、この「お祭り広場」の大屋根を突き破るように立っていたのが「太陽の塔」だったのです。「太陽の塔」は、「人類の進歩と調和」とは真逆のような、見方によれば不気味な雰囲気を全体から醸し出していました。そのような理解しがたい不気味さのようなものは、どこから生まれてきているのでしょうか。

◾️この塔を制作したのは、芸術家の岡本太郎です。映画「太陽の塔」の公式サイトを拝見すると、岡本太郎が「私は進歩に疑問をもっている」と述べていたことがわかります。万博のテーマを真正面から否定するかのようです。「進歩」というイデオロギーは、人類が歩んできた過去を、そして人類の根っこにある事柄(生命の進化)を隠そうとします。そのような過去や根っこは、「人類の進歩」とともに過ぎ去ってしまったのでも、切り捨てられてしまったのでも、否定され忘却されてしまったものでも、そのいずれでもなく、今も、実は社会や文化の深い深いところあって、言い換えれば社会・文化の深層意識のような存在として私たちに影響を与えているのです。今も私たちの生き方に対して、静かにしかし強く影響を与えているのにもかかわらず、そのことに気が付いていない…岡本太郎は、自分たちの過去や根っこを見つめようとしない、安直な「進歩イデオロギー」を批判しているかのようです。そのような批判の眼差しは、岡本太郎が関心を持ちづつけた沖縄やアイヌの文化に対する眼差し、そして縄文文化に注がれる眼差しと基本的には同じ基盤にあるように思います。そのように考えるのならば、太陽の塔は、「人類の進歩と調和」というテーマに酔いしれる「お祭り広場」にいる人びとを、祭りの喧騒のはるかに上から静かに見下ろす神の像のようでもあります。

◾️私の「妄想」はこの程度にしたいと思います。ぜひ、この映画を観てみたいものです。関西では、大阪「あべのアポロシネマ」、「シネ・リーブル梅田」、「109シネマズ大阪エキスポシティ」の3館で、そして神戸の「109シネマズHAT神戸」で9/29(土)から公開されるようです。

知らなかった、ドボルザークは鉄道ファンだった!


◾️自宅で毎週「題名のない音楽会」というクラシックの番組を録画しています。人気がないのか、朝早くに放送されているので、我が家では録画してみているのです。先日のテーマは「指揮者が愛する『新世界より』の音楽会」でした。取り上げられたのは、ドボルザーク の「交響曲9番新世界より」。クラシックファンでなくても、このシンフォニーについては多くの皆さんがご存知のはず。特に2楽章は有名ですよね。キャンプファイヤーで歌いましたよね。「遠き山に、陽は落ちて…」。私からすると、「暗くなるから子どもたちは早く家に帰りなさいよ〜」という雰囲気です。この「交響曲9番新世界より」、とてもよく知られた交響曲なのですが、番組を視ていてびっくりしたことがありました。作曲者のドボルザークは「テツ」な人=「鉄道ファン」だったというのです。

◾️ドボルザークが鉄道ファンであったという話し、結構、有名らしいですね。私は、この歳になるまで知りませんでした。びっくりしました。調べてみると、「初心者でもできる! 簡単・らくらく作曲講座」というブログの中にある面白い投稿を見つけました。この投稿「ドヴォルザークは鉄ヲタだった!? あの有名作曲家の裏話。」によると、こう書かれています。「チェコでその名声を固いものにした後、1891年、ニューヨーク・ナショナル音楽院院長へ就任の依頼が来てアメリカ、ニューヨークへ渡ります。しかし、この渡米自体アメリカの鉄道を体験するという理由が大半だった…などと言われています」。「えっ…マジか !!」と思いました(ちょっと文句があるとすれば…「鉄オタ」って言って欲しくないですね〜(-。-;)。この他にも、この投稿には様々なドボルザークの鉄道に関するエピソードが書かれています。尋常ではありません。

◾️一つだけ紹介します。「交響曲第9番「新世界より」の中に一箇所だけ控えめにシンバルが鳴らされるところであるのですが、そのシンバルも鉄道に関連しているという指摘が、この投稿の中に書かれていましたて。このシンバルのこと、クラシックファンの間ではよく知られているのですが、これが鉄道と関連しているなんて…(上に貼り付けた動画では、1分51秒頃にシンバルが静かに成ります)。

実はこの「新世界より」、全編を通して機関車を表す描写がいっぱいあるんです。第三楽章の3拍子のリズムは「シュッポッポ、シュッポッポ」と、少し喘ぎ気味の蒸気機関車を表しているとも言われていますし、第四楽章は動き出す重い動輪に始まって、全体が蒸気機関車や汽車の描写に満ちており、風を切る音、ドラフトの音、シリンダーの音、吐きだす蒸気などが描かれているとも言われています。それで先程のシンバル。これは列車がブレーキをかけて、連結器をぶつける音を表していると解釈されています。鉄道好きならではの表現ですね。

◾️一昨日は、京都で一献傾けながら本格的な「鉄道ファン」の皆さんの「濃い語り」に耳を傾けていました。そのような方たちと比較すれば、私なんかが「鉄道ファン」というのは憚れるのですが、じつは鉄道が好きなんです。学生時代はオーケストラの活動もしていたので、クラシックも大好きです。というわけで、今回の「題名のない音楽会」には強く反応してしまいました。学生時代を思い出せば、私が所属していた学生オーケストラには結構な数の「鉄道ファン」がいたように思います。阪急電車の形式等については熱く語り合っていたよなぁ…。当時は「鉄オタ(ヲタ)」なんてちょっと蔑んだような言葉もなく、男の子たちは電車について熱く語りあっていました。彼らは、そういう電車の形式とか細かなことを語り合えることに誇りを感じていたように思います。もっとも、その頃の私は鉄道には関心がありませんでした。幼い頃にあった電車に対する気持ちは、大学生の頃には消え去っていました。それがまた復活してくるのは、40歳を超えてからのことでしょうか。

◾️この「交響曲9番新世界より」の1楽章冒頭で、チェロやヴィオラの静かなメロディが終わったところ。ホルンが突然「ポ・ポーン」となります。これは、ドボルザークがニューヨークに到着した時の、汽船の汽笛の音なのだそうです。このことは、学生時代から知っていましたが、そのあとは「鉄道ネタ」が満載だとは全く知りませんでした。すごいな〜、ほんまに。

◾️ところで、「交響曲9番新世界より」と鉄道ということで思い出すのは、JR大阪環状線の「新今宮」の駅で流れる発車を合図するメロディーです。「交響曲9番新世界より」の4楽章です。「新今宮」の横には、通天閣で有名な「新世界」というエリアがあります。ここは明治時代に開催された第5回内国勧業博覧会の跡地に大阪の新名所として開発されたので「新世界」と呼ばれています。アメリカの別名である「新世界」と大阪の新名所「新世界」とは違うんですけどね、洒落ですね。初めて聞いたときはやはり笑ってしまいました。

台風により浜に漂着する水草

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◾️ここ最近、災害が続きますね。集中豪雨、台風、酷暑…。この投稿は、2018年7月25日から8月3日に発生した台風12号の後の出来事になります。この台風12号の影響で、7月29日(日)に開催予定だった龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラムである「大津エンバワねっと」の前期発表会が中止になりました。正確には延期ですね。懸命に発表準備をしてきた学生たちは、残念だったと思いますが、仕方ありません。どうしたって自然には勝つことはできません。

◾️ということで、朝食を食べながらfacebookを眺めていると、山田 英二さんからの投稿が目に飛び込んできました。山田さんは、琵琶湖・南湖の水草の有効利用の社会的仕組みを作ろうと活動している市民グループ「水草は宝の山」=「水宝山」の代表です。堅田や琵琶湖大橋の近くにある真野浜で、山田さんは民宿を経営されています。そして、夏場は、水泳客の皆さんのために、夜明けの頃から浜に打ち上げられた水草やヨシ屑を綺麗に清掃されています。私も参加している「水宝山」の活動は、この山田さんのボランタリーな清掃活動から始まっています。浜自体は、山田さんの私有地ではないので、山田さんの義務でもなんでもないのですが、山田さんは「浜の清掃は自分の趣味、やっていて楽しい」といつもおっしゃっています。さて、今朝の山田さんの投稿は、そのような山田さんでも浜が大変になっているから協力して欲しいという依頼の投稿でした。

先日の大雨に続き、今回の台風で更に大量の藻などが打ち上げられました。
来場者に快適に過ごしていただきたい。
琵琶湖をいつもきれいにしたい。
その思いがかなわない状況かもしれません。
出来れば、みなさんの協力が欲しいです

◾️そうです。どうしたって、自然には勝つことができません。ということで、真野浜に駆けつけました。すでに8人ぐいの方達で清掃は始まっていましたが、私は、「水宝山」の会員として、あえて一番困難な場所の水草除去に取り組みました。ということで「水草バスターズ!!」。真野浜の一番北の方は、少し出っ張っています。おそらく浜欠けしないように土木工事がしてあるのかなと思いますが、その地形がトラップのようになり、水草が分厚くマットのように溜まっていたのです。分厚い場所は50cmぐらいまで体積していました。

◾️さて、除去作業に取り掛かったはいいものの、持参した熊手ではお話しになりません。ということで、自分で手で担いで除去することにしました。水草は濡れているときはそれなりの重さがあります。なかなか大変な作業なのですが、綺麗になっていくと、山田さんがいうように楽しいのです。そうそう、自分の庭を綺麗にするときのあの感覚、あの満足感と似ています。自分の土地ではありませんが、この浜を「自分たちの浜」と思って綺麗にすると、なんだか浜が喜んでくれているような気がして気ます。そういう人が増えて、加えて、この浜を何かの企画で楽しむことができれば、何かここには「コモンズの創造」とでも呼ぶべき現象が生み出されていくのではないかと思います。

◾️おそらく、現段階では、台風で浜に打ち上げられた水草の山は、乾燥した後に、焼却処分されることになります。しかし、「水宝山」としては、これを土壌改良剤(水草堆肥)として地域の中でうまく利用できる仕組みを作りたいと考えています。利用しながら、地域の皆さんに真野浜にもっと関心を持っていただく、「自分たちの浜」として活用してもらう、そういう小さいけれども素敵な循環が生まれるような仕組みを作っていきたいと考えています。「真野浜ファンクラブ」のようなものが結成されたらいいなと思います。もちろん、その中に「水草バスターズ」も結成されますよ、必ず‼︎さて、水草の除去作業、強い雨が降ってきたことから、午前中で引き上げることにしました。でも、一応、皆さんと力を合わせてなんとか水草を除去できたのではないかと思います。ただ、浜も綺麗になりましたが、市役所に処分してもらうためには、乾燥させてそれを袋に詰めなければなりません。その作業もなかなか大変なのです。

【追記】
◾️私は神戸出身ですが、神戸の須磨海岸では「SMILE BEACH Project」という取り組みが行われています。なにか、ヒントがあるかもしれません。

気になる展覧会

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◾️気になる展覧会が目白押しです。でも東京方面なんだな〜。ひとつは、東京国立博物館で開催されている特別展「縄文―1万年の美の鼓動」です。たいして詳しくはありませんが、以前から「縄文ファン」です。縄文式土器も素晴らしいのですが、いつも心を鷲掴みにされるのは土偶です。長野県茅野市 中ッ原遺跡で出土した「国宝 土偶 仮面の女神」や青森県八戸市 是川中居遺跡で出土した「国宝 土偶 合掌土偶」など、実物をじっくり拝見したいものです。縄文の遺物が発する不思議なエネルギーを浴びたい!!…となにか怪しげな気持ちにもなっています。

◾️それから、有名な絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」の作者「かこさとし 」さんの「かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう-」。川崎市民ミューシアムで開催されています。この企画展の準備が進められている5月2日にかこさとしさんはご逝去されました。享年92歳。以下は、この企画展の公式サイトの解説です。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』や『からすのパンやさん』など、皆さんが一度は目にしたことがある絵本の作家かこさとしは、50年以上にわたりおはなしの絵本やかがくの絵本などたくさんの作品を発表し続けました。 物語をつくるようになったのは、1950年代の川崎市でのセツルメントと呼ばれる活動がはじまりです。子どもたちに作文や絵の描き方を教えるほか、自分でも紙芝居や幻灯をつくって、子どもたちに読み聞かせていました。このときの体験が、のちの絵本づくりに大きく活かされています。
本展では、かこさとしが生み出した作品を一堂に集め、そのひみつに迫ります。「だるまちゃん」シリーズや『からすのパンやさん』の一場面をはじめ、『どろぼうがっこう』、また、『かわ』や『たべもののたび』など科学絵本の全ての場面を展示するほか、ひみつのキーワードとなる「見る」「知る」「学ぶ」、そして「食べる」場面を中心に展示します。
川崎の子どもたちとの出会いから花開いたかこさとしの世界を、いっしょに楽しみましょう!

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20180804art2.png◾️それから、それから。「縄文―1万年の美の鼓動」や「かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう-」とあわせて行きたいのが、千葉市美術館で開催さている「木版画の神様 平塚運一展」です。私は、この平塚さんのことを存じ上げていませんでした。たまたまNHKの「日曜美術館」というアート関連の番組を視ていた時に、この平塚さんの展覧会のことを知りました。棟方志功さんを指導された方でもあります。1962年には渡米されました。活動拠点をワシントンD.C.に移して、アメリカの風物を題材に新たな作風を開拓されました。また、裸婦の版画にも取り組まれました。たまたまfacebookにこの展覧会に関連した投稿したところ、知人のIさんが貴重なコメントをしてくださいました。Iさんが、一回目のNY駐在中にワシントンDC在住だった御夫妻の住むアトリエにお邪魔されたのだそうです。平塚ご夫妻とご一緒に写真もご紹介くださいました。

◾️「縄文―1万年の美の鼓動」、「かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう-」、「木版画の神様 平塚運一展」。この3つの展覧会を鑑賞しようと思うと、おそらく1泊2日の旅行になりますね。行けるかな〜。行きたいな〜。1日目は、東京国立博物館で「縄文―1万年の美の鼓動」を観て、その日は千葉に移動して宿泊。そして2日目は午前中は「木版画の神様 平塚運一展」に、午後は「かこさとしのひみつ展」かな…。夏休みは、孫と遊ぶ以外に、休暇らしい休暇を過ごす予定がないので、ちょっと真剣に短い旅行を企画してみようかなと思っています。
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◾️最後、もうひとつご紹介したいのは、まだ会期までには時間がありますが、龍谷ミュージアムで開催される「水木しげる魂の漫画展」です。私のような還暦前後の皆さんは、水木しげるの漫画を通過せずに大人になることはできなかったんじゃないでしょうか。以下は、公式サイトにある解説です。

日本漫画界の鬼才・水木しげる、本名・武良茂〈むら しげる 1922~2015〉氏は、その生涯を現役で在り続けました。鳥取県境港で幼少期を過ごした彼は、正福寺所蔵の「地獄極楽絵図」に心を奪われ、以来、不思議な世界に魅入られるようになります。そして太平洋戦争中には、激戦地・ラバウルで片腕を失い、生と死の境をさまよう壮絶な体験をします。
 本展は、水木しげる氏が93年間の生涯をかけ、魂を込めて描き続けた作品に焦点をあて、生原稿・原画のほか、少年期に描いた貴重なスケッチなど、未公開作品を含む約300点をご紹介します。「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される妖怪漫画のほか、短編や戦記物、人物評など、対象への深い探求心・洞察力が生み出した多彩な水木ワールドをぜひご覧ください。

◾️関連イベントも目白押しです。記念講演会は次の方達。10月7日(日)13:30~15:00に小松和彦さん(国際日本文化研究センター所長)の「水木しげると日本の妖怪文化」が、 11月4日(日)13:30~15:00には作家である京極夏彦さんの「見えないものを描く技術・水木さんの画業」、そして11月4日(日)13:30~15:00には評論家の宮崎哲弥さんが「戦争体験と仏教『総員玉砕せよ!』をめぐって」。宮崎さんの講演会の後は、龍谷大学の入澤学長との対談もあるようです。龍谷ミュージアムは、西本願寺の向かい側。京都駅の近く。ぜひ足をお運びください。9/22からです。

記念誌「岩手県立大学20年の歴史と未来」

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◾️1998年4月から2004年3月まで勤務していた岩手県立大学の「20周年記念誌」が送られてきました。「岩手県立大学20年の歴史と未来」というタイトルです。現在の龍谷大学に異動してからすでに15年目に入っているわけで、かつての職場も私が勤務していたときとは大きく変化しているはずです。とはいえ、私は岩手県立大学が創立された時から6年間しか勤務していないけれど、私にとっては岩手時代のことはとても大切な思い出なのです。

◾️岩手県立大学のキャンパスは岩手県の県庁所在地盛岡市に隣接する滝沢市にあります。私が県立大学に勤務しているときは、滝沢村でした。南部富士とも呼ばれる岩手山の麓の豊かな自然環境の中にあります。大変気持ちよく過ごすことができます。また、訪問するチャンスがあるでしょうかね。岩手もしばらくご無沙汰しています。

韓国に出張します

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◾️今月の9日から11日まで、韓国の木浦に2泊3日で出かけることになりました。木浦の「国立海洋大学校」で開催される「 韓国 川の日大会 国際河川フォーラム 統合水管理のための面点汚染源の管理政策と住民参加方法」で、琵琶湖の事例を元に「主題発表」というものを行います。まあ、基調講演かな。私の他にも、ベトナムの方による講演もあります。

◾️関空から仁川国際空港までは良いとして、問題はその後の鉄道です。どの駅で、どう乗り換えたらいいのかな…。現在、韓国側の方にお尋ねしています。旅慣れないので、こういう時はちょっと不安になりますが、あちらの列車に乗れるのが楽しみ。でも楽しみは、それぐらいかな。すぐに戻ってこなくてはいけないので。木浦に行くためには、まずソウル市内の龍山という駅まで移動するようです。そして、湖南線のKTXに乗るようです。それじゃ、龍山駅までは?ソウル駅まで行き、いったん地下鉄1号線で2駅移動する。これであっているのかな…と不安になってfacebookでつぶやいたところ、高校時代の同級生が、「Googleで調べれば」と教えてくれたので(今や多くの皆さんには常識的なことなのかもしれないけれど…)、やってみたらよくわかりました 。木浦に行くためには、まずソウル市内の龍山という駅まで移動するようです。そして、湖南線のKTX(韓国の新幹線)に乗るようです。それじゃ、龍山駅までは、まずはソウル駅まで行き、いったん地下鉄1号線で2駅移動する…という感じのようです(これであっているのかな)。まあ、こんな感じでして、あまりに頼りない私のことを韓国側の事務局スタッフの方が心配され、ソウル駅で私を出迎えて木浦まで案内してくれる人を派遣してくださることになりました。ちょっと、一安心。というか、情けないおじいさん…です。

長い間更新できていません…

◾️1ヶ月半ほど、ホームページのブログを更新することができていません。にもかかわらず覗いてくださっている皆様、ありがとうございます。申し訳ありません。なんというか、「精神のアクセル」を踏み込むことができず、ブログを前向きに更新することもできませんでした。とはいえ、いつまでもこのままの状態でいることもできませんので、少しずつ更新をしていきます。

◾️このブログをどなたかお読みくださっているのか…。どうも学外の市民の皆様のようです。先日も、大津市のある審議会の事前打ち合わせをした後、「脇田先生は、音楽されているんですか。私も学生時代、吹奏楽をやっていまして、トランペットとを吹いていました」とお声がけをいただきました。とても嬉しかったです。かなり丁寧にブログに目を通さないと、私が学生時代にオーケストラに所属していたことはわかりません。ちょっと気が引き締まる思いでした。ありがとうございます。

◾️ブログの更新ですが、すでに過去の出来事になってしまったことについても、遡ってエントリーしていこうと思います。よろしくお願いいたします。

最近の「大津エンバワねっと」

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父の日

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■先日の日曜日は父の日でした。父の日の前に、大阪に暮らしている娘から「太陽のタマゴ」が届きました。高級なマンゴです。この「太陽のタマゴ」が届いたことで、「あっ、そうや父の日なんや」と気がつきました。娘も息子も、社会人になってからは、毎年、何か父の日にプレゼンをしてくれます。もちろん、誕生日や還暦のお祝いもしてもらいました。本当に、ありがたいですね。

■さて、今年のプレゼントである「太陽のタマゴ」、高級品であることはわかっているのですが、どんな風に生産しているのか、そのことを一度も考えずにパクパクと食べてしまっていました。生産地は宮崎県。宮崎県の「みやざきブランド推進本部」のホームページを覗いてみました。次のように説明してあります。

宮崎のマンゴーは、「完熟」にこだわり、樹上で熟し自然に落果したものだけをネット袋でキャッチし収穫します。一度食べたら忘れられない、トロピカルで濃厚な甘みが多くのファンを魅了しています。

どんな果物でも、母なる樹の栄養をたくさんもらっておいしくなるため、樹から離れるときが一番おいしいのです。完熟マンゴーは、その瞬間を逃さないように一つひとつの果実をネットで包み、果実がネットに自然に落果するのを待って収穫します。産地では、この方法により、マンゴー本来のおいしさ、香りを十分に蓄えた果実を消費者の皆様に安定的にお届けできるように、計画的な生産出荷に努めています。

■なるほど、手間暇をかけて生産されているのですね。ネットで包んで、自然に落果したものをキャッチするのか。そうやって完熟させるんですね。どうりで美味しいはずです。ただし、この美味しいマンゴ、人によってはかぶれるらしいですね。というのも、マンゴはウルシ科の仲間だからだそうです。

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