小さな庭の「生きもの のドラマ」
◾️酷暑です。庭に植えた草木、焼けないように、枯れないように気を配っています。草木だけではなく、カメやメダカも暑さにやられないように注意しています。そうやって庭の世話をしていると、小さな庭なんですが、コオロギやバッタやカマキリの姿を見かけるようになりした。そのような昆虫を餌にしているのか、トカゲもあちこちでうろちょろしています。庭にはクチナシを植えているのですが、その柔らかい若葉が、次々とボロボロになっていきます。近づいて細かく見てみると、何かの幼虫が何匹もいるではありませんか!「こいつらか!俺のクチナシを台無しにしているのは!」。このような幼虫を、カマキリやトカゲは食べてくれないんですかね。あとで調べてみると、スズメガの仲間の幼虫であることがわかりました。
◾️この暑さの中でも紅葉の枝がまた伸びてきたので、その枝を剪定していると、枝の間に蜘蛛の巣が張っていることに気がつきました。蜘蛛はあちこちに巣を貼るので、気がついたらすぐに取り除いていますが、今回はしばらく眺めてしまいました。小さな蜘蛛が中央の左下に。中央の右上にはこの蜘蛛に食われてしまったトンボが。羽だけが取り残されていました。羽は食べ甲斐がないのかな。
◾️庭にはトネリコの樹があるのですが、そこにキジハトのつがいがやってきました。うちのトネリコの樹に巣を作るかどうか、夫婦で相談をしているかのようです。どうも、うちのトネリコは、この「ご夫婦」のお気に召す「物件」ではなかったようで、残念だな…と思っていたところ、翌日もやってきてくれました。そして、静かになくのです。キジバトの鳴き声って、かなり低いですね。ちょっとフクロウのようでもあります。うちのトネリコの樹に巣を作ってくれないかな…と期待しながら撮影すると、大きなシャッター音に驚いて逃げて行ってしまいました。キジバトは、幸せを運んでくれると言われていますが、何だか残念なことをしてしまいました。小さな庭ではありますが、それでも、そこには生きもの の様々なドラマがあります。
韓国での食事
◾️8月9日から11日まで、韓国に出張してきました。韓国の環境保全に取り組む韓国の各地域のNGOや、河川の環境保全に関心のある市民の皆さんがたくさん集まる「2018 韓国 川の日大会 国際河川フォーラム」のなかのシンポジウム「統合水管理のための面点汚染源の管理政策と住民参加方法」で報告をするためです。
◾️木浦(モッポ)に到着した9日の夕刻は、街中のシーフードのお店に夕食を食べに行きました。この土地の有名店です。今、旬のものをいただきました。「二べ」の刺身です。この魚はスズキの仲間で、関東では「イシモチ」、関西では「グチ」と呼ばれるようです。この刺身を、サンチュやエゴマの葉に乗せて唐辛子やニンニク、味噌やその他の調味料を加えて、丸めて口の中に放り込みます。美味しい!! もちろん、ビールや焼酎もいただきました。写真のお2人は、向かって左が韓国の中央大学大学院生の張さん。右が今回お世話になっている韓国のNGOのスタッフである金さん。金さんには、これまでも韓国の面源負荷(ノンポイントソース)に関するシンポジウムで報告する際にはお世話になってきました。
◾️話しはかわりますが、私を木浦まで案内してくれた張さんは、独学で日本語を勉強している人です。きっかけは、日本のゲームやドラマだと言っていました。ただ、難しい話しになると会話ができなくなるので、その場合は、「現代的筆談」で行いました。私が、Googleの翻訳昨日で日本語をハングルに翻訳し、張さんはご自分のスマホのアプリに韓国語を話して日本語に翻訳する。これが結構役に立つんですね。驚きました。すごいな。10年後はどうなっているでしょうね。
◾️こちらの写真は、10日の夕食です。フォーラムに参加した方達が、テーマごとに分散してバスに乗って木浦市内のツアーに出かけました。私たちのグループではツアーのあと、街中のシーフードの食堂で夕食をとりました。メインは海鮮ピビンパップ(ビビンバ)で。シーフードと野菜と甘辛い調味料を和えた具をご飯の上に乗せて、スプーンで搔き回します。何度も何度も、ご飯が真っ赤になるまで搔き回します。「こんなものかな」と自分で適当な量を乗せて混ぜていると、横に座っておられたフォーラムのスタッフの方から、「それでは少ないです。もっとたくさん入れないと美味しくないですよ」とアトバイスをいただき、さら具を乗せて、再度搔き回しました。真っ赤です。この海鮮ピビンパップ以外にも、煮魚や焼き魚、そしてキムチが出てきました。美味しくいただきました。
◾️最終日、11日の昼食はソウル駅内の食堂でいただきました。この食堂は入口が2つあるんですが、中は繋がっています。左は日本風のメニュー、右は韓国料理のメニュー。一緒にいた張さんと私たちは、韓国料理を頼みました。メニューは限られているのですが、その中から、プルコギ鍋とでもいうのかな、そんな感じの料理を選びました。張くんのお勧めでもあります。これが最後の韓国料理になりました。
◾️毎日、毎食、唐辛子の効いた韓国料理ばかりを食べていたので、口は大丈夫ですが、消火器はかなりびっくりしています。それから出口も…。もう少し滞在していれば、慣れてきたのかもしれませんね。鍋の前には、三種類のキムチが。これについては、お代わり自由なんですね。ところで、周りを見回すと、日本風のメニューを楽しんでいる人たちがかなりいました。横には、若い兵隊さんが3人座っていましたが、天ぷらうどんや蕎麦でした。トンカツを食べている人もいました。こちらでは、トンカスと発音しますけど。それから、老人3人組は、ざるそばを食べておられました。わさびの色は、思い切り緑なんですよね〜。現代韓国社会の食文化、なかなか奥深いです。次回、韓国を訪問する時は、もう少し時間をかけて滞在したいと思います。
전영랑
◾️8月9日から11日まで、2泊3日の駆け足での韓国出張でした。さすがに少し疲れました。若い時のようにはなかなかいきません。帰国後は、すぐに仕事に復帰できず、少し休憩させてもらいました。
◾️さて、往復ともにアシアナ航空を利用しましたが、帰国の際の機内の中では、少し疲れてしまったのか読書する気力が湧かず、機内サービスによる音楽を聴くことにしました。せっかく韓国に行ったのだから、韓国伝統音楽というジャンルの中で聞いてみることにしました。たまたま、一人の女性歌手が目に入りました。「전영랑」という人です。アシアナ航空の機内サービスではジョン・ヨンランとカタカナで表記してありました。正確には、ちょっとチョンに近いジョンかな。聞いてみると彼女の歌声が心に染み込んでくるようで、非常に感動しました。もちろん、歌詞はわからないんですけどね。こういうのは、「たまたま」「偶然」の出会いが大切です。
◾️アシアナ空港のサービスでは歌手の名前がカタカナになっていましたが、帰宅後、それで検索してもきちんとヒットしません。ということで、韓国で知り合いになったボクさんに、早速、facebookのMessengerを使って相談をしてみることにしました。ボクさんはスマホの翻訳機能を使いながら(私も適宜、Googleの翻訳機能を使いながら)、教えてくださいました。ハングルでは、「전영랑」と書くことを教えてくださったのもボクさんです。
◾️ボクさんによれば、ジョン・ヨンランさんは、忘れられていた韓国の伝統歌を現代の一般の人びと(特に若い人たちかな)に知ってもらうための役割を果たしておられるとのことでした。1983年生まれ。35歳で、まだお若いわけですが、伝統と現代をつなぐチャレンジをされているようです。例えば、以下の動画など、ジャズのグループとのコラボレーションですね。
프렐류드 & 전영랑 “노들강변, 뱃노래, 태평가, 비나리” 재즈와 국악의 만남
전영랑 & Prelude - 비나리(Fly in 날아든다 앨범 중)
◾️同じコラボで、古い韓国民謡「太平歌」を歌っている動画も興味深いです。
[SBS]아침창, 태평가, 프렐류드&전영랑 라이브
◾️こちらは、伝統的スタイル。
전영랑 한오백년 민요
전영랑 소춘향가 대통령상 수상
◾️ボクさんから教えてもらったことですが、この전영랑はさんは、伝統的な民謡にある3つの流派のうちの1つにベースにしておられるとのことでした。明るく、技巧的な歌唱法に特徴があるそうです。これは推測ですが、おそらく、そのような伝統的な歌唱法をベースに、基礎にしておられるので、私のような何も知らない、ハングルがわからないおじさんの心にも、歌声が染み込んできたのではないのでしょうか。もっとも、人よっては、このような技巧が耳障りと思う人がいるかも…です。それはともかく、韓国の伝統的な民謡に関してもっと知りたいと思いました。民謡というか、加えて日本の説経節や浪曲がミックスしたような感じなんでしょうかね。
卒業生の来訪
◾️昨日は、自宅に懐かしい方がお越しになりました。2008年の春に卒業した脇田ゼミ3期生の正木晴香さん(旧姓吉澤さん)です。正木さんは、ご家族と一緒に我が家に遊びに来てくれたのです。普段は、お連れ合いの転勤で九州にお住まいですが、お盆の休暇で帰省しているとのことで、昨日、ぜひ会いたいと連絡をくれたのでした。
◾️2歳のお子さんは、最初は知らないお家に連れてこられて緊張のあまり大泣きしていましたが、途中から機嫌を直してくれました。良かった、良かった…(^_^;。最後は、笑顔でハイタッチできるまでに関係が良くなったんですが、「人見知りに関して私の右に出る人はいない…」と威張りたいくらいなので⁈、正直にいうと最初はちょっとオロオロしていました。
◾️さて、正木さんとは久しぶりでした。ご実家のこと、お住いの街のこと、お子さんのこと、うちの孫のこと、昔の思い出話し…。あっという間に時間が過ぎてしまいました。お連れ合いは、初めてお会いしましたが、龍大社会学部出身ということで、なんだかちょっと同窓会のような感じでもありました。連絡をくれて、訪問をしてくれて、嬉しかったな〜。晴香さん、ありがとう❣️今度は、脇田ゼミ3期生で、同窓会をやりましょう。
◾️ところで、正木さんが卒業したのは10年前。私のゼミにやってきたのは、12年前でした。ゼミが始まった時は、私は47歳。すぐに48歳になりましたけど。まだ私自身も若くて、けっこう厳しく卒論指導をしていたと思います。正木さんも、そういう指導のもとで一生懸命、調査と卒論の執筆に取り組みました。卒論のタイトルは「都市農家と周辺住民の地域交流-京都グリーンファームでの取組を事例に-」でした。よく頑張った卒論だったと思います。懐かしいなあ。あの頃は、正木さんも含めたゼミの学生たちと、夏に岩手県の農村にスタディーツアーに出かけたりしました。10年経つうちに、私も歳を取り、学生の気質も大きく変化しました。正木さんが帰られた後に、こんな感じで昔を懐かしみました。
韓国の高速鉄道「KTX」
◾️8月9日の昼過ぎ、韓国の仁川国際空港に到着しました。この仁川国際空港駅からは、ソウル駅まで空港鉄道「 A’REX」特急で移動しました。ソウル駅の地下4階のプラットホームに到着し、地下2階にあがると、韓国の中央大学大学院の張さんが待っていてくれました。旅慣れない私のために、今回参加した「2018 韓国 川の日大会 国際河川フォーラム」の知り合いのスタッフの方が、日本語がわかる方を派遣してくださったのでした。張さんの案内があったので、空港鉄道「 A’REX」から高速鉄道「KTX」への乗り越えは迷うことなく無事に行うことができました。張さんに、感謝です。
◾️もちろん、駅でチケットを購入するようなことはありません。もちろん、購入することもできるのですが、張さんはスマートフォンで私のものも含めた2人分をあらかじめ購入してくださっていました。張さんと一緒に遅い昼食を摂った後、16:30発の「木浦(モッポ)」行きの「KTX」に乗車しました。約3時間の電車での移動になりました。写真の若者が張さんです。
◾️ところで、ソウル駅は大きな駅ですね〜。関西人の私は、なんとなく阪急梅田駅を連想します。とはいえ、やはり独特の雰囲気ですよね。KTXについていえば、プラットホームから列車の入り口の段差とか、扉が航空機のように外側に開くところとか…、いちいち反応してしまいました。張さんに、私が鉄道好きであることを話したら、スマホに入っている阪急電車・京都線の電車の写真を見せてくれました。京都に旅行に行った時に撮ったそうです。張さんは「阪急電車は美しいです」と語ってくれました。彼は鉄道ファンではないけれど、外側のマルーン色とか、室内の雰囲気が大変気に入ったようです。
石上智康『生きて死ぬ力』
◾️先月の最後の教授会の際にいただきました。浄土真宗本願寺派総長・龍谷大学理事長である石上智康先生が執筆されたものです。本学の入澤崇史学長から「建学の精神の涵養」という点から目を通すようにとのメッセージが添えられ、教職員全員に配布されました。自分なりに仏教を勉強してきたこともありますが、昨日から通勤の際に読んでいます。おそらく、読むたびに、その時々の自分の内面の状態との関係で、違った味わいがあるんじゃないだろうか。タイトルも素敵だなと思いました。
◾️この本を専門的な仏教書かといえば、そゔであり、そうではありません。そうであるというのは、仏教の思想の中にある「縁起」と「空」、そして「無常」の概念が、よく理解できるように書かれているからです。そうではないというのは(ちょっと誤解を産みそうですが…)、通常の文体ではないということです。私が所属する社会学部のある同僚は、「これは詩集のようなものですね」とおっしゃっていました。また、ある事務職員の幹部の方は、「どうして、こういう本を書かれたのか…」と不思議に思っておられるようでした。お二人とも僧侶です。私は、宗教者ではありませんが、この新書に書かれたイメージがストレートに自分の思考の中に受け止めることができました。
◾️興味深かったのは、養老孟司さんや福岡伸一さんのような、自然科学者の著書を参考文献にあげておられることです。詩的な文章の中に、引用のような形で触れておられます。福岡さんのいう「動的平衡」の考え方と仏教の「縁起」の考え方が、共振し合っているのです。「無常の風が 吹いている 『ただ』それだけ」なのです。「無常」とマイナスのイメージで語られる「無常観」とは違います。以下、33〜45頁を引用してみます。
「変化こそが 真のすがた」
一九四五(昭和二〇)年 敗戦の時
東京は 見渡すかぎり 焼け野原上野駅には 敗残の民と 悪臭が 満ちあふれ
マッカーサーを乗せた 高級車が
お堀端を 走っていた
ひとり 我がもの顔で
音も なく今は 高層ビルの 林立
世界のブランド品や 香水が 街に あふれている
五十年 百年の後
どんな姿に なるだろう
その時 私は もういない学校に入る 時
卒業する 時
誕生や 死亡届の 時も
私の名前は ずっと 同じ
朝 起きた時の 血圧と
仕事につく時の 血圧でさえ
もう違っているのに「小腸は 一ヶ月で 細胞が
完全に 入れ替わり(中略)
人間の身体の 細胞は 一年経て
ほぼ 全て 入れ替わ」る(養老孟司)人は みな
行く雲 流れる川と 同じ
仮に 同じ一つの名前を 使っている だけ「体脂肪で さえも
ダイナミックな『流れ』の中」
「流れ自体が
『生きている』ということ」(福岡伸一)
「変化こそが
生命の 真の姿」(シューハイマー/福岡伸一)いつでも どこでも
無常の風が吹いている
証を必要としない この世の 事実それ なのに
その時どきの すがたに 執われて
嘆き悲しんだり 喜んだり してしまう
この 私思いどおりになれば 嬉しく
ならぬ時には 腹が立つ 涙する花は美しく咲いて 自慢しない
いつまでも 咲いていたい と欲ばらない気がつかぬほどに
あるいは 劇的に
無常の風が 吹いている
「ただ」」それだけ
はかないとも 嬉しいとも
何も いわず「変化こそが
生命の 真の姿」あるのは
変化 そのもの
ただ それだけ変化していること もの 全てが
そのまま 真実のすがた在るがままに
すべてが 障りなく 一つになって いて
自他の対立も ない
「2018 韓国 川の日大会 国際河川フォーラム」
◾️8月9日から11日まで、韓国に出張してきました。韓国の環境保全に取り組む韓国の各地域のNGOや、河川の環境保全に関心のある市民の皆さんがたくさん集まる「2018 韓国 川の日大会 国際河川フォーラム」に参加するためです。私は、このフォーラムのなかのシンポジウム「統合水管理のための面点汚染源の管理政策と住民参加方法」で報告をさせていただきました。上の写真は、その時のものです。帰国後にいただきました。
◾️このシンポジウムには、海外からベトナムの研究者が、そして日本からは私が参加しました。この2人には、それぞれに通訳の方をつけていただきました。私の通訳をしてくださっ方は、韓国人とご結婚された日本人の女性でした。事前の勉強も丁寧にされていたことが打ち合わせでよくわかりましたし、本番でも丁寧に通訳をしていただきました。ありがとうございました。この面源負荷対策に関するシンポジウムでは、韓国の環境庁の職員の方が、韓国の面源負荷対策の全体像と課題を説明されました。また、ベトナムの研究者は、法規制やインフラが不十分な中で、ベントナムではどのような問題が起こっているのか説明されました。私はといえば滋賀県の事例をもとに報告を行いました。
◾️まず、家庭系や工業系の負荷が下水道や国によりも厳しい規制によって琵琶湖の富栄養化が一定抑制されるようになったが、残された農業系負荷が相対的に浮上するとともに、水質だけでなく健全な物質循環を駆動する生態系そのものの状態が問題視されてきていることを説明しました。その上で、水質改善を直接的に意図したものではないですが、「食べることで琵琶湖を守る」を理念とする滋賀の「環境こだわり農業」や「魚のゆりかご水田プロジェクト」といった制度にある、多様なステイクホルダーが参加していく可能性とそのメカニズムを社会関係資本の概念をもとに説明しました。また、社会関係資本を蓄積していくためのポイントに関しても説明しました。
◾️韓国の関係様の皆さんの意見によれば、韓国の環境政策は、どちらかといえばトップダウンの色彩が強く、面源負荷対策には、多様なステークホルダーが不可欠であるとの認識はあっても、それらのステークホルダーが参加・参画する環境ガバナンスに向けての取り組みは不十分で、まだこれからとのことでした。もちろん、日本もけして十分とはいえないのですが、韓国と比較したときに、参考になるポイントがあるのだと思います。そのようなこともあり、私の報告は、環境庁の方やコメンテーターのNGOの皆さんに、大いに関心をもっていただけたようでした。安心しました、
◾️ただし、隣国の環境政策のこれまでの展開過程や現状を系統だって勉強したことがないのですが、ちゃんと勉強しないとなあと反省しました。日韓の環境政策の展開過程の比較研究です。韓国の環境政策はトップダウンの色彩が強い(これは程度の問題でしかありません…)と書きましたが、そのようなトップダウンの環境政策に対して、NGOを中心としたボトムアップな環境運動はどのように対応し、あるいは対立してきたのでしょうか。その点をもっと知りたいと思いました。また、韓国の環境運動と、韓国の第二次世界大戦後の社会構造・政治権力構造のなかで発生した労働運動や民主化運動とは、歴史的にどのような関係にあるのか、その点ももっと知りたいと思いました。私は、もう年寄りの部類に入るわけですが、このあたりをまだもう少し勉強したいと思っています。そのためにはハングルが読めないとね…。まあ、それはともかく。面源負荷に関する韓国での報告は、これで3回目になります。また、韓国からの視察も3回ほど受け入れてきました。相互に学び合う交流を今後も継続していければと思います。そして、そのような交流の中で、ハングルが読めるようになっていけばなあとも思います。
◾️シンポジウムを含め、その日のプログラムが終了した後、シンポジウムでコメンテーターを務めてくださった方や、今回お世話になった方たちと一緒に、軽く「慰労会」を持ちました。韓国の皆さんといろんなお話しをするなかで、たまたま、私が「韓国に鉄道ファン(あえて言えば『鉄道オタク』)は存在しているのですか」という質問をらしたところ、同席していた方たちのうち2人からは、「私は知りません。そんな人たちが、韓国にいるとは思えませんね」という感じの反応をいただいたなかで、お1人だけ「実は、私は鉄道が大好きなんです」と反応がありました。そして、JR九州の魅力や韓国の鉄道の魅力について熱く細かく語り始められたのです。また、「今度、韓国に来るときは『ITX-青春』に乗ってくださいね!!」とも強く勧められました。彼は、ヨーロッパの鉄道情報に関しても、丹念に調べておられるとのことでした。すごいやん。左の写真。私が初めて知った韓国の「鉄道ファン」のボクさんとの記念写真です。
◾️ところで、「韓国に鉄道ファンはいないと思います」と答えた方は、女性の金さんです。「私はソウルに住んでいて、地下鉄を利用するんですが、地下鉄は真っ暗で景色が見えないので、私はバスが好きです」と自分の意見を述べてくださいました。それに対して、「日本にはバスマニア、バスオタクもいらっしゃいますよ」と言ったところ、大変驚かれました(^.^)。「日本では地方をバスで旅行する番組もあるんやで」と説明したところ、大受けでした。その時、「これは、いっぺん奈良交通の『八木新宮線』に乗ってもらわんとあかんな…」と思った次第です。
映画「太陽の塔」
◾️「太陽の塔」という映画が公開されます。知り合いも登場します。南方熊楠の思想を研究されている龍谷大学の世界仏教文化研究センターの博士研究員である唐澤太輔さんです。こんな映画です。非常に面白そうです。
80年代、「芸術は爆発だ!」という言葉で、一躍世間の注目を浴びた岡本太郎。「凡人の理解を超えた変わり者」というタレントのイメージもあるが、画家・写真家・彫刻家・建築家・思想家の顔を持ち、芸術家という言葉にはとうてい収まり切らないスケールの大きな人物だ。本作では岡本太郎に影響を受けた人々をはじめ、総勢29名へのインタビューを敢行。芸術論だけでなく、社会学・考古学・民俗学・哲学の結晶としての岡本太郎が語られ、「太陽の塔」に込められたメッセージを解き明かす。
◾️1970年に大阪の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」、愛称「万博(ばんぱく)」。私は、この万博が開催された時、小学校6年生、12歳でした。その当時世界は、アメリカ合衆国を中心とする自由主義陣営と、ソビエト社会主義連邦共和国を中心とする社会主義陣営との間に対立がありました。東西の陣営に分かれた冷戦が継続していたのです。支配と従属という南北の厳しい対立もありました。今から思うに、この時の万博のテーマ「人類の進歩と調和」は、そのような世界に存在していた様々な対立や矛盾を、あたかも存在しないかのように思わせる働きをしていたのかもしれません。もちろん、当時12歳の素朴な少年であった私には、何もわかっていません。人気のあったのはアメリカ館やソ連館等のパピリオンでした。数時間待ちの行列ができていました。特に、アメリカ館では「月の石」が展示してあったことから、その人気はものすごいものがありました。1969年には、アメリカはアポロ11号で人類初の月面着陸を成功させました。そして続くアポロ12号は、「月の石」を持ち帰ることに成功しました。科学技術の勝利とでも言えば良いのでしょうか。
◾️この「万博」の会場の入り口近くには、催し物会場が広がっていました。「お祭り広場」です。「万博」の開閉会式をはじめ各国のナショナルデー・スペシャルデー等が開催されました。私のイメージ中では、この「お祭り広場」に集う世界各国の人びとの交流風景と、元浪曲師で国民的歌手と後に呼ばれるようになる三波春夫さんの歌「世界の国からこんにちは」の艶やかな歌声が重なり合います。今から思うに少し不思議な光景です。そして、この「お祭り広場」の大屋根を突き破るように立っていたのが「太陽の塔」だったのです。「太陽の塔」は、「人類の進歩と調和」とは真逆のような、見方によれば不気味な雰囲気を全体から醸し出していました。そのような理解しがたい不気味さのようなものは、どこから生まれてきているのでしょうか。
◾️この塔を制作したのは、芸術家の岡本太郎です。映画「太陽の塔」の公式サイトを拝見すると、岡本太郎が「私は進歩に疑問をもっている」と述べていたことがわかります。万博のテーマを真正面から否定するかのようです。「進歩」というイデオロギーは、人類が歩んできた過去を、そして人類の根っこにある事柄(生命の進化)を隠そうとします。そのような過去や根っこは、「人類の進歩」とともに過ぎ去ってしまったのでも、切り捨てられてしまったのでも、否定され忘却されてしまったものでも、そのいずれでもなく、今も、実は社会や文化の深い深いところあって、言い換えれば社会・文化の深層意識のような存在として私たちに影響を与えているのです。今も私たちの生き方に対して、静かにしかし強く影響を与えているのにもかかわらず、そのことに気が付いていない…岡本太郎は、自分たちの過去や根っこを見つめようとしない、安直な「進歩イデオロギー」を批判しているかのようです。そのような批判の眼差しは、岡本太郎が関心を持ちづつけた沖縄やアイヌの文化に対する眼差し、そして縄文文化に注がれる眼差しと基本的には同じ基盤にあるように思います。そのように考えるのならば、太陽の塔は、「人類の進歩と調和」というテーマに酔いしれる「お祭り広場」にいる人びとを、祭りの喧騒のはるかに上から静かに見下ろす神の像のようでもあります。
◾️私の「妄想」はこの程度にしたいと思います。ぜひ、この映画を観てみたいものです。関西では、大阪「あべのアポロシネマ」、「シネ・リーブル梅田」、「109シネマズ大阪エキスポシティ」の3館で、そして神戸の「109シネマズHAT神戸」で9/29(土)から公開されるようです。
知らなかった、ドボルザークは鉄道ファンだった!
◾️自宅で毎週「題名のない音楽会」というクラシックの番組を録画しています。人気がないのか、朝早くに放送されているので、我が家では録画してみているのです。先日のテーマは「指揮者が愛する『新世界より』の音楽会」でした。取り上げられたのは、ドボルザーク の「交響曲9番新世界より」。クラシックファンでなくても、このシンフォニーについては多くの皆さんがご存知のはず。特に2楽章は有名ですよね。キャンプファイヤーで歌いましたよね。「遠き山に、陽は落ちて…」。私からすると、「暗くなるから子どもたちは早く家に帰りなさいよ〜」という雰囲気です。この「交響曲9番新世界より」、とてもよく知られた交響曲なのですが、番組を視ていてびっくりしたことがありました。作曲者のドボルザークは「テツ」な人=「鉄道ファン」だったというのです。
◾️ドボルザークが鉄道ファンであったという話し、結構、有名らしいですね。私は、この歳になるまで知りませんでした。びっくりしました。調べてみると、「初心者でもできる! 簡単・らくらく作曲講座」というブログの中にある面白い投稿を見つけました。この投稿「ドヴォルザークは鉄ヲタだった!? あの有名作曲家の裏話。」によると、こう書かれています。「チェコでその名声を固いものにした後、1891年、ニューヨーク・ナショナル音楽院院長へ就任の依頼が来てアメリカ、ニューヨークへ渡ります。しかし、この渡米自体アメリカの鉄道を体験するという理由が大半だった…などと言われています」。「えっ…マジか !!」と思いました(ちょっと文句があるとすれば…「鉄オタ」って言って欲しくないですね〜(-。-;)。この他にも、この投稿には様々なドボルザークの鉄道に関するエピソードが書かれています。尋常ではありません。
◾️一つだけ紹介します。「交響曲第9番「新世界より」の中に一箇所だけ控えめにシンバルが鳴らされるところであるのですが、そのシンバルも鉄道に関連しているという指摘が、この投稿の中に書かれていましたて。このシンバルのこと、クラシックファンの間ではよく知られているのですが、これが鉄道と関連しているなんて…(上に貼り付けた動画では、1分51秒頃にシンバルが静かに成ります)。
実はこの「新世界より」、全編を通して機関車を表す描写がいっぱいあるんです。第三楽章の3拍子のリズムは「シュッポッポ、シュッポッポ」と、少し喘ぎ気味の蒸気機関車を表しているとも言われていますし、第四楽章は動き出す重い動輪に始まって、全体が蒸気機関車や汽車の描写に満ちており、風を切る音、ドラフトの音、シリンダーの音、吐きだす蒸気などが描かれているとも言われています。それで先程のシンバル。これは列車がブレーキをかけて、連結器をぶつける音を表していると解釈されています。鉄道好きならではの表現ですね。
◾️一昨日は、京都で一献傾けながら本格的な「鉄道ファン」の皆さんの「濃い語り」に耳を傾けていました。そのような方たちと比較すれば、私なんかが「鉄道ファン」というのは憚れるのですが、じつは鉄道が好きなんです。学生時代はオーケストラの活動もしていたので、クラシックも大好きです。というわけで、今回の「題名のない音楽会」には強く反応してしまいました。学生時代を思い出せば、私が所属していた学生オーケストラには結構な数の「鉄道ファン」がいたように思います。阪急電車の形式等については熱く語り合っていたよなぁ…。当時は「鉄オタ(ヲタ)」なんてちょっと蔑んだような言葉もなく、男の子たちは電車について熱く語りあっていました。彼らは、そういう電車の形式とか細かなことを語り合えることに誇りを感じていたように思います。もっとも、その頃の私は鉄道には関心がありませんでした。幼い頃にあった電車に対する気持ちは、大学生の頃には消え去っていました。それがまた復活してくるのは、40歳を超えてからのことでしょうか。
◾️この「交響曲9番新世界より」の1楽章冒頭で、チェロやヴィオラの静かなメロディが終わったところ。ホルンが突然「ポ・ポーン」となります。これは、ドボルザークがニューヨークに到着した時の、汽船の汽笛の音なのだそうです。このことは、学生時代から知っていましたが、そのあとは「鉄道ネタ」が満載だとは全く知りませんでした。すごいな〜、ほんまに。
◾️ところで、「交響曲9番新世界より」と鉄道ということで思い出すのは、JR大阪環状線の「新今宮」の駅で流れる発車を合図するメロディーです。「交響曲9番新世界より」の4楽章です。「新今宮」の横には、通天閣で有名な「新世界」というエリアがあります。ここは明治時代に開催された第5回内国勧業博覧会の跡地に大阪の新名所として開発されたので「新世界」と呼ばれています。アメリカの別名である「新世界」と大阪の新名所「新世界」とは違うんですけどね、洒落ですね。初めて聞いたときはやはり笑ってしまいました。
台風により浜に漂着する水草
◾️ここ最近、災害が続きますね。集中豪雨、台風、酷暑…。この投稿は、2018年7月25日から8月3日に発生した台風12号の後の出来事になります。この台風12号の影響で、7月29日(日)に開催予定だった龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラムである「大津エンバワねっと」の前期発表会が中止になりました。正確には延期ですね。懸命に発表準備をしてきた学生たちは、残念だったと思いますが、仕方ありません。どうしたって自然には勝つことはできません。
◾️ということで、朝食を食べながらfacebookを眺めていると、山田 英二さんからの投稿が目に飛び込んできました。山田さんは、琵琶湖・南湖の水草の有効利用の社会的仕組みを作ろうと活動している市民グループ「水草は宝の山」=「水宝山」の代表です。堅田や琵琶湖大橋の近くにある真野浜で、山田さんは民宿を経営されています。そして、夏場は、水泳客の皆さんのために、夜明けの頃から浜に打ち上げられた水草やヨシ屑を綺麗に清掃されています。私も参加している「水宝山」の活動は、この山田さんのボランタリーな清掃活動から始まっています。浜自体は、山田さんの私有地ではないので、山田さんの義務でもなんでもないのですが、山田さんは「浜の清掃は自分の趣味、やっていて楽しい」といつもおっしゃっています。さて、今朝の山田さんの投稿は、そのような山田さんでも浜が大変になっているから協力して欲しいという依頼の投稿でした。
先日の大雨に続き、今回の台風で更に大量の藻などが打ち上げられました。
来場者に快適に過ごしていただきたい。
琵琶湖をいつもきれいにしたい。
その思いがかなわない状況かもしれません。
出来れば、みなさんの協力が欲しいです
◾️そうです。どうしたって、自然には勝つことができません。ということで、真野浜に駆けつけました。すでに8人ぐいの方達で清掃は始まっていましたが、私は、「水宝山」の会員として、あえて一番困難な場所の水草除去に取り組みました。ということで「水草バスターズ!!」。真野浜の一番北の方は、少し出っ張っています。おそらく浜欠けしないように土木工事がしてあるのかなと思いますが、その地形がトラップのようになり、水草が分厚くマットのように溜まっていたのです。分厚い場所は50cmぐらいまで体積していました。
◾️さて、除去作業に取り掛かったはいいものの、持参した熊手ではお話しになりません。ということで、自分で手で担いで除去することにしました。水草は濡れているときはそれなりの重さがあります。なかなか大変な作業なのですが、綺麗になっていくと、山田さんがいうように楽しいのです。そうそう、自分の庭を綺麗にするときのあの感覚、あの満足感と似ています。自分の土地ではありませんが、この浜を「自分たちの浜」と思って綺麗にすると、なんだか浜が喜んでくれているような気がして気ます。そういう人が増えて、加えて、この浜を何かの企画で楽しむことができれば、何かここには「コモンズの創造」とでも呼ぶべき現象が生み出されていくのではないかと思います。
◾️おそらく、現段階では、台風で浜に打ち上げられた水草の山は、乾燥した後に、焼却処分されることになります。しかし、「水宝山」としては、これを土壌改良剤(水草堆肥)として地域の中でうまく利用できる仕組みを作りたいと考えています。利用しながら、地域の皆さんに真野浜にもっと関心を持っていただく、「自分たちの浜」として活用してもらう、そういう小さいけれども素敵な循環が生まれるような仕組みを作っていきたいと考えています。「真野浜ファンクラブ」のようなものが結成されたらいいなと思います。もちろん、その中に「水草バスターズ」も結成されますよ、必ず‼︎さて、水草の除去作業、強い雨が降ってきたことから、午前中で引き上げることにしました。でも、一応、皆さんと力を合わせてなんとか水草を除去できたのではないかと思います。ただ、浜も綺麗になりましたが、市役所に処分してもらうためには、乾燥させてそれを袋に詰めなければなりません。その作業もなかなか大変なのです。
【追記】
◾️私は神戸出身ですが、神戸の須磨海岸では「SMILE BEACH Project」という取り組みが行われています。なにか、ヒントがあるかもしれません。