「利やん」のマスター光山くんのこと
◾️大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のマスター光山幸宏くんが、昨日、逝去されました。享年54歳でした。すでに、fbの友達の方たちの投稿を通じてご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私も、光山くんに対する自分の思いを、少しだけ投稿させていただきたいと思います。
◾️光山くんとは、15年前、私が龍谷大学に赴任した年からのお付き合いになります。それ以前にも、「利やん」に行ったことはありますが、おそらく25年ほど前になると思います。当時の上司に連れられて数回行きました。数回でしたが、この店の名物である「だし巻き豆腐」が大変美味しく、記憶に強く残っていたので、龍大に赴任した後も、大変懐かしくなり店に通うようになったのでした。始まりは、店主と客との関係ですが、その後はそのような関係を超えて友人として仲良くしていただくことになりました。また、仕事に関連してもいろいろお世話になりました。私も光山くんの思いに応えてきましたが、彼もいろいろ私のためにしてれました。なぜそんなに親しくなったかというと、それはマラソンがきっかけでした。
◾️来年の2月で第10回になりますが、「びわ湖レイクサイドマラソン」が開催されることになった時、光山くんが私に何度も言うのです。「なあ、フルマラソンって走りたくないか。人生に1度で良いからフルマラソン、走りたいねん。でも、急には無理やし、まずはこの『びわ湖レイクサイドマラソン』に参加しようと思うやんけど、ワッキーも一緒に走ろうや」。当時、私はマラソンなんて走るつもりは全くなかったのですが、仕方なく光山くんの強い要望に「付き合う」ことにしたのです。第1回目の「びわ湖レイクサイドマラソン」に合わせて急遽結成された「チーム利やん」は、光山くん、読売新聞の青野さん、共同通信社の原さん、そして龍谷大学の同僚である原田先生、そしてお店の常連である小島くん、そして私の6名で走りました。
◾️その後、「チーム利やん」は、頑張ってアスリートランナーをスカウトするなどして、存在感を示すランニングチームに発展することになりました。2012年には、光山くんと一緒に、高島市で開催された「高島栗マラソン」(ハーフマラソン)に出走しましたが、その後、光山くんは走ることができなくなりました。甲状腺癌がみつかったからです。
◾️光山くんは、手術、放射線治療、抗がん剤治療に取り組みました。大変、きつかったと思います。しかし彼は、そのような状況の中でも、自分の店である「利やん」で働き続けました。たまには、店を臨時休業してしっかり身体を休めればとも言いましたが、彼は、絶対に休業することはありませんでした。そのような状況が今年の夏まで続きました。最後は、癌が左手の神経に転移して動かなくなっていました。「ワッキー、俺はそう簡単にはくたばらへんで」と言っていましたが、身体は次第に弱って行きました。
◾️そのように、かなり身体が弱まる前ですが、ある時、遅くまで店にいた時がありました。「終電がなくなるし、そろそろ帰るわ」というと、「ちょっと待っといて、自分が車で送っていくから」というのでした。車の中では、現在の病状について説明してくれました。かなり深刻な状態になっていました。それからしばらくして、病院での診断の結果を、店の別館に私を呼んで説明してくれました。奥様もおられました。奥様は泣いておられました。さらに深刻な状況になっていることを説明してくれました。続いて、店員さんたちにも状況を説明されました。
◾️最後の入院では、3回ほどお見舞いに行きました。とてもしんどそうにしていましたが、ベッドに座り、その横に私を座らせて、光山くんはすでに声を出せない状態になっていたので、筆談でコミュニケーションをしたのです。その際、光山くんは突然「原田先生」と紙に書きました。「原田先生に会いたいんか」と聞くと、うなずきました。もちろん帰宅して原田先生にご連絡を差し上げました。おそらくですが、光山くんは頑張って治療をしながらも、何か思うところがあったのだと思います。相当に、身体が弱っていましたから。
◾️ところで、お店の方ですが、自分が料理をできなくなることを予測していたのか、店員さんを猛特訓して、店のこだわりの味をきちんと伝授していたのでした。だから、光山くんが入院していても、私たち常連客はお店に通い続けることができました。
◾️昨日のことです。3年生のゼミをしている際に、突然、携帯電話がなりました。光山くんからでした。でも、携帯電話の向こうの声は、奥様のものでした。奥様は少し泣きながら、「今日の昼に主人が亡くなりました」とおっしゃいました。昨日は朝から、授業が終わったらまた病院にお見舞いに行こうと思っていたところだったのに…間に合いませんでした。奥様からの悲しいお知らせをいただくことになってしまいました
◾️今日は、お通夜でした。ものすごくたくさんの弔問客の皆様が参列されていました。光山くんの戒名は、実に光山くんらしいものでした。お店の「利やん」の「利」と、彼が大ファンだったヤクルトスワローズの「燕」の文字が入っていました。棺の中の光山くんは、あれだけ病気と闘ってきたにもかかわらず、実に穏やかな表情をされていました。明日は、葬儀です。葬儀にも参列させていただこうと思っています。光山くん、そして光山くんの店である「利やん」は、私の人生にとってものすごく大きな位置を占めていました。今は、何かぽっかり心に穴があいたような気持ちです。
◾️自分の頭に浮かんでくることを書きました。いつものことなのですが、まとまりのない投稿で申し訳ありません。
「ブランド米の創出は、一方通行ではダメだ」
▪️担当している社会調査実習では、6名の学生たちが、滋賀県の「魚のゆりかご水田プロジェクト」や「内湖の環境史」のテーマに取り組んでいます。夏休みには、長浜市の早崎町を訪問し、聞き取り調査をさせていただきました。12月にはさらに補足調査も実施させていただく予定です。加えて12月には、東京にある全国のブランド米を販売する米穀店でも、聞き取り調査をさせていただけることになりました。店主さんは、地域ブランド米による地域活性化に尽力し、メディァでも盛んに情報発信をされている有名な方です。
▪️今日は、授業の中で、「滋賀の人は、琵琶湖が大切、環境が大切というけれど、県外の消費者の人たち、もっと別の視点で捉えているのではないか」というような話しをしていました。といのも、早崎の農家さんから、東京では赤ちゃんの内祝いに「魚のゆりかご水田米」を贈る方がおられるという話しをお聞きしてい宝です。生まれた赤ちゃんの体重のお米を内祝いに贈るのだそうです。今日、店主さんと少しfbのメッセンジャーでやり取りをさせていただきましたが、そこで強調されいたことは、「ブランド米の創出は、一方通行ではダメだ」ということでした。つまり、生産する側、売る側の一方的な思いだけでは、ブランド米はできないよ、ということです。
▪️県内のいろんな関係者と話しをしていても、作る方には熱心でも、売る方の話しがおろそかになってきたことを自覚されているように感じます。せっかく生産した「魚のゆりかご水田米」も、販路が十分でなく売れ残れば普通の米の価格で売られていくことになります。なんだか、もったいないですね。また、消費者に届くまでの販路が十分に確保できておらず、ブランド米として販売するのならば、消費者の側が、そのブランド米をどのように受け止めているのか、そのあたりのことについても、ぜひ知らなくてはいけません。また、そのことを視野に入れた、農家の側のま自助や共助の仕組み作りも大切なことではないかと思っています。
▪️店主さんからは、あらかじめ用意した質問も良いけれど、それは60%程度にしておいて、学生さんたちにはその場で考えて質問してほしいと言われています。学生たちにとっては、プレッシャーですね。面白い展開になってきました。楽しみです。
ミョウガの花
◾️トップの写真、何だと思いますか? 恥ずかしいことに、私にはわかりませんでした。「地面から直接花が咲いている…不思議だな〜」などと思って、そのことをfacebookに投稿しました。すると、植生学・景観生態学・植物生態学の専門家である知り合いの方が、「ミョウガのような気がします。自信はないですけれど」とコメントをくれました。驚きました。ネットで調べみて、この花がミョウガの花であることを確信しました。また、この花の横に生えている笹のような植物が、ミョウガであることがわかりました。根っこがつながっているのです。ミョウガは地中で根を広げていきます。なるほど。
◾️このfacebookの投稿、他の皆さんにもいろいろコメントをいただきました。ありがとうございました。私が知らないだけで、家の庭に生えていた(生やしていた)とか、家の前の川の土手に生えているのを料理に使っていたとか、そういう経験をされている方たちからのコメントでした。なるほど…。街場育ちの私にはそのような経験がありません。普段、スーパーマーケットや八百屋さんで買っているミョウガ、実は土の中に埋まっていることを知りませんでした。そこから花を咲かせるのです。だからツボミにあたるのかな。普通は、花が咲く前に収穫するのだそうです。今年はすでに花が咲いているので、とり出してみました。簡単にとれました。3枚目の写真がそうです。来年は、少し気をつけて収穫できるようにしたいと思います。
◾️しかし、ひとつ謎があります。このミョウガ、根っこを土に埋めて栽培するのですが、我が家ではそのようなことをした記憶がありません。外から、タネが飛んできて、あるいは鳥が運んでということは考えられますが、根っこのばあいは…。誰なんでしょうね、根っこを埋めた人は。
稲刈り
◾️このプログでは、あまりにも個人的過ぎるかなと、あまり触れないようにしていますが、facebookでは週1回、孫の成長の様子を投稿しています。娘が孫の成長の記録を写真や動画に撮って送ってくれるからです。普段なかなか会えませんが、娘のおかげで孫の成長を見守りつつ楽しむことができています。ありがたいことです。スマホで簡単に写真や動画を撮ることができない時代、遠く離れた祖父母の皆さんは、孫の成長をどのように見守っていたのでしょうね。
◾️普段は写真や動画でしか孫の成長を見守ることができませんが、一昨日は、大阪で孫と遊んできました。祖父である私にとって、孫と接することは心の栄養をもらえるかのようです。これまでは、たまにしか会うことができないので人見知りをされていましたが、一昨日は、私に抱っこされても普通にしていました。やっと、慣れてくれたんでしょうかね。祖父とは自分にとってどういう人物なのか、まだ理解はできていないと思いますが、少なくとも危険な人物ではない、抱っこされても問題ないと思ってくれているのかなと思います。。
◾️昨日は孫の父方の親戚のお家で稲刈り作業があり、家族で手伝いに出かけていったたようです。去年も来ていますが、まだなんのことやらわからなかったでしょうね。今年は少しはわかるようになったかもしれません。親戚のお姉ちゃんにも、しっかり遊んでもらいましたし、おとうさんには、コンバインに乗せてもららいました。「せっかくだから、将来は、田植え機やコンバインも操作できる『農ガール』になっておくれ」と、おじいさんである私は思っています。
◾️写真は、娘が送ってくれたものです。facebookにも投稿しましたが、なかなか評判がよかったので、このブログにも掲載させてもらうことにしました。親戚のお姉ちゃんに手をつないでもらって、黄金色に染まった水田の中の一本道を歩いています。空の雲のコントラストや、一本道に伸びる親戚のお姉ちゃんと孫の影が、写真を印象深いものにしています。
50年ぶりの再会
◾️昨日は、人生の中でもたぶん記憶に残り続けるんじゃないのかな…と思うような「再会」がありました。半世紀ぶりの再会でした。半世紀、50年ですよ。その方に、半世紀ぶりに会うために大阪に行ってきました。今回「再会」したのは、小学校3年生から4年生にかけてクラスメイトだったHくんです。私は、小1から小4まで、福岡県北九州市戸畑区にあるカトリック系ミッションスクールである「明治学園小学校」に通学していました。Hくんは、小3になった時に転校してきました。いろんな事情があると思いますが、お兄さんがこの学園の中学校に進学されたことから、兄弟で同じ学園に通うこととなり、小3の時に転校されてきたのです。私の記憶の中でのHくんは、このような人でした。皆んなが「Aだろう」という時に「Bだよ」というような人でした。だから印象に残っているのだと思います。いろんなエピソード、記憶があります。記憶の中では、親しくさせていただいていました。
◾️それはともかく、私の方からお願いをして、Hくんと会っていただきました。しつこいですが、半世紀ぶりの再会でした。もっとも、私がHくんのことを記憶しているほど、Hくんは私のことを記憶されてはいませんでした…(Hくんは小学校時代の記憶があまりないとのこと)。まあ、それはそれで普通だと思います。私とHくんとの共有した時間はたった2年間ですから。9歳・10歳の時です。Hくんとは、大阪駅の改札口で再会する約束でした。約束の時間よりも20分も早く到着したのですが、すでにHくんは改札口に立っていました。随分早くにやってきて、待っていてくれたのですね。一目会っときに、Hくんだとすぐにわかりました。昔と同じ面影でしたから。その後、大阪梅田のビル地下街にあるお店で呑みながら一緒に夕食を摂りました。半世紀ぶりでしたが、「明治学園小学校」関連のいろんなことをお聞かせいただけました。Hくん、ありがとうございました。Hくんの話しを通じて、当時仲良くしていただいていた他の皆さんの近況も知ることができました。
◾️次回は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、Hくんが目をかけておられる後輩の方とも一緒に、お会いすることになりました。楽しみです。いろいろあるな。そして人生は続く…かな😅。Hくんとどうして再会できるようになったのか、このブログに「50年ぶり」とのタイトルで投稿しています。ご覧いただければと思います。
映画「女になる」上映会・パネルディスカッションの開催について
▪️私は残念ながら行けないのですが、明日、瀬田キャンパスで「映画「女になる」上映会・パネルディスカッションの開催について」が開催されます。詳細は以下の通りです。
滋賀県大津市では、平成29年12月に「おおつレインボー宣言」を行い、性的指向や性自認を理由とする差別や偏見をなくし、誰もが自分らしく生きることができる多様で包摂社会の実現を目指し、申請書の性別欄の廃止や職員研修等の取り組みが進められています。しかし、LGBTの方々を取り巻く現状は、理解不足や認識の不足から生じる様々な課題が存在しており、当事者の生きづらさにつながってます。
様々な課題を解消するためにも、当事者の声や意見を直接聞く機会を設け、理解を深めるきっかけとするため、大津市と龍谷大学が連携し、映画上映会と出演者を交えたパネルディスカッションを開催します。
日 時:2018年10月13日(土)13時30分~16時30分(受付開始13時00分)
参加費:無料
場 所:龍谷大学瀬田キャンパスREC小ホール
申 込:不要(当日直接会場までお越しください)主 催:大津市
共 催:龍谷大学龍谷エクステンションセンター(REC)
我がサードプレイス「利やん」の最近
◾️先日のことになりますが、ある大切な用事があって写真の3人が集まりました。もちろん、用事を無事に終えた後は、大津駅前のいつものに居酒屋「利やん」へ。こちらの皆さんは、職場の同僚ではありますが、それよりも私にとっては、この居酒屋「利やん」のランニングチーム、「チーム利やん」のチームメイトといったほうがビッタリきますね。来年の2月最後の日曜日は第10回「びわ湖レイクサイドマラソン」です。私以外のお二人は、トレイルラン等で活躍されるアスリートです。これまでも、「チーム利やん」でエントリーして立派な成績を残してこられました。が、しかし。今回は、お二人は年代別での1位になるぞと宣言されています。すごいです。
◾️私はといえば、この「チーム利やん」では一応「(なんちゃって)キャンプテン」=世話係…なんですが、今年の「レイクサイドマラソン」以来、一度も走っていません。これはさすがにまずいです。昨年はホノルルマラソンに出場するという目標があったので、それなりに練習をしていたのですが、今年は目標がなかったこともあって、このだらしなさです。これから、気持ちを入れ替えて、しっかり練習を積みたいと思います。
◾️それにしても、この居酒屋「利やん」、私にとって大切なサードプレイスです。「サードプレイスって何?」という方は、ぜひ以下のエントリーをご覧いただければと思います。
多様な専門性を持った皆さんとの連携
◾️琵琶湖・南湖の水草の有効利用を目的に設立された市民グループ「水草は宝の山」=「水宝山」の活動に関して、また少し前進がありました。以前より、水草堆肥については、経験的に農作物に効果があると言われてきましたが、学問的というか科学的な裏付けが明確にあるわけではありませんでした。私が参加している総合地球環境学研究所のプロジェクトの研究成果として、土壌生態学的な研究論文は発表されていますが、実際に農業で水草堆肥を使っていく上で必要とされる農学的な観点からの知見については確認することができていません。
◾️そのため、龍谷大学農学部のお二人の教員にお願いをして、水草堆肥の効果に関する農学的な研究を進めていただくことになりました。お二人は、土壌、肥料、植物栄養学についての専門家です。昨日は、水草問題を所管されている滋賀県庁琵琶湖環境部琵琶湖政策課の職員の方達にも龍谷大学にお越しいただき、お二人と意見交換をしていただきました。私は授業があったため、途中で意見交換の場から退席しましたが、いろいろ勉強になりました。「餅は餅屋」と言いますが、深い専門性を持った方達の横の連携の大切さを、より一層実感することになりました。水草問題の解決に向けてまた少し前進できたように思います。お二人の教員の皆さんには、心より感謝したいと思います。
◾️もう一つ、良いことがありました。「水宝山」の活動の一つは、切れて浜に漂着した水草を、地域の中で有効利用する仕組みを作っていくことにあります。これまで、そのような「水宝山」の活動を展開していく上で、法律的にクリアすべき課題が残っていました。長らく「水宝山」の活動の足かせになっていました。ということで、昨日に引き続き、今日も琵琶湖政策課の職員さんと一緒に、琵琶湖の砂浜を管理されている滋賀県庁の部署を訪問して相談をさせていただきました。その結果、有価物の採取や利益のために活動するのでない限り、河川法的に特に問題になるようなことはない、むしろそのような河川愛護活動はありがたいとの見解をお示しくださいました。こちらについても、心より感謝したいと思います。正直、ホッとしました。具体的な成果を生み出していくためには、まだまだ時間がかかりますし、今後も、さらに多くの多様な専門性を持った皆さんとの協働が必要です。引き続き、頑張ってまいります。
◾️以前、お世話になった同位体生態学の大御所の先生から、「I型」→「T型」→ 「π型」という話しを聞かせてもらったことがあります。環境問題の解決に向けて、特定の専門性だけでは限界がある。アルファベットの「I」は、そのような特定の専門性を表現しています。ですから、自分の研究の間口を広げていこう。隣接する分野や関連する分野についても、たとえディシプリンが違っても勉強していこう。これが「T型」です。「I型」よりも横に関心が広がっていますね。しかし、個人の努力だけではまだどうしようもない。「T」と「T」が連携する中で、「π型」になっていく必要がある。そのような話しだったかと思います。これは文理融合の研究を進めていくことの必要性に関連して話されたことです。「水宝山」の活動は、研究プロジェクトではありませんが、多様な専門性を持った皆さんとの協働ということからすれば、やはり「π型」を目指して行かねばなりません。多様な専門性の相補的な関係をデザインしていくことが必要になります。
「うみのこ」と堅田の秋空
◾️買い物ついでに、大津市の堅田にある湖畔のカフェへ立ち寄りました。杢兵衛造船所の横にあるカフェです。こういうことは、滅多にないことなんですけれど。コーヒーを飲みながら外を眺めると、杢兵衛造船所には、退役した前の環境学習船「うみのこ」が繋留されていました。「うみのこ」は、「滋賀県立びわ湖フローティングスクール」で使われている環境学習船です。現在は、2代目の新しい「うみのこ」が就航していますから、これは1代目の「うみのこ」です。滋賀県の小学校5年生は、全員「うみのこ」に乗船して琵琶湖の環境学習を行うことになっています。詳しくは、以下をご覧いただきたいと思います。ところで、新しい「うみのこ」が就航したこともあり、この写真の1代目はどうなるんでしょうね。少し古い新聞記事では、利活用していくにも相当のお金がかかるようですし、解体するにしてもそれなりの費用が必要のようです。
◾️カフェでは「うみのこ」のことを考えながらびわ湖の風景を眺めていました。するとV字編隊の白い渡り鳥たちが南に向かって飛んでいるのが見えました。目を凝らせば、この写真でも確認できるかもしれません。種類はなんでしょうね。そういう季節なんですね。ちなみに上の方に浮かんでいるUFOみたいなのは、電灯がガラス窓に反射したものです。カフェには20分ほどいたでしょうか。カフェの外に出ると、もう夕方になっていました。空は秋空です。羊雲ですね。羊の群れが比叡山の山えを超えて行こうとしているかのようです。
社会共生実習を盛り上げたい!!
▪️現在、「社会共生実習支援室」のスタッフの皆さんと一緒に、社会学部の看板プログラムでもある「社会共生実習」をより一層盛り上げるために、様々な企画を考えています。そのうちのひとつは、2回生を中心とした履修者と3回生以上の修了者との交流会を開催することです。先輩から後輩へ、様々な思いが伝わればと思っています。私は、「社会共生実習」のひとつのプログラムである「大津エンバワねっと」の担当者ですが、この交流会の企画運営に参加します。
▪️以下は、昨年度の報告書です。